Genpatsu

(2012年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 200号より)




9月12日、43団体が「原発ゼロ」確約を求める申し入れ




福島原発事故から1年半が過ぎた。報道によれば、浪江町は、放射能汚染の比較的少ない地域の避難指示区域の解除を5年間遅らせることを決めたという。損害賠償に関連する問題でもあるが、ライフラインや居住環境の整備に時間がかかることも大きい。たとえば、中間貯蔵場所が決まらないので除染が進まない。道路やいたるところで寸断されている下水道の復旧などに時間がかかる、などの問題がある。

高い放射線量に子どもの将来を心配して移住を願う若い世代、住み慣れたふるさとに一日も早く戻りたい年配者たち、人々の苦悩は続いている。

エネルギー政策の転換も苦悩のただ中にある。原子力に関する選択肢の国民的議論の検証結果は、「国民の過半が原発に依存しない社会にしたいという方向性を共有している」だった。民主党内のエネルギー環境調査会は、これを受けて、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」とまとめた。最長10年延びたことは非常に残念だった。

ピースボートが急きょ呼びかけて、9月12日に43団体が集まって「原発ゼロ」の確約を求める申し入れを行い、うち、14団体の代表が記者会見を行った。民主主義国家なら国民的議論の結果を受け入れるべきだ。

14日午後に公表された新たなエネルギー政策には、「2030年代に原発ゼロ」のメッセージは入った。しかし、原発ゼロを撤回するべきと、経済界がこぞって反対の意見を表明したからか、政府の方針として閣議決定することができなかった。

さらに、核燃料サイクルは続行となってしまった。電力会社や三村申吾青森県知事を説得できなかったのだろう。原発ゼロなら六ヶ所再処理工場も止まるからだ。また、米国政府が原発の維持を求めているとも伝えられている。米国では79年の事故を契機に原発建設が衰退し、今では製造能力がなくなっている。日本の技術に期待するのはお門違いではないか。福島原発事故の悲劇は彼らには伝わっていないようだ。

よいニュースもある。前回報告した脱原発基本法案が103人の議員の賛成・賛同を得て衆議院へ提出され、継続審議となった。議員の過半数にはまだまだだが、脱原発法制定運動が産声をあげて歩み始めた。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)