前編<研究者・酒井章子さんが語る「花が美しい理由」>を読む




ボルネオの熱帯林のてっぺんはさわやか



花と送粉者の関係を研究してきた酒井さんの調査地は、マレーシア、ボルネオのランビル国立公園の熱帯林。60mの巨木がそびえ立っている。

ここには、高さ80mのクレーンが建てられていて、そのアームの先につるしたゴンドラに乗って、熱帯林の林冠(キャノピー:森林で樹冠どうしが接して横に連なる部分)で植物や昆虫を観察する。クレーンは林冠の上を360度ぐるりと動く。この林冠クレーンを使うと、アームの内側ならば、どこにでも重い測定装置を持って移動できる。




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「熱帯林中は湿度が高くてじとっとしているんですけれど、林冠の上に出てしまうと、日差しはきついですけれど、空気はさわやかですね。木に登ると、鳥とか昆虫など動物との距離がちょっとだけ縮まる気がするんです。地上より動物の数が多いせいもあって、鳥も少し警戒を解いているような気がします」





月面よりわかっていないといわれる熱帯林の林冠。

「まだ基本的な情報も限られていて、教科書に書いてあることがどんどん簡単にひっくり返っていく。そういうおもしろさがあります」


熱帯林には、温帯よりもずっと生物の種類が多いという。植物の数はほぼわかっているが、昆虫はいったい何種類いるのかもわかっていない。

「地球上の昆虫の多くの種が熱帯に分布しているわけですけれど、どれだけの種類の昆虫がいるのかわからない。昆虫学者によって、推定値が一桁とか二桁とか簡単にずれるような状況なんです」





なぜ、ボルネオ熱帯林の樹木が60〜70mもの高さになるのかも、わかっていない。

「樹木が60〜70mになると、相当の圧力で水を持ち上げなければならない。強い風が吹かないので高くなれる、光をめぐって競争しているという説もありますが、なぜそこまで高くなるのか?」と首をかしげる酒井さん。

熱帯林と日本の森林の林冠の風景は、上から見ると違いがよくわかる。

「ボルネオ熱帯林は、林冠がボコボコしているんですよ。日本の森林は風も吹くし、樹の種類も少ないので頭が揃っているんですが、熱帯林にはところどころに「突出木」と呼ばれる高い樹があって、ちょうどカリフラワーみたいにボコボコしているんです。でも、なぜ突出するまで高くならないといけないのかがよくわかっていない。例えば、となりの樹から葉っぱを食べる虫が来るのを防ぐために、ほかの樹と肩を並べないようにしているとか、いろいろとおもしろいことを言う人もいますが、本当のところはわからないんです」






人間の想像をこえる昆虫の生きかたがおもしろい




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(アザミの花を訪れるマルハナバチ)




酒井さんにとって、熱帯林の魅力とは何なのだろうか。

「研究者によって熱帯林の魅力は違うと思うのですけれど、わたしが一番おもしろいと思うのは、生物の多様性というか、いろいろな生物がそれぞれ個性的な生きかたをしていること。例えば、昆虫は人間の想像をこえて、いろいろな生活をしているんです。それにはいつも驚かされます」


ここで、酒井さんが見た、彼女の想像をこえていた昆虫の話を四つほど紹介しよう。




①パナマで見た昆虫の話。

あるとき花に来る虫の中に、羽のないハエがいた。しかもメスだけ羽がない。どうやら、オスがメスをつかんで運ぶらしい。オスがメスを運んで、ちゃんと産卵場所まで連れて行く。面倒見のいいハエである。




②放浪するミツバチの話。

オオミツバチというミツバチの仲間は、数千、数万匹の家族で旅をする。いつも偵察隊を出して、花がある場所を調査している。花がなくなると花があるところに、意を決して移住する。数十キロも放浪生活をして、巣を移動させる。エネルギーと冒険心もあるミツバチだ。




③あるアリの話。

ある植物の幹には穴が開いていて、その中に特定のアリが住みつくという。植物はアリに餌を与え、アリは餌をもらってその植物の防衛をする。毛虫が来ればせっせと追い払い、つるが伸びてきて樹に巻きつけば、それを噛み切る。家と餌を提供してもらう代わりに、その植物を守る住み込みボディガードだ。




④奇妙な匂いを出す花の話。

花は「蘭に似た」という名を持つほどきれいなのだが、変わった匂いがする。いったいどんな動物が花粉を運んでいるのか? 実はその花粉を運んでいるのは、エンマコガネというフンコロガシの仲間だった。花なのに、動物の糞の真似をして昆虫を呼んでいた。




そんな数々の、謎と不思議と活力に満ちた、生物多様性の宝庫が熱帯林だ。だが、最近、酒井さんが気になるのは、熱帯林が伐採や開発のために減り続けていることだ。また、そのような森林の縮小や過剰な狩猟によって、大型哺乳類がいなくなるという「森林の空洞化」がすでに各地で起こっている。

花粉を運ぶ昆虫が消滅すれば花を咲かせる植物が困るように、大型哺乳類の数が減れば、彼らに食べてもらうはずだった果実を実らせる樹木が困る。せっかく実った果実が食べられもせず、種子も運ばれず朽ちていく。

「狩猟の問題もありますが、森林の伐採や開発も大きな問題です。例えばマレーシアの低地で、オイルパームのプランテーションがすごい勢いで広がっている」と、酒井さんは指摘する。

オイルパームからは、日本では環境にやさしいと宣伝されているヤシ油がとれる。皮肉な話だが、温暖化対策としてのバイオエネルギーの導入による植物油の需要が、多様性の喪失という別の環境問題を加速しているのだ。




そんな熱帯林の問題に思いを馳せながら、酒井さんは、人と生物のかかわりを大事にすることが生物多様性の存続を考えていく一つの手掛かりとなるのではないか?と考えている。

「生物多様性がなぜ大切なのか、という問いにはいくつもの答えがあります。私は、人間が生物多様性から受けてきた文化的な豊かさは小さくないと思っています。例えば日本人は、いろいろな色を表現するのに、生物にちなんだ名前をたくさん使ってきました。いろいろな生物に象徴的な意味を持たせたりもします。年中行事で何か決まったものを食べるとか、祝いごとで何かを飾るとか。また、野球やサッカーのチームで動物をシンボルとして使ったりする。生物多様性は一度なくしたら取り返しがつかない。そんな文化的な豊かさをどれくらい大事に思えるのかということが、これから生物多様性を守っていくことにつながっていくと思うのです」

(編集部)
プロフィール写真:中西真誠
写真提供:京都大学生態学研究センター





さかい・しょうこ
京都大学生態学研究センター准教授。千葉県生まれ、1999年京都大学博士(理学)。日本学術振興会海外特別研究員、筑波大学講師などを経て現職。専門は植物生態学。主な著書に「森林の生態学・長期大規模研究から見えるもの」文一総合出版(共著)。






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