Genpatsu

(2012年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 193号より)




原子力ムラの実態が明るみに出てきた。ムラ社会の風通しがよくなる好機が訪れたといえよう。5月24日に、毎日新聞が「4/24勉強会用【取扱注意】」と書かれた資料の表紙の写真とともに、原子力委員会が「勉強会」と称する秘密会議を開催したと報じた。

この勉強会は、原子力委員会の担当役人、経済産業省の役人、文部科学省の役人、日本原子力研究開発機構、東京電力や関西電力などの電気事業者と日本原燃などの面々で構成されている。さながらムラの長たちの集まりである。

この秘密会議はいわば裏の会合だ。表の会合は、原子力発電所・核燃料サイクル技術等小委員会。原子力委員会が設置したもので、ここで核燃料サイクル政策に関する選択肢を議論する。日本はこれまで原発で使い終わった燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、燃料に再利用する政策をとってきたが、これが事故続きでうまくいっていない上に、お金がかかり過ぎるというので、福島原発事故をきっかけとして見直すことになったのだ。

表の会合はこれまでに15回開かれたが、裏の会合は23回に達しているという。表の会合の委員である筆者は怒り心頭に発している。初めからムラで相談のうえ議論の方向性を決めていたわけだから、これでは表の審議会が成立しない。

今日に至るまで脈々と続いてきたムラ社会のしきたりではないかと疑っていたところ、04年に再処理を見直した時にも裏の会合が行われていたことも明らかになった。自民党時代には議員、官僚、電力各社といった政官財が一体となって、政策を決め事業者に有利になるような制度をつくり、事業を推進してきた。このようななれ合い、もたれあいが脈々と続いてきたのだ。政権交代後もまだ悪しき慣行を引きずっていた。

東海村の村上達也村長は、5月26日の「講演会 さようなら原発」で「原発発祥の地からの脱原発宣言」と題して講演した。原発立地自治体の中でただ一人脱原発を主張している首長だ。村上村長の話の趣旨は「中央集権的な原発は疫病神、貧乏神。もはや原発依存は時代遅れ」と明快だった。

中央集権的なムラ社会の解体は必至だ。近藤駿介原子力委員長は今後は秘密会合を開かないと公約し、 委員会のあり方を見直すと明言した。行方を注目したい。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より「ともに生きよう!東日本 レポート20」)




日本国政府による犯罪だと痛感した—脱原発世界会議、海外ゲストが見たフクシマ





世界各国の脱原発、核廃絶運動に関心のある人、NPO、専門家など約1万1500人が参加した「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」が1月14、15の両日、パシフィコ横浜で開催された。
このイベントに先立って、ドイツ、ヨルダン、モンゴル、スイス、ケニア、韓国などの海外ゲスト、ジャーナリスト50人が13日、福島県を訪れ、被災した住民や地元で活動する人々の声を聞き、活発な意見を交わした。海外ゲストが見たフクシマとは。





福島の問題が福島だけの問題になっていることが問題




海外ゲストたちは、まず福島市を訪ね、市民の話を聞いた。

吉野裕之さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)は〝子どもの疎開と保養事業〟について、丸森あやさん(CRMS市民放射能測定所)は〝福島市内で食品や内部被曝測定を行う活動〟について、佐藤健太さん(まげねど飯舘)は、福島第一原発から30キロ以上離れていながら放射能の高汚染地域「ホットスポット」になった飯舘村について報告した。

福島大学准教授の丹波史紀さんは、「避難した住民は原発爆発から10ヵ月以上経った現在でも、わが家に戻れるのか、あるいは戻れないのか、見通しが立たないため、仕事や日常生活の再建のめどが立たない」現実を報告。「家族がバラバラのままの避難生活、避難していない人も放射能の影響で仕事や日常生活に大きな影響を受けている」ことを説明し、「現在の福島の問題が、福島だけの問題になって忘れ去られてしまうことが問題。福島の現実を少しでも知ってほしい」と訴えた。

一行は次に伊達市へ移動。元酪農家の長谷川健一さんが、スライド写真を見せながら、震災直後から飯舘村で起きた出来事や、放射能汚染で廃業せざるを得なくなったことを説明した。




飯舘村通過で、一斉に鳴り出したガイガーカウンター




10 バスの中写真


この後、バスで海側・浜通りの南相馬市へ移動中、飯舘村を通過した。バスの中から、住人が避難してカーテンを下ろしたままの住宅や、シャッターを閉めた商店、耕されない水田や畑、防護服を着た人が建物の除染作業を行っている様子などが目に飛び込んでくる。原発から20キロ圏に入る国道6号線の検問では、韓国からの参加者が横断幕を手に「非核と脱原発を福島から」と、「ノーモア・フクシマ」を連呼するシュプレヒコールも飛び出した。


10 参加者写真



この日参加した海外ゲストらは、自国で購入してきたガイガーカウンターなど、放射線の測定器をそれぞれ持参していた。バスが伊達市から飯舘村に入ると、バスの中でも空間放射線量が1マイクロシーベルトから2マイクロシーベルト前後まで、グンと跳ね上がる場面があった。ピーピーピー……ピーピーピー……。バスの前、真ん中、後ろの座席からそれぞれの測定器のアラームが一斉に鳴り出すと、韓国、ドイツの研究者やNPOのメンバーは、持参した測定器が表示した数値をお互いに比較したり、数値をノートに記録していく。

到着した南相馬市では、高橋美加子さん(つながろう南相馬)から、〝市民による除染や住民支援活動〟についての話を聞いた。高橋さんは「放射能は目に見えず、家畜や野菜など汚染されたものに私たちは手出しができない。海外メディアでは南相馬市を『死の街』と報道したと聞いた。小さな子どもを持つ若い人たちは、ここを出て行かざるを得ない」と、放射能の影響で厳しい現実を強いられている様子を述べた。同時に「放射能で汚染された街だが、私たちはここで生きていくため、共同作業でもう一度復活させたい」。そして「福島の大変な状況を、広く世界に伝えてほしい」と訴えた。

また箱崎亮三さん(NPO法人実践まちづくり)ら住民5人は、南相馬市の現状について説明。箱崎さんは、「私たちは原発事故の真実を本当には知らない。心配だけれど、ここに住みたいから除染する。でも実際には除染モデルなどどこにも存在せず、本当に除染できるのだろうかという思いもある」と、住民としてのさまざまな葛藤があることを吐露。その上で「除染モデルを南相馬市から発信することができるのではないか」と、除染に関するデータを集めて分析し、作業や管理について研究してマニュアル化する試みに取り組んでいる様子をレポートした。




混乱、葛藤、解決のない課題に衝撃



11 ムナさん
(ムナ・マハメラーさん)




ヨルダンの弁護士、ムナ・マハメラーさんは、「福島第一原発事故後、福島県を中心に住民の健康被害や避難など深刻な問題が続いているなか、日本政府は昨年12月、ヨルダン、韓国、ベトナム、ロシアとの原子力協定を国会で承認した。ヨルダンの原発予定地は砂漠で水源が十分になく、情報公開も進まない現状がある」と言う。

また、「本当に福島の現状は残念で、住民の方々は大変な状況に置かれているのを理解した。その状況と闘う住民は素晴らしい方々ばかりだった。改めて、この現状は人権問題で、情報隠しも含めて日本国政府による犯罪だと痛感した。帰国したら福島で起きている深刻な出来事を伝え、ヨルダン政府に脱原発を強く働きかける。全力で取り組んでいく」

ケニアの医師で公衆衛生の専門家ポール・サオケさんは「核兵器廃絶に関してはケニアを含め、アフリカ全体で進んだものの、『原発は別』として、南アフリカに建設され、エジプトでも建設が予定されている。ケニアでも2022年に原発建設がケニア政府によって示され、日本からの建設打診の動きがあるが、今回の福島の厳しい現状はまったくケニア国民には伝えられていない」と問題を指摘する。「福島で撮影した動画をケニアのメディアの人たちに提供して伝え、原発が国民に与える悪影響を具体的に説明して、国内世論を喚起したい」




11 アンドレさん
(アンドレアス・ニデッカーさん)




スイス・バーゼルの開業医で放射線医学の専門家でもある、核戦争防止国際医師会議スイス支部長のアンドレアス・ニデッカーさんはこう話す。「最も印象的だったのは、福島で暮らす人々が非常に大きな精神的なダメージを受けていることだ。避難するかとどまるか、いずれ戻るかという現実的な問題を突きつけられている。また、特に子どもの健康面については、低線量であっても長期的被曝の影響の問題がある」

「とにかく私は医師として、過去20年以上にわたって、核の平和利用はありえないと反対し続けてきた。原発はこれだけの混乱や葛藤を生み、解決策のない課題を残す。政府は補償も含めて責任は取らず、アクシデントが起こったら難しい結果に陥る。スイスに帰ったら仲間やグループとさらに連携して原発をなくす活動をしていきたい。日本でも同じ決断をしてもらうように働きかけたい」

参加者は、福島で見たこと、聞いたこと、感じたことをリアルに発信し、世界各国で活動を展開することを誓い合う。素顔のフクシマ、フクシマの悲劇の教訓が世界中に発信されようとしている。

(文と写真 藍原寛子)


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(2009年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第131号より)










マラウイ、自由もたらす風車



マラウイのマシタラに住むウィリアム・カムクワンバは、貧困のため14歳で学校に通うことができなくなったが、地元の図書館に通っては、独学で科学の勉強を続けていた。そして、そこでエネルギーに関する書物に出合い、風によって、水をくみ出すエネルギーや電気を生み出せることを知った。「これで貧困と対峙できるかも、と思ったよ。これを自分でつくってみなきゃ、と感じたね」と、彼は当時を振り返る。

カムクワンバはごみの山から材料を見つけ出し、最終的には5メートルの風車を完成させた。そして、その風力によって、自宅に光がともされた。「この光によって、僕はもう7時に就寝する必要がなくなったんだ。これで、暗闇と腹ペコの状態から解放された。風車は単にエネルギーというよりは、自由を僕らにもたらしたんだ」

彼の試みは瞬く間に広まり、カムクワンバは飛び級で学校を卒業。08年には、より強力な風車を完成させ、このプロジェクトへの寄付が相次いだ。

22歳になったカムクワンバは南アフリカで奨学金を得て学びを続けているが、卒業後は地元に帰るつもりだという。マラウイでは、2パーセントの人々しか電力を享受していないためだ。

(Sarah Taylor)


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(2012年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第183号より「ともに生きよう!東日本 レポート19」)




10 イラスト




昨年12月12日、都内で
「2011 東日本大震災を受けて 福島原発事故後の人権を考える」が
国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」によって開催された。
福島県内の母親が置かれている厳しい状況と、
人権侵害の現状が伝えられた。





放射能の影響めぐり、夫婦間、親子間、地域、学校などで分断



11月26~27日「ヒューマンライツ・ナウ」は、福島県福島市、郡山市で、人権状況の観点から、母親たちに聞き取りを行った。現地調査の結果について、後藤弘子さん(千葉大学法科大学院教授/ヒューマンライツ・ナウ副理事長)が以下のように報告した。




原発事故に伴う放射性物質の健康への影響を考えて、「子どもを県外に避難させたい」という母親に対して、「気にしすぎでは」と言う夫。夫婦間、親子間で考えが違うことにより、家庭や地域、学校などで分断が起き、母親が孤立させられているという。

「夫と話ができない」「子どもによかれと思って避難させたのに、子どもにわかってもらえない」「『気にしすぎ。もう安全でしょう』と言われる」「学校ではモンスターペアレント扱いで、先生には何も言えない」「外遊びで子どもが土に触れようとした時、『絶対ダメ』と言っている自分が悲しい」。また、「自分たち親が、子どもの自由を制限してしまっている。自分たちこそが加害者ではないか」という自責の念。

また「これまでは考えなくてもいいことを考えなくてはいけない日常生活。何を買うのか、買ってはいけないのか。どこに行くのか、行かないのか。これを食べていいのか、いけないのか、などを毎日毎日考えないといけない。クラスメイトのお母さんたちに果物などのおすそ分けができない」というような、悲痛な訴えが次々に寄せられた。

特に、自閉症など障害のある子どものお母さんは極度に疲弊しているという。たとえば避難先を探す時も受け入れ先を見つけるのが困難で、「自分が死んだ後、子どもがどうなるかが心配。むしろ自分が子どもを看取る方が安心」とまで言う母親もあった。




除染効果への疑問。食の安全と避難の権利保障



後藤さんは、多くの人が除染効果に対して疑問をもっていたこともあげた。

「一部だけやってもムダ。放射線量が高い所に住む人が、何十万円もお金をかけて自宅を除染しても、結局、除染水は低い方に流れて下の方の家に溜まる。汚染が移動するだけでは意味がない。行政は『町内会やPTAで除染してください』としているが、防護の装備もなく、危ない除染をしているという状況がある」と、除染作業に伴う安全対策の課題を指摘した。また、高校では震災から8ヵ月が過ぎても校庭が除染されていなかったり、ほとんど対策が取られていなかったという。




学校給食など、子どもの食をめぐる課題も浮き彫りになった。

郡山市は11月から地元産米「あさか舞」を給食に出すことを決定した。ところが、「市の給食の放射線測定検査は不十分で、健康診断に放射能検査が付け加えられていないこと、児童・生徒らに配布された放射線計の測定結果に関する説明が十分に行われていないこと、学校でも放射線への安全について教育がなされていないこと」など、学校現場での食の安全や健康管理の問題は山積している。

後藤さんは「あくまでも個人的な見解」と前置きしながら、「少なくとも、放射線量を公開し続けることが必要。福島市渡利地区は放射線量が高いが、特定避難勧奨地点になっていません。『少なくとも、安全ではないことを言ってくれるだけでもずいぶん違う』と話す人もおられました。つまり、安全に対して疑問をもつ自由がまったくないんですね。たとえば、『安全だと言われていることを信じない人は非国民だ』とか、『福島から出て行け』とまで言われる。安全に関する疑問が個人の問題に矮小化されてしまっています。放射線量を安全に対する社会の問題として考える動きをするだけで、地域から排除される状況があります。そのような状況を前提として、私たちは福島の人たちの避難の権利を考えていかないといけない」と後藤さんは報告を締めくくった。




信頼なくした専門家。最大の問題は行政の無策や法令違反状態の正当化



会場では、押川正毅さん(東京大学物性研究所教授)が「科学者からみた原発事故とその後」について、影浦峡さん(東京大学大学院教育学研究科教授)が「放射能『安全』報道とその社会的影響」について講演をした。

押川さんは、「今回の原発事故による放射性降下物の濃度は、1960年代の大気圏核実験の頃よりも低い」と話すのは「勘違いと言うか、ほぼデマと言っていいと思う」とし、「今回の原発事故により、原子力工学、原子力関係の科学者や専門家への信頼低下というのが厳然としてある。その信頼が低下したことが一番問題なのではなく、信頼が低下した専門家の見解を根拠として行政が動いていることが問題。行政は専門家の見解に基づかないと動かないが、市民はその専門家を信頼できないという現象が起きている」。科学的調査でとらえきれていない健康被害があることや、調査自体の問題の可能性、「科学の名を借りた人権の抑圧」の可能性を指摘した。

影浦さんは「住民が被曝を強いられることが不当であるという議論がなされるべきなのに、どのぐらいの被曝ならば安全かという科学的議論だけが突出している。『直ちに健康に影響は出ない』などの報道の結果、行政の無策や法令違反状態が正当化され、東電や政府の責任が矮小化されている。住民の間でさまざまな分断が起きているのは、本来、責任を取らなければならないところが責任を取らないため。それが一つの大きな原因になって起きたこと」と語った。

この日は、南会津町で原木キノコの自然栽培に取り組んでいる新居崎邦明さんも参加。「報告された内容よりも、現状はさらに厳しいように思います。本来は東電や政府が汚染物質を引き取るべき。農作物への放射性物質の影響で、『自分たちは毒をばらまいているのだろうか』と自分を責める農家の声も聞いています。これまで有機農業で安全なものを作ってきたのに、最も危険なものが降り注いできてしまったことによる混乱と、絶望の中にあるというのが本当のところです」と感想を語った。

(文 藍原寛子)



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(2012年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第182号より「ともに生きよう!東日本 レポート18」)




「しゃべる線量計」視覚障害者や高齢者も使える放射線測定器開発!




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(福島県盲人協会と県内の中小企業で開発された「しゃべる線量計」)





東京電力の福島第一原発事故に伴う放射性物質の拡散に悩む福島県で、測定した放射線量を音声で案内する線量計「しゃべる線量計」が開発された。

12月9日には、開発に当たった阿曽幸夫さん(福島県盲人協会会長)、中村雅彦さん(同協会専務理事)、斎藤雄一郎さん(三和製作所社長/福島県大玉村)らが記者会見して、線量計の仕様や開発経緯などを発表した。

「最初に音声を聞いた時は『ここはこんなに線量が高いんだ』とわかってビックリした。これまで私たち視覚障害者は、今この場の線量がわからず不安だったが、これからは自分自身で確認できる。今後の健康管理にも役立てたい」と、阿曽さんは笑顔で語った。

福島県内では7月以降、線量計を買い求める人が急増したが、音声の出る製品はなく、視覚障害者は不安な毎日を送っていた。そんな状況の中、10月中旬に三和製作所などが線量計「ガイガーFUKUSHIMA」を開発したことがテレビで報じられ、これを知った阿曽さんは中村さんを通じて同社に連絡した。

実は、震災直後の政府の会見放送で手話通訳者がテレビ画面に映らず「過去の教訓が生かされず、聴覚障害者が苦労している」という意見が寄せられていたことから、斎藤社長ら開発チームはすでに視覚障害者向けの音声付き線量計の開発も構想に入れていた。そこで福島県盲人協会からの具体的要望を受け、11月以降、両者で開発を開始。「音声で数値を案内する線量計は世界でも初めてでは」と話している。

線量計の内部にはガイガーミュラー管や回路のほか、数値を音声で読み取る基板が内蔵され、視覚障害者や高齢者が聞き取りやすい高さの女性の声で数値が読み上げられる。今後は起動音やダイヤルの位置、スピーカーなどの工夫を重ねて完成させる。価格は5万円で1月下旬から販売開始の予定。

阿曽さんは「視覚障害者一人ひとりにこの線量計を配布したいが、なかなか予算もない。企業や団体などでご理解いただけるところがあれば、ご協力をお願いしたい」と支援を訴えている。予約受付は1月5日から、福島県盲人協会(電話024―535―5275、火~金曜日午前9時から午後4時まで)。

(文と写真 藍原寛子)








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貧乏ゆすりがとまりません・・・。どうしたらいいでしょう?



Q: 職場で隣に座る人に「貧乏ゆすりをよくしてますよね」と言われました。
それで初めてそんなクセがあるって、知ったんです。
気になってみると、これがまたよく揺すっているんですよ。
「あ、まただ」みたいに。どうやったら貧乏ゆすりがやめられるでしょうか?
(会社員/30才/男性)



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11月15日発売のビッグイシュー日本版203号のご紹介です。



スペシャルインタビュー ダニエル・クレイグ


12月1日に公開が始まる『007 スカイフォール』。ダニエル・クレイグにとって、3回目のボンド役となりました。「だんまりボンド」と評されつつ、夏のオリンピック開幕式ではエリザベス女王のエスコート役も務めたクレイグ。『スカイフォール』を、ボンド映画本来の持ち味が活きている自信作だと語ります。



リレーインタビュー 株式会社チームラボ 猪子寿之さん


インターネットの登場に衝撃を受け、「これからは誰もが自由に情報を発信できる時代。最先端のテクノロジーで仕事をしよう」と会社を興した猪子寿之さん。原点は「高校時代の文化祭にある」と、ユニークな仕事観を語ります。



国際記事 未来のために銀行を選ぼう!


英国では、7月に発覚した一連の金融スキャンダル以来、5大銀行を捨て、中小銀行に乗り換える市民が続出しています。勢いを増す、コミュニティ銀行やチャリティ活動に融資するエシカル銀行。この流れは、新たな時代の金融の幕開けとなるのでしょうか?



特集 いま、屹立するアート


日々忘れられ、遠くなりつつある3.11。アーティストたちは、いま、それらにどのように向き合っているのでしょうか? 彼らは、3.11体験を通して、何を表現しようとしているのでしょうか?
3年前より宮城県「北釜(きたがま)」に移り住んでいた、写真家の志賀理江子さん。チェルノブイリ原発事故をきっかけに、放射能汚染をテーマにしてきた現代美術作家のヤノベケンジさん。仙台を拠点にボランティア活動を展開したタノタイガさん。それぞれに話を聞きました。
また、美術家のやなぎみわさんには「3.11の後で考える、社会とアート」についてエッセイを寄せてもらいました。
それぞれのアーティストが「深く静かな体験」として表現をし始めています。彼らの社会に対峙する感覚、彼らが見る世界を、私たちは共有できるのでしょうか?



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載など
もりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
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(2006年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第63号より)






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試練の連続を経て、ようやくたどり着いた幸せ、でも狭くても自分の部屋がほしい



渋谷の東急プラザ前にあるロータリーで、プロペラのついた帽子をかぶった男性を見かけたら、その人が下谷芳男さん(59歳)だ。多彩なファッションの若者が行き交う渋谷でも一際目につく帽子を指さし、くすくす笑う女子高生たちがいる。学校の行き帰りに必ずぽかーんと見上げていく小学生の女の子がいる。




「この帽子は高田馬場のリサイクルセンターで買ったの。たったの10円。洗うたびに乾燥機にかけていたら、5回目に片方のプロペラが折れちゃった」

以来、ちょっとバランスの悪いプロペラを頭上で回しながら奮闘する下谷さんには常連客が多く、1日の売り上げは平均40冊。応援してくれるお客さんに親しみを込めて、いつもたこ焼きをくれる女性には「たこ焼き夫人」、おむすびを三つくれる女性には「のり巻き夫人」と、下谷さんはこっそり名前をつけている。




ユーモアのセンスに富んだ下谷さんだが、その半生は波乱に満ちていて、生まれ故郷の青森ではこれまでに二度、生死の境をさまよった。一度目は小学校に入学する日。風邪をこじらせて大量に血を吐き、子供ながらに魂が抜けていきそうになるのを感じたという。

二度目は中学を卒業後、一級板金技能士の資格を持つ義兄に就いて、ブリキの屋根葺きをしていた19歳の年の暮れ。屋根から滑り落ち、29日間意識不明になった。頭から落ちなかったのが不幸中の幸いだったが、その事故で右目の視力を失い、傷めた足の具合は今もすぐれない。

「あれが紆余曲折の始まりよ。退院してからも病院通いばかりでやる気が出ないから、水道屋で穴掘りしたり、墓石屋で石磨きしたりと職を転々とした。29歳の年に東京の瓦屋に就職が決まって上京したけど、雑用ばかりさせられてすぐに辞めた。それからはキャバレーのボーイもやったし、金属プレスの工場で機械に挟まれて、左手の指を2本失ったりもした。注意散漫なんだよねえ」




やがて住む場所を失った下谷さんは、スポーツ新聞の求人欄で建築の仕事を探しては飯場(作業員宿舎)に入り、仕事がないときはドヤに泊まるようになった。

「ところが、それまで身体を酷使してきたせいであちこちにガタがきて、力仕事を1日すると2、3日働けなくなった。それで仕方なくヤマ(寄せ場)に行って日雇いの仕事をもらったり、古本を拾い集めたりして、その日その日を凌いだ」




そんな今年4月の下旬、神田川沿いのベンチに腰掛けて鉄道工事をぼおっと眺めていた下谷さんに、ビッグイシューのスタッフ、池田さんが声をかけてきた。

「路上で売る雑誌なんか売れるわけがないと思って断ったら、翌日にはもう一人のスタッフを連れて説得にきた。それで根負けして半信半疑のまま始めたわけ」

いざ立ってみると真夏の路面は想像以上に暑く、百円ショップで買った温度計が40度をさして倒れそうになったこともあった。それでも朝3時頃に起きてヤマへ行き、40もある袋詰めのセメントを担いで3階まで何往復もさせられたことを思い出せば、何とか乗り切れた。

「日雇いの仕事と何よりも違うのは、一から十まで指示されてやるんじゃなくて、自分の好きなやり方でできること。俺の販売場所はただでさえ騒々しいから、大声はあげないの。展示している雑誌の前で佇んでいる人がいたら、声をかけてくれるのを忍耐強く待つ。これは、古本屋のおやじを見て思いついたやり方」




もちろん、ただ立っているだけではない。サラリーマンの昼休みに間に合うよう早めにお昼を済ませたら、午後8時半まで立ち続ける。買ってくれたお客さんが月刊誌と間違えないように、毎月2回の発売日を教える。お勧めのバックナンバーを目立つところに置いておくなど、入念な仕掛けあっての古本屋商法なのだ。また、下谷さんは倹約家でもある。

「安い店をメモした地図をいつも持ち歩いているし、1日の楽しみといったら、仕事の後のワンカップくらい。そうはいっても食費を削るにも限度があるし、仕入れ場所までの交通費だって馬鹿にならない。これで貯金できたら魔法使いよ」




それでも試練の連続だった半生を振り返れば、今の生活はとても幸せだという。

「1日3回、飯が食えるだけでありがたいよ。でもかなうことなら、狭くてもいいから自分の部屋を借りて、そこから販売場所に通ってみたいね」

数え切れないほどの街を渡り歩いてきた下谷さんにとっては今のところ、渋谷の喧噪こそが心休まる安住の地なのかもしれない。

(香月真理子)

Photo:高松英昭


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Genpatsu

(2012年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第192号より)




5月5日に北海道にある泊原子力発電所3号機が定期検査に入り、日本中の原発がすべて止まった。多くの人たちが待ちわびていた時がきた。お祝いをした人たちも多いと聞く。枝野幸男経済産業大臣はすべての原発が「一瞬止まる」ことがあると言ったが、人々の願いは「このままずっと止まっていてほしい」である。

そんな中で、いま運転再開をめぐって熱いやり取りが続いているのが、福井県にある大飯原子力発電所の2基だ。

毎日新聞の報道によれば(5月9日付)、原子力委員会の新大綱策定会議では原発と地域の共生をテーマに議論する計画だったが、経済産業省や電気事業連合会から、「今テーマに取り上げる運転再開の地元同意は、福井県だけでなく滋賀県や京都府、大阪府などからも得るべきとの意見が、経済学者の金子勝氏や伴英幸氏(筆者)らから出てくるだろう」との意見が出されて、議論を先送りしたという。近藤駿介原子力委員会委員長はこれを否定している。報道は妙にリアルで、ありそうなことだと思う。会合は枝野大臣が地元へお願いに行く日に開かれていたからだ。こざかしいやり方に原子力への不信はいっそう深まった。

5月2日、経済産業省の前で瀬戸内寂聴さんや澤地久枝さん、鎌田慧さんらが日没までハンガーストライキに参加した。瀬戸内さんは「90年生きてきて今ほど悪い日本はない」「何を考えているのか」と再稼働の動きを一喝した。福井県に隣接する滋賀県、京都府も再開には反対だ。加えて橋下大阪市長もきわめて強い姿勢で反対の声をあげている。

一方、14日地元おおい町議会は運転再開を受け入れることを決めた。その理由は地元の経済問題だ。地域経済を原発に頼っている悲しい現実といえる。それが目を曇らせて、このまま運転に入っていけば福島原発事故を超える事故が起こるかもしれないとの認識を薄くしている。

関西電力は再開を強く望んで、あの手この手で再開の必要性を訴えているのだ。猛暑の夏がくれば、節電努力をしてもなお14・9パーセントも不足すると、報告書をまとめた。政府もこの報告書を妥当と認めた。だが数日後には、他の電力会社から融通してもらえば足りるとの試算結果も公表した。どうやら猛暑でも、節電努力と他社からの融通などで大丈夫そうだ。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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