(2006年8月15日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第55号 特集「愛と暴力の狭間で—D.V.(ドメスティック・バイオレンス)からの出口はある」より)

暴力=愛情という理屈がデートDVを生む


DVというと夫婦だけの問題と考えられがちだが、結婚していない若いカップルの間でも「デートDV」と呼ばれる暴力行為が行われている。2002年に「アウェア」(aware)を設立し、加害者の男性が自分のDV行動に気づき、暴力を克服する再教育プログラムを実施している山口のり子さんに話を聞いた。

 

P13 DV1k

(山口のり子さん)

デートDVとは何か?


「力と支配によって相手を思い通りに動かすという目的も、やっている行為も基本的にはDVと同じ。肉体への暴力、言葉による暴力、性的暴力のほかに、いつもおごらせる、売春させてお金を巻き上げる、借りたお金を返さないといった経済的暴力まであります。どんな行為であれ、彼女が怖がって彼の顔色ばかり窺い、自分のことを自分で決められなくなっていれば、それはすべてデートDVです」


デートDV自体は以前から存在していたが、近頃は低年齢化の傾向にある、と山口さんは指摘する。

「デートDVは男性がセックスを機に”彼女は俺のもの”と思い込むことから始まる場合が多いので、セックスの低年齢化がDVの低年齢化に結びついているのです」


内閣府が4月に発表した『男女間における暴力に関する調査』によれば、若い頃に交際相手から暴力をふるわれたことがある人は7人に1人。これを20代に絞ると5人に1人以上に増える。

デートDVがここまで増えた背景には、「世の中に溢れる誤ったジェンダー(社会的・文化的につくられた性別)の刷り込みがある」と山口さんは言う。

「今の若い人は、男の子はたくましくて行動的、女の子は素直で思いやりがあるといったイメージをドラマや映画、漫画などによって幼い頃から植えつけられています。つまり彼らが12〜13歳になる頃には、デートDVの加害者・被害者になる準備がすっかり整っているのです」


さらに、山口さんがデートDVの大きな要因として挙げるのが暴力の容認だ。暴力で教えることが深い愛情だというとんでもない理屈が、映画やTVドラマの中にはびこっている。また、悪いことをしたときに親からたたかれた経験を持つ子も多い。「どこかで暴力をインプットされた子供が、思い通りにならない場面に直面したときに解決手段として暴力を使うんです。暴力=愛情という考え方は、たとえ親子の間でも間違っています」

 

恋人同士の台詞でグループワークも


このような誤った暴力の連鎖に、加害者自身が気づくことはできるのだろうか。

「夫婦だと妻に離婚を突きつけられて気づく男性が多いのですが、若いカップルの場合は、彼女が出ていっても次の女性を探せばいいやと男性が思えば、ずっと同じことを繰り返してしまいます」


しかし少数ではあるが、暴力が原因で彼女にふられたことを機に「アウェア」のDV行動変革プログラムを受けて、暴力を克服した男性もいるという。

「あるデートDVの加害者男性は、『自分の気持ちを言葉で伝えて、彼女が決めたことを尊重する姿勢が大切だとわかりました』と言って卒業しました。彼はしばらくして別の女性と結婚。赤ちゃんも生まれましたが、妻子には一切暴力をふるっていないと報告に来てくれました」


約1年間に及ぶプログラムへの参加者は現在30人ほど。DVをテーマにしたオープンな話し合いの中で自己や他者の批判をし、それを受け入れる練習をする。

「初めは自分の暴力と向き合えず、『新たに好きな人ができて毎日が楽しい』などと発言する人もいます。すると仲間から、『あなたはDVというメリーゴーランドの上で、馬を乗り換えようとしているだけなんですよ』なんて批判される。暴力をふるう本人が自分を変える決意をし、プログラムと仲間という助けを得て、努力していく以外に方法はないんです」


「アウェア」ではこのほかにも、学校へ出張してDVについての授業を行うデートDV防止プログラムを実施している。

「プログラムには、恋人同士の台詞劇を読んで問題点を発表してもらうグループワークを採り入れています。最後に配るアンケート用紙には、『僕は、昨日やったことがDVだと気づきました』といった感想が書かれていることもあります」


社会によって生み出されるDVは、私たち一人ひとりにかかわりのある問題なのだと認識すること。これこそが、DV根絶への一番の近道だ。

(香月真理子)
Photo:高松英昭


山口のり子(やまぐち・のりこ)
家族とともに通算15年の海外生活を送る。シンガポールでは電話相談員としてセクシャルハラスメントやDVなどの被害者女性を支援。ロサンゼルスでは大学院で臨床心理を学び、カリフォルニア州認定のDV加害者プログラムのファシリテーター向けトレーニング等を受ける。帰国後、2002年4月にNPOの「アウェア」(aware)を設立、DV加害者男性のための再教育プログラムを始める。



DV関連記事


人間の暴力性と可能性—「ドメスティック・バイオレンス(DV)」を描く映画たち
[インタビュー] 中原俊監督「これはDV?それとも愛?映画の中で探してもらいたい」
なぜ、妻や彼女を殴ったのか?DV加害男性たちの脱暴力化を追う
[インタビュー] メンズサポートルーム・中村正さんに聞くドメスティック・バイオレンスへの対応策
[インタビュー] 「みずら」事務局長・阿部裕子さんに聞く、DV被害者の現状





ビッグイシューをいいね!で応援!

https://www.facebook.com/bigissue.jp" data-hide-cover="false" data-show-facepile="true" data-show-posts="false">


最新情報をお届けします

無料メルマガ登録で「ビッグイシュー日本版」創刊号PDFをプレゼント!



過去記事を検索して読む


ビッグイシューについて

top_main

ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊350円の雑誌を売ると半分以上の180円が彼らの収入となります。

    このエントリーをはてなブックマークに追加




Genpatsu

(2011年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第176号より)




東京電力が設置した「ふくいちライブカメラ」は24時間稼働していて、4基の原発に大事があれば見られるようにはなっている。事故現場で中では何が起きているのかわからない中で、少しでも一般に見えるようにする目的で設置されたのだろう。しかし、1台のカメラが決まったアングルで映しているだけだから、見える範囲は限られている。見せたくない姿勢がよく出ている。

作業員や作業の様子はまったく映らない。「福島原発敷地内作業、寮・3食付、実働3hの業務、日給14000円、中高年の方も大歓迎」という募集広告がある。被曝作業が前提のはずなのに一切触れられていない。放射線管理手帳が交付されるのかも怪しいかぎりだ。この場合は、原発での作業を明示しているが、がれき撤去作業の募集に応じて出かけてみたら、原発内での作業だった、被曝線量の記録や告知などはなかった、という話も聞いた。日給もそれなりにいいようだが、途中段階のピンハネも相当なようだ。事故処理にあたる原発労働者のほんの一端が垣間見えるが、実態は闇の中といえる。

政府がIAEAに提出した資料によれば、3月〜7月までに1万6179人が作業に従事した。しかし、これは被曝線量が確定した人だけである。報道によれば、追跡できない作業員がなお65名いるという。個個人の被曝線量を記録することが義務づけられているのに、どうしてこのような事態が発生するのか。日雇い労働者を釜ヶ崎や寿町などから集め使い捨てしている疑いがある。

記録が取られていても労働者個人にとってこれが正しい記録であるとは限らない。記録を取るための線量計を持たずに作業するケースが多くあったと聞く。後で病気になっても知らん顔ができるから、会社にとっては好都合だ。あるいはまた、他人の手帳を借りて作業をするケースもあると聞く。労働者側にもこうしたことを容認してしまう理由がある。被曝線量が年限度を超えると仕事をもらえなくなるからだ。たとえば250ミリシーベルトを超える被曝をしたとすれば10年間は仕事ができない。

原発での労働は、被曝によるリスクを売る危険な仕事だ。それゆえか、実態は複雑極まるようだ。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






    このエントリーをはてなブックマークに追加

(2011年5月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第95号 [特集 発達障害は個性にできる]より)

幸せな生き方へ。まず長所、得意なことを伸ばす


自閉症者の可能性を開くために。森口奈緒美さんから社会へのメッセージ



自閉症は発達障害の一つだが、30〜40年前は母親の育て方にその原因を求める母親原因説が猛威をふるっていた。
そのなかで成長期を送った森口奈緒美さんは、能力のアンバランスさや協調性のなさを、障害のためではなく性格のせいとされ、学校では叱責と矯正の対象となり、同級生からはいじめられた。
森口さんの著書『変光星』などを読めば、アスペルガー症候群の著者が幼少期から学校という環境でどのように生きざるをえなかったのかがありありと描かれ、読者は自閉症者の内的世界を初めて知り、衝撃を受ける。
そんな森口さんから、社会へのメッセージである。


障害のためではなく、性格のせいにされた、さまざまなアンバランス



自閉症は《発達障害》の一つで先天的なものであり、生まれつき脳の中枢神経の障害により、能力的、行動的、また社会性や認知能力などにさまざまなアンバランスが生じてしまう障害をいう。だが、いまだに多くの人たちが、「自閉症の原因は育て方にある」とか、「内向的な性格のこと」であると思い込んでいるようである。

また、精神障害や情緒障害と混同している人たちもいる。今日ではメディアの報道や啓蒙などにより、そのように考えている人たちは徐々に減ってきているものの、今から30〜40年前は、新聞や大手メディアも含め、(ベッテルハイムの「冷蔵庫マザー」(※)に見られるような)自閉症母親原因説が猛威をふるっていた。

そのため、その当時にあっては(そして今も)、自閉症児の親たち(特に母親)は世の中から激しく迫害されたものだった。そして、その猛威は子どもだった私にも容赦なく襲ってきた。私が児童や生徒だった当時はまだ、自閉症の原因もよく知られておらず、また、知能に問題のない自閉症は障害として見なされていなかったので、普通学級のなかで何の支援もないまま、健常の者と同じように振る舞わなくてはいけなかった。

いわく、学校の先生やクラスメートたちから「極端な性格はよくない」「性格を直せ」「アンバランスな能力はよくない」などと言われ、障害のために能力の足らないところは努力不足などと言われたものだった。能力のアンバランスさや社会性の欠如は、障害のためではなく性格のせいとされた上、しばしば道徳的な問題とされ、学校では叱責と矯正の対象となったものである。学校教育ではとにかく円満具足で均等でバランスの良い能力を身につけることが強要され、ひたすら、「足らないところ」を伸ばすことだけが求められた。

とかくエキセントリックさを排除したがる日本の教育の風潮に加え、「協調性がない」「自分勝手」「わがまま」「迷惑」「友達がいないことは悪いことだ」などと言われて毎日のように迫害されるのだが、いじめに遭い、不登校になって援助を求めた先でもまったく同様のことを言われ、さらに「手に負えません」「余所に行ってください」と、実質的な門前払いを受けてしまったりもした。

このように、いま成人となっている多くの発達障害の人たちは、学校や社会で孤立無援の戦いを強いられてきた。いわば健常者でも障害者でもない存在は、支援の対象からも外され、大人となった今でも哺乳類からも鳥類からも疎外されるコウモリのように居場所がないのが現実である。


薄紙をはぐように解消されていく発達の歪み



人は努力により人格を高めることはできても、性質や性格は目の色や肌の色と同じで、本来の持ち味を変えることは非常に難しいと思う。自閉症は「発達障害」というように、その発達のアンバランスさが自閉症の自閉症たるゆえんである。

その性格あるいは能力がデコボコしていたとしても、金平糖はデコボコしているからこそ金平糖でありえるのであって、それからデコボコを取り去ってしまったら、それはもはや金平糖ではなくなる。なので、その能力に均等性や平均性を求めるのではなく、金平糖状態のままでいいから、より大きなそれになれるように、その人自身の持つ特性を尊重していただきたいと願う。

言うまでもなく、金平糖のデコボコのパターンは一つひとつ違う。また、極端なデコボコを持つものもあれば、さほどデコボコが極端ではないものもある。これはつまり、ひとくちに自閉症といっても千差万別であり、例えば計算能力が卓越した人がいる一方で、計算能力が欠落した人もいるし、音感が秀でた人がいる一方で、それがない人もいれば、言語能力が卓越した人がいる一方で、その逆の事例もあるということである。言語能力に障害のない自閉症はアスペルガー症候群とも呼ばれる。

このように、必ずといっていいほど正反対の事例があり、また、欠落の一方で、(すべての自閉症者ではないものの)突出した光る才能を持っている人が比較的多いのも自閉症の特徴といえるだろう。このように、自閉症といっても一筋縄でいかないのであるが、「できること」と「できないこと」が極端で、能力がアンバランスというところは共通している。

しばしばいわれる問題に、「欠点を克服して苦手なことをできるようにすることがよいのか、それとも、長所や得意なことを伸ばすことがよいのか」ということがある。もちろんどちらも大切なのであるが、少なくとも私が学校生活を過ごしてきた時代にあっては、前者の「欠点や苦手なことの克服」ばかりに圧倒的な重きが置かれていたといっても過言ではない。

しかし、当時にあって苦手なことや欠点、あるいは好ましくないとされた癖のようなものも、大人になり、年を重ねていくにつれ、特にそれらの克服のための努力をしなくても、自然に薄らいでいくように思えてならない。それらの多くは発達の歪みによるものであるから、本人の発達と成長とともに薄紙をはぐように徐々に解消されていくもののようである。これは事実、いま私が興味関心を抱いている分野は、私が子どものころや学生時代には最も苦手な科目だったり、とっつきにくかった分野のものだったりもする。

つまり、その時は苦手と思える分野であっても、やがては時が解決する場合もあるということである。問題は、精神や脳にまつわる発達の速度が標準より遅いことで、それまでは、本人も周囲も発達障害特有のさまざまな問題に悩まされることになる。しかし、発達障害の人も、時間をかけて大人になる。その発達の速度が一般よりはとても遅れているとしても、本人なりのペースで成長していくということである。

 

まずは制度上の不備を解消。子ども成人にかかわらず支援の手を



したがって、欠点、弱点、その他の克服については、その時々にとらわれず、長い目で見る必要があると思う。つまり、若いときの欠点や苦手な分野の克服は、ある程度は必要ではあるかもしれないが、それはほどほどにしておいて、それよりも長所や得意なことを伸ばすことを優先させるほうが、本人の成長にとっても効率が良く、意義あるばかりでなく、幸福な生き方にもつながっていくのではないだろうか。

問題は、制度上の不備のために、「障害のためにできないこと」で進学が影響されてしまうことである。例えば、私は運動能力にもともと困難があるのだが(これは発達性協調運動障害と呼ばれ、発達障害にありがちなことである)、高校2年生の終わりで不登校になり、当時の大検(旧、大学入学資格検定、現在の高等学校卒業程度認定試験)を受けることになった際、体育実技試験をパスすることができなかった。

当時にあっては大検の体育実技を免除されるのは身体障害のみであり、発達障害は世間に認知さえされていなかったからである。そのため私は体育の単位を押さえるためだけに、通信制のスクーリングに2年間通わなければならなかった。

このように、学科にはまったく問題がなくても、例えば体育実技という身体的な理由によって大学進学に制約が生じる事例もある。大検の体育実技試験は1985年をもって廃止されたが、今日でも通信制高校の体育実技のために苦労をしている発達障害者は多いと聞く。同種のハードルは今日でも、例えばディスレクシアの人が文章題を読み取れないために学科試験を受けることができないといったことにおいても存在する。

ここ近年、ようやくわが国でも個性尊重の教育がなされるようになされるようになったが、少なくとも私が子どものころは、画一教育が隆盛を極めていて、何かにつけて「協調性」が求められたものだった。私は協調性の大切さについては否定しないが、もし自閉症者にそれを求めるのであれば、その前に療育を行い、コミュニケーション能力や社会性、認知能力を伸ばすのが筋だろう。特に本人が困っていることについては本人を責めるのではなく、子どもや成人を問わず、支援の手を差し伸べていただきたいと願うものである。
(森口奈緒美)


※ シカゴ大学教授であったブルーノ・ベッテルハイムが、1950年代から60年代にかけて発表した自身の論文、書籍に、自閉症は親の愛情不足であると非難を展開した。





もりぐち・なおみ
1963年、福岡市生まれ。父の勤務の関係で日本各地を転居。埼玉県立春日部東高校を経て現・大宮中央高校を卒業後、専門学校中退。自閉症やいじめ、学校問題について当事者の立場から発言を続けている。著書に、『変光星』(花風社)、『平行線』(ブレーン出版)、『高機能広汎性発達障害』(分担執筆、ブレーン出版)がある。漫画『この星のぬくもり』(ぶんか社)は森口さんがモデル。

ウェブサイト








ビッグイシューをいいね!で応援!

https://www.facebook.com/bigissue.jp" data-hide-cover="false" data-show-facepile="true" data-show-posts="false">


最新情報をお届けします

無料メルマガ登録で「ビッグイシュー日本版」創刊号PDFをプレゼント!



過去記事を検索して読む


ビッグイシューについて

top_main

ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊350円の雑誌を売ると半分以上の180円が彼らの収入となります。

    このエントリーをはてなブックマークに追加

p24_002

浪費をやめたいと思いながらもやめられません。どうしたらやめられるでしょうか。


Q:浪費癖があり、貯金というものができません。
短大を卒業して働き出して3年目ですが、お給料をすべてブランド物につぎこんでいます。
物を買うことでストレスを発散しているような感じです。
どうしたら、こんなことをやめることができるでしょうか? (23歳/女性)

続きを読む
    このエントリーをはてなブックマークに追加

(2011年5月15日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第95号 特集「発達障害は個性にできる」より)

「発達障害」も発達する——杉山登志郎著『発達障害の子どもたち』から




世間に広がる「発達障害」についての誤解は多い。今号の特集では「発達障害」という日本語を使ったが、「発達障害」は英語では「developmental disorder」であり、disは乱れ、orderは秩序を意味する。つまり、「発達の道筋の乱れ」あるいは「発達の凹凸」を意味する。続きを読む
    このエントリーをはてなブックマークに追加




Genpatsu

(2011年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第175号より)




時とともに記憶が薄れていくことは、人が生きる上での知恵ではあるが、記憶の中には薄れさせてはいけないものもある。10年前の9月11日の事件はその一つだ。ニューヨークの世界貿易センタービルにジェット2機が突っ込み建物は壊滅した。さらに1機はペンタゴンに突っ込み、1機は原発を狙ったといわれている。これは機内で乗っ取り犯と格闘の末、途中落下した。本当に原発に向かっていたのか? さまざまな情報が飛び交い真相は見えない。それはともかく、3000人を超える死者の一人ひとりの悲劇を私たちは忘れてはいけない。

福島原発事故は言うまでもない。9月11日はこの事故から半年にあたる。事故はまだ収束していない。原子炉を継続して冷却するために循環冷却注水システムが増設されて何とかしのいでいる状態だが、溶けた燃料が十分に冷えているとはいえない状態だ。放射能は環境へ出続けているので、原子炉建屋をすっぽりカバーするための工事が1号機から始まっている。現場を伝えるフクイチライブカメラは遅々として進まない工事の様子を映し出している。これでは4号機までカバーし終わるのに、とても半年では無理のようだ。

爆発で飛散した放射能は、折からの雪や雨とともに降り注ぎ、大地を汚染した。放出された放射性セシウムの量は広島原爆の168倍と評価されている。どちらも推定値の比較だが、いかに多くの放射能が福島から放出されたことか。この影響は少なくとも数十年にわたって続いていくことになる。だが、汚染地に暮らさざるを得ない人々が多い。彼らは放射能の影響を心配して、全国へ訴えながら、行政へ働きかけたり、食品の放射能測定をすすめて、何とか子どもたちを守ろうと必死の思いだ。一方で、他県の人々からの冷たい差別的な視線を感じて「もう騒がないでほしい」といった悲痛な声も漏れてくる。

放射能は確かに危険だが、人から人へうつるわけではない。流布している誤解が過剰な反応を招いている。悲しいことだ。

福島原発問題はまだまだ続くが、あきらめずに途を切り開いていこう。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






    このエントリーをはてなブックマークに追加





前編はこちら




LDの天才達





ディスレクシアを克服して作家になった、ジョン・アーヴィング




例えば、あのアルバート・アインシュタインはLDだったといわれている。彼は幼いころ、言葉を覚えるのが遅くて、数学以外の成績はからっきし駄目だった。大学受験にも失敗して世間に埋没しそうになっていた彼を、アインシュタインの叔父や友人、教師たちは、彼の「数学ができる」という長所をきちんと汲みとり、評価しようとしたのだった。

また、発明王と呼ばれるエジソンも読み書きと計算が苦手だった上に、学校では教師の話を聞かず、ボーッとすることの多いADHDの傾向があったという(LDとADHDは重複しやすいことがよく知られている)。とっぴな行動が多く、小学校を3ヶ月で放校処分になったエジソンだが、彼は幸いなことに母親という教育者に恵まれた。エジソンは母親という理解者を得ることによって、「電球の発明」へと一歩、足を踏み出すことができたのだった。

ほかにも、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ウォルト・ディズニー、ブルース・ジェンナーなどたくさんの名前を挙げることができるが、現在も活躍を続ける最も有名なディスレクシアの俳優がトム・クルーズだろう。彼は脚本を読みながらセリフを覚えるのではなくて、すべてをテープに吹き込んでもらってから内容を覚えるという。

さらに驚くべきは、たとえディスレクシアであってもそれはけっして「作家になる道」をも不可能にはしないという事実だ。

『ガープの世界』『オウエンのために祈りを』などで知られる作家ジョン・アーヴィングもそんなディスレクシアの一人。彼の場合、文章はゆっくり読み直し、作品を書く時は音読するなどして、読み書きの苦手を補っている。苦手な単語のつづりがあったら、周りの人が助け舟を出している。

「だから逆にいうと、LDだからってみんなと同じようにできないっていう考え方も私は間違ってると思うね。もしうまくいかないことがあったら、何かほかにうまくいくことがないだろうかと探してみる。もしそれが生きることにつながっていったら、なおすばらしいねって。もちろんみんながエジソンみたいにうまくいくわけじゃない。でも自分で納得したり、楽しめたりすることが見つけられたら、それでもいいよねって言いたい」




英国の消防庁にあるディスレクシア支援のコース




なにを隠そう、そのように語る上野さんも、実はLD・ADHD的な傾向があるという。昨年出版した『LD教授(パパ)の贈り物』も「ふつうであるより個性的に生きたい」と願う上野さんが綴ったドタバタ生活のエッセイ集だ。

「僕も個性的にしか生きてこられなかったからね。だから偉そうなことは言えない。自分がいじめをしなかったか、差別をしなかったかといえば、いや、気づかないでたくさんやってきたと思う。そういうことは僕にだってたくさんあるよ。だから『もっと理解したい』って思うんです。みんな『自分のことを理解してほしい』って言うけどね、でも『あなたがいろんなことをもっと理解していくことも大切だよ』って伝えたいですね」

発達障害をめぐる社会のしくみも、いま大きく変わり始めている。

昨年は、これまでの特殊教育に代わって新たに特別支援教育が始まった。特殊教育では障害の名前によって対象となる子どもを分け、サポートが行われてきたが、そこにLDやADHD、高機能自閉症の子どもは含まれなかった。それを今度の特別支援教育は、障害の種類にあまりとらわれることなく、一人ひとりの個性に合わせてサポートを行っていこうとしている。

「それは小学校を中心に一気に広まったね。でも中学校はまだまだ弱い。今年は高校に講演に呼ばれることも、わりと増えてきた。そうすると今度は大学でしょう。そうやってサポートできる水位もだんだん上がっていくわけです」

やがては、学校のみならず、社会全体にまでその水位を上げ、広げていくことが必要になってくる。そこで上野さんは英国の例をぜひ参考にしたいと話した。

「英国の消防庁に行くとね、ディスレクシアを支援するコースがあるんです。消防士の場合には判断力とか勇気とか、そういうのが大事でしょう。それがきちんとある人なら立派な隊員になれる。別の職場の例ですが、電話で応対するときとっさに単語が思い浮かばないといった弱点をもつ人がいました。そういう場合はコンピュータによって電話の音声が文字に換わる装置があれば、問題は改善されます。今、そういう技術がどんどん開発されています。そうすると、雇用主はその人をクビにしないで、そういう装置を買う。その費用は税金で還付される。英国ではLDとかディスレクシアという特徴があったとしても、こういう形でどんどん仕事についていけるようになってきてます」

だから心のなかで僕がいちばん願っていること、それはね……と上野さんが笑った。

「LDのLとDが『Learning Differences』に置き換わっていくことなんです」

それは『学び方が違う』とも『違いを学ぶ』とも訳せる、LDの新たな考え方。もしLDが『違いを学ぶ』ことになれば、それに取り組めるのは私たち全員だ。「そうなるといいなっていうのが僕の願いなんです」

(土田朋水)
Photo:高松英昭


うえの・かずひこ
1943年、東京生まれ。東京学芸大学教授、日本LD学会会長。日本にいち早くLDを紹介し、LD教育の必要性を主張。全国LD親の会、日本LD学会の設立にかかわる。著書『LD教授の贈り物』(講談社)では、みずからのLD・ADHD的傾向をエッセイに綴った。他にも、『LDのすべてがわかる本』講談社、『LDとディスレクシア』(講談社+α新書)など著書多数。










(2011年5月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第95号より)


    このエントリーをはてなブックマークに追加





(2008年9月1日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第102号より)





ビッグイシュー始めて、人見知りもなおった。今は人と話すのが何より楽しい





102hanbaisya2

アスファルトの照り返しが厳しい渋谷の路上で、佐々木善勝さん(35歳)の頭に巻かれた、いなせなタオルが通行人の目を引く。今年5月半ばに代々木で販売を始めたが、翌月、もっと売れそうな渋谷へと移動してきた。

平日は朝8時から夜8時半頃まで宮益坂下交差点のりそな銀行裏に、土日は朝11時から夕方9時頃まで西武百貨店向かいの住友信託銀行前に立っている。ただし日曜日と月曜日は映画館で清掃のアルバイトをしているため、夕方4時前には片づけてしまう。

「古いヤクザ映画なんかを上映している映画館でさ、たまに仕事帰りのサラリーマンも来るけど、ほとんどがお年寄り。床にこぼれたお菓子とか灰皿にたまった煙草を片づけて、ごみを分別して、モップをかけ終えたころには夜の22時半を回ってる」。ファストフード店でうとうとしながら夜を明かしたら翌朝、また販売場所へ向かう。1泊1080円する漫画喫茶には月に1度泊まれればいいほうだ。

どこか温かい感じのするアクセントが気になって生まれを尋ねてみると、31歳のときに東北から上京してきたという。

「父は大工、母は俺が小学4年のときに亡くなった。双子の妹は何年か前に嫁いでいったから、実家には父ひとりだけ」

妹にお祝いを言いたくて、故郷へ帰ろうとしたこともある。ところが、「新潟まで新幹線で行ったのはいいけど、土砂崩れで先へ進めなくなった。代行バスも出てはいたけど、怖くて引き返してしまった」

それ以来、故郷からは足が遠のいている。故郷には仕事もなかった。高校を卒業して自衛隊に4年間在籍した後、地元の建設会社に就職したが、不況のあおりを受けて失業した。31歳で上京してからは飯場を渡り歩いたが「仕事もないし、そんなに人はいらない」と、ここでもまた切られ、働く場所を失った。

そんなとき、渋谷の路上仲間から「一緒にやろう」と勧められたのがビッグイシューだった。しかし、「説明を聞いても仕組みがさっぱり理解できなくて、断ったんだよね」。そして今年の5月半ば、新宿中央公園の炊き出しで何やらチラシを配っている「きれいな女性」が目に入った。それがビッグイシューのスタッフ池田さんだった。今度は俄然やる気になった。

翌日、さっそく事務所を訪ねると肝心の池田さんは外出中だった。当ては外れたものの、販売の登録手続きを済ませ、用意した20冊を初日から売り切った。それでも佐々木さんは、「これからもずっとこの調子で続けていけるのか不安で、その晩は眠れなかった」という。

実際に続けてみると、不安は徐々に解消されていった。「ビッグイシューを始めるまではひどかった人見知りもなおったし、この人を本当に信じていいのかなと疑うこともなくなった。今は、通勤途中の朝と晩に必ず挨拶を返してくれるお客さんもいて、人と話すことが何より楽しい」そうだ。

1日の仕事を終えた後、スーパーで買ったサバのみそ煮の缶詰をアテに缶ビールを飲み干す。まさに至福のひとときだ。と同時に、「こんなとき、何でも話せる彼女がいたらなあ」と、急に寂しさが込み上げてくることもある。飯場を渡り歩いていたころは、新宿の店で知り合った年下の女性とつき合っていた。

「酒を飲んで電話すると『酔っ払って電話してんじゃねえ、この野郎』と怒鳴る男っぽい性格の子だった。そんなとき俺はビクッとなって、『ごめんなさい』って平謝りしてた。渋谷でデートもした。ある日突然、店を辞めて連絡が取れなくなってしまったけど、渋谷にはいい思い出がたくさん詰まっているんだよね」

朝、いつものように売場近くでフリーペーパーを配る若者たちに挨拶をしていたら、彼女のことが不意に頭をよぎり、目が潤んでしまったことがある。気持ちを落ち着かせようとビッグイシューの事務所に電話をかけ、スタッフに話を聞いてもらった。感情は高ぶり、気がつくと号泣していた。だから、「今はなるべく別のことを考えるようにしている」

ビッグイシューの販売者とボランティアで結成したフットサル・チーム「野武士ジャパン」の練習も、佐々木さんにとってはいい気分転換になっている。販売を始めて間もないころ、蜂窩織炎という病気で足が腫れて2週間ほど療養した。


102hanbaisya1


「そんなときフットサル・チームのことを聞いて、リハビリになればと軽い気持ちで始めたんだけど、だんだんおもしろくなってきちゃってさ。先日の練習試合でも2得点あげたよ。夢はもちろん、来年夏にミラノで開催されるホームレス・ワールドカップに出場すること」。かつてサッカー少年だった佐々木さんの瞳が、いきいきと輝き出した。 

(香月真理子)

Photos:高松英昭
    このエントリーをはてなブックマークに追加

人生相談56

 

31歳の彼女から結婚しようとプレッシャーをかけられるのですが、決断できません。どうしたらいいでしょうか。


 
Q:彼女が年上で今年31歳。つき合って今年で3年目になります。
そろそろ彼女は結婚適齢期というか、タイム・リミットで、いろいろとプレッシャーをかけられます。
僕自身は、フリーランスでやっていきたいんですが、不安定だし。
結婚するなら彼女だと思ってはいるのですが。決断ができません。どうすればいいんでしょう。
(フリーカメラマン・男性・20代)

続きを読む
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ