(2011年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 164号より)




樹脂に閉じ込めた金魚が今にも動き出しそうに泳ぐ



本物かと見まがうような立体作品を生み出す“金魚絵師”は、
誰もが知る小さな魚に、どんな想いを抱いているのだろうか。







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(美術家・深堀隆介さん)





自暴自棄になった時、目にとまった赤い金魚




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手前:「和金(にきこがね)」、
奥:「月光(げっこう)」 
2009年制作、木桶、超難黄変エポキシ樹脂に着彩




深堀隆介さんは子どもの頃、長崎の祖父が正月に送ってくる「干支を描いた書画」が楽しみで仕方なかった。将来の夢は漫画家になることだった。母が週に1度、会社からどっさり持ち帰る使用済みのコピー用紙の裏に絵を描きまくり、使い切るのが日課となっていた。
大学でデザインを学んだ深堀さんは卒業後、樹脂で遊園地の造形物などをつくるメーカーで2年ほどアルバイトをしたのち、別の会社に就職した。

「そこでは主に、百貨店のショーウインドーを飾るディスプレイをつくりました。昼つくって夜設営するので、毎日寝不足でした。丹精込めてつくったものを『作品として売ってほしい』と言ってくれる人もいましたが、納品した商品なのでそうもいかず、結局廃棄されました」





後世に残るものをつくりたいと思うようになった深堀さんは、26歳で美術家を目指し始めた。「そうはいっても、作風はバラバラ。大きな立体をつくったかと思えば、急に平面作品をつくったりと、僕には自分の作風というものがありませんでした」

焦りは募り、「俺はもうダメかもしれない」と自暴自棄になっていった。

その時ふと目にとまったのが、枕元の水槽で糞にまみれた赤い金魚だった。それは学生の頃、金魚すくいのおじさんが「閉店だから持ってけ」と30匹ほどの金魚をくれた中の1匹だった。次々と死んでいく中で、その1匹だけが7年も生き続け、20センチ以上に成長していた。




「以前、金魚は人がフナを改良し、つくり出したものだと聞いたことがありました。鑑賞用として高く評価されるエリート金魚の裏では、先祖返りしたり、身体の部位が奇形になってしまった金魚がたくさん生まれているという現実に深く興味をいだいたんです」




金魚は、そんな人間の〝美への欲望〟やエゴをすべて包み込み、美しさと妖しさと虚しさを一身に背負って生きている存在なのだという。「この子のもつ多面性を描くことができれば、救われるんじゃないか」との思いが、深堀さんの胸にじわっと湧いてきた。

赤い水彩絵の具を絞り出し、手近にある木片やガラクタに手当たりしだい金魚を描いた。そのうち、頭の中に金魚の大群が浮かんできて、どんどん描けそうな気がした。




一面の和紙にほうきで描く。いつかはロケットにも



「金魚救い」が起きた年、深堀さんは、銀座にある銀行のショーウィンドーをディスプレイするコンペに応募し、見事採用された。猫の身体から抜け出した金魚の大群が、そばに干された洗濯物の間を勢いよく泳ぎ回るさまを表現した作品だった。タオルやTシャツ、そして深堀さんが小学生の頃に実際はいて泳いでいた海パンにまで、大量の金魚が描かれた。

金魚の大群は見る人に強烈なインパクトを与えたようで、何年か経ち、銀座のギャラリー巡りをした時も「金魚見たよ」と声をかけられたそうだ。




深堀さんは複数の金魚を飼ってはいるが、実在する金魚を忠実に模写しているわけではない。描くのは「自分が美しいと思う金魚」だ。だから厳密に見れば、現実にはありえない品種が泳いでいたりもする。しかし、深堀さんにとっては「どの金魚にも個性があり、命が宿っている」のだという。




そのことを最も感じさせてくれるのが、工業製品用の透明な樹脂を使い、升や桶、真っ二つに割れた竹の中で金魚が泳ぐ姿を表現した一連の作品だ。器に流し込んだ樹脂の上に、アクリル絵の具で金魚の一部を描く。その上からさらに厚さ数ミリ程度の樹脂を流し込み、2日以上置いて固まったら、また金魚の一部を描き加える。この工程を何度も繰り返すことで、今にも動き出しそうな立体的な金魚が完成する。





下絵は一切描かない。「この辺にいるなぁ」と金魚のイメージが浮かんできたら、その場所に筆をおろす。中には、糞まで描かれている作品もある。「この子はおなかの調子が悪いので糞は細め」というように、糞にも個性が表れている。




すっかり樹脂作品で知られるようになった深堀さんだが、大作にも意欲を燃やす。昨年8月には、神奈川県の保土ヶ谷公園でライブペインティングを行った。池の端に掲げた和紙のキャンバスに、ほうきで巨大な金魚を描いた。描いているうちに日が暮れて、競演した舞踏家の振り回す炎が、真っ赤な金魚を浮かび上がらせた。






ライブペイント 東京国際フォーラム アート ショップ エキジビション スぺース 個展時に公開制作 2010


「東京国際フォーラム館内でのライブペインティング風景」 2010年





「いつかロケットにも巨大な金魚を描いてみたい。途中で塗料が溶けて消えてしまうかもしれないけど、宇宙へ飛んでいく姿をぜひ見てみたいですね」
大空に舞う〝深堀金魚〟が見られる日も、そう遠くはないかもしれない。(香月真理子)




深堀 隆介(ふかほり・りゅうすけ)
1973年、愛知県生まれ。95年、愛知県立芸術大学美術学部デザイン専攻学科卒業。99年、退職後、制作活動を始める。第9回岡本太郎現代芸術大賞展2006入選。09年、ドイツ・ミュンヘンにて個展を開く。

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「風になる」「路上のうた」各5冊が当たります!



こんにちは、ビッグイシュー・オンライン編集部です。

いつもご愛読ありがとうございます!9月11日にサイトをリリースしてから、毎月5,000人ほどの方々にお読み頂いております。

本サイトの内容をよりよくしていくために、このたびアンケートを実施させて頂きます。

ご協力頂いた皆様には、抽選で合計10名の方々にビッグイシュー日本発行の書籍「風になる 自閉症の僕が生きていく風景」、「ホームレス川柳 路上のうた」をプレゼントさせて頂きます!





写真




「風になる 自閉症の僕が生きていく風景」は『ビッグイシュー日本版』で大人気の東田直樹さんの連載コラム「自閉症の僕が生きていく風景」を書籍としてまとめた最新刊。

12月5日発売、1月10日まではビッグイシュー販売者による路上での独占先行販売ですが、今回特別に読者プレゼントとさせて頂きした。

通常の会話はほとんどできないという重度の自閉症者である東田さんがつづったピュアな心、内面の世界が読者を魅了しています。同時にそれは、「人はなぜ生きるのか?」という問いへの明晰な回答となっています。編集部メンバーも強く胸を打たれ「今年いちばん心に残った本だ」と評するスタッフも。

どうぞみなさま、ふるってアンケートにご回答くださいませ。




*アンケートは目標数に達したので終了させていただきました。ご協力ありがとうございました!


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(2011年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 159号より)





祖母、母、私、三世代の道のり。生地に残った記憶をたぐる




在日コリアンとしての
アイデンティティから生まれた、静謐な世界。







Profiel

テキスタイルアーティスト 呉 夏枝さん





織り、染織、刺繍もこなし、着物とチマチョゴリをつなぎ合わす



刺繍を施したチマチョゴリや、麻縄を使ったインスタレーションなど、布や織物を用いたテキスタイルアートを展開している呉夏枝さん。

「布はエモーショナルな表現ができる素材。それに、軽いから微妙な空気感も表しやすいんです。シルクや綿や麻、それぞれに手触りも印象も異なるので、柔らかさや力強さなど、その時に表現したいものに合うものを選んでいます」



呉さんは布を使うだけでなく、織り機を用いて糸から織る。また、染色や刺繍も自身で手がけているという。「非常に手間も時間もかかりますが、そうやって自分の手で一つひとつの工程を経ていくからこそ生まれる、確かなものを信頼しています」

洋裁をしていた母の隣で、子どもの頃から自然と布に親しんでいた呉さん。いつしか布を使って何かを表現したいと考えるようになり、美術大学へ進学。染色と織物を専攻した。在学中に主に関心をもっていたのはコンテンポラリーアートだが、卒業制作を機に向き合うことにしたのは自身のアイデンティティだった。




「在日コリアン3世であること、女性であること。それまであまり考えてこなかったことを考えてみたい」という思いのもとにつくりあげたのが、着物とチマチョゴリをつなぎ合わせた衣服。それは、「韓国人なのか、日本人なのか」という在日コリアンに向けられがちな、また自身でも悩んでしまいがちな問いに対しての呉さんの一つの答えでもある。

「着物でもなくチマチョゴリでもない、美しい衣装をつくろうと思いました。どちらにも引っ張られずに、単独で美しい衣装であるようにと、そんな思いを込めました」
そして、この制作を機に使い始めたのが、「呉」という姓。日本で生まれ育ち、ずっと使ってきた「通称名」も自分の名だが、アーティスト活動をする時には、両親や祖父母たちが生きてきた歴史を表す「呉」を使うことに決めた。





沈黙の記憶、そして新しく生み出される記憶



「その後、祖母が亡くなったのですが、母は祖母のチョゴリを処分せずに取っておいてくれました。それをいつか作品にできたらと部屋に掛けておいたところ、ある日そこから祖母の存在を強く感じ取ったんです。祖母が語らなかったこと、私が聞くことができなかったこと。そんな、『沈黙の記憶』をこのチョゴリは知っている。雄弁に語られることのない、ある一人の女性の歴史をチョゴリを通じてたどっていけたら、と考えました」






010 3つの世代
『三つの世代』(Photo:イ・ソンミン)





写真作品『三つの世代』には、祖母のチマチョゴリ、母のチマチョゴリ、そして自分でつくったチマチョゴリを着た呉さんが曲りくねった道の真ん中に立っている。

「撮影場所は、祖母の出身地の韓国・済州島。祖母も母も、私と同じ年齢の時にはどんなことを感じていたのだろうかと考えながら撮影しました」





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「不在の存在」
(HIROSHIMA ART DOCUMENT 2008より)




白いオーガンジーでつくられた衣服が、部屋に浮遊しているかのように配された『不在の存在』という作品からは、今は亡き人が確かに存在していたこと、肉体はそこに残らなくとも、ある一人の人生がそこにあったことを想像させられる。


「作品を通して、そこにあったであろう物語を想像してもらえたら、そして、ご自身が関係する誰かとの記憶へとつなげてもらえたらうれしいですね。古い記憶は、その時に感じたものと合わさって、また新たな記憶が生み出されていく。悲しくつらい記憶は、永遠に悲しくつらい記憶ではなく、その記憶を受け取る人の想像力でいかなる記憶へも変わる可能性がある。だからこそ、どんな記憶をどうつないでいけるかが重要だと思うんです」





在日であることはアイデンティティを構成する一つの要素にしかすぎないが、同時に重要な部分でもあると話す呉さん。「その核を大切にしながら、さまざまな表現に挑戦していきたい。布をほぐして、また織り直していく。私の創作は、そういう作業。多くの方の思いを投影できる、そんな作品をつくっていきたいと思います」

筆者も在日コリアン3世。呉さんの作品を見ていると、亡き祖母と話がしたくなり、つい目頭が熱くなってしまった。




(松岡理絵)
Photo:中西真誠




呉夏枝(お・はぢ)
1976年、大阪府生まれ。現在、京都市立芸術大学美術研究科博士課程在籍中。02年〜04年ソウルで、言葉と韓服の縫製を学ぶ。06年「root—わたしの中の日本的なもの—」(京都・法然院)、08年「HIROSHIMA ART DOCUMENT2008」(広島・旧日本銀行広島支店被曝建造物)への出品他、個展・グループ展多数。 

http://hajioh.com/


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12月1日発売のビッグイシュー日本版204号のご紹介です。



スペシャルインタビュー ティム・バートン監督


12月15日から公開のティム・バートン監督の新作『フランケンウィニー』は、不気味でチャーミングな白黒アニメです。子どもの頃飼っていた愛犬やクラスメイト、すべてが監督自身の思い出につながる数少ない作品だと語ります。



12月1日、世界エイズデー 北山翔子さん、HIVを語る


15年前、保健師として赴任したアフリカでHIVに感染した北山翔子さん。これまでの歩みと、今をともに生きる私たちへのメッセージを語ってくださいました。



特集 過去。年末に考える「進化」論


「生物を理解するには過去を知らなくてはならない」と、分子古生物学を研究する更科功さんは言います。約30年前に始まった古代DNAの研究は、ヒトと約3万年前に絶滅したといわれるネアンデルタール人との間に交配があったことを明らかにしました。
また、アリストテレスまでさかのぼる解剖学を、新たに「遺体科学」として提唱する遠藤秀紀さんは、「身体の基本設計図」から過去の進化を説いています。ヒトの耳が昔の動物では顎のパーツであったこと、人体は前代未聞の急造品であり、二足歩行への設計変更が現代生活での苦悩を生み出しているなどの指摘に驚きます。
震災から1年9ヵ月、1年の終わりに、新しい「分子古生物学」、解剖学以来の歴史ある「遺体科学」の二つが明らかにする「進化」を通して、人間の過去を知り自らを振り返りたいと思います。
特集の最後には「本でたどる進化論の歴史」と題し、更科さん、遠藤さんがおすすめする8冊の本もご紹介。



監督インタビュー 『39窃盗団』押田興将 監督


『39(サンキュー)窃盗団』は、ダウン症の青年が主役をつとめる、軽妙なテイストのコメディ映画です。主役の押田清剛さんは監督の実弟。初監督作に弟を選んだわけは? 悲壮感なく、ありのままの障害を捉えた先に見えてくるものとは?



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。


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(2010年5月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第142号より)










中国、大都市で働く大卒集団「蟻族」の生活実態



「蟻族」とは大都市の郊外に群居する大卒の若者たちのことで、高学歴でありながら低賃金のために劣悪な環境で暮らしている。昨年9月に『蟻族』という本が出版され、社会から一気に注目されるようになった。同書は研究者が北京郊外で聞き取り調査を行い、その生活実態を明らかにしたものだ。北京だけで10万人、全国で100万人いる。

居住面積10平米以下の部屋を賃貸し、家賃の安い郊外から2時間かけて中心部に通勤する。月収は2000元(26500円)以下、家賃は月300元(4000円)というのが平均的だ。多くは地方出身者で80年代以降に生まれた世代である。

なぜ故郷に帰ろうとしないのか。故郷に帰っても就業機会が少なく、よい職に就くには地方ほどコネが必要だ。蟻族の多くは親も貧しい。そのうえ親兄弟からの期待もあり帰れない。だが、将来家を買って親を呼び寄せるという志は高い。

大都市では不動産価格の高騰が著しい。蟻族への関心が高まるなか、政府の住宅政策が問われている。

(森若裕子/参照:中国青年報、広州日報、中国評論新聞)


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(2010年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 157号より)




淀川は遊び場。曲がったものを組み合わせるおもしろさ



河川敷のゴミや漂流物が魚になって息を吹き返す。
屋外の展示は、出会いもハプニングもすべてがアート







Profiel
(アートユニット、淀川テクニックの柴田英昭さん、松永和也さん)




魚型自転車にシャチホコのキックボード。すべての組み合わせが廃棄物





「これ、タチウオを作るのにいいんとちゃう?」

何層にも巻かれている細長いアルミを見つけ、アートユニット「淀川テクニック」の柴田英昭さんは、相方の松永和也さんにそう声をかけた。

彼らのアート活動の拠点は、大阪市を流れる一級河川・淀川の河川敷。この場所で川や草のにおいに包まれながら作品をつくり、そこで展示もしてしまう。材料となるのは、河川敷に捨てられたゴミや、川岸に流れ着いた漂流物。




「引き潮の時だと普段は足を延ばせない所にまで探しに行けるので、珍しいものが見つかる確率が高いです。でも、潮が満ちてくる前に岸に戻らないといけないのでハラハラしますけどね(笑)」と柴田さん。ハンガーやカセットテープ、タイヤや仏壇まで、本当にいろんなものが見つかるという。

「どれも現役時代は役に立っていたはずなのに、持ち主にいらないと思われたからそこにある。そう考えると、とても切ない気持ちになるんですけど、それがアート作品の材料となることで、息を吹き返していくんです。曲がったり壊れたりしたゴミを組み合わせてつくる作品は、完成するまでどんな形になるかわからない。想定外のものができあがるおもしろさ、それが醍醐味です」と松永さんは話す。





取材日、柴田さんは金色の空き缶を貼り合わせて作った金のシャチホコを持ってきてくれた。キックボードにもなっていて、名古屋の街をこれに乗って駆け抜けたそうだ。松永さんは、真っ黒の魚型自転車にまたがって登場。傘や帽子、破れたカバン、ビデオテープ……と黒いゴミだけを選んで組み合わせて作ったもの。どちらも遠目で見ると「シャチホコ」と「魚」だが、近くで見るとまぎれもなく廃棄物の組み合わせ。配色や配置に工夫をし、それぞれに特徴をうまく表現しているのはさすがだ。




屋外での制作・展示には、独特のエピソードも満載。河川敷に生えている木の枝にボールをいくつもぶら下げた「オン・ザ・宇宙」は、春や夏には葉がボールを覆っていたが、落葉の季節になって初めてボールが姿を現した。しかしその後、木は整備事業によって切り倒されてしまう。

淀テク オン ザ 宇宙

「オン・ザ・宇宙」 © courtesy of the artist and YUKARI ART CONTEMPORARY





また、淀川で釣れる魚といえばチヌ(クロダイ)が有名。そこでゴミで巨大なチヌを作り、それを川の中へ。半分ほどが水中に浸かったそのチヌが釣り人の針に引っ掛かったという設定で写真作品を制作した。撮影後は陸に引き上げ、河川敷で展示していたが、ある日放火に遭って「焼き魚になってしまった」。

草むらの中に展示していた、黒のワイヤーをグルグルと渦状にして作った「ブラックホール」は、数日後に見に行くと中心部に傘が突き刺さっていたという「ブラックホールだけに吸い込んでしまったんでしょう」と、屋外展示ならではのハプニングや展開さえも、楽しんで受け入れている二人。もはや、そこまで含めてのアートなのだ。




「ゴミニケーション」で広がる制作。子どもたちとのワークショップも



淀川河川敷には、スポーツをしている人や散歩をしている人、ホームレスの人など、さまざまな出会いがある。

「僕らがゴソゴソと制作活動をしていると、『何やってんの?』とよく声をかけられます。会話が生まれて、仲良くなって、『これで何かを作ってみたら』とアイディアを提案してくださる方もいるんです。淀川で出会った方との交流を、僕らは『ゴミニケーション』と呼んでいます。コミュニケーションの中で制作につながるヒントをいただくことはとても多いですね」




ワークショップを開けば、子どもたちが制作に夢中になり、十分に用意していたはずのゴミが足りなくなってしまって、みんなで河川敷へとゴミ拾いに行ったこともあるほど。特に強くエコを意識しているわけではないが、結果的に河川敷からゴミが減り、廃棄物のリサイクルにもつながることはうれしい産物だと話す。

「僕らにとって淀川は遊び場」という二人。「他の地域で活動することも増えてきましたが、やはり淀川がホームグラウンド。今日は何が見つかり、誰と出会えてどんな話ができるのか。来るたびに非常にわくわくします。これからも人と交流しながらの公開制作を続け、多くの人と楽しさを共有していきたいと思います」




(松岡理絵)
Photo:福本美樹




淀川テクニック(よどがわてくにっく)
柴田英昭:1976年、岡山県出身。松永和也:1977年、熊本県出身。ともに98年大阪文化服装学院卒業。03年にユニット結成。「アートフェア東京2010」「瀬戸内国際芸術祭2010」ほか、個展、グループ展多数。09年「第12回岡本太郎現代芸術賞」入選、09年度「咲くやこの花賞」受賞。サイクリングやピクニックなど淀川を舞台にした各種イベントも不定期開催中。

http://www.yukariart-contemporary.com/

http://yodogawa-technique.cocolog-nifty.com/





「宇野のチヌ」© courtesy of the artist and YUKARI ART
「オン・ザ・宇宙」 © courtesy of the artist and YUKARI ART CONTEMPORARY



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(2012年2月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第185号より「ともに生きよう!東日本 レポート21」)






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(脱原発世界会議YOKOHAMAから)


オーストラリア、年間95基を動かすウラン輸出。先住民の〝神聖な泉〟を汚染



1月14日、15日の両日にわたり
パシフィコ横浜で開催された脱原発世界会議。
海外約30ヵ国からの100人を含め、延べ約1万1500人が参加。
ネット中継を視聴した数は全世界で約10万人にのぼった。






69を数えたブース。脱原発活動が「少数派」を返上した2日間




フェリシティ ヒル01

(フェリシティ・ヒルさん)




「私たちの活動は小さく、孤立していると感じていました。でも、同じ活動をしている人がこれだけ多く集まったのを見て、涙が出そうになりました」

「オーストラリア緑の党」のフェリシティ・ヒルさんは、脱原発世界会議での分科会で感慨深げに語った。海外で、日本の各地で脱原発活動を続けている多くの人たちもまた、彼女と同じ気持ちを抱いたのではないだろうか。




会議のスケジュールは、実行委員会によるメインセッション、数々のもちこみ企画、福島の人たちの声を聞く「ふくしまの部屋」、子ども向けプログラム、ライブパフォーマンス、映画、写真展など盛りだくさん。日本各地のさまざまな団体によるブースは69を数えた。

会場はどこも人にあふれ、お祭りのにぎわい。脱原発活動が「少数派」を返上した2日間だったといえる。




とはいえ、感動してばかりはいられない。世界を震撼させた福島第一原発事故後も、「原子力」はさまざまなかたちで、私たちの生活を絶えず脅かしているからだ。この世界会議では、国内外の専門家、NGO、自治体代表、そして市民らが、福島原発事故の真実、原発輸出や核兵器問題、被曝や被曝労働者の現状など、原子力に関して多角的な議論を展開した。




核問題の根源、燃料となるウランの採掘もその一つだ。

「福島第一原発事故にオーストラリアのウランが関連していたことを、とても恥ずかしく思っています」。冒頭に触れた分科会「オーストラリアのウランが日本の原発の燃料に」では、「西オーストラリア非核連合」の代表者たちの口から、日本への謝罪の言葉が相次いだ。

オーストラリアは、日本をはじめ14ヵ国にウランを輸出している。1年間に原子炉95基を動かせる量だ。オーストラリアは核兵器保有に反対の立場ではあるが、輸出国のうち、アメリカ、フランス、イギリス、中国、ロシアは核兵器を保有している。

こうした態度に加え、国民が憤りをつのらせているのは、国内での原発は認めないにもかかわらず、今後もウランを輸出するという政府の方針だ。「ウラン採掘は、オーストラリアにも、世界にも、何の利益にもなっていません。毒性の食物を輸出し、相手国の人々を病気にさせたら、その食物は二度と売られることはないでしょう。ウランも同じように考えるべきです」と、「オーストラリア北部準州環境センター」のキャット・ビートンさんは語気を強めた。





オーストラリアでは現在、4つの鉱山でウランが採掘されている。北部のレンジャー鉱山は、世界遺産のカカドゥ国立公園内に位置するが、1日10万リットルもの汚染水を川に放出している事実が明るみに出た。ここから20キロ離れた町を流れる川では、子どもたちが泳ぎ、住民が魚釣りをする。しかも、この川の水は飲料水にも用いられているという。

また、ウラン産業が先住民族に与える被害も深刻だ。ウラン採掘では、泥などを洗い流すために大量の水を使うが、南部の鉱山は非常に乾燥した地帯にある。ピーター・ワッツさんは、「私たち先住民にとって〝神聖な泉〟の水がすべて奪われました。今では水を外から運んで生活しています。祖父は80年代初めから水問題で闘っています」とアボリジニの視点からウラン鉱山の惨状を訴えた。






ピーター ワッツ02

(ピーター・ワッツさん)





「鉱山周辺の道にはウランが転がっていて、間違って拾う人がいます。その一帯の動物や農産物を食べると、具合が悪くなるのです。だからといって、自分たちの土地を捨て、他の場所に移り住むことはできません」

先住民の文化尊重や環境保護、情報開示といった法律は存在していても、ウラン産業では特別措置が適用されるというオーストラリア。原子力においては世界中のあちこちで、こうした姑息な手段が行使されている。

原子力はこの世に現れた当初から、世界の多くの人を苦しめ続けてきた。脱原発実現のためには、国際的な連帯がどうしても必要だ。この出会いをスタートに、大きな一歩を踏み出す意義を、参加者たちははっきり確信したに違いない。 

(木村嘉代子)



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(2012年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 195号より)




6月17日、野田佳彦総理大臣は大飯原発3、4号機の運転再開を宣言した。これに先立ち、7000を超える人々が首相官邸前に集まり再稼働の判断をしないように切に求めた声は、官邸の奥深くには届かなかったようだ。また、122人の民主党議員が時期尚早と訴えたが、聞き入れられなかった。ついに平智之議員(京都1区)は離党届を提出。海外からも、再稼働しないことを求める多くの科学者や国会議員の署名が送られた。

野田総理は国民生活を守るというが、過半数は運転再開を望んでいない。政府の責任で判断をしたというが、事故が起これば、後始末は私たち国民の負担となる。そして、政府が定めた暫定基準は安全性を保証していない。何とも無責任なことだ。

運転再開の必要性について、関西電力は当初、電力不足の恐れを理由にあげていた。不足すると言いながらも、関電はオール電化システムの拡販をやめなかったので、世間の批判を浴びた。そして、西日本の他の電力会社から融通してもらえば不足しないことがわかった。

そこで関電は、安全が確認されたら運転再開したいと言い始めた。止めている理由はないはずだというわけだ。電力が足りないのなら足りない間だけ運転をすればよいという関西広域連合の主張を牽制したのだった。関電は安全は確認されたというが、野田総理は安全とは一言も言っていない。

関電のホントの理由は経営問題なのだ。原発の依存度が高い関電だから、代替の火力発電の燃料代が重くのしかかってくるが、値上げには反対が強い。値上げしないと赤字がさらにかさむ。また、脱東電が進みつつあるように、脱関電を招きかねない。地元のおおい町でも再開を求める声が強くなっている。このまま原発が止まり続けると仕事にはならず地元経済が悪化する。反面、道路は1本しかなく事故時に避難できないと、不安の声も高まっている。原発に依存した地域の苦悩が続く。

大飯原発に続く再稼働は、当分ないだろう。班目原子力安全委員長が新しく設置される原子力安全規制委員会で判断するべきと言っているからだ。原子力安全規制委員会の発足は9月になる。福島原発事故を受けた新たな安全基準を定めるにはもっと時間がかかる。このまま暫定基準で許可すれば、各地でいっそう強い反対運動が起きるだろう。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2009年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第133号より)









モザンビーク、2014年までの地雷撤去目標



アフリカ南部に位置するモザンビーク共和国は、世界で最も地雷汚染の深刻な国の一つだ。モザンビーク政府は、同国の対人地雷と不発地雷を09年3月までに一斉撤去するとしていたが、その目標を5年先に延ばした。世界的な支援金の不足と、同国の貧困対策にまず力を入れなければならないためだ。同国は99年に地雷禁止条約に調印している。

モザンビークでは、ポルトガル領時代から20世紀後半の内戦時代にかけて、地雷が埋設された。どこにどれほどの量が埋まっているかを示す資料はなく、知っている者もいない状態だが、07年、英国系の地雷除去NGO「ハロ・トラスト」が「12万km2にわたって地雷が埋設されているだろう」と結論づけた。

同国で活動を続ける団体は、僻地では依然地雷は脅威だが、2014年までには完全撤去できるだろうと予測する。NGO「ハンディキャップ・インターナショナル」を率いるアデリト・イズマエルは語る。「2014年という目標に向けて、地雷を撤去していきます。この国で地雷は、“ネバー・エンディング・ストーリー”とはならないでしょう」

(Sarah Taylor)



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