Genpatsu

(2011年12月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第180号より)




福島第一原発の敷地内が11月12日に初めて報道陣に公開された。マスコミ各社は多数の写真を載せて報じた。爆発した建屋のうちカバーで覆われていない3号機と4号機は無残な姿をさらしていた。東電が公開している、ふくいちライブカメラでは見えないアングルのショットに、改めて爆発のすさまじさが伝わってくる。

原子炉の上部に設置されている使用済み核燃料プールが健全だったといわれているが、建屋下部の壁も吹き飛び、中がめちゃくちゃに壊れている様子からは、にわかに信じられない。東電はこれらの廃炉を決めたが、どう修理しても二度と使えるとはとても思えない。

事故処理に毎日3000人が従事しているという。だが、写真からは8ヵ月たってもなかなか作業が進んでいないことがうかがえる。廃炉に30年以上かかることも納得できる。高い放射線の影響で作業がはかどらないのだ。

記者たちはバスから降りることなくシャッターを切りまくった。完全防護服は放射能を吸い込まないようにするのには役立つが、飛んでくる放射線を防ぐことはできない。わずか3時間程度の滞在で、記者たちの被曝線量は75マイクロシーベルトに達したと報じられている。記者の被曝も高いが、作業員はどれほどだろうか。1日の作業時間は4時間ほどと聞くが、作業時間外の被曝はカウントされていないので、記録された線量よりも高いことは確実だ。将来の影響が心配される。

爆発で広範囲に広がった放射能は調査が進むにつれ、予想をはるかに超えて広がっていることが見えてきた。文部科学省が公開している地図は北アルプス山麓に点々と広がる汚染の高いエリアを映し出している。国際原子力機関は無駄だといったが、政府は改めて年間の被曝線量が1ミリシーベルトを超えるエリアを除染すると発表した。この姿勢を歓迎したい。

事故処理の陣頭指揮をとっている吉田昌郎所長はインタビューに答えて、もうダメかと観念したことが3度あったという。この時私たちの命も危機にさらされていたことになる。しかし、命の危機は回避できたことに素直に安堵できない。放射能汚染からは逃れられないからだ。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






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P22 01



Q: 大学のサークル運営で悩んでいます 大学でテニス・サークルの幹部をやっています。
メンバー約200人の大所帯。今、みんなの不満が爆発する寸前なんです。
部活あがりの子は部活みたいに練習したいし、サークルだからもっと気軽に楽しもうという人もいる。
このままでは次の代に引き渡せない状況です!! (女性/大学3回生/21歳)



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P22 02



Q: 学校や家でも、そろそろ就職活動に本腰入れないといけない雰囲気。
実は大学卒業後、1年間アジア各地を旅行したいんです。
これまでも、アジアの貧困地域でボランティアをしたことがあるんですけど、今度はじっくり見てまわりたい。
社会人になったら、ずっと何十年も働きっぱなしになるから、今を逃したらそんな機会がない気がしています。
ただ、親が反対するのは目に見えているので、言い出せずにいるのですが……。
大学3回生/女性(21歳)



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(2006年11月15日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第61号 特集「美しく戦う—抑圧と偏見を解く女たち」より)




誰もが幸せになる社会を目指して歩むことは私にとっての名誉




「難民鎖国」日本の中で、外国人の権利や平和問題を中心に
幅広く活躍する若き弁護士、土井香苗さん。
現在アメリカでの「ヒューマンライツ・ウォッチ」で研修中の土井さんに、電話インタビュー。






土井早苗
(土井香苗さん)





日本は1951年、難民条約に加入し、国連の難民援助機関UNHCRへは、アメリカにつぐ年間7640万ドル(91億円)の拠出国。にもかかわらず、89〜97年各年での難民認定者は1〜6名、98〜04年では10〜26名、05年は46名となっている。この数字は難民認定数(2002年)約2万8千のアメリカ、2万3千のドイツ、1万9千のイギリスに比べるべくもない低さであり、また難民を収容所などに拘束する率も一番高い。

このような「難民鎖国」日本で、日本にいる外国人の人権を守る数少ない弁護士として活躍、難民たちの希望となっているのが、土井香苗さんである。

土井さんは、大学3年のとき当時最年少で司法試験に合格。97年、援助される側の視点を手に入れたいと、NGOピースボートの一員として、30年にわたる独立戦争を戦って独立したアフリカのエリトリアに出向く。そして、エリトリア憲法策定のための調査員として1年間働いた。

98年に帰国。奇しくも、日本にエリトリア系難民が逃れてきていること、彼らが難民申請を拒絶されている現実を知り、日本の中で難民を弁護する道へ進もうと決意する。00年の弁護士登録後は、タリバン政権の迫害を逃れてきたアフガニスタン難民が東京入管に収容される「アフガニスタン一斉収容事件」(01年)や、先進国の中では前例のない、国連が難民と認めて保護を要請していた者を母国に送還するという「クルド難民の強制送還」(05年)、などで弁護にかかわってきた。そんな土井さんが目指す社会とは?
 



BI 東大法学部3年生の時、当時最年少で司法試験に合格し、注目を浴びた土井さんですが、そもそも弁護士になるきっかけは、何だったんですか?


土井 私は法律家志望で法学部に入ったというわけではないんです。母がとても厳しい人で、「女は資格がなければ生きていけない」と言われて育ちました。そんな母に言われるがまま法学部に入り、嫌々ながら司法試験の勉強を始めたんです。

私に転機が訪れたのは、大学2年の時。父と母の折り合いが悪く、耐えられなくなった私は、妹と一緒に家を出ました。生活費のためにアルバイトをしなくてはならず、勉強との両立に苦労しましたが、それまでになかった“自由”が手に入り、経験したことのない“幸せ”を感じたことを、今でもよく覚えています。

その後、NGOの「ピースボート」でボランティアを始め、いろいろな世界を知り、人権のために頑張っている素晴らしい弁護士の人たちに出会いました。そんな経験をする中で、「弁護士になりたい」と心から思うようになっていったんです。





BI 司法試験に合格した後、「ピースボート」で、アフリカのエリトリアでの法律策定のボランティアに参加されましたね。なぜエリトリアに行こうと思われたのですか?


土井 これは私の原点でもあるんですが、中高時代に犬養道子さんの『人間の大地』という本を読んで衝撃を受けたんです。以来、アフリカの飢餓や難民、南北格差の問題を実際にこの目で見てみたいと思ってきました。最初は難民キャンプに行くことを希望していたのですが、何の技術も持たない私には難しいことがわかり、法律の知識が生かせるエリトリアを勧められたんです。

当時エリトリアは、30年近く続いた独立戦争がようやく終結し、独立したばかりでした。

「新しい国を自分たちの手で作るぞ」という気概を持ったエリトリアの人たちと一緒に、刑法や民法などの法律を策定する作業を行いました。




BI その後、弁護士に登録なさってからは、在日外国人やアフガニスタン難民のための弁護活動など、人権問題に積極的に取り組んでいらっしゃいますね。

土井 南北問題や難民への興味からアフリカへ行きましたが、日本に帰ってきて愕然としました。日本政府はアフガニスタン難民の受け入れを拒否し、彼らを収容し、強制送還している……アフリカでなくて、こんな身近なところにも難民問題があったんですね。世界中にアフガニスタン難民がいますが、日本の扱いはあまりにもひどい。強制収容所に閉じ込めて、いつ解放されるかもまったく分からない。絶望の中、自殺未遂をする難民が後を絶ちませんでした。そんな状況をとにかく何とかしたかったんです。




BI 在日外国人やアフガニスタン難民など、弱い立場の人を助けることは素晴らしいことだと思いますが、その分苦労も多いのではありませんか?

土井 確かに企業の弁護を引き受けることと比較すれば、経済的にも恵まれないでしょうし、検事や裁判官のように出世して政府の中で地位を得るということもないでしょう。

でも私にとっては、弱い立場におかれている人の権利や尊厳を守ることによって得られる喜びのほうが、お金や地位に勝るのです。もっとも弱い人の立場に立って、国や法務大臣が相手であっても裁判を挑む。正義があれば、勝利することもあります。誰でも幸せになれる社会を目指して闘うことのほうがずっとかっこいいし、私にとって名誉なことだと思うんですよ。




BI 現在、土井さんが研修を受けているNGO「ヒューマンライツ・ウォッチ」について教えてください。

土井 「ヒューマンライツ・ウォッチ」は、世界中に職員を配置し、その人権状況を監視、公表している国際的なNGOです。メンバーには法律家も多く、これまでに地雷禁止キャンペーンの一員としてノーベル平和賞受賞したほか、武力紛争への子供の関与に関する子どもの権利条約の選択議定書や旧ユーゴスラビア国際刑事法廷の実現に寄与しています。

こちらに来てまだ二ヶ月足らずですが、それでも毎日が新鮮な驚きでいっぱいです。私が研修を受けているアメリカの「ヒューマンライツ・ウォッチ」の本部は、ニューヨークのど真ん中、エンパイヤステートビルの中にあります。政府からの助成金などは一切ありませんが、それでも昨年度の収入は約47億円、常勤職員が約200人という規模の組織です。アメリカの市民社会の大きさと層の厚さには本当に驚かされます。人権のために積極的に活動することが、個人、政府、企業から見ても、とてもすばらしいこととして高く評価されているのを感じますね。

私はアジア地域を中心に、人権が守られているかどうかをモニターする部門で研修しています。特にヒューマンライツ・ウォッチが力を入れている国に、重大な人権侵害が行われているビルマやアフガニスタン、北朝鮮などがありますが、日本もモニターの対象です。 例えば、先日、宮崎県の都城市で、「性別または性的指向にかかわらず」人権を尊重すると記されていた条例から、この文言を削除する条例案が提案されたことに対して、「ヒューマンライツ・ウォッチ」として抗議し、市長、議員宛にレターを送りました。日本ではほとんど報道されなかったことですが、こうしたLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスセクシュアル)の権利は米国で大きな注目を浴びている問題なのです。




BI 「ヒューマンライツ・ウォッチ」での活動はあと1年ほどあるそうですが、帰国後、弁護士としてやっていきたいことはありますか? 

土井 日本で難民や移民の問題に取り組んで来ましたが、それだけではなく、その根っこにある南北格差や民族差別などを解決することの必要を感じるようになりました。日本の法律家として、世界の不公正や人権の侵害を止め、すべての人々が尊厳を持って生きることができる社会にするために貢献する必要があると考えるに至ったのです。

そこで立ち上げたのが、「ヒューマンライツ・ナウ」。「地球上のすべてのひとたちのかけがえのない人権を守るために」をメッセージに、世界中のすべての人がヒューマンライツを享受できる社会を実現させることが目標です。国連とカンボジア政府の合意に基づいて設置された「クメール・ルージュ特別法廷」で被害者の参加を求める意見書を提出するなど、すでに活動を始めています。




BI 「人権問題」に対して、弁護士ではない私たち一般人ができることはあるのでしょうか?

土井 弁護士などの資格がなくても、人権を守るために活動することはできます。NGOでボランティアをしてみること、NGOに寄付するだけでもいいんです。あるいはフェアトレードの品物を買う、第三世界を旅し、そこで見たことを人に話すとか……。

日本では「人権」と言うと過剰な権利の要求をイメージされ敬遠されがちですが、「人権」はもっと身近なものなんです。「人権」は、人間が幸せに生きていく上でかけがえのないものであり、「人権」を守るための活動はかっこいいことなんだと、一人でも多くの人に伝えていくことも、私の仕事だと思っているんですよ。

(飯島裕子)







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Genpatsu

(2012年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第187号より)




2月19日、南相馬市で行われたシンポジウムに参加してきた。題して「ふくしまから考える原子力に依存しないエネルギー政策」。エネルギー政策の見直しを進めている経済産業省の基本問題委員会で、「地元の意見を聞いて議論を深めるべき」との提案を出した委員有志が開催した自主分科会だった。自主的とはいえ、桜井勝延市長も参加してくださり、充実した分科会となった。

会場は常磐線原ノ町駅前の市民情報交流センター、曲線を多用し、木のぬくもりを生かした公共施設だった。普段なら上野から電車1本で行けるところだが、線路が福島原発近くを通るため、復旧できないでいる。福島駅から東へ車で1時間半ほどかかった。会場周辺の環境の放射線量は屋外で事故前の10倍程度、屋内で3倍程度。比較的高い線量のところに人々は暮らさざるを得ない状況だ。心配ごとも多かろう。

南相馬市は福島第一原発から北側にあり、太平洋に面している。市内は、20キロメートル内の警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、さらにそれ以外と、複雑に区分されている。爆発による放射能の影響を最も大きく受けたまちの一つだ。今年2月の人口6万6千人。事故前に比べると6千人ほど転居していった。津波の影響もあるが原発事故による影響の方がはるかに大きい。

桜井市長は、「原発が爆発したことを知ったのは警察無線だった。この事故で、7人中6人以上が避難した南相馬市にとっていちばん大事なことは『心を再生すること』」と人々の胸を打った。また、「原発事故で180度変えられた運命を原発に頼っては取り戻せない」と原発の交付金を断ることにした心情を語り、「南相馬市民は自然エネルギーに依存した生活スタイルで生きていきたい」と力強い口調だった。東京電力に対しては、「西沢社長が来て、東電の責任でこの事故に対応していくと約束していったが、いまだ責任ある対応は感じられず、信頼に値する会社ではない」と厳しい口調だった。

この日は並行して、「ふくしまから始めるエネルギー革命 南相馬ダイアログフェスティバル--みんなで未来への対話をしよう」も開催された。南相馬は確実に活動を取り戻しつつあった。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






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Genpatsu

(2012年3月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第186号より)




2・11さようなら原発1000万人アクション全国一斉行動in東京」が代々木公園で開催され、約1万2千人が参加して会を盛り上げた。

オープニングはthe JUMPSの力強いミュージック。呼びかけ人の大江健三郎さんは「原発を止めることは人間の倫理だ」と訴えた。「役所の人は福島の人の心をわからない」と澤地久枝さん。福島の永山信義さんは「福島を返せ、故郷を返せ、あのささやかな日常を返してほしい」と切実だ。「『本当のこと』が見えている私たちの底力を出そう」とみんなを勇気づけた俳優の山本太郎さん。その他何人も発言し、ドイツ連邦議員のドロテー・メンツナーさんも駆けつけてくれた。

昨年9月に続く2回目の集まり。集会後には、渋谷や新宿に向けてパレード。同アクションは1000万人署名を集めている。まだ道半ばでも、今年の7月まで、もうひとがんばりしたい。オンライン署名も行っている。また、この3月11日には福島県郡山市で大きな集まりを企画している

1年が経過するのに、穏やかならぬ報道が続いている。福島や宮城で、暖をとる薪ストーブの灰から高い放射能汚染が検出された。宮城の最高値は灰1キロあたりに約6万ベクレルという。裏山から採ってきた薪だった。これによる被曝の量は不明だが、決して気分のよいものではない。こうした事例は今後も続くだろう。

2号機の原子炉の底の温度が上がっている。2月13日には400℃を超えて温度計は振り切れてしまった。数日前から徐々に温度が上がり始めていた。原子炉へ送る水の経路をいったん変え、元に戻したが、その後、温度が上がり始めたという。原因はわかっていない。けれども東京電力は「温度計の故障」と言い始めている。1本だけ異常、というのが理由だったが、14日には異常が拡大して、故障説に疑問が出てきた。


安心できるのはまだまだ先のことのようだ。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)







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P22 02




子供を生むべきタイミングについて悩んでいます



Q:子供を生むべきタイミングについて悩んでいます。結婚して8年目で夫ともそこそこ仲良し。躊躇している理由は、自分も夫も会社員ではないので、経済的にも大学卒業まで2、3千万もかかるというし、自分が親にしてもらったことを子供にしてあげる自信がない。でも、正直言うと二人きりの生活でもいい気がしているんです。ただ、世間の風潮に反して、年を取ってからバチが当たるのは嫌やなあ……。
派遣社員/女性(33歳)



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法律の保護は、すべてを捨てて逃げる人だけに 大決心が求められる被害女性



「みずら」(NPO かながわ女のスペースみずら)はドメスティック・バイオレンス(DV)の被害者などを一時的に保護するシェルターなど、被害女性の自立支援の活動を17年間続けてきた。事務局長の阿部裕子さんに、DV被害者の現状を聞く。

シェルター利用の7割がDVの被害者


洗面所2

「みずら」は、現在、夫などからの暴力、経済的困窮などさまざまな理由で行き場を失った女性や母子のためのシェルター(一時保護施設)を4ヶ所運営していて、神奈川県と協力しながらDV被害者の自立支援を行っている。事務局長の阿部裕子さんによれば、昨年1年間にシェルターを利用した205ケース、延べ399人のうち7割がDVの被害者だった。年齢層は10代から70代まで幅広い。

DV被害者には、10代で優しくしてくれた年上の男性と結婚するも同居後、相手の態度が豹変したという若い女性もいれば、出産直後、子育てに没頭するなかで暴力が始まったというケースもある。長年、夫からの暴力はどうにもならないものとして耐え、刃物を持って襲われたときに初めて、「普通ではない」と感じて逃げ出したという女性もいる。

一般にDVには、殴る、蹴る、物を投げるといった身体的暴力以外にも、罵り、蔑み、罵倒、脅しなどの精神的暴力、レイプまがいのセックスなど性的暴力といったさまざまな暴力が含まれる。みずらのシェルター利用者もまた、複合的な暴力の被害に遭っているという。

嫉妬妄想に陥った夫が、浮気をしていると決めつけて妻を拘束したり、経済的にしめつけながら“誰に食わせてもらっているんだ”という言葉を繰り返し長期間にわたってあびせ、妻の行動をコントロールしているケースもあります。痣や骨折など身体的な暴力の痕跡が見られなくても、DV被害者の多くは精神的に相当まいっています。


シェルターの一番の目的は、安心と安全の提供だ。具体的な支援としては、その上で、あくまでも本人の自己決定と自立を援助すること、と阿部さんは言う。

まず、DVの被害者には、ここにいれば見つかりません、ゆっくり休んでくださいとお伝えします。最初、身体はどこも悪くないと言っていても、3、4日経って緊張が解けると、殴られたところがあちこち痛くなるという方が多いんです。物音がするたびに動悸がしたり、専門医からPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断される方もいます。『みずら』では、それぞれの利用者に必要な治療につなげながら、本人の意向を探りつつ、生活保護の申請や離婚手続きのための弁護士や法律扶助協会についての情報を提供しています。




 

「暴力から逃げたいので保護を」と助けは明確に



DV被害者の女性が、切羽詰まるまで暴力から逃れられないのは、加害男性から逃げることへの脅しがかけられていることもあるが、そのほかの事情を阿部さんはこう説明する。

電話相談などで、何かあったら相談に行っていいですか、とおっしゃる女性がいます。何かあったらというのは今度、夫さんがキレてひどい暴力をふるったら、ということだそうです。そんなに精神的緊張を強いられているなら、何もないうちに堂々と出たらどうですか、情報提供しますから、とお話するんですが、加害者は自分が選んだ人だし、自らも家族を形成することに大きなエネルギーを費やし、地域社会で生活基盤を築いてきておられる。今のDV防止法は『被害者が生活基盤を捨てて逃げるなら保護する』という内容ですから、家を出るために一大決心をしなければならないのです。


また、加害男性の多くは、暴力の合間に、悪かったと謝ったり、優しい態度をとったりすることもあるため、被害者の女性が、「私には本音をさらけ出してくれている」「私は必要とされている」と思いこみ、暴力を愛情と勘違いしてしまうこともある。

過去に、いったんはシェルターに逃げ込みながら、夫の元に戻ることを選択して、その夫から殺害された女性もいる。また、相対的に女性の賃金が低いだけでなく、「繰り返し罵られることで、自己評価が低くなり、自分一人で子供を育てていくことに自信が持てず、奴隷のような精神状態になっている」こともある。

では、「一大決心」をして家を出ることになったら。
大切なもの、子供たちの写真など“替えのきかないかさばらないもの”と通帳、保険証、母子手帳、当面の着替えを信頼できる人にこっそり預かってもらうと安心です。また、夜間や休日など行政の窓口が開いていない場合に警察に相談するときは、漠然と助けてと言うのではなく、暴力の被害を受けていて逃げたいから保護してほしい、と明確に伝えることが必要です。


理解しておいた方がよいのは、加害者となる男性像は一律ではないということ。

社会的地位の高いといわれる人たち、裁判官や医師、国家公務員、警察官もいます。共通しているのは、彼らが暴力によって妻を屈服させようとしていること、無意識に暴力をふるっているわけではなく、妻への暴力を選択していることです。いくらイライラしても、会社で上司を同じように殴るわけではないでしょう。


かえって、外では、いい人、いい夫を演じていることが多い。そのため、DV被害を相談された友人や親族が、不用意に夫との間に入るべきではない、と阿部さんは強調する。

なだめるつもりで友人や親族が介入することは加害者を刺激し、人に知られたくないことをしゃべった妻への怒りを喚起します。ですから、DV被害を知ったら、知人や親族は、まず被害者に対して“大変だね、よくがまんしたね”という、つらさやしんどさへの共感と聞く耳を持ち、本人の希望を聞きながら、専門の相談窓口につなげてください。


DV防止法が成立し、改正法が施行されてなお、パートナーの暴力によって家や居場所を失った女性と子供が経済的にも精神的にも安心して安定した生活を送れる環境はいまだ整っていない。また、直面する現実の厳しさにも大きな変化はないという。

(清水直子)


「みずら」(特定非営利法人 かながわ女のスペース みずら/福原啓子代表)

1990年、女性が直面する問題の解決と自己決定を支援する任意団体として発足、2000年に特定非営利法人取得。電話、来所、同行による国籍、テーマを問わない相談活動(労働組合である、女のユニオン・かながわを併設)、シェルターの運営、学習会や研修活動を行う。

★みずら相談室
TEL045・451・0740
(月〜金14時〜17時・19時〜21時/土14時〜17時)※祝祭日はお休み。

★女性への暴力相談[週末ホットライン]TEL045・451・0740
(土・日・祝日の金17時〜21時)

http://www.mizura.jp/



 

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(2006年8月15日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第55号 特集「愛と暴力の狭間で—D.V.(ドメスティック・バイオレンス)からの出口はある」より)






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「脱力する」生き方が、男の暴力を未然に防ぐ



P17 photo
(メンズサポートルームの中村正さん)

必要な加害男性側の再発防止方策



DVへの対応の一つは、DV防止法の保護命令(退去命令や接近禁止命令)によって、家庭内に介入して加害者と被害者を分離することにある。しかし、分離した後、大きな精神的ダメージを受けた被害者をケアする仕組みが緊急の課題であるのと同じように、加害者の更生指導、再発防止、未然防止への働きかけが重要。

法的に罰せられても、加害男性は自分の暴力を、家事などがきちんとできない妻や彼女への教育であるとか、「自分も悪いが、暴力を引き出した相手にも非がある」と思いがち。駐車違反でキップを切られた時に逆上する人のように、「みんなやってるのに、どうして自分だけが罰せられるんだ」と考えているケースが多い。

メンズサポートルームでは、こうした加害男性に対応するため、京都と大阪でグループワークや語る会を開催し、暴力を男の視点からとらえ、なぜ自分は暴力をふるったのか?脱暴力化するためにはどうしたらいいのか?を考え、気づき、男性が家庭内で暴力なしで生活する方法を学ぶ機会を提供している。




”私“メッセージで、男らしさを脱ぐ



なかでも暴力を乗りこえるためのグループワークは、社会の中で植えつけられてきた過度の”男らしさ“を塗り替える作業が中心になる。多くの男性は、競争社会や家族制度などの中で、「男は強くなければいけない」「勝たなければいけない」といった抑圧的な男性文化の中で育っている。それが、妻や彼女への暴力につながる男性特有の「感情鈍磨」「言語化困難」「攻撃・行動化」を生む土壌になっている。

そうした自分を縛っている”男らしさ“に気づくため、まず安全の保障された男同士のグループワークという世界で、自らの体験や感情を「私」を主語にして語ってもらう。これは、「私メッセージ」というコミュニケーションスキルで、普段、男性が使いがちな「我々」「男というのは…」「社会では…」といった主語を使わないのがポイント。理屈や論理・分析的な言い方も極力抑え、感情語を多く使うことで、暴力や攻撃性と近いところにある”男らしさ“を脱学習していく。同時に、暴力に訴えないセルフマネージメント力、ソーシャルスキルを身につけながら、被害女性に謝罪を行う土壌をつくっていく。

ただ、現在は”男らしさ“から自由になることは、「落ちこぼれ」「負け組」「ダメ男」という負のラベルを貼られることも意味しかねない。今後は、この「脱力する生き方」が、新しい社会の価値観と結びつき、「降りる」ことが進化であるということを示していくことが、加害男性の暴力の未然防止にもつながる。

(稗田和博)




中村 正(なかむら・ただし)
1958年生まれ。NPO法人「きょうとNPOセンター」常務理事、立命館大学大学院教授。家庭内暴力の加害者のためのグループワークを行う「メンズサポートルーム」を主宰。著書に、『「男らしさ」からの自由』(かもがわ出版)ほか。










(2006年8月15日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第55号 特集「愛と暴力の狭間で—D.V.(ドメスティック・バイオレンス)からの出口はある」より)


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