(2006年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第60号 [特集 ナチュラルに美しく 生き方大転換]より)




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未来のストックをつくる人たち 



植物がその体内に持っているリグニンと糖を資源としてうまく使うことが、地球温暖化を食い止める力になります。また、間伐材が放置されるなどの問題を抱えている林業、枯渇しつつある石油を材料として製品を作っている化学工業にとって、リグニンと糖は魔法の薬となります。


P18 プラント
(三重大学の植物資源変換システムプラント)

2001年、三重大学に、実験室だけではなく、大規模にリグニンと糖の分離ができる、植物資源変換システムプラントが生まれました。これで事業化への第一歩が開かれたのです。




リグニンと糖を資源として使う「持続的な工業ネットワーク」を成立させる主役は、林業、木材工業、分子分離工業、植物系分子素材工業、精密化学工業の、それぞれの分野で働く人たちです。このネットワークは、きれいにつながったシステムであり、どれか一つが欠けたり途切れたりしても、無効になります。

CO2の循環の旅で学んだとおり、私たちにもできることがあります。一人ひとりが植物資源から作られた製品を使うと同時に、リグニンや糖を含む古家具や新聞紙などを、植物資源として大切に扱うということです。

一人ひとりが、あるいは、工業ネットワークの分野の一つでも自分の役割を放棄した瞬間、CO2の流れはストップして、CO2は大気中へ戻っていってしまいます。

「植物系分子素材工業」を成立させるために、すでに行動を起こしている人たちがいます。事業化を通して、そんな未来をストックする人たちの一例をご紹介しましょう。




岡山県真庭市の企業では、木くずを木粉にして木質プラスチックの原料などにして販売しています。木粉の生産量は、年間約300立方メートル。分子分離工業、植物系分子素材工業が登場すればいつでも対応できるように、木粉をストックしています。

また、林野庁の事業として約20の企業がコンソーシアムをつくり、2003年、北九州エコタウンにリグニン分離製造実験プラントを完成させました。ここでは1ヶ月に10トンの木粉を処理しリグノフェノールを2トン取り出すことができます。

さらに、トヨタ車体では自動車のボディパネルや内装材に、愛知県小牧市の企業ではリグパル(木質材)の製造や接着剤の開発に着手しています。




今、石油を必要としなくなる持続型の工業のかたちが、はっきりと見え始めました。それをまず実現するのは、石油のない国、日本の私たちなのです。

(水越洋子)

photos:中西真誠




SPECIAL THANKS

共同企画と監修: 舩岡正光さん(三重大学大学院生物資源学研究科教授)
相分離系変換システムの取材と実験協力: 青柳充さん(舩岡研究室研究員)
相分離系変換システムの実験協力: 三重大学大学院生/科野孝典さん/米倉聡子さん
取材協力: 前田美代子さん(三重大学舩岡研究プロジェクト秘書)
参考文献: 『緑のループ』/「緑のループ」編集委員会+船岡研究室/森の風プロジェクト 





P18 船岡教授


舩岡 正光(ふなおか・まさみつ)

三重大学大学院生物資源学研究科教授。農学博士。三重大学助手・助教授を経て、1987〜88年ミシガン工科大学客員教授、90〜91年ニューヨーク州立大学客員教授、02年ドイツ森林資源研究所客員教授。専門は資源環境化学、リグノセルロース変換工学。04年日経地球環境技術賞受賞。




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11月1日発売のビッグイシュー日本版202号のご紹介です。



スペシャルインタビュー 井筒和幸監督


閉塞感が満ち満ちている日本社会に、井筒監督が新作を引っさげて帰ってきました。その名も『黄金を抱いて翔べ』(11月3日公開)。監督が新作、映画という夢、人生論を語ります。



リレーインタビュー 書道家 紫舟さん


大河ドラマ「龍馬伝」、「美の壷」などの題字を手がけた書道家の紫舟さん。OLを辞めたのが、最大のターニングポイントでした。そして“書道家になる”という答えが見つかった時、かつてないほど心と身体が軽くなったそうです。



特集 人々をホームレスにしない方法


今、日本には100万人をこえるホームレスやホームレス予備軍の人が存在する?! ここ20年ほどで、生活保護受給者は2.4倍(95年88万人から12 年210万人)、非正規雇用者の比率は2.2倍(85年16パーセントから11年35パーセント)となりました。
このようななか、08年リーマン・ショックでは多くの若者が雇い止めされ、路上では見えない若者ホームレスが増えました。この背後には、若年無業者60万人、ひきこもり70万人、フリーターなどの人々が控えています。さらに、震災や原発事故によって、数十万人がホームレス状態になり、いまだ避難所で暮らす人もいます。彼らを路上に出さないためには? 安定した暮らしへの希望を持ってもらうためには? その鍵は住宅問題にあるのではないのでしょうか。
そこで、住宅政策を研究する平山洋介さん(神戸大学大学院教授)と、路上生活者を支援する稲葉剛さん(NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」理事長)に「人々をホームレスにしない住宅政策」について対談をお願いしました。また、「もやい」のスタッフに「若者ホームレスの今」について、作家の雨宮処凛さんに「ホームレス状態の若い女性」について聞きました。さらに、今も県外の避難所に残る福島県双葉町の方々に取材しました。
ホームレスとはいったい誰なのか? 人々をホームレスにしない方法は? 今、ホームレス問題を問い直します。



今月の人 ベオグラード『Lice Ulice』誌、ミルコさん


セルビア・ベオグラードのストリート・マガジン『LiceUlice』は2010年創刊。スロバキアから移住した20歳のロマの青年ミルコが、雑誌販売生活&夢を語ります。




この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載など
もりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。


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Genpatsu

(2012年2月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第185号より)




1月18日、経済産業省のある会場は大荒れだった。大飯原発3号機のストレステストの意見聴取会が開かれ、締め出された傍聴者が会場になだれ込んだためだった。原子力安全・保安院は、この日、大飯3号機のストレステスト報告を承認することをあらかじめ決めていたようで、一般の傍聴は別室のテレビモニターで行うと数日前から発表していた。理不尽なやり方に傍聴者が憤るのも無理はない。このやり方に抗議する意見聴取会の委員もいた。結局、11人の委員のわずか4人が保安院の評価を承認しただけだった。

23日から国際原子力機関のスタッフが来日してこのストレステストをしたが、保安院のやり方が適切であると、承認した。その後、運転再開は「政治が判断」すると枝野幸男経済産業大臣は繰り返している。

ストレステストは菅直人前総理の発案で始まった。福島原発事故前と同じ検査方法では地元の了解が得られないから、追加的なチェックを加えたのだった。だが、これまで一度も行ったことがないので、方法を詰めていく途中で腰砕けになってしまった。テストというと何か具体的な試験の印象を与えるが、実際には、地震や津波、電源喪失といった事態に耐えられる余裕を計算するだけだ。より広い総合的なチェックは次の段階で、運転再開に絡めない。その上、合否の判断基準が示されていない。

大飯3号機、同4号機の計算結果は、3・11の地震前に想定した「最大」の地震の揺れの1・8倍までは耐えられる。これを超える揺れが襲ったらアウトだ。地震のエネルギーを示すマグニチュードは1増えるとエネルギーは32倍になる。2倍はマグニチュードで言えば0・1だ。1・8倍で合格とするのはいかにも心もとない。何よりも、福島原発が「想定外」の揺れに襲われたのだから、大飯原発の周辺でこれまで値切って見積もってきた活断層をつなげて正しく「想定」し直すべきだろう。

筆者は政府の委員会で、機会あるごとに従来の「想定」見直しを訴えてきた。報道によれば、ある程度は見直されるようだが、今の運転再開とは連動しない。これでは第二の福島事故を待っているようなものだ。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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(2006年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第60号 [特集 ナチュラルに美しく 生き方大転換]より)




分散・持続型の地域工業ネットワークへ




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いよいよ、万能の工業素材となるリグニンを使って、持続的な工業ネットワークを、社会につくる準備に入りましょう。

樹木をはじめ植物資源は、分子レベルまで見てみると、どんなものでも糖とリグニンに分けられます。そのうち、糖から食品に使うブドウ糖、エタノールやエチレンを製造する技術は、すでに確立されています。糖から石油に替わる燃料を作る試みもされています。(注1)

舩岡さんによると、精密な分子設計と慎重な取り扱いをすれば、糖の相方であるリグノフェノール(リグニン)から、リグパルという人工木材や、医薬品、衣類、パソコン、携帯電話、自動車の車体まで、いろいろなものを作ることができます。


P17 リグパル画


例えば、古紙繊維とリグノフェノールからつくるリグパルは、熱も圧力もかけず自由な形に成型することができ、椅子や机などにもなります。さらに素晴らしいのは、新しい分子に転換して、何度でも何回でも違う製品に生まれ変わらせることができることです(注2)。そして、最後にリグニンを一番シンプルな構造に解体し、化学工業に素材として渡し、現在の石油由来製品と同じものをつくった後、最後の最後にはCO2として大気中に戻していきます。

このような持続的な工業ネットワークを具体的に考えてみます。





P17 21世紀の循環型工業画像

まず、植物資源を使う最上流に「林業」があり、樹木の光合成という自然界の営みを助けます。次の「木材工業」は樹木を素材として、その加工を引き受けます。ここで出る木片のかけらはごみではなく大事な資源。それに古新聞や古家具なども加えて「分子分離工業」に手渡します。ここで糖類とリグニンの分子に分離。分けられた糖類とリグニンは「植物系分子素材工業」で何度でも使える材料となります。そして最終的に「精密化学工業」に手渡され、「持続的な工業ネットワーク」が完成します。

これこそ、21世紀型の循環型工業ではないでしょうか。 それを可能にするために必要な植物資源は、信じられないかもしれませんが、地球上の森林資源のたった1%でよいのです。

「植物系分子素材工業」を誕生させるのは簡単ではありませんが、それを現在の工業の流れの中に組み入れることは、やる気さえあればすぐにでも実現できます。

地域でのしくみづくりも必要です。

植物資源から分子へ変換するための変換プラント(分子分離工業)は、地域分散型がベスト。できるだけシンプルな自動化した小規模なものにして、そこからタンクローリーで分子屋さん(植物系分子を扱える、分子のわかる技術者)のいる拠点「植物系分子素材工業」まで運びこめるようにネットワークを作ります。それも一極集中ではなく、日本各地に網の目のように点在させます。そうすれば何か問題が起こっても近隣地域で補い合うことができます。分散型の地域工業ネットワークは、持続的な地域の繁栄にも貢献できるのです。




注1/バイオ燃料とも呼ばれる糖から作られる自動車用の燃料。木材などからエチルアルコールやメチルアルコール、食用油などからメチルエステルなどを作る。
注2/薬品を選ぶことで、何度でも製品を作りかえるようなリサイクル設計ができる。




エピローグへ




イラスト:トム・ワトソン


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(2011年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第172号より「ともに生きよう!東日本 レポート8」)





開設! 市民による放射能測定所&研究所



オープンした市民放射能測定所に設置されたベクレルモニター=7月17日
(福島市、市民放射能測定所)




必要なデータは自分たちで調べて防御したい。

東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う大気や土壌、農作物の放射能汚染と、内部被曝の問題が高い関心を集める中、福島市に7月17日、市民グループによる「市民放射能測定所」(丸森あや理事長)がオープンした。

福島の父母らを中心に今年5、6月に「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島)」「子ども福島情報センター」(中手聖一代表)が発足。参加者から「自分たちの手で、食品の放射能を計測したい」という声があがり、『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一さんと、「未来の福島こども基金」(黒部信一代表)が測定器現物や購入費用を寄付して、開所が実現した。今後、「DAYS放射能測定器支援基金」も同測定所を支援していく。

国や県による農作物などの検査は、検査機器の不足などでサンプル数が少なく態勢に課題が残る。一方で、福島産牛の肉から放射性セシウムが検出されるなど、食品の放射能汚染の不安が広がっている。福島では、子どもをもつ母親を中心に、行政に頼らずに自分たちで調査し、判断しようとする新しい活動が始まった。

測定所には、野菜や肉など主に食品に含まれる放射能を計るベクレルモニター2台を設置。別の建物に「研究センター」のスペースも確保し、外部の放射線の影響を鉛で遮断した大型の高純度ゲルマニウム半導体検出器を設置。今後、より詳しく計測できる機器や、人の内部被曝を測ることができる「ホール・ボディー・カウンター」も整備予定で、本格的な検査態勢になる見通しだ。

同測定所の事務局長・長谷川浩さんは「誤差もあるが、自分たちで計測してデータを得て判断するのが目的。いずれは家畜飼料など農業関係や、学校給食のサンプル調査ぐらいまでやれたら」と話す。

当面は平日3日と、週末のいずれか1日の開所を予定。1人2点までで、無料だがカンパ歓迎。ホームページから事前の予約が必要。問い合わせ、申し込みなどは市民放射能測定所のホームページへ。




(文と写真 藍原寛子)


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会社の上司の干渉に困っています


 



Q: 会社の上司が何かと干渉してきて困っています。
40代の男性なのですが、私の将来のことや食生活、はては恋人の有無まで根掘り葉掘り聞いてきます。
そうして私にアドバイスをしてくるのですが、こちらからすればよけいなお節介なんです。
しかし上司相手なので、うまいかわし方がわからず困っています。
(女性/28歳/会社員)



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(2006年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第60号 [特集 ナチュラルに美しく 生き方大転換]より)






「リグニン」をはずす、相分離系変換システム





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リグニンは樹木を、生物の生態系のなかの母体のような存在にしました。一方で、リグニンは地球上に大量に蓄積している有機資源なのに、人間がどうしても使えないものでした。その原因は、糖とリグニンはまったく性質の違うものなのに、糖とリグニンに同じ環境で同じ働きかけをして取り出そうとしてきたことにありました。そうして、うまく取り出せたセルロースだけを使い、うまく取り出せなかったリグニンは捨てるという扱いをしてきました。

1988年、舩岡正光さんは、糖とリグニン、それぞれの違いに応じた働きかけをして、まったく熱も圧力もかけず、植物資源から酸とフェノールでリグニンを取り出すという「相分離系変換システム」をつくることに成功しました。このシステムによって、糖とリグニンのからまりを自然に無理なくはずして分離することができるようになったのです。

では、どのように分離させるのでしょうか?





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最初に、植物、森林資源を集めます。とはいっても、木材などのバージン資源である必要はなく、木片や古新聞紙(シート状木材)、古い家具などがそのまま資源となります。そして、資源の表面積を増やすために、それらを粉状に砕きます。

実際の分離作業を、舩岡さんの三重大学の実験室で、見せてもらうことにしました。まず、木粉をリグニンに親しい媒体(注1)で包み、酸の水溶液に浸します。そうして、単に30分から1時間ほど攪拌しそっと置いておくだけで、がっちりと絡まったリグニンと糖が分かれ、リグニンを含む層が上に浮いてきます。

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糖のほうは水となじみやすいので、酸の水溶液に溶けてしまいます。こうしてリグニン(リグノフェノール)と糖類に分けることができるのです(注2)。そして最終的に、リグノフェノールは白い粉として私たちの目の前に現われました。




20世紀には、狂わない、腐らない、燃えないというような、環境変化に対応しないものが高機能材料といわれました。ところが、人間が化学工業で作った高機能素材は、法隆寺の柱のように千年ももつことはありません。

いったい、リグニンの環境変化への対応の秘密とは何なのでしょうか? 実は「我慢しない」ことにあるのです。モノに強い力をかけると、あるところで素材の内部にストレスがたまり自己崩壊し、折れたり壊れたりします。リグニンはそうならないように、内部にストレスを残さない設計図を持っているのです。
 
一見、矛盾するようですが、リグニンは周辺の環境変化には敏感です。例えばリグニンの入った新聞紙は日にちが経つとすぐに黄変します。これは分子レベルで環境に対応しストレスを解放している姿です。つまり素材として長期的な安定を得るために、短期的には環境変化に対応する設計なのです。「相分離系変換システム」もこの性向を生かし、少ないエネルギーで糖類とリグニンを分離できるものになっています。

人間もバイオです。バイオが他のバイオを考えるとき、人間の行動基準ではなく、自然界のしくみを尊重することが重要なポイント。樹木から取り出したリグニンは、相手を尊重する工業素材となります。

注1/木粉を包む薬品を選ぶことでリサイクル設計ができる。
注2/この分離作業は、超音波エネルギーを使うと5分ぐらいに短縮できる。




第6幕へ




イラスト:トム・ワトソン


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『ドボッケン』『弾丸レッシャー』「成長神話」から生まれた怪人



木版画という手法を使い、風刺のきいた作品を発表してきた風間サチコさんの原点は幼稚園までさかのぼる。年長組の頃から小学校を卒業するまで、風間さんはお絵描き教室に通っていた。

「教室では『海の中で息ができたら?』とか『動物としゃべれたら?』という大喜利的なお題に合わせて絵を描いたり、煮干しを1匹ずつ配られてスケッチしたりしました」

煮干しは、サイケデリックに描いたところ褒められたが、人の作品の影響を受けて描いたものだったので、後ろめたくて素直には喜べなかったそうだ。

「喘息にかこつけて3分の1しか登校しなかった」という中学時代は、はやりのアクリル画に飛びついた。定時制高校に通っていた頃は、話題のゴスロリ服を自分でつくってみた。

「ミーハーなところもある」と自身も認める風間さんは、専門学校で木版画を学ぶと、時代や流行を巧みにとらえながらも、その滑稽さをどこかでおもしろがっているような作品を制作し始めた。

25歳で開いた初の個展ではモデルハウスを描いた。

「まだ終身雇用、一億総中流というものが信じられていた1998年、その象徴でもあるモデルハウスを木版画にしたら何とも陰気な風景画になりました」

高度成長期の「成長神話」をテーマにした個展も開いた。建物の屋根など、身近なもののシルエットを右肩上がりの棒グラフになぞらえた。その延長で興味をもったのが「日本列島改造論」を唱えた田中角栄だった。「新婚旅行を兼ねて新潟の田中角榮記念館に行き、彼の著書『日本列島改造論』も読み込みました」

その結果、生まれたのが「列島改造人間」シリーズだ。氏が力を注いだ国土開発や上越新幹線を擬人化し、「ドボッケン」「弾丸レッシャー」といった怪人として描いた。


印刷用右満鉄人

『汽笛一声(満鉄人現る)』 2007/木版画/180×120cm
©2007 Sachiko Kazama Courtesy of Mujin-to Production Tokyo








戦争をテーマに『風雲13号地』 平成を振り返る『くるくる総理(コドモの国)』




くるくる総理

『くるくる総理(こどもの国)』
2010/木版画/53×38cm
© 2010 Sachiko Kazama Courtesy of Mujin-to
Production, Tokyo




やがて、「過去の見たくない史実をも自分なりに解釈して作品化したい」との思いから、テーマは「戦争」へと広がっていく。しかし、「戦争への怒りを現代にもつながるかたちで木版画にうまく落とし込めない」と悩む時期がしばらく続いた。

戦争の要素をとり入れて初めて大々的につくったのは、東京・お台場の風景を軍艦に見立てた『風雲13号地』という作品だった。

「フジテレビやテレコムセンターなどの、どこかパビリオン的な建物が戦艦大和の上にひしめき合い、幽霊船のように東京湾を漂っている。その景色の不自然さを表現しました」

そして今年は、日本生まれのアメリカ人、リンダ・ホーグランド監督が1960年の安保闘争をテーマに制作した映画『ANPO』にも出演。映画には、満州事変から太平洋戦争終結までの「十五年戦争」の始まりと終わりを描いた作品も登場した。

一つは『汽笛一声(満鉄人現る)』。1928年、中国の軍人が満州へと向かう途中、列車を爆破され、暗殺された張作霖爆殺事件をモチーフにした作品だ。

もう一つは『危うし60階(奇襲するプリズン・ス・ガモー)』。「罪」と書いた編み笠をかぶった巨人が東京・池袋のサンシャイン60を破壊する。ここにはかつて、東京裁判の戦犯が収監された巣鴨プリズンがあった。安保闘争に参加した父をもつ風間さんだが、親世代とはまた別の視点から戦争を見つめている。

風間さんはまた、戦前・戦中に開かれた博覧会の絵葉書コレクターでもある。「当時のパビリオンは軍艦やミサイルを模したものなど、外観だけで内容のわかるものが多いんです」。これを現代に置きかえて、平成の出来事を振り返る博覧会風に仕立てたのが、10月7日から11月27日まで開催されている個展『平成博2010』だ。

たとえば『くるくる総理(コドモの国)』では、見覚えのある総理大臣の似顔絵が観覧車となって、めまぐるしく回る。国会議事堂に設置されたすべり台が任期の短さを物語っている。『ふるさと創生館』では、ふるさと創生事業によってばらまかれたお金が各地にもたらしたハコモノをユーモアたっぷりに描いている。

「いさかいや戦争は、上から目線で独善的にものを言うところから始まる。だからこそ私はフィクションや冗談をまじえながら、自分なりに解釈した〝現実〟をこれからも表現していきたいと思います」
(香月真理子)




かざま・さちこ
1972年東京都生まれ。一貫して、日本の今と、今を形成した歴史を、木版画によって独自に検証。一版では表現の難しいグレーグラデーションという中間色を版画に用いることにより、善悪ではわりきれない人間の感情や、あいまいな社会の状況、そして白黒つかない過去の記憶と記録を表現。2006年岡本太郎記念現代美術大賞優秀賞受賞。現在都内2カ所で個展開催中。








(2010年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第155号より)


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(2006年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第60号 [特集 ナチュラルに美しく 生き方大転換]より)





「リグニン」の秘密、その見えない設計図を読む



地球の陸地をおおうほど繁茂するようになった樹木は、生態系を守りながら長い歴史を生きてきました。彼らにそれができた秘密は何だったのでしょうか?

樹木の細胞は糖類とリグニンの二つからできていて、リグニンと糖類は1対2か、1対3ぐらいの比率です。そしてリグニンは樹木が立てるような強度をつくり、同時に樹木を微生物から守ってきました。

このリグニンには、どのような設計図が書き込まれているのでしょうか? さらに、小さな分子の世界へと踏み込んでみることにしましょう。





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上図はリグニンの分子構造の一例です。専門的にいうと、亀の甲(ベンゼン環/注1)をたくさん持っています。

そこにメトキシル基(—OCH3/以下、メトル君と呼びます/注2)というものがついています。けれど、不思議なことに、それがなぜついているのか、これまでまったくわかりませんでした。このメトル君は、もともとは活性であった構造を、わざと働けないように手にキャップをつけて、ブロック状態にされているのです。




では、メトル君は必要のないものなのでしょうか?

人間は、目に見える形、地上に立っている樹木の形を主役だと思ってしまいがちです。

植物は地球の生命をつくり上げた一つのシステムでした。植物によって地球の大気のバランスが保たれてきたのです。そんな歴史を持つ植物が、今も昔もリグニンを持っているのは、人間の目からは必要ないように見えても、地球上のシステムには必要だったからです。地上で立っている間はまったく働かず、用なしのメトル君なのですが、実は、樹木が倒れた後に土壌の中でキャップをはずして大変身し、仕事をします。




どのような仕事をするのでしょうか?

地上での樹木は、水に溶けた窒素、リン、カリ、マグネシウムなどの栄養分を吸い上げています。しかし、雨が降ると、水に溶ける栄養分は土壌から抜けて流れ出てしまいます。そのとき、メトル君は起き上がります。キャップをはずし活性となったメトル君は、その両手で栄養分をしっかりつかみ、水に溶けて流れないようにするのです。そして時が来ればそれを少しずつ離します。すると樹木はそれを少しずつ水と一緒に吸い上げるというわけです。

地上の樹木のために、土壌の中の栄養分をその場所にキープし、徐々に栄養物を放していく…。土壌の中で、メトル君は実にしっかりと働いているのでした。




このように、リグニンは、樹木が朽ちて腐食し、最後にCO2となって大気などに戻るまで百年から千年単位の長い期間、メトル君の活躍によって土壌の中で活動し続けるのです。

これが、樹木が生態系の中で「持続性を持つ」秘密であり、樹木の基本設計です。

このようなリグニンの働きによって、樹木は全生物の母のように、生物が生きていく生態系を整えていったのです。




注1/ベンゼン環は化学工業に必要なもの。現在は石油からしか取り出していないが、リグニンからも取り出せる。
注2/メトキシル基と呼ばれる置換基。活性な構造(OH)が、キャップ(CH3)によってブロックされた構造を持ち、不活性。




第5幕へ




イラスト:トム・ワトソン


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