食べ物を“官能評価”精度を上げる言葉の研究



シャキシャキ、ホクホク、カリカリなど、日本語は食感や食べる音を表現する言葉が豊かだ。そんな表現を用いて食品を分析する早川文代さんの研究とは?







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(早川文代さん)




445語ある、食感を表す日本語



長さや時間、重さなら正確に測ることができる。けれど、味覚のような感覚や朝の空気のさわやかさのような情緒的経験は計測し数値化できない。そこで登場するのが、「官能評価」だ。

早川文代さんは、目や鼻、舌、指先などの感覚を使って対象物の性質を測定する「官能評価」によって食品を分析する研究に従事している。たとえば、ここに某メーカーから持ち込まれた市販の肉シュウマイがある。これを「ぼってり感」「具全体のうま味」「ジューシー感」「皮のべちゃべちゃ感」など19項目にわたって評価するのだ。

評価するのは、鋭敏な感覚をもつ評価員である。五感の試験をパスし、対象物から受けた感覚を数値で示せるように訓練された人たちだ。彼らが出した測定数値は早川さんによって分析され、品質管理や商品開発などに役立てられている。

「難しいのは言葉の選び方。シュウマイなら、『ジューシー感』と『水っぽさ』の違いがわからないと評価はできません」

日本語に食感を表す用語は全部で445語ある。「食品研究者へのアンケートやディスカッションによって定められたものですが、英語は77語、中国語は144語、フランス語でも227語しかありません。日本語の数が多いのは、たとえば『シャクシャク』と『シャキシャキ』を緻密に分けて考える国民性によるところも大きいかもしれません」と早川さんはみている。

日本語には①擬音語・擬態語、②粘りの表現、③弾力を表す表現が多いといった特徴があり、これらは日本人の食生活を知るヒントにもなる。著書『食語のひととき』『食べる日本語』には、このような言葉をめぐるエピソードがいくつも紹介されている。言葉自体の研究を重ね、より厳密に「官能評価」を行う方法を開発するのも早川さんの仕事なのだ。




ぷにぷに、ふるふる、平成に入って激変する言葉



食生活の変化に伴い、日本語も変化しつつある。「40年くらい前の調査で使われていた『粘い』という表現もすっかり聞かなくなりました。『カサカサ』『スカスカ』という表現も若い人は、食感表現にはあまり使いません。食材の生産・流通にかかわる技術の進歩で、そういう食べ物に当たる機会が少なくなったからでしょう」

「おいしい」を意味する褒め言葉が「甘い」や「口の中で溶ける」に集約されてきたのも、最近の食嗜好の表れといえる。

「ちょっと前の流行語ですが、若い人たちはおいしいことを『やばい』と言い、そうでもないものを『微妙』と表現していました。食品メーカーもレストランも、よそとの差別化に努力し、あらゆる工夫を凝らしているのに、全部『やばい』でおしまいだったら寂しいですね」

一方で、新しい擬音語・擬態語もどんどん増えている。「『ぷにぷに』なんかは最近できた言葉ではないでしょうか。他にも、『ぷるぷる』で表しきれないような軟らかさを表現するために『ふるふる』が使われるようになりました。でも、『ぷにぷに』にしろ、『ふるふる』にしろ、こういう表現を使わない高齢の方でも、聞けば、音の感覚から食感の想像がつきます。みんなの中に共通の認識をもちやすいという意味では、擬音語・擬態語の多い日本語はとても便利な言語だと思います」

言葉は生き物なので変化するのは当たり前。そう受け止めてきた早川さんだが、変化するスピードの速さに驚きを隠せない時もある。

「たとえば『まったり』という言葉は、欠けているところがないという意味の『全い』からきた御所言葉。まろやかで深みのある味が、ゆっくり広がる様子をいいました。それが90年代頃から、濃厚でこってりしたクリームなどを表すようになり、ファミレスでくつろぐ時にも使われるようになりました。京都でも年配の方は昔の使い方をしますが、若い人たちは流行語の使い方をします。千年以上も続いてきた言葉が平成に入って、瞬く間に変わろうとしているのです」

早川さんは「官能評価」の精度を上げるために、これからも言葉の研究を続けていくつもりだ。

「官能評価を通して、より安全でおいしい食べ物づくりに貢献し、日本人の食生活について考えるきっかけを提供していきたい。言葉と食べ物と人の関係を分析することで、よりハッピーな食生活を結実させるプロセスにかかわっていけたら、うれしいです」

(香月真理子)
本人Photo:横関一浩




はやかわ・ふみよ
独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所 主任研究員。お茶の水女子大学大学院修了。博士(学術)。同大学院助手等を経て現職。食品の性質を人間の舌や鼻や指を使った手法で分析・評価するかたわら、食品の特徴を描写する言葉の研究にも従事している。おもな著書に『食語のひととき』『食べる日本語』(共に毎日新聞社)。











(2010年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第150号より)


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Genpatsu

(2012年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第189号より)





大飯原発をめぐって緊張した状況が続いている。一日も早く運転を再開したい電力会社に対して、大事故を心配する市民がぶつかっている。何よりも地元の人びとが不安でしかたない。

不安払拭のために、政府は1次と2次のストレステストを実施して運転再開へつなげようとした。そして、大飯原発の第1次のストレステストが終了し、原子力安全・保安院のチェック、原子力委員会のチェックなど手続きを終えた。しかし、班目春樹原子力安全委員長は「1次テストだけでは安全とは言えない」と記者会見で述べている。テストを承認する会合は傍聴者を閉め出して行われた。運転再開へここまで強引に進める理由は説明されていない。

グリーンピース・ジャパンが26日に公表したアンケート調査によれば、78パーセントの人が心配だとしている。また、再稼働前に放射能汚染の被害を知りたいと93パーセントが答えている(参考)。

政府は自治体へ再開了承を「お願い」するという。「お願い」で安全が保証されるわけでもない。西川一誠福井県知事は、福島原発事故の反省を反映したより厳しい安全基準で確認することを求めている。安全を判断する基準はまだ示されていない。また、河瀬一治敦賀市長は新たに発足する原子力規制庁による判断が必要だと述べている。原子力規制庁は4月1日から始まる予定だったが、大幅に遅れることは必至だ。

巷では、運転再開へ世論を導こうと、原発が止まり続けると電力が足りなくなるといった宣伝が繰り返されている。果たしてこの夏は停電となるのか? 環境エネルギー政策研究所は電力各社一つひとつを検討して、少しの工夫をすれば電気は足りることを明らかにした(PDF)。

原発依存度が高いといわれる関西電力でも、足りている。火力発電所をその分、活用するので燃料費がかさみ、電気料金が上がるという脅しもある。運転再開を考えると、原発を止めていても維持費がかかるからだ。値上げになるかもしれないという、その前に万策尽くした証しが必要だ。

しかし、きちんと電力消費を下げる努力を私たちがすれば、電力会社も事業所も家計も助かり一挙両得ではないか。安全が保証されない原発を動かして大事故でも起これば、関西電力だけでなく日本が潰れる。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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(2011年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第181号より「ともに生きよう!東日本 レポート17」)






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ケージに入れられた犬たち。福島市飯野町の保護シェルターにて

被災地福島の犬猫たち、飼い主と離れシェルターで越年へ



東京電力福島第一原発事故に伴い、被災したペットたちの〝受難〟が続いている。半径20キロ圏内の「警戒区域」で保護されたペットは、福島県と福島県獣医師会などによる福島県動物救護本部が県内2ヵ所にシェルターを設置し、一時預かりをしている。

市民からの義援金をもとに、犬210匹、猫70匹、合わせて約280匹が2つのシェルターで飼育されているが、毎日のえさやりやトイレ掃除、散歩などはボランティアにより支えられている。




その一つ、福島市飯野町のシェルターを訪ねた。犬の保護スペースに入ると、一斉に鳴き声が響いた。一匹ずつケージに入れられ、人が近づくと警戒して吠えたり、様子を探ろうと鼻を近づけたりする。

「保護直後は、病気やけが、寄生虫などで体調を崩した犬が多い。ワクチンや虫下しなどを与えた後、2週間は隔離室で様子を見ますが、『この子たちも震災の犠牲者だなぁ』と思います」と、犬担当チーフの栗原泉さん。




県は保護した被災動物の殺処分は行わない方針で、飼い主が不明だったり譲渡可能な犬猫は、ホームページに写真入りで掲載し、希望者に引き取ってもらっている。子犬や子猫はほとんど飼い主が決まっていく。その一方で、飼い主がわかっていても引き取られない犬猫が7~8割を占める。このままでは数百匹の犬猫の滞在が長期化しシェルターで年を越しそうな状況だ。

警戒区域の指定解除の見通しが立たないなか、引き取れない主な理由は「借り上げ住宅では飼えない」「家族の状況や仕事で動物の世話ができない」など。福島県食品衛生課の大島正敏課長は「被災した他県ではシェルター縮小や閉鎖になっているのに、福島の見通しは立っていない」と、保護動物の現状を説明する。

避難先でペットが飼えない問題を解決しようと、県は各市町村に、仮設住宅や公営住宅でのペット同居に向けた入居条件緩和を求める通知を2度出した。通知書には、新潟県中越地震で仮設住宅での動物同居は問題がなかったことも明記された。そのことも功を奏し、ペット同居は進んだが、民間の借り上げ住宅では依然として難しい状況にある。

(文と写真 藍原寛子)
 
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70号人生相談イラスト


 


無責任で無能な上司に困っています


 



Q: 広告制作会社にて働いています。
僕が所属する部署には、二人の上司と外部の顧問が一人います。
仕事で彼らにお伺いをたてねばならないことが多々あるのですが、彼らの回答は常に三者三様。
ちなみに彼らの指示通りに仕事を進めると、別の部署から怒られることもよくあります。
そんな時、彼らは僕に責任を押しつけるだけ。
自らの発言に責任を持たず仕事のできない上司だらけの職場でうまくやっていくためには、どうすればよいでしょうか?
(会社員/男性/27歳)



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大学生と語る恋愛とDVのグレーゾーン




DVは、特別な男女間のトラブルではない。ケータイの覗き見や強い束縛意識、セックスの強要など…。その種のことはどんな恋愛の中にも潜んでいる。お互いの恋愛経験を話し合って自らの恋愛観を見つけるプロジェクト「恋愛ism」(注)。メンバーの立命館大学産業社会学部の大学生ら5人と、恋愛と暴力の間の微妙なグレーゾーンを語り合う。


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愛情か?束縛か?1日250回のメール、盗み見、アドレス消去の強制…


 
A子さんの元カレは、詮索好きだった。例えば、元カレのメールは、こんな風。「今、何してる?」「家でボッーとしてた」「ボッーとって? 何それ?」。そんなやりとりから始まって、「今日は何時に寝るの?」「明日の授業は何限目から?」「あき時間は?あき時間は一緒にいよう」と続く。常に何かを問われている感じ。どうして、なんでもかんでも私のことが気になるのか?「監視されてる感じだった」


B子さんは、彼氏のケータイが気になってしょうがない時期があった。デート中の彼氏のメール打ち、男性名で登録されている元カノのアドレス…。「ケータイ見せて」と追及して口論になり、黙って盗み見ては怪しいメールに疑心を抱いた。「わざわざヤマシイことばかり探してる」と責められた。


ケータイは、今や恋愛には欠かせない必需品。それゆえ、過度の束縛、喧嘩・トラブルのもととなり、時として相手への支配・コントロールのツールにもなってしまう。特に5人全員が指摘したのは、高校時代のメール。「友達も含めて、メールは30分に1回が普通」「彼氏アリの女の子と親密になって、1日250回やりとりした」「返信しなきゃという強迫観念で、高校の時はヤバかった」


一般的には、相手のケータイを盗み見る、異性のアドレスを消去させるなどの行為は、デートDVに数えられる。嫉妬、支配が行き過ぎると、深刻な暴力へと発展するケースもあるとされる。ケータイが誘発するカップル間の束縛やDVを研究する大学院生のC子さんは、彼女に男性アドレスを消去させたり、行動範囲を制限したり、ありもしない元カレとの関係を詮索して暴力をふるうケースを、よく耳にする。「ケータイはレスの早い人の方が基準になるから、遅い方に対して早い方の怒りや不安を誘発しやすい。ケータイがなければ、行き過ぎた束縛や深刻な事態に至らなかったケースもあるのでは」と考える。


「仕留めた!」男の心理と、つい言ってしまった「それでも男?」



ケータイに限らず、束縛や男女間のすれ違いは、恋愛にはつきもの。D君は、休日にひとりの時間を過ごしたいと彼女に言うと、露骨に暗い顔をされて、「どうして?」と思う。他にも、「異性がいるグループで遊びに行って、彼氏に事後報告したら、別れようと言われた」「大学で女友達と歩いているのを彼女に見られる度に、彼女が『あの子誰?』と周囲に聞いて回った」など、交際していても、相手とずっとべったりいたい人と適度にお互いの時間を持ちたい人とでは、距離のとり方がズレる。特に、つき合い始めやセックスをする親密な関係になった後では、人によって期待するものが違ってくる。これまでの交際最長記録が3ヶ月というE君は、「つき合い始めると、あとはどんどんテンションが下がる」。「楽しいのはつき合うまでのプロセス。うまくいった時は、“仕留めた”という感覚」と言う。恋愛は、基本的に自分ペース。「コミュニケーションとして彼女を普通に叩いたりする」

言葉にしにくいセックスでも、「したくないのに、嫌と言えずにしてしまった女の子の相談はよく受ける」「彼氏に拒まれると、惨めになって、『それでも男?』と暴言を吐いてしまった」など、カップル間でも意外とすれ違いが多いようだ。B子さんは、「基本的に彼氏にひっぱってもらいたいと思っている女の子が、完全にマイペースの男性を好きになると、何でも許してしまうことはあるかも」と言う。また、別れ話の時には、逆上した男性の暴力や女性のリストカット、女性間のトラブルなど、かなり過激になるケースも。

恋愛は、好きな相手との幸福な時間がある一方で、人格を傷つけ合うような喧嘩や束縛など、ネガティブの面も併せ持つ。そこに深刻なDVにつながる種も潜む。恋愛と暴力の間のグレーゾーンを、どう見極め、相手との距離をどう取るのか。「恋愛ism」を指導する斎藤真緒助教授は言う。「ケータイの覗き見や過度の束縛を、一つひとつDVと言い出すと、恋愛が息苦しくなる。それよりも自分の失敗や恋愛観などをいろいろな人と語り合う中で、自分の恋愛タイプに気づき、異性との距離の取り方を学び、セルフマネージメント力を身につけることが無用な暴力を防ぐことにつながる」

(稗田和博)


(注)取材協力:「恋愛ism」プロジェクト「地域における女性に対する暴力の予防啓発に関する調査研究(内閣府補助事業)」



(2006年8月15日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第55号 特集「愛と暴力の狭間で—D.V.(ドメスティック・バイオレンス)からの出口はある」より)

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ビッグイシューについて

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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊350円の雑誌を売ると半分以上の180円が彼らの収入となります。


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Genpatsu

(2012年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第188号より)





「原発いらない! 3・11福島県民大集会 -- 安心して暮らせる福島をとりもどそう --」が郡山市の開成山野球場で開催された。

呼びかけ人には福島県女性団体連絡協議会、県森林組合連合会、生活協同組合連合会、県農業協同組合中央会、県漁業協同組合連合会など、各界各層の方が名を連ねたことが、事故前と大きく異なる。

この鎮魂の日、曇り空で冷たい風にもかかわらず1万6千人の参加者は、加藤登紀子さんのコンサートに踊り、大江健三郎さんの話に耳を澄まし、被災した人々の話に涙を流した。

会場の放射線量は毎時0・5マイクロシーベルトと、事故前より1桁高い値を示していた。内野側スタンドが満杯になったため外野側スタンドを開放したが、その折に、放射能が気になる人は行かないようにアナウンスが行われた。ここでは、放射能と折り合いをつけながら生きていかなくてはならないのだ。

「福島を生きる」(和合亮一さんの詩)とはそういう意味だったろう。「『原発いらない』は福島県民の痛恨の叫び、全国へ伝えていきたい」(清水修二さん、福島大学副学長)のメッセージに拍手が沸いた。「一日でもはやく漁を再開し活気ある市場を取り戻したい」(相馬の女性漁業従事者)、「サッカーがしたくて富岡高校に入り寮生活をしながらがんばっていたが、原発事故がすべて吹っ飛ばした、私たちの将来を考えてほしい」(女子高生)、「9ヵ所を点々と避難した、先の戦争のあと大陸から引き揚げてきたが国策で2度も棄民にさせられた」(仮設住宅に住む元浪江の主婦)。被災した方々の訴えは涙なしには聞けなかった。

ある帰村した人は「福島県を見捨てた人がどうして戻ったのか」と言われたという。福島県民は見捨てられたという思いが、時に卑屈になり差別意識となって複雑な人々の心境をつくっている。

大江健三郎さんは「ある日全国の学校の校庭で先生や生徒が、日本政府は昨夜原発から撤退することを決めました、もう絶対に原発事故は起こりません、とみんなに言う、そんな日がくることを想像している」と締めくくった。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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Jinseisoudan


怒りっぽい性格を直して、温和な人づき合いができるようになりたい。



Q: 自分の性格のことで悩んでいます。
すごく怒りっぽい性格で、今までは家で家族にあたる程度だったのが、最近は我慢できずに友達にもあたってしまいます。
自分の言っていることが伝わらなかったり、適当な返答をされるとカッとなってパニックになってしまうようなのです。
みんなで遊びに行っている時に怒って帰ったこともあって、最近は友達からの誘いも減ったように思います。
どうすれば温和な人づき合いができるでしょうか。
(男性/20歳)



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(2011年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第174号より「ともに生きよう!東日本 レポート10」)






大野更紗 「困っているひと」があふれる被災地と日本社会を語る



福島県出身の大野更紗さんの本、『困ってるひと』が売れている。
ビルマ難民の支援活動をしていた2008年、
筋膜炎脂肪織炎症候群という突然の難病で「医療難民」となり、闘病生活に突入。
次々に直面する医療や福祉の課題に体当たりし、その現実を描き続けた『困ってるひと』。
大野さんに本のこと、フクシマのこと、そして日本社会について、インタビューした。






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(大野更紗さん。都内で。)




私は「日本の辺境」、おもしろい本が書きたかった




研究留学先のタイから身体を引きずるようにして帰国、検査でさまざまな病院を渡り歩いた後に都内の大学病院に入院。福祉や医療制度の谷間に突き落とされる現実、社会保障制度の不十分さを体験した。通院治療する道を選び、退院後に体験の執筆を始めた大野更紗。きっかけは何だったのだろう。

「辺境作家の高野秀行さんにポプラ社の現在の担当編集者さんを紹介していただき、ウェブマガジン『ポプラビーチ』で連載を始めました。私はずっと高野秀行さんの読者で、06年に講演会をお願いしたことがありました。通院治療を決めて準備していた頃、ラジオから高野さんの声が偶然流れてきました。1時間、未確認生物や怪獣の話をしていて『高野さん、まだこんなバカみたいなことをしてるんだ』とうれしくなりました。友人や社会と断絶した大変な時でしたが、高野さんが私の状況を聞いたら『日本の辺境だ』とおもしろがってくれるかもと思って。『何か書きたいんですけど、どうやったら物書きになれますか』とメールを打つと、翌日、リュックを背負って病院に探検に来てくれました。『とりあえず書いてみて』と言われ、原稿を送ったら、『あ、いいね、おもしろいね。これでいこう』と」

出版界では「闘病記」分類に入る『困ってるひと』。だが内容は「闘病記」というより「ノンフィクション」と「小説」の間の新ジャンルを拓いた感がある。

「高野さんには『闘病記じゃなくて、なんかおもしろい本を書きたいんですよね』って話しました。日本社会って本音と建前がかい離して、被害者や患者は美談か悲劇の中にしかいなくて、グレーゾーンや細部を描き出すことが少ない。そこを、エンターテインメントとして成立させたいと思いました」




本当の苦しさ、危機。外部者や援助者が立ち去ったあとに



隔週月曜日、原稿がウェブにアップされた瞬間から、ツイッターやメールで読者コメントが押し寄せた。回を重ねるごとにその数は増した。

「『おもしろい』って言ってもらえるのが一番うれしかった。読者と一緒に書いたという思い。一体感とグルーヴ感。『私もずっとそう思っていた』というのが一番多く、患者さんだけでなく、看護師さん、介護士さん、中には少ないけれど医師もいました。湧き上がってきたものをワーッと書いて。倒れかかって救急外来にかけこみながら書いたこともありました」

病名もつかない、治療方法もわからない、病院も見つからない状況からの治療開始。死が身近にある闘病生活と、厳しく苦しい内容も実は多い。実際に書いている時は、どんなことを考えていたのだろう。

「書きながら気づきもありました。『ああ、私、難民化しているな』とか。すると読者も一緒に『こりゃ難民だ』って思ってくれて。でも、ビルマ難民の研究していたことがはからずも功を奏したというか、援助を受ける当事者になっていた自分をどこか客観視していました。書きながらそういうプロセスを経て、根幹を問うていった感じかもしれません」

「(死を考えるなど)劇的な瞬間は実はそんなに重要ではなくて。本当に苦しいことは、その後の長い長い時間。外部者や援助者が現れ、でもいつしか去っていく。去った後に本当の危機が始まります。その点で、私は場面の細部を丁寧に書いていくことには気を配りました。それが大事なことだと思っています」

細部といえば、登場人物のキャラクターは実に奇異(いや個性的)だ。医師をはじめ、登場人物全員が、ある意味「困ってるひと」だ。

「患者やメディアの問題点もあるけれど、医師はあがめられるか、悪魔の手先のように恨まれる相手として扱われがちです。医療を絶対視しても、臨床にはスーパードクターなんていない。医師と患者は非対称な関係で、症例がない難病では依存関係にも陥る。でも、医師は福祉のことや、患者がどんな困難に直面するのかを知らない。人間だから当たり前なんですけどね」




どんな「くじ」を引いても、最低限普通に生きられる社会を



東日本大震災で原発事故が起き、避難を転々とする「原発難民」が生まれている。行政のサポートも薄く、「困ってるひと」が大量発生しかけている。

「大震災をはじめ、貧困、障害、セクシャル・マイノリティ、エスニシティ、あらゆる社会問題があって、実は、みんなが困っている人。ところが、それぞれが断層化して『ムラ化』している。ラベリングされて、コミュニケーションが成立しない構造だったり、当事者同士が対立してパイの争いをしている。そんな中で言葉の使い手が協働して現実をつくることが問われている。書くことで、その閉塞感や断層を突き通したいという感じもありました。私は人生について『くじを引く』という表現をしていますが、人間は生まれてから死ぬまで、ずっと強者、あるいはずっと弱者ではない。ただ、一人の人がどのくじを引こうが、最低限普通に生きていける社会の方が、みんなが気持ちよく生活していけるのではないかと思っています。この本が『生きていれば、普通にいろんなことがあるよね』というフラットな議論の場になってくれたらという思いもありました」

彼女の原点の一つになったビルマのことは、次のように話す。

「ビルマに惹かれたのはアウンサン・スーチーさんのこともありましたね。彼女の思想はいろんな解釈の仕方がありますが、徹底した実践家でもあります。失望も悲観もせず、ただ実践を積み重ねる。大変だけど、でもそういう人が出てきて、ちょっとずつ変わっていく。社会がすぐ変わる正解のようなものはたぶんアブナくて、正義とか愛とか、ぱっと寄り添いたくなるようなことを言うのは簡単ですが、たぶん一番ヤバい。自分の生活者としての感覚を大事に、時間をかけて実践する。今、言葉が上滑りする状況が続いていますが、身体的な言葉、日常感覚に届く言葉を探しています」

故郷福島を含む東日本を襲った大震災をめぐる現状は、大野にはどう映って見えているのだろうか。

「情報の路線整理ができていない。どう対処したらいいかわからないけれど、当面はここで暮らすという状況。除染とか放射線防護とか、生活の中で具体的に対処するための情報が必要だと思う。メディアは震災直後から、原発や抽象的な悪を暴くことにわりと終始しているけれど、経過する時間の中で個々の命を守るための具体的な議論がなされないのが現実。センセーショナルに物事を美談として切り取ることを繰り返して、被災者が言葉を発せられる状態になっていないのは深刻です」

生活者として文章を書く。それが一歩一歩の実践だと言う大野。今も、この一瞬も、痛みと闘っている大野。大量の痛み止めも「役立たず」な中、文字通り身を削り取るように書く。一文字一文字がそんな身体の痛みから生み出されている。

「基本的に昏睡してるか、書いてるか、本や資料を読んでいるか。大変なんですけど、こんな人生もあるのかと、ちょっと自分で自分を笑うというか。すごく大変なくじを引いたんだけど、でも最近は大変だとか悲劇だとかは思わなくなりました。日本社会の奥底を歩く、毎日が旅のような感じですかね」(本文敬称略)




(藍原寛子)

福島市生まれ。ジャーナリスト。大野更紗さんとは、同じアジア研究プログラムの仲間。





大野更紗
福島県生まれ。作家。上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程休学中。08年、自己免疫疾患系の難病を発病、都内で在宅通院により闘病生活を送る。
ブログ
ツイッター

「困っている人」はウェブ連載中から話題を集め、出版後は4万部を超す話題作。



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(2006年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第60号 [特集 ナチュラルに美しく 生き方大転換]より)




P18


未来のストックをつくる人たち 



植物がその体内に持っているリグニンと糖を資源としてうまく使うことが、地球温暖化を食い止める力になります。また、間伐材が放置されるなどの問題を抱えている林業、枯渇しつつある石油を材料として製品を作っている化学工業にとって、リグニンと糖は魔法の薬となります。


P18 プラント
(三重大学の植物資源変換システムプラント)

2001年、三重大学に、実験室だけではなく、大規模にリグニンと糖の分離ができる、植物資源変換システムプラントが生まれました。これで事業化への第一歩が開かれたのです。




リグニンと糖を資源として使う「持続的な工業ネットワーク」を成立させる主役は、林業、木材工業、分子分離工業、植物系分子素材工業、精密化学工業の、それぞれの分野で働く人たちです。このネットワークは、きれいにつながったシステムであり、どれか一つが欠けたり途切れたりしても、無効になります。

CO2の循環の旅で学んだとおり、私たちにもできることがあります。一人ひとりが植物資源から作られた製品を使うと同時に、リグニンや糖を含む古家具や新聞紙などを、植物資源として大切に扱うということです。

一人ひとりが、あるいは、工業ネットワークの分野の一つでも自分の役割を放棄した瞬間、CO2の流れはストップして、CO2は大気中へ戻っていってしまいます。

「植物系分子素材工業」を成立させるために、すでに行動を起こしている人たちがいます。事業化を通して、そんな未来をストックする人たちの一例をご紹介しましょう。




岡山県真庭市の企業では、木くずを木粉にして木質プラスチックの原料などにして販売しています。木粉の生産量は、年間約300立方メートル。分子分離工業、植物系分子素材工業が登場すればいつでも対応できるように、木粉をストックしています。

また、林野庁の事業として約20の企業がコンソーシアムをつくり、2003年、北九州エコタウンにリグニン分離製造実験プラントを完成させました。ここでは1ヶ月に10トンの木粉を処理しリグノフェノールを2トン取り出すことができます。

さらに、トヨタ車体では自動車のボディパネルや内装材に、愛知県小牧市の企業ではリグパル(木質材)の製造や接着剤の開発に着手しています。




今、石油を必要としなくなる持続型の工業のかたちが、はっきりと見え始めました。それをまず実現するのは、石油のない国、日本の私たちなのです。

(水越洋子)

photos:中西真誠




SPECIAL THANKS

共同企画と監修: 舩岡正光さん(三重大学大学院生物資源学研究科教授)
相分離系変換システムの取材と実験協力: 青柳充さん(舩岡研究室研究員)
相分離系変換システムの実験協力: 三重大学大学院生/科野孝典さん/米倉聡子さん
取材協力: 前田美代子さん(三重大学舩岡研究プロジェクト秘書)
参考文献: 『緑のループ』/「緑のループ」編集委員会+船岡研究室/森の風プロジェクト 





P18 船岡教授


舩岡 正光(ふなおか・まさみつ)

三重大学大学院生物資源学研究科教授。農学博士。三重大学助手・助教授を経て、1987〜88年ミシガン工科大学客員教授、90〜91年ニューヨーク州立大学客員教授、02年ドイツ森林資源研究所客員教授。専門は資源環境化学、リグノセルロース変換工学。04年日経地球環境技術賞受賞。




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