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アメリカン・ドリームの終焉



アンドレイさんがアメリカに来てから数年の月日が流れた。ある日の晴れた午後、24歳になったばかりのアンドレイさんが庭でビールを飲んでいたら、警察が2人家宅捜索にきた。

アンドレイさんは警察がきた時に、会社側から予め準備されていた書類を警察に見せたが、彼等は普通警察でなく、国境警察だった。国境警察が書類に記載してある幾つかの会社に電話して、書類確認をしたところ、偽造書類だということが判明し、アンドレイさんとチームメンバーは否応無しに手錠をかけられてしまった。




国境警察の話によると、数日前、一緒に暮らしているチームメンバーのひとりが小売店で靴下を盗んで、警察につかまったそうだ。その時に「ぼくたちはリトアニアから送られて、現在奴隷としてアメリカのスーパーマーケットで掃除員として働かされています。今すぐ国に帰りたいので、どうか助けて下さい。」と警察に訴えたそうだ。

しかし、その万引きした男は、その日はそのまま家に帰れと釈放されたので、その男は警察が助けてくれないことに失望し、そのまま家に帰ったそうだ。しかしその男は警察に捕まったことを一緒に暮らしているチームの誰にも言わなかった。それは今思えば、警察のおとり捜査で、国境警察がアンドレイさんたちの家にきたのは、その出来事からわずか数日後のことだった。

アンドレイさんは他のチームメンバーと一緒に、そのまま入国管理局刑務所に送還された。




刑務所での生活



入国管理局刑務所は、シャワーのない15人1室の狭い簡素な部屋だった。連れてこられた全員が一斉に服を脱がされて、身体を隅から隅まで検査された。再び長時間に渡る事情聴取が行なわれ、すぐに裁判の手続きが手配された。

アンドレイさんとチームメンバーたちは、他の犯罪者とは隔離され、仲間と一緒の部屋に入れられた。それから2週間後、ミシガン州のモンロー・カントリー刑務所(Monroe County Jail)に移送された。

モンロー・カントリー刑務所には、二つの大部屋があり、その一つは90人1室の規模で、違法・不法労働問題関係で逮捕された人ばかり集められていた。

刑務所での生活は禁酒・禁煙、お茶さえも部屋に持ち込めず、さらにお茶を飲む時に、砂糖を摂取することも禁止されており、ベッドに家族の写真を飾ることさえも禁止されていた。アメリカでの刑務所生活は、いわゆるアメリカの映画に出てくるような自由なイメージとは、かなりほど遠いものだった。

アンドレイさんとチームメンバーは、ここでいつ通達が来るかわからない裁判の日を、じっと待ち続けた。





裁判と強制送還



モンロー・カントリー刑務所に入所してから約1ヶ月の月日が流れた。待ちに待った裁判の当日、フロリダ州からやってきたという裁判官に、アンドレイさんはこれまでのいきさつを正直に説明。判決では、アンドレイさんたちの過失責任が問われることはなく、リトアニアへの強制送還が決定した。

アンドレイさんが裁判を待っていた間、友人や両親が刑務所に4回、小切手で送金してくれたが、刑務所にいる間は一切受け取ることはできなかった。 そして「君は5年間のビザがあるから、まだ頑張ればアメリカに帰って来れるチャンスがあるだろう。」と、刑務官に言われていたが、今回の判決で、10年間のアメリカへの出入国禁止が言い渡された。

裁判で判決が出た後も、さらに約1ヶ月、強制送還されるのを刑務所で待つ日々が続いた。

刑務所での唯一の娯楽は、段ボール箱2個に無造作に入った古い映画のビデオテープだった。何度も何度も繰り返し同じ映画を見ていたので、映画によっては、テープが伸びきってしまっているものもあった。




ある日、いつものように皆で映画を見終わって、テープが巻き戻っている時、偶然CNNに繋がり、大都市の大きなビルに、飛行機が突っ込んでいる映像が数秒間見えた。刑務所にいた全員がその映像を見ており、皆口々に「アメリカで戦争が始まった」「戦争の相手はどこだ」と大騒ぎになったが、刑務官に何が起こったのかを尋ねても、無言のままで何も答えてくれなかった。

CNNの衝撃的な映像を見た2日後の早朝、突然、強制送還が言い渡され、今日中に刑務所を出ることになった。アメリカ2カ所で、合計2ヶ月半ほどの刑務所生活だった。刑務所を出所する朝、刑務官から食費として150ドルずつと、アンドレイさんの友人と両親が送ってくれた4つの小切手も返却された。




朝食の後、すぐに手錠をかけられ、護送車に乗せられ、 刑務所からデトロイトの空港に到着した。手錠を隠そうという刑務官の配慮で、手元に白い布をかけられていたが、それがかえって人々の注目をあびているような気がしてならなかった。いつの間にかどこからか報道陣が集ってきて、映像や写真を撮られた。

着席するまでは手錠をかけられたままだったので、機内にいた大半の人が「テロリストのいる飛行機には乗れないからをキャンセルしたい」と口々に叫んでいた。乗客はアンドレイさんたちの搭乗拒否を訴えたが、それが無理だとわかると、突然大声で泣き出す人や、飛行機から無理矢理降りて、航空券をキャンセルする人が後を絶たなかった。

アンドレイさんたちは、自分たちがテロリストと間違われるなんて心外だと思っていたが、この日が2001年9月11日の、アメリカ同時多発テロ事件の2日後だったと知ったのは、リトアニアに到着してからのことだった。

約半数の人たちが飛行機をキャンセルしたようだった。いっぱいだった機内はがらんとしていた。アンドレイさんたちへのアルコールの提供は禁止されていたようで、アンドレイさんがキャビンアテンダントにアルコールを頼んでも断られた。乗り継ぎのためにデトロイトからアムステルダムに到着し、飛行機を降りようとした時、先ほどのキャビンアテンダントが、たくさんのアルコールとお菓子や食べ物をいっぱい詰めた袋をアンドレイさんにそっと手渡してくれた。

アムステルダムからリトアニアへの乗り継ぎに、4−5時間の待ち時間があったので、キャビンアテンダントから貰った食べ物を好きなだけ食べて、しばらくぶりのアルコールを飲んで、ほろ酔い気分になった。アンドレイさんは一緒にいたチームメンバーと、長年夢見ていていた自由を満喫し、久しぶりに冗談を言い合い、大声で笑った。




アムステルダムからリトアニアまでの帰途の飛行機は、ビジネスクラスだった。

ビジネスクラスにはアンドレイさんたちを除くと、スーツを着たビジネスマン風の男が2−3人いただけだった。初めて乗るビジネスクラスに心が躍った。キャビンアテンダントからも、他のビジネスマンの身なりとは違い、着の身着のままの格好なのに、いつもよりも丁寧に扱われているような気がして悪い心地はしなかった。

ビジネスクラスに乗るなんて、一生に一回のことかもしれないから、この状況をより楽しみたいと思ったアンドレイさんは、キャビンアテンダントにわざとビジネスマン風の英語で話かけてみた。美しいキャビンアテンダントが満面の笑みで、英語で応対してくれた。刑務所から出てきたばかりの自分が、国際的なビジネスマンを演じていることに、リトアニアに到着するまで、ずっと笑いが止まらなかった。




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12月1日発売のビッグイシュー日本版228号のご紹介です。



スペシャルインタビュー レディー・ガガ


たびたび日本好きを公言し、震災後の来日で大フィーバーを巻き起こしてからはや2年。2015年には、なんと人類初の宇宙コンサート計画を予定しているというレディー・ガガ。ついに全貌を現したアルバム『ARTPOP』について、存分に語りつくします。



連続スペシャル企画 「貧困大国アメリカ」その2


2001年同時多発テロ後、変節する米国に危機感を抱いた堤未果さんは米国から帰国し、ジャーナリストに転職。日本の近未来を警告する『貧困大国アメリカ』三部作を次々に執筆しました。そんな堤さんに聞くインタビュー。前回「食と農」(226号)に続く、続編のテーマは「教育と若者」。



ビッグイシュー・アイ 木原雅子さんが語る「WYSHプロジェクト」


さまざまな問題を抱える10代の子どもたち。彼らに「WYSH(ウィッシュ)教育」を行う社会疫学者の木原雅子さん(京都大学大学院准教授)に、自分で考え切り拓き、こころの自立を目指す「WYSH教育」について聞きました。



特集 宇宙と生命。呼応する身体の時間


12月。1年の終わりに、改めて考えたい“時間”。
人類は生きのびるため、太陽や月の運動を観測して暦をつくってきました。時の数え方はなぜ、1年は365日、1日は24時間で、1時間60分なのでしょうか?
一方で、地球上の生物はすべて身体の中に時を刻む時計をもっています。人の身体の中には、24時間のサーカディアンリズムをはじめ、90分、7日、1ヵ月、1.3年などのリズムが組み込まれ、それが乱れると身体に変調をきたすといいます。
そこで、片山真人さん(国立天文台天文情報センター暦計算室長)に「暦とは何か? 太陽と月と地球の時間」について、大塚邦明さん(東京女子医科大学名誉教授)に「生物時計とは何か? 時を刻む生命のしくみと生体リズム」について聞きました。
さらに、飯山青海さん(大阪市立科学館)に、12月の夜空を彩る「流星・彗星観測」について取材。
すぎゆく2013年、宇宙と呼応する生命の時間をあなたの身体で感じてみませんか。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。

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アメリカン・ドリームの現実




何時間眠ったのかわからない程、ぐっすりと眠り続けた。アンドレイさんが目を覚ました時、まだ他のみんなは眠っていた。アンドレイさんがマットレスから立ち上がった瞬間、すぐにアメリカ人の男がきて、住居についての簡単な説明を英語で受けた。

アメリカ人の男は続けて、今日中に住民登録をし、アメリカの銀行口座を開くよう、会社から指示がきたと言った。通常アメリカで銀行口座を開くには、ナショナル・インシュランス・ナンバー(社会保障番号)が必要で、そのためにはアメリカ国籍を持っていなければならないが、イリノイ州では住民登録と納税をしていたら、ナショナル・インシュランス・ナンバーを貰えるということだった。

納税の書類を手渡され、指示に従って手続きをし、銀行口座も簡単に開くことができた。明日から通勤で必要だというので、中古車を購入。これらの書類はすべてアメリカ側の会社が管理するというので、アンドレイさんの手元には一切残らなかった。




仕事について質問すると、「お前の仕事は船員ではなく、巨大スーパーマーケットの清掃業だ。」との返事。それでは話が違うと言うと、「文句があるなら今すぐ渡航費や仲介費を全額返済しろ。」と言う。アンドレイさんは僅かの現金しか持っておらず、渡航費や仲介費を返済出来るあてもなかった。

「全額返済出来るまで、パスポートや書類は預かっておく。全額返済した暁には、パスポート・住民票・銀行口座の書類は全て返却する。その後、自分で仕事を探すか、俺たちの会社で続けて働くかは、お前が自由に決めればいい。とにかく忘れないでほしいのは、俺たちの会社は、お前たちのような若者の将来を手助けしてやっているんだよ。それがわかったら、今はただ黙って仕事するんだ。」と男は静かに言った。

結局のところ、到着した日に連れて行かれた事務所で、アンドレイさんが実際にサインしたアメリカ側の契約書をもう一度読み返すと、渡航費や仲介費の返済義務について書かれていたが、その返済金額はどこにも明記されていなかった。しかしその返済合計額が121500ドル(日本円で約1220万円)だったと知らされたのは、ずっと後になってからのことだった。




巨大スーパーマーケットの清掃は、深夜12時から朝8時までで、スーパーマーケットの大きさによって、5−8人のチーム編成が組まれ、掃除を分担していくというものだった。

この清掃業の給料は月額1400ドル(日本円で約14万円)で、1000ドルはアメリカの会社への借金返済へあてられ、300ドルは住居費、光熱費、通勤のためのガソリン代に消えてしまい、月にアンドレイさんが受け取るお金は現金でわずか約100ドル(日本円で約1万円)だった。そのなけなしのお金もすべて食費に消えてしまい、月末になるとお金がつきて、食事がとれないこともしばしばあった。




毎日働いているのに1日も休みが与えられなかった。アンドレイさんは英語も他の人より上手く、仕事を早く覚えたこともあり、数ヶ月後には清掃チームの監視役のポジションに着いた。

しかし責任が重い割に、他の人より給料が100ドル多い程度だった。アンドレイさんの仕事は、各スーパーマーケットのマネージャーとの清掃についての打ち合わせ、清掃員のチーム編成、掃除の指導と監督。

しかし、チームには常に人数が足りない状態だったので、アンドレイさんは、皆が嫌がる最も危険な化学薬品を使用しているワックスがけを積極的に行なった。これらの強烈な業務用洗剤の化学薬品により、チームメンバーの全身にアレルギー反応がでていたが、 病院に行くことは許可されていなかった上、日々の生活をアメリカ人に監視されているため、自由に外出することは不可能だった。




掃除を担当していた郊外の巨大スーパーマーケットが営業不振で倒産すると、チームで引っ越し、新しいスーパーマーケットで仕事を始めるという生活が続いた。

アンドレイさんは、最初の1年間で、インディアナ、ウエストバージニア、イリノイ、ウィスコンシン、ルイジアナなど、合計7カ所の州に移り住んだ。引っ越しはアメリカの会社から突然言い渡され、その当日に荷物をまとめて引っ越さなければならなかった。あまりにも引っ越しが多すぎて、どこに住んでいるかもわからなくなることもしばしばあった。




小さな一軒家にチーム7−8人全員と監視役のアメリカ人が暮らしているので、プライベートな部屋も生活も全くなかった。 アメリカ人は個室を与えられていたが、リトアニア人は雑魚寝だった。

生活は貧しく、自分の自由になるお金がなかった。食費を削りに削っても、ようやくテレフォンカードが1ヶ月に1回買えるかどうかだった。リトアニアにいるアンドレイさんの家族は、アメリカ行きを反対していたから、今自分のおかれている状況を説明出来ずにいた。

アンドレイさん自身、自分の判断が間違いだったことは充分にわかっていたし、家族に話しても心配させるだけで、どうしようもないと思っていたが、借金さえ返せば、いつか自由の身になると信じていたため、アンドレイさんは家族に、アメリカでの生活が充実したものであると偽って話していた。

家族にプレゼントを送るために、 食事を何日か抜いて、無理をして、身体がフラフラになったりもした。それでも家族へのプレゼントは、クリスマスやイースターが終わり、売れ残った商品のチョコレートやカードが半額以下になるのを待ってからでないと、買うことができなかった。




こうして1年後には、アンドレイさんはマネージメント業務もまかされるようになり、2200ドル(約22万円)の給料を得るまでとなった。

当時のアメリカのスーパーマーケットのマネージャークラスで1000ドル(約10万円)の給料だったそうだから、かなりの高給だった。しかし、アンドレイさんは、 給料のほとんどを借金の返済に充てていたから、貧しい生活からは抜け出せなかった。アンドレイさんは、早く借金を返し、自由になりたいという一心で、ただ毎日必死に働いていた。

仕事は厳しかったが、アメリカの会社は月に一回、庭でバーベキューを開催し、その時には好きなだけ肉を食べたり、アルコールを飲んだりすることができた。その繰り返しで、リトアニア人たちが逃げ出したくなる欲求を押さえ込もうとしていたのだ。アメと鞭の繰り返しだった。




part4へ続く


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現代でも、世界各地で人身売買が絶えることなく、今も横行している。人身売買された経験を持つイギリス在住のアンドレイさん(36歳)にインタビューした。


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思いがけず訪れたアメリカ行きのチャンス



ある日、アンドレイさんの友人が、アメリカでの船員の仕事を、リトアニアの新聞の求職欄で見つけた。最初にアンドレイさんがこの話を聞いた時、こんな時代にリトアニアからアメリカに仕事で行けるなんて信じられなかったという。続きを読む
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現代でも、世界各地で人身売買が絶えることなく、今も横行している。人身売買された経験を持つイギリス在住のアンドレイさん(36歳)にインタビューした。






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欲望の原形、権力の象徴としてのお金。平和な時代に金貸しがはびこる




天皇から寺院、幕府、庶民にいたるまで、古今東西、多くの人を困惑させ、時代の背後に潜んで歴史をも動かしてきたお金。この摩訶不思議なお金は、そもそも人間にとってどんな存在だったのだろうか?





水上さんは、貨幣の始まりをこんなふうに解説してみせる。

「まだ貨幣という概念が存在していない時代、当時先進国だった中国から銅銭が入ってきましたが、それを初めて目にした人たちは、円形で中央に穴が開き、ピカピカに光った金属を珍品と見たのではないかと思うんです。

しかも、加工技術がない時代だから、みんな同じような形をしている貨幣は物珍しく、宝石を蒐集するみたいに集めたくなった。それは、子どもが河原でキレイな石を拾い集めるような、他人が持っていない珍しいものを所有したいという人間の欲望の原形だったのではないでしょうか」





貨幣が登場するまで、物々交換の主要な役割を果たしていたのは、日本においては「米」や「絹」だった。とくに「米」は他の食糧に比べ、長期間の保存がきくため、お金のような役割を担うことができた。つまり、物を交換する際に腐りもしなければ、目減りすることもない貨幣は、豊かさや価値を保存する上で最も適した物質として普及することになったのだ。




また、お金は国を統一する手段の一つであり、時の権力の象徴でもあった、と水上さんは話す。

「天下を統一するということは、必然的に度量衡から言語に至るまで画一化したシステムをつくるということです。だから、価値を画一的に計る貨幣という存在は国を治める上でなくてはならないものでした。世界で最初に紙幣を発行したのはチンギス・ハーンのモンゴル帝国ですが、単なる紙切れに相応の価値を保証できたのは、朝鮮半島から東ヨーロッパに達する史上最大の帝国という絶対的権力があったからです」




貨幣の誕生から日本史を縦断し、お金と人間の抜き差しならない関係を見てくると、平成という今の時代も、また違ったかたちに見えてくる。

「日本史の中では、金貸しがリセットされたことが少なくとも3度ありました。戦国時代と明治維新、それから第2次世界大戦の時で、誰がいつ死ぬかわからない、みんなが命を賭けて生きている時代に金は貸せなかった。逆に、百花繚乱のごとく金貸しがはびこったのは、太平の世といわれた江戸時代です。皮肉な言い方ですが、歴史の上だけで見れば、消費者金融が長者番付の上位を独占していた頃は、それだけ平和な時代だともいえます」




欲望をどこで抑えるか、お金のセンスを磨く



現在、水上さんは、消費者が「お金とは何か?」について考える場を提供する「NPO法人 マネー・マネジメント・アソシエーション」の事務局長として、お金のリテラシーについて教育する活動を行っている。

ただ、「お金のリテラシー」といっても、一概にお金の節約、貯蓄が美徳であることを教えるようなことはしない。賢いお金の使い方を身につけるのが難しいことは、歴史がすでに証明しているからだ。

「今や、政府の借金は約800兆円(編集部注:2013年11月現在、1,000兆円を超えました)です。一人当たり約600万円、地方の借金を入れれば1000万円も、私たちは次世代から借金している計算になる。これだけ多くの借金をみんながしていた時代は、おそらく歴史上もなかった。頭のいい人たちが寄ってたかって国会で審議して、お金の使い方を決めてもこの程度なんです。だから、個人がお金で失敗しても、そんなに恥ずかしいことじゃない」




そもそも全員が質素倹約、貯蓄を始めたら、それこそ国が金詰まりを起こして、経済がたちまち立ちゆかなくなる。

「結局、お金というのは、人間の欲望そのもので、欲望が人類を発展させてきたとすれば、お金は人生ともいえる。人生に振り回されるなと言っても至難の業ですから、お金のリテラシーというのは、人それぞれ自分の欲望をどこで抑えるか、お金のセンスを磨くということに尽きる」

「むしろ大事なのは、お金はコントロールできないものだということを知っておくことです。そのためには、時々お金について考えてみる。自分はお金で何を失ったか、お金で買えないものは何なのか、と。そういうことが必要だと思いますね」




(稗田和博)
Photo:鈴木奈保子




みずかみ・ひろあき
1955年、北海道札幌市生まれ。「NPO法人 マネー・マネジメント・アソシエーション」事務局長。立教大学法学部卒業後、社団法人「日本クレジット産業協会」に勤務。そのかたわら、「金貸し」と「借金」に関する文献を読み漁り、独自の視点から日本通史を提示。著書に『金貸しの日本史』(新潮新書)、『クレジットカードの知識』(日本経済新聞出版社)がある。
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(2008年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 92号より)





水上宏明さんに聞く、金貸しの日本史から見える「お金のリテラシー」



著書『金貸しの日本史 (新潮新書)』で金貸しと借金を切り口に日本史を見直し、お金のリテラシーをテーマに講演活動も行う水上宏明さん(NPO法人 マネー・マネジメント・アソシエーション事務局長)。歴史から学ぶ、人とお金の抜き差しならない関係について聞いた。 





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くずしたお札が、すぐになくなる不思議。偉人たちも、お金に一喜一憂



「1万円札をくずすと、あっという間に財布の中身が減っていく。そんな気がしたこと、ありませんか?」

水上さんは、お金にまつわる話を、そんな問いから始める。

たしかに、いったん1万円札をくずしてしまうと、そこからお金の減りが早くなるように感じる。「何に使ったのだろう?」。そう思いながら、財布の中のわずかな小銭をなごり惜しげに眺めることが、しばしばある。

「それはね、国の施策だからなんですよ。5千円や千円にくずしたお金は、すぐに財布から出ていくようになっている。国が印刷した紙幣をよく見れば、そのメッセージがちゃんと載っています」と水上さんは意味ありげに話す。




それは、こういうことだ。

1万円札に印刷されている福沢諭吉。彼は、お酒をパーッと飲みに行く時でも、先に質屋に行って着物を売ってから出かけるような人だった。生涯、借金とは無縁だった人物だ。

一方、5千円札の樋口一葉は、若くして父親を亡くし、懸命に原稿を書いて生計を立てるも、無理がたたって24歳の若さで人生を閉じた薄幸の人。一生、借金生活から抜け出せなかった。千円札の野口英世にいたっては、残した業績もすごいが、破天荒ぶりも半端ではない。研究のために篤志家から捻出した支援金を豪遊で使い果たしてしまうなど、才能もあるが、借金の術にも長けた人だった。

借金と無縁だった福沢諭吉と、借金と縁が切れなかった5千円と千円札のふたり。

「つまり、国がお札に印刷した偉人のメッセージは、お金を貯めたいなら、とにかく福沢諭吉(1万円札)をくずすな、ということです」と水上さんは笑う。




それができるなら誰も苦労はしないし、身もふたもない話ではある。が、お札の偉人が国のメッセージかどうかは別としても、日本史に名を残す人たちでさえ、お金を警戒し、あるいは借金とともに生活があったことに違いはない。それほど人とお金は切っても切れない関係にあり、いつの時代も人はお金に泣き、笑い、一喜一憂してきた。

「個人だけではなく、国も同じ。貨幣の誕生以来、人の歴史は金貸しと借金にずっと振り回されてきたんです」と水上さんは続ける。




ギャンブルにはまった天武天皇。明治維新は、借金のおかげ?




金貸しは、お金の誕生とともに出現した、人類最古の職業といわれる。その金貸しと借金を切り口に日本史を見直した水上さんは、「こと借金という人間くさい問題については、昔も今の平成の世もほとんど変わっていない」と話す。

例えば、古代では、『日本書紀』に登場する天武天皇が日本最古の銭を使って、博戯という双六、つまりギャンブルにはまっていた記述がある。天平時代には、奈良の仏教寺院が受け取った喜捨をお金に換えて増やす高利貸しを始めている。利息をむさぼる僧侶のあまりの節度のなさに、天皇が不信感を露にした記述も残っており、水上さんは「奈良から京都への平安遷都(794年)は、高利貸しを始めた奈良の仏教寺院への不信感が原因ではなかったか」と推測する。


貨幣が末端まで行き届き始めた鎌倉・室町時代には、幕府が金詰りを起こし、借金をチャラにする徳政令に揺れた。特に政府公認の高利貸しが幕府の財政を支えていた室町時代には、借金返済に困った庶民がついに怒りを爆発させて、大規模な土一揆を起こした。それまで歴史の中で物言わぬ存在だった庶民の武装蜂起は、まさに金の恨みそのもの。幕府の屋台骨を揺るがすものだった。





そして、明治維新さえも、オカミの金詰まりが原因だった、と水上さんは話す。

「それまで長い間、各地を治めていた大名たちが、あっさりと朝廷に版籍奉還した背景には、全国114の藩の90%以上が金詰まり、つまり企業でいえば債務超過状態にあったからです。新政府はこの金詰まりを政府紙幣という、いくらでも印刷できる打ち出の小づちで解決しました。

また、新政府が民法よりも早く、真っ先に制定した法律が利息制限法ですから、それだけ金にまつわるもめ事が多かったということでしょう。日本を変えた明治という新しい時代は、借金のおかげで誕生したと言えるかもしれません」

後編に続く


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(2013年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 212号より)





廃墟の駅、一頭の雄牛と遭遇—震災から、まる2年。警戒区域は今






富岡町役場前に仮置きされた除染廃棄物
(富岡町役場前に仮置きされた除染廃棄物)




震災から、まる2年の3月11日、住民の居住が禁止されている「警戒区域」の富岡町に入った。

福島県の南端にある、いわき市から国道6号線を北上、広野町、楢葉町を通って富岡町へ。除染作業の重機と黒いコンテナバッグの山があちこちに見える。町の黒澤真也商工係長の先導で検問を通過し、まず福島第二原発の煙突が見える富岡町の小浜海岸に向かった。海岸に向かう道路の民家はみな1階部分が津波で壊されたままで、車が何台も放置されている。車体のさびが2年の時間を感じさせる。

小浜海岸から道路を迂回しながら、海に面した約15メートルの高台にある旅館「観陽亭」へ。風光明媚な「ろうそく岩」は地震と津波で流されて、なくなっていた。津波は崖の上まで押し寄せ、旅館の建物は一階部分が完全に壊れたままだ。南の方角には、東電の福島第二原発の煙突と建屋が見える。眼下の海岸沿いでは、行方不明の殉職警官の捜索作業が行われていた。

海岸沿いを走るJR常磐線の富岡駅に回ると、線路やホームには津波で流された車両が残されていた。ホーム上部の屋根に取り付けられた看板が津波の力で曲がっている。線路を覆うように雑草が伸び、駅舎の向こうには、津波で窓や柱が壊された建物が続いている。人けのない廃墟で、海から流れる風の音だけがしていた。

富岡駅に向かう途中、一頭の雄牛と遭遇した。200メートルぐらい離れた雑草の中に一頭、立派な角を持った牛がこちらを見ている。震災直後、酪農家が牛を放した「離れ牛の群れ」が話題になったが、この雄牛は群れずに一頭だけで行動しているのだろうか。生き物の気配がしない地域の中でも、自分の命を自己主張しているような存在感があった。




富岡町の離れ牛
(富岡町の離れ牛)




ショッピングセンターのある町中心部を歩く。すると突然、手持ちの線量計の数字が跳ね上がった。7マイクロシーベルト。この地域はまだまったく除染がされておらず、植え込みの低木、側溝などが高い放射線量を出していた。

政府は今月、富岡町のほかに浪江町、葛尾村の3町村で避難指示区域の再編を決めた。富岡町は現在、住民の立ち入りが禁止されているが、3月25日以降は空間放射線量に応じて、除染後に帰還できる「避難指示解除区域」、帰還には数年かかるとされる「居住制限区域」、帰還は困難で5年以上かかる「帰還困難区域」の3区域に見直される。

しかしこの日、線量計を手に現地を歩いていて、突然線量が高くなるマイクロホットスポットがあちこちにあることを実感した。町は、住民が戻れるように除染を進める方針だが、今住民が避難している会津や福島、いわきとは放射線量がケタ違いに高い。そういった現実を、町民はどう受け止めるのだろうか。

(文と写真 藍原寛子)


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(2008年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 92号より)




多重債務、カード社会の落とし穴—女性自立の会、有田宏美さんに聞く



便利なクレジットカードの普及により、誰もが多重債務と隣り合わせの現代。
自らも父の借金に巻き込まれた経験を持ち、多重債務に悩む女性の相談を受けている
NPO法人女性自立の会・理事長の有田宏美さんに、その実情を聞いた。






JAN 1143





エステで自己破産した学生、夫の浮気が発端だった主婦



「多重債務は特別な人の問題ではありません。ここへ来るのは『本当にこの人が何百万円もの借金を?』と疑いたくなるくらい、ごく普通の人ばかりです」。NPO法人 女性自立の会・理事長の有田宏美さんはそう話す。これまでに面談した女性の数は1000人以上、メールや電話を合わせれば3000人にのぼる。

借金の原因は誰の身にも起こりそうな、ささいなことがほとんどだ。




例えば、幼い頃に母を亡くし、過食と拒食を繰り返してきた21歳の女性の場合はこうだった。ぽっちゃりした容姿にコンプレックスを持つ大学生の彼女に、キャッチセールスの女性が声をかけ、エステを勧めた。彼女は月々わずかな額だからアルバイトをすれば返せると、軽い気持ちで契約を結んだ。

ところが契約期限が終わりに近づくと「もう少しできれいになるのに」と施術チケットや化粧品の追加購入を勧められ、気がつくと借金は200万円にまで膨れ上がっていた。会を通して弁護士に相談した彼女は安定した収入がなかったため、自己破産の道を選んだ。




30代後半の主婦はパチンコが原因だった。あるとき、夫の浮気が発覚した。相手の女性は夫の姉の友人だった。夫と姉はかばい合い、彼女にも非があるかのような言い方をした。

それでも彼女は子どものためによりを戻そうと、夫の趣味であるパチンコにつき合うようになった。そのまま、すっかりはまってしまった彼女は、夫に内緒で借りたお金をパチンコにつぎ込み続けた。会のアドバイスに従って、夫にすべてを話した今は夫婦二人で立て直しをはかっているという。




「相談者の借金は少なくて百数十万円、ほとんどの方が数百万円抱えています。150万円借りているOLさんの場合だと、月々の返済額はだいたい5、6万円。アパートで一人暮らしだとすると、月収20万円ちょっとならそれでも十分に苦しい。初めはどなたもパニック状態で、泣きながら電話をかけてきます。まずは一対一の面談で現実を正しく把握して、それから法律家にバトンタッチします。ただ、法的に解決して借金をゼロにしても、その人の考え方を改善しない限り、多重債務は繰り返されていきます」




未来のお金をあてにせず、カードを賢く使いこなす



女性自立の会では月に一度、面談を終えた相談者を対象に「再生プログラム」という勉強会を開いている。ここでは、自分より少し前を歩いている経験者の話が聞けるほか、家計管理の指導を受けることもできる。まずは1ヶ月に必要な生活費を知り、貯金の習慣をつける。さらにwant(ほしいもの)とneed(必要なもの)を区別し、買うものの優先順位をつける訓練もする。

相談者の中には店員に乗せられていらないものまで買ってしまうなど、『NO』と言えない人が多い。同僚に誘われて無理をして行った海外旅行が原因で、多重債務に陥った女性もいる。給料は同じでも、親元で暮らす人と一人暮らしでは貯金できる額がまったく違うことに、彼女は気づいていませんでした」。参加者は、店員と客、無理な仕事を頼む同僚などと役割を決めて、『NO』と言う練習にも励んでいる。

「ポイントがつくことだけを売りに、クレジットカードを安易に勧める側にも問題はある。ただ近ごろは、インターネットのプロバイダーもETCもカード決済の時代。カードなしで過ごすことは難しい。カードのメリットとデメリットを知った上で、自己管理する能力が求められます」と、有田さんは言う。

カードを使う上で最も注意すべき点は、未来のお金をあてにしないことだ。「派遣の仕事と仕事の間に、ほんのつなぎのつもりで生活費を借りて返せなくなる人は少なくない。また、たとえ利息ゼロのボーナス一括払いでも、その直前に会社を解雇されるかもしれない。返済能力がある場合、例えば、財布には1万円しかないけれど通帳にはカード利用した以上の預金があるという方以外、カード利用はおすすめできません」

他社から借り入れてまで返済に回している人は、すでにかなり危険な状態だ。

「『借金=恥』という考えが事態を深刻にしている。1日も早い相談が、自分を守ることにつながる。みなさん、自己破産はいやだと言われますが、実際は持ち家も処分せず、『民事再生手続き』を適用できるケースも少なくありません。まずは現状を、冷静な第三者の目で判断してもらうことが大切です」

(香月真理子)
Photo:高松英昭




ありた・ひろみ
1965年生まれ。NPO法人女性自立の会理事長。96年より、多重債務に陥った女性の相談業務に従事。2000年6月、女性の心の支援会として「NPO法人 女性自立の会」を設立。『借金の問題は心の問題』をコンセプトに、相談者の再発防止カウンセリング(再生プログラム)に努める。著書に『借金で悩んでいるあなたへ〜人生をやり直すための63の方法』評言社。

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電話 03・3253・9119
メール joseijiritu@nifty.com
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