オランダでたったひとりの日本人ホームレス



アジア人のホームレスが皆無に等しいアムステルダムの街角で、偶然出会った日本人ホームレスに聞いた、彼の半生、アムステルダムでの生活とは?






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Mさん(60歳)






Mさんの生い立ち



ひょんなことから、オランダ・アムステルダムで、唯一の日本人ホームレスであるMさん(60歳)に出会った。話が弾み、生い立ちからアムステルダムでの現在の生活まで、お話を伺えることになった。

Mさんは三重県出身で一人っ子。生後2ヶ月で両親が離婚したため、祖父母と共に幼少時代を送っていた。小学校に入学したての夏、祖母は不幸にも他界してしまったため、その後は山師である祖父の男手一つで育てられたそうだ。

Mさんは自然が豊かな土地で育ったこともあり、水泳が得意だという。子どもの頃から性格は地味、クラスでも目立たない存在だったことが、 後にバンドを結成し、ベーシストになったことと関係していると話してくれた。バンド活動を始めたこともあり、学校には行かなくなり、2年生の夏に高校を中退。バンド活動に専念するために、当時流行していた「ザ・ゴールデン・カップス」に憧れを抱き、彼らのいる神奈川へ行く決意をした。

19歳の時にはスタジオ・ミュージシャンである某ベーシストの付き人をして生計を立てていた。20歳から26歳まで幾つかのロックバンドを掛け持ちしながら、生計を立てるために、ありとあらゆる仕事を経験。

「やったことのない仕事はないくらい、ありとあらゆる職業に就いたんだよ」

と昔を思いだしながら、懐かしそうに目を細める。
数あるアルバイトの中で、唯一長続きした職業は引っ越し業務員で、10年も同じ会社にいたという。また、今までに最も辛かった仕事は、地下鉄工事の仕事だそうだ。




日本と決別、アムステルダムへ




2003年2月、友人を訪ねて53歳で初めてアムステルダムを訪問したMさん。

「子どもの頃からヨーロッパに興味があったんだ。アムステルダムに最初に来たのは、大麻を吸いたかったのがきっかけ。オランダは小さい国だから、ここを拠点にしたら、色んな国に行けると思ったんだよ」


帰国後、アムステルダムに本格的に移住するとの決意を固め、2006年の5月までアルバイトをしながら、移住するための資金を貯めたそうだ。

そして2006年6月13日、仕事や人間関係などのすべての身辺整理を済ませ、二度と日本に帰らない決意で、アムステルダムを初めて訪問した。

「最初は英語が全然話せなかったんだけど、現地で自然と覚えたんだ。辞書とかもないから、いまだに知らない言葉とかはたくさんあると思うけど、基本的なコミュニケーションには問題がなくなったね」と巻きタバコをくゆらせながら話す。





スクウォッター&パーティ・オーガナイザー




Mさんがまだオランダに来たばかりの頃は、当初はベーシストとして身を立てていくつもりだったそうだが、望み通りの仕事がなく、あえなく断念した。

同年、2006年10月、スローテルダイクの倉庫を友人たちとスクウォット*1(不法占拠)し、1階はパーティ・スペース、2階は住居・アトリエとして使用。平日は気が向いた時にはウクレレを演奏するストリート・パフォーマンスをし、週末や休日はパーティ・オーガナイザーとして友人と共に活動していた。

友人とともにスクウォットしたこのスローテルダイクの倉庫で、ニューイヤ・パーティを企画したMさん。パーティには約500人を動員し、パーティ・オーガナイザーとして成功を収めるものの、07年2月にはスクウォットが終了。その後2年間は、一緒にパーティをオーガナイズしていた友人の家に居候し、ネコ4匹とともに暮らしていた。

08年から09年には、アムステルダム郊外の巨大スクウォット村のラウフォード(Ruigoord)*2に滞在しながら、スクウォットの手伝い、パーティ・オーガナイザーとして、フライヤーやDJの手配を行なっていた。





ビゥートボアデラィ (ご近所農場)でのショッキングな事件




10年から11年12月までは、アムステルダム東地区のビゥートボアデラィ(buurtboerderij= 「ご近所農場」)にて、住み込みで夜警の仕事に就き、いわゆる用務員のような仕事もしていた。

「ビゥートボアデラィの庭には、鶏が放し飼いにされていて、卵から鶏を4羽かえしたんだよ。忙しかったけど、やりがいのある仕事だった」
とMさん。

しかし、ここで突然、事件は起こった。

2011年の10月、いつものように夜警をしていたら、真夜中の午前2時、目出し帽を被った2人組の男が現れた。一人はバール、もう一人は拳銃のようなものを持っていたという。慌てて逃げようとしたが、すぐに後ろ手に縛られ、転がされて、頭をバールで殴りつけられた。15分くらいで血が止まり、意識を失っていなかったので、何とか自力で警察を呼び、救急車で病院に搬送されたそうだ。

「手を縛られていたんだけど、幸い緩く縛られていたから、すぐにほどくことが出来たんだよ。あれじゃ縛っても意味がないよね。襲われた時は、どう縛られたかなんて冷静に判断出来る状態じゃなかったんだけど。とにかく殺されるかもしれない、死ぬかもしれないと本気で思ったよ」
と当時の恐怖を振り返る。

この襲撃事件がきっかけとなり、Mさんは、事件から2ヶ月後の12月に、ビゥートボアデラィの仕事を辞め、2012年の4月までは、知人のボートで暮らしていた。

「2012年は特に寒い冬だったから、朝に目が覚めたら、ボートの室内の天井に、つららができていたことがしょっちゅうあったんだよ。でもさ、僕の寝袋は-6℃までOKなんだよね」
と笑いながら話す。





アムステルダムでのホームレス生活




Mさんがホームレス状態になったのは、2012年の秋頃からで、現在もホームレス生活を送っている。

「ホームレスになってから何が変わったって? 自分が変わったというより、社会が自分を見る目が変わった。ホームレスになりたての頃は、恥ずかしくてうつむいてあるかなければならなかった。今までも人の情けを受けてきたけれど、これからは全面的に人の情けを受けなければならないと思った。でも今はいい意味で図々しくなったかな。ヨーロッパでは図々しくないと、生き残っていけないからね」
とMさんはビールを飲み干す。

「去年の12月から今まで滞在しているのは、アムステルダムの中心部にあるスツールンプロジェクト(Stoelenproject)*3 という、ホームレスのデイケアとシェルターを運営しているところだ。スツールンプロジェクトの定員は40人、半数以上は50歳以上の年寄りで、年寄りは若者よりも優先されているね。規則では月に10日以上は泊まれないことになってるんだけど、今まで何の問題なかったよ。毎週火曜日と土曜日の朝8時から9時に、受付でカードを貰いに行ったら、宿泊できるんだよ。寝る場所は 床にマットレスを直接敷いた雑魚寝、場所は早い者勝ちだから、風が隙間から入るドアや窓から遠い場所から埋まっていくんだ」


「食べ物はフードバンクから毎週水曜日に新鮮な野菜や米なんかがたくさん届くから、自分で好きなものを料理しているよ。朝昼晩と3食、野菜炒めをご飯の上にぶっかけて食べたりしてるから、栄養はちゃんと摂れていると思う。食べ物はいつも余っている状態だよ」







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(スツールンプロジェクト、キッチンカウンター)

スツールンプロジェクトのシェルター内のキッチンを見せてもらったのだが、シンプルな業務用の装備で、リビング兼寝室は思ったよりも広々としている。部屋の真ん中には大型液晶テレビが設置されており、DVDなども見ることが出来る。




後編「オランダでたったひとりの日本人ホームレス(後編)」に続く




タケトモコ
美術家。アムステルダム在住。現地のストリート・マガジン『Z!』誌とともに、”HOMELESSHOME PROJECT”(ホームレスホーム・プロジェクト)を企画するなど、あらゆるマイノリティ問題を軸に、衣食住をテーマにした創作活動を展開している。
ツイッター:@TTAKE_NL
ウェブサイト:http://tomokotake.net/index2.html





注脚:

1.オランダのスクウォット(不法占拠)について

オランダでは1960年代、不動産オーナーが、投機目的でたくさんの空き建物を放置していたために、住居のない若者が住みはじめたのが始まり。

「スクウォット」するためにはまず、1年間以上空いている建物に不法侵入&占拠し、必要最低限の生活グッズ(ベッドと椅子とテーブルは必需品)を持ち込む。新しく鍵を付け替え、警察に連絡してチェックをしてもらい、スクウォット許可を得る書類を記載し手続きをすると、合法的に自分の家として居住可能になる。

1970年〜80年代に、オランダのスクウォットは、反体制の労働者運動、学生運動、ヒッピー・ムーブメントの流れに伴い、社会的、政治的な運動として拡大した。
さらに1980年代後半〜90年代前半には、新しい世代の「ネオ・ヒッピー」と呼ばれる若者たちが現われ、空き建物のスクウォットは無秩序に増加し、オランダではスクウォッティング・ブームが巻き起こった。

さらに、オランダには、kraakspreekuur(スクウォッターのためのコンサルテーション・アワー)が、あらゆる地方に存在するため、スクウォットを計画している人たちは、熟練のスクウォッターからアドバイスを受けることもできた。
アムステルダムでは、スクウォット・コミュニティが大きかったため、地元グループの助けがないまま、スクウォットすることは難しいとされてきた。スクウォット後は、グループメンバーと共に建物を共有することが前提であるので、スクウォットの情報交換もオープンに共有される。破壊行為や窃盗の目的で建物に侵入するのとは真逆の発想である。

こうしてオランダのスクウォットは、欧米の新しい文化の流れをリードするかたちで成熟していった。そのうち、アーティスト・グループにスクウォッティングされた空き建物は、パブリック・スペースとして市民に解放され、アート、パフォーマンス、フィルム、音楽、クラブなど、新しい表現を模索するクリエイターたちの文化的発信基地として、重要な役割を担っていた。

オランダのスクウォットは、プライベートな住居スペースとして、またアーティスト・イン・レジデンスやライブハウスなどパブリック・スペースとしても機能しており、家のない人たち、経済的余裕のない人たちが生活していくことと、契約者のいない建物の保存の目的の両方が満たされている。
しかし、残念なことに、2010年6月、スクウォット禁止の法案がオランダの両院で可決され、同年10月1日には、その法律が施行されることとなった。
それに伴い、2010年9月には、スクウォッターやスクウォットを支持する人々による、アムステルダム・ダム広場での占拠デモ、そして、法律施行の前日に旧消防署で暴動が起こったことは、まだ記憶に新しい。





2. ラウフォード(Ruigoord)


アムステルダム郊外の巨大スクウォット村のラウフォードは、今年の7月23日に40周年記念を祝って、現在までの軌跡を描いた本を出版する。出版に併せて、40周年記念のビッグ・パーティ(レイヴ)も企画されている。


3. スツールンプロジェクト(Stoelenproject)

スツールンプロジェクトは、ホームレス支援のデイケア&シェルターは財団形式で、運営費の70%がアムステルダムの自治体から支払われている。スタッフは主にボランティアによって運営されている。


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(ビッグイシュー・オンラインは、社会変革を志す個人・組織が運営するイベントや、各種募集の告知をお手伝いしております。内容については主催者様にお問い合わせください。)

シンポジウム&対話「これからの患者-医療者の関係とコミュニケーションを考える ~ パートナーとなるには何が必要か?」




これからの患者-医療者の関係とコミュニケーションを考える



「患者中心の医療」は、医療者だけの考えでも、患者・家族の考えだけでもできません。医療者と患者が共に考えていく医療を実現するには、どのようなコミュニケーションが必要なのでしょうか?一緒に考えましょう!


==【シンポジウム概要】==================

[主催] みんくるプロデュース
エンパブリック根津スタジオ

[日時] 2013年6月2日(日) 10:00~12:30
[会場] 東京大学 医学図書館3階333教室  (東京・本郷)
map http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_02_01_j.html




<プログラム>

1.ゲストトーク 「患者-医療者関係の変化と協働のためのコミュニケーション」
  石川ひろのさん 東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野 准教授

2.パネルディスカッション 「患者と医療者の協働を実現するためのコミュニケ―ションとは?」
 ・石川ひろのさん (東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野 准教授)
・鈴木信行さん (患医ネット代表、NPO法人患者スピーカーバンク代表、みのりカフェ オーナー)
・孫 大輔さん  (みんくるプロデュース代表、家庭医、東京大学医学教育国際研究センター講師)
ファシリテーター:広石拓司(株式会社エンパブリック代表)

3.カフェ型トーク 「患者-医療者の関係とコミュニケーションを良くしていくには?」

4.ワークショップ 「患者中心の医療を実現するために、私たちにできることは?」

【ゲスト、登壇者のご紹介】

◆石川ひろのさん
東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野 准教授。学内では、医療コミュニケーション学講義・実習を担当。主な研究テーマは、患者-医師間コミュニケーション、ヘルスリテラシー、医療面接教育。
東京大学医学部 健康科学・看護学科 卒業。Johns Hopkins大学 School of Public Health Ph.D.取得(2004年)、東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 博士(保健学)取得(2005年)。
著書・訳書に『医師と患者のコミュニケーション:より良い関係づくりの科学的根拠(監訳 篠原出版新社)』『医療コミュニケーション:実証研究への多面的アプローチ(共著 篠原出版新社)』など。

◆鈴木信行さん
先天性疾患(二分脊椎)による身体障がい者。大学卒業後、製薬企業研究員を経て、2008年文京区根津にて「人と人をつなげていく」がコンセプトの「みのりCafe」を開業。先天性疾患による障がい、精巣腫瘍、がんの再発および腹部リンパ節への転移の経験をもとに、患者、医療者、医薬企業を縁でつなぎ、円をつくることを応援する「患医ねっと」を主宰。患者が自分の経験を医師や医学生、企業に伝えることで医療福祉の質向上に貢献する活動を応援する「NPO法人患者スピーカーバンク」理事長も務める。apital(朝日新聞の医療サイト)に「のぶさんの患者道場」を連載中。

[定員] 50名(先着順)

[参加費]2,000円




参加申込み・詳細は公式ページよりご覧下さい。


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ソーシャルワークの視点を持った就労支援を






NPO法人POSSEは東京を中心に、労働相談や生活相談事業を行っている団体です。仙台POSSEはその支部として、震災直後から、被災者支援を続けてきました。

被災地の路上から vol.2」では、仮設住宅への引越し手伝い、送迎バス運行、子どもたちへの学習支援の取り組みについて、話を聞かせていただきました。今回は、2012年4月より新たに始めた就労支援の取組みについて、事務局の青木耕太郎さんに伺いました。





就労支援という新たな取り組み



震災直後、避難所から仮設住宅への引越しの手伝いを皮切りに、被災した人たちの話を聞き、送迎バスの運行、子どもたちのための学習支援など、そこで必要とされていることに対応する形で支援を続けてきた仙台 POSSE。2012年4月からは、仙台市からの要請を受けて、被災状況に関わらず、仙台市内に住む人を対象に就労支援・無料職業紹介事業をはじめた。

「なんでもよいから、とりあえず仕事」ではなく、「利用者が希望し、生活の目処が立つ仕事に就いていただくこと」を目指しているという。

「ただ求人と求職者のマッチングをするというより、利用者の職業能力の開発や、キャリアリテラシーの向上を目指して支援をしています」と青木さんは言う。現在、支援対象者の状況にあわせて「生活支援」「就労準備支援」「マッチング支援」「就労継続支援」といった4つの側面から、就労支援の枠にとどまらない伴走型支援を行っている。

「就労支援つき就職活動セミナー」といった就活セミナーを開催するなど、アウトリーチ活動もあわせて行っているが、利用者の年齢は30代と40代が中心で、「生活困難者」が多いという。

開所から2013年4月末までの13ヶ月で、約80人の利用があり、21人の就職が決まった。うち、65名が仮設住宅に住んでいる。

「就労支援の実績としては、数字はそこまで高くないでしょう。しかし、(貧困、障害、疾病、介護、子育てといった条件があり)ハローワークなど既存の職業紹介所で仕事を探すことが難しい人が多いため、数字では計れない部分があります。効果を数字だけを追ってしまうと、プロセスがおろそかになってしまう危険があると考えており、数字にはしにくい成果も大事にしたいと思っています。」




求職者ががおかれている状況と必要な支援



仙台市内の有効求人倍率は震災後上向きで、数字上は1倍を超えている。しかし、よく見ると職種ごとに偏りがあることがわかる。

管理:0.89
専門・技術:1.71
事務:0.34
販売:0.77
サービス:2.14
保安:17.34
生産工程:1.18
輸送・機械運転:3.44
建設・採掘:5.16
運搬・清掃・包装:0.58




募集が多い職種は、暫定的に需要が高まっている「建設・採掘」「輸送・機械運転」といった期間限定の土木関連の職種や「保安」など不安定なサービス業、もしくは専門的な資格や免許が求められる仕事で、誰もが就ける仕事ではない、と青木さんは言う。

一方で「事務」や「運搬・清掃・包装」のような軽作業の求人はそれほど増えていない。「仕事はあるけれど、求職者の希望や技能と求人内容にミスマッチが起きています。また、被災で転居された方は、知人のつてを利用できない、見ず知らずの土地で孤独な就職活動をせざるを得ないなど、一層不安定な状況にあります」。




個別のケースから見えてくることも多い。あるとき、シングルマザーで子育て中の人が相談に来た。事務で働いていた経験もあり、震災後は雇用保険で失業等給付を受けていたが、給付時期が切れる寸前だった。本人は「安定していて、子育てと両立できるパート勤務」の仕事を希望していたが、話を聞くと、子どもを預ける先がなく、就職活動もままならないということがわかった。仮設住宅に入居していて住む場所はあったため、子どもの保育園を決めることが先決ということで、保育園探しから一緒に始めた。

「この方の場合、雇用保険と住む『家』があったため、時間的に少し余裕を持って就労支援を行うことができました」と青木さん。「もし、雇用保険や住む家がなかったら、すぐにできる仕事を、できるだけ早く始めなくてはならないという状況になります。そうすると、すぐ始められる低賃金の仕事についたり、生活をするために複数の仕事を掛け持ちしなければならなくなり、子どもと過ごす時間がなくなることになります。それは避けたかった」。




現在、宮城県では、雇用保険の失業給付の期間延長や医療費や国民健康保険料、国民年金保険料の免除期間の延長措置も終了しているが、青木さんはこれまでの経験から次のように語る。

「各種支援はときに『就労意欲を妨げている』と非難されることもありますが、慎重に仕事を選ぶ余裕が生まれることで、望まない、または劣悪な労働を選ばざるを得ない事態を防ぐ効果があったと考えています。「被災者」から「普通の人」となったときに、日常の制度の中で利用できる、柔軟な保障制度が求められています。」





ソーシャルワークの視点を持った就労支援を



「私たちは、就職先との単なるマッチングとは考えていません」と語る仙台POSSEでは支援開始時の面談(インテーク)で丁寧に利用者の状況や就職のハードルになっていることについて、聞き取りを行う。その上で、就労を困難にしている要因を把握、分析し、それらを取り除くための支援計画を当事者と共に作成し、実施している。

「一般的に、就労に困難を抱えていると聞くと『意欲がない』など、とかく本人の責任にしがちです。しかし実際は、本人の意欲の問題だけではなく、求人内容に問題がある場合も多いですし、それまでの経験が労働意欲を奪ってしまっていることもあります。」相談者との信頼関係のもと聞き取りを行うことで「なぜ働かない(働けない)のか」ということが明らかになる、そこからはじめるのだと青木さんは言う。




相談者が来所した後の支援の流れは、下記のようになっている。

1. インテーク(支援開始時の面談):利用者との関係性構築、状況把握
2. アセスメント(利用者の情報収集):利用者のニーズ、就労阻害要因の把握
3. 支援の実施:就労阻害要因を取り除くアプローチ
4. モニタリング(支援内容の検証):支援プランの妥当性確認、本人の状況変化の把握




仙台市の担当者とは2週間に一度ケース会議を開き、個々の相談者に関わる問題解決の方法について、話し合いと情報交換の場を設けている。

一つひとつのケースに応じて「一緒に知恵を絞り、柔軟な対応策を講じる」といった協力関係ができてきているという。この他、月に2回ほど、外部のアドバイザーを招いてケース会議を開いている。これは、個人が抱える問題の全体像を捉え、利用者が主体の支援ができているか、他に活用できる資源はないかなどを外部の専門家の視点を取り入れて徹底的に話し合うためだそうだ。

「POSSEでは、『就職できた』がゴールではなく、その人の人生を豊かにする、安心して生きていくための生活基盤づくりをお手伝いしたいと考えています。そのためにも、就労支援と生活支援をセットにして、個々人の問題に寄り添うような、ソーシャルワークの視点を持った就労支援を行うことを目標にしています。」




急務、求職者支援制度と生活保障制度の充実



「POSSEで就労支援を希望される人のうち、およそ4分の1は傷病者です。本来、就労しているか(していたか)に関わらず所得保障をされるべき人が、制度の不十分さから労働市場にかり出されているのでは?という思いがあります」という青木さん。就職支援を行う一方で、就労困難者(傷病者・高齢者・障害者等)の最低所得保障の必要性についても訴えていきたいと語る。

また、職業訓練制度やその他の制度を利用している間の所得保障が不十分であるため、資格の有無が就職に大きな影響を与えているのにも関わらず、生活に余裕のない求職者ほど資格や技能をなかなか習得できず、貧困状態から抜け出せない状況があるという。

「職業訓練の期間や質にも問題があります」という青木さんに、「就労困難者」が就労できるために必要な制度を聞いたところ、次の答えが返ってきた。

しっかりとした技能を身につけられる職業訓練校のような長期プログラムの提供と、訓練を受けている間、無収入でも暮らしていけるだけの最低所得保障ですね」。

今後は生活支援とセットになった就労支援の重要性を発信するほか、就労した人たちへ自ら人権や働く権利を守れるよう「労働法」の知識を身につけたり、就職活動中の若い人たちが励ましあえる「仲間作り」の場なども作っていきたいと語ってくれた。




NPO法人 POSSE

ビッグイシュー基金


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仙台の路上でいま起きていること—仙台夜まわりグループ・今井理事長インタビュー



2000年から、仙台市内で路上生活者の自立支援を行っている、NPO法人仙台夜まわりグループ。昼・夜の路上生活者の安否確認のほか、炊出しや食事会・相談会などを定期的に実施している、仙台の路上生活者支援の草分け的存在です。震災以降は、多様化して増えるニーズにあわせて活動日を増やし、今もほぼ毎日、支援活動を続けています。

ビッグイシュー基金が2012年3月に発行した「被災地の路上から(PDF)」では、今井誠二理事長に、「自分の地域を支えることが、被災地を支えることにもつながる」というメッセージをいただきました。震災後2年以上経過した今、仙台の路上について、再びお伺いしました。







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(今井誠二さん)




仙台の路上で起きていること



いまも、新しく路上生活に陥ってしまった方々が月に10名くらいは炊き出しや夜回りなどにやって来ます。不安定居住者の不安定雇用が復興事業を支えていることに変わりはなく、期間限定の仕事が終わり、再び路上に戻ってくるケースも後を絶ちません。若い方もいます。

ホームレスになって日が浅い方とは、まず信頼関係を築くのに時間がかかります。そうした方は「自分はホームレスではない」という思いや支援団体への猜疑心を持っている場合も多いです。そうした思いが、必要な支援から彼らを遠ざけてしまうことを懸念していますが、ホームレスとなってしまった現状を自分で認めることには時間がかかります。できる範囲で支援が届くように、粛々と活動を行っています。




正直申し上げて、仙台の路上が日々刻々とドラスティックに変わっているので、私たちが把握できていないことも多いのではないかと思います。
恒久的な生活困窮者支援が後回しにいま心配しているのは、被災者や震災困難者のための支援に、様々な社会的資源が分散してしまい、恒久的に必要な生活困窮者支援が後回しになってしまっているのではないか、ということです。

ホームレス自立支援を専門的に引き受けていた仙台市健康福祉局保護課の支援係がなくなってしまい、復興局の設置などに人員がとられて、保護課の担当者も減らされてしまいました。復興事業がひとしきり終わって、県外からやってきた業者が引き上げた後に、震災が東北に残したのは、新しい道路、橋、公共施設、ホームレスだけだったというのではあまりにも悲しいです。復興支援業務がまだ始まったばかりであることも確かですが、視点を目の前の事だけではなく、恒久的な生活困窮者支援へと移していくべきだと考えています。




大規模な実態調査が必要



路上だけでは見えない、ホームレスの調査を仙台市内で復興事業開始後に各所に新たにできた飯場(※)に住む人を数えただけで 5〜600人はいるのではないかと見積もっています。その他、車上生活や、ネットカフェで生活しながら現場に出ている人たちもいます。路上にいる人たちをカウントしているだけでは、そうした不安定居住者たちの実態が掴みきれません。

※飯場=建築現場の作業労働者が宿泊し、食事と休息をとるための場所。




震災後、東北での仕事を求めて日本全国から仙台に労働者が集まりました。仕事の多くは解体・建築関連の仕事です。しかし、復興が進み、人手が大量に必要だった瓦礫撤去が済むと同時に解雇されてしまったり、劣悪な労働・居住環境に耐えられず飯場を出てきてしまい、野宿生活になるというケースが後を絶ちません。

それらは、復興事業による二次・三次災害と呼んで良いと思います。飯場生活をしていると、仕事を失ってしまった途端に生活の場もなくしてしまいます。蓄えが無ければ故郷にも帰れず、帰れたとしてもそう簡単に元の仕事には戻れません。

全国各地でどうにか包摂されていた人が、東北で路上生活になってしまうという新たな状況が震災後、次々に産み出されています。しかし新たな支援策は打ち出されないままです。




復興関連の仕事で一時的な現金収入を得たため、ネットカフェに入れたりして、今はなんとかしのぐことができている人たちが沢山います。彼らは、現在は路上にはいませんが、予備軍というか、仕事がなくなって蓄えが無くなった時点で直ちに路上生活になる可能性が高い、いわば、目に見えないグレーゾーンにいる人たちです。

彼らが路上に出てくる前に、何か手を打つことができないかと思っていますが、仙台市内外にある30を越えるネット喫茶や漫画喫茶に、一度に網をかけて実態調査することなど、私たちのような小さなNPOにはできませんし、そもそも仙台市内中心部にいるそうした予備軍の全容さえもつかめないでいます。




行政にはぜひ、ネットカフェなどに宿泊している、不安定居住状態に置かれている人たちへの大規模な実態調査をお願いしたいです。

実態がある程度把握できれば、復興事業終了後に産み出されることになる大量のホームレスに対する根本的な対応策について、今のうちに、官民協働して共に知恵を出し合うことができるはずなのです。




東北の外から、できること



物資の寄附は震災前の水準以下になりました。缶詰やレトルト食品など、すぐに食べられるものの寄付も減りましたね。

食糧支援はいつでも大歓迎です。ぜひお問い合わせください。カンパも震災前の水準を下まわっています。カンパをいただければ支援物資の重複やミスマッチも避けられますし、あればあるだけ役立てられるので、カンパのご協力もいただければ大変嬉しいです。





NPO法人 仙台夜まわりグループ

ビッグイシュー基金


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こんにちは、ビッグイシュー・オンライン編集長のイケダハヤトです。最新号の読みどころをご紹介です!




ネイチャー・テクノロジーが目から鱗



215号の個人的な読みどころは、なんといっても「ネイチャー・テクノロジー」特集。

「ネイチャー・テクノロジー」とは、その名の通り「自然の技術」。具体的には、シロアリ、カタツムリ、トンボ、ベタなどなど、自然界の生き物の「技術」を、ぼくたちの生活に取り入れることを指します。このコンセプトは「バイオミミクリー」「バイオミメティクス」といった言葉でも表現されることがあります。

「ネイチャー・テクノロジー」を知るためには、紹介されている事例を見るのが手っ取り早いでしょう。

たとえば、

・気温の変動が激しいサバンナでも一定の温度を保つ「シロアリの巣」を参考にした、「無電源エアコン」
・泡を使った保温する魚「ベタ」を参考にした、たった4リットルの水で体を温めることができる「水の要らない泡の風呂」(通常、お風呂は200〜300リットルの風呂が必要)
・どこにでも張り付ける「ヤモリの足」を参考にした、カーボンナノチューブを使った「接着剤を使わない吸着テープ」
・蚊とミミズからヒントを得た、外形95ミクロン「痛くない注射針」
・病気をしてもすぐ治る「ダチョウ」の抗体を使った「インフルエンザ対策マスク」


といったワクワクするテクノロジーが紹介されています。書中では、それぞれの技術の開発者たちによる解説と熱い想いに触れることができます。




地球環境が危ぶまれるこれからの時代、「ネイチャー・テクノロジー」は重要な解決策となっていくでしょう。引っ越したら「無電源エアコン」「水の要らない泡の風呂」がある家に住みたいものです。




その他、ジョン・ボン・ジョヴィのインタビュー、女優・神野三鈴さんのインタビューなど豊富なコンテンツが紹介されています。路上にて、ぜひお買い求めください。



ビッグイシュー日本版 5月15日発売 215号の紹介 | BIG ISSUE ONLINE


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(ビッグイシュー・オンラインは、社会変革を志す個人・組織が運営するイベントや、各種募集の告知をお手伝いしております。内容については主催者様にお問い合わせください。)





「共生社会を創る愛の基金」第2回シンポジウム



『罪に問われた障がい者』の支援
–新たな制度展開と多様な草の根の取組み–


 2012年、「罪に問われた障がい者」を支援するために、村木厚子さんからの「郵便不正冤罪事件」に関する国家賠償金を基にした寄付により「共生社会を創る愛の基金」が立ち上げられました。

 2012年3月には、刑務所出所者等の社会復帰を支援するために「司法」と「福祉」をつなぐ地域生活定着支援センターの全国設置が完了し、検察と連携し、障がい者に対して適正な取調べ、司法手続きを保障することや刑罰以外の道筋を探るための「被疑者・被告人支援」が始まりました。「罪に問われた障がい者」への支援は「出口」(社会復帰)と「入口」(取調べ、司法手続き)の両方でようやく進み始めています。

 「共生社会を創る愛の基金」の第2回シンポジウムでは、「罪に問われた障がい者」を支援するための新たな取組みを紹介するとともに、設立初年度の「共生社会を創る愛の基金」事業報告をとおして、地域に広がるさまざまな取組みをご紹介いたします。

 多くのみなさんのご参加をお待ちしております。

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日     時: 2013(平成25)年7月15日(月・祝)
開場・受付開始: 08:45
第  1  部: 09:30~13:00
第  2  部: 14:00~17:00
会     場: 日本教育会館 一ツ橋ホール
〒101-0003 東京都千代田区一ツ橋2-6-2
【道案内専用電話番号:03-3230-2833】
事 前 申 込: 要(定員750名先着順)
資  料  代: 4,000円
主     催: 共生社会を創る愛の基金
お申込み 方法: 公式ページ内のお申込みフォームか、
FAX(0957-77-3966)でお申込みください。

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締切り:7月5日(金)

※当日はご記入いただいた申込用紙か、 申込受付メール(自動配信)を
受付までお持ち下さい。




[編集部より]

詳しいプログラムは下記に紹介されています。骨太な内容ですので、ぜひチェックしてみてください。

シンポジウムプログラム|共生社会を創る愛の基金




【お問合せ先】
「共生社会を創る愛の基金」シンポジウム事務局(社会福祉法人 南高愛隣会内)
〒859-1215 長崎県雲仙市瑞穂町古部甲1572  (担当:南口・本田)
TEL 0957-77-3600㈹/FAX 0957-77-3966/E-mail:ainokikin@airinkai.or.jp



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[編集部より]

生活保護法改正に関して、NPO法人自立生活サポートセンター もやい理事長の稲葉剛さんに寄稿を頂きました。
自立生活サポートセンターもやい」は生活困窮者や家を借りたくても保証人がいない人たちの相談にのり、必要な支援につなげ自立を応援する活動をしています。




◆生活保護法「改正法案」が閣議決定



 5月17日、政府は生活保護法を抜本改正する法案を閣議決定しました。この「改正法案」の中には、生活保護の申請を厳格化し、親族の扶養義務を強化する内容が盛り込まれていることから、私たち、生活困窮者支援に取り組むNPO関係者や法律家ら、生活保護の当事者から抗議の声があがっています。

 「改正法案」の法的な問題については、私も幹事を務める生活保護問題対策全国会議のブログに掲載された同会議の緊急声明や関連資料をご一読ください。

生活保護問題対策全国会議 -「違法な『水際作戦』を合法化し、親族の扶養を事実上生活保護の要件とする『生活保護法改正法案』の撤回・廃案を求める緊急声明」および関連資料

 ここでは、路上生活者など生活困窮者の相談・支援に関わってきた立場から、今回の「改正法案」の問題点に迫りたいと思います。




◆福祉事務所職員による追い返し



 「どこの馬の骨かわからない人に生活保護は出せない」、「仕事なんてえり好みしなければ、いくらでもある」、「病気があると言って甘えているが、日雇いでも何でもして、自分の金で病院に行くのが筋だ」、「あんたが悪いんだから、頭を下げて実家に戻りなさい」…。

 これらはすべて私が自分の耳で聞いた福祉事務所職員の発言です。

 私は1993年から生活困窮者の支援活動に関わり、これまで20年間、東京23区内を中心に3000人以上の生活保護の申請に同行してきました。

 本来、生活に困窮した人の相談にのり、必要な支援策につなげるのは、行政機関の仕事です。しかし実際は、多くの福祉事務所で生活困窮者を窓口で追い返す「水際作戦」が日常的に行なわれてきました。特に路上生活者に対しては職員の偏見も強く、面接担当の職員が冒頭にあげたような暴言を吐き、言葉の暴力で相談者を追い返すということが横行していました。

 私はこうした差別的な対応に遭遇するたびに、担当の係長や課長を呼び出して抗議し、職員の窓口対応の改善を申し入れてきました。

 2000年代に入り、職員の差別的対応は減ってきましたが、その後も各福祉事務所は法律とは違う独自の基準で生活保護の対象者を選別することをやめませんでした。生活保護法では生活に困った人は無差別平等に保護することが定められていますが、一部の福祉事務所は、「65歳以上の高齢者や、重い疾病や障がいがある人に限る」、「地域内に住民票を設定している人に限る」など、自治体ごとに恣意的な判断基準を定め、その対象にならない人を窓口で排除するという運用を続けました。もちろん、こうした運用は生活保護法に違反しています。

 全国に1251ヶ所(2013年4月1日現在)ある福祉事務所のうち、相談者が手にとれる場所に申請書を備え付けているのは数ヶ所しかありません。多くの福祉事務所では、面接担当の職員が独自基準で認めた人にのみ申請書を渡すという手法で、違法に対象者を選別してきたのです。

 その結果、生活に困窮しながらも生活保護を申請できずに亡くなる人が増え、2003年には一年間の餓死者数が93人と過去最多になりました。この数は厚生労働省の人口動態統計で死因が「食糧の不足」とされている人のみを集計したものなので、実際にはもっと多くの人が餓死していると推察されます。

 2000年には大阪府監察医事務所の資料などをもとに研究者が調査したところ、路上で亡くなった路上生活者は大阪市内だけで年間213人にのぼったことが判明しています。




◆違法な「水際作戦」にどう対抗するか



 違法な「水際作戦」に対抗するため、2006年頃から全国で法律家らによる生活保護の相談窓口が設置され、生活保護の申請を支援する活動が活発化しました。私たちNPOも法律家と申請のノウハウをわかちあい、申請支援の活動を広げていきました。

 「水際作戦」への対抗手段とは何か。それは、福祉事務所に申請書を出してもらうのではなく、あらかじめ申請書を用意して持っていくという単純なことでした。生活保護の申請は口頭でも認められるという裁判の判例がありますが、録音をしない限り、口頭申請では証拠が残りません。そのため、申請の意思を示す書面を事前に書いてもらい、提出する、ということを各団体が始めたのです。私が代表を務める〈もやい〉のウェブサイトでは、事務所まで来られない遠隔地の方のために生活保護の申請書をダウンロードできるようにしました。



 2008年秋から「派遣切り」により、大量の非正規労働者が失職した際にも、全国各地でこうしたノウハウが活用されました。その結果、貧困は大きく拡大したにもかかわらず、必要な方が生活保護につながる率が高まり、餓死者数を減少させることができたのではないかと思います。2011年の餓死者数は45人と、依然として高い水準ですが、2003年の93人に比較すると半減しました。




◆2ヶ月前まで諌めていたことを自ら合法化



 しかし、今回の「改正法案」は違法な「水際作戦」を合法化する内容が盛り込まれています。

 「改正法案」24条1項は、生活保護の申請にあたり、氏名・住所だけでなく、要保護者の資産・収入状況、さらには「厚生労働省令で定める事項」を記載した申請書を提出しなければならないとしています。これまで認められてきた口頭申請が認められなくなる危険性があります。

 また第24条2項では申請書に「要保護者の保護の要否、種類、程度及び方法を決定するために必要な書類として厚生労働省令で定める書類を添付しなければならない」と定めています。ここで言う添付書類とは、賃貸住宅の契約書や預金通帳、給与明細、年金関連書類などが想定されます。

 〈もやい〉は、年間約1000件の面談による生活相談をおこなっていますが、相談窓口に来られる方の中には、ドメスティックバイオレンスや親族による虐待に遭い、着の身着のままで逃げてきた人や、入居していた賃貸住宅から「追い出し屋」の被害にあってロックアウトされた人、路上生活中に荷物をすべて盗まれた人も少なくありません。また、いわゆる「ブラック企業」の中には、給与明細などの書類を出さないところも珍しくありません。

 私たちはご本人が預金通帳などの添付書類をお持ちの場合は、生活保護申請書とともにそれらを窓口に持参することを勧めていますが、すぐに用意できない状況の際は、まずは申請書のみ提出するようアドバイスをしています。

 関連書類の添付が法律で義務付けられれば、こうした場合、「添付すべき書類を持参していない」という理由で申請できなくなる恐れがあります。生活の拠点を失うくらい困窮度の高い人ほど、申請が困難になるという状況が生まれかねません。

 これまでも、一部の福祉事務所は申請にあたって、資産・収入等の添付書類の提出があたかも要件であるかのように説明してきました。「書類が足りないから」という口実で、申請を受け付けず、何度も窓口に足を運ばせ、そのうちに相談者が申請をあきらめるのを待つ、というのも、伝統的な「水際作戦」の手法の一つです。

 こうした運用に対して、厚生労働省は今年3月11日に開催された社会・援護局主管課長会議において「それらの提出が保護の要件であるかのような誤信を与えかねない運用を行っている事例等、申請権を侵害、ないし侵害していると疑われる不適切な取扱いが未だに認められている」と非難しています。

 これは「改正法案」が閣議決定されるわずか2ヶ月前のことです。2ヶ月前に「違法だからやめろ」と言った内容を自ら合法化させる、という今回の動きには異様なものを感じます。何か背後に大きな政治的圧力があったのではないか、と想像せずにはいられません。 

 「改正法案」には扶養義務の強化も盛り込まれており、これも「親族に養ってもらえ」という口実による「水際作戦」を強化するものです。また、扶養義務者への調査が徹底されるため、「自分が申請すれば、将来にわたって親族の収入・資産等が丸裸にされる」という想いから申請抑制をする人も確実に増えるでしょう。




◆日本社会のターニングポイント



 このように今回の生活保護「改正法案」は、私たちが長年、根絶をめざして努力してきた違法な「水際作戦」を合法化させる内容になっています。それは確実に餓死・孤立死・路上死を増やします。貧困が拡大している現在、餓死者数は2003年の比ではなくなるでしょう。

 私たちは本当にそのような社会を望むのでしょうか。今、そのターニングポイントに立っています。





※扶養義務強化の問題については、こちらの文章もご参照ください。

扶養義務強化が福祉現場に与える影響(稲葉剛)





NPO法人自立生活サポートセンター もやい


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(ビッグイシュー・オンラインは、社会変革を志す個人・組織が運営するイベントや、各種募集の告知をお手伝いしております。内容については主催者様にお問い合わせください。)





シューレ大学国際映画祭・上映作品募集中



2013年8月23日~25日にシューレ大学国際映画祭「生きたいように生きる」で上映する、公募作品を募集中です。

■今年も、特別審査員には原一男(映画監督)をお招きし、シューレ大学国際映画祭実行委員会のメンバーと共に厳選なる選考を行います。*原監督も応募作品全編をご覧になります。

■募集要項
◎テーマ:
「生きたいように生きる」をテーマにした作品。ジャンルは問いません。

◎応募〆切:
2013年5月31日(金)消印有効必着

◎応募形態:
・miniDVテープ、DVD-R(いずれもNTSC方式)
※応募作品は、本編の前後に10秒づつブラックを入れてください。
※DVDディスクで応募する場合は、家庭用再生機で再生できるディスクであることを確認の上、同じ内容のディスクを3枚添付しご応募ください。
※お送りいただいたメディアはご返却できませんのでご了承ください。
※作品を郵送ではなく持ち込みされる場合は、事前に必ず事務局までご連絡くだ
さい。

◎応募規定:
・資格不問。国籍、年齢、プロ、アマは問いません。
・作品は45分以内のものを対象とします。(時間を超過する場合は事務局までご相談ください)。
・応募点数に制限はありません。

◎入選、上映機会:
厳正な審査の結果、入選した2~3作品を2013年8月23日(金)~25日(日)に行われるシューレ大学映画祭にて上映いたします。映画祭は3 日間行い、期間中に複数回上映いたします。コンペティションではありませんので、賞金等はありません。

◎応募方法:
作品を郵送していただき、エントリー料をお振込みください。作品受納、振込確認次第、事務局からエントリー完了のご連絡を差し上げます。

(1)メディアと書類の送付:
映像の記録されたメディアと、下記に必要事項を記入した用紙を事務局までご郵送ください。必ず1作品につき、一つのメディアに記録してください。

映画祭の情報はこちら→http://shureuniv.org/filmfes/




シューレ大学:日本で唯一のオルタナティブ大学。子ども中心の、自由な学び場・活動の場を創りだしてきたフリースクール東京シューレが母体となって若者とスタッフで設立。知る・表現する・ということを自分のスタイルで進めることで、自分とは何者か を問い、自分の生き方を創り出すということを模索する場となっている。現在、学生40人、スタッフ4人に、原一男(Kazuo Hara)を始め、平田オリザ(Oriza Hirata)、芹沢俊介(Shunsuke Serizawa)、上野千鶴子(Chizuko Ueno)ら様々な分野のアドバイザーが約50人いる。




■お問い合わせ先

NPO法人東京シューレ シューレ大学国際映画祭実行委員会

162-0056 東京都新宿区若松町28-27

TEL03-5155-9801 FAX03-5155-9802

mail:univ@shure.or.jp

URL:http://shureuniv.org/
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110人生相談






夫の両親が、初孫に興味を示さない



現在5ヵ月になる娘がいます。私の両親は、初孫を激愛してくれていますが、夫の実家は対照的。近くに住んでいながら、会いに来てくれたのは、出産時とお宮参り、お食い初めの3回のみ。それもこちらから「来て下さい」と頼んで来てくれた感じで、とても寂しかったです。今後のつき合い方について、アドバイスをいただきたいです。
(32歳/主婦)






おそらく娘さんが生まれる前も、ご主人のご両親とは行き来がなかったのでしょう。ご主人がどう考えているのかわかりませんが、息子というのは、大人になると親に心配をかけたくないのかプライドなのか、家に寄りつかなくなりがち。

そんな仲を取りもとうとして、ホント大変だったと思います。でもこれからは、娘さんが生まれたことをきっかけに、ご両親と仲良くなれますよ。




私にとって孫は、言葉が悪いけれど、新しいおもちゃみたいでしたね(笑)。

娘が18歳で子どもを生み、8ヵ月からはうちで孫娘を引き取ったんです。どんな夫婦でも、長年連れ添うごとに会話が少なくなるものですが、孫が来て家が明るくなり、にぎやかになりました。

音楽が好きな子で、道ばたで演奏をしている人がいると、手をあげ、腰を振りふり踊るんです。周りの人も、しまいには音楽よりも孫に喜んじゃってね。

子はかすがいといいますが、孫はその役割を十二分に果たしてくれました。いろいろと苦労があったのに、いい思い出しかないです。私がこんな状態になり、雑誌を販売している時に孫が家族のことを知らせてくれたんです。




気の利いたことは言えませんが、ふつう自分の子よりも孫はかわいいものですから、そうではないご主人のご両親は、よっぽどつらい子育て経験があったのかもしれませんね。

娘さんは5ヵ月ということは、まだ泣くか寝てるかだけかもしれませんが、1歳の誕生日前にはよちよち歩きを始め、もっともっとかわいくなります。




気が進まないかもしれませんが、ご自身の両親を訪ねる3回のうち1回は、ご主人のご両親のもとへ行って、その愛らしい姿を見せてあげてください。たまには外で公園に一緒に遊びに行くのも新鮮でいいと思います。

頻繁に会ううちに、ご両親もだんだんと娘さんに愛情がわき、小学校にあがる頃には、「おめでとう」と来てくれるようになるんじゃないでしょうか。

(東京/M)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第109号より)







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