日本の社会的企業根づくまでには時間。問われる市民の成熟度



欧米では大きな社会的インパクトを持つ社会的企業だが、はたして日本にも根づくのだろうか? 谷本寛治さん(一橋大学大学院商学研究科教授)が語る、日本の現状。






谷本氏 4






日本のはじまりは、地域の”変わり者“



社会的企業というスタイルは、欧米から輸入されたものと思われがちですが、実はそれぞれの国でそれぞれのかたちで生まれてきた経緯があります。

イギリスでは、ブレア政権以降の「第三の道」政策で、税制や支援策、啓蒙などのバックアップがありました。コミュニティビジネスの延長で、チャリティとカンパニーの間に「コミュニティ・インタレスト・カンパニー」という中間組織をつくったり、さまざまな組織形態がみられます。

また、もともとNPOが大きな影響力を持っていたアメリカでは、レーガンの新自由主義下でNPOの自立が課題となり、そこからビジネス発想のNPOが生まれるようになりました。




日本にも、昔から社会的企業のような発想を持つ人はいました。例えば、地域の障害者の人たちを雇い入れるような地元の中小企業がその良い例で、ユニークな社長さんはたいてい地域の”変わり者“として見られていた。特に「お上意識」が強い日本では福祉や慈善的な活動は国がやるものという認識で、社会には広がっていかなかったんです。

しかし、80年代頃から豊かさの意味が問われ始め、グローバリゼーションの自由競争下で経済的格差が広がると、見方が変わってきました。それまでの税金による福祉政策が頭打ちして、支援されてきた人たちの中にも「働いて社会に出たい」という多様な価値観を持つ人が出始め、ようやく2000年に入る頃から社会的企業の考え方が知られるようになってきました。




それまでは福祉領域でビジネスをして利益を出すことには批判的な声があった。日本の社会的企業は欧米から輸入されたというより、地域の”変わり者“が、目の前の差し迫った問題をなんとか解決したいと試行錯誤してきたことから発展してきたといえます。





社会インパクトの評価基準ない社会と金融市場



最近はメディアでも社会的企業が頻繁に取り上げられ、ちょっとしたブームです。しかし、その実態となると、まだ日本の社会に根づいているとはいえません。

社会的企業は社会的ミッションをクリアしながら、その商品が売れてビジネスとして成立しなければならない「ダブルボトムライン」が求められます。多くの社会的企業が顧客に支持される高いクオリティを確保していくことに苦しんでいます。

また、社会的企業は資金調達も容易ではありません。今の日本の金融市場には社会的企業が生み出す社会的インパクトの価値を測る物差しがない。その数値化しにくい社会的成果を評価する融資制度やファンドの構築は、これからの課題です。




そして、何より私たちの社会が、そうした社会的企業の活動を受け止めるだけの成熟度を持ち合わせているでしょうか。社会的企業の仕組みを知れば、多くの人はおもしろいと思う。しかし、継続的にかかわり続けるかというと、まだまだそこまでの意識やシステムにはなっていない。

また『もっと政府はしっかりしてくれよ』と、従来の「お上意識」を持つ人も少なくない。今ブームとなっているCSR(企業の社会的責任)が根づいていくためにも、市民や消費者の意識と声の存在が必要です。




NPO法以来10年経ちますが、まだ第三のセクターに成りえず、ようやく市民権を得た段階に過ぎない。10年後の社会的企業はどうなっているかというと、企業数が右肩上がりに増えているという可能性は少ないのではないか。

社会的企業家が引いた社会変革への引き金を、どのように社会全体へ広げていくのか。問われているのは、市民一人ひとりの意識なんです。

(稗田和博)
Photo:大川砂由里





たにもと・かんじ
一橋大学大学院商学研究科教授(肩書きは掲載時)。現在は早稲田大学商学学術院商学部教授。1955年大阪生まれ。79年大阪市立大学商学部卒、84年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。89年、経営学博士(神戸大学)。NPO法人ソーシャル・イノベーション・ジャパン(SIJ)代表理事。著書に『ソーシャル・アントレプレナーシップ—想いが社会を変える』(共編著、NTT出版)、『CSR—企業と社会を変える』(NTT出版)ほか。











(2007年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第78号より)





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ビッグイシューについて

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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊350円の雑誌を売ると半分以上の180円が彼らの収入となります。

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前編を読む







U2 18




「僕には二つの顔がある」



G8に対する抗議コンサートをともに開催したドイツのロックスター、ヘルベルト・グリューネマイヤーは、政治家と一緒に写真を撮られることを拒んだ。ポップ・ミュージックと政治との境界線をどこに引くべきか、二人の間で言い争いにはならないのだろうか。

「それはないね。彼の考え方は尊重してる。今のところ彼は、ショービジネスの中の政治的な部分に力を入れるつもりはないというだけのことさ。そういう見方をするなら、変わっているのは僕の方かもしれないね」とボノは語る。

「僕には二つの顔がある。どんな顔かって? 音楽をやっているときの僕は、理性のかけらもなく、なりふり構わない状態。でももう一つ、分析的な側面があるんだ。政治のプロセスというのも理解できるようになってきた。そういう意味では、僕はポップスターとして異質な存在かもしれないね」




こういう資質を身につけたのは、長年にわたってアフリカとかかわってきたからだ、と語るボノ。最初のころは、まったくもって世間知らずだったと言う。8年前、クリントン大統領が貧困国の債務帳消しに同意した時は、自分がすごいことをやってのけたと思ったが、実際のところ、それは出発地点にすぎなかった、と語る。その後1年かけて国中を回ってほとんどすべての下院議員に会い、合衆国議会を説得しなくてはならなかったのだ。

「その過程で気づいたのは、政治家は世間の人たちが思っているよりも一所懸命働いているということ。それにもう一つ、僕のように稼いでる政治家はほとんどいないということもはっきりした。彼らの多くは、ビジネスで財を成すことができたにもかかわらず、思うところあって、つまり物事をよい方向に変えたくて、政治の世界に足を踏み入れたというわけなんだ。でも悲しいことに、やがて多くの政治家の中でその思いは薄れ、決まり文句を並べるばかりとなった彼らの言葉は、もはやあなたや僕の耳には届かない。でも政府指導者と会話をする中で、そのうわべに隠れた理想主義を発見することがよくあるんだ。何とかしてそれをもう一度引っ張り出したいね」





U2 3加工






アイルランド音楽の起源の一つ、北アフリカの音楽




長年アフリカを旅し、人々や文化、そしてその大陸の美しさを賞賛してきたボノ。その体験がU2の音楽に影響を与えなかったのはなぜなのだろう。

「どんなにU2を忌み嫌っている人でも、ダブリン出身の4人の白人男が黒人の物まねをしていないということだけはわかるはずだ。U2がブルースにのめりこんだことがないのは、僕らの故郷ダブリンでいつもお粗末なブルースが流れていたことと関係があるのかもしれないね。後になって、キース・リチャーズがロバート・ジョンソンやハウリン・ウルフのレコードをかけてくれたとき、僕は初めて黒人音楽の力を知ったよ。でも、僕の声はグルーヴ系の音楽とあまり相性が良くないんだ、グルーヴこそアフリカ音楽の土台なのに」




でも、と続ける。

「今その質問が出たというのはおもしろいね、というのも、最近僕らは北アフリカの音楽、特にマスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ(モロッコの伝統音楽集団)をよく聴いてるんだ。明日フェズに向かうよ、彼らと演奏するためにね。僕らはこの驚くべき音楽に魅了されているところさ。アイルランドのメロディーの多くは、北アフリカにその起源を発しているんだ」






初めてエチオピアを訪れたのが22年前。現地の難民キャンプで働いていたとき、一人の父親が小さな息子をボノに差し出そうとした。そうすれば生き残れるだろうからと。ボノはそれを断ったが、その後その少年はどうしているのだろう。

「今その質問をされるのは不思議なめぐり合わせだな。つい最近、当時撮った写真の新しいプリントを注文したばかりでね。キッチンのテーブルでそれに目を通していたら、現地にも同行した妻のアリが突然こう言ったんだ、『ねえ、これあのときの男の子よ』。僕は彼の写真を撮ったことをすっかり忘れていた。名前も忘れていたんだ。ショックだったよ、名前すら覚えていないなんて! その名もなき子供が生き延びてくれたことを切に願ってる」

「孤児院で働いている最中に生まれたもう一人の子供については聞いたよ。生まれたときの大きさはわずか6センチ。看護師がその赤ん坊を僕の手の中に置いたんだ。『この子は生きられる?』と聞いた僕に、彼女はこう答えた、『彼なら大丈夫』。1年後、彼女はその子が元気でやっていると教えてくれた、もうすっかり大きくなったころさ。そんな瞬間に思い知らされるのが、命のはかなさであり、生き延びようとする意志の驚くべき強さでもある。特にアフリカではね」

(Martin Scholz/編集部)





U2
アイルランド、ダブリンで78年に結成されたロック・バンド。ボノ(ボーカル、ギター)、ジ・エッジ(ギター、コーラス、ピアノ)、アダム・クレイトン(ベース)、ラリー・マレン(ドラム)の4人から成る。2000年に発売された『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』は、七つのグラミー賞を獲得し、世界中で1050万枚を売り上げた。社会的な歌詞と安定したサウンドに定評がある。ボノはアフリカや、深刻化する世界の飢餓問題に取り組む活動家でもある。昨年にはこれまでの軌跡をたどったアルバム『U218 Singles』が発売された。



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102人生相談





貯金ができません…おすすめの節約術を教えてください



実家から独立してひとり暮らしをしたいのですが、そのための貯金ができません。これといった贅沢はしていませんが、無駄な出費が多すぎる気がします。通勤時間が1時間半近くあるので、車内で読む雑誌や飲み物を買ったり、週末に友達と出かけてパーッと使ってしまったり…。おすすめの節約術、貯金術などがあれば教えてください。
(女性/会社員/22歳)






本当にひとり暮らしをしたければ、今から始めてもいいんじゃないのかな。貯金を優先するなら、やっぱり節約だね。




車内で読むという雑誌は、1回読めば終わりでしょ? 図書館で借りて買った気になって、その分を貯めればいい。今の図書館は新刊もあるし、雑誌も借りられる。

名画座もおすすめ。俺が雨の日に行くところは、昔の映画が3本800円で見られる。そこでまた新作を観た気になって、貯める。若いし、どんな本や映画からでも、吸収できるよ。

節約のために、お弁当も自分で作るんだ。あと安いから、俺はファーストフードもよく行く。セットはちっともお得じゃないね。量が多すぎる。100円の単品を2個頼んだぐらいが、胃袋にちょうどいい。

安いタバコを我慢して吸ったことがあるけど、マズすぎて続かなかった(笑)。節約を続けるために、たまに贅沢してもいいと思う。




貧乏人ほどパーッと使っちゃうけど、金持ちほどケチだね。宝くじにでも当たらない限り、みんな苦労しながら貯金している。お金はある程度貯まると、どんどん貯まっていく。お金は持っていても邪魔にならないのもいい。

俺は1年で400万を貯めたことがある。ところが人に預けたらだまされてとられた。頭にきて残りを使い切ったら、困った状態になっているうえ、今はなかなか貯まらない(笑)。




俺には18歳の娘がいるけど、女の人って、髪の毛やら化粧品やら、何かとお金がかかる。周囲と同じようにしてないと、仲間外れにされる風潮があるし…。友達からシブチンと言われても、「好きでやっている」と言って、節約を楽しむのがコツ。

本当の友達だったら、目標に向かって頑張っているあなたを応援してくれるでしょう。

(東京/I)



(THE BIG ISSUE JAPAN 第102号より)







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(2007年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第78号より)




スペシャルインタビュー U2・Bono(ボノ)



アフリカにおける貧困やエイズとの闘いに
力を注ぐようになってから7年。
U2のボノが語る
「REDキャンペーン」のこと、政治のこと、
そして最近魅了されているという北アフリカの音楽のこと。







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2500万ドルの利益で、支出はゼロ。アップルコンピュータも巻き込んだ「REDキャンペーン」



ボノがアフリカにおける貧困やエイズとの闘いに力を注ぐようになってから、7年の時が流れた。いまや彼の写真は、エンターテインメント欄よりも政治欄で見かけることが多いほどだ。

「あとどれくらいこのような活動を続けるかについては、このごろ自分でもよく考えるんだ。僕らは何を成し遂げたんだろうか? いつまで続ければいいのか? エリゼ宮(フランス大統領官邸)やカンツラーアムト(ドイツ首相官邸)から出てくると、もう一人の自分の声が聞こえるんだ、おまえは一体、こんなところで何をやってるんだってね。この手の活動は僕の本来のビジネスではないし、政治家が自分たちの仕事をきっちりこなしてくれれば必要のないこと。そうなったら世間の人たちは、口うるさいボノがアフリカに対する世界の借りについてしつこく語るのを聞かなくてすむというわけさ」と笑う。

「自分のスピーチに耳をふさぎたくなることもたびたびさ。以前のようにただ歌っていられたらと思うこともよくある、でもしばらくは難しそうだね。アフリカに対する僕の関心は、表面的でも一時的でもないから」




アフリカにのめり込むことで、ボノのイメージが悪くなるという人もいる。

「僕がアフリカ絡みでメディアに登場することで、U2の足を引っ張るということはあるかもしれないね。一部のファンの神経を逆なでしてしまうんだ。『彼にはもううんざりだ』という具合に。でもアフリカの問題は僕にとってあまりにも重要なんでね、まだしばらくやめるつもりはないよ」




アップルコンピュータ社などの企業が赤い色の商品を販売して、その利益をボノたちのかかわるアフリカ支援にあてるという趣旨の「REDキャンペーン」は、彼らを非難の矢面に立たせる結果となった。商品を売って得られるよりも多くの金額を宣伝に費やしていると、メディアが報じたのだ。

「まったくの見当違いで、実に腹立たしいね。火事で家が全焼しそうなとき、手を貸さないどころか、消防士に石を投げるようなもので、まったく不愉快だよ。噂が大きくなってしまっただけで、何の根拠もない。僕らが宣伝に1億ドルを費やして、利益は1500万ドルのみと言われたんだけど、実際は2500万ドルの利益に対して、支出はゼロ。『REDキャンペーン』の宣伝費用はすべて、各企業の通常予算内に組み込まれていたんだ。REDに対する多くの企業の協力はあっぱれだった。同じような企業をもっと探していきたいね」





いつも心に浮かぶのは 間に合わせの病院で働く アフリカの医者のことだ



ボノは、G8サミットの周辺で暴動が起こる可能性についてたびたび警告してきた。G8諸国の多くが、2005年にイギリスのグレンイーグルズ・サミットで交わされた約束を履行せずにいる状態を、彼はどう思っているのだろうか。




「2001年のジェノバ・サミットのときのような暴動を許すつもりはまったくないよ。市民的不服従は、暴力行為とはまったく別のものだからね。でも、約束が破られたことに対する大勢の怒りはもっともだと思う」

「いつも心に浮かぶのは、間に合わせの病院で働くアフリカの医者のことだ。あるのは壁ばかりで、屋根もなければ電気もない。看護師たちが向き合うのは、病気の子供を腕に抱いた母親たちの長い列。彼らに薬を与えることもままならず、看護師たちは途方にくれて立ち尽くす。そんな光景も何度も見てきたよ。母親たちが責めるような目で僕を見ることはないけど、看護師たちからはいつも射抜くような視線を向けられる。まるで雌ライオンのような彼女たちが、僕を責めるんだ。『この薬を私たちのもとに送るのは、あなたにとってそんなに大変なこと? この人たちを見て。こんなに苦しんでるのよ』とね」




後編に続く


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前編を読む




商品としての家ではない、「生きている家」



藤岡さんが日曜大工でマイホームづくりを始めたのは、遡ること20年以上前、35歳の時だった。それまでは都会での文化住宅暮らしだったが、新聞に自分で家を建てた人の記事を見つけて、「これなら自分にもできるのでは」と思い立った。

「その時、記事で見たのが素人向きのツーバイフォー(2×4)工法だったんです。日本の在来工法のように柱を使わず、床や壁を1枚ずつ釘打ちで止めていくから日曜大工の延長でつくることができるんです。実際、参考書などを見ながらやって、難しいと思ったところはほとんどなかった」と話す。





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当時、藤岡さんは雑誌編集に携わる会社員。当然、休日は暦通りのため、毎週日曜日や祝日、さらにはお盆・正月休みを利用して通いつめ、2年の歳月をかけてコツコツとつくりあげた。

その間、藤岡さんの休日はすべて手づくりマイホームに当てられたが、妻や子供たちが現場に見に来たり、手伝いに来てくれた友人たちとバーベキューなどをするコミュニケーションも家づくりのおもしろさの一つだった。「手づくりマイホームと言うと、たいてい奥様方はいいなーと羨ましがりますけど、男の人は奥さんにせがまれるのが嫌なのか、反応は薄かったですね」と笑う。




家が建つと、内装の仕上げもそこそこに住み始め、今度は離れの仕事部屋づくり、中庭づくりに励んだ。実際、家の中を案内してもらうと、20年経った今でもリビングの天井はパネルがむき出しのまま。最終の仕上げをしていない。その吹きっさらし感が、またオシャレに見えるから不思議。


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「仕上げしなくても強度は問題ないから、住んでいる自分たちさえ気にならなければOK。子供部屋なんかも、ずっと石膏ボードむき出しのままでしたけど、子供はいくらでも壁に落書きができるから逆によかったですね。最終の仕上げでクロスを張ったのは、子供が大きくなってからでした」

そう言う藤岡さんは、「家づくりに完成はない」と話す。

子供が家を出ると、リビングは夫婦二人暮らし仕様の内装に変え、去年にはシステムキッチンも使いやすいようにつくり変えた。また、昨年は仕事部屋から最短距離で行けるようにと、外からリビングに出入りできる勝手口をつくった。そう言いながら、藤岡さんの口からは昨日まで家づくりをしていたかのような言葉がポンポンと飛び出す。まるで20年経った今も、家が家主とともに進化し、生きているように。




さらに、「今は玄関の吹き抜けをつくり変えようかな、と思っているんです」と言う。

「結局、業者が建てる家というのは商品なんですよね。商品だから、クレームを避けるために、中身よりもとにかくピカピカに磨いて見栄えよくして、引き渡してしまえばそれでおしまい。でも、手づくりマイホームは、その時代時代に合わせて自分たちのライフスタイルに合わせて直していける。いい材料が安く手に入れば、自分のアイディアでまた手を入れますし。家というのは自分が一番長くいる場所ですから、絶えず自分好みの環境にしておきたいし、それができるのが手づくりマイホームのおもしろいところなんです」




自動機械、インターネットの普及…今なら1年でマイホーム



現在、藤岡さんは、自分でマイホームを建てたいと思っている人のネットワーク・関西BIYの会(ビルド・イット・ユアセルフ)を運営しながら、メンバーの家づくりを支援している。会には、マイホームを考え始める30代の男性たちや、第二の人生をスタートした定年退職後の中年男性たちが多く加盟している。

本だけではわからない現場作業時のコツやテクニックを月1回の勉強会で伝授し、個人レベルの交流ではお互いに家づくりを手伝い合いながら効率的なマイホームづくりを学んでいる。これまでにメンバーたちが建てた家は20数軒に上る。

藤岡さんがマイホームを建てた20年前と比べれば、釘打ちの自動機械は一般的になり、資材を購入できるホームセンターも増え、インターネットの普及でさらに資材購入も容易になった。手づくりマイホームにチャレンジする環境が整いつつある今なら、「人にもよりますけど、会社員が週末を使って家を建てれば、1年ぐらいで完成できるのでは」と話す。




ただ、それでも多くの人がアメリカのように手づくりマイホームを身近なモノとして感じているかと言えば、「そうも思えない」と藤岡さん。

「やっぱり日曜大工で家が建てられると言っても、それなりの勉強が必要だし、なにより覚悟が必要だから、なかなか多くの人が手づくりマイホームを考えるまでにはいかないのかもしれません」と話す。

「でも、よく考えれば、家を建てること自体には何の資格もいらないんです。法的な確認申請には、一級建築士の資格も必要ですけど、実際に戸建て住宅を建てている近所の工務店の大工さんは経験が豊富でも資格を持っているわけじゃないですから。ほんとは普通の家の建築は一般の人が本を読んで理解できる程度のものですから、これからもっと車やパソコンの知識を増やすように、家に対しても個人の認識や知識を深めていってほしいですね」

(稗田和博)
Photos : 中西真誠





ふじおか・ひとし

1949年生まれ。フリーの編集者兼ライター。小さい頃からモノづくりが好きで、サラリーマン時代には日曜大工のまねごとや釣具などを自作。35歳の時、2×4工法で手づくりマイホームを建てる。1994年に、関西でのマイホーム手づくり派を支援する組織「関西BIY(ビルド・イット・ユアセルフ)の会」を発足。著書に『日曜大工でわが家を建てた』『夢の手作りマイホーム』『日曜大工でつくるウッドデッキとガーデンエクステリア』『日曜大工の常識』(いずれも山海堂)など多数。

関西BIYの会

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101人生相談





夫が相談なく仕事を辞め、自分探しを始めました



43歳の夫が仕事を辞めて、毎日家事に生きています。この年齢にもかかわらず自分は何がやりたいかわからないとヌカし、実演販売士、ファイナンシャルプランナーなど、未経験の職種で仕事を探しているようです。

ホレた男なので面倒を見るのはやぶさかではないのですが、本人は専業主夫に徹するのはイヤだとか。ならば管理職までやった調理師の経験を生かして働いてほしいのですが、それは嫌なようです。

中年の危機は時間が解決してくれるのでしょうか?ちなみに子どもは2人います。

(31歳/女性/自営業)






俺がホームレスになったのは5年前。ちょうど旦那さんと同じぐらいの年だ。銀座の割烹料理屋で板長をやっていたことがあるし、自分探しもしたことある。旦那さんといろいろとカブるなぁ(笑)。

今じゃ宝の持ち腐れになってるけど、調理師のほか、栄養士やソムリエの資格ももっているんだ。キレイ好きが高じて、清掃の講座も受講したこともある。好奇心旺盛なんだ。だから、新しいことに挑戦したいという旦那さんの気持ちはよくわかるな。




違うのは、俺に子どもがいないことぐらい。この人みたいに可愛い子どもでもいたら、長くこの生活にハマることはなかったかもしれないね。

あと携帯が切れているから、働きたくても仕事の声がかからない事情もある(笑)。旦那さんはちゃんと仕事探しているから、大丈夫。しばらくしたら働き出すと、僕は思うよ。




調理師の仕事はね、おいしく作ってキレイに盛るのはもちろん、速さや接客や愛想も必要とされる。技術だけじゃなく、他人に気に入られないと続かないんだ。管理職もやったことがあるんだから、旦那さんは調理師に限らずどこへ働きに行っても器用にこなせる人だと思うな。




だけどここはひと言、奥さんが納得できるような辞めた理由を、旦那さんは説明するべきだね。面接でも前の仕事を辞めた理由は必ず聞かれるし、次のステップのために、反省すべきところは改めてさ。

旦那さんには旦那さんの、これまでの経験やプライドがあるだろうし、新しい職場では年下で威張っている人もいるはず。でも、旦那さんには初心を忘れず、家族のために我慢してもらいたいね。旦那さんの働きぶりを見せたら、相手の態度も変わるし、そのうち認められるようになるからさ。

(東京/I)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第101号より)







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(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第76号より





家は日曜大工で建てられる




20年以上前、日曜大工の延長でマイホームを建ててしまった藤岡等さん。そのマイホームづくりは、今も続いている。素人向きの2×4工法と、自分で家を建てることの醍醐味を聞く。







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安いだけじゃない、こだわるところにはお金をかける醍醐味



大阪市内から北に車で1時間弱。木々の緑が眩しい山道を走り、峠をこえると、そこはもう周囲を山に囲まれた小さな町(豊能郡能勢町)。その住宅街に入ると、ひときわ目立つ戸建て住宅が見えてくる。

アーリーアメリカン調の大屋根構造。屋根には屋根裏部屋の存在を連想させるドーマー(屋根窓)がついていて、玄関の扉はハリウッド映画に出てきそうだ。離れにある中2階の仕事部屋や赤煉瓦を敷いた中庭には、さらに家主のこだわりが凝縮しているようでいて、訪れた者をワクワクした気持ちにさせる。

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日本ののどかな山の風景とはかけ離れた、このオシャレな家は、実は家主の手づくり。つまり、日曜大工で建ててしまった家なのだ。




「ローコストでマイホームを建てたいとか、屋根裏部屋がほしいとか、いろいろ理由はありましたけど、要するにモノづくりが好きだったんです。陶芸などを自分でつくりたい人っているじゃないですか、あれと同じです」と家主の藤岡さん。




手づくりマイホームのよさや楽しさがわかるのは、なにも見た目のカッコよさだけではない。パッと見ただけではわからない「こだわり」が随所にある。


例えば、あまり日本では見かけない窓。ほとんどすべての窓は北米製の木製ペアガラスが使用され、二重ガラスになっているため断熱効果が高く、どんなに寒い日でもいっさい結露しない。日本でよく使われている窓はアルミサッシの1枚ガラス。藤岡さんによると、「性能的にも値段的にも最低のもの」なので、結露するのも当たり前なのだ。また、お風呂の壁には長年使用しても腐ったり、カビが生えない、水に強いアメリカ杉が使用されている。


なにより家の品質は自分で建てたからこそ信頼できる。最近でこそ、あらゆる建物で手抜き工事が話題になっているが、自分が住む家を骨組みからつくるとなると、手抜きはありえない、と藤岡さん。「私たちは素人だから、最初からマニュアル通りで『ココに釘5本を打つ』と書いてあれば、必ず5本打つんです。でも、業者の場合は大手の受注元から値段を叩かれていたりするから、見えないところで手を抜くことだってある」


「自分で家を建てたっていうと、すぐに普通の半値で家を建ててスゴイねって、経済的な面ばかり注目されるけど、私たちは逆に性能のところにお金をかけてるんです。それもアウトレット建材など独自のルートで安く手に入れた明朗会計。それが、手づくりマイホームの醍醐味」と話す。




後編に続く


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4月1日発売のビッグイシュー日本版212号のご紹介です。



スペシャルインタビュー マリオン・コティヤール


『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』でフランス人女優として史上2人目のアカデミー主演女優賞を手にしたマリオン・コティヤール。
『君と歩く世界』では、事故により両足を失った女性を演じました。映画が紡ぐ、荒々しくも至高の愛の物語について語ります。



リレーインタビュー さかいゆうさん


ミュージシャンのさかいゆうさんは、18歳より前の自分がどんな人間だったか、ほとんど覚えていないと言います。バンドを組んだことも、楽器にさわったことすらなかったさかいさんの人生をがらりと変え、音楽の道へといざなった出来事とは?



特集 生き残りのしくみ―春、植物の生き方に学ぶ


植物は自分で必要な栄養をつくり出すとともに、地球上のすべての動物たちの命を養っています。しかし、植物もまた人間と同じ地球環境のなかで、さまざまな方法で病気や虫などから自分のからだを守り、逆境に立ち向かって生きているのです。
そんな植物の悩みとは? そして、その悩みを解くための、植物の「生き残りをかけたしくみと工夫」とは?
植物の「自力」「病気」「護身」「逆境」「工夫」など、生物学者の田中修さんにお聞きしました。
桜や草木の花が咲き始める春爛漫の今、植物たちのすごい生き方から、学びたい。



監督インタビュー 『セデック・バレ』ウェイ・ダーション監督


セデック・バレとは「真の人」を意味します。台湾史上最大スケールでつくられたこの作品で、ウェイ・ダーション監督はセデック族の誇り、日本軍との衝突、そして彼らを襲った悲劇を生々しくよみがえらせました。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
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(2011年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第179号より)




Sekaitanshin logo2012




インド、女の子を増やす政策に異論噴出



第3子は教育費を含めて政府が面倒をみます。ただし、その子が女の子なら——。2021年に中国を追い抜き、世界一の人口大国になる見通しのインドで、マハラシュトラ州政府が打ち出した新方針が物議をかもしている。

インド政府は、40年前から「僕たち2人、僕らの2人」を合言葉に人口の抑制に取り組んできた。この結果、出生率の引き下げには成功したものの、農村部への医療の普及に伴う産み分けと、男児を好む伝統的な価値観が相まって、新生児の男女比の不均衡という新たな問題が浮上したのだ。

新方針について、学識者らは「性選別禁止法に自ら違反している」と批判した。個人的な問題への干渉が、そもそも人権侵害との見方もある。

人口抑制の先進国、中国では、女性不足が原因で結婚できない男性が2020年にも2400万人を超えるとみられている。学識者の1人は「優遇策と刑罰はコインの表と裏であり、政策の内容をしっかりと見極めるべき」と指摘している。

(長谷川亮/参照:タイムズ・オブ・インディア、アウトルック、AFP)
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