(ビッグイシュー・オンラインは、社会変革を志す個人・組織が運営するイベントや、各種募集の告知をお手伝いしております。内容については主催者様にお問い合わせください。)





シューレ大学国際映画祭・上映作品募集中



2013年8月23日~25日にシューレ大学国際映画祭「生きたいように生きる」で上映する、公募作品を募集中です。

■今年も、特別審査員には原一男(映画監督)をお招きし、シューレ大学国際映画祭実行委員会のメンバーと共に厳選なる選考を行います。*原監督も応募作品全編をご覧になります。

■募集要項
◎テーマ:
「生きたいように生きる」をテーマにした作品。ジャンルは問いません。

◎応募〆切:
2013年5月31日(金)消印有効必着

◎応募形態:
・miniDVテープ、DVD-R(いずれもNTSC方式)
※応募作品は、本編の前後に10秒づつブラックを入れてください。
※DVDディスクで応募する場合は、家庭用再生機で再生できるディスクであることを確認の上、同じ内容のディスクを3枚添付しご応募ください。
※お送りいただいたメディアはご返却できませんのでご了承ください。
※作品を郵送ではなく持ち込みされる場合は、事前に必ず事務局までご連絡くだ
さい。

◎応募規定:
・資格不問。国籍、年齢、プロ、アマは問いません。
・作品は45分以内のものを対象とします。(時間を超過する場合は事務局までご相談ください)。
・応募点数に制限はありません。

◎入選、上映機会:
厳正な審査の結果、入選した2~3作品を2013年8月23日(金)~25日(日)に行われるシューレ大学映画祭にて上映いたします。映画祭は3 日間行い、期間中に複数回上映いたします。コンペティションではありませんので、賞金等はありません。

◎応募方法:
作品を郵送していただき、エントリー料をお振込みください。作品受納、振込確認次第、事務局からエントリー完了のご連絡を差し上げます。

(1)メディアと書類の送付:
映像の記録されたメディアと、下記に必要事項を記入した用紙を事務局までご郵送ください。必ず1作品につき、一つのメディアに記録してください。

映画祭の情報はこちら→http://shureuniv.org/filmfes/




シューレ大学:日本で唯一のオルタナティブ大学。子ども中心の、自由な学び場・活動の場を創りだしてきたフリースクール東京シューレが母体となって若者とスタッフで設立。知る・表現する・ということを自分のスタイルで進めることで、自分とは何者か を問い、自分の生き方を創り出すということを模索する場となっている。現在、学生40人、スタッフ4人に、原一男(Kazuo Hara)を始め、平田オリザ(Oriza Hirata)、芹沢俊介(Shunsuke Serizawa)、上野千鶴子(Chizuko Ueno)ら様々な分野のアドバイザーが約50人いる。




■お問い合わせ先

NPO法人東京シューレ シューレ大学国際映画祭実行委員会

162-0056 東京都新宿区若松町28-27

TEL03-5155-9801 FAX03-5155-9802

mail:univ@shure.or.jp

URL:http://shureuniv.org/
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110人生相談






夫の両親が、初孫に興味を示さない



現在5ヵ月になる娘がいます。私の両親は、初孫を激愛してくれていますが、夫の実家は対照的。近くに住んでいながら、会いに来てくれたのは、出産時とお宮参り、お食い初めの3回のみ。それもこちらから「来て下さい」と頼んで来てくれた感じで、とても寂しかったです。今後のつき合い方について、アドバイスをいただきたいです。
(32歳/主婦)






おそらく娘さんが生まれる前も、ご主人のご両親とは行き来がなかったのでしょう。ご主人がどう考えているのかわかりませんが、息子というのは、大人になると親に心配をかけたくないのかプライドなのか、家に寄りつかなくなりがち。

そんな仲を取りもとうとして、ホント大変だったと思います。でもこれからは、娘さんが生まれたことをきっかけに、ご両親と仲良くなれますよ。




私にとって孫は、言葉が悪いけれど、新しいおもちゃみたいでしたね(笑)。

娘が18歳で子どもを生み、8ヵ月からはうちで孫娘を引き取ったんです。どんな夫婦でも、長年連れ添うごとに会話が少なくなるものですが、孫が来て家が明るくなり、にぎやかになりました。

音楽が好きな子で、道ばたで演奏をしている人がいると、手をあげ、腰を振りふり踊るんです。周りの人も、しまいには音楽よりも孫に喜んじゃってね。

子はかすがいといいますが、孫はその役割を十二分に果たしてくれました。いろいろと苦労があったのに、いい思い出しかないです。私がこんな状態になり、雑誌を販売している時に孫が家族のことを知らせてくれたんです。




気の利いたことは言えませんが、ふつう自分の子よりも孫はかわいいものですから、そうではないご主人のご両親は、よっぽどつらい子育て経験があったのかもしれませんね。

娘さんは5ヵ月ということは、まだ泣くか寝てるかだけかもしれませんが、1歳の誕生日前にはよちよち歩きを始め、もっともっとかわいくなります。




気が進まないかもしれませんが、ご自身の両親を訪ねる3回のうち1回は、ご主人のご両親のもとへ行って、その愛らしい姿を見せてあげてください。たまには外で公園に一緒に遊びに行くのも新鮮でいいと思います。

頻繁に会ううちに、ご両親もだんだんと娘さんに愛情がわき、小学校にあがる頃には、「おめでとう」と来てくれるようになるんじゃないでしょうか。

(東京/M)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第109号より)







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前編を読む

オランダの難民政策




オランダでは毎年約6000人の難民申請者が拒否されており、受け入れを拒否された難民たちは、それぞれの出身国に帰還することとされている。しかし、難民たちが政治犯であることも多く、出身国から入国を拒否されることも多い。また、アムネスティ·インターナショナルは、彼らの出身国の治安が万全でないことも指摘している。

1998年には、 国外退去が困難である難民申請者に対して、母国に、個人の責任で帰還させるという方針を導入。しかしその結果は、不法滞在者、ホームレスを増加させただけだった。

そのため、オランダ政府は不法滞在者の数を減らすために、より厳格な方法を模索し始めた。
昨年2012年、政府は事実上、文書として明示されていない居住者に、入国禁止命令を導入した。
難民申請が拒否されてから、通常28日以内の国外退去を命じている。彼らは期間外にオランダで発見された場合、入国禁止命令が発行され、軽罪で起訴される。罰金130〜1200ユーロ (日本円で約16800円〜15万5000円)または最大6ヶ月まで拘留される。

オランダの新政府は、難民の存在をイリーガル(違法)ととらえている。しかし、難民が犯罪者のように扱われるべきではないという非難の声が、国民からも多数上がっている。





オランダの光と影




北欧並みの「社会福祉国家」と呼ばれ、難民や移民にも手厚い保護を行なってきたオランダは、現在、 社会福祉・医療・文化などの予算を大幅に削減。本年度のオランダ財政赤字は、3%とするEUの目標を超え、国内総生産(GDP)比3.3%、さらに2014年も3.4%となる見込みだ。
http://www.reuters.com/article/2013/02/28/dutch-economy-idUSL6N0BS41I20130228

さらに、オランダ国家統計局CBSによると、今年2月の失業率は7.7%にも達した。これは1984年以来の最も高い数値である。オランダの失業率は昨年12月に7.2%、今年1月は7.5%と上昇し続けている。
http://www.nrc.nl/nieuws/2013/03/21/werkloosheid-loopt-opnieuw-fors-op/

仮にオランダ政府が難民を受け入れると、入国者の収容に1人当たり1日200ユーロ程度の予算が必要となると試算されている。だが、母国に帰ることのできない難民たちを追い出す訳にもいかず、難民の不法滞在を容認しているというのが実態である。




前述したとおり、オランダでは毎年約6000人の難民申請者が申請拒否されており、推定10万人とも言われる不法滞在者、ホームレスが存在していると言われている。

一般のオランダ人には目につかない闇の中—パラレル・ワールドで生きている難民たち。
オランダのつくりだした「光」と「影」の世界。

「光」が強くなれば、「影」も強くなるというふうに、世の中のありとあらゆるものは、相対的関係を持って成立している。「光」にのみ関心を持ち、「影」に無関心を装えば、そのコントラストはますます強まるばかり。影の部分にも目を背けず、光を投じてきたユニークな「オランダらしさ」が失われていくのは、時間の問題だ。




「あいまいで不透明な問題などというものはない。あいまいで不透明と考えるのであれば、それを個々の課題に落とし込み、課題ごとの方策を考えていくことが肝要」 という、緒方貞子さんの言葉どおり、難民問題をあいまいで不透明のままにせず、問題に向き合うことができるならば、 ゲイやレズビアンなどのマイノリティ問題に積極的に取り組んできた、オランダらしい先駆的な解決法が編み出せるはずだ。




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2013年4月5日:アムステルダムのデ・フルクト教会の敷地に植樹する難民たち photo by Manette Ingenegeren




滞在延長が認められた4月5日の夕刻、デ・フルクト教会の敷地に、教会の住人である難民の手によって、彼らの願いが込められた1本の木が植樹された。

まだ小さいながらも、天に向かって力強く伸びる枝々に生命の息吹を感じた。地中にしっかりと張り巡らせた編み目のように広がる根を想像しながら、オランダで普通の生活を営む、難民たちの未来の姿を思い浮かべた。

この小さな木がつくりだす「光」と「影」に、静かに思いを重ねあわせながら、1日も早い春の訪れを心待ちにしている。






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2013年4月5日:アムステルダムのデ・フルクト教会の敷地に植樹 photo by Manette Ingenegeren






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2013年4月5日:アムステルダムのデ・フルクト教会の敷地に植樹 photo by Manette Ingenegeren





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2013年4月5日:アムステルダムのデ・フルクト教会の敷地に植樹 photo by Manette Ingenegeren





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2013年4月5日:アムステルダムのデ・フルクト教会の敷地に植樹された木 photo by Manette Ingenegeren





タケトモコ
美術家。アムステルダム在住。現地のストリート・マガジン『Z!』誌とともに、”HOMELESSHOME PROJECT”(ホームレスホーム・プロジェクト)を企画するなど、あらゆるマイノリティ問題を軸に、衣食住をテーマにした創作活動を展開している。
ツイッター:@TTAKE_NL
ウェブサイト:http://tomokotake.net/index2.html
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デ・フルクト教会の難民たち—オランダの難民政策とその行方




2月に掲載した記事、「デ・フルクト教会へようこそ—温かい食事と寝床、政治亡命者を受け入れるアムステルダム市民たち」の続報をお届けします。







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(デ・フルクト教会に滞在する難民たち photo by Geert de Jong)






昨年11月末、オランダ・アムステルダムの難民キャンプに身を寄せていた難民たちが、キャンプを追い出された。そこで、現在は使用されていない教会を支援者グループがスクウォット(不法占拠)。今年3月末までの「限定期限付き」で、教会での滞在が許可された。その後のデ・フルクト教会に滞在する約120名の難民たちの行方を追う。





現在までの主な経緯



2012年11月30日:オランダへの難民申請者による、国外追放反対の泊まり込みテントキャンプが、警察により強制退去。

2012年12月2日:デ・フルクト教会スクウォット時にオランダのテレビ局、AT5で放映。「亡命希望者が今、教会をスクオット」
http://www.at5.nl/artikelen/91524/asielzoekers-nu-in-gekraakte-kerk

2012年12月4日・19日:デ・フルクト教会の難民申請者、支援者によるデンハーグでの抗議・署名活動
http://www.parool.nl/parool/nl/224/BINNENLAND/article/detail/3361004/2012/12/10/Poelgeest-Amsterdam-laat-illegalen-met-rust.dhtml

2013年1月5日: オランダ・ユトレヒトにて、”WE ARE HERE!” 難民キャンプデモ
http://www.devluchtkerk.nl/blog/vluchtelingendemonstratie-5-januari

2013年1月11日: デ・フルクト教会のソマリア難民が、難民追放の政府の決定に抗議し、デンハーグで「死体」抗議のパフォーマンス
https://www.youtube.com/watch?v=aCVhQzC8F7k


2013年2月10日:アムステルダムのパラディソで行なわれたサリフ・ケイタのコンサートで、デ・フルクト教会に滞在中の難民がコンサートで抗議。
ビデオ: http://www.youtube.com/watch?v=tTH5bcNaKKY






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(サリフ・ケイタとデ・フルクト教会に滞在する難民たちによるコンサート・ポスター)


2013年3月5日・14日:アムステルダムのパラディソで、デ・フルクト教会に滞在中の難民が、”We Are Here”(私たちはここにいる)・コンサートを開催。

2013年3月9日〜10日 国会議員がデ・フルクト教会で泊まり込み抗議
オランダ 緑の党、キリスト教連合と社会党の議員たちは、週末にアムステルダムのデ・フルクト教会で一夜を明かし、オランダの難民政策に抗議。
http://www.volkskrant.nl/vk/nl/2686/Binnenland/article/detail/3404888/2013/03/06/Kamerleden-logeren-nachtje-in-Vluchtkerk.dhtml

2013年3月13日〜14日:デンハーグで行なわれた「安全と正義の総合討論(AO)」にあわせて、難民の住居と生存権を訴える、泊まり込みの抗議活動
http://www.facebook.com/events/588928617802331/

2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ - “Wij zijn Hier. Geen mens is illegaal!” 「私たちはここにいる。誰も違法ではない!」





アムステルダムで行なわれた反難民政策デモには、難民申請者、支援者、政治家、組織、一般市民が参加。http://vluchtelingenactie2013.nl/


約2000人が、デ・フルクト教会からミュージアム広場までデモ行進した。子ども連れの家族、乗っていた自転車を押しながら、飛び入りで参加する人も多く見られ、フレンドリーで和やかな雰囲気に包まれた。





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ - “Wij zijn Hier. Geen mens is illegaal!” (私たちはここにいる。誰も違法ではない!) のチラシ&ポスター





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、デモ行進





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議(ステージ)




ミュージアム広場の抗議活動、スピーチはオランダ語、英語、フランス語、アラビア語のマルチリンガルで行なわれ、デモ行進の参加者に加え、さらに500〜1000人が発せられた言葉に聞き入っていた。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。“nous sommes des humains comme vous”(私たちも、あなたがたのような人間である)と書かれたフランス語のプラカードを持った女性。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。車椅子で抗議する女性。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。“IEDEREEN IN DE WERELD IS VLUCHTELING”(世界中のすべての人は難民だ)と書かれたオランダ語のプラカードを持った女性。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。“WE ARE HERE”(私たちはここにいる)と書かれたオランダ語のプラカードを持った男性。





アムステルダム 反難民政策デモ デモ行進とミュージアム広場の抗議活動の様子を短く編集したビデオ



オランダの各種メディアは事実を歪曲せず、反難民政策デモについて報道している





オランダの今年の春の寒さは、例年よりもかなり厳しく、まだ真冬のコートが手放せない。
2013年のイースター(復活祭)の週末は、クリスマスよりも冷え込み、1964年以来の寒さが到来。

4月になっても、雪が舞い散る日も多く、春の訪れを感じるのはまだ先になりそうだ。

そんな寒さの折、3月末までの滞在が許可されていたデ・フルクト教会の住民である難民たちと支援者は、アムステルダム市長へ滞在許可延長を申し入れ、その結果、4月5日までの滞在延長の猶予が認められた。

4月8日に難民たちと支援者たちが書いたアムステルダム市長への手紙には、先の見えない将来への不安と闘う難民たちの苦悩が綴られた。異なる文化背景を持つ人たちとの長期にわたる共同生活によって、精神的・身体的な疲労困憊は限界に達している。人間としての最低限の生活を営むために、緊急に治療と保護が必要だと訴えた。

http://www.devluchtkerk.nl/blog/brief-aan-de-burgemeester

こうして再び滞在許可は4月10日まで延長され、同日、アムステルダム市長と教会の所有者が、非公開の場で今後の教会について協議したが結論には至らなかった。

4月15日、再びアムステルダム市長との会談が行なわれ、教会に滞在している難民と教会所有者との間の滞在許可契約書が、6月1日まで延期されることとなった。

今後数週間のうちに、難民たちが緊急サービスを受けられるような道筋を、アムステルダム自治体と他の機関が協力しながら作り上げていく運びとなった。

しかし教会側は、今回のアムステルダム市長の決断を高く評価しているものの、慎重な姿勢を崩さない。難民と直接話し合い、彼らをどのように扱うかという「実益」を約束すること、個々の難民に注目し、彼らの将来を考慮した「よいカウンセリング」を行なうことで、現実的な計画を作り上げることを市長に訴えかけている。




後編に続く


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(2012年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第202号より)





『福島と生きる 国際NGOと市民運動の新たな挑戦』








震災直後、宮城県や岩手県には多数の国内・国際NGO/NPOが次々と支援に入ったが、福島県では出遅れた。

放射性物質による汚染のほかに、福島ではNGO/NPOの活動基盤や、外部から支援を受け入れるための受け皿となる中間支援組織が脆弱で、それが支援活動の遅れになった可能性が指摘されている。

本書は、こうした福島の問題を乗り越えようとする市民とNGOの格闘の軌跡と、「未来」や「福島」への視座を特集している。放射能汚染は測定器がなければ不可視的であり、よって実害も不可視化されやすい。

対立と分断を越えて、今の問題をどうとらえ、発信し、広く連携していくか、その実践とヒントがつづられた。

「福島の状況を世界に発信する際の鍵は、福島で起きていることを世界的な課題(グローバル・イシュー)として位置づけるところ」(竹内俊之・国際協力NGOセンター震災タスクフォース福島事務所長)。

福島の問題がいかに普遍的かを理解できる一冊。 

(藍原寛子)


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5月15日発売のビッグイシュー日本版215号のご紹介です。



スペシャル・インタビュー ジョン・ボン・ジョヴィ


バンド結成30周年の節目に、通算12枚目のアルバム『What About Now』をリリースしたボン・ジョヴィ。「ソングライターである前に、一人の闘う男でありたい」と言います。走り続けるボン・ジョヴィが、曲づくりや家族、政治、そして情熱を注ぐコミュニティ支援活動についても話してくれました。



特集 無限?! ネイチャー・テクノロジー ― 自然に学ぶ、生きのびる技術


地球生命の誕生から38億年。自然界の生き物は試行錯誤や淘汰を繰り返し、最小のエネルギーで駆動できるしくみや、完璧に循環するつながりのシステムなどをつくりあげてきました。
2030年、生物多様性の劣化、エネルギー・資源の枯渇などすべてのリスクがピークを迎えるといわれています。自然に学び、生きることを楽しみながら人類の危機を乗り切る技術、「ネイチャー・テクノロジー」を研究している石田秀輝さん(東北大学大学院教授)に、自然のすごさを新しい物づくりと暮らしに活かすことについてお聞きしました。
また、ヤモリの足にアイディアを得た中山喜萬さん(大阪大学名誉教授)の「ヤモリ・テープ」や槌谷和義さん(東海大学准教授)の「蚊にヒントを得た痛くない注射針」の開発研究について取材。
さらに、塚本康浩さん(京都府立大学大学院教授)には、ダチョウの生命力に注目、アトピーや花粉症に効き、将来的には子宮頸がんやHIVへの応用化も目指す「抗体」の研究についてお聞きしました。



リレーインタビュー 神野三鈴さん


舞台を中心に活躍を続ける、女優の神野三鈴さん。母親と老いた猫の介護を続け、ボロボロの身体を引きずるように稽古場へ通う……。そんな日々を過ごすなか、「自分の選択に誇りをもとう」と心に決めたことが、自身にとって大きな変化だったと語ります。



クリエーターの視点 下道基行さん


数十年の時を経た戦争遺跡や、暮らしの中で必要とされる橋――。下道さんは、目の前の風景を写真で記録し、時間の流れや人々の生活を浮かび上がらせます。現在、中学生と共に進めている、「14歳と世界と境」という活動についてお聞きしました。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。

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(2011年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第169号より)




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アルゼンチン 軍政期の「乳児誘拐」を裁く



1976年〜83年の軍事政権下、軍が「反体制分子」を秘密裏に監禁していた「収容所」で生まれた赤ん坊ら、500人近い乳児は、親から引き離され、養子に出されたり、売られたり、捨てられたりした。

この「軍政による組織的な乳児誘拐」の裁判が、4月に始まった。34件が審議され、300人を超える証人が出廷する。     

「私は32年間、偽りの人生を送ってきた」。

フランシスコ・マダリアガは、軍諜報部員の「両親」のもとで、別人として暮らしてきた。8歳頃から始まった「父親」による暴力と、出生年が軍政期で出生地が「収容所」のあった地域だと知ったことをきっかけに、自分の出生に疑いを抱いた。

その後、軍政下で行方不明になった孫や曾孫を探す女性たちの組織の支援で、真実を突き止めた。「両親」は今回法廷で裁かれる。

実母は「収容所」で死亡したが、亡命し生き延びた実父とは、昨年再会を果たした。「それは人生最高の瞬間だった」と話す。

長い時を経て、自らと祖国の歴史の真実を求める闘いが始まった。

(工藤律子/参照:BBC Mundo, El Universal)
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109人生相談





職場の派閥にどう対処すべきか…



転勤先の新しい職場は、自分以外は女性ばかりで険悪なムード。キャリアのあるAグループは前例にこだわり、若手のBグループは責任感が薄く、二派に分裂しています。業務を円滑にまわさないといけない立場として、中に入り込めず手を焼いています。うまくまとめる策はありますか?

(男性/会社員/29歳)






新しい職場で、男性1人とは、気苦労がたえないですね。

僕も20代後半の頃、新しい仕事を紹介されて、知らない土地に引っ越しをしたことがある。でも、心を病んでしまった。現場には暗黙のルールがあるのに教えてくれず、派遣された会社ごとにグループもあって、誰にどう聞いていいのかわからなくってね。

もともと僕は内気で、言葉が喉まで出かかっていても声をかけるタイミングをつかむのが苦手。それに借金の問題もあって、だんだん頭の中が不安でいっぱいになってきた。

ひとりぼっちで考え込むうちに、被害妄想みたいになって、誰かが話している姿を見ると、悪口を言っているんじゃないかと、つっかかってけんかになっちゃって。恥をかき続けるのはゴメンだから、去るしかなかった。




ところが、今はホームレスであるという恥を、声を張りあげて町中でさらして生きている。かつては敵に見えた人ごみの中には、好意をもってくれている人もいたんです。

治療をしたのもあるけど、声を出すうちに、次の言葉が見つかり、具体的に物事が考えられるようになってきた。




この人には、積極的に声をあげてもらいたい。職場では、年齢差や男女差、いろんなことが絡まって、三者三様、まったく違った見方をしているんでしょう。

この際、格好よくまとめていこうとはせず、恥をかいてみてはどうですか? 

これからは忘年会や新年会など飲みに行く機会も多いし、無礼講もアリ。腹を割って話してみると、案外、想像と違う人かもよ。あとは、他の職場の先輩に相談するとかね。僕はいつも下っ端だったけど、上に立つ人は気持ちが強かった。

この人も、ただしゃべればいいというものではないと思う。「職場をよくしたい」ではなく、「僕は職場をよくしたい」というふうに、「僕」とか「私」とか、主語を使って話すと、意思がより強く伝わり、いずれ仲間になってくれるんじゃないのかな。(東京/Y)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第109号より)







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(2011年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第168号より)




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中国、「俺の親父は李鋼だ」 ひき逃げ犯の言葉が流行語に




昨年10月、河北大学の構内で22歳の青年が酒気帯び運転のあげくに女子学生二人をはね、一人は死亡、一人は重傷という事故を起こした。

二人をはねた後、高スピードで走り去り、何事もなかったかのように女友達を迎えに行ったという。警察に取り押さえられた際、「俺の親父の名は李鋼だ」と言い放ったことが、インターネットを通じて事件を全国に知らしめる結果となった。

ネット上で青年の言葉に非難と嘲笑が集中し、それが瞬く間に流行語となった。

「規則を守れ。君の親は李鋼じゃないんだから」といったバリエーション、さらに同名の歌までつくられ、ネット上で人気を博している。河北大学は目撃者に対して緘口令をしいているので、真相は明らかにされていない。“李鋼”とは地元警察の幹部である。世論に抗しきれず、公の場で謝罪し、辞表を提出したという。

最近、刑期6年の判決がおりた。李家から被害者側に多額の賠償が行われたことなどが考慮され、軽い刑期となった。

(森若裕子/参照:中国青年報、中国経済網、北京晨報)


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