花はなぜ美しい?—ボルネオの熱帯林に登って考えた



子どものころから木登りが好きだったという酒井章子さんは、長じて研究者になりボルネオの熱帯林で60mの樹木に登るようになった。そんな酒井さんの研究とは?







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花は植物の生殖器官



野に咲く可憐な野草、あるいは花瓶に生けたゴージャスな花々。それはどちらも美しいけれど、そもそも、なぜ花は美しいのだろうか? 哲学問答のようではあるが、酒井章子さんのこの問いに対する答えはシンプルである。

「花は植物の生殖器官。一番大事な花の機能は、子ども(種子)を残すこと。そのために美しくなったんです」


動物には雄と雌がいて交配することによって子どもを残すが、多くの植物にも動物と同じように性がある。種子をつくるためには遺伝子交換が必要で、植物はそのために花を咲かせる。遺伝子の詰まった花粉というカプセルをつくり、それを昆虫や鳥などの動物(送粉者)に託して同種の植物に届けてもらうのだ。




人間は古来、植物を寡黙な存在だと思ってきた。「花は植物の生殖器官」という発見が広く認められるようになったのは18世紀に入ってからのことである。

花粉を送粉者に託すというのは、
「植物の進化の歴史の中で、非常に大きな発明でした。いろいろな美しい花があるのは、植物がさまざまな動物に花粉を運んでもらっているからです。それぞれの花粉の運び屋にあわせていろいろなかたちの花が進化し、多様化してきたからなんです」


その進化の歴史は、植物と動物(送粉者)がお互い相手に合わせて、チューンナップしながらつくってきたと、酒井さんは説明する。

例えば、鳥に花粉を運んでもらいたい植物は赤い花をつけていることが多い。
「鳥は赤が見やすいといわれています。ほかの色が見えないわけではないんですけれど、鳥は自分の花は赤いんだということを知ってるんだと思いますね」






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花粉の送粉者となる昆虫の中でも、特にミツバチなどのハナバチの仲間は一生花の蜜と花粉に依存して過ごすという。

「一生涯、花から食べ物を得ているという意味で、特異なグループの一つです。重要なのは、彼らが自分のおなかをいっぱいにするためではなく、巣にいる仲間や子どもたちのために花粉を集めていること。自分の食べる量よりずっと多くの蜜や花粉を集める働き者なので、植物からみてもありがたい。身体をおおうふわふわした毛は、おそらく花粉集めに都合のよいように発達させてきたと思いますね」



そのような植物と動物のパートナー関係が密接であればあるほど、仮に花粉を運んでくれる動物の数が少なくなってしまうと、植物は繁殖の危機に瀕するのではないだろうか?

「送粉者に来てもらえず種子が作れなくても、多年草の場合は種子を作るために使うはずだった養分を取っておき、来年の種子に回すことができます。一方、1年で死んでしまう一年草は、来年にまわすということができませんから、ほかの花から花粉を運んでもらえなかった場合に備えて自分の花粉で種子を作る仕組みを持っていることが多いんです。いわば保険をかけているんですね。ですから、送粉者の数の多少の変化は植物にとっては想定内といっていいでしょう。しかし、送粉者が生態系からまったくいなくなってしまったら、その影響は大きいと思います」







(2007年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第83号



後編に続く


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Genpatsu


(2013年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 207号より)




5500人参加、第2回脱原発世界会議



脱原発世界会議が昨年12月15、16日に行われ、のべ5500人が参加した。同年1月に横浜で行われた同世界会議に続く2回目となる。この時期に行ったのは、日本政府と国際原子力機関(IAEA)が各国の閣僚と専門家を招いて「原子力安全に関する福島閣僚会議」を福島県郡山市で開催したのに対抗して、市民側からの問題提供のためだ。

現在のIAEAの事務局長は、日本人で外務省出身の天野之弥氏だ。2009年、IAEAの特別理事会での第1回目の投票で、同氏を事務局長にするのに必要な3分の2の信任が得られず、日本側はそうとう苦労した。日本としては原子力輸出に有利になることを狙っての起用だった。しかし彼の足元であり得ないはずの原発事故が起きた。

外務省の発表によれば、玄葉外務大臣(当時)の立ち会いのもと、福島県とIAEAとの間で協力文章を交わした。その内容は、放射線モニタリング、除染、人の健康、緊急事態の準備と対応の各分野で協力していくというものだ。

福島県は復興なくして県行政は成立しないと積極的だ。福島の復興なくして原子力への信頼は取り戻せないと、原子力を進めてきた人たちもきわめて積極的だ。

他方、この陰で苦しんでいる人たちがいる。移転への補助が得られず、高い放射線環境下で暮らすことを余儀なくされている。私たちは特にこの人たちに焦点を当てたかった。さらに、脱原発が私たちの願いであることを、改めて示したかった。

筆者の団体、原子力資料情報室は「原子力を規制する」の分科会を担当した。ドイツ、米国、韓国からゲストを招き、それぞれの国の実情を聞きながら、市民の安全を守るために規制を強化するための方策を探った。

具体的な内容もあるが、何よりも市民が新しく設立された原子力規制委員会の監視をし、規制委員会と対話をもっていくことが重要であることが、みなの一致した意見だった。

会議の他に、東京では日比谷公園でブース展示や集会とデモを行った。日本未来の党の嘉田由紀子代表も衆議院選挙の投票前日で超多忙にもかかわらず、デモに参加してくれた。

郡山市ではIAEAへの抗議の他、脱原発首長会議が開催され、住民の命、健康と権利を最優先に除染などの事業を行うこと、低線量被曝を過小評価しないこと、「原発事故子ども被災者支援法」に基づく被災者の現実に即した施策を行うことなどを要請する宣言文を発表した。




伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






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前編「オランダでたったひとりの日本人ホームレス(前編)」を読む


寒さ厳しいオランダの冬対策




Mさん「オランダ、特にアムステルダムはホームレス対策が行き届いているから、飢え死にもしないし、凍死もしないんだよ。去年の冬はかなり寒かったんだけど、凍死者がでたのは、ホームレス・シェルターに行かなかった2人だけだったんだ。ここスツールンプロジェクトの他にも、アムステルダムには幾つかのホームレス・シェルターや施設があって、DWI *4は、冬のピーク時になると、特別にベッドを多く用意するんだ。DWIは一室につき40人が定員で、基本的には、月に10日間泊まれるんだけど、気温が氷点下0度以下になると、毎日泊まれるんだよ」





ヨーロッパとの強い繋がり




タケトモコ「Mさんは不法滞在だから、オランダ政府から出て行けといわれる可能性が常にありますよね? もしオランダ政府から国外追放を言い渡されたら、どうするんですか?」

Mさん
「そうだな、まあ、とりあえずは、ベルギーあたりに出るだろうな。強制送還だけはどうしても避けたいね。5年はヨーロッパに出入り禁止になるらしいから。ちゃんと調べておかないと」
と、少し険しい表情を見せる。

「日本のことは全く恋しいと思わないね。日本に戻りたいと思ったことは一度もない。理由はわからないけど、魂が日本を拒絶しているんだ。
だから日本食も恋しくなったことは一度もない。好物は今も昔も日本食じゃなくて、フライドチキンだからね」






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Mさん(60歳)




タケトモコ「なぜ、そこまで日本のことが嫌になっちゃったんですか?」


Mさん
「日本は階級社会だから、そういったプレッシャーに絶えられなくなったんだろうな。じいちゃんは 敬虔な仏教徒で信心深い人だったから、子どもの頃からよく仏教の説教を聞かされていたんだけど、仏教の中でも階級があることを知って、死んでからも階級があるなんて思うと、嫌になっちゃったんだよ」



タケトモコ「日本が恋しくなったりしないんですか?」


Mさん
「もう死ぬまで二度と日本に帰ることはないだろうから、ヨーロッパのどこかに骨を埋めることになるんだろうな。どうせあと、数年くらいしか生きられないんだろうと思う。なぜかヨーロッパには子どもの頃から、特別な強い魂の繋がりを感じているんだよ」


「ずいぶん昔の話だけどね、24歳の頃に2年間つきあって、婚約までした女性がいたんだけど、結局うまくいかなかった。彼女の父親は厳しい人で、結婚の決断を早くと迫ってきたんだけど、自分が曖昧な返答しかできなかったんだよ。結局、彼女のために自分の生き方を変えることはできなかった。実はアムステルダムに暮らし始めるまでは、時々夢に彼女が出てきていたんだよ。彼女も自分も当時のままの若さでね」
と、照れ笑い。




アムステルダムのドラッグ事情




Mさん
「オランダは日本や他の国と比べると娯楽が少ないから、どうしてもコーヒーショップ*5に行っちゃうんだろうね。それで大麻なんかのソフト・ドラッグ*6を常用するようになる。でも、ソフト・ドラッグがあるからって、ハード・ドラッグ*6に手を出さないなんてことはないね。ソフトもハードもその気になって手に入れようと思ったら、簡単に手に入るだろうし、いろんなドラッグにはまってる奴らを、パーティでは何回も見かけたことがあるよ」


「アムステルダムは、ドラッグにはまっている奴らや観光客にも、ソフト・ドラッグを法律で認めて、コーヒー・ショップで売ってるし、それが観光業の一環として金儲けになっているんだから、ドラッグにはまったホームレスをケアするのは、ある意味、当然だと思ってるんじゃないかな。たとえば、オランダの政府は、地域別にドラッグにはまったホームレスを専門施設に入所させて、中毒の段階によって完全にドラックから足を洗わせる、社会復帰プログラムがあったりするからね。それにソフト・ドラッグを販売するだけでなく、そういった研究やプログラムの実践にも力を入れてるんだよ」






魂に正直に生きること




スツールンプロジェクトの4月末までの滞在期限を大幅に過ぎてしまい、Mさんは来週までにスツールンプロジェクトを出て行くつもりだと話してくれた。オランダの最高気温はまだ1ケタで、コートが手放せないような気候。例年よりかなり遅い春の兆しが、ようやく見え始めた。Mさんは最近、パーティやフェスティバルなど、週末の人が多い時にだけ、手作りチャイを売って生計にしているそうだ。

「とにかく、自分にとっては、魂に正直に生きることが一番大事なことだから、オランダに来ようと決意したんだ。特にアムステルダムは、その名前の通り、アムステル川をダムでせき止めて、埋め立てをして、オランダ人がオランダ人の手で作り上げた人口の土地なんだ。 だからアムステルダムには、ほとんど自然がない分、人との繋がりがより密になるところなんだと思う。アムステルダムに住むようになってからは、自分の魂に正直に生きているから、後悔はないんだよ。かつて日本に暮らしていた自分もそうだったように、今も日本に住んでいる人たちの大半は、自分を偽り、自分の魂に正直に生きてないでしょ?」


Mさんは泡の消えかけた2杯目のビールを静かに飲み干して、雨の降りしきるアムステルダムの街の喧噪の中へ姿を消した。




タケトモコ
美術家。アムステルダム在住。現地のストリート・マガジン『Z!』誌とともに、”HOMELESSHOME PROJECT”(ホームレスホーム・プロジェクト)を企画するなど、あらゆるマイノリティ問題を軸に、衣食住をテーマにした創作活動を展開している。
ツイッター:@TTAKE_NL
ウェブサイト:http://tomokotake.net/index2.html




注脚:


4. DWI (Dienst Werk en Inkomen )

アムステルダム市の自治体が運営する「雇用・所得センター」。アムステルダム市民の雇用と所得に関する業務に加え、ホームレス状態の人たちの相談、情報の提供、デイサービスやシェルターの紹介も行なっている。




5. コーヒーショップ

オランダには、「コーヒーショップ」と呼ばれるソフト・ドラッグを販売する店が存在する。コーヒーショップとは、日本で言うところのいわゆる「カフェ」ではなく、法律に基づいた量のソフト・ドラッグ(個人使用目的とし、1人にあたり5gまでに限定)の販売が認可されており、コーヒーショップでは、主に大麻(マリファナ)及び大麻加工物(ハシシ)を販売している。
コーヒーショップの店内では、ソフト・ドリンクを注文すると、椅子やソファーでくつろぎながら、店内でソフト・ドラッグの服用ができる。




6.ソフト・ドラッグとハード・ドラッグ

オランダでは大麻(マリファナ)及び大麻加工物(ハシシ)をはじめとする、マジックマッシュルーム、メスカリン、シロシビンなどのソフト・ドラッグと呼ばれる薬物の一定量の所持(個人使用目的とした5グラム以下のソフト・ドラッグ)や使用が、法的に認可されている。

日本とは違い、ハード・ドラッグとソフト・ドラッグが明確に分類されている。オランダでは、この分類が薬物による精神的あるいは肉体的中毒性があるかどうかに基づいて定められおり、そこを二分するライン引きが重要ポイントとなる。

ちなみにオランダで、ハード・ドラックと一般的に定義されている薬物は、ヘロイン、コカイン・メタンフェタミン(覚醒剤)、アンフェタミン、モルヒネ、LSDなど、ケミカル系と呼ばれるもの。








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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

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(ビッグイシュー・オンラインは、社会変革を志す個人・組織が運営するイベントや、各種募集の告知をお手伝いしております。内容については主催者様にお問い合わせください。)




[編集部より] ビッグイシュー本誌でも連載中の「月3万円ビジネス」に関する参加型トークライブが実施されます。オンライン&オフラインを絡めたイベントで、「このトークイベントをUstreamで配信し、視聴者の方にUstream内の「ソーシャルストリーム」でコメントを受け付けます」とのことです。これからのライフスタイルにご興味がある方はぜひご参加ください。

詳しいイベント内容は下記のURLからご覧頂けます。

トークライブ:ライフスタイルのおはなし | 月3万円ビジネス




トークライブ:ライフスタイルのおはなし



日時: 2013年6月2日(日) 13:30~16:30(予定)
    13:15開場、15:30まで配信、16:30まで打ち上げ。
場所: イネル 東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-7 http://inelle.petit.cc/muscat2/
参加費: 1,000円+ワンオーダー (予約制、定員10名程度)
お申し込み: 本サイトの「お問い合わせ」から、題名に「6月2日イベント参加希望」と書いて5月31日(金) 21:00までに送信してください。

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オランダでたったひとりの日本人ホームレス



アジア人のホームレスが皆無に等しいアムステルダムの街角で、偶然出会った日本人ホームレスに聞いた、彼の半生、アムステルダムでの生活とは?






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Mさん(60歳)






Mさんの生い立ち



ひょんなことから、オランダ・アムステルダムで、唯一の日本人ホームレスであるMさん(60歳)に出会った。話が弾み、生い立ちからアムステルダムでの現在の生活まで、お話を伺えることになった。

Mさんは三重県出身で一人っ子。生後2ヶ月で両親が離婚したため、祖父母と共に幼少時代を送っていた。小学校に入学したての夏、祖母は不幸にも他界してしまったため、その後は山師である祖父の男手一つで育てられたそうだ。

Mさんは自然が豊かな土地で育ったこともあり、水泳が得意だという。子どもの頃から性格は地味、クラスでも目立たない存在だったことが、 後にバンドを結成し、ベーシストになったことと関係していると話してくれた。バンド活動を始めたこともあり、学校には行かなくなり、2年生の夏に高校を中退。バンド活動に専念するために、当時流行していた「ザ・ゴールデン・カップス」に憧れを抱き、彼らのいる神奈川へ行く決意をした。

19歳の時にはスタジオ・ミュージシャンである某ベーシストの付き人をして生計を立てていた。20歳から26歳まで幾つかのロックバンドを掛け持ちしながら、生計を立てるために、ありとあらゆる仕事を経験。

「やったことのない仕事はないくらい、ありとあらゆる職業に就いたんだよ」

と昔を思いだしながら、懐かしそうに目を細める。
数あるアルバイトの中で、唯一長続きした職業は引っ越し業務員で、10年も同じ会社にいたという。また、今までに最も辛かった仕事は、地下鉄工事の仕事だそうだ。




日本と決別、アムステルダムへ




2003年2月、友人を訪ねて53歳で初めてアムステルダムを訪問したMさん。

「子どもの頃からヨーロッパに興味があったんだ。アムステルダムに最初に来たのは、大麻を吸いたかったのがきっかけ。オランダは小さい国だから、ここを拠点にしたら、色んな国に行けると思ったんだよ」


帰国後、アムステルダムに本格的に移住するとの決意を固め、2006年の5月までアルバイトをしながら、移住するための資金を貯めたそうだ。

そして2006年6月13日、仕事や人間関係などのすべての身辺整理を済ませ、二度と日本に帰らない決意で、アムステルダムを初めて訪問した。

「最初は英語が全然話せなかったんだけど、現地で自然と覚えたんだ。辞書とかもないから、いまだに知らない言葉とかはたくさんあると思うけど、基本的なコミュニケーションには問題がなくなったね」と巻きタバコをくゆらせながら話す。





スクウォッター&パーティ・オーガナイザー




Mさんがまだオランダに来たばかりの頃は、当初はベーシストとして身を立てていくつもりだったそうだが、望み通りの仕事がなく、あえなく断念した。

同年、2006年10月、スローテルダイクの倉庫を友人たちとスクウォット*1(不法占拠)し、1階はパーティ・スペース、2階は住居・アトリエとして使用。平日は気が向いた時にはウクレレを演奏するストリート・パフォーマンスをし、週末や休日はパーティ・オーガナイザーとして友人と共に活動していた。

友人とともにスクウォットしたこのスローテルダイクの倉庫で、ニューイヤ・パーティを企画したMさん。パーティには約500人を動員し、パーティ・オーガナイザーとして成功を収めるものの、07年2月にはスクウォットが終了。その後2年間は、一緒にパーティをオーガナイズしていた友人の家に居候し、ネコ4匹とともに暮らしていた。

08年から09年には、アムステルダム郊外の巨大スクウォット村のラウフォード(Ruigoord)*2に滞在しながら、スクウォットの手伝い、パーティ・オーガナイザーとして、フライヤーやDJの手配を行なっていた。





ビゥートボアデラィ (ご近所農場)でのショッキングな事件




10年から11年12月までは、アムステルダム東地区のビゥートボアデラィ(buurtboerderij= 「ご近所農場」)にて、住み込みで夜警の仕事に就き、いわゆる用務員のような仕事もしていた。

「ビゥートボアデラィの庭には、鶏が放し飼いにされていて、卵から鶏を4羽かえしたんだよ。忙しかったけど、やりがいのある仕事だった」
とMさん。

しかし、ここで突然、事件は起こった。

2011年の10月、いつものように夜警をしていたら、真夜中の午前2時、目出し帽を被った2人組の男が現れた。一人はバール、もう一人は拳銃のようなものを持っていたという。慌てて逃げようとしたが、すぐに後ろ手に縛られ、転がされて、頭をバールで殴りつけられた。15分くらいで血が止まり、意識を失っていなかったので、何とか自力で警察を呼び、救急車で病院に搬送されたそうだ。

「手を縛られていたんだけど、幸い緩く縛られていたから、すぐにほどくことが出来たんだよ。あれじゃ縛っても意味がないよね。襲われた時は、どう縛られたかなんて冷静に判断出来る状態じゃなかったんだけど。とにかく殺されるかもしれない、死ぬかもしれないと本気で思ったよ」
と当時の恐怖を振り返る。

この襲撃事件がきっかけとなり、Mさんは、事件から2ヶ月後の12月に、ビゥートボアデラィの仕事を辞め、2012年の4月までは、知人のボートで暮らしていた。

「2012年は特に寒い冬だったから、朝に目が覚めたら、ボートの室内の天井に、つららができていたことがしょっちゅうあったんだよ。でもさ、僕の寝袋は-6℃までOKなんだよね」
と笑いながら話す。





アムステルダムでのホームレス生活




Mさんがホームレス状態になったのは、2012年の秋頃からで、現在もホームレス生活を送っている。

「ホームレスになってから何が変わったって? 自分が変わったというより、社会が自分を見る目が変わった。ホームレスになりたての頃は、恥ずかしくてうつむいてあるかなければならなかった。今までも人の情けを受けてきたけれど、これからは全面的に人の情けを受けなければならないと思った。でも今はいい意味で図々しくなったかな。ヨーロッパでは図々しくないと、生き残っていけないからね」
とMさんはビールを飲み干す。

「去年の12月から今まで滞在しているのは、アムステルダムの中心部にあるスツールンプロジェクト(Stoelenproject)*3 という、ホームレスのデイケアとシェルターを運営しているところだ。スツールンプロジェクトの定員は40人、半数以上は50歳以上の年寄りで、年寄りは若者よりも優先されているね。規則では月に10日以上は泊まれないことになってるんだけど、今まで何の問題なかったよ。毎週火曜日と土曜日の朝8時から9時に、受付でカードを貰いに行ったら、宿泊できるんだよ。寝る場所は 床にマットレスを直接敷いた雑魚寝、場所は早い者勝ちだから、風が隙間から入るドアや窓から遠い場所から埋まっていくんだ」


「食べ物はフードバンクから毎週水曜日に新鮮な野菜や米なんかがたくさん届くから、自分で好きなものを料理しているよ。朝昼晩と3食、野菜炒めをご飯の上にぶっかけて食べたりしてるから、栄養はちゃんと摂れていると思う。食べ物はいつも余っている状態だよ」







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(スツールンプロジェクト、キッチンカウンター)

スツールンプロジェクトのシェルター内のキッチンを見せてもらったのだが、シンプルな業務用の装備で、リビング兼寝室は思ったよりも広々としている。部屋の真ん中には大型液晶テレビが設置されており、DVDなども見ることが出来る。




後編「オランダでたったひとりの日本人ホームレス(後編)」に続く




タケトモコ
美術家。アムステルダム在住。現地のストリート・マガジン『Z!』誌とともに、”HOMELESSHOME PROJECT”(ホームレスホーム・プロジェクト)を企画するなど、あらゆるマイノリティ問題を軸に、衣食住をテーマにした創作活動を展開している。
ツイッター:@TTAKE_NL
ウェブサイト:http://tomokotake.net/index2.html





注脚:

1.オランダのスクウォット(不法占拠)について

オランダでは1960年代、不動産オーナーが、投機目的でたくさんの空き建物を放置していたために、住居のない若者が住みはじめたのが始まり。

「スクウォット」するためにはまず、1年間以上空いている建物に不法侵入&占拠し、必要最低限の生活グッズ(ベッドと椅子とテーブルは必需品)を持ち込む。新しく鍵を付け替え、警察に連絡してチェックをしてもらい、スクウォット許可を得る書類を記載し手続きをすると、合法的に自分の家として居住可能になる。

1970年〜80年代に、オランダのスクウォットは、反体制の労働者運動、学生運動、ヒッピー・ムーブメントの流れに伴い、社会的、政治的な運動として拡大した。
さらに1980年代後半〜90年代前半には、新しい世代の「ネオ・ヒッピー」と呼ばれる若者たちが現われ、空き建物のスクウォットは無秩序に増加し、オランダではスクウォッティング・ブームが巻き起こった。

さらに、オランダには、kraakspreekuur(スクウォッターのためのコンサルテーション・アワー)が、あらゆる地方に存在するため、スクウォットを計画している人たちは、熟練のスクウォッターからアドバイスを受けることもできた。
アムステルダムでは、スクウォット・コミュニティが大きかったため、地元グループの助けがないまま、スクウォットすることは難しいとされてきた。スクウォット後は、グループメンバーと共に建物を共有することが前提であるので、スクウォットの情報交換もオープンに共有される。破壊行為や窃盗の目的で建物に侵入するのとは真逆の発想である。

こうしてオランダのスクウォットは、欧米の新しい文化の流れをリードするかたちで成熟していった。そのうち、アーティスト・グループにスクウォッティングされた空き建物は、パブリック・スペースとして市民に解放され、アート、パフォーマンス、フィルム、音楽、クラブなど、新しい表現を模索するクリエイターたちの文化的発信基地として、重要な役割を担っていた。

オランダのスクウォットは、プライベートな住居スペースとして、またアーティスト・イン・レジデンスやライブハウスなどパブリック・スペースとしても機能しており、家のない人たち、経済的余裕のない人たちが生活していくことと、契約者のいない建物の保存の目的の両方が満たされている。
しかし、残念なことに、2010年6月、スクウォット禁止の法案がオランダの両院で可決され、同年10月1日には、その法律が施行されることとなった。
それに伴い、2010年9月には、スクウォッターやスクウォットを支持する人々による、アムステルダム・ダム広場での占拠デモ、そして、法律施行の前日に旧消防署で暴動が起こったことは、まだ記憶に新しい。





2. ラウフォード(Ruigoord)


アムステルダム郊外の巨大スクウォット村のラウフォードは、今年の7月23日に40周年記念を祝って、現在までの軌跡を描いた本を出版する。出版に併せて、40周年記念のビッグ・パーティ(レイヴ)も企画されている。


3. スツールンプロジェクト(Stoelenproject)

スツールンプロジェクトは、ホームレス支援のデイケア&シェルターは財団形式で、運営費の70%がアムステルダムの自治体から支払われている。スタッフは主にボランティアによって運営されている。


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シンポジウム&対話「これからの患者-医療者の関係とコミュニケーションを考える ~ パートナーとなるには何が必要か?」




これからの患者-医療者の関係とコミュニケーションを考える



「患者中心の医療」は、医療者だけの考えでも、患者・家族の考えだけでもできません。医療者と患者が共に考えていく医療を実現するには、どのようなコミュニケーションが必要なのでしょうか?一緒に考えましょう!


==【シンポジウム概要】==================

[主催] みんくるプロデュース
エンパブリック根津スタジオ

[日時] 2013年6月2日(日) 10:00~12:30
[会場] 東京大学 医学図書館3階333教室  (東京・本郷)
map http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_02_01_j.html




<プログラム>

1.ゲストトーク 「患者-医療者関係の変化と協働のためのコミュニケーション」
  石川ひろのさん 東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野 准教授

2.パネルディスカッション 「患者と医療者の協働を実現するためのコミュニケ―ションとは?」
 ・石川ひろのさん (東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野 准教授)
・鈴木信行さん (患医ネット代表、NPO法人患者スピーカーバンク代表、みのりカフェ オーナー)
・孫 大輔さん  (みんくるプロデュース代表、家庭医、東京大学医学教育国際研究センター講師)
ファシリテーター:広石拓司(株式会社エンパブリック代表)

3.カフェ型トーク 「患者-医療者の関係とコミュニケーションを良くしていくには?」

4.ワークショップ 「患者中心の医療を実現するために、私たちにできることは?」

【ゲスト、登壇者のご紹介】

◆石川ひろのさん
東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野 准教授。学内では、医療コミュニケーション学講義・実習を担当。主な研究テーマは、患者-医師間コミュニケーション、ヘルスリテラシー、医療面接教育。
東京大学医学部 健康科学・看護学科 卒業。Johns Hopkins大学 School of Public Health Ph.D.取得(2004年)、東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 博士(保健学)取得(2005年)。
著書・訳書に『医師と患者のコミュニケーション:より良い関係づくりの科学的根拠(監訳 篠原出版新社)』『医療コミュニケーション:実証研究への多面的アプローチ(共著 篠原出版新社)』など。

◆鈴木信行さん
先天性疾患(二分脊椎)による身体障がい者。大学卒業後、製薬企業研究員を経て、2008年文京区根津にて「人と人をつなげていく」がコンセプトの「みのりCafe」を開業。先天性疾患による障がい、精巣腫瘍、がんの再発および腹部リンパ節への転移の経験をもとに、患者、医療者、医薬企業を縁でつなぎ、円をつくることを応援する「患医ねっと」を主宰。患者が自分の経験を医師や医学生、企業に伝えることで医療福祉の質向上に貢献する活動を応援する「NPO法人患者スピーカーバンク」理事長も務める。apital(朝日新聞の医療サイト)に「のぶさんの患者道場」を連載中。

[定員] 50名(先着順)

[参加費]2,000円




参加申込み・詳細は公式ページよりご覧下さい。


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ソーシャルワークの視点を持った就労支援を






NPO法人POSSEは東京を中心に、労働相談や生活相談事業を行っている団体です。仙台POSSEはその支部として、震災直後から、被災者支援を続けてきました。

被災地の路上から vol.2」では、仮設住宅への引越し手伝い、送迎バス運行、子どもたちへの学習支援の取り組みについて、話を聞かせていただきました。今回は、2012年4月より新たに始めた就労支援の取組みについて、事務局の青木耕太郎さんに伺いました。





就労支援という新たな取り組み



震災直後、避難所から仮設住宅への引越しの手伝いを皮切りに、被災した人たちの話を聞き、送迎バスの運行、子どもたちのための学習支援など、そこで必要とされていることに対応する形で支援を続けてきた仙台 POSSE。2012年4月からは、仙台市からの要請を受けて、被災状況に関わらず、仙台市内に住む人を対象に就労支援・無料職業紹介事業をはじめた。

「なんでもよいから、とりあえず仕事」ではなく、「利用者が希望し、生活の目処が立つ仕事に就いていただくこと」を目指しているという。

「ただ求人と求職者のマッチングをするというより、利用者の職業能力の開発や、キャリアリテラシーの向上を目指して支援をしています」と青木さんは言う。現在、支援対象者の状況にあわせて「生活支援」「就労準備支援」「マッチング支援」「就労継続支援」といった4つの側面から、就労支援の枠にとどまらない伴走型支援を行っている。

「就労支援つき就職活動セミナー」といった就活セミナーを開催するなど、アウトリーチ活動もあわせて行っているが、利用者の年齢は30代と40代が中心で、「生活困難者」が多いという。

開所から2013年4月末までの13ヶ月で、約80人の利用があり、21人の就職が決まった。うち、65名が仮設住宅に住んでいる。

「就労支援の実績としては、数字はそこまで高くないでしょう。しかし、(貧困、障害、疾病、介護、子育てといった条件があり)ハローワークなど既存の職業紹介所で仕事を探すことが難しい人が多いため、数字では計れない部分があります。効果を数字だけを追ってしまうと、プロセスがおろそかになってしまう危険があると考えており、数字にはしにくい成果も大事にしたいと思っています。」




求職者ががおかれている状況と必要な支援



仙台市内の有効求人倍率は震災後上向きで、数字上は1倍を超えている。しかし、よく見ると職種ごとに偏りがあることがわかる。

管理:0.89
専門・技術:1.71
事務:0.34
販売:0.77
サービス:2.14
保安:17.34
生産工程:1.18
輸送・機械運転:3.44
建設・採掘:5.16
運搬・清掃・包装:0.58




募集が多い職種は、暫定的に需要が高まっている「建設・採掘」「輸送・機械運転」といった期間限定の土木関連の職種や「保安」など不安定なサービス業、もしくは専門的な資格や免許が求められる仕事で、誰もが就ける仕事ではない、と青木さんは言う。

一方で「事務」や「運搬・清掃・包装」のような軽作業の求人はそれほど増えていない。「仕事はあるけれど、求職者の希望や技能と求人内容にミスマッチが起きています。また、被災で転居された方は、知人のつてを利用できない、見ず知らずの土地で孤独な就職活動をせざるを得ないなど、一層不安定な状況にあります」。




個別のケースから見えてくることも多い。あるとき、シングルマザーで子育て中の人が相談に来た。事務で働いていた経験もあり、震災後は雇用保険で失業等給付を受けていたが、給付時期が切れる寸前だった。本人は「安定していて、子育てと両立できるパート勤務」の仕事を希望していたが、話を聞くと、子どもを預ける先がなく、就職活動もままならないということがわかった。仮設住宅に入居していて住む場所はあったため、子どもの保育園を決めることが先決ということで、保育園探しから一緒に始めた。

「この方の場合、雇用保険と住む『家』があったため、時間的に少し余裕を持って就労支援を行うことができました」と青木さん。「もし、雇用保険や住む家がなかったら、すぐにできる仕事を、できるだけ早く始めなくてはならないという状況になります。そうすると、すぐ始められる低賃金の仕事についたり、生活をするために複数の仕事を掛け持ちしなければならなくなり、子どもと過ごす時間がなくなることになります。それは避けたかった」。




現在、宮城県では、雇用保険の失業給付の期間延長や医療費や国民健康保険料、国民年金保険料の免除期間の延長措置も終了しているが、青木さんはこれまでの経験から次のように語る。

「各種支援はときに『就労意欲を妨げている』と非難されることもありますが、慎重に仕事を選ぶ余裕が生まれることで、望まない、または劣悪な労働を選ばざるを得ない事態を防ぐ効果があったと考えています。「被災者」から「普通の人」となったときに、日常の制度の中で利用できる、柔軟な保障制度が求められています。」





ソーシャルワークの視点を持った就労支援を



「私たちは、就職先との単なるマッチングとは考えていません」と語る仙台POSSEでは支援開始時の面談(インテーク)で丁寧に利用者の状況や就職のハードルになっていることについて、聞き取りを行う。その上で、就労を困難にしている要因を把握、分析し、それらを取り除くための支援計画を当事者と共に作成し、実施している。

「一般的に、就労に困難を抱えていると聞くと『意欲がない』など、とかく本人の責任にしがちです。しかし実際は、本人の意欲の問題だけではなく、求人内容に問題がある場合も多いですし、それまでの経験が労働意欲を奪ってしまっていることもあります。」相談者との信頼関係のもと聞き取りを行うことで「なぜ働かない(働けない)のか」ということが明らかになる、そこからはじめるのだと青木さんは言う。




相談者が来所した後の支援の流れは、下記のようになっている。

1. インテーク(支援開始時の面談):利用者との関係性構築、状況把握
2. アセスメント(利用者の情報収集):利用者のニーズ、就労阻害要因の把握
3. 支援の実施:就労阻害要因を取り除くアプローチ
4. モニタリング(支援内容の検証):支援プランの妥当性確認、本人の状況変化の把握




仙台市の担当者とは2週間に一度ケース会議を開き、個々の相談者に関わる問題解決の方法について、話し合いと情報交換の場を設けている。

一つひとつのケースに応じて「一緒に知恵を絞り、柔軟な対応策を講じる」といった協力関係ができてきているという。この他、月に2回ほど、外部のアドバイザーを招いてケース会議を開いている。これは、個人が抱える問題の全体像を捉え、利用者が主体の支援ができているか、他に活用できる資源はないかなどを外部の専門家の視点を取り入れて徹底的に話し合うためだそうだ。

「POSSEでは、『就職できた』がゴールではなく、その人の人生を豊かにする、安心して生きていくための生活基盤づくりをお手伝いしたいと考えています。そのためにも、就労支援と生活支援をセットにして、個々人の問題に寄り添うような、ソーシャルワークの視点を持った就労支援を行うことを目標にしています。」




急務、求職者支援制度と生活保障制度の充実



「POSSEで就労支援を希望される人のうち、およそ4分の1は傷病者です。本来、就労しているか(していたか)に関わらず所得保障をされるべき人が、制度の不十分さから労働市場にかり出されているのでは?という思いがあります」という青木さん。就職支援を行う一方で、就労困難者(傷病者・高齢者・障害者等)の最低所得保障の必要性についても訴えていきたいと語る。

また、職業訓練制度やその他の制度を利用している間の所得保障が不十分であるため、資格の有無が就職に大きな影響を与えているのにも関わらず、生活に余裕のない求職者ほど資格や技能をなかなか習得できず、貧困状態から抜け出せない状況があるという。

「職業訓練の期間や質にも問題があります」という青木さんに、「就労困難者」が就労できるために必要な制度を聞いたところ、次の答えが返ってきた。

しっかりとした技能を身につけられる職業訓練校のような長期プログラムの提供と、訓練を受けている間、無収入でも暮らしていけるだけの最低所得保障ですね」。

今後は生活支援とセットになった就労支援の重要性を発信するほか、就労した人たちへ自ら人権や働く権利を守れるよう「労働法」の知識を身につけたり、就職活動中の若い人たちが励ましあえる「仲間作り」の場なども作っていきたいと語ってくれた。




NPO法人 POSSE

ビッグイシュー基金


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仙台の路上でいま起きていること—仙台夜まわりグループ・今井理事長インタビュー



2000年から、仙台市内で路上生活者の自立支援を行っている、NPO法人仙台夜まわりグループ。昼・夜の路上生活者の安否確認のほか、炊出しや食事会・相談会などを定期的に実施している、仙台の路上生活者支援の草分け的存在です。震災以降は、多様化して増えるニーズにあわせて活動日を増やし、今もほぼ毎日、支援活動を続けています。

ビッグイシュー基金が2012年3月に発行した「被災地の路上から(PDF)」では、今井誠二理事長に、「自分の地域を支えることが、被災地を支えることにもつながる」というメッセージをいただきました。震災後2年以上経過した今、仙台の路上について、再びお伺いしました。







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(今井誠二さん)




仙台の路上で起きていること



いまも、新しく路上生活に陥ってしまった方々が月に10名くらいは炊き出しや夜回りなどにやって来ます。不安定居住者の不安定雇用が復興事業を支えていることに変わりはなく、期間限定の仕事が終わり、再び路上に戻ってくるケースも後を絶ちません。若い方もいます。

ホームレスになって日が浅い方とは、まず信頼関係を築くのに時間がかかります。そうした方は「自分はホームレスではない」という思いや支援団体への猜疑心を持っている場合も多いです。そうした思いが、必要な支援から彼らを遠ざけてしまうことを懸念していますが、ホームレスとなってしまった現状を自分で認めることには時間がかかります。できる範囲で支援が届くように、粛々と活動を行っています。




正直申し上げて、仙台の路上が日々刻々とドラスティックに変わっているので、私たちが把握できていないことも多いのではないかと思います。
恒久的な生活困窮者支援が後回しにいま心配しているのは、被災者や震災困難者のための支援に、様々な社会的資源が分散してしまい、恒久的に必要な生活困窮者支援が後回しになってしまっているのではないか、ということです。

ホームレス自立支援を専門的に引き受けていた仙台市健康福祉局保護課の支援係がなくなってしまい、復興局の設置などに人員がとられて、保護課の担当者も減らされてしまいました。復興事業がひとしきり終わって、県外からやってきた業者が引き上げた後に、震災が東北に残したのは、新しい道路、橋、公共施設、ホームレスだけだったというのではあまりにも悲しいです。復興支援業務がまだ始まったばかりであることも確かですが、視点を目の前の事だけではなく、恒久的な生活困窮者支援へと移していくべきだと考えています。




大規模な実態調査が必要



路上だけでは見えない、ホームレスの調査を仙台市内で復興事業開始後に各所に新たにできた飯場(※)に住む人を数えただけで 5〜600人はいるのではないかと見積もっています。その他、車上生活や、ネットカフェで生活しながら現場に出ている人たちもいます。路上にいる人たちをカウントしているだけでは、そうした不安定居住者たちの実態が掴みきれません。

※飯場=建築現場の作業労働者が宿泊し、食事と休息をとるための場所。




震災後、東北での仕事を求めて日本全国から仙台に労働者が集まりました。仕事の多くは解体・建築関連の仕事です。しかし、復興が進み、人手が大量に必要だった瓦礫撤去が済むと同時に解雇されてしまったり、劣悪な労働・居住環境に耐えられず飯場を出てきてしまい、野宿生活になるというケースが後を絶ちません。

それらは、復興事業による二次・三次災害と呼んで良いと思います。飯場生活をしていると、仕事を失ってしまった途端に生活の場もなくしてしまいます。蓄えが無ければ故郷にも帰れず、帰れたとしてもそう簡単に元の仕事には戻れません。

全国各地でどうにか包摂されていた人が、東北で路上生活になってしまうという新たな状況が震災後、次々に産み出されています。しかし新たな支援策は打ち出されないままです。




復興関連の仕事で一時的な現金収入を得たため、ネットカフェに入れたりして、今はなんとかしのぐことができている人たちが沢山います。彼らは、現在は路上にはいませんが、予備軍というか、仕事がなくなって蓄えが無くなった時点で直ちに路上生活になる可能性が高い、いわば、目に見えないグレーゾーンにいる人たちです。

彼らが路上に出てくる前に、何か手を打つことができないかと思っていますが、仙台市内外にある30を越えるネット喫茶や漫画喫茶に、一度に網をかけて実態調査することなど、私たちのような小さなNPOにはできませんし、そもそも仙台市内中心部にいるそうした予備軍の全容さえもつかめないでいます。




行政にはぜひ、ネットカフェなどに宿泊している、不安定居住状態に置かれている人たちへの大規模な実態調査をお願いしたいです。

実態がある程度把握できれば、復興事業終了後に産み出されることになる大量のホームレスに対する根本的な対応策について、今のうちに、官民協働して共に知恵を出し合うことができるはずなのです。




東北の外から、できること



物資の寄附は震災前の水準以下になりました。缶詰やレトルト食品など、すぐに食べられるものの寄付も減りましたね。

食糧支援はいつでも大歓迎です。ぜひお問い合わせください。カンパも震災前の水準を下まわっています。カンパをいただければ支援物資の重複やミスマッチも避けられますし、あればあるだけ役立てられるので、カンパのご協力もいただければ大変嬉しいです。





NPO法人 仙台夜まわりグループ

ビッグイシュー基金


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こんにちは、ビッグイシュー・オンライン編集長のイケダハヤトです。最新号の読みどころをご紹介です!




ネイチャー・テクノロジーが目から鱗



215号の個人的な読みどころは、なんといっても「ネイチャー・テクノロジー」特集。

「ネイチャー・テクノロジー」とは、その名の通り「自然の技術」。具体的には、シロアリ、カタツムリ、トンボ、ベタなどなど、自然界の生き物の「技術」を、ぼくたちの生活に取り入れることを指します。このコンセプトは「バイオミミクリー」「バイオミメティクス」といった言葉でも表現されることがあります。

「ネイチャー・テクノロジー」を知るためには、紹介されている事例を見るのが手っ取り早いでしょう。

たとえば、

・気温の変動が激しいサバンナでも一定の温度を保つ「シロアリの巣」を参考にした、「無電源エアコン」
・泡を使った保温する魚「ベタ」を参考にした、たった4リットルの水で体を温めることができる「水の要らない泡の風呂」(通常、お風呂は200〜300リットルの風呂が必要)
・どこにでも張り付ける「ヤモリの足」を参考にした、カーボンナノチューブを使った「接着剤を使わない吸着テープ」
・蚊とミミズからヒントを得た、外形95ミクロン「痛くない注射針」
・病気をしてもすぐ治る「ダチョウ」の抗体を使った「インフルエンザ対策マスク」


といったワクワクするテクノロジーが紹介されています。書中では、それぞれの技術の開発者たちによる解説と熱い想いに触れることができます。




地球環境が危ぶまれるこれからの時代、「ネイチャー・テクノロジー」は重要な解決策となっていくでしょう。引っ越したら「無電源エアコン」「水の要らない泡の風呂」がある家に住みたいものです。




その他、ジョン・ボン・ジョヴィのインタビュー、女優・神野三鈴さんのインタビューなど豊富なコンテンツが紹介されています。路上にて、ぜひお買い求めください。



ビッグイシュー日本版 5月15日発売 215号の紹介 | BIG ISSUE ONLINE


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