(2008年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 93号より)






コケはあなたを待っている-コケ愛でる若き女性、田中美穂さんに聞く



若い女性で古本屋「蟲文庫」の店主、
しかもコケが大好きという田中美穂さん。
花やハーブではなくて、なぜコケを?
田中さんが語る、コケの不思議な魅力と楽しみ方。







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(田中美穂さん)





『苔とあるく』研究じゃない、あくまで趣味



あなたは「コケ」の名前を一つでもあげることができるだろうか? すぐに名前を思い浮かべられる人はごく少数だろう。

日本庭園はもちろん、身近な公園や民家の軒先や庭など、誰もがどこでも目にしているのに、「コケ」は自己主張しない控えめで地味な植物だ。そんなコケのことを暇さえあれば、眺めては楽しんでいるのが田中美穂さんである。

そこで、コケの世界への案内を乞おうと、田中さんが倉敷で営む古本屋「蟲文庫」を訪ねた。風情ある古い町屋の一軒、その店先から漂う摩訶不思議なオーラが店内に足をふみ入れると一段と濃くなる。手作りの本棚や壁に並ぶ古本、古い地球儀や顕微鏡などの理科グッズ、水槽のカメたち、店の奥のガラス戸の向こうの坪庭とコケむした石垣に差しこむ陽光。田中さんからコケの話を聞くのは、心地よかった。




そもそも田中さんがコケに興味を抱いたのは、高校のときに在籍していた生物部での体験だった。顧問の先生の研究対象が、一生の間で動物的な時期と植物的な時期をもつというおもしろい生き物、変形菌だったので、変形菌を求めて部員仲間とともに山の中をはいずりまわったのだという。




「変形菌はコケよりもっと地味というか、小さい。コケはそれでもその辺に生えていますが、粘菌はちょっと真剣に探さないと見つからないんです。その存在を知らないと見えてもこないくらい。そのころに、小さいものにピントを合わせる習慣が身につきました」。

その後、「岡山コケの会」に入った田中さんは、コケへの興味をますます深め、昨年10月にコケの楽しみ方を著書『苔とあるく』にまとめた。

だが、田中さんはさらりと言う。「大学で研究されている方とは違って、あくまでも趣味なんですよ。ちゃんと分類もしたいので顕微鏡で調べることもしますが、研究をしているつもりは全然ないんです」




コケという「生き方」。根がない、死んだふり、朝露が大好き





コケ標本
(田中さんのコケの標本)




コケは地球で最初に陸上にあがった緑だという。

コケが原初の植物だという特徴の一つは、根がないことだ。

「一応はあるんですけれど、コケの根っこは地面や岩に張りつく役割を果たしているだけ。手で簡単にはがせる程度に張りついているだけです」。ふつう、植物には根から水や養分を吸い上げるストローのような維管束があり、その回りをロウ状のクチクラ層が管の中のものを外に蒸発させないように守っている。けれど、それは植物の進化の過程でできたもの。コケにはないのだ!

では、どうやってコケは水分を身体に取り込むのだろうか。実は、コケは身体の表面全体から、蒸気など空気中のかすかな水分などを取り込んでいる。だから、コケにとって何より大切なのは、その場の空気(環境)なのである。




一方で、コケならではの強みもある。

「乾燥してもそのまま枯れずに休んでいられるという特性があります。乾いてもしばらくは大丈夫、カラカラのところに生えたりもしますね」。つまり、コケは「死んだふりができる」のだ。「冬眠とか、仮死状態とか、休眠という言葉が一番しっくりきますけれど、ほかの植物とは別の生き方をしている。休眠中は呼吸もほとんどしないし、栄養も取らない。光合成もしなくなるんです」




それは、どれくらいの期間なのだろうか?

「まだ、はっきりとはわからないんです。何年も、中には何百年も休眠するものもあります。ただし、コケが枯れたかどうかはなかなか決められないんです。かなり古く茶色くなった標本でも、そこから絶対生えないとはいえない。とにかく何ヶ月かはまったく平気ですから」




後編に続く


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Genpatsu


(2013年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 223号より)





重大な異常事象。福島原発、大量の汚染水漏れ



東京電力は8月20日に、汚染水の貯蔵タンクから300トンもの漏えいが起きていたと発表した。漏れの兆候は7月から見えていた。その付近の作業員の被曝線量が高い値を示していたからだ。漏れた汚染水は一部が地下へ浸透していった。一部がタンクの囲いから外へ出た。さらに、排水口を通じて海へ流れ出た。

地表の水たまりの上50センチでの放射線量は毎時100ミリシーベルトに達していたという。強烈な放射能だ。原子力規制委員会は28日の会合でこのトラブルが国際事故尺度で「レベル3」(重大な異常事象)とした。国内で3番目に深刻なトラブルとなった。

地盤沈下でタンクを解体・移設したことで接合部にずれが生じたからだとも、設置場所の地盤沈下でひずみが生じたからだともいわれている。

仮に漏れても拡散しないようにタンク群ごとに高さ50センチの囲いがあったが、雨水が貯まるのを避けるために囲いについているバルブは開いた状態で放置されていたために、そこから外へ漏れ出た。

使用しているタンクはボルト締めの簡易なもので、耐用年数は3年から5年といわれているし、設置時から接合部は劣化しやすく2年程度で漏れが始まるともいわれていた。こんなタンクが300基以上も使用されている。ということは、次々に漏れが始まってもおかしくない状況ということだ。今回の漏えいは大規模な漏えいの序章かもしれないと考えるとゾッとする。

なお悪いことに、即効性ある対策が示されていない。とりあえずは今と同様のタンクを設置したとしても、将来に向けて溶接された堅固な大容量タンクを建造すべきだ。そもそも2年前から大容量タンクの建造を進めていれば、今回の事態は回避できていただろう。

汚染水に四苦八苦している原因は、毎日毎日、原子炉建屋に流れ込んでくる400トンもの地下水だ。これが放射能汚染水となるので貯蔵せざるをえない。その量はどんどん増えて、今では34万トンを超えている。実に、25メートルプール900杯分にもなる。ところが、根本的な地下水対策が進んでいない。対策が後手後手になり、ますます右往左往する、そんな現状だ。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)








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Genpatsu


(2013年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 222号より)




心の深いところに沈む不安。広島で語られた福島の被曝体験



広島で原水爆禁止世界大会に出席した。原水禁大会は核兵器の廃絶だけでなく原発の廃止も求めて、毎年8月4日から6日にかけて運営されてきた。

今年、筆者は分科会「フクシマを忘れない~福島原発事故の現状と課題」と女性の広場「フクシマを忘れない~ヒロシマの伝言」の二つの会場で同事故の現状を報告した。展望の見えない高濃度の汚染水対策の現状や事故処理作業員や住民たちの被曝、健康影響などデータから見えてくる問題点を話した。




チェルノブイリ原発事故の経験から学ぶことなどに加えて、福島の子どもたちやその教員たちの学校生活の辛苦が福島の先生から、地震当時に避難した体験談が母子から語られた。

宮城県の復興の様子の報告もあった。外での遊びも空間線量の高いところでは制限され、身の回りの放射能や被曝のことを忘れたようにふるまってはいるが、心の深いところに被曝やその影響への不安という大きな影が沈んでいる、複雑な思いが伝わった。

こうした直接の声は、データからは読み取れないだけに、貴重なものだ。広島や長崎では被爆体験が証言集として積み上げられているが、福島でも同様な試みが広がるといいと感じた。




6日朝には中国電力本社前での抗議行動があった。同社が進める上関原発建設計画と島根原発の再稼働に反対して、市民100人ほどが本社の前で座り込み、全国各地からの参加者がそれぞれアピールした。抗議行動は1時間程度だが、毎年行われている。

福島原発事故の後では、若い人たちがたくさん参加するようになった。上関原発計画が浮上したのは1982年、以来30年にわたって、漁民たちを中心に反対運動が続けられている(※ビッグイシュー174号18ページ参照)。09年12月、中国電力は設置許可の申請を国に提出したが、福島原発事故で前民主党政権は計画を認めない判断を下した。安倍政権は建設に言及していないが、審査は中断したままだ。




タクシーの運転手は原爆投下の朝も今日と同じように晴れて暑い日だったと言っていた。被爆から68年が過ぎた。「核の平和利用などない!」。核廃絶を求める声と核の商業利用(原発)からの撤退を求める声が原爆ドームの前に響いていた。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)








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こんにちは、オンライン編集部のイケダです。最新号の223号から読みどころをご紹介!続きを読む
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9月15日発売のビッグイシュー日本版223号のご紹介です。
前号につづいて、10周年記念企画。
☆ビッグイシュー日本版初☆
ロンドンで大人気のストリート・アーティスト「Stik」によるポスターのおまけ付です!
カラーは4色。どれがあたるかは買ってからのお楽しみ!
レアカラーのオレンジがお手元に届いたら、ラッキーな1日になるかもしれません♪



特集 路上の驚き、そしてアート


路上が表現の舞台になりつつあります。
今号、ポスターをはさみ込んだ、ストリート・アーティスト「Stik」。彼は2年前、英国でホームレス状態にありました。
フランス人アーティストのJRは、世界の路上を舞台に社会を変えようと奔走。デンマークの路上パフォーマンス「持ち歩ける庭」、ニューヨークの「フラッシュ・モブ」、スロベニアの「路上演劇祭」も話題です。
一瞬、路上という公共の場の空気を変え、人々の意識にインパクトを与え、社会のしくみに疑問を投げかける、路上のアート。そんなアーティストたちに取材しました。



国際記事 紅茶とビスケットが平和をつくりだした――英国・ヨーク、モスクお茶会の小さな奇跡


今年5月、ロンドンで起きた衝撃的な殺人事件を機に、イスラム教徒を排除するデモが英国中に広がる中、ヨークの街の小さなモスクで、胸のすくような、さわやかな集いがありました。当日居合わせた人々が、その日の出来事を振り返ります。



スペシャルインタビュー マット・デイモン


ハリウッドで誰からも悪く言われない数少ない大スター、マット・デイモン。SF映画『エリジウム』では、南アフリカ出身の若き才能、ニール・プロムガンプ監督とタッグを組みました。映画が風刺する今の社会、デイモン自身がかかわる環境NPO、そして家族との日々についてたっぷりと語ります。



リレーインタビュー 私の分岐点 中川晃教さん


高校卒業後に歌手デビューし、02年にはミュージカル「モーツァルト」の主役に抜擢され、数々の演劇賞を受賞してきたシンガーソングライター/俳優の中川晃教さん。幼稚園の時、ホテルのレストランで観かけたピアニストに魅了され、音楽家を志したといいますが「僕はあまり分岐点を経験したことがない。音楽以外の選択肢は考えていなかった」と語ります。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。


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ビッグイシュー・オンライン編集部です。海外のホームレス関連ニュースをピックアップしてご紹介します。続きを読む
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不安定時代の居住政策



わが国では総人口の減少が続く中、高齢者人口の増加はしばらく継続し、今世紀半ばには全体の約4割程度に達する。

また、世帯総数は2015年をピークに減少に転じ、これまで最多数を占めていた「夫婦と子」が減少し、2050年には「高齢者単独」が最多となることが推計されている。

こうした人口減少・超少子高齢社会の到来と経済社会の不安定化が、様々な「生活の不安」に結びつき、居住問題にも直結する。すなわち、健康不安、雇用不安、家族関係の安定性の欠如や近隣関係の希薄さ、地域からの孤立化等による日常生活の不安感、不安定感が、安定した居住を損なう要因となることに留意しなければならない。




例えば、筆者が調査を行っている郊外ニュータウンに立地する公営住宅(ニュータウン全体で計1.6万戸)では、毎年1割程度の空き家が発生するため、高齢期に新たに入居する世帯も多い。

しかし、終のすみかを求めて遠方より来住したにもかかわらず、入居後の居住の満足度は低く、積極的な定住意向は少ない。住宅の広さや耐震性等の住宅の質はそれまで居住していた民間賃貸住宅よりも向上し、家賃負担も軽減されていると思われるにもかかわらず、トータルな住生活の満足度は高くない。

その理由を考察すると、買い物等の団地の生活環境の不便さ、家族や近隣関係からの疎外感、「住み慣れない」という意識等があるが、特に、相互に見守り、助け合う身近な近隣関係が公営住宅団地から失われつつあることが大きい。




一般的に公営住宅団地は自治会による団地管理が原則であるため、住宅管理や自治会活動を通じて豊かな団地コミュニティを形成してきていたが、高齢化、単身化、要支援者の増加等、入居者属性の偏りが顕著になり、また、団地自治会を推進・運営する力を持つ居住世帯が応能家賃制度のもと、こぞって退去したこともあり、自治会活動、ひいては地域力そのものが低迷している。

高齢者のひとりぐらしが増加しているが、団地内での互助的活動には結びつかず、中には、ひとりも民生委員が住んでいない大規模団地等も生まれている。




このようなことは、住宅に困窮する世帯に、公営住宅という「箱」をあてがうだけでは必ずしも安定居住には結びつかないことを示している。そこで生活する世帯の属性や生活特性を十分に考慮し、日常生活を安心して営むために必要な要素を付加していかなければ、真に安定した居住は実現できない。

すなわち、住まいの問題は生活の問題と一体であるという認識のもと、ハード(住宅・住環境)とソフト(管理・サービス・コミュニティ)を総合的に捉える「居住政策」の視点が、これからの不安定時代には不可欠であると思われる。




(大阪市立大学 都市研究プラザ 佐藤由美)





[編集部より:住宅問題については、こちらのタグページからも過去の記事をご覧頂けます。]
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(2013年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 208号より)




ルワンダの内戦、虐殺の悲劇の体験から語る「福島のこれから」



マリールイズさん写真展
(福島市内で開催された写真展で、学校建設と教育の重要性を話すマリールイズさん)




民族紛争による内戦と虐殺(ジェノサイド)を経て難民となったのち、福島の支援者によって日本に逃れ、福島に暮らして約20年。紛争が収まった母国ルワンダの再建に向け、母国への教育支援活動を続ける女性がいる。その名はカンベンガ・マリールイズさん。

マリールイズさんは、福島を中心とする全国の支援を受けて、12年前からルワンダで学校運営を始め、悲劇の歴史から新しい時代を切り開こうと奮闘してきた。3.11当時は、福島で近所の人と助け合って過ごした。その後はスカイプやメール、電話などで英国の公共放送BBCやルワンダのラジオ局に、原発事故が起きた福島の現状と、一般の人々の生活状況を発し続けた。

「ルワンダも内戦の後、本当に大変な状況が続いた。突然の出来事で生活が一変したのは福島も同じ。私は祖国を立て直すには教育が何より必要と信じ学校建設をしてきたが、震災後の福島もこれからは人材育成、教育に力を入れるべきだと思う。福島を立て直していくのは人材で、人材教育がなければ、国や地域の発展も、貧困問題の解決も、そして平和の維持もありえない」。そう力強く語る。




マリールイズさんがつくった学校「ウムチョムイーザ学園」では、幼稚園児と小学生約210人が学ぶ。5、6年前からはJICAから教師が派遣されるようになり、子どもたちは簡単な日本語を学んだり、千羽鶴を折ったり、絵の具を使って絵を描けるようにもなった。

内戦や虐殺で父親のいない家庭が多く、母親が事業を起こせるよう、母親を対象にマイクロファイナンスの学習もしている。2教室からスタートした学校も15教室に増え、将来的には、井戸掘りや雨水の活用など水環境整備のための専門学校建設へと夢がふくらんでいる。




そして今年は、1月4日から9日まで学校生活の様子や子どもたちの表情を収めた写真展を福島市で開催。震災以降は毎月、県内仮設住宅を訪問してルワンダコーヒーをふるまうマリールイズさん。コーヒータイムも恒例となり、楽しみに待つ〝常連さん〟も増えた。

「家に帰れない不安は、私たちが行ったからといって払拭できるわけではないけれど、せめて一緒にルワンダコーヒーを飲みながら、ほっとするひとときを持ってもらえたら」。マリールイズさんの表情が優しく輝いた。




(文と写真 藍原寛子)
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