(2009年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第131号より)










マラウイ、自由もたらす風車



マラウイのマシタラに住むウィリアム・カムクワンバは、貧困のため14歳で学校に通うことができなくなったが、地元の図書館に通っては、独学で科学の勉強を続けていた。そして、そこでエネルギーに関する書物に出合い、風によって、水をくみ出すエネルギーや電気を生み出せることを知った。「これで貧困と対峙できるかも、と思ったよ。これを自分でつくってみなきゃ、と感じたね」と、彼は当時を振り返る。

カムクワンバはごみの山から材料を見つけ出し、最終的には5メートルの風車を完成させた。そして、その風力によって、自宅に光がともされた。「この光によって、僕はもう7時に就寝する必要がなくなったんだ。これで、暗闇と腹ペコの状態から解放された。風車は単にエネルギーというよりは、自由を僕らにもたらしたんだ」

彼の試みは瞬く間に広まり、カムクワンバは飛び級で学校を卒業。08年には、より強力な風車を完成させ、このプロジェクトへの寄付が相次いだ。

22歳になったカムクワンバは南アフリカで奨学金を得て学びを続けているが、卒業後は地元に帰るつもりだという。マラウイでは、2パーセントの人々しか電力を享受していないためだ。

(Sarah Taylor)


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(2012年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第183号より「ともに生きよう!東日本 レポート19」)




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昨年12月12日、都内で
「2011 東日本大震災を受けて 福島原発事故後の人権を考える」が
国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」によって開催された。
福島県内の母親が置かれている厳しい状況と、
人権侵害の現状が伝えられた。





放射能の影響めぐり、夫婦間、親子間、地域、学校などで分断



11月26~27日「ヒューマンライツ・ナウ」は、福島県福島市、郡山市で、人権状況の観点から、母親たちに聞き取りを行った。現地調査の結果について、後藤弘子さん(千葉大学法科大学院教授/ヒューマンライツ・ナウ副理事長)が以下のように報告した。




原発事故に伴う放射性物質の健康への影響を考えて、「子どもを県外に避難させたい」という母親に対して、「気にしすぎでは」と言う夫。夫婦間、親子間で考えが違うことにより、家庭や地域、学校などで分断が起き、母親が孤立させられているという。

「夫と話ができない」「子どもによかれと思って避難させたのに、子どもにわかってもらえない」「『気にしすぎ。もう安全でしょう』と言われる」「学校ではモンスターペアレント扱いで、先生には何も言えない」「外遊びで子どもが土に触れようとした時、『絶対ダメ』と言っている自分が悲しい」。また、「自分たち親が、子どもの自由を制限してしまっている。自分たちこそが加害者ではないか」という自責の念。

また「これまでは考えなくてもいいことを考えなくてはいけない日常生活。何を買うのか、買ってはいけないのか。どこに行くのか、行かないのか。これを食べていいのか、いけないのか、などを毎日毎日考えないといけない。クラスメイトのお母さんたちに果物などのおすそ分けができない」というような、悲痛な訴えが次々に寄せられた。

特に、自閉症など障害のある子どものお母さんは極度に疲弊しているという。たとえば避難先を探す時も受け入れ先を見つけるのが困難で、「自分が死んだ後、子どもがどうなるかが心配。むしろ自分が子どもを看取る方が安心」とまで言う母親もあった。




除染効果への疑問。食の安全と避難の権利保障



後藤さんは、多くの人が除染効果に対して疑問をもっていたこともあげた。

「一部だけやってもムダ。放射線量が高い所に住む人が、何十万円もお金をかけて自宅を除染しても、結局、除染水は低い方に流れて下の方の家に溜まる。汚染が移動するだけでは意味がない。行政は『町内会やPTAで除染してください』としているが、防護の装備もなく、危ない除染をしているという状況がある」と、除染作業に伴う安全対策の課題を指摘した。また、高校では震災から8ヵ月が過ぎても校庭が除染されていなかったり、ほとんど対策が取られていなかったという。




学校給食など、子どもの食をめぐる課題も浮き彫りになった。

郡山市は11月から地元産米「あさか舞」を給食に出すことを決定した。ところが、「市の給食の放射線測定検査は不十分で、健康診断に放射能検査が付け加えられていないこと、児童・生徒らに配布された放射線計の測定結果に関する説明が十分に行われていないこと、学校でも放射線への安全について教育がなされていないこと」など、学校現場での食の安全や健康管理の問題は山積している。

後藤さんは「あくまでも個人的な見解」と前置きしながら、「少なくとも、放射線量を公開し続けることが必要。福島市渡利地区は放射線量が高いが、特定避難勧奨地点になっていません。『少なくとも、安全ではないことを言ってくれるだけでもずいぶん違う』と話す人もおられました。つまり、安全に対して疑問をもつ自由がまったくないんですね。たとえば、『安全だと言われていることを信じない人は非国民だ』とか、『福島から出て行け』とまで言われる。安全に関する疑問が個人の問題に矮小化されてしまっています。放射線量を安全に対する社会の問題として考える動きをするだけで、地域から排除される状況があります。そのような状況を前提として、私たちは福島の人たちの避難の権利を考えていかないといけない」と後藤さんは報告を締めくくった。




信頼なくした専門家。最大の問題は行政の無策や法令違反状態の正当化



会場では、押川正毅さん(東京大学物性研究所教授)が「科学者からみた原発事故とその後」について、影浦峡さん(東京大学大学院教育学研究科教授)が「放射能『安全』報道とその社会的影響」について講演をした。

押川さんは、「今回の原発事故による放射性降下物の濃度は、1960年代の大気圏核実験の頃よりも低い」と話すのは「勘違いと言うか、ほぼデマと言っていいと思う」とし、「今回の原発事故により、原子力工学、原子力関係の科学者や専門家への信頼低下というのが厳然としてある。その信頼が低下したことが一番問題なのではなく、信頼が低下した専門家の見解を根拠として行政が動いていることが問題。行政は専門家の見解に基づかないと動かないが、市民はその専門家を信頼できないという現象が起きている」。科学的調査でとらえきれていない健康被害があることや、調査自体の問題の可能性、「科学の名を借りた人権の抑圧」の可能性を指摘した。

影浦さんは「住民が被曝を強いられることが不当であるという議論がなされるべきなのに、どのぐらいの被曝ならば安全かという科学的議論だけが突出している。『直ちに健康に影響は出ない』などの報道の結果、行政の無策や法令違反状態が正当化され、東電や政府の責任が矮小化されている。住民の間でさまざまな分断が起きているのは、本来、責任を取らなければならないところが責任を取らないため。それが一つの大きな原因になって起きたこと」と語った。

この日は、南会津町で原木キノコの自然栽培に取り組んでいる新居崎邦明さんも参加。「報告された内容よりも、現状はさらに厳しいように思います。本来は東電や政府が汚染物質を引き取るべき。農作物への放射性物質の影響で、『自分たちは毒をばらまいているのだろうか』と自分を責める農家の声も聞いています。これまで有機農業で安全なものを作ってきたのに、最も危険なものが降り注いできてしまったことによる混乱と、絶望の中にあるというのが本当のところです」と感想を語った。

(文 藍原寛子)



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(2012年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第182号より「ともに生きよう!東日本 レポート18」)




「しゃべる線量計」視覚障害者や高齢者も使える放射線測定器開発!




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(福島県盲人協会と県内の中小企業で開発された「しゃべる線量計」)





東京電力の福島第一原発事故に伴う放射性物質の拡散に悩む福島県で、測定した放射線量を音声で案内する線量計「しゃべる線量計」が開発された。

12月9日には、開発に当たった阿曽幸夫さん(福島県盲人協会会長)、中村雅彦さん(同協会専務理事)、斎藤雄一郎さん(三和製作所社長/福島県大玉村)らが記者会見して、線量計の仕様や開発経緯などを発表した。

「最初に音声を聞いた時は『ここはこんなに線量が高いんだ』とわかってビックリした。これまで私たち視覚障害者は、今この場の線量がわからず不安だったが、これからは自分自身で確認できる。今後の健康管理にも役立てたい」と、阿曽さんは笑顔で語った。

福島県内では7月以降、線量計を買い求める人が急増したが、音声の出る製品はなく、視覚障害者は不安な毎日を送っていた。そんな状況の中、10月中旬に三和製作所などが線量計「ガイガーFUKUSHIMA」を開発したことがテレビで報じられ、これを知った阿曽さんは中村さんを通じて同社に連絡した。

実は、震災直後の政府の会見放送で手話通訳者がテレビ画面に映らず「過去の教訓が生かされず、聴覚障害者が苦労している」という意見が寄せられていたことから、斎藤社長ら開発チームはすでに視覚障害者向けの音声付き線量計の開発も構想に入れていた。そこで福島県盲人協会からの具体的要望を受け、11月以降、両者で開発を開始。「音声で数値を案内する線量計は世界でも初めてでは」と話している。

線量計の内部にはガイガーミュラー管や回路のほか、数値を音声で読み取る基板が内蔵され、視覚障害者や高齢者が聞き取りやすい高さの女性の声で数値が読み上げられる。今後は起動音やダイヤルの位置、スピーカーなどの工夫を重ねて完成させる。価格は5万円で1月下旬から販売開始の予定。

阿曽さんは「視覚障害者一人ひとりにこの線量計を配布したいが、なかなか予算もない。企業や団体などでご理解いただけるところがあれば、ご協力をお願いしたい」と支援を訴えている。予約受付は1月5日から、福島県盲人協会(電話024―535―5275、火~金曜日午前9時から午後4時まで)。

(文と写真 藍原寛子)








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貧乏ゆすりがとまりません・・・。どうしたらいいでしょう?



Q: 職場で隣に座る人に「貧乏ゆすりをよくしてますよね」と言われました。
それで初めてそんなクセがあるって、知ったんです。
気になってみると、これがまたよく揺すっているんですよ。
「あ、まただ」みたいに。どうやったら貧乏ゆすりがやめられるでしょうか?
(会社員/30才/男性)



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11月15日発売のビッグイシュー日本版203号のご紹介です。



スペシャルインタビュー ダニエル・クレイグ


12月1日に公開が始まる『007 スカイフォール』。ダニエル・クレイグにとって、3回目のボンド役となりました。「だんまりボンド」と評されつつ、夏のオリンピック開幕式ではエリザベス女王のエスコート役も務めたクレイグ。『スカイフォール』を、ボンド映画本来の持ち味が活きている自信作だと語ります。



リレーインタビュー 株式会社チームラボ 猪子寿之さん


インターネットの登場に衝撃を受け、「これからは誰もが自由に情報を発信できる時代。最先端のテクノロジーで仕事をしよう」と会社を興した猪子寿之さん。原点は「高校時代の文化祭にある」と、ユニークな仕事観を語ります。



国際記事 未来のために銀行を選ぼう!


英国では、7月に発覚した一連の金融スキャンダル以来、5大銀行を捨て、中小銀行に乗り換える市民が続出しています。勢いを増す、コミュニティ銀行やチャリティ活動に融資するエシカル銀行。この流れは、新たな時代の金融の幕開けとなるのでしょうか?



特集 いま、屹立するアート


日々忘れられ、遠くなりつつある3.11。アーティストたちは、いま、それらにどのように向き合っているのでしょうか? 彼らは、3.11体験を通して、何を表現しようとしているのでしょうか?
3年前より宮城県「北釜(きたがま)」に移り住んでいた、写真家の志賀理江子さん。チェルノブイリ原発事故をきっかけに、放射能汚染をテーマにしてきた現代美術作家のヤノベケンジさん。仙台を拠点にボランティア活動を展開したタノタイガさん。それぞれに話を聞きました。
また、美術家のやなぎみわさんには「3.11の後で考える、社会とアート」についてエッセイを寄せてもらいました。
それぞれのアーティストが「深く静かな体験」として表現をし始めています。彼らの社会に対峙する感覚、彼らが見る世界を、私たちは共有できるのでしょうか?



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載など
もりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。


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(2006年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第63号より)






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試練の連続を経て、ようやくたどり着いた幸せ、でも狭くても自分の部屋がほしい



渋谷の東急プラザ前にあるロータリーで、プロペラのついた帽子をかぶった男性を見かけたら、その人が下谷芳男さん(59歳)だ。多彩なファッションの若者が行き交う渋谷でも一際目につく帽子を指さし、くすくす笑う女子高生たちがいる。学校の行き帰りに必ずぽかーんと見上げていく小学生の女の子がいる。




「この帽子は高田馬場のリサイクルセンターで買ったの。たったの10円。洗うたびに乾燥機にかけていたら、5回目に片方のプロペラが折れちゃった」

以来、ちょっとバランスの悪いプロペラを頭上で回しながら奮闘する下谷さんには常連客が多く、1日の売り上げは平均40冊。応援してくれるお客さんに親しみを込めて、いつもたこ焼きをくれる女性には「たこ焼き夫人」、おむすびを三つくれる女性には「のり巻き夫人」と、下谷さんはこっそり名前をつけている。




ユーモアのセンスに富んだ下谷さんだが、その半生は波乱に満ちていて、生まれ故郷の青森ではこれまでに二度、生死の境をさまよった。一度目は小学校に入学する日。風邪をこじらせて大量に血を吐き、子供ながらに魂が抜けていきそうになるのを感じたという。

二度目は中学を卒業後、一級板金技能士の資格を持つ義兄に就いて、ブリキの屋根葺きをしていた19歳の年の暮れ。屋根から滑り落ち、29日間意識不明になった。頭から落ちなかったのが不幸中の幸いだったが、その事故で右目の視力を失い、傷めた足の具合は今もすぐれない。

「あれが紆余曲折の始まりよ。退院してからも病院通いばかりでやる気が出ないから、水道屋で穴掘りしたり、墓石屋で石磨きしたりと職を転々とした。29歳の年に東京の瓦屋に就職が決まって上京したけど、雑用ばかりさせられてすぐに辞めた。それからはキャバレーのボーイもやったし、金属プレスの工場で機械に挟まれて、左手の指を2本失ったりもした。注意散漫なんだよねえ」




やがて住む場所を失った下谷さんは、スポーツ新聞の求人欄で建築の仕事を探しては飯場(作業員宿舎)に入り、仕事がないときはドヤに泊まるようになった。

「ところが、それまで身体を酷使してきたせいであちこちにガタがきて、力仕事を1日すると2、3日働けなくなった。それで仕方なくヤマ(寄せ場)に行って日雇いの仕事をもらったり、古本を拾い集めたりして、その日その日を凌いだ」




そんな今年4月の下旬、神田川沿いのベンチに腰掛けて鉄道工事をぼおっと眺めていた下谷さんに、ビッグイシューのスタッフ、池田さんが声をかけてきた。

「路上で売る雑誌なんか売れるわけがないと思って断ったら、翌日にはもう一人のスタッフを連れて説得にきた。それで根負けして半信半疑のまま始めたわけ」

いざ立ってみると真夏の路面は想像以上に暑く、百円ショップで買った温度計が40度をさして倒れそうになったこともあった。それでも朝3時頃に起きてヤマへ行き、40もある袋詰めのセメントを担いで3階まで何往復もさせられたことを思い出せば、何とか乗り切れた。

「日雇いの仕事と何よりも違うのは、一から十まで指示されてやるんじゃなくて、自分の好きなやり方でできること。俺の販売場所はただでさえ騒々しいから、大声はあげないの。展示している雑誌の前で佇んでいる人がいたら、声をかけてくれるのを忍耐強く待つ。これは、古本屋のおやじを見て思いついたやり方」




もちろん、ただ立っているだけではない。サラリーマンの昼休みに間に合うよう早めにお昼を済ませたら、午後8時半まで立ち続ける。買ってくれたお客さんが月刊誌と間違えないように、毎月2回の発売日を教える。お勧めのバックナンバーを目立つところに置いておくなど、入念な仕掛けあっての古本屋商法なのだ。また、下谷さんは倹約家でもある。

「安い店をメモした地図をいつも持ち歩いているし、1日の楽しみといったら、仕事の後のワンカップくらい。そうはいっても食費を削るにも限度があるし、仕入れ場所までの交通費だって馬鹿にならない。これで貯金できたら魔法使いよ」




それでも試練の連続だった半生を振り返れば、今の生活はとても幸せだという。

「1日3回、飯が食えるだけでありがたいよ。でもかなうことなら、狭くてもいいから自分の部屋を借りて、そこから販売場所に通ってみたいね」

数え切れないほどの街を渡り歩いてきた下谷さんにとっては今のところ、渋谷の喧噪こそが心休まる安住の地なのかもしれない。

(香月真理子)

Photo:高松英昭


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(2012年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第192号より)




5月5日に北海道にある泊原子力発電所3号機が定期検査に入り、日本中の原発がすべて止まった。多くの人たちが待ちわびていた時がきた。お祝いをした人たちも多いと聞く。枝野幸男経済産業大臣はすべての原発が「一瞬止まる」ことがあると言ったが、人々の願いは「このままずっと止まっていてほしい」である。

そんな中で、いま運転再開をめぐって熱いやり取りが続いているのが、福井県にある大飯原子力発電所の2基だ。

毎日新聞の報道によれば(5月9日付)、原子力委員会の新大綱策定会議では原発と地域の共生をテーマに議論する計画だったが、経済産業省や電気事業連合会から、「今テーマに取り上げる運転再開の地元同意は、福井県だけでなく滋賀県や京都府、大阪府などからも得るべきとの意見が、経済学者の金子勝氏や伴英幸氏(筆者)らから出てくるだろう」との意見が出されて、議論を先送りしたという。近藤駿介原子力委員会委員長はこれを否定している。報道は妙にリアルで、ありそうなことだと思う。会合は枝野大臣が地元へお願いに行く日に開かれていたからだ。こざかしいやり方に原子力への不信はいっそう深まった。

5月2日、経済産業省の前で瀬戸内寂聴さんや澤地久枝さん、鎌田慧さんらが日没までハンガーストライキに参加した。瀬戸内さんは「90年生きてきて今ほど悪い日本はない」「何を考えているのか」と再稼働の動きを一喝した。福井県に隣接する滋賀県、京都府も再開には反対だ。加えて橋下大阪市長もきわめて強い姿勢で反対の声をあげている。

一方、14日地元おおい町議会は運転再開を受け入れることを決めた。その理由は地元の経済問題だ。地域経済を原発に頼っている悲しい現実といえる。それが目を曇らせて、このまま運転に入っていけば福島原発事故を超える事故が起こるかもしれないとの認識を薄くしている。

関西電力は再開を強く望んで、あの手この手で再開の必要性を訴えているのだ。猛暑の夏がくれば、節電努力をしてもなお14・9パーセントも不足すると、報告書をまとめた。政府もこの報告書を妥当と認めた。だが数日後には、他の電力会社から融通してもらえば足りるとの試算結果も公表した。どうやら猛暑でも、節電努力と他社からの融通などで大丈夫そうだ。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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(2009年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第126号より)




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ボールを追いかけているうちに仲間たちとの輪ができて、気持ちも前向きになってきた



「この左耳のピアス? 若くして亡くなった恋人との思い出がつまった宝物なんだ。だから、生きている限り、ずっと外さないつもり」

そう言って人なつっこい笑顔を見せる日高進さん(53歳)は、大阪・なんば高島屋前でビッグイシューを販売し始めて約半年。目の前のビルにかかる大型ビジョンの迫力に負けないようにと、明るい色の服を着て奮闘中だ。




そんな日高さんが今、販売の仕事のほかに全力で取り組んでいることがある。それは、スタッフに声をかけられて始めたサッカー。この9月、イタリア・ミラノで開催される第7回ホームレス・ワールドカップに、日本代表「野武士ジャパン」の一員として出場する。

「疲れは思いのほかたまってないよ。好きなことをして楽しんでいるからかな。サッカーを通じて何か得られるものがあればいいなと思ってチームに入れてもらったんだけど、すでにたくさんの収穫があってね。一番大きな収穫は、明るい気持ちになれたこと。他の販売者と一緒になってボールを追いかけているうちに、いつの間にか何にも代えがたい人の輪ができた。仲間たちとあれこれ話している時間は、まるで心の洗濯だね」




これまでは自分のことで精一杯だったが、緊張している新人販売者に積極的に声をかけることが増えるなど、徐々に他の人に目を向けられる余裕も出てきたという。また、1日に2箱吸っていたというタバコも1箱に減った。

「これまでは売り上げのよくない日が続くとただ落ち込むだけだったけれど、サッカーをしていると束の間でも悩みを忘れられるし前向きにものを考えられる。本当にいい汗をかいてるよ」

目の前に迫ったワールドカップへの抱負を尋ねると、「1勝できたらうれしいなぁ。たとえ負けたとしても、1点を取って帰ってくるのが目標だね」と目を輝かせた。




日高さんは5人きょうだいの末っ子で、中学3年生までを埼玉県で過ごした。

「ちょっとやんちゃ坊主でね。15歳の時に母が亡くなって、そのショックもあって一人で当てもなく沖縄へ行っちゃったんだ。胡差焼の工房でお皿や湯飲みをつくるアルバイトをしながら数カ月過ごして、そのあと東京へ出た。東京では黒服のようなことをしたり、飲み屋で働いたり。28歳の時に九州へ行って、そこで結婚して10年ぐらい過ごしたかな」

その後離婚を経て、一人で北海道へ。山の斜面に落石防護のための網を整備する仕事を5年ほど続けていたが、腰を痛めてしまった。新たな仕事を求めて向かった名古屋では、主に土木工事の仕事をしていたが、景気の悪化とともに仕事が減少してしまった。

「埼玉から沖縄に行って、東京に北海道に名古屋、そして大阪に来たのが去年の秋。大阪なら何か仕事があるだろうと期待していたんだけど、まったくなかった。そんな時にビッグイシューのことを知り、販売者に加えてもらった。スタッフの皆さんは僕と同じ目線で何ごとも一緒に考えてくれて、アドバイスをくれる。それがとても温かく感じられて、心のよりどころになっているよ」





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1週間のうち6日はダンボールの上で眠るが、1日は自分へのご褒美としてドヤに泊まる。布団の温かさに触れ、「当たり前に生活すること」への執念をもち続けるのだという。

「以前、テレビの取材で『声をかけてもらえるだけで元気が出ます』と言ったら、それを見た人が100人ぐらい声をかけてくれて、ありがたかった。でも、残念ながら本を買ってくれたのはその中の8人だけ。次からはもっと本にも興味をもってもらえたらいいなぁ」

今はまだ社会復帰のための基礎訓練中だという日高さん。どんな夢や目標をもっているのだろうか。「何かを作ることに喜びを感じるので、ものづくりにかかわる仕事に携わりたい。そして一所懸命働いてお金を貯めて、晩年はどこかの国の片田舎で畑を耕し、のんびりと自給自足の生活をしてみたいね」

真剣な表情でそう話し、最後にまたくしゃくしゃの笑顔を見せてくれた。

(松岡理絵)

Photos:BI
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干渉しすぎる母親に困っています


 



Q: 同居している78歳の母親に必要以上に干渉され困っています。
私が少し病気をしただけで大騒ぎをし、知人に電話をかけまくる、私の行動を監視し、ごみ袋の中身をチェックするなど、年々エスカレートしているようなのです。
精神的に辛くなり、母親にそれとなくお願いをしても「邪魔者扱いして」と自分の部屋に駆け込んで泣きじゃくります。
これからもこの母親と二人で暮らしていくのかと思うと憂鬱な気分になります。
どういうふうに伝えれば母親を安心させ、干渉をやめてもらえるのかアドバイス頂ければ幸いです。
(女性/48歳)



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