前編を読む





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エコや環境の話は後からついてくる



では世界の自転車事情はどうなっているのだろう? 疋田さんは自転車先進国と呼ばれるオランダ・ドイツに行ってきて、実際、自転車にまたがってみたことがある。そこで目にしたのは、豊かな自転車の可能性、そして環境に優しい未来の交通モデルだった。

「安全なんですよ。自転車レーンってどうしても細いイメージがあるでしょう? それがクルマ1車線ぐらいあるんです。そうすると早い自転車と遅い自転車が共存してすーっと行けるんで、すごく速く行けるんです。クルマもシャットアウトされてるし、オランダでは違法駐車してると17万円の罰金なんですよ。走ってて快適ですよね」




ドイツやオランダでは徹底していて、クルマの通る道を容赦なく自転車レーンに変えてしまう。上下2車線の道路があった場合、そのうちの1車線ずつを、上下1車線ならば片方を一方通行にして自転車レーンを敷く。

「自転車自体は空気清浄機でもなんでもないし、車から乗り換えて初めてエコなわけです。クルマのある部分を自転車で代用しないとエコな自転車の意味ってないわけですよ」




そうやって環境に負担の大きいクルマを規制し、そのぶん自転車レーンをつくっていけば、クルマから自転車に乗り換える人も増えていくし、街は二酸化炭素の排出を削減。きれいな空気を取り戻すことができる。ヨーロッパではそうした新しい交通モデルが次々と生まれていた。

「それは決してつらいことでもなんでもないですよ。都内でいったらクルマの平均時速って昼間で大体14キロ。それでノロノロ移動してるよりも自転車でさーっと行ったほうが楽だし健康的だし、時間の無駄にもならない。良いことばっかりなんですよ。日本ではママチャリこそが自転車だと思ってるからなかなかそういう意識を持ちにくいんだけど、自転車は本来速いものだっていうふうに意識が変わりさえすれば、多くの人がクルマから自転車に転向できる気がするんです」

もちろん、クルマの存在がなければこの社会はもう成り立たないわけだし、クルマを必要とする交通弱者の人、自転車には乗りたくないという人だっているだろう。けれど、不必要なクルマの存在は依然として多く、この社会がクルマに依存しすぎているというのも事実だ。






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疋田さんはクルマと自転車の共存共栄のために、私たちがドイツやオランダの取り組みから多くのことを学べるはずだと考える。そして、こうした新しい交通モデルをいきなり東京に持ってくるのではなくて、まずは例えば、盛岡市、宮崎市など比較的人口の少ない地方都市から実現していくのが現実的で、そこから新しい輪が広がっていくのではないかと話した。

「でもまあ、そうやってなんだかんだと言いますけど、エコとか環境の話っていうのは結局、後からついてくればいいんですよ。自転車に乗るのは気持ちいいし、自分の身体で移動するのは愉しい。そこから話はスタートすると思うんです。私だって自転車通勤何年もやってますけど、毎日環境のこと考えて乗ってるわけじゃなくてね。満員電車よりこっちのほうが断然いいから乗ってるだけの話なんです」

朝の通勤を、たまの寄り道を、そして人生そのものも愉しくしてくれる乗り物、自転車。健康的で、環境にも優しいとくれば、その先に21世紀が拓けると疋田さんはにっこり笑った。

「まずは自転車生活の愉しみを感じていただければ、そこからどんどん広がっていきますよ!」

(土田朋水)
Photos:高松英昭
イラスト:Chise Park

ひきた・さとし
1966年生まれ。TBSテレビ制作局プロデューサー。毎日片道12キロの通勤に自転車を使う「自転車ツーキニスト」。都市交通における自転車の活用を提言するオピニオンリーダーとしても活躍。『自転車生活の愉しみ』(朝日文庫)、『自転車ツーキニスト』光文社知恵の森文庫など、著書多数。




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(2011年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第178号より)




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ドイツ、すべての子どもに学童保育の権利を



先頃、ベルリン・ノイケルン地区にあるゾンネン小学校の教職員たちが市議会に対し、すべての小学校児童に学童保育の権利を要求する抗議書を提出した。ドイツの小学校では就学時間が通常午前中だけなので、両親が共働き家庭の子どもに対しては公共の学童保育を受ける権利 が与えられている。 

今回抗議書を提出した教職員らは「ノイケルン地区では、両親共働き家庭が少ない代わりに、生活保護受給家庭が多い」ことをあげ、「生活保護受給家庭の子どもたちの多くは、放課後にスポーツや身体を動かす遊びをするよりコンピュータゲームなどに没頭する傾向が強く、また親が宿題を見てくれることも少ない」として「こういった家庭の子どもたちにこそ、学童保育の機会を与え、支援を行う必要がある」としている。

ベルリン市議会教育省では、親が失業状態にある子どもたち、および外国人家庭の子どもたちにも学童保育の機会を与える提案書を策定しているが、財源の問題からまだ正式に認可されてはいない。

(見市知/参照:Berliner Zeitung)


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(2007年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第82号より)




颯爽、かっこよく。さらば満員電車、クルマ渋滞



自転車は身近すぎて、その重要性になかなか気づかない。
自転車ツーキニストの疋田智さんは、
「未来は間違いなく自転車とともにある」と、自転車乗りの気概を語る。







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満員電車が嫌で始めたツーキニスト、二度と元には戻らない



満員電車に乗るのが好きな人は珍しいし、クルマで渋滞に巻き込まれるのが好きな人だってそうそういないだろう。毎日の通勤だったらなおさらのことで、そんな時はつり革につかまったり、ハンドルによりかかったりしながら、誰もがこっそりため息をついているんじゃないだろうか?

そんなため息のあいだを縫うようにして、颯爽と、かっこよく、私たちの横を通り過ぎていく人たちがいる。満員電車にも渋滞にも縛られないで自由に走り抜けるその姿はちょっぴり羨ましい。自転車で通勤する「自転車ツーキニスト」たちのことだ。





疋田さんは自転車ツーキニストという言葉をはやらせた張本人。自身でも毎日、自転車通勤を続けている。

「なんだかんだで10年ちょいたつんですけど、当初はね、例えば交差点に止まってても自転車に乗っているのは自分だけだったんですよ。『ああ、オレひとりかぁ』みたいなね。今はもうどこの交差点に止まってても、あそこにいる、あそこにもいるって感じでね」




自転車ツーキニストは今ちょっとしたブームなのだ。ただ普通のブームとちがうのは、これが一時の流行りで終わらないところにある。

「みんなもう満員電車っていうのが嫌なんですよ。それでいったん自転車に乗って通勤し始めると、もう二度と元に戻らないんです」




それだけじゃない。自転車生活の魅力はまだまだ他にもたくさんあるのだ。

例えば、自転車に乗るのは健康的であることを疋田さんは身をもって証明している。自転車通勤を始める前、84kgだった体重は1年後67kgに。ホームページに掲載されている「使用前」「使用後」という写真を見比べてみると、その差は歴然だ。自転車が糖尿病患者やその予備軍に最も合理的で、長く続けられるエアロビクス(有酸素運動)として勧められているのもうなずけてしまう。

やっぱり苦労して痩せても食事制限だけだとすぐに戻っちゃうでしょう。それが自転車の場合、カロリーを消費しやすい身体をつくることにつながるんです」

なにより自分の身体を使って自転車に乗るのは、愉しくて、気持ちがいいと疋田さんは言う。






電車なら50分、自転車ならドアトゥドアで35分



夏の朝は、ひんやりとした空気を吸い込んでペダルをこぎ出す。秋には霞ヶ関の丘をこえるとき、黄色く色づいたイチョウの並木道を通り抜ける。季節によって川の匂いが変わることに気づいて、移ろいゆく季節と街を、自分の目と鼻で味わい、確かめていく。

「これが電車とかクルマなら気づけないでしょう。東京だって春になるとモンシロチョウが飛んでたりするんですよ。皇居の周りにだって蝶々が飛んでるんです。夏の黄昏時になるとコウモリが飛んでたりしてね。東京にもコウモリがいるんだって最初はびっくりですよ。自転車だとそういうことに気づけるんです」

意外なのは、自宅から港区赤坂の会社まで通勤する疋田さんにとって、最も速い通勤手段はクルマでも電車でもなく自転車だということだ。電車なら50分はかかるところ、自転車なら35分でドアトゥドア。オートバイよりも早く着いてしまう。




この速さには二つの理由があって、ひとつは疋田さんの自転車がいわゆるママチャリではなく、それよりもっと速い自転車であること。それからもうひとつは、自転車が歩道ではなく車道を走るためだ。

……えっ? どうして自転車が車道を走れるのかって?

確かにこれは多くの人が驚く事実かもしれない。けれど自転車は、法律的には元々「車道を走るべきもの」なのだ。そんなこと知らないから、ついつい車道を走る自転車を見かけると「あれでいいのかなぁ」なんて口にしてしまうのだけど(自分もその一人でした)、本来は車道のほうが正しい。間違っているのはむしろ自転車を危ない目に合わせるインフラの側なのだ。






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「こんなことやってるのは日本だけでしてね。世界のどこ行ったって自転車は車道を走るものなんですよ。車道がクルマの聖域なんて日本だけ。本来は逆なんです。歩道は歩行者や交通弱者しか通っちゃいけません。それ以外のものは車道を分かち合ってくれ、というのが当たり前だったんですけど、日本だけが違ってしまったんです」

自転車といえばすぐに連想されるママチャリも、歩道の上を自転車が走る日本の特殊な状況に合わせて生まれたものだった。本来はもっと速く走れるはずの自転車をわざと遅いものにして、歩行者との事故を防ごうとしたためだ。ママチャリ市場は今も日本にしか存在しないのである。


後編へ続く


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(2011年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第176号より)




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台湾、人材流出に警鐘を鳴らす「人材宣言」



ここ数年、人材の流出が止まらない台湾で、ついに最高学術研究機関である中央研究院の翁啓恵院長が経済界、メディアなどの代表者と連名で「人材宣言」を発表し、政府に人材確保の対策を講じるよう提言した。

翁院長によると、台湾は既に人材の輸出国になっており、国内の人材をとどめるとともに国外の優秀な人材を入れなければ、10年以内に人材が枯渇し、国際競争力を失うという。

流出の原因として、硬直した給与体系、取得した技術と雇用需要のミスマッチなどをあげている。国内に限界を感じた優秀な人材は中国やシンガポールに高い報酬で引き抜かれ、毎年2〜3万人が流出しているという。一方、外国人就労者は49万人で、そのうちホワイトカラーは2万人しかいない。

「人材宣言」を受け、政府は人材の育成、確保のために4年間で600億元(1600億円)を投じると表明した。それに対し、人材流出の要因は経済の低迷と好転の兆しがないことだと考え、効果を疑問視する声もある。

(森若裕子/参照:亜洲週刊、経済日報、聯合報)


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(2011年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第176号より)




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インド・バングラデシュ、見過ごされてきた国境犯罪



インドとバングラデシュの国境地帯は、武器の密輸や人身売買など、犯罪の温床とされている。ただ、この問題がメディアに取り上げられる機会は少なく、国際的に問題意識が共有されているとは言いがたいのが実情だ。

インド北東部メガラヤ州で8月、自警団の銃撃で、バングラデシュから密入国した2人が死亡する事件があった。インド当局は、木材が盗まれそうになったと説明しているが、事実関係ははっきりしていない。

事態が深刻なのは、治安当局でさえ、先入観だけで発砲を繰り返してきた経緯があるからだ。インド国境警備隊(BSF)に親族を射殺されたある住民は「一帯では暴力が日常的かつ恣意的に行われている」との見方を示す。過去10年間の銃撃で、約1000人が死亡したとの推計もある。

両国は、国境地帯の共同管理で協力する方針を打ち出したばかり。9月には、国境線の画定に取り組むことで合意している。

(長谷川亮/参照:ヒンズー、タイムズ・オブ・インディア、ガーディアン)


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(2008年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第97号より)





97人生相談






「長男だから」と、特別扱いされる弟に嫉妬。どうすればこんな自分から抜け出せますか?



現在、退職した両親と妹、弟と住んでいます。最近、弟はアパートを借りました。両親はそれに対してあまり干渉しません。「長男に家を継いでもらわないといけないから」と遠慮しているようです。昔は厳しかったのに今では弟の機嫌を取っているように見え、弟に嫉妬している自分が嫌になります。

(会社員/28歳/女性)





ぼくも就職して2年ぐらいしたころかな、弟さんみたいなころがあったよ。親父の気持ちがわからんでもないけれど、自分としては干渉されたくないって。ぼくも二人きょうだいの長男だったから、両親の期待にこたえなあかん反面、それが重みになってたように思うし。

ぼくの場合は、家がカメラ屋さんで、家を継ぐというより家業を継ぐかどうかが問題だった。親父は将来的に商売を続けるのが難しいと思っていたし、お前の好きにやっていいよって言ってくれて、ぼくはそれに甘えてたんだ。結婚したときも、同居しろともなんとも言わなかったし。

それが、31か32歳の頃だったかな。親父が久しぶりに「相撲をやろう」と言うんでやってみたら、ころっとねぇ、簡単に親父を負かしちゃったんだ…。昔はそんなこと考えられなかったよ。小さいころは、親父って大きくて強いと思ってたから…。このことがきっかけかな、一度きちんと家に住んで家業を継いだ方がいいのかなって考え始めたのは。

人それぞれ生まれ育った環境が違うから何ともいえないけど、ご両親も弟さんもお互いの本音を聞くのが怖いし、気を使い合ってるんだよ。それに弟さんってまだ23歳だろ、遊び半分、仕事半分って時じゃない。結婚しているわけではないし、今はまだ守ってくべき対象物がはっきりしていないだろうしね。

あなたが感じているいらだちや嫉妬も、きっと時間が解決してくれると思うよ。ぼくにも姉が一人いたけど、お互いに嫉妬してたこともあったと思う。

ぼくからすると、姉は両親や周りからもチヤホヤされて見えるし、姉にしてみれば、ぼくはあと継ぎということで特別扱いされてるってね。仲良かったのは高校生ぐらいまでかな。

お互いに働くようになってからは、あんまりしゃべらなくなったよ。

それが変わったのは、姉が結婚して子どもができてから。今度は昔にしゃべれなかったことがしゃべれるようになったんだ。子どもをきっかけに、ワンクッションおいて話せるようになったっていうのかな。「小さいときはああやった、こうやった」みたいに。きっとそういう時がくると思うよ。

(大阪/T)




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こんにちは、ビッグイシュー・オンライン編集長のイケダです。最新号の読みどころをピックアップしてご紹介いたします。




映画監督・園子温さんが芸人に転向?!



以前、園子温の書籍「非道に生きる」を読み、大変感銘を受けました。人から嫌われるのを恐れない姿勢、いえ、それどころか、「すすんで嫌われるようなことをしようとする姿勢」に、いつも空気を読んで生きていたぼくは、強烈な感銘を受けました。






「映画の外道、映画の非道を生き抜きたい」という僕の気持ちは、つまるところ自分の人生そのものだ。

思えば生まれたときから僕はへそ曲がりであまのじゃくで常に世間にそっぽを向いて歩いてきたし、世間も僕にそっぽを向いてきた。これからもそうだろうし、むしろどんどん嫌われて、「こんなの映画じゃない」と言われる映画を撮り続けたい。










園子温氏は「俺は園子温だ!(1985年)」で鮮烈なデビューを飾った映画監督。代表作に『愛のむきだし(2008年、ベルリン国際映画祭「カリガリ賞受賞」)』や『冷たい熱帯魚(2011年)』といった作品があります。人間のグロテスクな内実を暴く作風は国内外で高く評価されています。好き嫌いは分かれますが、注目せざるを得ないパワーを持っていることは間違いありません。








最新号の巻頭では、そんな園子温氏のインタビューが掲載されています。

インタビュー冒頭、いきなり驚かされたのは、「お笑い芸人に転向する」という話。

今度、映画監督からお笑い芸人に転向しようと思っているんです。ようやく映画監督として名が知られるようになってきたのに、何をふざけているんだ!?って言われそうだけど、本気です。

(中略)でも今の自分にとっては、すべてをゼロに戻し、けもの道を歩くという選択が必要なんです。逆境の中に身を投げ出し、自分を奮い立たせる—ずっとそうやって生きてきたから、そうするしか能がないんだと思う。


冗談ではなく、本気でお笑い芸人を目指すとのこと…凄まじい生き方ですね。「人生あっという間。監督だけやってたらもったいないじゃん」という台詞からは、読んでいる自分の小ささを痛感します…(笑)

刺激たっぷりのすばらしいインタビュー記事なので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいところです。




210号ではその他にも、

・デンゼル・ワシントンのインタビュー
・若者を支援するエイミー・ワインハウス財団について
・地震大国日本を扱う特集「動く大地を生きる」

などなど、魅力的なコンテンツが多数収録されています。街で販売者の方を見かけたら、ぜひご購入を!

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(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第75号より)





人口100万人と固有の動物が共存 奇跡の森の「命(ぬち)どぅ宝(たから)」



沖縄島北部”やんばるの森“に生息する、飛べない鳥、ヤンバルクイナ。絶滅の危機に瀕するヤンバルクイナの保護に取り組む、長嶺隆さん(NPO法人どうぶつたちの病院事務局長)から届いた緊急レポート。







ヤンバルクイナ




人が導入したマングース、ヤンバルクイナの天敵に



1981年、やんばる(沖縄島北部地域)の森で新種のクイナが発見された。先進工業国での新種の鳥類の発見は「世紀の発見」といわれ、”やんばるの森“の神秘さをあらためて知らしめた。

当時、浪人中だった私は夢中で国頭村に向かった。幻想的な朝靄の中、ヤンバルクイナは沢沿いの茂みからゆっくりと姿を現し、水辺に脚を踏み入れ真っ赤な嘴で何かをひとつまみしたかと思うと、再び茂みに戻っていった。そのすべての場面を鮮明に覚えている。

ヤンバルクイナはチャボくらいの大きさの、真っ赤な嘴に真っ赤な脚を持つ派手な鳥。胸から腹まで黒と白の横縞で彩られている。国内で唯一の飛べない鳥であり、飛べないクイナの北限種でもある。発見から10年後で既に、ヤンバルクイナは生息分布域を大幅に減少させていた。森は残っているのに、なぜヤンバルクイナが絶滅へ向かい始めたのだろうか?




その原因はやはり我々人間にあった。外来種マングースの侵入である。1910年、毒蛇ハブや農作物に被害を与えるネズミ退治のために、マングースをインドから導入し、17頭が沖縄島の南部、那覇市近郊で放獣された。以来マングースは沖縄島を北進し続け、80年代に入ると”やんばるの森“へ侵入し、ヤンバルクイナの天敵となった。

81年、ヤンバルクイナはやんばる全域に分布し、約2千羽いたとされる。だが00年頃までに、その生息地は半減し千羽をきってしまう。現在はわずか7百羽程度に追いつめられ、発見からわずか26年で、日本で最も絶滅に近い鳥類となってしまった。片やマングースは3万頭をこえた。




追い打ちかける、捨て猫、交通事故



さらに不運なことに、南からマングースによって追いつめられたヤンバルクイナを森の中で待ち受けていたのが、捨てネコであった。捨てネコは自らの命をつなぐために森の生き物たちの命を奪っていたのだ。2001年、(財)山階鳥類研究所はノネコによるヤンバルクイナの捕食を証明し、発表する。

獣医師になり18年ぶりに沖縄に戻っていた私に、この事実は衝撃だった。ネコをはじめペットの命を救う仕事を10年以上続けていながら、一方で捨てられるネコたちの命には見向きもしてこなかったのではと、自問自答した。 




02年、国や沖縄県はノネコの捕獲を開始し、動物愛護団体と対立していた。そこで、私たちは「クイナもネコも守ろう」と獣医師グループを立ち上げ、ヤンバルクイナの主要生息地である国頭村安田区と協働で活動を始めた。

公民館で飼いネコの不妊手術と飼い主を明確にするためのマイクロチップを導入するという、地域での「ネコの飼育のルールづくり」である。これが効を奏し人口約200人の安田区ではノネコがいなくなり、集落内でヤンバルクイナの繁殖が始まった。




環境省はこの事例をモデルに、やんばる地域の三つの村で「モデル事業」を展開。獣医師会やNGOが参加し、2年間で約500頭の飼いネコに避妊手術とマイクロチップを施し、国内で初めて飼養登録制度も義務づけた「ネコの飼養条例」を施行した。

01年に捕獲されたノネコは約200頭だったが、現在は10分の1の20頭にまで減少した。捕獲されたネコたちは保護され新たな飼い主探しを行い、これまで1頭のネコも処分されていない。それは「命どぅ宝(ぬちどぅたから/命は宝)」を発信し続けてきた沖縄で、世代の責任としてやらなければならないことであった。世界的に見ても、このネコ対策の解決へ向けた速度は異例といえるだろう。




一方、マングースは北進を続けている。マングースの根絶に成功した例は海外でも報告がなく、ヤンバルクイナの絶滅は秒読み段階に入ったと考えていいだろう。

さらに追い討ちをかけるのが、交通事故だ。昨年は13件が発生し過去最多となった。私たちは安田区と協働でヤンバルクイナ救命救急センターを設置し、事故にあったクイナを救護し森に帰す活動を展開している。

救護したヤンバルクイナの治療や飼育から学び、万が一直面するかもしれない絶滅の危機を回避するために、飼育下の繁殖に着手した。残された時間は少ない。






ヤンバルクイナ手術中





琉球列島を代表する”やんばるの森“は「奇跡の森」とも呼ばれている。「大陸のかけら」という地理的要因もあいまって独特の固有の進化を遂げた動物たちの宝庫だ。

しかし、「奇跡の森」といわれるもう一つの大きな理由は、100万人をこえる人々がこの島に暮らし続けながら固有の動物たちが生き続けていることにある。私たちの沖縄は、沖縄のいとおしい野生動物たちと共存できるはずだ。それが誇りであり、それが次世代への義務であり、先人たちが残してくれた心であると信じている。


(長嶺隆)
(Photo:金城道男)
(写真提供:どうぶつたちの病院)

ながみね・たかし
1963年、沖縄県生まれ。日本大学農獣医学部卒業。獣医。2004年、仲間とNPO法人「どうぶつたちの病院 沖縄」を設立。現在、理事長。人と飼育動物(ペット)と野生生物が共生していくための事業を行う。やんばる・西表・対馬に活動拠点を持ち、ヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコ、ツシマヤマネコなどの保護活動を行っている。
http://yanbarukuina.jp/

〈寄付郵便振替口座〉
口座名義 どうぶつたちの病院
口座番号 01780−8−137038
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前編を読む





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サバンナの守り神、マサイ族。保護と住民の間を架橋する家畜診療プロジェクト



「現在、マサイマラ国立保護区の周辺で起きている問題に、マサイの個人所有の土地の貸し出しがあります」と指摘する滝田さん。主にナロックと呼ばれる町の周辺で起きている状況だが、ここではマサイが持つ土地を白人やインド人経営の大規模農園がリースし、今までサバンナだった地域が麦畑に姿を変えている。

野生動物と共存することが可能なライフスタイルを送る遊牧民と違って、農耕民族(農業)の野生動物との共存は不可能に近い。農作物を野生動物に荒らされないようにするため、農地はフェンスで囲まれる。そのフェンスは野生動物の食糧を奪うだけではなく、水や草を求めて移動する動物の妨げとなる。

「年間わずかのお金で大農園にリースされる、サバンナ。そして、小規模な炭作りのためにリースされた土地の、消え行く森林。観光客たちが触れることのない、マサイランドの中で起きている問題なんです」




伝統的な家畜業をいとなむマサイは、言ってみれば、サバンナの守り神である。マサイが家畜業を止め自分たちの土地を外部に貸し出し始める日。それは、サバンナが消えてしまう日だ。そして、保護区との境界線のサバンナが消え、フェンスが立てられることによって、今までより、さらに野生動物と地域住民との衝突が増える。

一方で、乾季などによる栄養失調や風土病などの問題から、マサイのゼブー牛は痩せていて「屠殺利益」は他の牛種に比べ、かなり低い。教育を受け、今までのライフスタイルに疑問を持つ若者や、経済観念を身につけたマサイにとって、家畜業は魅力がなくなり始めている。放牧スタイルの家畜業だからこそサバンナを守り野生動物と共存できていたのに、少しずつ変化が起こっているのである。




だが、そんなサバンナの守り神とも呼ばれるマサイの牛や家畜を守るための獣医療サービスは、ほとんどなきに等しい。マサイが、牛から得る利益がサバンナを貸し出す利益より少ないと感じてしまう日、また一つサバンナが消えてしまうというのに。

そこで、マラコンサーバンシーは、保護区や保護区周辺に暮らすマサイ族の牛、ヤギ、羊などの家畜の診療活動をするために、マサイマラ巡回家畜診療プロジェクトを立ち上げた。

マラコンサーバンシーが、地域の人々に一番必要とされている獣医を派遣することは、保護区が野生動物だけでなく、地域社会をも大事にしていることの証明となる。そして、家畜の健康状態が向上すれば、家畜からの利益が上がる。このプロジェクトは、地域社会の人々の暮らしを向上させることを通して、保護区の自然保護を実現させようとする、いわば保護区と地域住民の架け橋なのである。




滝田さんはこの巡回家畜診療プロジェクトの誘いを二つ返事で引き受け、現在、獣医として活動している。「学んできた動物学と獣医学の両方を活用できる自分にふさわしい活動かもしれない」と感じている。だが、プロジェクトはスポンサー探しや資金集めなどに苦労していて、プロジェクトを軌道に乗せようとするのに精一杯であるという。

最近、滝田さんはナイロビ郊外からマサイマラに引っ越した。愛犬、愛猫と共のケニア生活も、早8年。今日も滝田さんは、マサイの村に出かけて家畜の診療や治療を行う。時には、十分な器具もない中で、野外手術も辞さない。




どんな仕事もいとわない滝田さんに、マサイの人が贈った名前は「ノーンギシュ」(牛の好きな女)。マサイの人の親しみと愛情が表わされているような気がする。

「このプロジェクトが軌道に乗り、将来的にマサイの人たちの中で獣医、もしくは家畜アドバイザーを育て上げ、彼らが自分たちのコミュニティーの中で家畜の病気と闘っていけるようにするのが、私の今の将来の夢なんです」

滝田さんの夢が1日も早く実現することを、同じ地球市民として祈りたい。

(メールインタビュー/編集部)
(写真提供:滝田明日香)




たきた・あすか
1975年生まれ。幼少からシンガポールなど海外で暮らす。NY州のスキッドモア・カレッジで動物学専攻、アフリカに魅せられケニアとボツワナに留学。大学卒業後、ボツワナ、レソト、南ア、ジンバブエ、ザンビアなどを就職活動で放浪。ザンビアではルワンファ国立公園に職を見つけるがビザ問題で断念。2000年ナイロビ大学獣医学部に編入、05年獣医に。現在はマサイマラ国立保護区のすぐそばに住み、獣医として、マサイマラ巡回家畜診療プロジェクトなどの活動を行う。著書に、『晴れときどきサバンナ』二見書房&幻冬舎文庫、『サバンナの宝箱』幻冬舎、がある。


〈寄付郵便振替口座〉
口座名義 マサイマラ巡回家畜診療プロジェクト
口座番号 00100・0・667889






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