(2007年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第64号 [特集 100年かけ「霞ヶ浦再生」を実現するアサザプロジェクト]より)





非力なものが知恵を出して遊ぶ。霞ヶ浦は遊び相手



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なぜ、子供たちがアサザプロジェクトの主役になれるのだろうか? と問うと、「それは、子供たちが自然と同じ時間を持っているから」と即座に返事が返ってきた。

自然はすべて潜在性のかたまり、コントロールできるものではない。それと向き合う子供たちが持っているのは、効率に対する非効率、合理性に対する非合理性だ。アサザプロジェクトに行き着くまでは、それとまったく逆の発想の効率や合理性を基準に活動していたと、飯島さんはふり返る。




「霞ヶ浦を再生するといっても、自然が相手なんです。こちらが自然の時間に合わせないと知恵も生まれないし発見もない。湖を歩いたのはよかった。時間の中に浸りこんで溶け込んで、丸々1日湖の空間を身体に感じて。だからこそ、アサザからひらめきをもらえたんだと思います。自然の時間と同じ時間を持っている子供たちとじっくり歩いて、じっくり見て。子供たちが一緒にやってくれたからここまできたと思います」

飯島さんによると、小学生の日常的な行動範囲はだいたい2㎞くらい。かつて近隣の池や川は、子供にとって身体の延長、身体の一部だった。アサザプロジェクトはそういう子供たちの感性の息づく空間をもう一回取り戻すための大きなムーブメントであるとも言う。

「僕らは子供の感性を丸ごと本気で受け入れます。遊びなんですよ。大きなものに、できるだけ小さなもの、当たり前なもの、どうでもいいようなものを向かい合わせるという遊びをしているんですよ。大きな霞ヶ浦は、僕らの遊び相手なんですよ。力対力じゃなくて、非力なものが知恵を出して湖に遊んでもらうんです」




子供たちが総合学習で取り組む




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”アサザの里親“も単純に水草を増やすということではない。「里親になるということは、相手を知るということなんです。湖のこと、植物の育つ環境、季節の変化などを知らないと、アサザを育てられない。生き物の視点で、上流から下流まで、どんな生物にどのような問題があるのかを調べ把握して、子供たち自身が新しい試みを提案していきます。ただ『環境を守らないといけない』なんて、独りよがりのことを言っててもだめで、人間はどういう生き方をしたらいいのかということを、野生の生物とつき合いながら気づいていくんです」

03年からは、NECと連携して子供たちが地域の環境情報を集めている。温度、湿度、水温、日照時間をセンサーが自動的に感知して10分おきにデータが教室のコンピュータに送られる。それを通して、蛙が冬眠に入るのは何度くらいか? 春になって地中の温度が何度くらいになるとヒキガエルが卵を産むのか? 水温が何度くらいになるとメダカが泳ぎだすのか? などを調べる。ほとんど研究者レベルといっておかしくない。




05年からは、宇宙開発関連の研究機関と連携して、大型衛星『大地』を使った「宇宙から蛙を見つけよう」という衛星画像を利用した霞ヶ浦の水循環再生のための現状把握活動も始まった。


「この計画には、子供の力が必要なのです。宇宙から見ると、蛙が生息している湿った土の波長が違うので、それをフィルターにかけて色をつけます。その色のついたところに子供たちは出かけていく。どのくらい衛星が読み取ったデータと現場の状況が当たっているのか? アカガエルが卵を産んでいるかな? ニヤンマやサワガニはどうしているかな? どのくらい湧き水があってどんな生物がいるのか? 2200㎢という広大な地域でそれを調べています。

こんなことは、子供が参加してくれないとできないことですよ。しかも子供たちは地元をよく知っているので、研究者以上にきちんとやれる。宇宙開発というと、国家威信をかけた巨大なプロジェクト。それと子供や蛙などという小さなもの。とんでもない大きさの違いがおもしろいんですね」




いよいよ、子供たちにとっても、アサザプロジェクトは総合学習の域をこえてきた。06年11月には、牛久市の神谷小学校の5年生が、市長や部課長の前で、霞ヶ浦水源地の再生計画のプレゼンテーションを行った。市民に向けた地元説明会も終えて、小学生の提案する公共事業がついに実施される見込みである。




海外からも視察、地域コミュニティの積み上げという普遍性



国交省のすすめてきた河川管理、利水の既存の枠組みの中で可能性を追求する時代は終わった。縦割りの社会システムで、地域コミュニティや自然の空間が分断され、水の循環が分断され、生物の移動、生息地も分断され、人間としての当たり前の生活さえ分断される。飯島さんは、国や行政や専門分化した研究者がつくりあげてきた近代化とは異なる、まったく新しい自然と共存する社会システムの展開を考える。

従来、地域がらみの公共事業の問題が出てきたときは、公共事業以外の選択肢がなく、その事業をやるやらないの議論のレベルにとどまっていた。民間活力の導入も声高にいわれるが、企業は投資したお金を最大限回収しなければならず、ビジネスに最適なループをつくることが使命。そこで、3番目の選択肢をつくるNPOの出番である。資金の回収の必要がない非営利団体が、新しい発想で、新しいもの、金、人の動きをつくりあげていくのだ。

「94年頃に戦略をつくりました。既存の霞ヶ浦流域システムを質的に転換しようと考えたときの最大の課題は、流域という広大な地域をおおう面的な展開を実現させることでした。その土台になる鍵が小学校だった。小学校の流域全体のネットワークができあがれば、一気に質的転換が可能だという周到な読みと戦略があったんです」




確かにアサザプロジェクトの事業はどれも有機的につながっているように見える。しかし、総合学習の一環とはいえ、子供が公共事業を担うような事例は全国どこにもない。

「日本の田舎の小学校は、地域で子供を育てるという文化伝統が、今でもなくなっていない。学校教育をどうこうしようというのではなく、地域ぐるみで子供たちを育てる、当たり前のことが地域で始まればいい。その拠点として学校があればいい。お年寄りへのヒアリングも、相手から何かを引き出していこうという子供たちの強い意志があって、それによって相手も生かされる。アサザで育った子供たちは、見えないものを見たり、いろんな働きかけのできる大人になっていくのかなと思います」

11年の間、粗朶組合を筆頭に、具体的なビジネスモデルの提案をし続けてきたことも、アサザプロジェクトが動いてきた大きな理由だと、飯島さんは言う。しかも、そのビジネスモデルは、地域の生業や日常生活に深く結びついていることがポイントだ。しかも、アサザプロジェクトでは、粗朶消波堤のような伝統的な技術から、宇宙開発のような先端的な技術まで、さまざまな試みが地域コミュニティで機能していく。

地域の当たり前のものを読み直し潜在性を引き出しているアサザプロジェクト。その基本の方法論は地域コミュニティの積み上げ。だから、普遍性がある。秋田、八郎湖でも霞ヶ浦のノウハウは生きた。すでにアジア、アフリカなど30数ヶ所の国々からの視察も相次いでいる。




第四回へ





Photos:高松英昭



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(2007年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第64号 [特集 100年かけ「霞ヶ浦再生」を実現するアサザプロジェクト]より)






P17 アサザの大群落

(アサザの大群落)






百花繚乱、流域全体に広がるプロジェクト




さて、驚くなかれ、アサザプロジェクトの主役は流域170をこえる小学校の小学生である。総合学習の一環として、子供たちがアサザの里親になり、アサザの種を株になるまで育て、湖に入って植え付けを行う。また、自然護岸が残っていた頃の霞ヶ浦の植生を再現すべく、お年寄りからの聞き取り調査をし、その成果を生かし、学校のビオトープでオニバス、ヨシ、マコモ、ガマ、ショウブなどの100種類もの水草を育てて湖に供給する。子供たちがアサザプロジェクトの大元を支えているのだ。


P17 ビオトープを学校に



これにとどまらず、子供たちの参加によるNECの地域の環境情報収集システムや、人工衛星を使った衛星画像を利用した自然再生・地域再生のための活動も始まった。また、アサザプロジェクトが飛び火し、秋田の八郎湖流域の小学校でも、3年前からアサザ基金との交流を深め、同様のプロジェクトを始め成果をあげている。

アサザ基金がアイディアを出し、霞ヶ浦に流入する河川の一つ、山王川では、石岡市が三面コンクリート張りの川の中に自然を回復する試みとして、石材組合から廃石材を得て川底に敷き、ヨシを植えている。




流域の地場産業との連携もめざましい。粗朶消波堤の設置のために、地元の森林組合と連携して霞ヶ浦粗朶組合をつくり、組合が粗朶の材料となる間伐材を供給している。これには建設省(当時)からの予算がつき、林業者の生業になることで、停滞していた森林組合の活動も復活した。一般ボランティアが参加する”一日きこり“の活動も生まれ、間伐が森林の再生に役立つとともに、人々が自然と触れ合う場もつくりだしている。

霞ヶ浦の在来魚の保護が”のっこみランド“で行われているが、漁業者と連携して外来魚の駆除も行われている。捕獲された外来魚を魚粉(肥料)にし有機農業で菜の花などを育てる。外来魚の水揚げは漁業者の生業になるとともに、菜の花からは食用油を作り地元の給食センターに供給、その廃油はバイオディーゼル燃料として活用し、鹿島鉄道を走らせることが目標だ。最終的にはCO2の削減にも役立つ。また、すでに魚粉を堆肥に使った野菜が地元のスーパーや生協で販売されている。



P17 野菜の肥料




さらに、霞ヶ浦の源流の里山にある谷津田の保全を兼ねた、湧き水利用の酒米づくりには企業(NEC)が参加し、酒づくりには地元の酒造メーカーが参加してブランド化を目指すなど、霞ヶ浦流域で展開する環境改善プロジェクトは枚挙にいとまがない。




小さなもの、無力なものが大きなものと闘える





このような壮大なアサザプロジェクトのとば口を開いた飯島さんとは、どんな人物なのだろうか? もともと植物や昆虫が好きな少年ではあったが、中学の時に水俣病の現実を知ったことが、その後の飯島さんの生き方を決定づけたという。

「水俣病ですね。あの時、不知火海の”生きもの“たちがおかしいという異変に漁師さんたちは気がついた。けれど、チッソも、国や厚生省、東大の研究者たちもそれを認めなかった。地元の人たちの直感に基づく訴えに耳を傾けませんでした。科学者のいうところの科学知と漁師さんの生活知が対等じゃなかったんです」

普通なら、公害をなくすために研究者を目指そうとするだろうが、飯島さんは違った。「あれだけひどい公害に誰も何もできないことが、おかしいと思ったんです。それが強烈に脳裏に焼きついている。権威から離れていても、世の中を変えられる人間になりたいと思ったんです。あの漁師のような立場、無力な立場でものを言い、問題を解決し社会を変えていくことに挑戦したかった。ばかばかしいほど小さなもの、無力なものが大きなものに対抗できるということを証明したかったんです」

飯島さんは、いったんは高校進学もやめようと思ったが、敬愛する祖母の願いで高校にだけは進学する。祖母が話してくれた白樺派やガンジーの影響も受けた。英国植民地下のインドで政府の塩の専売に反対し、海岸を目指し320㎞を歩いたガンジーの「塩のサティーヤグラハ(不服従)」。この塩の行進がきっかけでインドは独立を果す。「日常生活の中の、ただの塩。そこからまったく違う意味が生み出されていく」ことに感銘を受けたという。「それは、アサザも同じなんです」と飯島さんは言葉を継ぐ。

高校生の頃には、社会全体が敵だとも思いつめていた。そして一人で闘うためには、表現力が必要だとも感じていた。「ガンジーとか、ソ連の反体制のチェリスト、ロストロポービッチ、ソルジェニツィンも表現するものを持っていたから、それを表現し続けることによって闘い続けることができた。表現する力があれば、どんなに大きな力に対しても、対等に闘うことができる。今でも、表現だと思いますよ。チラシ一つにもキャッチコピーをきちんとつけていくとか、一つひとつの言葉がすごく大事。言葉がすべてを変えてしまいます」




僕は主体ではない。一つの”場“なんです。



飯島さんは自分の中に自然に対するとぎすまされた神経を保持する状態を”ある状態“と呼び、意識的に維持しようとしてきたと言う。知識を詰め込むのではなく、細い糸を紡ぐように、心の中の”ある状態“を壊されないように守ってきたのだと。そんな飯島さんの中から、力のある言葉や具体的な戦略が生まれてくる。

「不思議なもので、そのつど自分が惹かれたものにとことんこだわり、その中身を探っていくと、その中で自然に何かがつながり、ぽこぽこ言葉が出てきます。ある間隔をおいて、熟して実がなるように、自分の中で総合化されていく。このアサザプロジェクトは、実は僕の中の総合化のプロセスそのものなのですよ。たどっていくと、僕がそのとき考えていたことと、社会の中で事業化していくことが、ほとんど全部一致している。だから、お前一人でやっているんだろうといわれるかもしれないけれど、実はそうじゃない。僕自身は一つの場なんです。主体でも何でもない。場として開いている。いろんなものが出会って何かが起きる場なんです。たぶん一人ひとり誰でもそうなんです。誰でもできるけれど、誰もそのようにしないんですよ。自分の殻をつくって、自分というものを枠の中で見せようとするだけで。でも、実際、人間というのは場なんです。いろんな人とのつながりやできごとが起こる…」

「一人ひとりがまったく違う偶然と必然によって成り立っている。違う環境におかれて、違う時間を生きていて、百人百様ある多様性と、一人ひとりが自分の中で行っている総合化をこれからの社会にどういかに生かしていくのか? 個々の人格が機能するネットワーク。人格というのはさまざまなものを有機的に結びつける場なんです」




第三回へ




Photos:アサザ基金提供
Photos:高松英昭


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Genpatsu

(2012年5月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第190号より)





雪の舞う中、青い森公園には大勢の人が集まっていた。4月7日、青森県内の原子力施設の廃止を求める集会が行われた。主催したのは、県内の6団体が中心で、私たちの団体も加わった。1984年の4月9日に青森県は県内六ヶ所村に計画された原子力施設を受け入れることを決めた。以来、毎年この時期にこれに抗議する集会を開催してきた。今年で27回目となった。

今から40年ほど前に下北半島の付け根あたりに大規模な工業開発が計画された。これは、むつ小川原総合開発と呼ばれた。しかし、石油備蓄のための基地が誘致されたものの、それ以外の産業は来なかった。そこに原子力産業界は目をつけ、原子力関連の諸施設を誘致する計画を立てたのだった。当初から計画されていたとの指摘もある。

誘致された原子力関連の諸施設とは、ウラン濃縮工場、低レベルの放射性廃棄物を埋め捨てる埋設センター、そして再処理工場だ。いったん誘致が決まると、高レベルの放射性廃棄物を50年ほど貯蔵する施設や再処理で取り出したプルトニウムを燃料に加工する工場も作られることになった。一連の施設を総称して核燃料サイクル施設と呼んでいる。

中でも再処理は、原発で使い終わった燃料を切り刻んで処理をすることから、放射能を環境に出さないと運転できない。その量は「原発が1年間に環境に出す量を1日で出す」と言われている。海外の同様の施設周辺では子どもたちのがんが増えていると報告されている。さらに、莫大な費用がかかる。ウラン燃料を輸入する場合の10倍以上だ。負担するのは私たち。高い負担と健康被害、多少の犠牲はやむを得ないなんて許されない。

再処理工場の建設が始まったのが、93年のこと。04年から試験運転に入ったが、トラブル続きで止まったまま。

福島原発事故のあと、この再処理の見直しが進められているが、2兆円を超える建設費がムダになるとか、止めると原発の運転もできなくなるなど、電力会社や役人の強い抵抗にあっている。今年は勝負どころだ。

この日全国から集まった1200人は、青い森公園から市内をパレードし、再処理政策の転換を求めて進めている1000万人署名を達成しようと誓い合った。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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(2007年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第64号 [特集 100年かけ「霞ヶ浦再生」を実現するアサザプロジェクト]より)






霞ヶ浦の環境問題



霞ヶ浦は流域の人々の生活を支え、首都圏の水がめとしての役割を果している日本で2番目に大きい湖。40年前まではワカサギ漁で栄えた。晩秋から冬にかけてのワカサギ漁の季節になると、白い帆に風をはらませた「帆曳き船」が青き湖面を滑るように走る姿が見られ、年間10億円の水揚げ量を誇ったという。

だが、高度経済成長期を経た1970年以降に、水質汚濁や生物多様性の低下などの問題が深刻となる。ワカサギ漁も60年代をピークに、70年代のアオコの大発生などによる流域全体の水質悪化によって激減した。それに対して、行政による富栄養化防止条例の施行(工場廃水規制)などの対策が効果をもたらした時期もあったが、その後再び汚濁がすすむなか、抜本的な解決はない。

また首都圏の水資源開発と治水を目的に、1970年に始まった霞ヶ浦開発事業(2900億円)により湖岸の全周252㎞はすべてコンクリート護岸化され、水質浄化力のあるヨシ原は半分以下になり、他の水草群落も壊滅的な打撃を受けた。

1995年からNPOアサザ基金は、霞ヶ浦流域全体の環境保全を視野に入れ、地域コミュニティを核にした市民型公共事業として「アサザプロジェクト」を展開してきた。






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春から夏にかけて、霞ヶ浦(茨城県)の湖岸に小さく可憐な黄色い花が咲く、アサザ。実はこの花はシンボルにすぎず、その背後には、死んだとさえいわれた日本第2の湖、霞ヶ浦の自然を再生させるという、アサザプロジェクトがある。
いったん絶滅しかけたアサザの苗を育て、それを湖に移植したのは、霞ヶ浦流域の170をこえる小学校の小学生。100年後にトキが舞う湖にしたいという、子供が主役の公共事業でもある。プロジェクトが始まって11年、かかわった人は延べ13万人以上になる。
素手の市民の発見、智恵、遊びのような楽しい活動が切り拓いた壮大な霞ヶ浦再生の物語を紡ぎだす飯島博さん(アサザ基金代表)に、話を聞く。




アサザ。湖自身の自然治癒力の発見





1993年から2年をかけて、飯島博さんは霞ヶ浦の湖畔を小学生や中学生たちと一緒に4周した。この時すでに、コンクリート護岸工事によって、湖の全周は水質浄化力のある自然の渚が失われていた。また、護岸壁に打ち寄せる波によって湖底の砂地は深くえぐられて、ヨシや水草の大部分が消滅していた(図1)。

P15 図1




しかし、ある日アサザの群生が残っている湖面を眺めていた飯島さんは、そこだけ打ち寄せる波が和らいでいることに、ふと気づく。

「他の水草だってよかったし、アサザには何回も出会っていたんだけれど、その時初めて、アサザからひらめきをもらいました。それまでは、僕自身もみんなも人間の力による工学的な方法で自然を再生できないかと思っていた。けれど、アサザが持つ湖自身の自然治癒力のような働きを見て、こういう自然の働きを生かしていけば、湖を”よみがえらせる“んじゃなくて、湖が”よみがえる“んじゃないかな、と思ったんです」




1981年から霞ヶ浦・北浦をよくする市民連絡会議で霞ヶ浦の水質調査などを行っていた飯島さんは、アサザを湖に植えて霞ヶ浦の自然を取り戻そうと考え、すぐに行動を起こした。しかし、初めてのアサザの植え付けには失敗してしまう。コンクリート護岸に打ち寄せる強い波に流されて、1週間足らずの間にアサザはすべて流失してしまったのだ。

そこで、考えついたのが伝統河川工法である粗朶消波堤をつくることだった。沖合いに設置した粗朶消波堤によって波が弱められた湖底に、アサザを植えていくという方法だ。粗朶消波堤は昔の人が考えた伝統技術だが、石積みの消波堤(図2参照)とは違って、波を抑えつつ水を通すので漁礁にもなり、将来アサザ群落が地下茎を延ばし沖に向かって広がっていくときにもじゃまにならないという長所がある。(図3参照)


P15 図2

P15 図3


飯島さんは、一つの仮説を考えた。まずアサザを植え、アサザの群落ができると、沖合いから湖岸に打ち寄せる波の力がアサザ群落に吸収され、波が抑えられる。同時に波に弱められたアサザ群落付近には徐々に砂が堆積し浅瀬ができ、ヨシをはじめとする多様な植物群生が生まれる。このような自然湖岸が再生すると、湖の水質の浄化が促進され、霞ヶ浦の再生がはかれるというものだ。




1995年、NPO法人アサザ基金を設立。その後、この仮説がみごとに証明されていく。バケツに蒔かれたアサザの種は霞ヶ浦に移植され、11年後の今、湖面に清楚で美しい花を咲かせるだけではなく、流域全体に広がるさまざまなプロジェクトとなって根づいた。霞ヶ浦のシンボルも、かつての汚染のアオコから、再生の象徴であるアサザへと転換、9月のアサザ満開の時期には、花見に訪れる人が増えている。


P16 図4





第二回へ




Photos:アサザ基金提供
Photos:高松英昭


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イラスト72号


頻繁に電話 内容は「恋愛」と「美容」の友達にうんざり



Q: 仲のいい友達に、時々うんざりすることがあります。彼女は働いていないので、自宅で仕事をしている私に、ひんぱんに電話をかけてきたり遊びに来るんです。話す内容は「恋愛」と「美容」のことばかり。内心、「こっちは、暇じゃないんだよ。働けよ!」と、思うんですけど、言えない。だって彼女の人生だから……。でも、それ以外は楽しいから彼女のこと嫌いにはなれないんです。どうしたら友情を保ちながら、私の思いを伝えられるでしょうか。 (女性/26才/WEBデザイナー)



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食べ物を“官能評価”精度を上げる言葉の研究



シャキシャキ、ホクホク、カリカリなど、日本語は食感や食べる音を表現する言葉が豊かだ。そんな表現を用いて食品を分析する早川文代さんの研究とは?







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(早川文代さん)




445語ある、食感を表す日本語



長さや時間、重さなら正確に測ることができる。けれど、味覚のような感覚や朝の空気のさわやかさのような情緒的経験は計測し数値化できない。そこで登場するのが、「官能評価」だ。

早川文代さんは、目や鼻、舌、指先などの感覚を使って対象物の性質を測定する「官能評価」によって食品を分析する研究に従事している。たとえば、ここに某メーカーから持ち込まれた市販の肉シュウマイがある。これを「ぼってり感」「具全体のうま味」「ジューシー感」「皮のべちゃべちゃ感」など19項目にわたって評価するのだ。

評価するのは、鋭敏な感覚をもつ評価員である。五感の試験をパスし、対象物から受けた感覚を数値で示せるように訓練された人たちだ。彼らが出した測定数値は早川さんによって分析され、品質管理や商品開発などに役立てられている。

「難しいのは言葉の選び方。シュウマイなら、『ジューシー感』と『水っぽさ』の違いがわからないと評価はできません」

日本語に食感を表す用語は全部で445語ある。「食品研究者へのアンケートやディスカッションによって定められたものですが、英語は77語、中国語は144語、フランス語でも227語しかありません。日本語の数が多いのは、たとえば『シャクシャク』と『シャキシャキ』を緻密に分けて考える国民性によるところも大きいかもしれません」と早川さんはみている。

日本語には①擬音語・擬態語、②粘りの表現、③弾力を表す表現が多いといった特徴があり、これらは日本人の食生活を知るヒントにもなる。著書『食語のひととき』『食べる日本語』には、このような言葉をめぐるエピソードがいくつも紹介されている。言葉自体の研究を重ね、より厳密に「官能評価」を行う方法を開発するのも早川さんの仕事なのだ。




ぷにぷに、ふるふる、平成に入って激変する言葉



食生活の変化に伴い、日本語も変化しつつある。「40年くらい前の調査で使われていた『粘い』という表現もすっかり聞かなくなりました。『カサカサ』『スカスカ』という表現も若い人は、食感表現にはあまり使いません。食材の生産・流通にかかわる技術の進歩で、そういう食べ物に当たる機会が少なくなったからでしょう」

「おいしい」を意味する褒め言葉が「甘い」や「口の中で溶ける」に集約されてきたのも、最近の食嗜好の表れといえる。

「ちょっと前の流行語ですが、若い人たちはおいしいことを『やばい』と言い、そうでもないものを『微妙』と表現していました。食品メーカーもレストランも、よそとの差別化に努力し、あらゆる工夫を凝らしているのに、全部『やばい』でおしまいだったら寂しいですね」

一方で、新しい擬音語・擬態語もどんどん増えている。「『ぷにぷに』なんかは最近できた言葉ではないでしょうか。他にも、『ぷるぷる』で表しきれないような軟らかさを表現するために『ふるふる』が使われるようになりました。でも、『ぷにぷに』にしろ、『ふるふる』にしろ、こういう表現を使わない高齢の方でも、聞けば、音の感覚から食感の想像がつきます。みんなの中に共通の認識をもちやすいという意味では、擬音語・擬態語の多い日本語はとても便利な言語だと思います」

言葉は生き物なので変化するのは当たり前。そう受け止めてきた早川さんだが、変化するスピードの速さに驚きを隠せない時もある。

「たとえば『まったり』という言葉は、欠けているところがないという意味の『全い』からきた御所言葉。まろやかで深みのある味が、ゆっくり広がる様子をいいました。それが90年代頃から、濃厚でこってりしたクリームなどを表すようになり、ファミレスでくつろぐ時にも使われるようになりました。京都でも年配の方は昔の使い方をしますが、若い人たちは流行語の使い方をします。千年以上も続いてきた言葉が平成に入って、瞬く間に変わろうとしているのです」

早川さんは「官能評価」の精度を上げるために、これからも言葉の研究を続けていくつもりだ。

「官能評価を通して、より安全でおいしい食べ物づくりに貢献し、日本人の食生活について考えるきっかけを提供していきたい。言葉と食べ物と人の関係を分析することで、よりハッピーな食生活を結実させるプロセスにかかわっていけたら、うれしいです」

(香月真理子)
本人Photo:横関一浩




はやかわ・ふみよ
独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所 主任研究員。お茶の水女子大学大学院修了。博士(学術)。同大学院助手等を経て現職。食品の性質を人間の舌や鼻や指を使った手法で分析・評価するかたわら、食品の特徴を描写する言葉の研究にも従事している。おもな著書に『食語のひととき』『食べる日本語』(共に毎日新聞社)。











(2010年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第150号より)


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Genpatsu

(2012年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第189号より)





大飯原発をめぐって緊張した状況が続いている。一日も早く運転を再開したい電力会社に対して、大事故を心配する市民がぶつかっている。何よりも地元の人びとが不安でしかたない。

不安払拭のために、政府は1次と2次のストレステストを実施して運転再開へつなげようとした。そして、大飯原発の第1次のストレステストが終了し、原子力安全・保安院のチェック、原子力委員会のチェックなど手続きを終えた。しかし、班目春樹原子力安全委員長は「1次テストだけでは安全とは言えない」と記者会見で述べている。テストを承認する会合は傍聴者を閉め出して行われた。運転再開へここまで強引に進める理由は説明されていない。

グリーンピース・ジャパンが26日に公表したアンケート調査によれば、78パーセントの人が心配だとしている。また、再稼働前に放射能汚染の被害を知りたいと93パーセントが答えている(参考)。

政府は自治体へ再開了承を「お願い」するという。「お願い」で安全が保証されるわけでもない。西川一誠福井県知事は、福島原発事故の反省を反映したより厳しい安全基準で確認することを求めている。安全を判断する基準はまだ示されていない。また、河瀬一治敦賀市長は新たに発足する原子力規制庁による判断が必要だと述べている。原子力規制庁は4月1日から始まる予定だったが、大幅に遅れることは必至だ。

巷では、運転再開へ世論を導こうと、原発が止まり続けると電力が足りなくなるといった宣伝が繰り返されている。果たしてこの夏は停電となるのか? 環境エネルギー政策研究所は電力各社一つひとつを検討して、少しの工夫をすれば電気は足りることを明らかにした(PDF)。

原発依存度が高いといわれる関西電力でも、足りている。火力発電所をその分、活用するので燃料費がかさみ、電気料金が上がるという脅しもある。運転再開を考えると、原発を止めていても維持費がかかるからだ。値上げになるかもしれないという、その前に万策尽くした証しが必要だ。

しかし、きちんと電力消費を下げる努力を私たちがすれば、電力会社も事業所も家計も助かり一挙両得ではないか。安全が保証されない原発を動かして大事故でも起これば、関西電力だけでなく日本が潰れる。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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(2011年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第181号より「ともに生きよう!東日本 レポート17」)






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ケージに入れられた犬たち。福島市飯野町の保護シェルターにて

被災地福島の犬猫たち、飼い主と離れシェルターで越年へ



東京電力福島第一原発事故に伴い、被災したペットたちの〝受難〟が続いている。半径20キロ圏内の「警戒区域」で保護されたペットは、福島県と福島県獣医師会などによる福島県動物救護本部が県内2ヵ所にシェルターを設置し、一時預かりをしている。

市民からの義援金をもとに、犬210匹、猫70匹、合わせて約280匹が2つのシェルターで飼育されているが、毎日のえさやりやトイレ掃除、散歩などはボランティアにより支えられている。




その一つ、福島市飯野町のシェルターを訪ねた。犬の保護スペースに入ると、一斉に鳴き声が響いた。一匹ずつケージに入れられ、人が近づくと警戒して吠えたり、様子を探ろうと鼻を近づけたりする。

「保護直後は、病気やけが、寄生虫などで体調を崩した犬が多い。ワクチンや虫下しなどを与えた後、2週間は隔離室で様子を見ますが、『この子たちも震災の犠牲者だなぁ』と思います」と、犬担当チーフの栗原泉さん。




県は保護した被災動物の殺処分は行わない方針で、飼い主が不明だったり譲渡可能な犬猫は、ホームページに写真入りで掲載し、希望者に引き取ってもらっている。子犬や子猫はほとんど飼い主が決まっていく。その一方で、飼い主がわかっていても引き取られない犬猫が7~8割を占める。このままでは数百匹の犬猫の滞在が長期化しシェルターで年を越しそうな状況だ。

警戒区域の指定解除の見通しが立たないなか、引き取れない主な理由は「借り上げ住宅では飼えない」「家族の状況や仕事で動物の世話ができない」など。福島県食品衛生課の大島正敏課長は「被災した他県ではシェルター縮小や閉鎖になっているのに、福島の見通しは立っていない」と、保護動物の現状を説明する。

避難先でペットが飼えない問題を解決しようと、県は各市町村に、仮設住宅や公営住宅でのペット同居に向けた入居条件緩和を求める通知を2度出した。通知書には、新潟県中越地震で仮設住宅での動物同居は問題がなかったことも明記された。そのことも功を奏し、ペット同居は進んだが、民間の借り上げ住宅では依然として難しい状況にある。

(文と写真 藍原寛子)
 
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無責任で無能な上司に困っています


 



Q: 広告制作会社にて働いています。
僕が所属する部署には、二人の上司と外部の顧問が一人います。
仕事で彼らにお伺いをたてねばならないことが多々あるのですが、彼らの回答は常に三者三様。
ちなみに彼らの指示通りに仕事を進めると、別の部署から怒られることもよくあります。
そんな時、彼らは僕に責任を押しつけるだけ。
自らの発言に責任を持たず仕事のできない上司だらけの職場でうまくやっていくためには、どうすればよいでしょうか?
(会社員/男性/27歳)



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