(2013年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 226号より)


みんなのデータサイト」オープン。 全国各地の市民が放射能測定値をアップ

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(9月に慶應大で開かれたオープニングフォーラム)


 東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の拡散に伴い、食品や水、土などの放射能を住民の手で測定する市民放射能測定所が全国各地に次々とオープンした。それらの測定所が測った数値をインターネットのサイトにアップし、全国どこからでも結果を検索できる「みんなのデータサイト」が9月にオープン、情報提供を始めた。

 2011年8月以降に測定した結果を公開しており、野菜や果物など測定試料の産地別や採取地別と、測定日時別、セシウム134と137 ごとに測定結果が検索でき、一覧表でも見ることができる。測定機器や捻出限界値(ND値)、市民測定所名なども表示されており、一般市民が同サイトを利用することで、食品汚染の現状や測定所活動などへの理解を深めることができる。

 原発事故後、それぞれの測定所は行政に先駆けて、地元の市民がお金を出し合ったり、募金を募って、高額な測定器を購入。専門家に聞きながら、測定方法を学び、測定を続けてきた。原発事故2ヵ月後の2011年5月頃から勉強会などの活動を始めた福島市の「CRMS市民放射能測定所」や、名古屋市の「未来につなげる東海ネット・市民放射能測定センター(C-ラボ)」などの測定所が測定結果をデータベースに入力、各自のホームページにアップするなどして情報を公開してきた。

 それらを先行事例として、「共通のサイトを作って、各地で測定された結果を一緒に公開していこう」という意見が他の測定所から出され、その後に、慶應大学地球環境スキャニングプロジェクトからサーバー環境の提供を受け、今回「みんなのデータサイト」がオープンした。

 同サイトのオープニングフォーラムは9月7日、都内の慶応大学で開かれ、全国各地で測定活動をする約50人が参加。「C-ラボ」の大沼淳一さんは、「メーカーごとに測定器に課題や特徴がある。共通の『基準玄米(汚染米)セット』を使って、自分たちで精度管理していく必要がある」と語り、具体的な管理の方法を説明。参加者からは、行政と測定所で数値の違いがあり、確認したところ、行政が修正したケースや、メーカー側の補正が十分ではないなどのケース、行政がやらない土壌汚染の測定についてなど、現場で起きているさまざまな事例が報告され、出席者が意見交換した。

 (文と写真 藍原寛子)

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前編「旺盛な助け合い精神が、窮状を隠してしまう:「派遣切り」と日系ブラジル人」を読む


最初は出稼ぎして数年で帰るつもりでも、子どもの成長につれて、日本での定住を選択し、暗中模索する家族もいる。 トヨタ系列の会社で派遣社員をしていた下山さん(仮名/日系2世)は、妻と中学生の娘2人の4人家族。娘たちが日本で進学することを希望したため、しっかりした生活基盤を築きたいと3年前、中古の木造住宅を購入した。40年ローンで1700万円という大金だったが、当時は共働きで月40万円程度の収入があり、銀行も貸してくれた。

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保見ヶ丘ラテンアメリカセンター 7~8割が失業、いま試練のとき。

共生は摩擦の繰り返しの中から
 愛知県豊田市にある保見団地には、約4300人の日系ブラジル人が暮らしており、そのうち約7~8割の人が派遣切りで失業の憂き目にあったという。緊急食料援助を行うNPO法人「保見ヶ丘ラテンアメリカセンター」代表の野元弘幸さんに、その状況を聞いた。


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ビッグイシュー・オンラインは、「ビッグイシュー日本版」のオンライン版として、2012年9月にスタートしました。

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(最終更新:2022年5月6日)


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11月1日発売のビッグイシュー日本版250号のご紹介です。

スペシャルインタビュー アーシュラ・K・ル=グウィン
『ゲド戦記』の作者として知られるル=グウィン。5歳から小説を書き始め、女性のSF・ファンタジー作家の草分けとして、複雑で魅力的な数多くの世界をつくり出してきました。米国のストリート誌のインタビューに応え、自然への畏怖、自らの表現のルーツ、書くことについて語ります。『ゲド戦記』の翻訳者、清水真砂子さんのエッセイも掲載します。

リレーインタビュー 私の分岐点 レキシさん
97年、SUPER BUTTER DOGのキーボーディストとしてメジャーデビュー。07年からは、ソロとして活躍を続ける、ミュージシャンのレキシさん。振り返ってみれば、原点は幼稚園の時、親戚の結婚式で歌った「関白宣言」にあると、ユニークな分岐点を語ります。

国際 自分がホームレスになったところを思い描ければ、きっと何かしたくなるはず―スーザン・サランドン語る
米国のオスカー女優、スーザン・サランドンは、ホームレス支援はじめ様々な活動に熱心に取り組む熱心な社会運動家でもあります。米国議会の公聴会の場で、深刻化するホームレスの人々へのヘイトクライムに関して、熱い証言を行いました。

特集 生きのびるための野生術
今、自然を支配する人工物に囲まれて、私たちの暮らしや社会的生活は息苦しさの限界を迎えていないでしょうか。人類の歴史の99パーセントは、狩猟採集生活。何万年もの間、私たちの身体は自然環境に適応して進化し、自然の恩恵とともに生活を続けてきました。
そんな知恵や、ヒトに秘められた力、しなやかな「野生の力」を使って生きようとする人々がいます。
どんな植物、火山土でも、身を飾るアクセサリーに変えてしまう「野生のファッション」。
現地調達できる自然素材と簡単な技術から生まれた、新しい建築「野生の空間」。
松などの単一林でなく、広葉林が混交した“森の防潮堤”による「野生の減災」。
さらに、糖尿病患者を下肢切断の危機から救う、ウジ虫を利用した「野生の医療」。
東日本大震災から3年半。今、自然の支配ではなく、「生きのびるための野生術」を紹介します。

この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。

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(2014年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 243号より)


夏休み子ども保養相談会開催:全国36市民団体と170家族が参加

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 6月14、15日、東京電力福島第一原発事故の影響を受けた福島県やその周辺地域に暮らす子どもたちを夏休みの期間受け入れたいと、全国36の市民グループが参加して福島県二本松市と白河市で相談会を開いた。主催は311受入全国協議会、後援は二本松、白河両市と両市教委など。今回初めて、福島県が後援に加わった。

 この日の保養相談会には、夏休み保養を希望する親子が参加。2日間で約170家族、360人が来場し、各団体が開設したブースで保養プログラムの内容について説明を聞き、申し込みをした。

 市民グループは、東日本大震災直後から被災地の子どもや家族の受け入れを行ってきた。それぞれプログラム概要がわかるパンフレットなどを準備。参加した親子らは、各団体のブースを自由に回って資料を受け取ったり、担当者の説明を聞いたりした。

 親子で保養を希望する福島市の鈴木のり子さんは「相談会について今まで知らず、初めて参加して、いろいろな情報が得られてよかった。まだまだ福島のことを気にかけてくださる方々がいらっしゃることがわかりました」と話した。

 受け入れ団体の一つ、人口400人、高齢化率48%の福井市殿下地区は、震災の年から住民が自発的に民泊受け入れを実施したが、滞在した福島の親子らによって地元の特産の掘り起こしにつながった。そして、交流人口を増やすNPO法人「殿下未来工房」の設立、地元の女性たちの農家レストランオープンに至った。副理事長の堂下雅晴さんは「原発問題が当分収束しそうにない中で、子どもたちには保養が有効と聞いているので、今後も保養事業は続けていきたい。殿下地区は保養で交流人口が増え、地域の活性化にもつながっており、僕らも助けられている」と語った。

 311受入全国協議会は、11月にも相談会開催を予定している。保養への問い合わせや申し込みは、インターネットサイト(http://www.311ukeire.net/)から各団体へ。相談会については電話090-3390-9946(みかみさん)、または電子メールukeire.soudan@gmail.com(早尾さん)へ。

 (文と写真 藍原寛子)

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前編を読む


 公演『俺の宇宙船』では、何の変哲もない現代の街に、バイト感覚で勝手に「少年探偵団」をつとめている大人たちが突如出てくる。でも、周辺の人々は別に驚かない。

 『ながく吐息』では、上演中ずっと観客に背を向け、小便し続ける人物が登場するが、物語に支障はきたさない。

 『生きてるものはいないのか』では、日常的な生活のスケッチの後に登場人物が次々にバタバタと死んでいくが、何の前触れも意味も示されない。

 さらに、小説『恋愛の解体と北区の滅亡』においては、宇宙人が東京都北区を攻めてくることと、SMクラブに行こうとする主人公が等価に描かれ、象徴的だ。

 そんな作品群は、「敵が見えにくい時代」の中で、あえて「敵」をつくることで、日常の茫洋さを乗り越えようとしているように見える。「敵が見えにくい時代のストレスを、表現することで観客と共有したいんです」と前田さんは少し強めの声で言った。


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劇団は大きくしない。それよりも好きなことをやりたい

 前田さんが物語をつくり始めたのは幼少時。子どもの頃、人形遊びのためなどに創作した「物語」を両親にほめられた時から、物語を紡ぐようになった。長じて小説を書き始めるが、高校1年の時、渋谷の小劇場「ジャンジャン」で「劇団櫂」の公演に衝撃を受ける。

 「それまでは、劇団四季みたいな大きな劇団しかないと思っていました。チケットは高額だし、俳優として訓練した人しか演劇はやれないという印象だったんです。でも、『劇団櫂』は手の届く値段で観られ、身近な人が出ているような親近感がありました」

 「自分でもやれるかも」と感じた前田さんは、高校に通いながら、夜は演劇の専門学校へ。大学在学中に、早々と「五反田団」を結成してしまう。「大学の教室がタダで借りられたので、それを機会に始めました。観た人がほめてくれて、次もやろうということになり、気がついたら10年以上。今に至ります(笑)」

 凡庸だが、劇団存続のための金銭的な苦労についても聞いてみた。 「まぁ、僕は実家にずっといて、そんなにお金を使わなかったんで、大丈夫でした(笑)」。稽古場は廃業した実家の工場のスペースをアトリエとして使用できた。

 だから、「五反田団」には、食べられなくても芝居を続けるというようなストイックさはない。むしろ、数人の劇団員に「芝居があるからといって、食うための仕事を休まないように」と話しているそうだ。その理由は「才能があるのに、芝居をやりすぎて食べられなくなり田舎に帰ってしまう人の例を、いくつも見たから」

 「つまり、僕たちの劇団は、夢や憧れだけで芝居をやっていない。芝居をするなんて、そんなに格好いいことじゃないと思っているんです。バイトがあって、本人の生活があって、その後で芝居があるという順序でいい」

 前田さんは、たいていの小劇団が抱く、自分の劇団をどんどん大きくしていくという目標も否定する。劇団の公演劇場が大きくなり、観客動員数が増えることが成功とは思えないと言うのだ。「劇団の大きさが、その価値とイコールではないですしね。むしろ、経営とか制作の手腕のような気がします。それよりも、好きなことをやっていくことの方が大事ですよね」

 これからも「五反田団」は、生活重視でマイペースな活動を続けていくだろう。だからこそ、変化し続ける前田さんの「好きなこと」がどこまで広がりをもつのか、注目だ。

 (山辺健史)


プロフィールPhoto:高松英昭

舞台写真Photo:五反田団


まえだ・しろう

1977年、東京五反田生まれ。劇作家・演出家・俳優、小説家。97年、和光大学在学中に「五反田団」を結成。作・演出を手がけ、08年『生きてるものはいないのか』で岸田國士戯曲賞受賞。小説家としても活躍し、07年の『グレート生活アドベンチャー』で芥川賞候補に。09年『夏の水の半魚人』で三島由紀夫賞を受賞。また、TBS系TVドラマ『漂流ネットカフェ』の脚本も手がけている。

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日常をそのまま舞台にあげたい。芝居は格好いいことじゃない

前田司郎さんが主宰し、作・演出を手がける劇団「五反田団」の芝居は、不思議な吸引力をもっている。四畳半のアパート、大学、コンビニ、バイト先など身近な場所が舞台となり、観客をこれまで観たことのない演劇体験へといざなう。

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つくられた演劇に、もうワクワクできない

 「五反田団」の芝居では、役者は声に抑揚をつけず、日常と同じトーンでぼそぼそ喋る。また、終始だらしなくだらだらと立っていたり、ごろんと寝転がったままの人物もいる。役者は、職業俳優としての身体的なキレとは無縁のようで、まるで渋谷や下北沢にいる普通の若者のように見える。

 物語の進行も枠にとらわれない。作品に起承転結はあまりなく、始まりの派手さも終わりのカタルシスもない。観客は、ただ淡々と舞台の上の日常を目にするのみだ。

 前田さんはその作品同様、飄々とした様子でこう語る。「僕たちが今まで観てきた演劇は、起承転結や伏線をつくり、ラストに向かって盛りあがっていくものでした。でも、今はそれではもう、あまりワクワクできなくなっている気がするんです」

 では、どういう演劇を目指しているのか? なんと前田さんは「日常をそのまま舞台にあげたい」というのである。「そもそも、演劇は本来、祭事的な、非日常のものだったと思います。舞台美術や衣装に凝り、作品の世界観を日常から遠ざけるのは、役者が『何者か』になるためでした。でも、僕はそういうことに興味をもてないたちでして」と笑う。

 演劇をあくまで日常の合わせ鏡のように考え、日常を舞台にあげるという自身の作業を「現実にブラックライトで光を当てるような作業」と説明する。

 「日常の話し言葉や身体の動き、出来事をそのまま舞台の上にのせたいとは考えていますが、舞台にのせた時点で、それは日常じゃないわけです。紙一重違う。たとえば、物にブラックライトを当てると、普段見えないホコリやほつれが目立つじゃないですか。そんなことを見せていきたいという感じなんですよね」

 だから、役者の衣装もなるべく、本人が普段着ているものを着用してもらい、化粧や過度な飾りは極力しない。前田さんの思うリアルな日常を定着させることに腐心する。


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幸福な時代に生まれたからこそ、描きたいものがある

 そこまで日常にこだわるのは、育ってきた時代に関係があると前田さんは言う。

 「僕らの世代が育ってきた年代は、戦争や飢えも知らず、身体的な危機など一つもない時代でした。僕は東京が実家ですし、かなり幸福な環境で生きてきて、生活にそんなに不満もありませんし。でも、だからといって書くことがないわけではなく、むしろ恵まれた状況だからこそ、余計なことを考えてしまうんです。愛とは何か? 生きることって何? とか」。加えて、今が「敵が見えにくい時代」だからこそ、そのストレスが前田さんを「書きたいこと」に向かわせるともいう。

 「情報が何でもある現代、物事を確実な一つの考え方ではくくれない感覚があるんです。たとえば、東京の風景が変わっていって嫌だなと思っても、変えていく側の論理や根拠もわかってしまうんで、絶対悪と言いきれないみたいな。すべてが相対的で、シリアスなこともどうでもいいことも、どちらも確実なことではないと思わざるをえないんですよね」

 この、すべてを相対的に感じるという感覚は、前田作品の特徴でもある。前田さんが舞台や小説で描く日常には、荒唐無稽な設定が突然、現れることがある。しかし、どんな突飛な設定も、あたかもごく自然に当たり前にそこにあるように物語は進行するのだ。


後編に続く


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前編を読む

 岡田さんが高校・大学生の頃に、バブル景気が終息を迎える。社会に出るまでまだまだ間があるという時にその時代を過ごしたことは、今の岡田さんにとっても重要な意味をもつという。

「もともとは、きらびやかなものへの趣向というのが、僕なりにあったような気がするんです。今みたいな方針で自分がものをつくるようになったきっかけになったのは、たぶん『エヴァンゲリオン』の影響ですね。うん、意外ですよね。そういういわゆるサブカルみたいなもの、それまでは割と嫌いだったのに、すごく惹きつけられた。そして、ものすごくドラスティックに自分を変えられちゃった感じがある。ポジティブな意味での『貧しい表現』というか。自分がそっちを受け入れて、引っ越しをした感覚があります。たとえば言葉にしても、いわゆる綺麗な言葉への志向がなくなった。今自分たちが生活で用いている言葉が綺麗かどうかはわからない、貧しいのかもしれない。けれど、自分たちの言葉を、言葉だけでなく、目の前の身体とか、生活とかを、肯定してものをつくるんだ、という意識になったんですね」

匿名性を描く。ヒーローやヒロインを生みたい欲求がない

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 そうしてリアリティを獲得した岡田さんの作品群は大きな評価を受け、チェルフィッチュは海外でのフェスティバルにも進出を果たしている。劇団員にも「演じる」という衣を脱ぐよう説明し、稽古場のほとんどの時間を使って徹底的に説明する。私たちが普段、どこかで見知っているような人物が舞台上に次々と登場する。おぼえのある言葉と動き。まるで日常をのぞきこんでいるような、不可思議な感覚に陥り、ついつい引き込まれてしまう。

「よくいわれるのは『匿名性』ということ。どこにでもいる、特別じゃない人が出てくる。僕自身がまず、匿名じゃない人、つまりヒーローとかヒロインみたいなものを生み出せる資質をもっていないし、そもそも欲求がない。欲求というのが最大の資質だと思うんですけど、それがない。たとえば人がある強い意志をもっていて、状況を変えるために戦ってみるとか。そういった人を描いたことがない。だから観ている人は、ある種のいら立ちみたいなものを覚えると思うんですよね。別にいいと思うんです。それはあなただってそうでしょ、って。そこで自分と無関係に、さっき言ったようなヒーローみたいなものが出てきて、自分ができないことをやってくれたっていうカタルシスを得ても、そこから何かが生まれるとは、僕は思うことができないんです。スカッと気持ちいい、ということなんだったら、ビールでも飲んでた方がいいでしょ、っていう(笑)」

 とはいえ、「何も起こらない」日常を描いているのに、ある種の緊迫感をもって迫ってくる岡田さんの演劇は、創作感バリバリのアクションやホラーより、よほどインパクトがあり、鬼気迫るものすら感じる。

「演劇と日常って、あまりに無関係なところで、接点のなさゆえに関心をもたれない。だから日常に引きつけることで、演劇を刺激的なものにしていこう、という動きが日本の小劇場で起こっていた頃、僕は演劇を始めているんですよね。だから、その影響を受けて、自分も、普段自分たちが生活している、まったく同じような人間が舞台上にいるということを目指してつくってきました。でも最近は、日常の程度に留まる必要性を徐々に感じなくなってきて、それを増幅してみせるということへの関心もあって。結局、舞台は日常じゃない、という袋小路が、一昨年くらいから僕の中で芽生えてきた」

「特定の方法論をもつことはしない」と言う岡田さんの作品は、これからも変容をとげていくのだろう。きっとゆっくりとさりげなく、空気を吸うような何気なさで。

 (中島さなえ)


Photo:高松英昭(プロフィール写真)

Photos:佐藤暢隆(舞台写真)


おかだ・としき

1973年、横浜生まれ。劇作家・演出家・小説家。97年に「チェルフィッチュ」を結成、横浜を拠点に活動。04年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞受賞。07年2月『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第2回大江健三郎賞受賞。05年9月、横浜文化賞・文化芸術奨励賞受賞。07年10月神奈川文化賞・スポーツ賞において文化賞未来賞を受賞。

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