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長谷川:ありがとうございました。今日のテーマとしては「今サッカーが社会に何ができるのか」ということもぜひ考えていきたいなと思っています。

米倉先生や蛭間さんの話にもありましたが私自身、「何でホームレスがサッカーをしているんだ、他にやることがあるんじゃないか」と最初は思っていたんですね。だけど、何度か練習に参加していくなかで、自分の持っていた価値観っていうのは違ったんだなと気づいた時があったんです。そういったことについて、蛭間さんご自身の体験や、どういう意識変化があったのかということを教えてください。


一度ボールを蹴ったら、仲間になった

蛭間:はい。今でも忘れません。初めて練習に行った時の四谷のグランド、当時は選手の方が5、6人は来ていましたかね。まずはじめ挨拶をする時点で、これは無意識で、ちょっと距離を置いてしまうわけですよ。だってホームレスの方と今まで会ったことないんですから。やっぱり変なイメージというか、ありました。これ正直なところです、本当に。

でも、私はサッカー小僧ですから一緒にサッカーやり始めると、関係ないんですよ。サッカーをしている仲間という感覚だけなんですね。

当時、自分の仕事なんかで色々と悩んでる時期で、あの練習で救われた部分もありました。ワイワイ、ガヤガヤ、いわゆるワイガヤなんですけど、やっていく中で、本当に感動して泣きそうになったんです、練習中に。

みんな得点を入れるとハイタッチとかを自然としちゃうんです。社会人になって、大声で笑ったり、ハイタッチする機会なんてないじゃないですか。まして職場で。そういう場があって、ふと振り返ってみると、今日の練習のはじめの時、距離感を感じていた自分を思い出して。距離なんてなくて、サッカーをしている仲間なんだな、という変化がありました。

同時にそのとき強く思ったのは、「ホームレス」というある種の集団名詞でその人たちを理解していたんですけれども、当たり前ですけど、一人一人に名前があって、一人一人に人生があるんです。ちゃんと名前を持った1人の方だということに、かつ、その方とサッカーをしているんだっていうことに気づいたんですよね。そこからは、サッカーをしにこのチームに来よう、みんなとサッカーがしたいと自分の意識が大きく変わりましたね。


なぜ日本チームは弱いのか

長谷川:ありがとうござます。先程スライドにありましたけれども、日本は世界ダントツの最下位なんですね。それはいくつか要因があると思うんですけれども、海外のチームというのはホームレスの人ないし社会的弱者の人がスポーツをするということを前向きにとらえ始めていて、就労支援とかも大事だけれども、スポーツや文化ももやっぱり大事ということで国や自治体として後押ししていたりするんですよね。

実際にメキシコチームとかは2万人の中から8名を選抜する国内大会を開催している。そういうふうに選んで来ていますので高いかで出会うのはある意味「選ばれし者」たちなわけですよ。

今回も実際にサッカーワールドカップでメキシコチームが活躍していますが、やっぱり代表チームが活躍するだけじゃなくて、すそ野が広くサッカーが根づいているかどうかというのがその国のスポーツ力や底地からには大事になってくるんだと思います。

日本がワールドカップで活躍していくといった時には、ホームレスの人もそうだし、社会的弱者、例えば鬱病の人とか、養護施設出身の人とか、そういう人がフットサルとか、サッカーとか、そういうものを楽しめることがすごく大事になってくるのではないでしょうか。

そういった観点から、私たちの方では、ホームレスの方だけじゃなくて社会的弱者の人たちがスポーツを楽しむようなフットサル大会「ダイバーシティーカップ」というのを考えているんですが、星野さんに社会的弱者の人がスポーツすることや文化をすることが社会として根付くことの可能性や意味についてご意見いただけると嬉しいです。


サッカーを通して知らない現場を見る

星野:今、僕が日本で不足しているなと感じるのは、現場にみんな行かないんですよね。社会人にとっては自分の働いてるところが日常生活の現場であり、それぞれの現場があるんだけれど、他の人の現場には行かない。

なので、他の人の現場については、聞きかじったような知識で決め付けて判断して、思い込みを事実ととり違えてしまっている。、だから双方が理解もできないし、認め合うことができないような状態になっていて。

だから、現場にまず出向くっていうことが必要だと思うんですけども、その入口としてサッカーっていうのは本当にいいと思うんですよね。どんな人でも来ることはできるし、どんな立場の人でも、始まっちゃえば夢中になって、大体みんな大人のくせに子供っぽくなっちゃうんですよね、喧嘩したりしてね(笑)

そういう「余計なもの」を落としてしまう力が、サッカーにすごくあると思うんですよね。先日、ブラジルでワールドカップを見てきたときに、デモが起こっていました。そういうものの感触というのを現場で見てきたんですけど、僕がそのとき感じたのは、彼らにとってサッカーはかけがえのないものなんですね。

だからサッカーが、他の人が金を儲ける算段になってしまったりすると怒るんです。例えば、マラカナンスタジアムの民営化という問題があって、そのマラカナンの文化をつくってきた人たちにとって、スタジアムが民営化されて企業の意向だけでその使用が決まっちゃうということは、自分たちのサッカーが奪われるっていうことになるんですよね。サポーターに何の相談もなく、何でそんなことが勝手に決まるんだと。そういう独断専行と経済的に企業にばかり金が行ってしまうということの両方に対して、怒っているんですよね。

それだけサッカーというものが自分たちのものとして、自分が「生存の感覚」を持てる場として重要なんです。日本の場合にも、サッカーがそういう重要なものになっているという度合いが徐々に強くはなってきているとは思うんですが、まだ、やる人も見る人も特定の層の人たちに限られているので、もっともっと多様な人が来て、もっともっと多様な人がやれるようなものになれば、サッカーが文化になり得るなと思うんですよね。そういう意味でダイバーシティーカップというのは、スタートとしてものすごくいいと僕は思っています。


part.6に続く




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ビッグイシューについて

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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

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