生命の尊厳とは何か。豊かさのかたちとは。幸せはどこにあるのか。 東日本大震災後、国が出した家畜の殺処分指示と、それに抗う農家たち、その農家を支援する人々の姿から、哲学的な問いが投げかけられる映画が完成した。ドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』(松原保監督)だ。

「被ばく牛と生きる」 予告

牛を飼い続ける畜産農家
福島に5年間通って撮影

筆者は海外から福島に取材に来たジャーナリストによく会うが、彼らは必ず農林水産業や自然環境、人体への放射能の影響について聞く。食や健康は生命の尊厳に直結する日常生活上の安全保障の問題だからだ。世界中の人々が、福島で起きた未曾有の原発災害から、原発施設や社会制度、自然環境への影響を知りたいと思い、同時に次にどのような行動を取るべきかについて、すべて重要な教訓として捉えている。

大阪在住の松原監督は、震災発生から5年間福島に通い、警戒区域内やその周辺で牛たちを飼い続ける畜産農家の撮影を続けていた。そして、20年ぶりに知己のテレビプロデューサーの榛葉健さんと再会した際、榛葉さんは監督の熱意とテーマ性に打たれたという。自身も監督として、宮城県南三陸町と気仙沼市の女子高生の活動を追ったドキュメンタリー映画『うたごころ』を作った体験から、本作品のプロデューサーを引き受けた。

寡黙な松原監督は、じっくりと農家の言葉を聞き続ける撮影スタイルを貫いた。殺処分に反対し、牛を飼い続けている農家のそれぞれの個性が濃く、日に焼けた笑顔が印象的だ。「さまざまな農家がいることを群像として表現したかった」と松原監督は語る。

「安楽死」ではなく「殺処分」だ
「俺たちは棄民だ」と農家
牛の被曝影響を研究する研究者も

浪江町の牧場に雇用された牧場長で、賠償金ももらわず、最も強力に殺処分反対を訴える吉沢正巳さん。浪江町の元町議で、原発を推進してきたことを後悔し、自問自答の中で殺処分に抗う山本幸男さん。帰還困難区域に通って牛を世話する池田さん夫妻。浪江町の畜産農家、柴開一さん、渡部典一さんら。明確な主張がある人だけでなく、牛舎につながれたまま餓死する姿が忍びなくて野良に牛を放した人もいる。やがてそれらの農家たちは、家畜を代弁するような言葉を発していく。

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「牛だって被害者だ」「意味なく命を奪っていいはずはない」。かつての仲間の牛飼いたちからは厳しい声も投げつけられた。「何で牛を放したんだ。自分の牛舎はもう牛が全滅して死んでいるのに、隣の畑、田んぼにはお前のところの牛が元気よく野良して走ってるなんて」。厳しい分断が起きた。 抗う農家たちは心情を吐露したという。「もしも牛が社会にとって悪いものなら、勝手に国が来て、勝手に殺処分すればいい。ところが、俺らに『書類にサインしろ』というんだ」。怒りの中でも、淡々と警戒区域に残る牛たちに餌を与え続ける農家。吉沢さんはビルが林立する都内で絶叫する。「俺たちは棄民だ」

時間が経ち、ついに柴さんは殺処分を決断する。ナレーションを務める俳優、竹下景子さんの声が重い。それでも牛たちの命を何か意味のあるものにしたいと、岩手大学農学部の岡田啓司教授らは研究費から牛の被曝影響の研究を続ける。視聴する中、筆者は初めて気づいた。行政は農家に「安楽死」と説明していたことを。しかし農家は「安楽死ではなく、殺処分だ」と捉えていたのだ。

映画のラスト近く、最後は苦渋の決断で殺処分に応じた柴さんが震災前の生活を思い出し、語るシーンが印象的だ。「経済的合理性の中で命がないがしろにされようとしている。お金だけではない、『足るを知る』こと、命の価値を問うているのです」(松原監督、榛葉プロデューサー)

本作品で私たちは改めて、これほどひどい命の失われ方、奪われ方が、現実に日本で、福島で起きたこととその意味を、そして棄てられたのは牛も人も同じだということをスクリーンを通して再体験する。(あいはら ひろこ)

「被ばく牛と生きる」
http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/ 
問い合わせ先(配給会社) 太秦株式会社 電話03-5367-6073
10月28日からポレポレ東中野(東京)ほかでロードショー、福島県内では11月4日から1週間、福島市のフォーラム福島で上映

あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。
ブログhttp://ameblo.jp/mydearsupermoon/

*2017年10月15日発売の321号より「被災地から」を転載しました。


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