日本では、政治について意見をすると「専門家でもないくせに、政治に口を出すな」という非難が飛んできやすい。

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©Pixabay

たとえば2018年末、女性タレントが沖縄・辺野古の米軍基地新設をめぐり反対署名を呼びかけた時もそうだった。政治家や専門家でもないのに政治に関わる発言をするなということらしい。 しかし、政治家、専門家だけがモノを言ってよし、という主張は果たして人々をいい方向へ導くものなのだろうか。

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少し前だが2016年には「保育園落ちた日本死ね」というフレーズが大きく話題になった。 もちろん「保育園落ちた日本死ね」の発言主は、「保育園や保育士が不足している問題」についての専門家ではない。

声を上げたのは「すべての女性が輝く社会づくり」をしているはずの日本において(※)、働きたくても子どもを預けることができず「自分はひどく困っている!」と主張したかっただけの母親だ。専門家ではなくとも、解決の方法の具体的な提案はなくとも、その気持ちは同じような課題意識を持つ人々の心に響き、国会前に集まった人たちもいれば、政策を審議する場まで取り上げられもした。

繰り返すが、専門家でなくても、具体的な案がなくても、声を上げていいのだ。 また、たとえ当事者でなくても、当事者に心を寄せ、心を痛めたならば、声を上げてもいいのだ。 そんな当たり前の前提を封じ込めてしまう「空気」は、なぜ起こるのだろうか。

※政府は2014年から国の重要施策のひとつとして「すべての女性が輝く社会づくり」を挙げているが、2018年現在、男女格差(ジェンダーギャップ)は149カ国中110位。

「みんな我慢しているんだから、お前も我慢しろ」は誰得?

現代に生きる人として自然な権利の主張であっても、「みんな我慢してるんだから、お前も我慢しろ」と言われることもある。

先日SNSで話題になった「夫の育休明け直後の転勤辞令」問題も、当該の会社の出した声明は「彼が特別ではない。どの人も公平に育休明けでも転勤の辞令は出している」という主旨だった。

該当の「夫」にだけ不当な扱いをしたわけではないという「公平性」を主張したいがあまり、どの社員に対しても公平に「人として大切にしたい時間」を蔑ろにするスタンスであるとも読み取れる主張となってしまったことは、株価や今後の人材獲得などにいい影響を及ぼすとは考えにくいだろう。

「彼が特別だったわけではない。しかし、今回いただいた意見をしかと受け止め、今後は大切な社員が家族と貴重な時間を過ごすことを尊重できるよう、検討していきたい」などの声明が望ましかったのではないのだろうか。

「みんな我慢している(してきた)んだからお前も我慢しろ」は、「自分も何かしらの我慢を強いられている(きた)のに、お前だけ意見を言うなんて(我慢をしないなんて)ずるい、よって我慢すべきだ」という、不幸な押しつけの連鎖だ。

たとえ「自分の時は大変だった」「多くの人が大変だった」としても、「次の人は同じ目に遭わないように」と配慮し改善することこそが、現代の人々が集団として活動する意味ではないのだろうか。 「空気を乱す」ことを恐れていては、自分だけでなく、未来の人たちにも我慢を強い続けることに繋がってしまうのだ。

「デモ」は「特別な人がやる特別なもの」・「怖い」・「無意味」?

本来民主的で正当な主張の手段のひとつであるはずの「デモ」も、最近は「特別な人がやる特別なもの」「怖い」「無意味」などと言われがちだ。しかし、日本でも40年ほど前には「デモ」は国の政治に「非常に影響を及ぼす」「かなり影響を及ぼす」と考える人が、約半数いたのだ。その割合は年々減り続け、今はその半分ほどになっている。(※)

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NHK世論調査 第 10 回「日本人の意識」調査(2018)より

これもまた、「専門家でもないのに意見を言うな」「みんなが我慢しているのに自分だけ主張するな」という主張の起こした弊害ではないだろうか。

「将来、自分自身が何かに耐えられない状況に陥ることもあるかもしれない」という想像力を持つこと、そしてその事態に備えるためにも「主張すること」や「デモ」といったアクションそのものに対して、我慢しろだの怖いだの無意味だのと封じ込めようとするのは控えるべきだろう。
自分と合わない意見に対してはその主張に対して反論、またはスルーすればいいだけの話なのだ。

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2019年7月1日発売の『ビッグイシュー日本版』362号の特集のテーマはゲスト編集長・宇野重規さんによる「民主主義を見捨てない」。

価値観も人々の状況も多様な現代、利害が一致しない人、話をするのが難しい人たちもたくさんいる。その中で民主主義には決める能力がない、決定に時間がかかりすぎる、といった意見もあるが、だからといって簡単に民主主義を見捨ててはならない。

民主主義とはまず、自分の意見を口にしてみることだ。「わがまま」をキーワードに、社会運動の意味を論じる富永京子さんの話を聞いた。さらに県民投票が行われ、民主主義をめぐる熱い議論が行われている沖縄に飛び、翁長雄治さんを訪問した。そして『多数決を疑う』の著者・坂井豊貴さんと「決め方」について論じている。

『ビッグイシュー日本版』362号ではこのほかにも、
・リレーインタビュー。私の分岐点:玉木 幸則さん 
・スペシャルインタビュー:チ・チャンウク
・国際:ドイツ、ウサギに扮した400 人のバイク集団。誠実なチャリティ活動こそ、新しい“ライダー精神”
・ワンダフルライフ:市場のそばで、わずか3 坪の古本屋を8 年―― 宇田智子さん
・ホームレス人生相談:30代女性からの「どうしたら友達が増える?」の相談

など盛りだくさんです。
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司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える――。
「合法的な独裁化」が、世界中で静かに進む。
米ハーバードの第一線の研究者が、民主主義の現在と未来を明らかにした全米ベストセラー、待望の邦訳。(Amazon紹介文より) 
 




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