学校教育への「親の関与」の重要性を説く風潮が、ここ最近一層強まっている。カナダのオンタリオ州が発表した報告書*でも、“特に、貧困や教育へのなじみのなさ、また言葉の壁などの理由で排除されてきた親たちを参加させることが重要である。 親が子どもたちの学習に参加することで、子どもたちも大きなメリットを受けられる” と述べられている。



 
*「Report of the Parent Voice in Education Project

それは本当なのだろうか? 今の時代、「親の関与」を無理強いすることは摩擦やトラブルを招きやすいようにも思われる。

筆者らは、トロント郊外にある高校にてこの問題の実態を調査することにした。12年生(日本でいう高校3年)向けの社会科の授業に参加し、学校行事への親の参加状況や学業における親の役割について、生徒たちの心の内を明らかにするのが目的だ。

この学校は、“より良い生活” 、すなわち子どもたちへのチャンス拡大を求めて多くの移民家族が 移り住んでいる地域にある。生徒の約70%が南アジア出身、20%が黒人、残りの多くは白人だ。

ある日、この学校では、親と教師らで学校の運営計画を話し合う集まりが開催された。 言葉による壁を取り払おうと、学校側は南アジア諸国の通訳者も手配していた。しかし、ほとんどの教師が出席したのに対し、親は一人も現れなかった。しかし、生徒たちに聞き取り調査を行ったところ、そんな親たちも子どもの “進路” には関心があるようで、“大学説明会” には多数の親が出席したという。

「貧困・教育になじみがない・言葉の壁がある人は教育に熱心でない」としがちな教師たちの認識と現実の間に見られるズレは、“親の関与”が何を意味するのかにかかっているようだ。

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子どもが成功するには親が学校行事に参加することが必須と考えられているが...。
Banter Snaps /Unsplash

含みのある「親の関与」という言葉

“親の関与”が意味するところについて、どうやら教育者側の理解というのは、恵まれた中流階級の価値観や期待値に根差しているようである。

しかし、労働者階級の移民は異なる文化的役割、期待、価値観を持っており、移民の間ですらも差異がある。これらによって教師たちとの関係性も大きく違ってくるのだ。例えば、中流階級の人たちは家庭と学校の関係を“相互につながったもの(interconnectedness)” と捉えるのに対し、労働者階級の移民は “別物(separateness)” 考えるところがある。

我々の調査では、生徒たちと学校・地域コミュニティ・家庭内での体験について議論する場も多数設けた。そのなかで、学校行事に現れない親を懸命に擁護するかのように、「親が学校に来ようと来なかろうと別に興味はない」という態度を示す者が多かった。ある生徒は、学校での会議や行事ごとへの参加は “白人の親たちがすること”と言い切り、多くの賛同を得ていた。

他の地区から転校してきた別の生徒は、元の高校を引き合いに出し、「(前の学校でも)白人の親たちは学校行事によく顔を出し、とても積極的に関わってました」と語った。

生徒たちいわく、親が学校行事に顔を出さないのは、そうすることが子どもたちの成績とは関係ないと考えているから。「すべてうまくいってるのに、どうして父さんがお前の学校に行く必要があるんだ?」という父親の発言を紹介した生徒もいた。

しかしそんな親たちも「学業」のこととなると熱心に関与してくる、と生徒たちは捉えていた。

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親の学校行事への関与度について生徒たちの意見を調査する筆者
Selom Chapman-Nyaho (本人提供)

仕事に忙しい親たちの事情

親の関与度の低さは「仕事」や「経済事情」に原因がある、と多くの生徒らは考えている。

ある生徒は言った。「彼らは労働者。仕事があるんだ。母親たちも多くが働いている。共働きで深夜勤務や早朝勤務をこなす生活。一日が終わる頃には疲れ果てているので、とにかく家に帰りたい!となる」。

母親は2つの仕事を掛け持ちしていると述べた生徒もいたし、別の生徒は「父は故郷インドではエンジニアでしたが、カナダに来てからはトラック運転手をしている」と述べた。

“親の関与”について、教育省は「学校の委員会活動(PTA)、教師との会議、教室内や遠足のサポート」と定義している。しかし、生徒たちは親がこういった活動に参加してなくとも、教育を重要視していることはよく理解していた。 このことは、成績や将来の仕事への親の期待度について議論していると明らかで、親から勉強を頑張るよう大きなプレッシャーをかけられており、大学進学を期待されていると主張する生徒が多数派だったのだ。 (そんな期待はかけられていないと言い張った少数の生徒たちは、他の生徒たちから「ラッキーだな!」「普通じゃない」と言われていた。)

あるインド人男子学生は「インド人は、弁護士か医者かエンジニアの選択肢しかありません」と語った。全員の親が “高キャリア志向” なわけではないが、生徒たちは親に対する“義務”と”責任” を真剣に受け止めているようでもあった。 それは、親が自分たちのために“犠牲”を払ってくれているからだと。

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生徒たちは親から良い成績を収めるよう強く期待されていると回答した
 Wadi Lissa/Unsplash

いい親 VS 悪い親

英国での教育指針について社会学者のダイアン・レイ*は、「“親の関与” が政治的に大きな関心を呼んでいることは、教育が新自由主義に移行し、合理化がすすめられていることと関係がある」と指摘。「一見、子どもの学習における“パートナー” として親にも権限を与えようとしているが、その実、これまで学校で実施されてた仕事を親たちに委ねているだけ」と述べる。そこには、“良い親” はあらゆる学校行事に積極的に参加して子どもをサポートするが、そんなことをしないのは“悪い親”、という意味合いが含まれていると。

*ケンブリッジ大学教授。生徒間の教育不平等に関する研究で有名。

「親の関与」にフォーカスすることは、生徒のためになるというよりはむしろ、親のストレス&不安レベルを高めるものであり、すでにある「性、人種、社会階級における格差」に拍車をかける、とレイは指摘する。

移民の親たちは、経済的な負担がかかるにもかかわらず、子どもたちの幸福度を高めるため新しい場所に引っ越すことを厭わない姿勢も見せてきた。

ある男子生徒は言った。「ここに来る前はかなり治安の悪い地域に住んでましたが、そこを離れた方がいいと親が判断し、今の地域に引っ越してきました。今、同じ通りに住む生徒のうち、褐色肌なのは僕ともう一人の女の子だけです。これが僕の親のやり方でした」。

こうした親たちは、新しい地区で子どもたちが “良い学校” に通い、教育としても将来の仕事のためにもしっかりと準備ができることを望んでいる。そして家では、しっかりと勉強していい成績を収めること、問題を起こさないようにと大きな期待をかけている。そのため、あらたまって日頃の学校運営に関わることには価値を見いださないのだ。 それは彼らが “至らない” わけでも “参加への壁” があるわけでもない。

学校側は、親や地域社会の関与を促したいのなら、有意義な代替策を考え出す必要がある。普段の暮らしの中での交流、行事、家族や友達および学校で過ごす時間など、生徒たちの生活に影響を与え、彼らの向上心を掻き立てられるような対策の必要性をしっかり認識すること。そして、それらを地域コミュニティという文脈の中で適応させていくよう努めなければならない。

学校側として、親と学生との有益な関係性を築いていこうとするのであれば、まずはそれぞれの家庭環境に影響を与えている文化構造を理解することが必須である。

by Carl James and Selom Chapman-Nyaho
Carl James
Professor, Jean Augustine Chair in Education, Community & Diaspora, York University, Canada
Selom Chapman-Nyaho PhD Candidate, Sociology, York University, Canada

The Conversation ※ こちらは『The Conversation』の元記事(2018年11月12日掲載)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。

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