Genpatsu
(2014年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 230号より)

軍事利用の防止へ。原子力委員会に求められるこれからの役割



安倍政権下で原子力委員会のあり方を見直していた有識者会議が、縮小継続の方向で報告書をまとめた(昨年12月10日)。

大きな柱であった原子力政策をまとめる仕事と、原子力関連の予算を配分する仕事など、多くがなくなった。残った仕事は平和利用の確保と放射性廃棄物に関する政策や管理・運営だ。廃棄物には福島第一原発の爆発事故の後始末も含まれている。

仕事が減ったからか、委員が5人から3人に減らされた。しかし、残った仕事はいずれも重要で、むずかしい課題を抱えている。これを支える事務方は経済産業省や文部科学省から応援を受けるようだ。これで仕事を充分にこなせるのか不安が残る。

原子力委員会の歴史は古く、1955年に法律に基づいて発足した。原子力開発利用を進めるための委員会だ。当初は安全も推進も一緒だったが、78年に原子力船「むつ」が航海試験中に放射線漏れ事故を起こしたことを契機に原子力安全委員会が分離・設置されるようになった。

01年に行政改革で中央省庁が再編され、原子力委員長は国務大臣から民間人へ変更になり、委員会決定の尊重義務条項がなくなった。これを機に、原子力推進の主役が経産省に、研究用原子炉開発の主役が文科省に移っていった。

今回の見直しの契機は、福島原発事故後の原子力政策の改定について、利益集団だけで秘密会合を開き議論の方向を誘導していたことが明らかになったことだった。

しかし、01年の時点で原子力委員会は基本的な役割を終えていたとも言える。とはいえ、この間に核兵器に転用可能とされるプルトニウムを余分に保有しない国際公約や、これが転用されていないことを示す在庫データをくわしく公表するなど、重要な仕事をした。

特定秘密保護法が成立して、原子力分野での動きが注目されるが、国際公約を維持し、プルトニウム管理データを公表し続けて、軍事利用の疑念を払拭し続けてほしい。



伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)