BIG ISSUE ONLINE

カテゴリ: 世界のストリートから

ビッグイシュー・オンライン編集部より:ホームレスワールドカップのスター選手、マービン・ドゥドラさんの取材記事です。貧困状態を脱するために、スポーツは何ができるのか。ヒントにあふれたストーリーをお楽しみください。(提供:www.street-papers.org、翻訳・編集して掲載)

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(THE CURBSIDE CHRONICLE – USA  2013年9月2日掲載)

I'm homeless, not dogless



愛犬は飼い主にとって、とても重要な存在である。それは、ホームレスのコミュニティーであっても変わりはない。 変化が激しい不安定な生活の中で、愛犬は忠実に側にいてくれる。生活が苦しいときは癒しの源になり、日が暮れると番犬になる。アメリカでホームレス生活を送るライター、クリムソンさんは自分の犬への愛情と、オクラホマ州で献身的に進めている野良犬の援助と里親探し活動について書いた。


愛犬は一般家庭において、とても大切な存在であるのと同じように、ホームレスのコミュニティーにとっても重要な存在である。犬は不安定な生活の中で、支えとなってくれる忠実な友だちであり、コンパニオンである。苦しいときは癒してくれ、街灯が点くころになると番犬にもなる。私はホームレスで家を失ってしまったが、愛犬を失うことは無かった。

私は7人の仲間と一緒に、元生鮮食品店で、火事で焼けてしまったウェアハウスに住んでいる。焼け跡の部屋を住める場所に変えるのは難しい作業だけど、みんなでうまく改造をした。私は14年間ホームレス状態で、テント・シティ(テントでつくられた仮設住宅地)や廃ビルを転々としてきた。家族はアメリカのあちこちにいて、ドイツに住む親戚もいる。路上の生活はものすごく不安定だ。そばで慰めてくれる友だちや家族がいないとき、飼っている犬が頼りになる。私が傷ついたときも、彼らは絶えず私に喜びを与えてくれる。

動物への愛情が芽生え始めたのは私がまだ幼かったとき。その頃、私の家族は常に移動をしていた。移動遊園地の一団の一員としていろんな場所を訪ね、10日ごとに違う町を訪れていた。そのため、私は同い年の友達をつくることができなかった。動物を好きになったきっかけはそこにある。母は私の姿が見当たらないときは動物たちと遊んでいるのを知っていて必ず動物がいる小屋まで探しに来てくれた。ショー用の馬の飼い主たちに恐る恐る声をかけ、何でも良いから手伝わしせてほしいとお願いしたりもした。馬の毛をブラシでとかし、餌を運び、一度は、赤ちゃんヤギの出産の手伝いをしたこともある。

父は移動遊園地の乗り物を動かすメカニックで、母は乗り物のチケットの売り子だった。10歳のとき、私はその遊園地の見世物小屋の見世物の一つになった。蛇や蜘蛛やトカゲがいっぱいいる幅1.5メートル、高さ2.4メートルの檻のなかに座る役で「ジャングルガール」と名づけられた。親に髪の毛をボサボサにセットしてもらい、手を泥だらけにして、皮のパンツとヒョウ柄の服を着て登場した。カーニバルが終わって食事をしに街まで行くと、いろんな人が私のことをジャングルガールとして覚えてくれていて、私が喋れることに驚いていた。

今は路上で暮らしているけど、動物への愛情は昔と変わらない。オクラホマシティーの路上には捨てられてしまったペットがたくさんさまよっている。動物たちはやせ衰え、虐待を受け、闘いの傷だらけだ。私が以前飼っていたハーレー・ダビッドソン(以下:ハーレー)という真っ白いチワワも、出会いは路上だった。第10番ペン通り沿いに座っていた私にハーレーが近寄ってきたのだ。骸骨のように痩せこけていて、首の左側には大きく裂けた傷があった。私はハーレーを連れて帰り、健康になるまで3ヶ月くらい看護を続けた。

ある日、ハーレーを町の配食施設(Rescue Mission)に連れて行ったとき、そこにいた牧師さんがハーレーに一目惚れをして、ハーレーを引き取ってくれたのだ。新しい家族と過ごして数ヶ月たった後のハーレーの写真を見たときは驚いた。豚みたいに丸々と太っていて、首の傷跡がなければ、あの日第10番ペン通りで会った虚弱な犬と同じ犬であることがわからないくらいだった。

私はこれまでに、オクラホマシティーで60匹の犬に新しい飼い主を見つけた。犬の世話と里親探しはとても難しい仕事である。多くの場合、里親の募集ができる状態までに野良犬の健康状態を快復させるため、自分で餌や医療費を出さなければならない。ワクチンや不妊・去勢処置、餌やリードなど、ペット用品を安い価格で提供しているボランティア組織の 「Spot Clinic」や「Pet Pantry」「Ice Angels」とも協力している。

やりがいがあるから続けているのではない。ついつい助けてしまうのだ。動物が好きすぎて、路上で苦しんでいるのを見るのが耐えられないからだ。私自身、今2匹のチワワを飼っている。名前はミッシーとマグナム。数日前に子犬連れのメス犬を見かけたとき、私は一緒にいる夫に向かって思わず「見て...」と声をかけてしまったけど、「ハニー、今は無理だよ」と言われた。今は、自分たちが食べるのさえ厳しい状況だからだ。

野良犬たちにどれくらい助けの手を差し伸べられるのか、自分たちの限界を知るのは大事なことである。しかし、動物が好きすぎて全員を助けようとする人もいる。例えば、14匹の犬と一緒に狭いワンルームのアパートで暮らしている友達がいるのだけど、それは路上でほったらかしにするのと同じくらい残酷だと思う。

私は愛犬たちがきちんと食事ができ、健康でいられるために自分のことを犠牲にすることもたくさんある。自分の食費を犬に使うこともあるし、一度は、食べ物を買うために祖母の残してくれた首飾りを売らなければならなかったこともあった。助けを求めるのはいつでもできるけど、人の施しを請うことがどれほどつらいのかは、実際にその立場に立ってみないと理解はできないだろう。

自分の生活状況に関わらず、これからも野良犬たちに「ホーム」を見つける活動を続けたいと思っている。動物はとても大切な存在であり見捨てるわけにはいかない。彼らは恐くてもどこかが痛くてもそれを言葉で表すことができないのだから、彼らが「声」を上げることができるか否かは、私たち次第なのだ。

ペットをこれから飼いたいと思っている人は必ずそのために必要な環境を備えよう。そして、ブリーダーから買うのではなく、保健所や里親募集の告知をまず見てほしい。

あなたは動物に対して私のような愛情を感じていないかもしれない。けれど、動物に対して誰がどんな考えを持っているかに関係なく、動物は思いやりのある扱いをうけて当然なのだ。動物は喋れない。だから、私たちが代わりに彼らのために発言しなければならないことを忘れないでほしい。

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(©www.street-papers.org/ダニエール・バティスト/2012年7月9日に掲載された記事を邦訳)

ホームレスはオリンピックに参加するべきだ



ホームレスがオリンピックで公式な出場機会を得たのは史上初だ。本大会に先行し、ロンドンにてイベントが一回行われただけだが、それは重要な政治声明だったと主催者は言う。「ホームレスのニーズではなく、才能を披露するのが目的だ」

文化オリンピアード運営委員会が2012年のロンドン・オリンピックにホームレスをどう参加させるかという疑問に直面したとき、マシュー・ピーコックさんは既に答えを持っていた。ホームレスや元ホームレスの人たちが出演するオペラを主催する会社、「ストリートワイズ・オペラ」の創設者であり代表を務める彼は、音楽や美術が、人々の人生を変えるために、そして、ホームレスに関する先入観をなくすために、大きな力を持っていることを知っていた。

1年後、「ウィズ・ワン・ヴォイス」(2012年ロンドンフェスティバルの舞台にて300人の元ホームレスが出演したイベント)が開催され、今後のオリンピックのお手本となる成功を収めた。

ピーコックさんはストリートワイズ以外にも国内から30組の合唱団やミュージシャン、劇場団体を、ロイヤル・オペラ・ハウスの名門舞台へ集結させたことを誇りに感じている。しかし、リオ・オリンピック2016を踏まえ、彼はさらに先を見据えている。

「これはホームレス状態の人がオリンピックに参加できる、というだけのものではないのです。ホームレスという状態をめぐる様々なストーリーを伝えることでもあるのです。そして、彼らのニーズよりも、才能を披露するのが目的です。私たちは、こういった場を提供することで個々人がそれを実現することを可能にしました。そして、すべてのオリンピックにおいて、このような取り組みが組み入れられるようにしたいと思っています。

IOCとリオ2016の主催者宛に請願書を作成し、署名活動を開始しました。そして、今までの経験と実績をプレゼンする予定です。ロンドンでの今回のイベントのチケットは完売しました。これは多くの人々が賛同しているという証拠です」

*ストリートワイズ・オペラのオンライン署名活動

「ウィズ・ワン・ヴォイス」で出演した300人のなかの4人― ポール、ジェーン、クレア、とアンドリューさんは「VITA NOVA」で詩やスポークン・ワードのパフォーマンスを披露した。イギリスのボーンマスに所在するVITA NOVAは、アルコールや麻薬依存症から回復中の人たちのためにワークショップなどを運営している団体である。

パフォーマンスの開始直前の経験を「良い意味で恐ろしい」とクレアさんは語った。

「こういった機会を与えられるのは本当に素晴らしいことです」。

仲間のパフォーマーのポールさんも、

「パフォーマンスは自信をつけるために本当に役に立ちます。ホームレス状態や依存症の経験をしてきた私たちにとって、ここはまさに自分自身を表現する場なのです」

と語っている。

ライティングのワークショップを通じて、VITA NOVAの参加者たちは自己の経験や気持ちを詩に表現する方法を学ぶ。その内容に含まれる問題などについてより多くの人に知ってもらうために、彼らは刑務所や学校など、あらゆる場所でパフォーマンスを披露してきた。

ジェーンさんは4年半前に麻薬の使用を止めたその日からずっと、VITA NOVAへの関わりを続けている。

「自分がこういった活動に参加するとは思いもしなかったわ。以前の私は常にハイだった。VITA NOVAは新しい家族のような存在を与えてくれた。寂しいときは必ず仲間が側にいてくれるのよ。娘のマリとの連絡は途絶えたままだけど、どうか私の努力がいつか娘にも喜んでもらえたら、と思っている。」

ホームレスの人たちによるパフォーマンスの力強さはイベント開催の夜、ロイヤル・オペラ・ハウスのステージで証明されたる。シンガーソングライターのアダム・オニールさんが暗い過去を弾き語り、亡くなった母に歌を捧げたとき、観客は目に涙を浮かべた。

「天国にいる方がましかもしれない、
彼女もしばらくは僕を愛してくれるかもしれない、
僕の心が瀕死の状態にあるなんて、誰も知らない」

生々しい歌声と言葉が心の奥底から流れ出た。

ジェーンさんが自分の書いたショートストーリー、「Doorways」を朗読すると、針が床に落ちる音が聞こえるほどの静けさが際立った。

「麻薬売人が届けたドラッグ。
玄関口置かれた宣伝用見本のようなパッケージ。
天国のような味がするけど生涯を地獄に変える。
聞こえないふりをした。
探していた蝶々は現れなかった。」

定評のあるストリート・ワイズ・オペラのパフォーマンスとホームレスの人たちによるコーラスグループ「Choir with No Name」の合唱、300人の参加者が一斉に盛大なフィナーレを披露した後、観客はイベントを3語で表現するよう求められた。コメントボードに書かれた文字がこのイベントのすべてを物語っていた―「才能」「勇気」「インスピレーション」。
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日韓両国で進行するホームレスの若年化―日韓ホームレス交流プロジェクト報告



2012年8月28日~30日、「日韓ホームレス交流プロジェクト」が韓国・ソウル市で実施された。
韓国にとって歴史的な大型台風が朝鮮半島を襲い、日程の変更を強いられたものの、予定通りビッグイシューコリアや他の支援団体の視察、フットサル交流試合、「第2回日韓ビッグイシューフォーラム」を行うことができた。ホームレス問題に関わる両国の当事者、研究者、支援者が一同に会し、意義深い3日間となった。

主な交流先であるビッグイシューコリアに関する基本的な情報は『ホームレスと社会vol.6』の安基成氏のレポートをお読みいただくとして、本稿では本プロジェクトを通じて印象に残った点をいくつかお伝えしたい。

(有限会社ビッグイシュー日本・長崎友絵)



家賃月5500円の住居支援―ビッグイシューコリア訪問



2010年7月の創刊時9名だった販売者は約50名となり、販売の現場はコーディネーター6名で運営している。コーディネーターの業務は、販売のサポート、住宅入居支援、貯蓄の促進、IT教育、文化・スポーツプログラムのほか、市民参加の場作りなど、多岐にわたる。

販売者の3割にあたる15名が、敷金10万ウォン(約7000円)、家賃月8万~15万ウォン(約5500~1万円)程度(100ウォン=6.8円で換算)という安価で入居できる、国の「買上賃貸住宅制度」を利用し、住宅に入居している。

入居者には、サッカーやバレエのプログラム参加者が多く含まれるといい、文化・スポーツ活動が販売者の意欲にプラスに働く側面も垣間見えた。

住宅入居支援の意義について、あるコーディネーターは「安定した住まいが安定した就労を支える」と話す。日本でも住宅費補助制度を利用してアパートで暮らし、販売をしながら就職活動をして卒業した販売者のいたことを思い出し、強い共感を覚えた。

また、買替時に生じる中古スマートフォンの寄付を募り、すべての販売者にスマートフォンを貸与している。同時に、ネットリテラシーを学習する場も提供している。誌面の売場案内にはTwitterのIDを併記しており、読者とのコミュニケーションツールとして活用していることがうかがわれた。

「市民参加の場づくり」の面では、BIG SHOP(販売者が休憩できるスペースを提供するカフェなどの協力店)や、表紙を拡大したパネルを掲げてビッグドム(ビッグイシューのボランティアを指すことば)と共に行う小さなパレードなど、柔軟な発想で工夫を凝らしている。

雑誌の認知度を上げ、販売者の生活を左右する雑誌売上を向上させるための工夫や、販売者との関わりにおける心がけなど、事務所訪問の翌日以降も、スタッフ同士が顔を合わせるたびに熱心に質問が交わされた。

チョッパン相談センター―支援団体視察



市内の再開発が進む地域にある「龍山区チョッパン相談センター」を訪れた。

チョッパンとは、1泊7000ウォン(500円)程度、1室1坪強の宿泊所で、日本のドヤに近い。その利用者の9割は男性で、多くが高齢である。

当施設では、チョッパンで利用できない洗濯室やシャワー設備、簡単な診察、訪問看護などのサービスを提供する。政府の援助のもと学校法人が母体となり、4人のスタッフと4人のボランティアで運営している。

施設を出て近隣のチョッパンを見学する途中、チョッパンの住人の男性達が道端で談笑する風景を目にし、山谷や横浜・寿町の光景を思い起こした。

ボールを介して即仲間に―フットサル日韓交流試合


唯一の晴天に恵まれた29日の午後、日韓の選手・ボランティア総勢40名以上が参加し、フットサル交流試合を行った。昨年のホームレスワールドカップ・パリ大会に参加した両国選手、今年のメキシコ大会に参加する韓国選手を中心に全8試合、4時間にわたりコートを走り回った。

日韓戦では日本チームは念願の1勝ならず、次回に持ち越しとなった。最終試合では両国のコーチやスタッフも含めた全員によるミックス戦を行い、ふだんとは違う色のユニフォームを着たプレーヤー達に熱い声援が送られた。

メキシコ大会に参加する選手たちへ日本チームからエールを送る場面もあり、1つのボールを介してたちまち「仲間」になってしまうフットサルの力をあらためて実感している。

試合後の交流会では、ユニフォーム交換が行われ、バレエプログラムに参加中の韓国選手、ダンスプログラムに参加中の日本選手それぞれから、お礼のポーズとダンスが披露され、拍手がおくられた。

若者の過酷な状況に類似性―第2回日韓ビッグイシューフォーラム


28日に予定されていた本フォーラムは、台風の影響で場所と内容を変更し、30日に開催された。両国ビッグイシューの活動報告の第1部に続き、第2部は若者をとりまくホームレス問題をテーマに進められた。

まず、日本側から、広義のホームレス支援関係の運動・政策の展開が紹介された後『若者ホームレス白書』(ビッグイシュー基金)をもとに、若者ホームレス問題の状況を紹介。家庭的基盤や人間関係の脆弱さ、福祉行政につながりにくい障害や精神疾患の問題、さらにはひきこもりや養護施設出身者の卒業後のケアの問題など、隣接する諸問題との地続き性が指摘された。

つづく韓国の支援者・研究者からの報告によると、若者の雇用不安・雇用の質の低下(非正規雇用の増加、低賃金、社会保険からの排除)が不安定な住居状況に直結しているという。考試院(元は国家資格受験勉強のための、非常に狭い部屋)やネットカフェなど、質の悪い環境で生活する若者が多い。

このことには「当事者が多数集まる場には出向かない」、「社会からの烙印を嫌って、支援の対象となるチョッパンには泊まらない」といった、韓国における40―50代の典型的なホームレス像と異なる、若者独特の行動形態が影響しているという。『若者ホームレス白書』の調査に対して、「炊き出しには並びたくない」「路上で寝るよりは食費を削ってでもネットカフェで寝る」と話した日本の若者ホームレスと、どことなく似ているように思われる。

また、大学生の12.8%が精神疾患を抱えている、10-30代の死亡率の第1位が自殺であるなど、韓国の若者がぎりぎりのところまで追い詰められている実態が明らかにされた。

質疑応答の時間には、会場から質問が相次いだ。若者ホームレス支援について、心理的ケアに関するプロボノとしての協力を希望する専門家も現れた。

両国の若者が置かれている過酷な状況の類似性には注目せざるをえないものがある。しかし、いくつもの共通点があるからこそ、政策や団体同士の連携のありようなど、互いに知恵を出し合っていけば、解決に向けた光明が見出せるのではないかという希望も感じられる場となった。

日程変更により、総合的なホームレス支援施設「タシソギ支援センター」を訪問できなかったことが、唯一惜しまれる。しかし、両国の参加者が、終始友好的な雰囲気で語らい、双方の現状を知り、意見を交換しあうことで、刺激を受ける貴重な時間を過ごすことができた。

この3日間を通じて、海の向こうでも私達と共通の課題に対して、それぞれの立場で取り組む人々が数多くいることを実感した。互いに刺激しあい、協力しあえる仲間と出会うことができて、とても心強く感じている。

出典:雑誌「ホームレスと社会」vol.7(明石書店 2012.12.20発行)
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(2012年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 199号より)

「普通であること」が 認められるオランダ。 これからもここで暮らしたい—アムステルダム『Z!』誌販売者、パンチョさん



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オランダの首都、アムステルダム。人口の約半数は非オランダ人というだけあって、露店には世界各国の野菜がそろっていたり、一つ角を曲がるとエスニック料理の香りがしたりと、街並みからもさまざまな文化が垣間見える。

『Z!』は、この地で95年から販売されているストリートマガジン。同誌のコーディネーター、ユルン・デ・ローイさんは話す。「『Z!』の販売者のうち、オランダ国籍をもつ人が25%、残りの75%は移民です。その内訳は、約55%は欧州連合(EU)、25%が東欧諸国、15%が北アフリカ諸国(主にモロッコ、チュニジア、エジプト)、5%がその他の国々。移民の90%はいわゆる不法滞在者です」

アムステルダム東部は古くから移民色の強い地域だ。ブルガリア出身のパンチョさん(35歳)はそのイーストエンドにほど近いワーテルグラーフスメアー(Watergraafsmeer)地区、ヘルモルツ・ストリートにあるスーパーマーケット「アルバートヘイン」前で販売している。

「普通の生活がしたい、ただそれだけの思いでオランダに来たんだ」と話すパンチョさんが販売者となったのは、昨年の6月。半年間『Z!』販売をしたが、目に異常を感じたため、治療を兼ねて半年間ブルガリアに帰国。そして、今年の6月から再び『Z!』の販売者として復帰した。

「『Z!』を買う買わないにかかわらず、興味をもって話しかけてくれる人たちがいるおかげで、精神的に支援されているよ。以前の担当場所は大型複合施設の前だったんだけど、そこに父子連れが新しい自転車を買いにきて、古い自転車を僕にくれたのはうれしかったなぁ」

パンチョさんはブルガリアの黒海に面した有名なリゾート地、ポモリエで生まれたという。彼が2歳の時、父親が酒に溺れて愛人をつくり、家出。それから、数学の教師だった母親と、母一人子一人の生活が始まる。当時のブルガリアは、共産党による一党独裁制の社会主義国。1989年にベルリンの壁が崩壊するまで、その体制は続いた。

幼い頃からチェスが好きだったパンチョさんは、趣味がこうじて、子どもたちにチェスを教える仕事をしていた。だが、自宅から次々に物を盗まれる事件が発生。盗難は何度も繰り返された。たぶん知り合いの男性による犯行と見当もついていたのだが、警察もグルになっており、たまり兼ねて裁判を起こすことを決意。だが裁判所からは、その前に医師の診察が必要だと通告を受けた。

医者に行くと、そのまま精神科病院に3ヵ月半入院させられたというパンチョさん。退院後、再度裁判を起こそうとしたが、精神病患者には起訴する資格がないと裁判所に訴えを却下された。絶望したパンチョさんはこのことを契機に、故郷を離れる決意をしたという。

オランダに来てからはチェスの仕事を探すが見つからず、ナイトショップ(深夜営業の個人商店)で職を得るが、労働許可書がないという理由で解雇され、職を転々としていた。所持金が尽きた時、知人から『Z!』の話を聞き、今すぐ仕事を始めたいという思いで事務所を訪れた。

「初めて『Z!』を販売しはじめた頃は、人からどう思われるのかがずっと気になっていたんだ。それに比べると、今はずいぶんリラックスして、『Z!』を売ることが誇りに思えるようになったよ」

「書くことが好きだから、将来はポモリエでの生活や交友関係から始まり、オランダに移住してからの生活や、ここで出会ったブルガリア移民たちの話も書きたいな。実はずっと書き溜めていたものがあったんだけど、この間、鞄を盗まれちゃって全部なくなっちゃったんだ。でも、僕の頭にはストーリーは残っているから大丈夫」といたずらっ子のように微笑む。

ブルガリア語、セルビア語、ポーランド語、チェコ語、英語、そしてブルガリアの社会主義国時代に必須だったというロシア語を巧みに話し、現在はオランダ語を学んでいるというパンチョさん。人と話をすることが何より楽しみで、休みの日は公園やカフェで見知らぬ人に声をかけてチェスをしているという。これからも、「普通であること」が認められるオランダで暮らしたいと笑顔で話してくれた。

(写真と文 タケトモコ)

『Z!』
1冊の値段/2ユーロ(約197円)、そのうち 90セント(約88.7円)が販売者の収入に。
販売回数/2週間に1回
発行部数/1回につき1万2000部
販売場所/アムステルダム
http://www.zetkrant.nl/
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人生を生き抜くために大切なことは、「信じること」



写真家になる日を夢見る20歳。ロマの青年・ベオグラード『LiceUlice』誌販売者、ミルコさん


クネズ・ミハイロヴァ通りで最も楽しそうな笑顔を探せば、それがミルコだ。この20歳の青年は、朝は笑顔とともに起き、一日中笑顔を絶やさない。おそらく夜寝ている間も笑っているに違いない。写真家になる夢を見ながら—。

ミルコの朝はいつも快調だ。出かける準備をすると、若いホームレスのためのドロップイン・センターに向かう。「カカやクルサ、ドラガナなどの先生たちや、友達のエミール・アミール、メティ、エルビラ、リュリエッタらに会えば、たちまち顔がほころぶんだ」。ミルコは彼らのことを、自分を支えてくれる家族と思っている。

ミルコはスロバキアで生まれた。小さい頃は本当に幸せだった。ロマの母親とともに祝った楽しいジュルジェヴダンのお祭りや、父親が歌ってくれたスロバキアのクリスマスを覚えている。「クリスマスイブには、近所の子どもたちと、家々を回って歌を歌うのが好きでした」と語る彼は、当時に戻ったようで、笑顔も後光が射したように輝く。彼の大好きな歌は、「ラジ、ラジ、プラジ、マス、ベルジャ、ペジャジ」で、「もしお金を持っているなら、持っていなければ借りてきて、私におくれ」というもの。実際にはお金ではなく、袋に入ったスイーツを大人からもらうのだ。

母親の死を機に、4年前に父とセルビアに移住したミルコだったが、父と折り合いが悪くなり、家出。路上で物乞いをして暮らしていた。その頃知り合ったのが、『LiceUlice』の販売者でもあるシャディックとその仲間たちだ。

「雑誌販売を始めて半年になります。1時間で30冊売れる時もあれば、1日中街頭にいて10冊しか売れない時もある。時には、30分も話し込んでいくお客さんもいますよ」とミルコは笑う。

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セルビア・ベオグラードのストリート・マガジン『LiceUlice』は2010年創刊。販売者のほとんどがロマの人々だ。

スタッフのニコレッタは語る。「ベオグラードでは、ロマの人々への偏見は根強いものがあります。『彼らは、教育も受けず、働く気のない怠け者で、薄汚い。何もせずに物乞いで生きている』と。政府も抜本的にかかわっていこうとしないため、現状は変わらないままでした。ですから、実際に路上で販売者であるロマの人々と“出会う”ことは、彼らも同じ人間で、自分たち同様喜怒哀楽をもって生活しているということを理解するのに、とても大きな役割を果たしているようです」

今では大家族のシャディック家の一員として暮らしているミルコ。ベオグラード郊外にある小さな家で、シャディックの家族はミルコを愛情をもって迎え入れている。シャディックの母は、ミルコが家計の一部を負担することを辞退。だから、時にシャディック家の子どもたちにジュースを買って、公園でみなで一緒に飲む以外は、ミルコは稼いだお金をほとんど貯めている。

彼の大人びたお金の使い方は、実は将来の大きな夢と関係がある。彼には写真を勉強したいという夢があるのだ。

ミルコは、ベオグラードの有名な写真家ゼリコ・サファルと会ったことがある。サファルは、ワークショップ「ストリートの目」を主宰、ミルコはそこで1番の生徒だった。「ミルコはまるで空のハードディスクのように、どんなアドバイスや提案も受け入れて、『写真で自分の身の回りのことを述べよ』という課題を与えられると、最高の作品を提出しました」と、サファルは振り返る。

ミルコは才能のほとばしりを抑えることができず、ワークショップの後も、携帯電話で写真を撮り続けた。撮りためた写真は特別なアルバムに収めていっている。有名な写真家になる日を夢見て—。
人生を生き抜くために大切なことって何だと思いますか?という問いに、「信じること」と答えたミルコ。周りの人にたっぷりの愛情をもらって、人を信じること、自分を、夢を信じることを、少しずつ学び始めている。

(Dragana Nikoletic / Translator from Serbian to English Nikoleta Kosovac)

『LiceUlice』
1冊の値段/100セルビアディナール(約92円)のうち、50セルビアディナール(約46円)が販売者の収入に。
販売回数/月1回刊。
発行部数/1回につき6千部。
販売場所/べオグラード、アヴィサド
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(Photo: Raven Lintu)

携帯電話、ホームレスの命綱



路上で生活する者にとって携帯電話は贅沢品ではない― 「命綱」である。医療機関の担当者やキャリアアドバイザーが住所と固定電話の持っていない路上生活者と連絡を取るために一番有効な手段だからだ。スマートフォンの価格が下がり手に入りやすくなってきたことで、ホームレス状態の人たちが社会とつながる機会がますます広がっている。(1874字)- ジェシー・コール


彼「娘が入院していて今命が危ない。」「血液検査の結果で糖尿病の診断が出たけど本人は知らない。」「今日からすぐに働けるならば、採用しようということに決まった。」「翌朝面接を受けることができれば、仕事を得られるかもしれない。」「寝泊りしているキャンプ場が川の氾濫で流されそう。」「強盗に合い、すぐに助けを必要としている。」

路上生活者にとってこの様な状況は日常的に起こりうる。しかし、携帯電話がないと、重要な連絡が届かなかったり、救援が間に合わなかったりする。医療機関やキャリアカウンセラー、そして路上生活者自身もホームレス状態のときに携帯電話を持つ必要性を強調している。

米国の連邦政府と州政府も、ホームレスや貧困層の携帯電話へのアクセスの重要性を認めている。そして「ライフライン・アシスタンス・プログラム」を通して主要な携帯電話サービスプロバイダーの協力のもと、低所得者のために無料か低価格の携帯電話を提供してきた。

この仕組みは1996年に連邦法の下で成立され、プログラムの費用は、サービスプロバイダーに契約者が月々支払う「ユニバーサル・サービス料金」の中から充当されている。このプログラムでは250分の無料通話と250通の無料メール付きの携帯電話の提供を申し込むことができるが、収入が連邦政府決めた貧困ガイドラインよりも多い場合はその35パーセントを上回らないこと、もしくはフードスタンプ(アメリカで低所得者向けに行われている食料費補助対策)や生活保護などを含む社会保障サービスを受けていることが条件になる。

どんな人であろうと食べ物を買うか、電話料金の支払いを選ぶかを選択しなければならないような状況におかれるべきではない」と、テネシー州の「ライフライン・アシスタンス・プログラム」のプロバイダーの一つであるアシュアレンス・ワイヤレスの広報担当者、ジャック・フランズさんは言う。「現代社会においては、ホームレス状態に置かれている人がいつでも電話の利用をできるようにすることは、生きるために欠かせないと思う」

雇用を得るためのツール



自立をするために違法でなければできることは何でもして、収入を増やすべきだ、とホームレスを批判する人たちは主張する。たいていの場合、それは新たに仕事を得ることを意味するが、それ自体も簡単ではない上に、電話が使えないとなると就職活動はより難しくなる。

そして残念ながら、ホームレスの生活状況に理解のある企業はとても少ない。家のあるなしにかかわらず、企業は求職者や従業員が急な面接や勤務依頼の連絡に対応をすることを期待する。また大抵の企業は、求職者が直接連絡の取れる電話番号を持っていることを前提としている、と地元のキャリアトレーナーやカウンセラーは言う。

「今日、就職活動をするには、求職者は必ず使用可能なEメールと電話を持っていなければならない」とナッシュビル市就職支援センターのデービッドソン郡キャリア開発マネージャー、コニー・フリーズさんは言う。「履歴書に記載するだけでは不十分で、求職者は常にメールや電話を確認し、連絡があれば早急に返信をしなければならない。求職者と連絡がとれなかったり、面接の知らせに返信が遅れたりすると、仕事に興味がないととらえられてしまう」。

州が運営するテネシー・キャリアーセンターでも同意見だった。「連絡がしやすいほど、面接につながる確率があがる」とテネシー州労働局の地域マネージャーRJ・シャーさんは言う。面接の知らせにすぐ対応できることは求職者にとって、あるべき姿だ。
しかし、常時電話へのアクセスがないため、連絡を返した頃には募集が終わっていたとか、他の人が既に採用されていて、手遅れだったというケースは少なくない。

現在ナッシュビルでホームレス状態にあるデボラ・ハイデンさんがライフライン・アシスタンス・プログラムに申し込んだ理由もまさにそこにある。「仕事をみつけるためです」と彼女は地元の教会で食事の配給を待ちながら言った。路上で見かける携帯電話のほとんどは政府が提供したものであり、持ち主はほとんどが、自分と同じように仕事を確保するために使っているのだと話してくれた。

同じく食事の配給を待つもう一人の女性はバンダービルト大学を卒業したばかり。しかし、学生ローンの負担が大きく支払いができなくなってしまったためホームレスになってしまった。今は携帯電話を持っていないが、ハイデンさんがライフライン・アシスタンス・プログラムのことを話すのを聞き、もっと詳しく知りたいと言う。彼女も、携帯電話があれば仕事も探しやすいし、安心できる、と同意した。

現在トラックで暮らし、ナッシュビルのストリート・ペーパー「ザ・コントリビューター」を販売している元海兵隊員のロバート・Aさんも最近、地元の社会保障事務所で「ライフライン」の携帯電話を申し込んだ。「求職活動中なんだ」と彼は説明する。「ライフライン」の携帯電話を手に入れる手順自体がとても煩雑で手間がかかるため、収入を得るためのストリート・ペーパーの販売時間を削らざるを得なかったが、携帯電話を手に入れるためならその価値はある、と語った。

ヘルスケアを受けるために



ホームレス状態の者にとって携帯電話が重要であるもうひとつの理由は、必要な治療が受けやすくなるためだ。

「健康を維持するために電話が必要だ」とアシュアレンス・ワイヤレス社のフランズさんは言う。「処方薬をもらうためには、医者やクリニック、薬局と常に連絡を取っていなければならない」

地元の医療機関で、保険を持っていない人々にもヘルスケアを提供しているユナイテッド・ネイバーフッド・ヘルス・サービス(UNHS)のスタッフであるビル・フリスキックス―ワレンさんもフランズさんに同意する。

「慢性の病気を複数抱えている患者がとても多く、そのほとんどが深刻な状態であるため、患者と常に連絡が取れるのは非常に重要である」とUNHSでホームレス支援の運営をしているフリスキックス―ワレンさんは語る。

「幸いなことに、多くの患者は政府が提供しているアシュアレンスの携帯電話や、『クリケット・フォン』を持っています」。クリケット・フォンとは、低価格のプリペイド携帯電話のことで、プロバイダーと契約をする必要がないのだ。こういったサービスを提供している会社も多く、クリケット社はそのひとつである。

患者とすぐに連絡を取る必要があったりする、とフリスキックス―ワレンさんは言う。例えば、検査結果が届いて、患者が緊急の治療を要する状態だと発覚したとき「緊急事態なのに、連絡がとれなかったら助けることができない」と彼は説明する。

もうひとつ、UNHSでよくあるのは、患者が必要とする薬を無料で提供しようとするときだという。「病院の患者支援プログラムを通して製造業者から患者に薬が直接届くようになっている」のだと彼は言う。「そんな時、患者とすぐ連絡がとれることが重要です」。

セーフティー・ネットとしての役割



UNHSのフリスキックス―ワレンさん曰く、ヘルスケアについて連絡がとれるのはもちろん大事だが、ホームレス状態の人にとって家族や友人など気にかけてくれる人たちが本人に連絡をすることができることも、とても重要なのだそうだ。

「路上生活をしている家族が互いの安全を確認できるように、プリペイドの携帯電話を購入する人もいる」とフリスキックス・ワレンさんは言う。

「貧困状態にある者にとって人間関係はすべてです。彼らはそれで路上生活を生き抜いているのだから」と語るのはグッドウィル・インダストリーズ・オブ・ミドル・テネシー(Goodwill Industries of Middle Tennessee)で就職トレーニング・コーディネーターを努め、ナッシュビルではホームレスの支援団体、(Nashville Coalition for Homeless)の議長を務めているデビー・グラントさんだ。「だから、携帯電話は家族や親友に電話をするためにあるのかもしれません。助けに来てくれるのはその人しかいないのだから」。

グラントさんは、携帯電話はグッドウィルの利用者が仕事を得る助けになるのは間違いがないという一方で、携帯電話を通して他者からのサポートを受けられることがもっとも重要だと話す。

コミュニケーション手段があること自体が重要」グラントさんは言う。

携帯電話は家族との繋がりを保つためにも役立つ。子どもたちと顔を合わせる機会の少ない片親にとっては特にそうだ。ナッシュビルでホームレス状態にあるチャーリー・エドワード・キースは携帯電話でルイジアナにいる子どもたちと連絡をとっている。

自動車産業不況で失業をし、ホームレスになってしまったある男性のことをアシュアレンス・ワイヤレスのフランズさんは話してくれた。その男性は携帯電話を使って新しい仕事を見つけることができ、前妻との間に共同親権がある子どもたちとの面会を設定でき、関係を保つことができたのだ。

携帯電話は、緊急事態のときに助けを求めるためにも役立つ。

「1ドル札をたくさん持っている僕をお金持ちだと勘違いする人がいるかもしれない。盗難に遭うかもしれないでしょう?」とロバート・Aさん言う。

ウェブとメールへのアクセス



ホームレスが政府供給の携帯電話、もしくは安いプリペイドフォンを持っていることを批判するものもいるが、一番鼻につくのは、ホームレスが持っている携帯電話のクオリティーが高い場合であるようだ。

ツイッター上で、ナッシュビル在住のアレックス・フェラーリ(@amferrari1)は「帰宅中、赤信号で車を停めたときに、『コントリビューター』(ナッシュビルでホームレスが販売している雑誌)の販売者がiPhoneを取り出して誰かに電話をするところを目撃した」とつぶやいている。

同じような内容がアナリース・ウォーリー(@AnneliseWalley)のツイッターにも書かれている「路上にいたホームレスの男にお金をあげようとしたら、靴下からiPhoneを取り出すのを見てしまった」

ナッシュビル在住のマーク・ホブソン(@matchstickmgmt)はもっと批判的なツイートをしている「iPhoneを持っている人は『コントリビューター』の販売をする資格がない #事実」

しかし、ますます多くの企業がインターネットやEメールへのアクセスを要求するようになってきたため、路上生活者にとってスマートフォンは贅沢品とはいえない状況となっている。

「携帯電話が重要であるひとつの理由は、雇用者が求職者にすぐ連絡がとれるためですが、パソコンやEメールを通して求人募集を行っている企業が増えている」とグッドウィルのグラントさんは言う。

無料の携帯電話や、安いプリペイド携帯電話の大半はウェブへのアクセスが制限されているため、ウェブ上のエントリーシートの記入やEメールの確認が困難だったり、不可能だったりする。ウェブ機能のない携帯電話を持っている人は、図書館や支援団体の公共パソコンを使用するしかないが、使用が開館時間のみに制限されているのと、一人一人の使用時間も制限されているところが多い。

いつでもEメールが確認できて、返信できるのは求職者にとって重要だとNCACのハムフリーズさんも同様に語る。

「面接の連絡に対する返事が遅いというのは、仕事上お客への対応も遅いのかもしれないし、カスタマーサービスの質が下がるかもしれない」と、彼女は雇用者が持つ懸念を代弁する。

このように、スマートフォンを持っている求職者は「採用」という名の希望に投資をしているといえるのかもしれない。

(THE CONTRIBUTOR USA 2012年9月24日より)
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児童結婚に反撃する少女たち




そろそろ娘に結婚をさせよう、とシリン・アクターさんの両親が決断したのは彼女がまだ13歳のときだった。北バングラデッシュに住む貧しい家庭の長女のシリンさんにとって、その状況を抜け出す機会はほとんど無かった。正式な教育を受けたこともなく、仕事の見通しも無いという状況の中では、過酷な貧困生活を避けるためには従兄弟と結婚をすることが一番良い手段に見えたのだ。
しかし、今は、女性たちを力づけ、人生を良い方向にかえることに取り組むプロジェクトが芽生え始めている。


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(児童結婚に抵抗した少女、シリン・アクターさん。母と一緒に北バングラデッシュの自宅の外に立つ。Photo: Naimul Haq/IPS)

娘に結婚をさせよう、とシリン・アクターさんの両親が決断したのは彼女がまだ13歳のときだった。北バングラデッシュのランプル地区出身、貧しくて保守的な家庭の長女シリンさんの進路は限られていた。正式な教育を受けていなく、仕事の見通しもない状態では、貧困を避ける為には31歳の従兄弟と結婚をすることが一番良い手段に見えた。

落ち着いた穏やかな声でシリンさんは、両親がこの婚姻について決めるとき、自分には一切相談がなかった、とIPSに語った。父には安定した仕事がなく、家族には安定した住居もなかったから、比較的裕福なビジネスマンからのプロポーズを受け入れることが娘のためには当然な選択に見えたのだ。

しかし、シリンさんには家族に知らせていない別の計画があった。大学に進学し、勉強をする夢を叶えようと決心した彼女は、自分自身も一員である「チャイルド・ジャーナリスト」のメンバーに助けを求めたのだ。このグループは「社会的な不当な扱いを反対し、子どもの人権についての認知をすすめる」活動する、地元の少年少女たちの集まりだ。

18歳の誕生日を迎えたばかりのシリンさんは、バングラデッシュの首都ダッカから北西に向かって370キロ離れたアラジェモン村にある自宅でいすに腰を掛けて、「早期結婚の結果、家庭内暴力の被害から過酷な家事労働まで、あらゆる苦難を経験してきた友達や親族をたくさん見て来た」、と告白した。
自分は同じ道を進んではいけないとシリンさんは確信していた。

だが、両親に立ち向かうには、勇気と仲間の驚異的なサポートが必要であり、決して安易な試みではなかった。

大人の情事に鼻をつっこんだときの帰結は充分に意識していたが、シリンさんの両親の不公正に抵抗せざるを得なかった、とチャイルド・ジャーナリストのリーダー、レザさんはIPSに説明した。

若者達は才覚を働かせ、村の長老や、宗教指導者、影響力のある学者や地元の起業者を訪ね、シリンさんの両親を説得してくれる人材を集めた。

しかし、ほぼ満場一致に得たコミュニティーのサポートは、バングレデッシュの国連児童基金(UNICEF)の一環であり、若い女の子たちの教育に力を入れている「キショリ・アビジャン」という青少年エンパワーメントプロジェクトの勢力な支援なしには、完全に発揮することはできなかった。

2001年にはじめたこのプロジェクトは人口150万人を誇る南アジア、バングラデッシュで行われる途方もない児童結婚の数に応じ、台頭した。残念なことに、10年以上過ぎた現在、プロジェクトはかつて最も必要とされている常態に至っている。

3分の1の人口が一日1ドル以下の収入で生活をしているため、家庭が社会的身分の改善の為、そして過酷な労働から逃れる手段として「結婚」に答えを求めるのは決して驚くほどの事実ではない。娘に結婚相手が見つかれば、一人分の家庭の出費が減るうえ、配偶者から経済的なサポートを得られるかもしれない。
女性の入学率の増加と出生率の減少と、女性の権利主張がより安易にはなっている一方、まだまだたくさんの女性は児童結婚の風習に縛られている。

最新の調査によれば、20~24歳の女性の68%は18歳(結婚をする法廷最低年齢)になるまえに結婚をしている。そして、その他の研究から推測できるのは、この中の女性のほとんどが16歳になるまえに結婚をしているのだ。

政府のデータを分析してみると、バングラデッシュでは約1370万人のなかの50%以上の青春期少女は19歳には出産をし、母親になっている。

貧困が都会以上に蔓延しているバングラデッシュの田舎では、貧しい家庭で育った女の子は思春期を迎えれば結婚の対象となる。それゆえに、13~14歳という若さで嫁入りをする少女がたくさんいる。

貧しい家族は、娘を年上の男性へと結婚に送り出す際に躊躇いを表さない理由は、相手の親族に送る持参金価格を低くしてもらうためと、そしてある意味、子どもを性的いやがらせから守るためである。

この風習は社会的に有害だけでなく、女の子の健康にも危険であると子どもの権利活動家は言う。すべての出生の80%が主治医のいない住宅内で起こると、妊娠の複雑化やそれと伴う肺炎や低出生体重などの健康問題が母と子ども共に発生しうる。

早期児童結婚は言うまでもなく、国家の高い妊産婦死亡率の大きな原因となっている。10万の出生につき21件の死が起きる米国と比べ、バングラデッシュでは10万につき320件の死が記録されている。
しかし現在、国際的支援団体や地元人の努力の成果が実り始めている様子だ。

名称「キショリ・クラブ」として知られている数々の自助グループは2週間に一回約30人のメンバーが集い、生殖健康と栄養、性別役割、女性に対する暴力など、あらゆるトピックについて議論を行っている。
国連児童基金(UNICEF)から訓練を受けたグループのリーダーたちは、手芸、陶器の製造、家畜の育て方など、女性が将来、生計を確保できる可能性をあげるため、必要なライフスキルを取得できるよう援助を手がけている。

キショリ・クラブは、国内の何百ものの小区域で稼動している大衆科学教育センター(Centre for Mass Education in Science)など草の根組織と合併し、ともに活動をしている。同センターは様々なトレーニングの中でも、パソコンリテラシーや大工仕事などの養成を提供する不可欠な存在となっている。

若者の団体たちは、他の同世代の若者や、より幅広いコミュニティーの至るところに児童結婚に関する情報を広げ、認識を高める目的のキャンペーン企画などに取り組み、協調的な役割を果たしている。

シリンさんの話はこれらの地元支援グループの活動の証になっている。かつての婚姻事務官は10代の花嫁に対して完全に無頓着だった頃とは状況が一変し、シリンさんの父がはじめて婚姻登録所を訪ねたとき、娘の出生証明書を提示するまで事務官は婚姻を認めなかった。

一方、教育だけで風習を維持し続けてきた思考態度を変えるのは不可能だと擁護団体は意識している。児童結婚を完全に阻止するため、貧困家族の経済状況を改良する必要がある。

「未成年の娘を結婚に出さない、児童労働を利用しない、体罰を行わないという条件付き年間472ドルの支援金を貧困家族に供給するよう、児童擁護機関は政府との交渉を進めている」と国連児童基金のバングラデッシュ児童擁護機関の上役、ローズ・アン・パパヴェロ氏はIPSに言った。

努力の好影響は以下の通り、明白である。2007年度のバングラデッシュ人口統計健康調査(Bangladesh Demographic and Health Survey)の発表によれば40歳の女性の平均結婚年齢は14歳、20代前半は16.4歳で、過去25年間にわたり結婚の平均年齢は徐々に上がっている。
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前編を読む

イケダ: なるほど。この方法ですと、匿名性が担保されている状態でコミュニケーションをとっているということですよね?

伊藤: そこが一番大事のポイントですね。やはり日本は建前とかもありますし、匿名性の担保は重要な点なのかなと考えています。

わずか150円で自殺ハイリスク者一人にリーチ




イケダ: この手法は非常に安いコストで行えますよね?

伊藤: これまで使った広告費は2万円以下ですね。だいたい相談者1人が相談するまでにかかる広告費が150円程度となっています。150円で自殺ハイリスク者を1人にリーチできるということです。ネットを利用して相談者から連絡をもらうという手法は、費用対効果の面から見てもかなり合理的だと思います。

ダイレクトにリーチしていくのは難しいこともあり、自殺未遂をした方で精神医療のケアが受けられるような方に対してリーチしていく研究はありました。しかし、未遂の前にリーチしたいと考えています。

いのちの電話などはありますが、つながりにくい場合もあり、自殺ハイリスク者が何回も電話をかけるパワーがあるかは疑問です。そのため、心理的経済的なコストを徹底的に下げるというのが一番重要なことだと思います。

イケダ: この取り組みがまさに先日WHOの会議で発表されたとのことでしたね。

伊藤: 協力者であり、和光大学にて臨床心理学と自殺予防を専門に研究されている末木新先生がWHOで発表してくれました。世界中を見てみると、これまでに検索と自殺の相関関係についての研究などはありましたが、実際に介入した事例というのは私たちの取り組みをのぞいてはゼロです。

イケダ: この取り組みで、どれくらいの人が救われると思いますか?

伊藤: 7月のスタート以来、エリアを限定して5ヵ月間で広告が30万回くらい表示されています。となると、さらに広告にお金をかけて、相談体制を整えたら、どれだけくるのか想像もつきませんね。現状、精神科・心療内科に通っていない人を限定していますし、集める部分を洗練していない段階で今の状況なので、可能性のある手法だと思っています。来年からは複数人による相談体制を構築し、さらに活動を拡大していく予定です。

「蛇口をひねるように」心理相談が受けられる



イケダ: 素晴らしいですね。他にもプロジェクトも考えられているんですか?

伊藤: 自殺防止の相談に来る人は複雑な問題を抱えています。そうなると、支援する側もかなりのリソースを割くことになるんです。なので、私は「ココロのインフラ」と言っているんですが、蛇口をひねると水が出るみたいに、誰もが受けられるような心理相談サービスをつくって、もっと上流の部分の支援ができたらと考えています。

現状ですと、いのちの電話も精神科も多くの人が来るのでパンパンな状態です。そのため、必要な人がアクセスできていません。一方で、臨床心理士さんは仕事が少ないという声もよく聞きます。そこでメンタルヘルスに苦しむ方と臨床心理士のマッチングシステムを作りたいとも思っているところです。

イケダ: それはすごくインターネット的なやり方ですね。もう少し具体的に言うとどのようなことなんでしょうか?

伊藤: いわゆる「カウンセリング」と呼ばれているものが、価格が高く、ユーザー側はどのカウンセラーが優れているのかが分からない状況です。そこで、カウンセリングレベルではない一般の方が、低価格で気軽に利用できるCtoCモデルのプラットフォームを構想しています。

イケダ: NPOとしての活動も行いつつ、ソーシャルビジネスも展開していくということですね。さきほど臨床心理士の仕事が少ないという話もありましたが、メンタルヘルスの市場にはどういう課題があるんですか?

伊藤: 例えば、いのちの電話で言えば、相談を受ける人が足りないです。無料でボランティアでやっているので、どうしても多くの件数に対応できていません。また、精神科もパンパンな状況で、先生も5分診療とかになってしまい、話が聞いてもらえず不満が残ってしまいます。

そうなると、臨床心理士のもとに行こうと思っても非常にコストがかかります。そのような現状があるので、ミスマッチは埋めて、本当に必要な人たちがサービスを受けられるようにコストを削減することが大事ですね。低価格にすることはユーザー側に立つことですが、一方で業界から反発は来ると思いますね。覚悟はしています。

イケダ: ソーシャルワーカーとして不合理を合理に変えていくのは大変な道だと思いますが、どのような体制で活動を行っているんですか?

伊藤: 相談自体は私一人で行っています。もう1人ソーシャルワーカーがいて、協力者の末木先生がいるという体制で非営利の活動を行っています。ITに強い創業メンバーがほしいなと思っているところです。

(*WHO世界自殺レポート会議及び関連行事にて「インターネットゲートキーパー」活動が紹介された際のスライドは以下のものです。ぜひご覧ください。)





伊藤次郎(いとう・じろう)
インターネット・ソーシャルワーカー。OVA(オーヴァ)代表。「SCA(Social Change Agency)」参画。学習院大学法学科卒業。EAP企業(従業員支援プログラム)を経て、精神保健福祉士、産業カウンセラー等の資格を取得後、精神科クリニックにて勤務。新しい復職支援のプログラムの開発・実施し、主にうつ病のビジネスパーソンの支援を行った。2013年6月に若者のジサツが増えていることに問題意識が芽生え、現在、ネットマーケティングによる自殺予防システム「夜回り2.0」(インターネット・ゲートキーパー)を日本で初めて開発、実施している。Twitter:@110Jiro ブログ:壁と卵
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