BIG ISSUE ONLINE

カテゴリ: 被災地から

ビッグイシューオンライン編集部より。10月15日発売の297号から、「被災地から」を転載します。

7月下旬以降、議論や合意なく医師らが調査見直し・縮小を提案

福島第一原発事故に伴う健康影響、特に子どもの甲状腺がんの状況を分析する「福島県民健康調査」の検討委員会が9月14日、福島市で開かれた。傍聴席はメディアや市民でほぼ満席。緊張を含んだ独特の熱気が漂う。

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記者会見で見解を述べる星座長(中央)

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震災前から東北地方におけるホームレス支援の拠点でもある、東北最大の都市・仙台。

東日本大震災後は、市内の仮設住宅には津波などで家を失った方が暮らし、県内外からは復興の仕事を求めてきた人が集まっていました。

2011年からビッグイシュー基金では、仙台で路上生活者支援を行う団体を訪ね、震災後の現場の状況を伝えてきました(ビッグイシュー基金「被災地の路上から」ビッグイシュー・オンライン「震災から3年、被災地・仙台で何が起きているのか?」)。

今回は、2015年春の状況をお知らせします。

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震災前から東北地方におけるホームレス支援の拠点でもある、東北最大の都市・仙台。

東日本大震災後は、市内の仮設住宅には津波などで家を失った方が暮らし、県内外からは復興の仕事を求めてきた人が集まっていました。

2011年からビッグイシュー基金では、仙台で路上生活者支援を行う団体を訪ね、震災後の現場の状況を伝えてきました(ビッグイシュー基金「被災地の路上から」ビッグイシュー・オンライン「震災から3年、被災地・仙台で何が起きているのか?」)。

今回は、2015年春の状況をお知らせします。

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ビッグイシュー・オンライン編集部より:現在クラウドファンディングを実施中の「Youth for 3.11」の活動と想いについて、オルタナSの池田真隆さんが取材しました。(提供:オルタナS、一部編集して掲載)


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(2014年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 248号より)


模擬原爆も展示。福島市で終戦日に、「平和のための戦争展」開催

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 福島県の戦争の歴史とともに平和の尊さを理解する「平和のための戦争展」が8月13日から16日、福島市のコラッセふくしまで開かれた。同展実行委員会(実行委員長・長尾光之福島大学名誉教授)の主催。

 終戦の日に合わせて毎年開催されており、今年は太平洋戦争、日清戦争、日露戦争など戦争に関する資料や遺品、歴史を紹介するパネルが展示された。東日本大震災と原発事故以降、県内では平和な社会について考える勉強会や学会、市民集会が多数開かれており、県民の関心も高まっている。

 メインの展示は、米軍による広島、長崎の原爆の前に、全国各地に投下された「模擬原爆」だ。福島県内でも福島市渡利、いわき市平、郡山市に投下されており、犠牲者が出ている。福島市渡利に投下された、長さ3・5メートル、直径1・5メートル、重さ4・5トンの模擬爆弾の大きな模型が展示されたほか、この模擬爆弾投下で亡くなった少年の遺族により福島市渡利の瑞龍寺に寄贈され、保管されてきた模擬爆弾の破片も並んだ。

 この展示会では、福島市内の遺族から提供された遺品や資料などを手に取ってみることができた。模擬爆弾の破片は非常に重く、大人でも持ち上げるのがやっとだった。見学者は実行委員の高橋努さん(42歳)ら主催者の説明を聞きながら、理解を深めた。

 会場を訪れた福島成蹊高校1年の河野万緒さん(16歳)と、菊地真柚さん(16歳)は「社会の先生から展示会を教えてもらいました。夏休みの宿題にしようと思っています。当時の生活の様子、戦争のことはまったく想像できなかったので、驚きの連続です。渡利に模擬原爆が投下されたことも初めて知りました」と話していた。

 主催者によると、たまたま通りかかった人や、これまであまり関心のなかった人も立ち寄ることが多く、来場者からは、「地元にこのような戦争の歴史があったことを知らなかったので、よい機会になった」などの声が寄せられたという。 

(文と写真 藍原寛子)


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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊しました。

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(2014年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 249号より)


マーシャル諸島、 アバッカ・アンジャインさんが福島を訪問:第五福竜丸を描いた『ラッキードラゴン』も鑑賞

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 マーシャル諸島共和国の元国会議員、アバッカ・アンジャイン・マディソンさんが、8月11日から13日まで福島市に滞在し、県内外の大学生や住民らと交流した。

 マーシャル諸島では1946年から58年まで、米国の原水爆実験が67回行われ、特に1954年3月1日のビキニ環礁沖水爆実験「ブラボー実験」(ビキニ事件)では、アバッカさんの親族が暮らしたロンゲラップ環礁を含む風下地域が甚大な被害に遭い、住民が下痢や嘔吐などの急性被曝症状を訴えた。今も被災者の救済の遅れが問題になっており、ほとんどの人が自分の土地に戻れていない。

 アバッカさんの父チェトン・アンジャインさん(故人)はビキニ事件で被爆し、国会議員として米国に賠償を求めるマーシャル諸島核実験訴訟プロジェクトを推進。叔父のジョン・アンジャインさん(故人)も被爆後、健康被害の実態の記録調査や被爆者リスト作成に尽力した。  アバッカさんは原発事故で多くの人が避難した楢葉、広野、富岡町を視察。崩れたままの家並みや住民のいない富岡町の様子に、「住民がここにどれほど愛着をもっていたか、とてもよくわかります。悲しい、寂しい風景です」と語った。

 また、福島県立美術館では学芸員の荒木康子さんから説明を受けながら、ビキニ事件で亡くなった第五福竜丸の乗組員・久保山愛吉さんを描いたベン・シャーンの絵『ラッキー・ドラゴン』を大学生らと鑑賞した。「久保山さんの手足、喉が白くなっているのは、ここに『死の灰』を浴びたという意味ではないでしょうか。もし久保山さんが持っている手紙の中にもう1フレーズが加われば、もっと素晴らしい作品になったに違いありません。そのフレーズとは『放射能の被曝により死亡するのは私が最後』です」。そう語り、静かに絵を見つめていた。

(文と写真 藍原寛子)


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<part.2を読む>

路上生活者支援の草分け【NPO法人仙台夜まわりグループ

2000年から、仙台市内で路上生活者の自立支援を行っている。市内での路上生活者への訪問による昼・夜の安否確認のほか、炊き出し、食事会、相談会などを定期的に実施。緊急時には施設での居宅保護も行う。仙台の路上生活者支援の草分け的存在である。

路上生活者、全国で減少。しかし仙台では増加

厚生労働省の『ホームレスの実態に関する全国調査』によると、2014年1月に調査時点での全国の路上生活者数は7,508人と、昨年から757人減ったことが報告されている。この調査は日中に目視で数える調査方法のため、実数との差異があることが指摘されているが、その発表のなかでも、路上生活者数が増えた地域のひとつが宮城県だ。去年の調査では107人とされていたのが、今年は122人と15人増。そのうち仙台市内が119人だという。

「去年と比べても、夜まわりで見かける新しい人は増えているような気がします。ただし、いなくなるペースも速い。路上に出て、仕事に行って、仕事がなくなればまた路上に出てという繰り返しなんじゃないか。厚生労働省の調査はいつも真冬で、雪が降っていることが多いので、実数より少なくなるんだけど、これまでの経験からの感覚でいうと、実際は150人くらいはいるように思います。復興事業開始後は車上生活の人が増えたので、さらに数は多いはず」と理事長の今井誠二さんは考える。

夜まわりグループでは、2013年10月から「HELP!みやぎ 生活困窮者ほっとライン」という相談窓口をたちあげた。そこには、東北に仕事を求めてきて、さまざまな事情で働けなくなり、「住むところがないから助けて欲しい」という相談も来るという。

「南は奄美大島から北は北海道まで。除染や廃炉の仕事ならあるだろうとやってくるんです」と今井さん。相談のなかで、ある会社の給与明細を見せてもらったところ、15万円ほどの給与から食費や部屋代などがひかれて、手元には数千円しか残っていないというケースもあった。

「生活に困っている日雇い労働者が下請け業者や手配師たちからピンハネされているのは昔から変わらない構造なんだけど、除染などのために出されている危険手当なども全く本人の手に入らず、実際に出されている賃金の1割しか手に渡っていないという極端なケースも被災地では起きている」。

このほか、「HELP!みやぎ」には、DV、借金、住まいのことなど、さまざまな相談が寄せられる。

HELPみやぎ

「震災後、夜まわりグループへは、“ホームレス”状態にある人たちだけにとどまらず、広く生活に困窮している人からの相談が増加しています。相談者は、路上生活者と家のある人が半分くらい。生活困窮者自立支援法ができたけれど、おそらくその対象からもれてしまう人たちも出てくる。そういう人たちの駆け込み寺にしたいと思ってやっています。2013年10月に開設して3月末までで、累計257件の相談がありましたが、115件が継続相談中。つまり解決していない。それだけ、いろんな困難を抱えすぎている人が多いということ」。

駆け込み寺に「HELP! みやぎ」

今井さんは、さまざまな相談が集まる「HELP!みやぎ」をハブにして、就労、債務整理、居宅保護、医療保護などができるような駆け込み寺にしたいと構想を練っている。

「いまは、路上から定住先に移るまでの“中間的施設”として部屋の提供もしているけれど、中間的就労の場としての事業もつくりたい。これまでも元路上生活者の雇用創出を目的にしたリユース事業などをやってきましたが、リサイクル品のクリーニングや宅配弁当づくりなどの事業を通じて、生活習慣をつけたり、コミュニケーション力をつける訓練ができるといい。お金だけじゃなくて、仕事をしたくても高齢でできない人もいるので、生活を立て直したいと思っている人の部屋をいっしょに片付けたりとか、当事者同士で互助できるような場になるといいよね」

今井さんは、施設や市営住宅に入居しても、ちゃんとした食事をとる習慣がない人が多いことから、安否確認を兼ねた宅配弁当業などができないかと考えている。

「カロリーや栄養を計算したお弁当を届けながら、『どうしてる?』と、顔色や部屋の様子を確認する。顔色が悪かったら病院に連れて行き、部屋が汚かったらおそうじ隊を連れてこようかとかね。それが当事者の人たちの仕事になればいい。まだアイデア段階で、資金も必要だし、これから検討していくところなんだけど…」と今井さん。

生活困窮者自立支援法ができたが、行政による委託事業では、その支援が「成功」したかどうかを数字で問われる傾向があり、数になりにくい相談者がはじかれてしまう傾向が実際にあることを、今井さんは心配する。

「“継続相談中115件”が示すように、どこにもあてはまらない人がうちへ相談にくる。複雑な問題を抱えている人こそ、一人ひとりのニーズを汲んだ支援が必要です。そういう意味では、うちはうちで行政とは違う方向で必要とされている役割があるんだと思っています」



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(2013年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 217号より)

震災復興、原発事故と向き合う高校生らの文集、話題に。『福島から伝えたいこと』第2集も発行


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震災当時の体験や避難生活を通して今考えていることなどを、高校生と卒業生、そして教師らがつづった2冊の文集『福島から伝えたいこと』が話題になっている。福島県立高等学校教職員組合女性部(大貫昭子・女性部長)がまとめたものだ。

2012年4月に第1集(副題「あの日 あの時から 教師と生徒の声」)を発行。全国から問い合わせが相次ぎ、現在5刷まで増刷した。今年4月には、震災後丸2年の現状と、将来に向けた課題、今の思いをまとめた第2集(副題「奪われた尊厳を取り戻すために」)が完成した。

生徒たちは、震災後から家族が避難先で分かれて生活してきたことや慣れない環境での戸惑い、ほかの高校校舎などを借りて臨時の分校「サテライト校」で受ける授業や学習の遅れへの焦り、教師らへの思い、といった複雑な日常生活の様子を述べている。

3月12日から県外で避難生活を送る生徒たちは、故郷・福島の現状への憂い、原発事故への複雑な感情を、具体的に自分の言葉で伝える。

「17年間、住み慣れた自分の家へ帰れないかもしれない。(中略)今はまだ完ぺきに前を向いて歩こうということはできませんが、自分が辛くて泣いた日々を糧にして、どんな逆境にも負けない強い人間になりたいです」(『幸せとは普通に生きること』双葉高3年女子)

「私は復興とは、街並みを再建するだけではなく、被災し深い悲しみを持った人たちの苦しみや不安を取り除いてこそ実現するものであると考えています」(『被災者の声が届く復興を』安達高3年女子)

「原発事故がなぜ起こったのか、さまざまな理由があるが、私はもしかしたら現在の日本に対する自然災害の警告、戒めだったのかもしれないと思っている」(『原発ゼロを』原町高校3年女子)(以上、第2集より)

これらの文章からは被災した福島県の高校生の今の姿がリアルに伝わってくる。編集委員長の小林みゆきさんは「2011年9月に教員による『女性部のつどいでのしゃべり場』を開いた時、さまざまな話が出てきたんです。こうした体験や意見を残さなければ、忘れられる。記録として残すことが大事だと思い、文集作成を提案した」と話す。

(文と写真 藍原寛子)
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