Genpatsu

(2012年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第187号より)




2月19日、南相馬市で行われたシンポジウムに参加してきた。題して「ふくしまから考える原子力に依存しないエネルギー政策」。エネルギー政策の見直しを進めている経済産業省の基本問題委員会で、「地元の意見を聞いて議論を深めるべき」との提案を出した委員有志が開催した自主分科会だった。自主的とはいえ、桜井勝延市長も参加してくださり、充実した分科会となった。

会場は常磐線原ノ町駅前の市民情報交流センター、曲線を多用し、木のぬくもりを生かした公共施設だった。普段なら上野から電車1本で行けるところだが、線路が福島原発近くを通るため、復旧できないでいる。福島駅から東へ車で1時間半ほどかかった。会場周辺の環境の放射線量は屋外で事故前の10倍程度、屋内で3倍程度。比較的高い線量のところに人々は暮らさざるを得ない状況だ。心配ごとも多かろう。

南相馬市は福島第一原発から北側にあり、太平洋に面している。市内は、20キロメートル内の警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、さらにそれ以外と、複雑に区分されている。爆発による放射能の影響を最も大きく受けたまちの一つだ。今年2月の人口6万6千人。事故前に比べると6千人ほど転居していった。津波の影響もあるが原発事故による影響の方がはるかに大きい。

桜井市長は、「原発が爆発したことを知ったのは警察無線だった。この事故で、7人中6人以上が避難した南相馬市にとっていちばん大事なことは『心を再生すること』」と人々の胸を打った。また、「原発事故で180度変えられた運命を原発に頼っては取り戻せない」と原発の交付金を断ることにした心情を語り、「南相馬市民は自然エネルギーに依存した生活スタイルで生きていきたい」と力強い口調だった。東京電力に対しては、「西沢社長が来て、東電の責任でこの事故に対応していくと約束していったが、いまだ責任ある対応は感じられず、信頼に値する会社ではない」と厳しい口調だった。

この日は並行して、「ふくしまから始めるエネルギー革命 南相馬ダイアログフェスティバル--みんなで未来への対話をしよう」も開催された。南相馬は確実に活動を取り戻しつつあった。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)