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(2012年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第196号より)




ついに10万人を超えた!“大飯原発再稼働”反対の首相官邸前抗議デモ




関西電力大飯原発再稼動に反対する6月29日の抗議デモの参加者はついに10万人を大きく上回った。従来のデモとは一味違う、“親しみやすい”デモの参加者にインタビュー。






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毎週金曜に集う母親や若いカップル



午後5時過ぎ、首相官邸前の道路にはすでに列がつくられはじめていた。強い西日が照りつけるなか、1歳6ヵ月の子を抱いた女性はこう話す。「デモに参加したのは今日がはじめて。ドキドキしたけど、『今、声を上げなければ』と思って」

その後ろに並んでいた男性は、「子どもが誕生した、と友人から今朝連絡があり、デモの参加を思い立ちました」と言う。

続々と集まってくる人たちは、ツイッターやフェイスブックだけでなく、会社や保育園での口コミで情報を得ていた。ベビーカーを押す女性や子ども連れの若いカップルも目立つ。従来のデモとは趣が異なり、さながら、夏の花火大会のような雰囲気だ。





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3月末に始まった、関西電力大飯原発再稼働に反対する首相官邸前抗議行動。複数の市民グループの有志でつくる「首都圏反原発連合」が呼びかけ、〝普段着で参加できるデモ〟が毎週金曜日に行われている。「怖いイメージを払拭し、デモを当たり前にしていきたい」というのが彼らの意向だ。

「再稼働を阻止」を何とか訴えたい。そう模索していた人たちがこの運動に共鳴し、賛同者は回を追うごとに増えていった。当初の参加者は300人。2回目の4月6日には1000人になり、野田首相が最終的に再稼動を決めた後の6月22日は4万5000人に膨れ上がった。

そして29日。大飯原発3号機の再起働を2日後にひかえ、国民の憤りは最高潮に達していた。午後6時、官邸周辺は人であふれ、身動きもできないほど。車道が一部開放され、「前回より多いですよ」との声が耳に入ってきた。沿道を埋め尽くす人々は、思い思いのプラカードを掲げ、「再稼働反対」「原発いらない」と叫びながら、ゆっくり歩を進める。




福島からも、女性たちがこの場に駆けつけた。

「なによりも命が大事です」「どんなに毎日毎日心配のなかで暮らしているか。福島の母親たちの声を聴いてください」「子どもたちを守りたいんです。福島の子どもを見捨てないで」




ごったがえす道路からはずれたところで、子どもを遊ばせている二人の女性に会った。立川市に住む、それぞれ4歳と1歳の子どもを持つママ友だち。

「山本太郎さんが、『10万人集めたい』とツイッターでつぶやいていたので来ました。デモに対する抵抗はありましたが、みんなやさしく声をかけてくれて……。原発や放射能の話は、保育園でもなかなか言えません。同じ気持ちの人がたくさんいるのを知り、心強くなりました」「親に、『そんなこと気にして』と言われてしまうのですが、国分寺の放射能測定所で、粉ミルクを調べてもらったんです」

会社帰りに立ち寄ったという女性二人組は、「前回来ることができなかったので、今日は友人を誘って来ました。デモに行きたい、と親に話したら、『え?』と言われましたけどね」「若い人が多いので驚きました。原発は心配です、かなり」とにこやかに答えた。

この〝親しみやすいデモ〟は、原発が日常に密着した問題であり、憤慨している生活者が大勢存在する現実を映し出す鏡だ。




この夜のデモ参加者数は、目標の10万人を大きく上回った。しかし、国民の声は無視され、大飯原発3号機は予定通り再稼働した。7月6日の抗議デモは、あいにくの雨にもかかわらず、前週と同程度の規模になった。

この怒りは鎮まるはずがない。民意が反映され、脱原発が達成されるまで。




(木村嘉代子)
Photos:横関一浩


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(2012年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 194号より)




かるたで学ぶ「放射線防護」福島でワークショップ




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「あ あわてて逃げずに 屋内退避」「い 家の中 遠くに避難と同じこと」「こ 子供の甲状腺をまもれ」「す 吸い込み注意 マスクで防御」「せ セシウムは土にたまる」……。

これは「万が一かるた」の一部。万が一、原発事故が起きた場合、どうやって放射性物質から身を守ったらよいのかなど、具体的な対応をイラストと共に五十音の「かるた」にしたものだ。




5月19、20日に福島市内で持続可能な社会を考えるイベント「アースデイ福島」が開かれ、JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)が「かるた」を使ったワークショップを開催、多くの親子が参加した。作成したのは、東京都で広告制作会社を経営する佐藤哲康さん。佐藤さんは「住民の避難や防護に必要な知識を、記憶に残りやすい『かるた』にまとめてみた」と言う。

佐藤さんも、事故が起こるまでは放射能に関する知識はあまりなかった。昨年の3月15日には特に多くの放射性物質が福島県内に飛散したにもかかわらず、それが住民に知らされなかったと聞き、「無用の被曝が避けられたのでは。乳幼児や子どもへの影響が心配になった。深刻な事故直後から放射性物質が飛散する間を想定した住民の対応をどうやって伝えたらいいかを考えた」という。

福島県を訪ねて、専門家のシンポジウムに参加、書籍や資料も参考に、伝えたい情報を盛り込んだ「かるた」を完成させた。「みなさんからのご意見を参考に、もっとよいものにしたい。自治体ごとに内容を変えてパンフレットにしてもらうなど、各地で役立ててもらえれば」




JIM-NETは6月24日に猪苗代町で開く「アースデイ福島inいなわしろ」の中で、「万が一かるた」を使っての遊びや、子どもに放射能の知識を尋ねる催し「おしえて きみがしってる『ほうしゃのう』のこと」などの開催を予定している。担当の小松真理子さんは「『万が一かるた』はビジュアル的にインパクトがあって親しみやすく、ワークショップで好評だった。どのような活用方法があるのか共有していきたい」と話す。

震災後は、放射線防護などに関する子ども向けの副読本が作成され、理解を深めるための授業も各学校で予定。福島原発事故を契機に、放射線防護教育がさまざまな場面で進められる時代がやってきた。
 (藍原寛子)




※ 「万が一かるた」の内容はホームページ参照(現在市販はしていない。問い合わせがあれば検討予定)。
※ JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)

写真提供:JIM-NET


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(2012年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 193号より)




障害者を切り捨てないで!賠償請求の学習会、いわき市で開催



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福島第一原発事故に伴う、障害者による被害の賠償請求について理解を深める学習会が5月29日、いわき市で開催された。日本障害フォーラム(JDF)、日弁連、福島県弁護士会の主催だ。

現在、東電に対して障害者が自力で賠償請求手続きを進め、適切な賠償を得ようとすると、多大な困難を伴う。

第一に、障害者が理解しやすい情報や資料が圧倒的に不足しているため、障害者が資料不足や手続きの困難さに直面せざるを得ない。その時点で、賠償請求をあきらめてしまう可能性がある。

この問題について、筆者は東電広報部に取材したが、その回答は「現時点で視覚障害者のための点字の賠償請求書類はなく、手話通訳などの対応も行っていない。フリーダイヤルでご連絡いただければ個別に対応する」だった。しかし、聴覚障害者向けのファクス番号はなく、障害者団体が資料の点訳などの対応をしているのが現状だ。

第二に、原発事故に伴い、障害のある人が障害者特有の被害を生じた場合でも、速やかに適切な賠償を受けられない恐れがある。日弁連によると、JDFとともに障害者の原発事故被害の実態を調べたところ、障害者の損害が健常者よりも格段に大きく複雑だったという。

健常者の賠償問題は取り上げられても、障害者の被害実態は十分に把握されず、適切に賠償されない可能性が高い。このため日弁連は4月、政府と東電に対して、原発事故で被害を受けた障害者に対して特別な配慮を行うよう会長声明を出した。

この日の学習会では、槙裕康、青木佳史両弁護士が最新情報を交えながら、具体的な手続きや賠償の内容などを説明。参加者にはふりがなをふった印刷資料が配布され、手話通訳や要約筆記なども行われた。

参加者からは「私たちのような聴覚障害者の中には、正確な情報が得られず、放射能のこともわからずに外出した人もいる。精神的な苦痛に対する賠償はされるのか?」「夫も私も障害者で、避難したくてもできない。そういう人への賠償はどうなるのか?」など切実な訴えと質問が続いた。

複雑な手続き、わかりにくい資料。最終的に賠償請求をあきらめてしまう状況へと障害者を追い詰める現状。障害者を切り捨てる賠償手続の問題は、早急に解決しなければならない。
(文と写真 藍原寛子)


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(2012年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 195号より)






「刑事裁判で被害を明らかにして」福島原発告訴団が東電役員らを刑事告訴



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(福島地検に告訴状を提出する告訴団)




6月11日、本誌190号(5月1日発行)でもレポートした福島原発告訴団の1324人が、東電役員らを業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反などの疑いで刑事告訴・告発した。

告訴されたのは、東京電力の会長勝俣恒久氏、同社長の西澤俊夫氏ら役員、原子力安全委員会委員長班目春樹氏ら委員、原子力委員会の近藤駿介氏、原子力安全保安院長の寺坂信昭氏、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一氏ら総勢33人と、東京電力だ(役職名は告訴当日)。




当日は提出に当たり、約200人の告訴・告発人、支援者らが駆けつけ、集会が開かれた。

武藤類子団長は「(被告訴人が)この責任を取らなければ、福島の復興はありえない。今、県民は対立関係をつくらされているが、この告訴で私たちが力を取り戻せる」と述べた。

弁護団長で東京電力株主代表訴訟の弁護団長も務める河合弘之弁護士は、「東電の役員は事故後、誰も責任を取って辞めていないが、社会的に許されない。刑事責任を追及してそれを正し、本当の意味でやり直しをはかるのがこの告訴だ」と話した。

告訴状によると、被告訴人・企業らは「地震発生頻発国である日本で超危険物の原発を運営するに当たり、炉心損傷や溶融などの重大事故の発生を予防し、また、重大事故が発生した場合の被害の拡大を最小限にとどめるために適切な安全対策を講じる注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、その結果、死亡、傷害の被害を負わせた」(業務上過失致死傷の疑い)ことや、「有害物質を排出し、福島第一原発から少なくとも半径50キロ以内の地域に拡散をさせ、告訴人らに傷害を負わせた」(公害罪)疑いがあるなどとした。

被害者は、「告訴・告発人を含む福島県民多数」、亡くなったり大量被曝をした大熊町の双葉病院の患者50人、自殺した川俣町の主婦や相馬市の酪農家男性、けがをした東電社員や協力会社の社員、自衛隊員ら。

福島地検は「現時点では受理には至っておらず、真摯に検討して(受理かどうか)結論を出す」とした。

告訴団は今後、県外の人を加えた第二陣、第三陣の告訴を予定している。

(文と写真 藍原寛子)


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(2012年5月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 190号より)




東電・加害者が罰せられる社会をつくる








12 河合弁護士刑事告訴説明

告訴の重要性を話す河合弁護士





「被害と加害は明確なのに、加害者が誰一人法的責任を問われていないのはおかしい。刑事告訴で一人ひとりの被害を明らかにし、責任を明確にする」

福島県いわき市で3月16日夕方、会合が開かれ、出席した約70人により東京電力福島第一原発事故の責任者を刑事告訴する「福島原発告訴団」が結成された。

団長に田村市船引町の武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40周年記念実行委員会)を選任。担当弁護士で、東京電力株主代表訴訟代理人も務める河合弘之弁護士と、保田行雄弁護士も出席して、告訴状案や今後の具体的な手続きを説明した。今後、被災者の告訴団への参加を広く求め、6月には福島地検に告訴状を提出する予定。




弁護団は、2006年、原子力安全委員会が原発耐震審査指針を改定したが、具体的な津波防護策として専門家が指摘した最新の知見を同指針に盛り込まなかったこと、2010年に同委員会が津波を安全対策の考慮に入れるよう定めた「手引き」を策定したのに、東電は津波対策を怠って、未然に防げた大事故を引き起こした――などの過失を指摘。

原子力安全保安院長などは業務上過失致死傷罪、東電や関係する責任者は公害犯罪処罰法違反の疑いがあるとした。告訴では被災者が被害の状況をまとめた陳述書を提出し、被害状況を明らかにする。




4月6日には郡山市で説明会が開かれた。

「悪いことをしたら個人や企業が罰せられるんだという怒りを社会に強く認識してもらうことが必要。被災者が心の底から怒って、原因をつくった東電の役員や官僚、学者たちを罰してくれと強く言い続けることが重要」と河合弁護士。今後、県内をはじめ、山形、新潟、北海道など、被災者の避難先でも説明会を開く。

団長の武藤さんは「事故から1年が経ち、県民にはあきらめの気持ちも出てきている。しかし一人ひとりの市民があきらめることなく声をあげることが、自分たちがこの日本、この社会に参加し、社会をつくっていくということにつながる。それが最も大切なことだと思う」と話している。

 (文と写真 藍原寛子)


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30年間の「座り込み」。ホワイトハウス前で平和と非核訴え




11 ピシオットさん

コンセプション・ピシオットさん(67歳)





アメリカの首都ワシントンDCにある、米大統領の公邸ホワイトハウス前。ホワイトハウスに向けてシャッターを切る多くの観光客の背中を見ながら、一人の女性が呼びかける。「核のある世界がどんなに危険か、考えてみて」。スペイン出身のコンセプション・ピシオットさん(67歳)。1981年から実に30年もこの場所で座り込み、平和と反核を訴え続けているのだ。

今、都内・霞ヶ関の経産省前では、福島や全国の女性たちによる脱原発の座り込み「未来を孕む とつきとおかのテントひろば行動」が展開されている。昨年秋以降は、経済や所得格差を訴え、ニューヨークウォール街で「オキュパイ(占領)運動」なども起きた。ピシオットさんは長年続けている、いわば〝先輩格〟だ。




10代で米国に来て、国連やスペイン領事館で秘書の仕事をした。結婚もし、娘ももうけたが離婚。政治活動に入り、やがてホワイトハウス前で座り込みを始めたのが30年前。当局にしめ出されたり、心ない人から罵声や暴力を受けたりしながらも、巨大な看板を設置して、その脇で身体を休めながら世界各国の観光客に平和の尊さや核廃絶を訴え続けた。

後に白いビニール製のテントが設けられ、彼女を「コニー」と呼ぶ友人や支援者が増えた。毎日の食事は観光客からの募金で賄い、トイレやシャワーは支援者や近くの教会、ファストフード店などで済ませている。実質「ホームレス」状態だが、日々多くの人と接し、自分の訴えを表現する自由さからか、日に焼けた横顔はツヤツヤと輝いている。





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観光客から写真を頼まれることもしばしば。「反核、平和」を訴え続ける




「ここで生活して危険ではないですか?」。そう尋ねるとピシオットさんはこう言った。「核兵器や原発のあるこの世界は、どこだって危険。安全な場所はどこにもない」。そして目の前のホワイトハウスを指差す。「世界で一番危険なのは、あそこだから」。ホワイトハウスの屋根に警備官の姿が見えた。核を持つ軍事大国ゆえに、テロの恐怖に直面するアメリカの矛盾が垣間見えた。

ピシオットさんをして素通りする人もいれば、立ち止まって「ユー・アー・ライト(あなたは正しい)」と言う人も。「日本は広島や長崎で核の危険を体験している。地震国なのに原発なんてとんでもない」。ピシオットさんは今日もたった一人、各国の観光客に平和を訴え続けている。

(文と写真 藍原寛子)




ピシオットさんの支援者らによるウェブページ
*参考資料 /「ホワイトハウスの裏庭」(91年9月13日、The Yomiuri America 堀田佳男)

THE BIG ISSUE JAPAN 189号より)


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THE BIG ISSUE JAPAN387号
特集:平和を照らす
アフガニスタン、イラク、シリア、北朝鮮、沖縄。日本の敗戦から75年目に、世界で戦争の爪痕と人々を写真に撮り続ける新世代の写真家を紹介したい。 鈴木雄介さんは、シリアをはじめ戦場という最前線に立ち続ける。林典子さんは、北朝鮮で暮らす「日本人妻」に寄り添い、その思いを記録する。豊里友行さんは、沖縄戦や辺野古の基地建設に向き合い、いま平和を求める人々を写真に収める。 3人の写真家たちの作品とエッセイに目と心を凝らせば、戦争や争いの残酷さ、哀しみという鏡に、平和への祈りが写る。
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(2012年2月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第185号より「ともに生きよう!東日本 レポート21」)






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(脱原発世界会議YOKOHAMAから)


オーストラリア、年間95基を動かすウラン輸出。先住民の〝神聖な泉〟を汚染



1月14日、15日の両日にわたり
パシフィコ横浜で開催された脱原発世界会議。
海外約30ヵ国からの100人を含め、延べ約1万1500人が参加。
ネット中継を視聴した数は全世界で約10万人にのぼった。






69を数えたブース。脱原発活動が「少数派」を返上した2日間




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(フェリシティ・ヒルさん)




「私たちの活動は小さく、孤立していると感じていました。でも、同じ活動をしている人がこれだけ多く集まったのを見て、涙が出そうになりました」

「オーストラリア緑の党」のフェリシティ・ヒルさんは、脱原発世界会議での分科会で感慨深げに語った。海外で、日本の各地で脱原発活動を続けている多くの人たちもまた、彼女と同じ気持ちを抱いたのではないだろうか。




会議のスケジュールは、実行委員会によるメインセッション、数々のもちこみ企画、福島の人たちの声を聞く「ふくしまの部屋」、子ども向けプログラム、ライブパフォーマンス、映画、写真展など盛りだくさん。日本各地のさまざまな団体によるブースは69を数えた。

会場はどこも人にあふれ、お祭りのにぎわい。脱原発活動が「少数派」を返上した2日間だったといえる。




とはいえ、感動してばかりはいられない。世界を震撼させた福島第一原発事故後も、「原子力」はさまざまなかたちで、私たちの生活を絶えず脅かしているからだ。この世界会議では、国内外の専門家、NGO、自治体代表、そして市民らが、福島原発事故の真実、原発輸出や核兵器問題、被曝や被曝労働者の現状など、原子力に関して多角的な議論を展開した。




核問題の根源、燃料となるウランの採掘もその一つだ。

「福島第一原発事故にオーストラリアのウランが関連していたことを、とても恥ずかしく思っています」。冒頭に触れた分科会「オーストラリアのウランが日本の原発の燃料に」では、「西オーストラリア非核連合」の代表者たちの口から、日本への謝罪の言葉が相次いだ。

オーストラリアは、日本をはじめ14ヵ国にウランを輸出している。1年間に原子炉95基を動かせる量だ。オーストラリアは核兵器保有に反対の立場ではあるが、輸出国のうち、アメリカ、フランス、イギリス、中国、ロシアは核兵器を保有している。

こうした態度に加え、国民が憤りをつのらせているのは、国内での原発は認めないにもかかわらず、今後もウランを輸出するという政府の方針だ。「ウラン採掘は、オーストラリアにも、世界にも、何の利益にもなっていません。毒性の食物を輸出し、相手国の人々を病気にさせたら、その食物は二度と売られることはないでしょう。ウランも同じように考えるべきです」と、「オーストラリア北部準州環境センター」のキャット・ビートンさんは語気を強めた。





オーストラリアでは現在、4つの鉱山でウランが採掘されている。北部のレンジャー鉱山は、世界遺産のカカドゥ国立公園内に位置するが、1日10万リットルもの汚染水を川に放出している事実が明るみに出た。ここから20キロ離れた町を流れる川では、子どもたちが泳ぎ、住民が魚釣りをする。しかも、この川の水は飲料水にも用いられているという。

また、ウラン産業が先住民族に与える被害も深刻だ。ウラン採掘では、泥などを洗い流すために大量の水を使うが、南部の鉱山は非常に乾燥した地帯にある。ピーター・ワッツさんは、「私たち先住民にとって〝神聖な泉〟の水がすべて奪われました。今では水を外から運んで生活しています。祖父は80年代初めから水問題で闘っています」とアボリジニの視点からウラン鉱山の惨状を訴えた。






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(ピーター・ワッツさん)





「鉱山周辺の道にはウランが転がっていて、間違って拾う人がいます。その一帯の動物や農産物を食べると、具合が悪くなるのです。だからといって、自分たちの土地を捨て、他の場所に移り住むことはできません」

先住民の文化尊重や環境保護、情報開示といった法律は存在していても、ウラン産業では特別措置が適用されるというオーストラリア。原子力においては世界中のあちこちで、こうした姑息な手段が行使されている。

原子力はこの世に現れた当初から、世界の多くの人を苦しめ続けてきた。脱原発実現のためには、国際的な連帯がどうしても必要だ。この出会いをスタートに、大きな一歩を踏み出す意義を、参加者たちははっきり確信したに違いない。 

(木村嘉代子)



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(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より「ともに生きよう!東日本 レポート20」)





「除染作業」で人は再び住めるのか?



大型の重機が、人影のない水田や畑で音を立てて動き、汚染された土を詰め込んだ黒い大型のバッグ「フレキシブルコンテナバッグ」(フレコンバッグ)が次々と並んでいく。周囲では、白い防護服、顔にはプラスチックの全面マスクを着けた作業員が慌ただしく動いている。




10 作業員写真
(汚染土砂が入ったバッグを設置する作業員)




ここは、メルトダウンを起こした福島第一原発から1・5キロほどの大熊町夫沢地区。震災後、県内各地で住民や自治体により除染作業が行われてきたが、原発20キロ圏内の「警戒区域」や、線量の高い「計画的避難区域」を国が除染することが決まった。本格的な国の除染開始を前に、効果的な除染や実際の費用と成果、作業者の被曝対策など、広く除染の進め方を決めるための「除染モデル実証事業」が、独立行政法人日本原子力研究開発機構福島技術本部(JAEA)に委託して行われている。2月9日、報道関係者にその様子が公開された。

JAEAが国から事業を受託し、大手ゼネコンJV(共同企業体)に委託。大成建設JVと、大林組JVが各32億、鹿島建設JVが17億でそれぞれ受託した。JAEAはさらに、除染技術に関する実証事業も国から受託、建設業者や研究所など25社に委託しており、除染モデル実証事業は総額約100億円の高額予算で行われている。

実際の作業は、高圧洗浄水で建物やコンクリートを洗い流したり、汚染された土や草木の除去などが中心。重機も入るが、実際の細かな作業は、人の手で行われているのが現実だ。作業は終盤に入っており、この日は除染が進んだ地域や山林の様子、フレコンバッグを仮置き場に置く様子などが公開された。

民家のすぐ裏山で行われた除染作業。山林の向こうに福島第一原発の煙突が見える。震災直後は毎時200マイクロシーベルト程度、除染作業直前は100マイクロシーベルトだったのが、下草刈りや土の除去作業後は50~70マイクロシーベルトまで低減した。しかし、高線量は依然続いている。JAEAは木の枝葉の切り落としなどを検討しているが、中山真一同本部副本部長は「山林、水田の除染は本当に難しい。木を切り、土を削って、森林の保水性を壊してもいいのか、という問題も残る」と話す。




10 除染後写真
(公開された除染後の山林)





本当に効果的な除染とは何か。そしてそもそも、作業員が被曝しながら進める除染作業が必要なのか。仮に除染後、いったんは線量が下がっても、住民が再び住んで安全なのかどうか。100億円除染モデル実証事業の結果は?
(文と写真 藍原寛子)
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(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より「ともに生きよう!東日本 レポート20」)




日本国政府による犯罪だと痛感した—脱原発世界会議、海外ゲストが見たフクシマ





世界各国の脱原発、核廃絶運動に関心のある人、NPO、専門家など約1万1500人が参加した「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」が1月14、15の両日、パシフィコ横浜で開催された。
このイベントに先立って、ドイツ、ヨルダン、モンゴル、スイス、ケニア、韓国などの海外ゲスト、ジャーナリスト50人が13日、福島県を訪れ、被災した住民や地元で活動する人々の声を聞き、活発な意見を交わした。海外ゲストが見たフクシマとは。





福島の問題が福島だけの問題になっていることが問題




海外ゲストたちは、まず福島市を訪ね、市民の話を聞いた。

吉野裕之さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)は〝子どもの疎開と保養事業〟について、丸森あやさん(CRMS市民放射能測定所)は〝福島市内で食品や内部被曝測定を行う活動〟について、佐藤健太さん(まげねど飯舘)は、福島第一原発から30キロ以上離れていながら放射能の高汚染地域「ホットスポット」になった飯舘村について報告した。

福島大学准教授の丹波史紀さんは、「避難した住民は原発爆発から10ヵ月以上経った現在でも、わが家に戻れるのか、あるいは戻れないのか、見通しが立たないため、仕事や日常生活の再建のめどが立たない」現実を報告。「家族がバラバラのままの避難生活、避難していない人も放射能の影響で仕事や日常生活に大きな影響を受けている」ことを説明し、「現在の福島の問題が、福島だけの問題になって忘れ去られてしまうことが問題。福島の現実を少しでも知ってほしい」と訴えた。

一行は次に伊達市へ移動。元酪農家の長谷川健一さんが、スライド写真を見せながら、震災直後から飯舘村で起きた出来事や、放射能汚染で廃業せざるを得なくなったことを説明した。




飯舘村通過で、一斉に鳴り出したガイガーカウンター




10 バスの中写真


この後、バスで海側・浜通りの南相馬市へ移動中、飯舘村を通過した。バスの中から、住人が避難してカーテンを下ろしたままの住宅や、シャッターを閉めた商店、耕されない水田や畑、防護服を着た人が建物の除染作業を行っている様子などが目に飛び込んでくる。原発から20キロ圏に入る国道6号線の検問では、韓国からの参加者が横断幕を手に「非核と脱原発を福島から」と、「ノーモア・フクシマ」を連呼するシュプレヒコールも飛び出した。


10 参加者写真



この日参加した海外ゲストらは、自国で購入してきたガイガーカウンターなど、放射線の測定器をそれぞれ持参していた。バスが伊達市から飯舘村に入ると、バスの中でも空間放射線量が1マイクロシーベルトから2マイクロシーベルト前後まで、グンと跳ね上がる場面があった。ピーピーピー……ピーピーピー……。バスの前、真ん中、後ろの座席からそれぞれの測定器のアラームが一斉に鳴り出すと、韓国、ドイツの研究者やNPOのメンバーは、持参した測定器が表示した数値をお互いに比較したり、数値をノートに記録していく。

到着した南相馬市では、高橋美加子さん(つながろう南相馬)から、〝市民による除染や住民支援活動〟についての話を聞いた。高橋さんは「放射能は目に見えず、家畜や野菜など汚染されたものに私たちは手出しができない。海外メディアでは南相馬市を『死の街』と報道したと聞いた。小さな子どもを持つ若い人たちは、ここを出て行かざるを得ない」と、放射能の影響で厳しい現実を強いられている様子を述べた。同時に「放射能で汚染された街だが、私たちはここで生きていくため、共同作業でもう一度復活させたい」。そして「福島の大変な状況を、広く世界に伝えてほしい」と訴えた。

また箱崎亮三さん(NPO法人実践まちづくり)ら住民5人は、南相馬市の現状について説明。箱崎さんは、「私たちは原発事故の真実を本当には知らない。心配だけれど、ここに住みたいから除染する。でも実際には除染モデルなどどこにも存在せず、本当に除染できるのだろうかという思いもある」と、住民としてのさまざまな葛藤があることを吐露。その上で「除染モデルを南相馬市から発信することができるのではないか」と、除染に関するデータを集めて分析し、作業や管理について研究してマニュアル化する試みに取り組んでいる様子をレポートした。




混乱、葛藤、解決のない課題に衝撃



11 ムナさん
(ムナ・マハメラーさん)




ヨルダンの弁護士、ムナ・マハメラーさんは、「福島第一原発事故後、福島県を中心に住民の健康被害や避難など深刻な問題が続いているなか、日本政府は昨年12月、ヨルダン、韓国、ベトナム、ロシアとの原子力協定を国会で承認した。ヨルダンの原発予定地は砂漠で水源が十分になく、情報公開も進まない現状がある」と言う。

また、「本当に福島の現状は残念で、住民の方々は大変な状況に置かれているのを理解した。その状況と闘う住民は素晴らしい方々ばかりだった。改めて、この現状は人権問題で、情報隠しも含めて日本国政府による犯罪だと痛感した。帰国したら福島で起きている深刻な出来事を伝え、ヨルダン政府に脱原発を強く働きかける。全力で取り組んでいく」

ケニアの医師で公衆衛生の専門家ポール・サオケさんは「核兵器廃絶に関してはケニアを含め、アフリカ全体で進んだものの、『原発は別』として、南アフリカに建設され、エジプトでも建設が予定されている。ケニアでも2022年に原発建設がケニア政府によって示され、日本からの建設打診の動きがあるが、今回の福島の厳しい現状はまったくケニア国民には伝えられていない」と問題を指摘する。「福島で撮影した動画をケニアのメディアの人たちに提供して伝え、原発が国民に与える悪影響を具体的に説明して、国内世論を喚起したい」




11 アンドレさん
(アンドレアス・ニデッカーさん)




スイス・バーゼルの開業医で放射線医学の専門家でもある、核戦争防止国際医師会議スイス支部長のアンドレアス・ニデッカーさんはこう話す。「最も印象的だったのは、福島で暮らす人々が非常に大きな精神的なダメージを受けていることだ。避難するかとどまるか、いずれ戻るかという現実的な問題を突きつけられている。また、特に子どもの健康面については、低線量であっても長期的被曝の影響の問題がある」

「とにかく私は医師として、過去20年以上にわたって、核の平和利用はありえないと反対し続けてきた。原発はこれだけの混乱や葛藤を生み、解決策のない課題を残す。政府は補償も含めて責任は取らず、アクシデントが起こったら難しい結果に陥る。スイスに帰ったら仲間やグループとさらに連携して原発をなくす活動をしていきたい。日本でも同じ決断をしてもらうように働きかけたい」

参加者は、福島で見たこと、聞いたこと、感じたことをリアルに発信し、世界各国で活動を展開することを誓い合う。素顔のフクシマ、フクシマの悲劇の教訓が世界中に発信されようとしている。

(文と写真 藍原寛子)


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