Genpatsu

(2012年5月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第191号より)





チェルノブイリ原発事故から26年目の4月26日が過ぎた。原子力の専門家のほとんどが、放射能が日本まで飛んでくることを否定したが、実際にはヨウ素やセシウムが飛来して、食品の放射能汚染が大きな問題となった。当時を知らない世代が増えている。

26年前チェルノブイリでは、定期検査で原子炉を止めるのに合わせて、停止後も何秒くらい発電が可能かを調べる実験が計画された。ディーゼル発電機の起動までの時間稼ぎにつながるか調べたかったわけだ。しかし、電力供給要請で、低出力で8時間も運転する羽目になった。これが災いし、さらに制御棒の欠陥などが要因として重なり、成功したかに見えた実験は、核分裂が暴走し爆発する結果になってしまった。

チェルノブイリ原発の半径30キロメートルは永久居住禁止になっている。放射能汚染は広範で、汚染の高い地域が数多くある。500の村が廃村となった。人びとは強制的に移住させられ、今なお戻れないでいる。

最近の報道は、除染を断念した村の様子を伝えていた。チェルノブイリ原発から110キロメートル離れたコロステニ村は「避難勧告地域」に指定され、事故の4年後から本格的な除染が行われた。しかし、20年たった頃、費用に見合う効果が得られなかったとして断念された。それぞれの事情があろうが、600万人近い人たちが今なお汚染地域に暮らし続けている。さまざまなガンが増えているとの報告や、健康な子どもたちが一割程度しかいない地域もあるとロシアやベラルーシなどの研究者が伝えている。

福島原発事故は放射能の放出量ではチェルノブイリの数分の1程度と言われている。しかし、セシウムの汚染でみると、発電所から北西に数十キロのエリアはチェルノブイリの事故でいえば、強制的に避難や移住する地域や避難勧告地域に匹敵している。こうした地域の多くは、10年後もなお住民の年間被曝線量が20ミリシーベルトを超えると推定される地域で、野田政権は巨額の費用をかけても十分な効果が得られない除染を断念して、避難住民の支援を充実させる方向で検討を進めると25日の報道は伝えている。

チェルノブイリ事故で住民に起きたことは将来に福島事故で日本の人々に起きる恐れのあることとして参考になることが多い。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)