(2006年11月15日発売 THE BIG ISSUE JAPAN 第61号 特集「美しく戦う—抑圧と偏見を解く女たち」より)




誰もが幸せになる社会を目指して歩むことは私にとっての名誉




「難民鎖国」日本の中で、外国人の権利や平和問題を中心に
幅広く活躍する若き弁護士、土井香苗さん。
現在アメリカでの「ヒューマンライツ・ウォッチ」で研修中の土井さんに、電話インタビュー。






土井早苗
(土井香苗さん)





日本は1951年、難民条約に加入し、国連の難民援助機関UNHCRへは、アメリカにつぐ年間7640万ドル(91億円)の拠出国。にもかかわらず、89〜97年各年での難民認定者は1〜6名、98〜04年では10〜26名、05年は46名となっている。この数字は難民認定数(2002年)約2万8千のアメリカ、2万3千のドイツ、1万9千のイギリスに比べるべくもない低さであり、また難民を収容所などに拘束する率も一番高い。

このような「難民鎖国」日本で、日本にいる外国人の人権を守る数少ない弁護士として活躍、難民たちの希望となっているのが、土井香苗さんである。

土井さんは、大学3年のとき当時最年少で司法試験に合格。97年、援助される側の視点を手に入れたいと、NGOピースボートの一員として、30年にわたる独立戦争を戦って独立したアフリカのエリトリアに出向く。そして、エリトリア憲法策定のための調査員として1年間働いた。

98年に帰国。奇しくも、日本にエリトリア系難民が逃れてきていること、彼らが難民申請を拒絶されている現実を知り、日本の中で難民を弁護する道へ進もうと決意する。00年の弁護士登録後は、タリバン政権の迫害を逃れてきたアフガニスタン難民が東京入管に収容される「アフガニスタン一斉収容事件」(01年)や、先進国の中では前例のない、国連が難民と認めて保護を要請していた者を母国に送還するという「クルド難民の強制送還」(05年)、などで弁護にかかわってきた。そんな土井さんが目指す社会とは?
 



BI 東大法学部3年生の時、当時最年少で司法試験に合格し、注目を浴びた土井さんですが、そもそも弁護士になるきっかけは、何だったんですか?


土井 私は法律家志望で法学部に入ったというわけではないんです。母がとても厳しい人で、「女は資格がなければ生きていけない」と言われて育ちました。そんな母に言われるがまま法学部に入り、嫌々ながら司法試験の勉強を始めたんです。

私に転機が訪れたのは、大学2年の時。父と母の折り合いが悪く、耐えられなくなった私は、妹と一緒に家を出ました。生活費のためにアルバイトをしなくてはならず、勉強との両立に苦労しましたが、それまでになかった“自由”が手に入り、経験したことのない“幸せ”を感じたことを、今でもよく覚えています。

その後、NGOの「ピースボート」でボランティアを始め、いろいろな世界を知り、人権のために頑張っている素晴らしい弁護士の人たちに出会いました。そんな経験をする中で、「弁護士になりたい」と心から思うようになっていったんです。





BI 司法試験に合格した後、「ピースボート」で、アフリカのエリトリアでの法律策定のボランティアに参加されましたね。なぜエリトリアに行こうと思われたのですか?


土井 これは私の原点でもあるんですが、中高時代に犬養道子さんの『人間の大地』という本を読んで衝撃を受けたんです。以来、アフリカの飢餓や難民、南北格差の問題を実際にこの目で見てみたいと思ってきました。最初は難民キャンプに行くことを希望していたのですが、何の技術も持たない私には難しいことがわかり、法律の知識が生かせるエリトリアを勧められたんです。

当時エリトリアは、30年近く続いた独立戦争がようやく終結し、独立したばかりでした。

「新しい国を自分たちの手で作るぞ」という気概を持ったエリトリアの人たちと一緒に、刑法や民法などの法律を策定する作業を行いました。




BI その後、弁護士に登録なさってからは、在日外国人やアフガニスタン難民のための弁護活動など、人権問題に積極的に取り組んでいらっしゃいますね。

土井 南北問題や難民への興味からアフリカへ行きましたが、日本に帰ってきて愕然としました。日本政府はアフガニスタン難民の受け入れを拒否し、彼らを収容し、強制送還している……アフリカでなくて、こんな身近なところにも難民問題があったんですね。世界中にアフガニスタン難民がいますが、日本の扱いはあまりにもひどい。強制収容所に閉じ込めて、いつ解放されるかもまったく分からない。絶望の中、自殺未遂をする難民が後を絶ちませんでした。そんな状況をとにかく何とかしたかったんです。




BI 在日外国人やアフガニスタン難民など、弱い立場の人を助けることは素晴らしいことだと思いますが、その分苦労も多いのではありませんか?

土井 確かに企業の弁護を引き受けることと比較すれば、経済的にも恵まれないでしょうし、検事や裁判官のように出世して政府の中で地位を得るということもないでしょう。

でも私にとっては、弱い立場におかれている人の権利や尊厳を守ることによって得られる喜びのほうが、お金や地位に勝るのです。もっとも弱い人の立場に立って、国や法務大臣が相手であっても裁判を挑む。正義があれば、勝利することもあります。誰でも幸せになれる社会を目指して闘うことのほうがずっとかっこいいし、私にとって名誉なことだと思うんですよ。




BI 現在、土井さんが研修を受けているNGO「ヒューマンライツ・ウォッチ」について教えてください。

土井 「ヒューマンライツ・ウォッチ」は、世界中に職員を配置し、その人権状況を監視、公表している国際的なNGOです。メンバーには法律家も多く、これまでに地雷禁止キャンペーンの一員としてノーベル平和賞受賞したほか、武力紛争への子供の関与に関する子どもの権利条約の選択議定書や旧ユーゴスラビア国際刑事法廷の実現に寄与しています。

こちらに来てまだ二ヶ月足らずですが、それでも毎日が新鮮な驚きでいっぱいです。私が研修を受けているアメリカの「ヒューマンライツ・ウォッチ」の本部は、ニューヨークのど真ん中、エンパイヤステートビルの中にあります。政府からの助成金などは一切ありませんが、それでも昨年度の収入は約47億円、常勤職員が約200人という規模の組織です。アメリカの市民社会の大きさと層の厚さには本当に驚かされます。人権のために積極的に活動することが、個人、政府、企業から見ても、とてもすばらしいこととして高く評価されているのを感じますね。

私はアジア地域を中心に、人権が守られているかどうかをモニターする部門で研修しています。特にヒューマンライツ・ウォッチが力を入れている国に、重大な人権侵害が行われているビルマやアフガニスタン、北朝鮮などがありますが、日本もモニターの対象です。 例えば、先日、宮崎県の都城市で、「性別または性的指向にかかわらず」人権を尊重すると記されていた条例から、この文言を削除する条例案が提案されたことに対して、「ヒューマンライツ・ウォッチ」として抗議し、市長、議員宛にレターを送りました。日本ではほとんど報道されなかったことですが、こうしたLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスセクシュアル)の権利は米国で大きな注目を浴びている問題なのです。




BI 「ヒューマンライツ・ウォッチ」での活動はあと1年ほどあるそうですが、帰国後、弁護士としてやっていきたいことはありますか? 

土井 日本で難民や移民の問題に取り組んで来ましたが、それだけではなく、その根っこにある南北格差や民族差別などを解決することの必要を感じるようになりました。日本の法律家として、世界の不公正や人権の侵害を止め、すべての人々が尊厳を持って生きることができる社会にするために貢献する必要があると考えるに至ったのです。

そこで立ち上げたのが、「ヒューマンライツ・ナウ」。「地球上のすべてのひとたちのかけがえのない人権を守るために」をメッセージに、世界中のすべての人がヒューマンライツを享受できる社会を実現させることが目標です。国連とカンボジア政府の合意に基づいて設置された「クメール・ルージュ特別法廷」で被害者の参加を求める意見書を提出するなど、すでに活動を始めています。




BI 「人権問題」に対して、弁護士ではない私たち一般人ができることはあるのでしょうか?

土井 弁護士などの資格がなくても、人権を守るために活動することはできます。NGOでボランティアをしてみること、NGOに寄付するだけでもいいんです。あるいはフェアトレードの品物を買う、第三世界を旅し、そこで見たことを人に話すとか……。

日本では「人権」と言うと過剰な権利の要求をイメージされ敬遠されがちですが、「人権」はもっと身近なものなんです。「人権」は、人間が幸せに生きていく上でかけがえのないものであり、「人権」を守るための活動はかっこいいことなんだと、一人でも多くの人に伝えていくことも、私の仕事だと思っているんですよ。

(飯島裕子)