(2011年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第174号より「ともに生きよう!東日本 レポート10」)






大野更紗 「困っているひと」があふれる被災地と日本社会を語る



福島県出身の大野更紗さんの本、『困ってるひと』が売れている。
ビルマ難民の支援活動をしていた2008年、
筋膜炎脂肪織炎症候群という突然の難病で「医療難民」となり、闘病生活に突入。
次々に直面する医療や福祉の課題に体当たりし、その現実を描き続けた『困ってるひと』。
大野さんに本のこと、フクシマのこと、そして日本社会について、インタビューした。






13 大野更紗
(大野更紗さん。都内で。)




私は「日本の辺境」、おもしろい本が書きたかった




研究留学先のタイから身体を引きずるようにして帰国、検査でさまざまな病院を渡り歩いた後に都内の大学病院に入院。福祉や医療制度の谷間に突き落とされる現実、社会保障制度の不十分さを体験した。通院治療する道を選び、退院後に体験の執筆を始めた大野更紗。きっかけは何だったのだろう。

「辺境作家の高野秀行さんにポプラ社の現在の担当編集者さんを紹介していただき、ウェブマガジン『ポプラビーチ』で連載を始めました。私はずっと高野秀行さんの読者で、06年に講演会をお願いしたことがありました。通院治療を決めて準備していた頃、ラジオから高野さんの声が偶然流れてきました。1時間、未確認生物や怪獣の話をしていて『高野さん、まだこんなバカみたいなことをしてるんだ』とうれしくなりました。友人や社会と断絶した大変な時でしたが、高野さんが私の状況を聞いたら『日本の辺境だ』とおもしろがってくれるかもと思って。『何か書きたいんですけど、どうやったら物書きになれますか』とメールを打つと、翌日、リュックを背負って病院に探検に来てくれました。『とりあえず書いてみて』と言われ、原稿を送ったら、『あ、いいね、おもしろいね。これでいこう』と」

出版界では「闘病記」分類に入る『困ってるひと』。だが内容は「闘病記」というより「ノンフィクション」と「小説」の間の新ジャンルを拓いた感がある。

「高野さんには『闘病記じゃなくて、なんかおもしろい本を書きたいんですよね』って話しました。日本社会って本音と建前がかい離して、被害者や患者は美談か悲劇の中にしかいなくて、グレーゾーンや細部を描き出すことが少ない。そこを、エンターテインメントとして成立させたいと思いました」




本当の苦しさ、危機。外部者や援助者が立ち去ったあとに



隔週月曜日、原稿がウェブにアップされた瞬間から、ツイッターやメールで読者コメントが押し寄せた。回を重ねるごとにその数は増した。

「『おもしろい』って言ってもらえるのが一番うれしかった。読者と一緒に書いたという思い。一体感とグルーヴ感。『私もずっとそう思っていた』というのが一番多く、患者さんだけでなく、看護師さん、介護士さん、中には少ないけれど医師もいました。湧き上がってきたものをワーッと書いて。倒れかかって救急外来にかけこみながら書いたこともありました」

病名もつかない、治療方法もわからない、病院も見つからない状況からの治療開始。死が身近にある闘病生活と、厳しく苦しい内容も実は多い。実際に書いている時は、どんなことを考えていたのだろう。

「書きながら気づきもありました。『ああ、私、難民化しているな』とか。すると読者も一緒に『こりゃ難民だ』って思ってくれて。でも、ビルマ難民の研究していたことがはからずも功を奏したというか、援助を受ける当事者になっていた自分をどこか客観視していました。書きながらそういうプロセスを経て、根幹を問うていった感じかもしれません」

「(死を考えるなど)劇的な瞬間は実はそんなに重要ではなくて。本当に苦しいことは、その後の長い長い時間。外部者や援助者が現れ、でもいつしか去っていく。去った後に本当の危機が始まります。その点で、私は場面の細部を丁寧に書いていくことには気を配りました。それが大事なことだと思っています」

細部といえば、登場人物のキャラクターは実に奇異(いや個性的)だ。医師をはじめ、登場人物全員が、ある意味「困ってるひと」だ。

「患者やメディアの問題点もあるけれど、医師はあがめられるか、悪魔の手先のように恨まれる相手として扱われがちです。医療を絶対視しても、臨床にはスーパードクターなんていない。医師と患者は非対称な関係で、症例がない難病では依存関係にも陥る。でも、医師は福祉のことや、患者がどんな困難に直面するのかを知らない。人間だから当たり前なんですけどね」




どんな「くじ」を引いても、最低限普通に生きられる社会を



東日本大震災で原発事故が起き、避難を転々とする「原発難民」が生まれている。行政のサポートも薄く、「困ってるひと」が大量発生しかけている。

「大震災をはじめ、貧困、障害、セクシャル・マイノリティ、エスニシティ、あらゆる社会問題があって、実は、みんなが困っている人。ところが、それぞれが断層化して『ムラ化』している。ラベリングされて、コミュニケーションが成立しない構造だったり、当事者同士が対立してパイの争いをしている。そんな中で言葉の使い手が協働して現実をつくることが問われている。書くことで、その閉塞感や断層を突き通したいという感じもありました。私は人生について『くじを引く』という表現をしていますが、人間は生まれてから死ぬまで、ずっと強者、あるいはずっと弱者ではない。ただ、一人の人がどのくじを引こうが、最低限普通に生きていける社会の方が、みんなが気持ちよく生活していけるのではないかと思っています。この本が『生きていれば、普通にいろんなことがあるよね』というフラットな議論の場になってくれたらという思いもありました」

彼女の原点の一つになったビルマのことは、次のように話す。

「ビルマに惹かれたのはアウンサン・スーチーさんのこともありましたね。彼女の思想はいろんな解釈の仕方がありますが、徹底した実践家でもあります。失望も悲観もせず、ただ実践を積み重ねる。大変だけど、でもそういう人が出てきて、ちょっとずつ変わっていく。社会がすぐ変わる正解のようなものはたぶんアブナくて、正義とか愛とか、ぱっと寄り添いたくなるようなことを言うのは簡単ですが、たぶん一番ヤバい。自分の生活者としての感覚を大事に、時間をかけて実践する。今、言葉が上滑りする状況が続いていますが、身体的な言葉、日常感覚に届く言葉を探しています」

故郷福島を含む東日本を襲った大震災をめぐる現状は、大野にはどう映って見えているのだろうか。

「情報の路線整理ができていない。どう対処したらいいかわからないけれど、当面はここで暮らすという状況。除染とか放射線防護とか、生活の中で具体的に対処するための情報が必要だと思う。メディアは震災直後から、原発や抽象的な悪を暴くことにわりと終始しているけれど、経過する時間の中で個々の命を守るための具体的な議論がなされないのが現実。センセーショナルに物事を美談として切り取ることを繰り返して、被災者が言葉を発せられる状態になっていないのは深刻です」

生活者として文章を書く。それが一歩一歩の実践だと言う大野。今も、この一瞬も、痛みと闘っている大野。大量の痛み止めも「役立たず」な中、文字通り身を削り取るように書く。一文字一文字がそんな身体の痛みから生み出されている。

「基本的に昏睡してるか、書いてるか、本や資料を読んでいるか。大変なんですけど、こんな人生もあるのかと、ちょっと自分で自分を笑うというか。すごく大変なくじを引いたんだけど、でも最近は大変だとか悲劇だとかは思わなくなりました。日本社会の奥底を歩く、毎日が旅のような感じですかね」(本文敬称略)




(藍原寛子)

福島市生まれ。ジャーナリスト。大野更紗さんとは、同じアジア研究プログラムの仲間。





大野更紗
福島県生まれ。作家。上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程休学中。08年、自己免疫疾患系の難病を発病、都内で在宅通院により闘病生活を送る。
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「困っている人」はウェブ連載中から話題を集め、出版後は4万部を超す話題作。