(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より ※肩書きは当時)





魚は日本の食文化、築地から考える魚の今



東京ドームの約5倍の広さを持つ日本最大の魚市場、築地魚市場では
1日約2100トン、17億円の魚介類が動く。
日本の輸入魚が増えたといっても、築地魚市場では国産魚が多いという。
社長の鈴木敬一さんに、築地から見た漁業、魚文化について聞いた。





A1213築地pのコピー
(鈴木敬一さん)




マグロの高級化、冷凍技術とともに



築地の朝は早い。

5時にはセリが始まって、7時にはもうプロの買い出し人たちがぞくぞくと集まってくる。場内は人、人、人の波になる。水に濡れた石畳の上をわが物顔の長靴たちが闊歩し、きらびやかに輝く魚を載せて、狭い道のあいだをターレットと呼ばれる乗り物がそれは器用にすれちがっていく。

無数の店が立ちならんだ、ここ仲卸エリアに立っていると、ともすれば迷子になりかねないような気がしてくる。それだけの広さがあるのだ。そのわりに入り組んだ道はかなり細いので、買いつけに来た人々とすれちがう時はうまく道をゆずりあって進まなければならない。ようやくのことで次の角を曲がってみると、今度は出合い頭に巨大なマグロと出合った。まな板の上に頭の部分だけがどかっと居座っている。

「煮なさるか 焼きなさるかと まぐろ売り」とは、江戸時代の川柳で、マグロを生で食べることがほとんどなかった時代に詠まれた句だ。たとえ生で食べることがあったとしても、そのころは赤身を醤油に漬けたヅケがもっぱらの定番。




鈴木さんがそのあたりの事情をこう説明してくれる。

「マグロが大衆化したのは昭和30年代の半ば以降だと思いますよ。戦前は鮮度が落ちやすいので生食は少なく、煮たり焼いたりして食べていた。昔は冷凍技術がなかったんだな。それで超低温という保存方法が考えられた。マイナス50〜60度で凍結して保存しておくと、マグロの品質は変わらない。それで遠洋マグロ漁が発達して海外からの輸入も増えたわけ。当時は世界でマグロを食べなかったし、それで日本の消費も増えていったんですね。これがマグロの普及した原因です」

まさに時代変われば魚も変わる。私たちと魚のつき合いは、そうした冷凍技術の進歩による大きな変化を受けてきたのだ。





A1213築地sakana2




魚は増やせる。そのため、まず資源保護が必要



マグロの他にも、輸送方法、加工技術の発展によって世界中から輸入されるようになった魚介類について同じことがいえるかもしれない。いまや私たちはアフリカ産のティラピア、ナイルパーチを口にすることもあれば、ペルー産のアナゴ、モロッコ産のタコを食す日まである。

しかし、獲れる魚の量にはやはり限界があるわけで、それが今、世界中でわきおこる魚食ブーム、増え続ける人口の影響によって大きな問題となっている。鈴木さんはこう断言した。

「いいですか。魚が不足する時代はまちがいなく来ます。その最大の原因は生産量には限界があるにもかかわらず、消費が膨大になっていることです。僕は魚が世の中から消えてしまうことはないと思うけれども、40〜50年で大変な時代になると思う。そうすると魚が食べにくくなり、高価なものになるという時代は、割と近い将来に来るであろうということが予測されますよ」




後編へ続く