(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第75号より)




野生の患者は、野生からの伝言者。選ばれて、自然の今を伝えに来る



北海道東川町に森の診療所を開く竹田津実さん。
30年間、傷ついた野生動物の保護、治療、リハビリに無償で取り組んできた。そんな竹田津さんが綴る、野生動物と巡り合う日々。






BIG ISSUE004






野生動物は無主物。その診療は犯罪行為!



野生たちの診療を始めて30年が過ぎた。バカなことである。やっとここ7〜8年は犯罪者扱いされなくなったが、それ以前はれっきとした法律違反者としてお上ににらまれていた。

野生動物は無主物。誰のものでもありませんと法は定めている。ところが「……ならば私が」とカスミ網やワナなどを仕掛けとらえて焼き鳥なんぞにされたらたまらんと、国家は数種の法をかぶせた。捕ってはなりません。当然飼うこともいけませんと明記した。

そこで道端で苦しむ野生を見て助けなくてはと思わず手を出した人……多くは子供か老人と呼ばれる人たちである……がいたらどうなるか。立派な法律違反者となったのである。

「あの先生のところへ……」と考えて走る。すると当然あの先生も犯罪者の仲間入り。

かくして心優しき子供やお年寄りは咎人となり、心ならずも受けた獣医師もその仲間入りを果す。

そのうえ……これを特に言いたい……獣医師は貧乏となる。

無主物である野生の生き物はお金を持って来ない。かわいそうだと思わず手を出した人たちには診療費、入院費の支払いの義務がない。当たり前である。もしお金を支払うとその患者はあなたのものですかと問われる。そうですとは言えない。言えば、私はれっきとした犯罪者であると自白しているようなもの。誰ひとりお金は支払わないのである。

ついでに言うと、傷つき病んで苦しんでいる生き物たちを見ても、見て見ぬふりをし、知らん顔を決め込む者たちをこの国では良しとしている。正常と言っている。なんだか気味が悪い。







BIG ISSUE003




先生、それって殺すことではないですか?



以上が、野生動物の診療所を取り巻く現状であった。

これが7〜8年前から少しずつ変わった。なぜか知らない。なにはともあれ現場を見て「限りなく犯罪に近い」と言われなくなってほっとしている。

30年前、二人の少年がやって来た。抱えたダンボールの中にはトビがいた。「飛べません。かわいそうです。治してやってください」と言った。

「家畜以外は診ませんよ」と言ってみたが、半分泣き顔になっている兄弟……二人は兄弟であった……には帰ってくれとは言えない。そこで理由探しをした。幸い(?)当のトビは検査の結果、翼の骨の一部が欠損していることがわかった。これなら十分な理由になった。

そこでレントゲン写真を見せて説明をする。すると「どうしましょう」とつぶやく。そこで技術者としていかにもまっとうな理由(安楽死)を口にした。これがまずかった。「安楽死とはなんですか」と聞くので説明するに、兄弟は少し考えて「先生、それって殺すことではないですか」ときた。

これは少し困った。獣医師は生き物を助けるためにあるもの……といった世間の常識に背を向けるわけにはいくまいと身構えて見せたが、うまい答えが登場しない。ぶつぶつ言った挙句、「まあそんなことだな」と予定外の台詞が飛び出してしまったのである。一瞬間があって「ワー」という兄弟の泣き声に、私はただただ立ちすくんだのである。

ともかく帰ってもらおうという作戦。「なんとかしよう。ともかく今日は帰りなさい」と説得する。「ナントカシマショウ」を連発。帰ってしまえばこっちのもの。「安楽死を選択しよう」と決めていたのである。

ところが敵(?)もさる者。当方の魂胆を見抜く。そして言ったセリフ。「明日も来てみます」ときた。来られたらアウト。ともかくトビの命は1日伸びることになった。

次の日、兄弟はやって来た。肉片を持ってきて「ピーコ、ほれ、おいしいよ」と言いながら餌を食べさせ帰っていった。「明日も来てみます」という言葉を残して。

それが1週間も続くと私ももう技術者としての一つの作業をあきらめていた。

トビと兄弟と獣医師の妙な関係は、その後半年間も続く。結局トビの死という現実が登場するまで。

兄弟は別れを納得し、獣医師は兄弟の気持ちに寄り添うことを学ぶ。そんな技術屋が一人くらいいてもいいのかなとつぶやきながら。





BIG ISSUE002






どうして診療所に来た?今日も探す野生の企み



それから数年たった年の5月。

我が家の玄関は大騒ぎとなっていた。次々と患者がやって来た。本来であれば喜ばしいことだが、野生動物の診療所としては逆である。

お金を払わないものたちが押し寄せると、当然のことながら貧乏になり、やがて倒産の憂き目にあう。

そのときもこれは間違いなく夜逃げを考えなくては……といった繁盛ぶりとなった。

患者は小型の渡り鳥、コムクドリである。次々とやって来た。2羽、5羽、はては7羽も一つのダンボールで運ばれて来る軍団もあった。病状は中毒病、明らかに農薬の集団中毒であった。散布された農薬に苦しむ虫たちを腹いっぱい食べた鳥たちが二次被害にかかったということだろう。ともかくにも大騒動を強いて、あげく9割が死んで終わった。

おびただしい死骸を目の当たりにして、彼らがなぜ我が家の玄関の戸をたたいたのかを考えてみることにした。豊かだ豊かだといわれる北の大地が予想以上に農薬に汚染されている現実にたどり着く。

それに対するささやかではあるが多くのお百姓さんの参加する作業がこのことをきっかけに始まったのである。




以来、私は私の診療台の上に横たわる野生の患者が「どうしてここに来たのか」という理由を聞くことにしている。しつこく、詳細に。

いつの間にか、患者たちは自然の今を伝えるためにやって来たに違いないと思うようになっている。しかも選ばれて来るような気がする。草原の草のかげや森の奥深くで彼らはときどき会議を開き、今度はこの問題について誰を送り出そうかなんて企らんでいるように思えるのである。野生からの伝言者として。

馬鹿みたいな作業が続いている。そのバカみたいな作業の中に隠された野性の企みを私は今日も探そうとしている。

(文と写真 竹田津 実)




たけたづ・みのる
1937年、大分県生まれ。岐阜大学農学部獣医学科卒業。野生動物にあこがれて63年、北海道斜里郡小清水町農業共済組合・家畜診療所に獣医師として赴任、91年退職。66年からキタキツネの生態調査をはじめ、72年より野生動物の保護、治療、リハビリに無償で取り組む。映画『キタキツネ物語』の企画・動物監督、テレビの動物番組の監督も手がける。著書には、『子ぎつねヘレンがのこしたもの』偕成社(『子ぎつねヘレン』として映画化)、写真集『えぞ王国 写真 北海道動物記』、『野生からの伝言』集英社、『タヌキのひとり』新潮社、など多数。









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