2016年11月26日のキューバ革命の最高司令官だったフィデル・カストロ氏が死去したニュースを受け、2013/03/21の記事を再編集して公開します。
ドキュメンタリー映画 米国で公開禁止の『コマンダンテ』
アメリカから敵視されるキューバの国家元首カストロが、芸術や愛人、9.11テロ、チェ・ゲバラなどについて語る。カストロに密着インタビューしたオリバー・ストーン監督に聞く、ドキュメンタリー映画制作の一部始終。
(フィデル・カストロ(キューバ国家元首)とオリバー・ストーン監督)
2ページの手紙を書いたら、カストロから夕食の誘いがきた
意欲的な作品を次々と発表し続けるオリバー・ストーン監督は、映画を通して世間に衝撃を与え、人々がそれまで無視してきた何かに目を向けさせるという創作活動を行ってきた。そんな彼の新作は、キューバの国家元首フィデル・カストロとの和やかな対談風景を収録したドキュメンタリー映画。アメリカでは公開禁止になった問題作だ。
アメリカが提示した自由経済をはねつけ、社会主義を貫いたがゆえにアメリカに敵視されるようになったカストロ。そんな彼を人間味たっぷりに描写する本作が生まれた経緯をはじめ、アメリカで公開禁止になった理由などについて、ストーン監督はその思いの丈を存分に語ってくれた。
「もともとこの映画の企画はテレビ番組用で、知り合いのスペイン人プロデューサーから打診されたものだった。カストロにツテがあるって言われて、大喜びでキューバ入りしたら、インタビューのアポが取れてないって聞かされて激怒したよ。そこでぼくは、カストロ宛に手紙を書いた。
2ページに渡って、この作品は報道番組ではないと説明した。なぜなら、これまで彼について紹介してきた報道番組は、アメリカに都合のいいようにねじ曲げられたものばかりだったから、彼はもう取材を受けつけないと確信していたからね。
だから、『ぼくの企画は、報道記者としてではなく、この作品の監督として、キューバの指導者であるあなたと1対1で面と向かって数時間過ごし、リラックスした雰囲気の会話を撮影するものだ』って書いたんだ。
そして、『ぼくがこの作品の監督だから、”カット“と言って、会話を途中で切ったり、話題を変えたりするし、あなたも気に入らない展開になったらいつでも止めて、巻き戻してその部分を削除できる』って提示した。
そうしたら、なんと手紙を出した日の夜11時に、カストロ側から夕食の誘いがきたんだ。そして、報道記者としてではなく、一人の人間として彼と食事をする経験を楽しんだぼくにカストロは、『明日から始めよう』って言ってくれた。結局彼は、土曜と日曜だけでなく、公務のある月曜も撮影につき合ってくれたんだ」
ヤラセなんて一つもないし、コントロールも一切受けていない
我々が持っているカストロのイメージは、国民に貧困生活を強いている独裁政治家で、冷血な人物というもの。しかし、映画を観れば、カストロが陽気な人物で、いかに国民に人気があり、また、治安のよい国をつくっているかがわかる。それこそが、この映画を通してストーン監督が伝えたかったことの一つだ。
「多くの人がこの映画を『カストロのプロパガンダ』だとして攻撃してくる。でも、これだけはハッキリと言っておきたい。
この映画には、ヤラセなんて一つもないし、カストロ側からのコントロールも一切受けていない。映画の中で、街頭を気の向くままに歩くシーンがあるけど、あれはヤラセでもなければ、リハーサルもしていない。
アメリカなら、シークレットサービスが前もって大統領の歩く道の安全をチェックするけど、ぼくらの撮影中にはそんな光景はなかった。
行きたい道を彼と一緒に歩くことができた。そして、行く先々で人々が『コマンダンテ!コマンダンテ!』と口々に言って、嬉しそうに彼に近づいてきた。それはまるで映画スターと一緒に歩いているみたいだったよ。
集まる人々の顔を見れば、強制されたものではなく、自発的で、カストロのことを本当に慕っているというのがわかるんだ。彼に対する好意は本物だと実感したよ。この作品は、政治的要素が少なすぎるとしてアメリカから批判されたけど、もともとぼくはそれを目的にはしていない。
国の指導者として、また、人間としてのカストロがどんな人物であるかを描こうと思っていた。だから、政治についての話題は少しだけで、芸術や愛人、映画や歴史、9月11日のテロ事件、エビータ(アルゼンチンの元大統領夫人エバ・ペロンのこと。マドンナ主演の映画『エビータ』でおなじみ)やチェ・ゲバラ(カストロとともにキューバ革命を指導した人物。映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』でおなじみ)についていろいろ話したんだ」
成功しようがしまいがみんなに観てほしかった
カストロを敵と教えられて育ったアメリカ人のストーン監督は、カストロと過ごした数日間でどんなことを学んだのだろう。
「共和党の家庭で育ったぼくは、1960年代のアメリカ人の多くがそうであったように、カストロは敵と教えられた。でも、ベトナム戦争に出兵した時、ぼくの世界観はガラリと変わった。カストロへの敵対心がなくなった。
かといって、彼のファンにはならなかったけどね。ただ、カストロをとても興味深い人物だと思ったんだ。彼がキューバの国家元首に就いて以来、アメリカの大統領は6代目になる。それでも彼は、暗殺されたり、失脚することなく、キューバの指導者であり続けていた(昨年、病気を理由に政権を実弟に暫定委譲した)。
そんな彼に実際に会って、何時間も一緒に話をするという機会に恵まれたぼくが持ったフィデル・カストロ像というのは、ラテン系らしく、陽気で、のびのびとした性格で、とても暖かい心を持つ誠実な人物というものだったよ」
アメリカでは、サンダンス映画祭で上映された後、テレビの映画チャンネル、HBOで放送される予定だった本作。しかし、キューバからアメリカに亡命しようとしたフェリーのシージャック事件でカストロが犯人を処刑したのを受け、アメリカ国内で反カストロ派から猛烈なバッシングがわき起こり、放送中止となった。
「サンダンス映画祭に出したのは間違いだったよ。わずか300人しか観ないままお蔵入りになってしまったからね。いきなりHBOで放送してしまえばよかったと後悔したよ。
放送中止を知らされた時、激怒した。ギャラなしで1年もの時間を費やしてつくったのは、これをみんなに観てほしかったからなんだ。成功しようがしまいが関係なかった。45年間も国際的に力をふるってきた人物に親しむチャンスだったのにね。
彼の言っていることがすべて正しいとは思わないけど、彼が自分の意見をどうやって表現しているのかを初めて映画で捉えた作品だからね」
(はせがわいずみ)
(www.HollywoodNewsWire.net)
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