前編を読む




「かおり」で害虫の天敵を呼び寄せ、仲間に伝える植物



「植物と植物の会話」が成立していることもわかってきた。もし害虫の被害に遭っている植物の株の隣に、まだ被害に遭っていない株があったら、いずれ害虫の次のターゲットになるのはまちがいない。さて、この未被害株は何もせずにただ害虫に攻撃されるのを待っているのだろうか? 答えは否である。





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植物を外から観察するだけではわからないが、コナガ幼虫の天敵を誘引する「かおり」にさらされた未被害のシロイヌナズナは、その細胞内で防衛遺伝子のなかの代表的なもののいくつかを活性化させるという。

それを高林さんは「むしろ『立ち聞き』と呼んだほうがよいのかもしれませんね」と話す。しかも、彼らは、害虫の種類ごとに、違った「かおり」を放つというのだ。だが、いったいどうやって害虫の種類を識別するのかは謎に包まれている。

さらに、植物が病気にかかったときも、植物間で同様の防衛のためのコミュニケーションを行うといわれている。このように、植物は光と温度だけに敏感なのではなく、害虫や病気に対しても受身でなくアクティブに反応しているのだ。






植物の知られざるコミュニケーションツールとしての「かおり」。彼らはどのように「かおり」を感知し、会話するのだろうか?

植物の『かおり』は彼らの言葉です。ですが”植物は鼻がないのにどうやって『かおり』をきくの?“と聞かれても、そのしくみはまだわかっていないんです。彼らが絵本の『葉っぱのフレディ』のように、哲学的に会話をしているかどうかは知りませんけれども、独特の『かおり』の受容メカニズムを持っていて、それを介して会話や相互作用をしていることはまちがいありませんね」

しかも、次々と新しい発見も続く。 「ミカン、リンゴ、イネ、マメ、アブラナ科…、単子葉から双子葉まで、食害に反応して何らかの『かおり』を出して、それが植物自身の何らかの防衛に役立っているという事実についての研究は積み重なってきています」



 

植物の「かおり」、重く木霊のように漂う




だが、「かおり」の情報がどれほどの範囲まで届くのかは、まだ明らかにされていない。

「植物の『かおり』は、分子量が100とか150なので、空気の2〜3倍も重いんです。そういう重いベタっとした『かおり』の情報が流れているんですね。それがどのくらいの距離を流れていくのか? それを蜂の反応や植物の細胞内での防衛遺伝子の発現の様子から調べているところです」




高林さんは、植物の「かおり」を『もののけ姫』に出てくる木霊のイメージにたとえる。

「木霊が何かはわかりませんが、森の中にいて何らかの役に立っていますよね。植物の『かおり』も、重たくて断片化したもので、それ自身が情報なんです。一つ重要なことは『かおり』は混ざりにくいものだということです。例えば、飲み屋街で、焼き鳥屋とウナギ屋の中間に立っても、その匂いは混じらないでしょう? 森の中でも、植物が放出するいろんな『かおり』が断片化して、かたまりとなって漂っているというのが実態ではないかと思います」




葉っぱの一部が害虫に食べられても植物は死ぬことはなく、翌年も新芽を出す。だが、葉っぱを食べられれば食べられるほど、光合成を行う場所が減る。だからこそ、植物はできるだけ自分の組織を失わないように、「かおり」を出して害虫の天敵を呼ぶなどの進化をしてきた。そして、さらに生物間での複雑な関係をつくってきたのだ。

「群盲が象をなでるという言葉がありますが、象よりももっと巨大な生物多様性の一つの切り口として『かおり』を介した生物間の情報ネットワークみたいなものを考えていけたらいいなあと思います。つまり、複雑な食物網を支える目に見えないかおりを介した植物と動物との情報ネットワーク、さらにそれを支える植物間の情報ネットワークというような層状のネットワーク構造の視点です」 

人間の嗅覚のしくみさえ明らかにされたのは数年前で、その研究者がノーベル賞を受賞したばかり。高林さんらの植物の「かおり」についての、これからの研究が待たれている。


(編集部)
Photo:中西真誠



たかばやし・じゅんじ
京都大学生態学研究センターセンター長。1987年10月より京都大学農学部助手、88年2月〜90年1月までオランダワーゲニンゲン大学研究員、95年5月より京都大学農学研究科助教授、00年4月より京都大学生態学研究センター教授を経て、07年4月より現職。00年3月に日本応用動物昆虫学会学会賞を受賞。日本応用動物昆虫学会評議員。著書に『虫と草木のネットワーク』東方出版(07年)、『寄生バチをめぐる三角関係』講談社メチエ(95年)などがある。






京都大学生態学研究センターについて

生態学の立場から、生物の多様性がどのようにして生まれ、どのようにして維持されているかを明らかにすることをミッションに掲げ、例えば、植物、動物、微生物の生態学の研究者が集い、行動の進化から生物集団のダイナミクス、生物群集のネットワークや生態系の機能などの研究をして、生物多数性のさまざまな問題に取り組んでいる。