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今回、陀安さんらが京都近辺に住む約170人を調査した中間報告でも、同じ地域に住んでいても、その人の食生活によって窒素と炭素の値が異なっていた。

「髪の毛を提供してもらうほかに、食生活アンケートも書いてもらったのですが、大きく左下の方に行っている女性の方はふだんからマクロビオティックな生活をされているようで、かなり植物性タンパク質の影響を受けています。他にも『野菜をたくさんとっている』とアンケートに書いた人はたくさんいましたが、実際の身体はそれほどでもないケースがほとんどでした」









植物や動物を経た物質が、あなたの身体に流れている



それにしても、髪の毛の窒素と炭素の値だけで、その人の食生活がある程度わかってしまうというのは、どういうことなのだろう? 陀安さんが解説する。

「人間を含めた生物の身体は、水素や炭素、窒素、酸素、リン、イオウといった元素などで構成されています。私たちは、その元素を植物や動物などさまざまな食物から得ていますが、それらはすべてもともと植物が太陽エネルギーを用いて光合成した産物を出発点にしているんです。

つまり、人間も自然界の物質循環のつながりの中に位置づけられているということです。だから、原子の質量が異なり、時間がたっても壊れない安定同位体を使って身体の元素構成を調べれば、その人がふだんどんなものを食べているかがわかるんです」




この安定同位体を使った分子解析は、すでに絶滅してしまった生物に対しても何を食べていたかを研究できる手法として注目を浴びている。この解析によって、生命の起源や過去の生物の大絶滅にかかわる環境の変化を解き明かす手がかりも得られているのだという。

そして、最近ではいまだその実態がよくわかっていない生物の生態の調査や、環境問題の解明にも使われている。

「例えば、複雑に絡みあっている食物網(網目状に複雑に絡みあう「食う」「食われる」関係)は、環境の変化で変わりえますが、さまざまな時期に採取した生物を分析することで、食物網の変化を調べて環境問題に役立てることもできるんです」




また、同じ分子解析法でも、放射性同位体を使えば、生き物が暮らす「時間の流れ」さえも調べられる、と陀安さんは言う。これは、発掘された遺跡のように歴史年代の推定などでよく使われているものである。

「冷戦の時期、いくつかの国が大気核実験を行って、多量の放射性同位体を放出しましたが、この時からの放射性炭素同位体の減少レベルなどを測定することで、現在では炭素の流れの数年〜数十年の細かい年代がわかるようになりました。そのため、例えば、炭素が落ち葉や土壌の中をどのような経路で流れているのかもわかるようになり、それは温暖化問題を考える上で大きな示唆を与えることになると思います」


安定同位体や放射性同位体の分子解析法は、いまだ知られざる多様な生物の実態を解き明かしてくれるかもしれない。

(稗田和博)
Photo:中西真誠




たやす・いちろう
1969年生まれ。京都大学生態学研究センター准教授。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。総合地球環境学研究所研究部助手を経て、現職。安定同位体比の測定を通じて、通常の方法では見ることができない生態環境の変動やその機構の解明を行っている。