(2008年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 92号より)





水上宏明さんに聞く、金貸しの日本史から見える「お金のリテラシー」



著書『金貸しの日本史 (新潮新書)』で金貸しと借金を切り口に日本史を見直し、お金のリテラシーをテーマに講演活動も行う水上宏明さん(NPO法人 マネー・マネジメント・アソシエーション事務局長)。歴史から学ぶ、人とお金の抜き差しならない関係について聞いた。 





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くずしたお札が、すぐになくなる不思議。偉人たちも、お金に一喜一憂



「1万円札をくずすと、あっという間に財布の中身が減っていく。そんな気がしたこと、ありませんか?」

水上さんは、お金にまつわる話を、そんな問いから始める。

たしかに、いったん1万円札をくずしてしまうと、そこからお金の減りが早くなるように感じる。「何に使ったのだろう?」。そう思いながら、財布の中のわずかな小銭をなごり惜しげに眺めることが、しばしばある。

「それはね、国の施策だからなんですよ。5千円や千円にくずしたお金は、すぐに財布から出ていくようになっている。国が印刷した紙幣をよく見れば、そのメッセージがちゃんと載っています」と水上さんは意味ありげに話す。




それは、こういうことだ。

1万円札に印刷されている福沢諭吉。彼は、お酒をパーッと飲みに行く時でも、先に質屋に行って着物を売ってから出かけるような人だった。生涯、借金とは無縁だった人物だ。

一方、5千円札の樋口一葉は、若くして父親を亡くし、懸命に原稿を書いて生計を立てるも、無理がたたって24歳の若さで人生を閉じた薄幸の人。一生、借金生活から抜け出せなかった。千円札の野口英世にいたっては、残した業績もすごいが、破天荒ぶりも半端ではない。研究のために篤志家から捻出した支援金を豪遊で使い果たしてしまうなど、才能もあるが、借金の術にも長けた人だった。

借金と無縁だった福沢諭吉と、借金と縁が切れなかった5千円と千円札のふたり。

「つまり、国がお札に印刷した偉人のメッセージは、お金を貯めたいなら、とにかく福沢諭吉(1万円札)をくずすな、ということです」と水上さんは笑う。




それができるなら誰も苦労はしないし、身もふたもない話ではある。が、お札の偉人が国のメッセージかどうかは別としても、日本史に名を残す人たちでさえ、お金を警戒し、あるいは借金とともに生活があったことに違いはない。それほど人とお金は切っても切れない関係にあり、いつの時代も人はお金に泣き、笑い、一喜一憂してきた。

「個人だけではなく、国も同じ。貨幣の誕生以来、人の歴史は金貸しと借金にずっと振り回されてきたんです」と水上さんは続ける。




ギャンブルにはまった天武天皇。明治維新は、借金のおかげ?




金貸しは、お金の誕生とともに出現した、人類最古の職業といわれる。その金貸しと借金を切り口に日本史を見直した水上さんは、「こと借金という人間くさい問題については、昔も今の平成の世もほとんど変わっていない」と話す。

例えば、古代では、『日本書紀』に登場する天武天皇が日本最古の銭を使って、博戯という双六、つまりギャンブルにはまっていた記述がある。天平時代には、奈良の仏教寺院が受け取った喜捨をお金に換えて増やす高利貸しを始めている。利息をむさぼる僧侶のあまりの節度のなさに、天皇が不信感を露にした記述も残っており、水上さんは「奈良から京都への平安遷都(794年)は、高利貸しを始めた奈良の仏教寺院への不信感が原因ではなかったか」と推測する。


貨幣が末端まで行き届き始めた鎌倉・室町時代には、幕府が金詰りを起こし、借金をチャラにする徳政令に揺れた。特に政府公認の高利貸しが幕府の財政を支えていた室町時代には、借金返済に困った庶民がついに怒りを爆発させて、大規模な土一揆を起こした。それまで歴史の中で物言わぬ存在だった庶民の武装蜂起は、まさに金の恨みそのもの。幕府の屋台骨を揺るがすものだった。





そして、明治維新さえも、オカミの金詰まりが原因だった、と水上さんは話す。

「それまで長い間、各地を治めていた大名たちが、あっさりと朝廷に版籍奉還した背景には、全国114の藩の90%以上が金詰まり、つまり企業でいえば債務超過状態にあったからです。新政府はこの金詰まりを政府紙幣という、いくらでも印刷できる打ち出の小づちで解決しました。

また、新政府が民法よりも早く、真っ先に制定した法律が利息制限法ですから、それだけ金にまつわるもめ事が多かったということでしょう。日本を変えた明治という新しい時代は、借金のおかげで誕生したと言えるかもしれません」

後編に続く