part.2「路上生活者支援のあるべき「前提」、個室シェルター、閉庁期間の生活保障の担保」を読む

不十分な日本の住宅政策


稲葉:もやいの稲葉です。私からは、住まいの問題についてお話させていただきます。受付で住宅政策提案書を配らせていただきました。ビッグイシュー基金で委員会をつくりまして、生活困窮者をしているメンバー、住宅政策を研究している方と住まいの貧困について提案をまとめました。

提案書にも詳しく書いていますが、今回のプロジェクトでシェルターを利用した方を見ていると、住宅政策の貧困という課題が見えてくると思います。

冒頭でホームレスの3つの類型について説明をさせていただきましたが、A群とB群についていえば、まずは生活保護でカバーすべき人々だと考えられますが、ところが東京都内でこういった方々が申請をした場合、行政側は「施設に入ってください」と対応をします。

民間の業者が行っている貧困ビジネスのような施設に入れば、生活保護を受けられますと。しかし、そういった施設は衛生環境も悪く、相部屋だったり、そういった施設になじめなかったりするため、路上に戻っていく方がたくさんいらっしゃいます。

行政の統計によれば、ホームレスは多かった時期に比べて1/3に減っているそうですが、今残っている方はそういった集団生活をするなら路上の方がいい、と考えている方が多いです。そういったニーズに応えるような個室のシェルターが最低限必要だ、ということです。

今回はクラウドファンディングで集めましたが、民間支援には限界はありますので政府の責任で個室の施設を整備していく必要があると思っています。

また、民間のアパートに入るハードルが高いために、ネットカフェであったり24時間営業のファーストフード店ですごす、という方がかなりの数いらっしゃると思われます。

そういった方々向けの住宅政策はほとんど機能していないのが現状です。提案書では、様々な制度がありますが、それらがどのようにして「使えない」のかという点を説明しています。こうした住宅セーフティネットの重要性についてはひきつづき訴えていきたいと思います。



「ハウジングファースト」という考え方


中村:ふたたび中村です。「ハウジングファースト」というアメリカで始まった路上生活者の支援モデルを研修で学ばせていただいたので、それについて紹介させていただきます。

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ハウジングファーストとは、1990年代でアメリカではじまり、カナダ、フランス、スウェーデンなどで広く実践されている支援モデルです。名前の通り、まず、すぐに家に入ってもらう。本人が契約する個別アパートに入居してもらいます。利用者側がどんな生活をするか、どこに住むかというのを大切にする支援モデルになっています。

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シェルターへの不適応という話が紹介されていますが、一般的な支援のスタイルはアウトリーチで路上生活をしている方のところにいき、シェルターに行き、うまくいったら施設にいき、うまくいったらアパートに入る、というステップアップモデルでした。しかしこういったモデルではケアの必要な人ほど路上に取り残されるという問題があります。

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そこで、まずは家に入れようというアプローチが現れました。ホームレスの人が居宅に住むための準備期間が必要であると言う先入観を排して、恒常的な個別の住まいを即時提供し、それに加えてピアサポーターを含むサポートを行っています。

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そういったやり方をしたところ、費用対効果も良好ということもわかっています。

インタビューさせていただいた60代の男性は、統合失調症で8年前から支援団体を利用してアパート居住を開始しています。支援以前はベトナム戦争に行き、30年間ホームレスをしてきました。刑務所、精神科病院にいた期間も含みます。今はピアサポーターとして支援団体で働いています。

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50代の男性は双極性障害で、「今は社会に適応するために自分自身を助けていることに自分自身異誇りを思っています」ということでした。

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研修を終えてみたまとめです。ハウジングファーストは住まいを欠く方にまずアパートを提供し、利用者を中心に支援者やピアサポーター、行政が連携してサポートを行っています。このモデルには、日本でも参考にできる、すべき点が多くあると思います。


「ふとんで年越しプロジェクト」報告会レポート
1:年末年始の閉庁期間の生活困窮者、路上生活者を支援する
2:路上生活者支援のあるべき「前提」、個室シェルター、閉庁期間の生活保障の担保
3:不十分な日本の「住宅政策」と「ハウジングファースト」という考え方
4:山谷、池袋、渋谷でホームレスの人々はどのように年を越えたのか:越年越冬活動・現場からの報告
5:ボランティア医師・看護師が見た、年末年始の路上生活者支援の現状
6:路上生活者支援の新たなキーワード「ハームリダクション」「ハウジングファースト」「ネットワーク」
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こんにちは、ビッグイシュー・オンライン編集部のイケダです。最新号235号より、読みどころをピックアップいたします。

大切な人の死にどのようにして向き合うか:「グリーフサポート」の最前線


個人的にたいへん興味深かったのが、特集「いのちの時間—グリーフサポートの現場」。

「グリーフサポート」という言葉は耳慣れないかもしれません。「grief(グリーフ)」は、大切な人と死別する際に生まれる様々な感情を指す英単語です。235号の特集では、大切な人との別れに伴う感情をケアするための活動が紹介されています。

紙面でまずはじめに登場するのは「子どもグリーフサポートステーション(CGSS)」の西田正弘さん。彼らは主に親を亡くした子ども向けのグリーフサポートを行っています。

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プログラムは複数用意されており、紙面では月に2回開催する日帰りの「ワンデイプログラム」が詳しく紹介されています。

ワンデイプログラムは、大切な人を亡くした子どもたちが集まって、子どもたちどうしや「ファシリテーター」と呼ばれるお兄さん・お姉さん、おじちゃん、おばちゃんたちと一緒にお話をしたり、身体を動かしたり、ゲームをしたり、絵を描いたり…自分の好きな遊びをして過ごします。

日帰りグリーフプログラム「ワンデイプログラム」 | NPO法人 子どもグリーフサポートステーション


CGSSは他にも「高校生プログラム」「グリーフキャンプ」、保護者同士がグリーフを分かち合う「保護者のプログラム」も開催しています。

「現代の資本主義社会は効率やスピード、成果ばかりを優先している。だからこそ気のおけない人と話したり、絵を描いたり、詩を書いたりする、"自分の気持ちを大事にする時間"が必要で、僕らはそれを"いのちの時間"と呼んでいます。」(西田正弘さん)


紙面では他にも自死遺族向けのグリーフサポートを提供する、一般社団法人「リヴオン」の活動が紹介されています。彼らは毎月第三日曜日に、「つどいば」という若者同士の対話の場を運営しています。代表の尾角照美さんは次のように語っています。

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「進学、就職、結婚、出産と、人生の節目をこれから経験していく若者の必要とする支援は、年齢層の高い遺族とはまた違ったものが必要になります」

「震災で親を亡くした子と自殺で親を亡くした子、どちらがつらいのかといった場合、本当は比べられないはずで、平等に支援されるべきです。さらに、自殺には偏見が伴うため、自死遺児の家庭は支援につながりにくいのが現状です」


その他、紙面では「看取り」を撮り続けてきたフォトジャーナリストの國森康弘さん、批評家の若松英輔さんのインタビューが掲載されています。「グリーフサポート」という珍しい切り口の特集となっておりますので、気になる方はぜひ手に取ってみてください。


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なお、最新号情報は無料メールマガジンでも送付しておりますので、ぜひこちらもあわせてご購読ください。



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part.1「年末年始の閉庁期間の生活困窮者、路上生活者を支援する」を読む

行政ではできない支援を民間で


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大西:相談から見えてきたことをお話しさせていただきます。今回のプロジェクトでは、しがらみがない民間で、行政ができないことをやろうと考えました。

行政の支援は、複数人部屋のシェルターが基本で、住環境が劣悪であるケースがあります。某Y寮は10人部屋が当たり前、T区に申請に行くとナンキン虫がうじゃうじゃいる遠方の寮に入寮することになります。生活保護制度をつかっても劣悪な住環境で過ごさなくてはいけないので、これなら路上の方がいい、という方も出てきてしまいます。

また、見えづらい障害を持っている人が多いにも関わらず、専門的な相談支援を行うことができていません。水際作戦といわれますが、そういった方々を追い返してしまうこともあります。ゆえに、信頼関係の構築が行えていません。

何かのトラブル、たとえばアルコール依存の方がお酒を飲んでしまったときに、「自己責任」と捉えられることもあります。これは本来支援の不足なんです。

行政の支援は「就労自立」をゴールに設定しているので、住み込みの仕事に送り込んでいます。そうなると、不安定な仕事が中心になってしまい、路上の方がマシだ、と思ってしまう懸念もあります。

現状の行政支援という点では、支援のレベルが「生存を担保する」ところまでで、「生活していく」ことにつながっていません。また、当事者支援の支援団体と連携ができていないのも課題のひとつです。

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われわれは逆のことをしようと考えて、まずは個室のシェルターを用意しました。それから、相談支援として各団体から協力をして、医療者と生活相談チームでユニットを作りました。各地で信頼を得ている団体にお手伝いをするかたちで行っています。

また、支援できないと思われるような人であっても、積極的に受け入れました。いなくなってしまうんじゃないか、お金を渡すとパチンコにいくんじゃないか、最悪路上に帰ってもいい、という前提でできることをやっていきました。

なぜこうした支援が可能だったか、ひとつには、クラウドファンディングでの経済的な支援をいただいたことです。本当にありがとうございました。もうひとつは、路上生活者支援において史上初だと思いますが、しがらみがないかたちで各団体が連携できたことです。


路上生活者支援の「前提」を整える


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大西:まとめに入っていこうと思います。まず「前提」を整えることが大切です。

ひとつめは「個室シェルター」の整備です。複数人部屋、雑魚寝だと嫌だという人は多いです。手を伸ばしたらまったく知らない人に当たるというのは、誰でも嫌ですよね。また、シェルターにずっといることはできないので、早期のアパート入居への支援も必要になってきます。

もうひとつ目は「年末年始や夜間休日の生活保障の担保」です。この社会に生きている以上、いつ生活困窮するかなどはわからないわけです。もちろん夜中に公務員の人が何人も待機しているべきだと思いませんが、少なくとも生活保護に関しては夜間の受理だけでも実施し、早期の支援につなげていくべきかと思います。

また、定期的に「9時5時ではない柔軟な時間帯の相談窓口」を設置したり、困窮している人を単に待つのではなくて、「職員が路上に出て支援をおこなう体制作り」を行うべきです。

また、住み込みの就労というのは不安定な状態になってしまうので、「住まいの安定」というものも考える必要があるのではないでしょうか。こういったことを政府や自治体に求めていこうと思っています。

われわれとしては、再度、厚労省に対して交渉の機会を持とうと思っています。これを毎年民間の善意でやっていくというのは大変なので、国や自治体が何らかの責任を持ってやる体制、制度をつくるために動いていきます。

こういった活動を通年で全国でおこなえば、日本の貧困問題は解決するかもしれない。ということでぼくからの報告を終わらせていただきます。


「ふとんで年越しプロジェクト」報告会レポート
1:年末年始の閉庁期間の生活困窮者、路上生活者を支援する
2:路上生活者支援のあるべき「前提」、個室シェルター、閉庁期間の生活保障の担保
3:不十分な日本の「住宅政策」と「ハウジングファースト」という考え方
4:山谷、池袋、渋谷でホームレスの人々はどのように年を越えたのか:越年越冬活動・現場からの報告
5:ボランティア医師・看護師が見た、年末年始の路上生活者支援の現状
6:路上生活者支援の新たなキーワード「ハームリダクション」「ハウジングファースト」「ネットワーク」
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ビッグイシュー・オンライン編集部のイケダです。年末年始に行われた「ふとんで年越しプロジェクト」報告会を取材してきましたので、レポートをアップいたします。

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松山:司会を務めさせていただきます、松山と申します。みなさんありがとうございます。報告会を開かせていただきます。これから2時間ほど、活動の報告や今後の展望についてご報告していきたいと思います。

長かった2013年の年越し


稲葉:みなさんこんばんは、もやいの稲葉です。本プロジェクトは、クラウドファンディングをはじめ、様々なかたちで寄付金、カンパをいただきました。心より御礼を申し上げます。寄付だけではなく、様々な方々から情報の拡散などをしていただきました。本当にありがとうございました。

そもそもなぜこんな企画を始めたかと言うと、年末年始というのは路上者支援をしている人間に取っては特別な時期です。普段ですと、生活に困っている方が役所や福祉事務所に行けますが、年末年始は窓口が閉まってしまいます。

野宿されている方々は日雇い派遣などで働いていますが、そうした仕事も休みに入ってしまい、現金収入がなくなってしまいます。東京では、山谷地域では1980年代から、その他の地域では1990年代から、年末年始になると越年越冬ということで連日の炊き出しや夜回りを行ってきた経緯があります。

そうしたなかで、2013年から2014年の年末は閉庁期間がたいへん長かった、という事情があります。時間で言うと232時間も役所がしまってしまう、これは何かしないとまずいだろうと、それぞれの団体で話し合い、ネットワークを組むことで解決できないかということを考えたのが、そもそものきっかけになります。

2009年、2010年には行政が動いた過去もありましたので、今回は厚労省にも申し立てを行いました。行政に働きかけるだけではなく、自分たちでできることをやろうと、クラウドファンディングでカンパを集めて、ビジネスホテルを十数部屋借りて、宿泊支援などを行いました。

そうした活動を通して見えてきた課題について、各団体からご報告をさせていただきます。本日はよろしくお願いいたします。


要望を出したが、国はゼロ回答


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大西:こんにちは、もやいの大西です。稲葉の方からもご説明がありましたが、そもそも2013年の年末年始は閉庁期間が異例の9日間でした。普段はだいたい5〜6日です。役所が閉まってしまうと公的な支援を得ることが難しくなり、生活に困った方が支援を利用できなくなってしまいます。

通常は民間の支援団体が補完するかたちで炊き出しをする、夜回りをする、シェルターを用意する、といった取り組みをしていますが、9日間となるとやる方も大変です。炊き出しだけでも5,000〜6,000食になってしまいます。支援団体で連携できないかということでプロジェクトを始めました。

まず政府や自治体に対して要望をしよう、ということで以下の4点を求めました。

①閉庁期間中にも生活保護申請を受けつけること。
②閉庁期間中、必要に応じて宿泊場所や食事の提供、またはその費用の給付・貸付等を行うこと。
③上記の施策を適切に利用できるように発信、広報すること。
④上記の施策を適切に行うように各自治体に周知徹底すること。

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これらの要望に対して、政府としては

・閉庁期間前に生活困窮者を捕捉できるようにとの通知を出した
・閉庁期間中にも生活保護申請は原則として可能である
・各自治体については国は特に把握していない
・国としては閉庁期間中の対策は考えていない

という、基本的には「ゼロ回答」でした。収穫ということでは、閉庁期間中にも生活保護を受け付けるという回答があらためて得られた点でしょうか。実際に、東京都では夜間休日窓口での申請が受理されています。

また、厚労省は対策の必要性を認めています。必要性はあるけれど、基本は自治体にお任せしているので、今回は自治体としてはやらない、ということでした。「必要性は認める」というのは一歩前進だと思っています。


民間でできることをやる


大西:ふとんプロジェクトとしては、われわれでできる範囲のことを、われわれでやろうということを考えました。

まずは、各地の取り組みの後方支援を行いました。年末年始の前のビラまきなどのお手伝い、年末年始に関しては、それぞれの団体のよさ、個性をつぶさないように、生活・医療相談チームを結成しました。また、クラウドファンディングにより、個室のシェルターを20室設営しました。

国がやってくれないということで、自分たちができることを繋ぎ合わせて、切れ目のないサポート体制を構築して年末年始に望みました。

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ここからは相談者の概況です。シェルター利用者は約20人で、平均年齢は46.2歳です。今回は、ご協力いただける相談者の方からかなり詳細な聞き取りを行いました。

・A群は長期路上層(病気や障害があり支援につながりづらい)
・B群は路上と支援を行き来している層(病気や障害により支援につながってもうまくいかない、既存の支援のメニューが不十分で支えきれない)
・C群は不安定就労&不安定住居層(若年層が多く就労は可能でも不安定な住まいと不安定な就労形体から抜け出せずにいる)

と分けていますが、これは国が分けている区分けでもあります。それぞれについて事例をまとめながらご紹介したいと思います。


わかりにくい困難を抱えている路上生活者も


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大西:A群の方は、公園や駅などでテント生活をしているなどです。個人情報があるので少し情報を変えていますが、お一人は40代で、20代から路上生活をしています。アルコール性の肝硬変があり、非常に体調が悪いそうです。困難さとしては、軽度知的障害やアルコール依存症の疑いがあり、支援や行政機関に対する抵抗感をお持ちです。

もうお一人は50代で、10年以上、路上生活をしています。やはり知的障害やアルコール依存症などわかりにくい困難を抱えています。

これらの障害は見た目ではわからないので、これまで周りの人が気付くことができなかったのではないか、またそういった困難さをお持ちであるがゆえに、支援につながったとしてもトラブルになってしまったり、それが原因で不信感が芽生えたり、結局自己責任に追いやられて孤立してしまったり、ということがあるのかと思います。重篤な疾患を持っていても、見過ごされてきた方も多かったです。

長期路上層は「路上に帰りたい」という人も一定数いますが、丁寧に寄り添いながら信頼関係を構築することで、医療機関につながったり、本人が望む支援がありえるのではないかと思います。


長い目の支援が必要


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大西:B群についてもお話します。お一人の方は30代で重度のうつやPTSDがあり、暴力にさらされてきた方です。支援を得ても、安定する前に飛び出してしまう、ということでした。

50代の方は統合失調症を10代から発症していて、入院歴や自殺未遂が複数回あります。複数人部屋は周りの目が気になり、狭い部屋はパニック状態になる方です。医療機関を受診できていません。

80代の方は20年ほど生活保護や路上を転々としています。軽度認知症の疑いがあります。

この方々は、国も支援が難しい層と定義しています。彼らの困難さ、特に医療的な支援については、「自ら失踪した」と思われてしまいます。この方々もA群と同じように、一緒に寄り添いながら、失敗しても、長い目で支援をしていくことが求められると思います。


若くて就労もできる路上生活者層も


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大西:最後にC群の方々について。お一人目は30代で、難病があって病気のために安定した職に就けない、という方でした。

お二人目は40代で、派遣で就労中で月収18万円とのことです。現在ネットカフェにて生活をしていて、年末年始は仕事がない。ネットカフェは日々の生活にお金が掛かるので、そこから抜け出すことができなくて困窮しているわけです。また、有給を取ることが難しく、相談にいくことができないとのことです。

この方の場合は労働問題なのですが、「せっかくの仕事なので職場とトラブルになりたくない」とのことでした。こういう方に合わせて、夜間にも相談を受け付けるようにするなどのマイナーチェンジが必要だと思います。

3人目の方は40代で、養父母に育てられて、児童養護施設入所歴もあります。住み込みの仕事を転々としていますが、年を重ねるにつれて仕事が見つからなくなっている、とのことです。

これらの方は年齢も若く就労も可能ですが、安定した雇用・住居にたどり着くことができていません。これらは労働問題、雇用問題と密接に結びついています。今申し上げた通り、有給を本来は取れますが、なかなか取ることができないという方もいらっしゃいました。

月収18万円だと自立しているという枠組みになってしまい、生活保護はもらえません。生活に困窮していても、就労自立しているということで制度の捕捉されません。収入ではなく、住まいの状況なども鑑みる必要があると思います。

「ふとんで年越しプロジェクト」報告会レポート
1:年末年始の閉庁期間の生活困窮者、路上生活者を支援する
2:路上生活者支援のあるべき「前提」、個室シェルター、閉庁期間の生活保障の担保
3:不十分な日本の「住宅政策」と「ハウジングファースト」という考え方
4:山谷、池袋、渋谷でホームレスの人々はどのように年を越えたのか:越年越冬活動・現場からの報告
5:ボランティア医師・看護師が見た、年末年始の路上生活者支援の現状
6:路上生活者支援の新たなキーワード「ハームリダクション」「ハウジングファースト」「ネットワーク」
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3月15日発売のビッグイシュー日本版235号のご紹介です。

特集 いのちの時間―グリーフサポートの現場
人は大切な人との死別によって、悲しみや後悔、絶望、無力、愛しさなど、さまざまな思い(グリーフ)に突き落とされます。そんな時、誰もが悲しみを癒やす手がかりを切実に求めるのではないでしょうか。
2005年、日本は誕生より亡くなる人が多い「多死社会」を迎えました。東日本大震災では10万人の人々が家族を亡くしたといわれます。
そんななか、自分自身が経験したグリーフと向き合い、他者のグリーフを支え続ける人たちがいます。
12歳の時に交通事故で父親を亡くし、現在は宮城県仙台で「子どもグリーフサポートステーション」の代表を務める西田正弘さん。自死遺族の一人として、若者のつどい場をつくる「リヴオン」代表の尾角光美さん。日本で「看取り」の現場を取材し続ける、フォトジャーナリストの國森康弘さん。伴侶を亡くした後、その経験から古今東西の本を読み続ける批評家の若松英輔さん。
今、グリーフと向き合う4人のみなさんを通して、私たちの「いのちの時間」を考えたい。

スペシャルインタビュー ゲイリー・オールドマン
演じた役柄は、大統領の容疑者、ドラキュラ伯爵、狂気の魔法使いに冷徹なスパイ……。多くの同業者から「現代最高の俳優」と称えられるゲイリー・オールドマンが、人生最高の思い出、繊細過ぎた10代、意外な特技を語ります。

国際記事 「スペシャリスタナ」。発達障害の人の就労を支援する社会的企業
企業が、発達障害のある人たちを雇う利点に気がつき始めました。デンマークにはじまり、欧米10ヵ国に広がる社会的企業「スペシャリスタナ」がそれを後押ししています。

ビッグイシューアイ 『トークバック 沈黙を破る女たち』坂上香監督
HIV陽性者と元受刑者の女性たちが、演劇を通して自らの過去と向き合う姿を追ったドキュメンタリー『トークバック 沈黙を破る女たち』。8年の歳月をかけて制作した坂上監督は、「どんなにつらい過去でも乗り越え、生き直せることを伝えたかった」と話します。


この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。

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(2013年12月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 228号より)


原発事故は政府・東電による公害。福島市で7千人の脱原発集会



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「私たちの宝物である子どもたちを、命を守るために、原発はもういらない!」

福島市の荒川運動公園で11月2日、脱原発集会とデモ「なくせ!原発 安心して住み続けられる福島を!」が開催され、好天の下、全国から約7千人が参加。ステージでの集会の後、福島市内を2コースに分かれてデモ行進した。

会場では、生業訴訟の原告団や損害賠償を求める被災者らとの交流ブース、飯舘村や浪江町など放射能汚染で避難している住民によるおにぎりや焼きそばの販売コーナーが登場。参加者と被災者が交流しながら、原発事故で失われたものの大きさ、深刻さとともに、同じ被害を二度と生まないため、「福島県内すべての原発廃炉」に向けて声を上げた。

集会で呼びかけ人の早川篤雄さん(楢葉町/宝鏡寺住職)は「原発事故は人災であり、国策と言って推進した政府、事業者の東京電力が起こした原発公害。政府と東電に完全賠償を求め、県内10基すべての廃炉は県民の総意だ。安心して福島県に住み続けられるよう、実現を求めていく」とあいさつ。

ミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)も「福島のみなさんの苦しみはほとんど知られていないのではないか。毎週金曜日のデモで、原発はいらないという意思を可視化し、収束宣言の撤回を政府に申し入れしているが、一刻も早い廃炉を実現しなければならない」と訴えた。金子恵美さん(民主党福島県連特別常任)、市田忠義さん(共産党書記局長)があいさつ。自転車に乗って平和を訴える「ピーチャリ部隊」の若者グループや福島市内で毎週金曜日街頭活動をしている「ふくしまSMILe(すまいる)プロジェクト」、ふくしま復興協働センター子どもチームなどがそれぞれ脱原発を訴えた。

茨城県取手市から参加した海老原文隆さんは「原発は廃炉にしてもらいたい。だが、廃炉作業は技術的にも難しいと聞いている。原発に近いところに住んでいた方の避難生活が長引いていることも心配」と話した。埼玉県所沢市から訪れた水野きみ子さん、岡田尋子さんは「福島原発のような事故は二度と起こしてはならない。事故後から何かボランティアをしたかったが、身体の具合などもあって参加できなかった。今回はイベントに参加することで、被災した方々を応援したいと思って来た。お母さんたちの切実な声を聞き、『子どもたちを安心して育てられる環境づくり』の重要性と、こうして声を上げることの大切さを痛感した」と語った。

(文と写真 藍原寛子)
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(2012年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 199号より)

「普通であること」が 認められるオランダ。 これからもここで暮らしたい—アムステルダム『Z!』誌販売者、パンチョさん



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オランダの首都、アムステルダム。人口の約半数は非オランダ人というだけあって、露店には世界各国の野菜がそろっていたり、一つ角を曲がるとエスニック料理の香りがしたりと、街並みからもさまざまな文化が垣間見える。

『Z!』は、この地で95年から販売されているストリートマガジン。同誌のコーディネーター、ユルン・デ・ローイさんは話す。「『Z!』の販売者のうち、オランダ国籍をもつ人が25%、残りの75%は移民です。その内訳は、約55%は欧州連合(EU)、25%が東欧諸国、15%が北アフリカ諸国(主にモロッコ、チュニジア、エジプト)、5%がその他の国々。移民の90%はいわゆる不法滞在者です」

アムステルダム東部は古くから移民色の強い地域だ。ブルガリア出身のパンチョさん(35歳)はそのイーストエンドにほど近いワーテルグラーフスメアー(Watergraafsmeer)地区、ヘルモルツ・ストリートにあるスーパーマーケット「アルバートヘイン」前で販売している。

「普通の生活がしたい、ただそれだけの思いでオランダに来たんだ」と話すパンチョさんが販売者となったのは、昨年の6月。半年間『Z!』販売をしたが、目に異常を感じたため、治療を兼ねて半年間ブルガリアに帰国。そして、今年の6月から再び『Z!』の販売者として復帰した。

「『Z!』を買う買わないにかかわらず、興味をもって話しかけてくれる人たちがいるおかげで、精神的に支援されているよ。以前の担当場所は大型複合施設の前だったんだけど、そこに父子連れが新しい自転車を買いにきて、古い自転車を僕にくれたのはうれしかったなぁ」

パンチョさんはブルガリアの黒海に面した有名なリゾート地、ポモリエで生まれたという。彼が2歳の時、父親が酒に溺れて愛人をつくり、家出。それから、数学の教師だった母親と、母一人子一人の生活が始まる。当時のブルガリアは、共産党による一党独裁制の社会主義国。1989年にベルリンの壁が崩壊するまで、その体制は続いた。

幼い頃からチェスが好きだったパンチョさんは、趣味がこうじて、子どもたちにチェスを教える仕事をしていた。だが、自宅から次々に物を盗まれる事件が発生。盗難は何度も繰り返された。たぶん知り合いの男性による犯行と見当もついていたのだが、警察もグルになっており、たまり兼ねて裁判を起こすことを決意。だが裁判所からは、その前に医師の診察が必要だと通告を受けた。

医者に行くと、そのまま精神科病院に3ヵ月半入院させられたというパンチョさん。退院後、再度裁判を起こそうとしたが、精神病患者には起訴する資格がないと裁判所に訴えを却下された。絶望したパンチョさんはこのことを契機に、故郷を離れる決意をしたという。

オランダに来てからはチェスの仕事を探すが見つからず、ナイトショップ(深夜営業の個人商店)で職を得るが、労働許可書がないという理由で解雇され、職を転々としていた。所持金が尽きた時、知人から『Z!』の話を聞き、今すぐ仕事を始めたいという思いで事務所を訪れた。

「初めて『Z!』を販売しはじめた頃は、人からどう思われるのかがずっと気になっていたんだ。それに比べると、今はずいぶんリラックスして、『Z!』を売ることが誇りに思えるようになったよ」

「書くことが好きだから、将来はポモリエでの生活や交友関係から始まり、オランダに移住してからの生活や、ここで出会ったブルガリア移民たちの話も書きたいな。実はずっと書き溜めていたものがあったんだけど、この間、鞄を盗まれちゃって全部なくなっちゃったんだ。でも、僕の頭にはストーリーは残っているから大丈夫」といたずらっ子のように微笑む。

ブルガリア語、セルビア語、ポーランド語、チェコ語、英語、そしてブルガリアの社会主義国時代に必須だったというロシア語を巧みに話し、現在はオランダ語を学んでいるというパンチョさん。人と話をすることが何より楽しみで、休みの日は公園やカフェで見知らぬ人に声をかけてチェスをしているという。これからも、「普通であること」が認められるオランダで暮らしたいと笑顔で話してくれた。

(写真と文 タケトモコ)

『Z!』
1冊の値段/2ユーロ(約197円)、そのうち 90セント(約88.7円)が販売者の収入に。
販売回数/2週間に1回
発行部数/1回につき1万2000部
販売場所/アムステルダム
http://www.zetkrant.nl/
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(2013年10月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 225号より)

今も生きている牛たち。原発から14キロ、牛を殺処分しない「希望の牧場」



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「経済優先で、命が切り捨てられていいのか。いや、命をつないでいかねばならない。これはベコ屋(畜産家)としての意地だ」

東京電力福島第一原発から14キロの浪江町、旧・警戒区域にある和牛繁殖と肥育のエム牧場・浪江農場(希望の牧場)。国が決めた牛の殺処分に反対し、現在も同農場で「ベコ屋」を続ける農場長の吉沢正巳さんの講演会が、9月14日、福島市のコラッセふくしまで開かれた。

吉沢さんは原発事故後、友人や支援者と非営利一般社団法人「希望の牧場ふくしま」プロジェクトを発足。畜産を継続しながら、見学者の受け入れ、講演会、大学や研究機関による牛の被曝調査への協力などで、今回の原発事故で失われた人々の生活や、さまざまな命の問題を訴えている。9月14日から16日まで、同会場で牧場の写真展も開催された。

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「希望の牧場」は、福島第一原発の排気塔が見える場所に位置しており、2011年3月12日の最初の原発爆発前には、福島県警の通信部隊に災害映像中継基地として場所を提供した。その夕方、県警は「国は情報を隠しているから、牧場にいない方がいい」と言い残して撤退した。吉沢さんは「牛がいるのに牧場を離れられない」と牛とともに牧場に残るなかで、3月14日には3号機の爆発音を2度聞いた。

被災時330頭の牛がいたが、牧場経営の村田淳社長が「全部終わりだ」と話すのを聞き、立っていられないほどの失望感を抱いたという。

間もなくして、「東電が原発から撤退する」と聞き、3月18日から1週間、軽トラックで上京し、東電を訪ね、原発周辺の高線量地域に家畜や人間が食料も水もままならないなかで取り残されている現状を訴えた。

5月、国は地元自治体に対して警戒区域内の家畜の殺処分を指示したが、吉沢さんら牧場関係者は殺処分に同意しなかった。今も13軒の畜産農家が残された牛の肥育を続けている。

「牛たちは被曝して移動も出荷もできず、『売り物ではなくなった。経済的に価値がなくなった』とされている。しかし、牛たちは今も生きている。そして私たちは餌を与えている。原発事故の中で命をどう考えるか。私自身、今までも考えてきたし、今も悩んでいる」と苦悩を語った。

そして「東京では福島で作った電気を使い、福島の犠牲の上で成り立っているのに、何も考えない人が多すぎる。しかし、東京の人と福島の人が一緒にこれからを考え、希望に向かって進んでいきたい。希望の牧場は、『絶望のために生きるのではない。希望のために生きようよ』と思える場所にしていきたい」と訴えた。

(文と写真 藍原寛子)
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(2013年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 229号より)

オーガニックマーケット。作る人と食べる人がともに食を考えた



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(こたつを囲んで、生産者と消費者が語り合った「ふくしま有機農業女性の会」ブース)

東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、農地が汚染された福島県。食や農産物の安全と安心を考えようと、有機農業者やその加工品の生産者、そして消費者などが参加した「ふくしまオーガニックフェスタ2013」が11月23日、郡山市で開かれた。

福島県や周辺地域などでは、農業者団体や行政によって、放射能測定器で農地や農作物の汚染度を測ってから栽培、収穫、販売することや、できる限り数値をゼロに近づけるための取り組みが続いている。今回のイベントの目的は、「子どもたちの生命と健康を守りながら、地域コミュニティを大切にした食と農のありかたはどのようなものかを、生産者と消費者が一緒に考えたい」というもの。

屋外のマーケットエリアでは、有機農業、自然農業で生産した農作物を販売する「オーガニックマーケット」のテントがずらりと登場。テントの前で足を止める来場者に、生産者が直接、農作物の栽培の様子や土づくり、作物の特徴、放射能測定の重要性を紹介しながら、有機野菜の販売や情報交換が行われた。

「ふくしま有機農業女性の会」(福島県二本松市)は、会場のブースにこたつを設置し、女性の会のメンバーと来場者ら12〜13人が一緒にこたつに入り、福島の農業や農業者が抱える課題について対話するイベントを企画。

福島の農業者の女性は「放射能の影響がどうしようもないという時、首都圏の消費者の方から声をかけてもらって元気が出た。課題を共有し、これからどのような農業を目指していったらいいのか話し合いたい」。首都圏から駆けつけた大学生の女性は「農業を応援したいという思いがずっとあった。こうして農家の方と直接お話ができてよかった」と語り、参加者の男性も「こうして生産者と消費者が顔を合わせて話をすることが、とても大事」と話した。

友人と来場した恵泉女学園大学(東京都)の西川しおりさん(大学3年)は「震災後、被災地を応援するということで、大学でオーガニックカフェを続けてきた。会場で、世田谷の『ふくしまオルガン堂下北沢』の方や農家の方とお会いし、有機農業についてより深く考えることができてよかった」と笑顔で語った。

(文と写真 藍原寛子)
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