(2008年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第102号より)

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働く者の不幸を深めた、日本特有の雇用慣行



「不幸な偶然」と「不可逆的な趨勢」によって日本経済がドラスティックに変化する一方、日本は社員を大事に抱え込む従来の日本的雇用モデルを一部に温存したまま、それを補うかたちで外部に両極端ともいえる膨大な非正社員の世界をつくり出した。本田さんは、この3つ目の日本特有の問題が、日本の働く者の不幸を一層深める要因になった、と指摘する。

「つまり、日本の正社員と非正社員というのは、まったく違った原理で成り立っている別世界なわけです。たとえば日本の正社員は、自分が専門的に担うジョブがはっきりしておらず、雇用された途端に、企業に与えられた包括的人事権によって転勤や職種転換など、自由に動かされる立場にあります。これを『メンバーシップwithoutジョブ』と呼んでいるんですが、雇ってもらってメンバーに入れてもらう代わりに、何でもしますという状況です。そのことが、長時間労働や過重なノルマによって、精神が病むほどに働かされる原因にもなっています。

一方、非正社員はこれとは正反対の『ジョブwithoutメンバーシップ』になっている。その人が担うべき固定的なジョブは一応あるが、そのジョブは、たとえば工場労働で未加工の部品を出したり、入れたりするような、もうジョブにも値しないような単調な作業であって、そこからスキルの幅を広げたり、難しい仕事にステップアップしていくような配慮はなされないんです。つまり、ジョブはあるが、メンバーシップはないに等しい。まるで機械のアーム1本のような扱い方をされながら、場合によっては生存さえ危ぶまれるような過酷な労働条件に置かれている」

「日本では、この両極端の世界がまったく別の原理で併存しているばかりか、お互いが奇妙に補強しあうかたちで成り立ってしまっています。正社員には非正社員の世界に落ちる恐怖を、非正社員には正社員の世界にステップアップできる期待を抱かせながら、それぞれに過酷な労働を強いる結果につながっているわけです」


日本は、生き残ったアンモナイト。必要なのは、ほどほどのメンバーシップとほどほどのジョブ



他の先進国と比べて、日本の若年労働市場の変化は遅く急激に訪れたために、労働市場慣行や制度の適応が追いついてこなかった。そればかりか、日本的な精神論を伴った「若者バッシング」によって、若者を二重に排除するという結果も招いてきた。本田さんには、そんな日本が先進国の中では特異な国に見える。

「他の先進国は環境変化に適応して、それなりに社会システムや制度設計を変化させ、変異を遂げながらやってきているのに、日本は生き残ってしまったアンモナイトのようなところがあって、制度的に発展途上国の特徴を引きずったまま、集団の団結ややる気みたいなもので、無理に環境変化を乗りこえてしまった。でも、もうこれ以上、その無理はききませんよ、というのが90年代以降に顕在化している問題だと思います」

本田さんは、若者を排除しない包摂型社会をつくっていくには、現在、両極端の原理によって成立している正社員の世界と非正社員の世界をともに歩み寄らせることが必要だ、と話す。   

「私は、『ほどほどのメンバーシップwithほどほどのジョブwithほどほどのパブリック・セーフティネット』と言っているのですが、今のようにメンバーシップかジョブのいずれかが欠けているような両極端の原理ではなく、もっと生身の人間が耐えうるような中間の原理に変える必要があると思っているんです」

「企業のメンバーシップは、学校のメンバーから間をあけずに企業のメンバーにならなければ、なかなか正社員の世界に入れないのが現状ですから、企業を誘導するかたちで、これを緩める。その上で、学校教育の段階から、希望する仕事の専門性を高めるなどの教育を行い、企業のやりたい放題に使いまわされないように個々のジョブの輪郭をはっきりさせる。他の多くの先進諸国では職種別の労働市場があるように、日本でもそのジョブの専門性を通じて正社員の世界に入っていけるように、自分のキャリアのコントロール権を取り戻すことが必要です。

そして、今までは日本ではまったく行われていなかった若者全般に対する社会保障を、住宅補助なども含めて手厚くしていく。私はそうすることでしか活路は開けないと思っています」

(稗田和博)
Photos:浅野カズヤ

ほんだ・ゆき
1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科准教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得退学。博士(教育学)。日本労働研究機構研究員、東京大学社会科学研究所助教授を経て、現職。専門は、教育社会学。著書に『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』(東京大学出版会)、『多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13』(NTT出版)、『軋む社会 教育・仕事・若者の現在』(双風舎)など。共著に『「ニート」って言うな! (光文社新書)』(光文社新書)、『若者の労働と生活世界―彼らはどんな現実を生きているか』(大月書店)など。




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ビッグイシューについて

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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。


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(2008年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第102号より)

メンバーシップも、仕事も、社会も。「偶然」「趨勢」「慣行」がつくった若者の悲劇をこえる



若者と仕事を取り巻く問題が大きな社会問題となっているが、その状況はいまだ改善されず、若年労働市場でいったい何が起きているのかも明らかになっていない。
気鋭の教育社会学者である本田由紀さん(東京大学准教授)が語る、若年労働市場を襲った悲劇の全貌と、目指すべき社会構想。


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現実と言説による二重の排除。悲劇は景気循環でも、若者のせいでもなかった



「これでは、あまりにひどすぎるじゃないか」

いま、そんな若者の切実な叫び声が、いたるところで上がっている。ある派遣社員は工場で命綱さえ持たせてもらえない状況に憤り、就職氷河期に社会に出た者は30代半ばを過ぎ、安定雇用どころか、不安定な仕事にすら就けない絶望を前に、窮状を訴える。

かつて、労働市場では相対的に有利な立場にあった若者。その存在は、未来を担うべき社会的な財産として扱われていたはずである。それが、いったいなぜ、こんなことになってしまったのか。まずは、この疑問がこの話の出発点である。

本田由紀さんは、複雑にからみあった糸をひとつずつ解きほぐすように話し出す。

「若年労働市場の問題は、90年代に入って、音を立てて崩れるように大きく変化してきたのですが、なぜそうなったのかということについては、ずいぶんと長い間、表層的で安易な説明がなされてきました。最も支配的だったのは、若者の労働意欲や努力が低下したから、フリーターやニートが増えたのだという説明です。つまり、社会の側に原因を求めるのではなく、若者の働く意識や心理といった内面の問題にフォーカスして、メディアを中心に『働かない、甘えた、ぜいたくな若者が現れた』といった指摘がなされてきたわけです」

「これと並行して、政府や経済界では景気循環だけに原因を求める考え方が主流を占めていました。『今は不況であって、このつらい時期を耐え忍べば、また80年代のようなジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた状況に戻るから、そのためには企業のやりやすいようにさせてあげて、景気がまた回復すれば、労働者にも恩恵が返ってくるのだ』といわれていたのです。しかし、いざなぎ越えといわれる景気回復で明らかになってきたのは、どうも景気の循環だけで説明できるものではなく、若者の労働意識のせいでもなかったということでした」

景気が回復した05年以降は、確かに新規大卒者の求人がバブル期並みとなり、一見すると若年労働市場は回復しているかにみえる。が、派遣社員、それにフリーターの定義から外れる35歳以上も含めた非正社員全体の数は、依然として増加傾向をたどり、また労働者の賃金上昇も過去の景気回復期とは比較にならないほど、わずかにとどまっている。

「さまざまな指標からわかるのは、若者の排除の実態には変化がないということです。むしろ、正社員の労働条件に悪化の兆しがあることを考えると、絶えず排除される若者を生み出す社会的構造が強化されていると言ってもいい。そうした厳しい現実面での排除に加えて、日本の社会では言説の面でも若者をおとしめ、彼らを二重の面で排除してきました。こうした表層的で誤った説明が、本当に私たちの社会で何が起こっているのかという事実を見えなくし、対処を遅らせてきたんです」


いったい何が起こったのか? 若者を襲った悲劇の3つの背景



90年代半ば以降の日本で、本当は何が起こっていたのか。その変化の全貌について、本田さんは少なくとも3つの要因を区別して理解しておく必要がある、と話す。

1つ目は、日本企業を襲った「不幸な偶然」である。どういうことだろうか。話は、90年代前半にさかのぼる。

当時、好景気に沸いた日本企業は、すでに労働市場に出始めていた人口規模の大きい団塊ジュニア世代を熱心に、かつ大量に採用した。ところが、急転直下、バブルが崩壊すると、この過剰採用がたちまち企業の大きな負担としてのしかかった。いや、むしろ事がそれだけで済めばよかったというべきかもしれない。バブル崩壊後、団塊ジュニア世代が大量に入社するのと入れ替わるように、今度は人口規模の大きい団塊世代が50代に近づき、高い賃金水準へと移行し始めたのである。未曾有の不況下で、日本企業は過剰な人件費圧力で身動きがとれなくなった。

「日本の年代別の人口構成はいびつな形をしているのですが、不幸にもその人口の2つのピークと景気循環の明暗の暗の部分が、偶然にも一致してしまったのです。日本の企業はもうこれでは到底やっていけないから、労働力を、これまでのようにきちんと抱え込む正社員と不安定な流動層とに分ける三層構造にさせてほしいということで、95年に日経連(当時)が『新時代の「日本的経営」』を打ち出し、これに事実上お墨付きを与えることになったわけです」

ただ、この「不幸な偶然」は、あくまでひとつの要因に過ぎない。実は、それ以前から、「不幸な偶然」とはまったく別の、産業が発展した先進国では決して避けて通ることができない大きな変化が、日本に訪れていた。それは、景気循環のような一時的な問題ではない、もとには戻らない時代の趨勢というべきもの。本田さんが「不可逆的な趨勢」と呼ぶ、産業構造の変化であった。これが2つ目の要因である。

「どの国でもそうですが、経済の成長期には、テレビや冷蔵庫、クーラーといったような、人間が生活するうえで必要な製品が大量生産、大量消費され、それがある程度ゆきわたると、生産と消費はサービス産業に移行するんです。これは、たとえばファミレスやコンビニのようなサービス産業を思い浮かべればわかりやすいですが、このサービス経済は忙しい時とそうでない時の業務の繁閑がものすごく激しいのが特徴です。そのために、忙しい時だけたくさん労働力を投入して、暇になると、さっと引き上げるという柔軟な労働力の使い方が求められるようになったわけです」

産業内部の変化は、当然ながら、これまでの経済を担っていた工場にも及んだ。工場では、ハイテクを導入した新製品や高いデザイン性の製品など、目新しさを追求した製品を少量生産するようになり、生産サイクルも短くなったため、ある一定期間だけ外部から労働力を投入して生産ラインを増やす生産形態へと移行することになった。そして、この産業構造の変化は、常に海外の安価な労働力との競争にさらされるグローバル経済の進展とあいまって、不安定で極めて人件費の安い非正社員を増やすことになっていったというわけだ。

「こうした産業構造の変化に伴う労働需要の質的変化は、他の先進国では70年代後半から問題となっていて、社会的対処が必要であると認識されていました。日本でも潜在的に同様の問題はありましたが、日本は80年代に日本的経営の花盛り期を迎え、ある種独特のかたちでこれを乗り切ってしまったがゆえに、この問題が覆い隠され、バブル崩壊後に、一気に、しかも極端なかたちで噴出することになったわけです。これは、先述の『不幸な偶然』も重なって、あまりに急激な変化であったがために、私たちはある種、めくらまし状態にあったかたちで、自分たちの社会でいったい何が起きているのか、まったく理解できないという状態に陥ったのです」

後編に続く
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前編を読む

そして、地域づくりに貢献したいと考えていた木村さんにとって、金融の流れを変える鍵を握っていたのが「若者」だった。momoは、金融と若者という二つのミッションを併せ持つ活動だ、と木村さんは言う。

「本来、金融と若者はミスマッチ。金融は専門性が高いし、なにより信用が第一の世界。若者とは相いれない。でも、例えば、都市部のシャッター商店街や過疎化が進んで消滅しかかっている中山間地域などの問題は、今のグローバル経済の中でお金が中央に集められ、若者とお金が地元地域から流出してしまったことが原因なんじゃないか、というのが僕らの問題意識なんです」

「だから、momoは自分たちの町や村を持続可能な地域にしていくために、若い人が金融の立場から融資の決定に参画し、その地域づくりを学んだり、地元の人の話に耳を傾ける。つまり、お金によって切れた地域のつながりを、お金を通してつなぎ直すのがmomoの試みなんです」

「うすぎたないお金」のイメージを「ワクワクするお金」へ



現在、momoは、無農薬野菜の生産者やNPO法人など三つの事業にトータル約350万円の融資をしている。いずれも担保がなかったり、少額であるがために、融資が受けにくい事業ばかりだ。

momoでは、地元の金融機関や税理士、NPO関係者など専門家のアドバイスを受けながら融資を決定するが、「お金を返せるから貸す」「収益性の高いビジネスモデルがあるから貸す」という既存の金融機関の融資スタンスとは違う。むしろ、融資したお金が何に使われるのか、その事業と出資者たちとの間につながりを見いだせるかが、融資決定の大きな条件となっている。そして、momoの真の意義は、融資した後から始まる、と木村さんは話す。

「例えば、寄付や、NPOが申請する助成金などもそうですが、お金が渡った時点で事業の支援は終わる。銀行の融資も期日通りに返済さえされれば、何に使われていてもかまわない。でも、momoは融資の後に出資者たちが融資先を訪問したり、さまざまなかたちで両者がつながって、地域の事業を一緒につくっていくんです」

実際、momoレンジャーや出資者、融資先らが情報交換のために集まって談笑する「momoバー」や「momoカフェ」も定期的に開催される。そうした出会いや情報交換の場から、個人的なつながりが生まれ、地域や社会に貢献する支援策やアイディアも生まれる。顔の見える関係でお金を循環させることが、持続可能な地域の未来をつくることにつながる、というわけだ。

momoから融資を受けた、マイクロ水力発電によるエネルギー自給事業を行う「NPO法人 ぎふNPOセンター」(岐阜県郡上市)の水野馨生里さん(26歳)は、momoのメリットは「お金を介して広がる有機的なつながり」と話す。

「融資を受けたことで、都会に暮らす多くの出資者たちが過疎地域に目を向け、限界集落目前の地域の現状や、都会の暮らしを支える電気がどのようにつくられているのかを知ってくれる。それが、何よりうれしい。momoは、お金が本来持っていた可能性を思い出させてくれる」

また、「momoレンジャー」たちも、活動を通じてお金の可能性に気づく。

momoの立ち上げからかかわった河野早苗さん(24歳)は、当初は何の金融の知識も経験もない学生だった。「それまでは、お金って、なにかうすぎたないイメージだったけど、今は社会を変えるワクワクするものと思える」。河野さんは今年、momoを卒業、有機野菜にかかわる仕事に就き、新たなかたちで地域貢献に携わる。momoの活動が、地域社会に目を向ける若者たちを輩出している。

お金によって切れたはずのつながりが、お金を通してつながる。木村さんは、「お金には、いろんな可能性がある」と言う。

「毎日、なにかに追い立てられるように忙しかったり、人間が本来持っている豊かさや想像力が知らず知らずのうちに奪われていたりする。そんな今の世の中の根本原因は、預金したお金がグローバルに流れて目に見えなくなってしまっているような、お金の仕組みに端を発していると思うんです。だから、金融という目に見えないものを可視化していく。僕は、そこにいろんな可能性があると思っています」

(稗田和博)
Photo:伊藤卓哉

木村真樹(きむら・まさき)
「コミュニティ・ユース・バンクmomo」代表理事。1977年、名古屋生まれ。大学を卒業後、名古屋の地方銀行に入行。退職後、NGOのインターンとしてインドでの国際支援活動等に従事。帰国後、国際青年環境NGO「A SEED JAPAN」に就職。03年に事務局長に就任し、「エコ貯金プロジェクト」などに携わる。05年10月に、地元名古屋で、「コミュニティ・ユース・バンクmomo」を設立する。
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(2008年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第92号より)

金融を可視化する「コミュニティ・ユース・バンクmomo



東海地区最初のNPOバンクとして誕生した「コミュニティ・ユース・バンクmomo」。20〜30代の若者が中心になって、新しいお金の流れをつくるこの試みが目指すものは何なのか? 代表理事、木村真樹さんへのインタビューをはじめ、momoの取り組みを追った。


私の貯金が、イラクに落とされる爆弾をつくっていた



「信じられない、自分も戦争の加害者だったなんて」

2005年、名古屋市内で開催された「コミュニティ・ユース・バンクmomo」(以下、momoと表記)の立ち上げ説明会。そこに参加していた主婦の内田由紀子さん(35歳)は、会場で耳にしたある話に愕然とした。

「将来のために」とOL時代からコツコツとお金を貯めてきた。そのお金を預けている大手都市銀行が、大量にアメリカ国債を購入しているため、自分の預金が結果的にアメリカの戦費に使われているということを、初めて知ったのだ。言葉にできないほどのショックを受けた。

「いつもテレビで戦争や環境破壊のニュースを見て、どうして平和にできないんだろう?って、すごく腹が立って、よく夫に愚痴を聞いてもらったりしてたんです。それが、まさか自分の通帳のお金がイラクに落とされる爆弾に使われていたなんて」

内田さんは預金を全額引き出すため、すぐに銀行に向かった。自分の預金が、小さな子どもまで巻き込む戦争の資金に使われている。そう思うだけで、いてもたってもいられなかった。窓口では、「何に使われるのですか?」と尋ねられた。「私のお金を戦争に使ってほしくないんです」。説明会で聞いた話をそのまま話すと、窓口の女性も初めて聞いたのか、驚いたようすで「それはとても良いことですね」と共感してくれた。「みんな、自分のお金が何に使われているのか知らされていないだけなんだ」と思った。

内田さんは引き出した預金の大半を、夫と一歳半の子ども3人の名義でmomoに出資した。地元の地域社会を豊かにする事業に融資しようとするmomoの理念に共感したからだ。内田さんは、妊娠中から、わが子が生きる未来が不安だった、と話す。

「だんだん大きくなる自分のお腹を見て、自分たち家族だけの幸せはありえないと思ったんです。家計が楽ではないから、社会のために寄付する余裕はない。でも、預金を移すだけなら自分にだってできる。自分のお金が地域社会のために有効に使われていると思うと、なんだかワクワクします」

お金によって切れたつながりを、お金を介してつなぎ直す



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momoには現在(注:2008年4月1日時点)、内田さんのように、自分が働いて稼いだお金を有効活用してほしいと考える市民ら約180人が、総額約2000万円を出資している。ホームページには、出資者一人ひとりがどんな思いでお金を託したのか、切実ともいえるメッセージが並ぶ。多くは環境や福祉、自然エネルギーなど、地域の社会問題を解決する事業への融資を希望している。

momoは、これら思いのつまったお金を使って、地域を豊かにする事業に融資し、持続可能な地域づくりを目指す仕組みだ。そして、その活動を中心的に担っているのが、「momoレンジャー」と呼ばれる、学生を含む20〜30代の若いボランティアたちである。

momoを旗揚げした代表理事の木村真樹さん(30歳)は、「若い人が、お金を介して地域づくりにかかわることのできる場所をつくりたかった」と話す。

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木村さんは、元銀行マン。母子家庭で一人っ子だった木村さんは、地域のつながりや周囲の大人に囲まれて育った。それだけに、地銀への就職は地元名古屋の「地域への恩返し」のつもりだった。ところが、入行当時、日本は金融危機の真っただ中。地域貢献どころか、不良債権の処理に追われ、そこはいわゆる貸し渋り、貸しはがしの世界だった。

また、メディアでは「元気な名古屋」と喧伝されるが、一方で多くの企業が借金返済に窮し、地域社会が疲弊しているのを目の当たりにした。「閉塞感を肌で感じた」

地銀を退職すると、金融機関に環境配慮を呼びかける環境NGOの運営に携わった。新しいお金の流れをつくるNPOバンクに可能性を感じ、それに賭けてみたいと思った。「企業は世の中に大きな影響を与えている。それならば、その企業にお金を貸すかどうかを判断する金融が変わっていけば、世の中も変わると思った」と木村さんは話す。

後編に続く>*1/28アップ予定
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前編を読む

実際に各地のNPOバンクがこれまで融資してきた先をざっと見てみよう。太陽光パネル設置、風力発電、フェアトレード、ホームレス支援、高齢者福祉、リサイクル、社会起業家支援……。そのどれにも共通するのが「社会的リターン」の要素だ。

ちなみにこうしたNPOバンクに加え、融資ではなく投資を行っている「市民投資ファンド(※1)」、多重債務者救済などを行っている非営利の市民金融などを総称して「金融NPO」と呼ぶ。もしあなたがNPOバンクの融資先なんかを見て「こういう良い活動なら自分もなにかしたい」と思ったら、こうした金融NPOにお金を出すというのもひとつの新しい社会貢献だ。

ただここで二つほど注意しておきたい点がある。一つは、NPOバンクという名前がややこしいせいだけど、私たちはNPOバンクにお金を「預ける」ことはできない。つまり預金はできないのだ。もしあなたがNPOバンクにお金を出すとしたら、それは「出資」というかたちになる。NPOバンクはそうした出資で集まった資金を運営して、さまざまな事業や活動に融資を行う。

もう一つは、あなたが出資したお金は基本的に払い戻されるということ。そこが寄付や募金と異なる点だ。そのためにお金は無担保・低利子などで貸し出されるが、お金を借りる側はきちんとそれを返済する責務を負う。またNPOバンクの側はきちんとお金を返してもらうために、あらかじめ融資先の事業性を厳しく審査した上で貸し出しを決定しなければならない。
 

お金に込められる「意志」の力:地域をこえた金融NPOのネットワークが必要



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それでもお金が返ってこない、いわゆる「焦げつき」のリスクはどうしても残るだろう。そこで重要になってくるのがお金に込められる「意志」の力だ。

「もちろん焦げつかないほうがいいんだけど、焦げついたとしても、それは自分の意志によってあの人、あの活動に賛同したんだからと、お金の出し手が納得するかたちの融資をしましょうということです。お金の貸し手と借り手がそこまでコミットしていくのです。このやり方はすべてのNPOバンクに共通すると思うんです」

逆をいえば、これまで私たちはお金の預け先に関してあまりに無防備だったのかもしれない。郵便貯金やメガバンクに預けたお金がその後どのように使われているか、あなたは想像したことがあるだろうか? ある指摘によれば、私たちの預貯金は戦争や環境破壊を手伝っており、そのことに対する問題意識から顔の見える融資の必要性=NPOバンクが生まれたという実例もある(※2)。政府だって金融再生や不景気からの脱却をうたうわりには、公共福祉のためにお金をあまり割こうとはしない。

そんなことにお金を使われてしまうならば、もっと自分たちの手で、世のため、人のためになるようなお金を運営していこうと金融NPOは誕生したのだ。

そうした意味合いで、日本には中世の頃より頼母子講という「助け合い」の文化があったことを藤井さんは指摘している。頼母子講とは、庶民が資金を互いに持ち寄り、無利子・無担保で融通しあった伝統的な「非営利金融」のこと。NPOバンクはまさに頼母子講の現代版ともいえる。

「だから血縁でなくてもそういう信頼関係は築けるわけなんですよ。それはまさに経済的リターンじゃなくて、お互いに社会のためにお金を回そうじゃないかということです。自分が持っているお金もわずか、相手が持っているお金もわずか。でも10人寄れば10人分のお金がある。これを苦しいときにどなたかに貸しましょうねと。大事なことはそういう人間関係を再構築していくことです。現代社会には現代社会の道具立てがやっぱりいるわけで、NPOバンクがその仲介をしていく。日本は講のような社会をすでに捨ててしまいましたが、バブル崩壊の十数年のなかで営利の金融機関だけではお金が回らないということにようやく気づいたわけですよ」

これからは、東京で集まったお金を新潟に貸し出せるような、地域をこえた金融NPOのネットワークが必要になると藤井さんは話す。そして実績を積み重ねることによって、市民との信頼関係だけでなく、民間金融機関との信頼関係を勝ち取り、そこから営利のお金も引き込むことができればベストだと期待を寄せた。

まだまだ走り出したばかりの日本版金融NPO。大きく育てるためには、お金だけでなく、多くの人の信頼と意志が必要とされている。

(土田朋水)
Photo:高松英昭

※1 市民投資ファンドの一つに「おひさまファンド」がある。
※2 「未来バンク」の組合理事長を務める田中優氏は、未来バンク設立のきっかけとして郵貯に対する問題意識があったと語っている。詳しくは、田中優著『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』合同出版、参照。普通の銀行は営利を考えNPOバンクは市民事業を育てる

ふじい・よしひろ
1949年生まれ。上智大学地球環境学研究科教授。日本経済新聞社に72年入社。編集委員を担当していた05年に「金融NPO」をテーマにした連載記事を執筆。著書『金融NPO』(岩波新書)では国内のみならず海外での豊富な事例を報告した。



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(2008年9月11日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第92号より)


経済的リターンの銀行、社会的リターンのNPOバンク—市民「出資」という金融NPOの可能性




日本には中世のころより、庶民が資金を互いに持ち寄り、
無利子・無担保で融通しあった「頼母子講(たのもしこう)」があった。
その現代版ともいえるNPOバンクが今、
新しいお金の回路をつくろうとしている。
金融NPOの今と可能性を、藤井良広さんに聞いた。


普通の銀行は営利を考えNPOバンクは市民事業を育てる



汗水たらして、お金を稼いだら、いったい何に使おう?

ショッピング、映画、遊園地……。いやいや、今晩のおかずのためにはスーパーへも行かないとね。あるいはコツコツとお金を貯金したい人だってたくさんいるかもしれない。当たり前な話だけど、自分で稼いだお金は自分の好きなように使っていいし、それは私たちに任された自由な選択の領域だ。

けれど、お金にはもっとたくさんいろんな使い方ができるんだよ、というのが今回のお話。あなたがその手に持っているお金が、きっとこの社会をもっともっと豊かにしてくれる。それも今までのように「寄付」とか「募金」とかそういうのとはまたちょっと違うかたちで……というのが話の一つのポイントだ。


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上智大学教授の藤井良広さんは「もしあなたの家の近くにとても気持ちのいい森があったとして」と話し始める。

「その森をどう維持していこうかという時、もし営利の金融機関(普通の銀行など)だけに任せていたら、地主はすぐに森を売って、マンションを建ててしまいます。じゃあ森を維持するためにはどうしたらいいかというと、やっぱり森を残したいという地域の意志を活かして活動をする人のために道具立てが要るんですね」

ここで言う「道具立て」というのが、いわゆるNPOバンクのことだ。

ではNPOバンクの役割はいったいどういうもので、普通の銀行とはどんな違いがあるのだろうか? せっかく森の話が出たので、それを例にして考えてみよう。

藤井さんの言う「営利の金融機関だけに任せていたら」というのは、つまり営利の側面「お金をもうける」ことだけを考える組織にとっては、森は維持するよりも売っ払ってしまい、マンションにでもしてしまったほうがずっともうけになるということだ。民間の金融機関はまずこうした選択を好むだろうし、そのためには地主に多額の融資(お金の貸し出し)だってするはずだろう。

一方、森を残したいという地域の意志を受けて、市民事業を立ち上げるグループが出てきたとする。彼らは維持される森を利用して、ささやかながらも利益をもたらすような事業を行っていくことに決めた。映画やドラマのロケ地として森を貸し出す、エコツアーを開催する……等々。

そんな時、今の銀行はまず市民事業立ち上げのためにはお金を貸してくれない。なぜなら、「それは必ずしも銀行が悪いんじゃなくて、仕組み上、事業の実績も担保もないところに融資をすると、融資した段階で不良債権扱いをされて、要管理債権ぐらいになってしまうからなんです」

そこで登場してくるのがNPOバンクというわけだ。

「NPOバンクであればその人たちが一所懸命やろうとしていることがわかって、しかも事業計画が一応あれば、単にお金を貸すだけじゃなくて、事業の運営もちゃんとサポートしてくれます。そうして活動の事業性が高まっていけば今度は信用金庫、銀行からもお金を借りられるようになってくるわけですよ。NPOバンクにはそうやって市民事業を育てていく機能があるんですね。今の営利の金融機関にはなかなかできないことです」


出資先は、太陽光パネル設置、フェアトレード、高齢者福祉、リサイクル、社会起業家支援など



おわかりいただけただろうか?

ここでのキーワードはたぶん「社会的リターン」だ。ある事業に対して銀行が融資を決める際、判断の基準とするのは基本的に「経済的リターン」(利鞘が見込めるかどうか)なのだが、地域のためや社会のため、みんなのためになる事業であるならば、あまりもうけにはならなくても、そういう「社会的リターン」を考慮してお金を貸しましょうというのがNPOバンクなのだ。NPOバンクの判断基準は「社会的リターン」の優先であり、「経済的リターン」の追求にはない。

後編に続く
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(2013年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第213号より)

プレハブ校舎にスクールバス通学。飯舘村の3小学校で卒業式



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原発事故に伴う放射能汚染により、現在も多くの村民が村外で避難生活を送る飯舘村。飯舘村の児童が学ぶ村立草野、飯樋、臼石の3小学校合同の卒業式が3月22日、学校が避難している隣町・川俣町の仮設校舎体育館で開かれた。

卒業生は草野小20人、飯樋小15人、臼石小5人の合計40人。震災後は川俣中学校の校舎に「間借り」して授業をしていたが、昨年の4月からプレハブの校舎と体育館に移った。家族と避難先を転々とした子どももいて、震災直後から落ちつかない生活が続いていた。福島市や伊達市など近隣の市や町に避難しているため、スクールバスで1時間以上かけて通ってくる子どもも多いが、最近は少しずつ現在の生活に慣れてきたという。

広瀬要人教育長は「みなさんは、東日本大震災と原発事故で飯舘村の学び舎を追われ、5年生の時には川俣中学校の校舎、6年生の時には仮設校舎で学んだ。しかし苦しみにひるむことなく、明るく前向きに取り組んだ。避難中の学びと経験はこれからの人生の糧になると思う」と卒業生を激励した。

卒業生全員による呼びかけでは、「震災の時に、私に『大丈夫だよ』って言ってくれたお父さん、お母さんのおかげでここまで大きくなることができました」「先生方や友達、たくさんの方々への感謝を忘れずに、これからもがんばります」と、大きな声がプレハブの体育館に響いた。3校の全児童が一緒に、3校の校歌を歌った。

飯樋小の卒業生、菅野翔太君は「本当は飯舘の小学校で卒業式をしたかったけれど、原発で避難しているためにできなかったのは、やっぱり残念です。それでも、みんなで卒業式をすることができてよかった」と晴れやかな表情で話した。

臼石小の二谷京子校長(3月末で転任)は、「プレハブの仮設でも、自分たちの校舎で卒業することができてよかった。教育課程を3校合同にしたため、学校行事も合同になっており、学校を超えて友達ができるなど、子どもたちも慣れてきた。来年度も3校で一体感のある教育や学校活動を進めていきたい」と語った。

飯舘村は昨年7月、「避難指示解除準備区域」(年間積算線量が20ミリシーベルト以下)、「居住制限区域」(同20ミリシーベルト超で避難継続が求められる地域)、「帰還困難区域」(同50ミリシーベルト超で、帰還は長期間困難な地域)の3地区に再編された。だが、今年3月1日現在、県内には6086人、県外には500人がいまだに避難生活を送っている。子どもたちが慣れ親しんだ校舎に戻る見通しは、まだまったく立っていないのが現実だ。

(文と写真 藍原寛子)
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124人生相談


阪神ファンの母親の応援がうるさくて、プロ野球シーズンが憂うつです



熱狂的な阪神タイガースaファンの母親と2人暮らし。自室で持ち帰った仕事をすることがあるのですが、狭い我が家、TV観戦中の応援が筒抜け。しかも、「死ね」だの、「ブチ殺す」だの罵声はお下劣で、聞いていて不快。「大声で応援するのが唯一のストレス解消法」と、本人は言うものの、好き勝手なことをして言いたい放題の母にストレスがあるのが疑問で、ストレスがたまる一方の私です。
(女性/37歳/会社員)


僕の姉さんがギャンブル狂いの義兄さんから足を洗わせた話をしましょう。あの時は最初の子どもが生まれたばかりで、お金がかかる時期でした。姉さんは寅年生まれで、とても気が強い性格。なのに、何も言わなかった。

しかも一緒になってとことんギャンブルにつき合った。保険を解約してつくったお金も使い果たした時はじめて、「明日のお米を買うお金がないよ。どうしようか、お父さん」と言ったそう。

この一言で義兄さん、ようやく目が覚めてくれた。今はものすごくマジメよ(笑)。夢中になっている時って、「やめて」とか横でゴチャゴチャ言っても、火に油を注ぐか、けんかになるかがオチでしょ。大切なのは、お母さんに自分で気づいてもらうことなんです。

そこで、野球の試合が始まったら、娘さんは仕事の手を止めて、お母さんと一緒に騒いでください。突然、熱くなるとバレますから、ルールや選手の名前は1、2ヵ月かけて勉強して、じわりじわりと熱を上げていく作戦です。

応援する時は、お母さんに負けずに、ひどい言葉を大声で発していこう。そんな娘さんの姿に、お母さんはいくらなんでも、気づくはずです。そのちょっと冷静になった瞬間に、一言「わかった?ほどほどにせなあかんよ」と言ってあげましょう。これは効きますよ。

でもね僕、お母さんはホントはトラキチを装っているだけの気がしてる。

販売している時、僕に気づきながら、わざと見てないふりしてスーッと通り過ぎて行く人がいる。透明人間にされるのが一番イヤ。

娘さんも「うるさいな」と、イーッとしてるのに、お母さんのこと無視してない? 子どもが悪さをするのって、たいがい親にかまってほしいからでしょ?お母さんはね、娘さんにかまってもらいたくて、ワーワー騒いでいるように思えるんです。

これからもお母さんとは、長い年月を過ごしていくわけですから、仕事も大事だけど、たまにはお母さんと野球で一緒に息抜きしましょうよ。

(大阪/Hさん)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第124号より)




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こんにちは、ビッグイシュー・オンライン編集部のイケダです。現在発売中の231号より読みどころピックアップしてご紹介いたします!

地域住民がつくる画期的な病院「南生協病院」



231号の特集は「生きる喜び つくる病院」。医療に限界を感じ、「こんな病院があれば」と願う市民によってつくられたふたつの病院が紹介されています。こちらの記事では、そのなかから愛知県名古屋市にある「南生協病院」をピックアップします。3万人以上が見学に訪れたという、実に画期的な取り組みです。

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「南生協病院」は非常にユニークな総合病院。エントランスホールに足を踏み入れると、そこにはおしゃれなカフェやコンビニ、保育所、石釜ベーカリー、オーガニック・レストラン、旅行カウンター、図書館、フィットネスクラブなどの施設が用意されています。

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(新鮮多菜カフェ&レストラン にんじん *公式サイトより)

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(風と緑のダーシェンカ -YOU- 大高店 *公式サイトより)

常務の柴田純一さんは、次のように語っています。

「患者さんだけでなく、保育所やベーカリーに来る若いお母さんもいれば、町の中・高校生がくつろげるスペースもあり院内では多くの市民ボランティアが活躍している。そうした"混ざり合い"は、人と人がつながることにこだわってきた私たち南医療生協の哲学そのもの」


南生協病院の母体は「南医療生協」。生協の名の通り、市民の手によって始まった活動です。

はじまりは、59年に愛知県を直撃した伊勢湾台風。(中略)その惨禍の中で、救援活動をした人々と地域住民が集まって「自分たちの診療所を」と立ち上がり、61年に308人の出資によって設立されたのが南医療生協だ。当初は小さな診療所からのスタートだったが、76年に総合病院の南生協病院を設立。


南医療生協の組合員数は、なんと71,000人以上。さらに、その出資総額は27億円というから驚きです。

「出資者にとっては、地域の医療福祉がよくなることが、何にも替えがたい配当。しかも、利用者としてだけでなく、自らボランティアとして積極的にかかわり、人と人がつながりながらお互いの日々の暮らしや命を守る。無縁社会といわれる現代で、そうした活動で多くの人が意義を感じているからこそ、組合員も増え、病院を訪れる見学者も後を絶たないのではないでしょうか」(名誉理事長・柴田寿彦さん)


「医療崩壊」という言葉は日本社会に長らく踊りつづけていますが、「南生協病院」は、これからの日本における重要なロールモデルのひとつとなっていくのでしょう。

本誌では他にも小児がん専門の治療施設「チャイルド・ケモ・ハウス」が紹介されています。こちらも市民たちが寄付を集め設立された画期的な病院です。気になる方はぜひ231号を手に取ってチェックしてみてください。



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