(2009年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第128号




ハウジングプア—簡単にホームレス状態に陥ってしまう若者たち。




NPO法人自立生活サポートセンター・もやい(以下「もやい」)では連日、住居を失った若者たちの相談が絶えないという。代表理事、稲葉剛さんに、なぜ若者が住居を失うのか、それを防ぐために今、何が必要なのか、を聞いた。






Inabasan






月200件を超える行くところがないという相談



「派遣切りに遭って仕事を失い、寮も追い出されて行くところがない」

もやい」には、そんな切羽詰まった相談が連日寄せられている。相談件数は、派遣切りが相次いだ昨年秋以降に急増。現在も月200件を超えるという。

「今年初めは、派遣切りされ、住まいに困窮した人が中心でしたが、最近は企業をリストラされた正社員や自営業者など、あらゆる職種、立場の人に広がっています。失業保険や貯金で何とか食いつないできたけれど、それもなくなり、いよいよ家賃が払えなくなったという人も出始めている。20代、30代の若者が目立つのも特徴です」と稲葉剛さんは言う。




「もやい」で若年層からの相談が増え始めたのは、「ネットカフェ難民」という言葉が使われ始めた2003~4年頃のこと。

「『ネットカフェ難民』という言葉は、これまで目に見えなかった貧困層を可視化したという点で、非常に意味がありました。一方で、彼らを路上にいるホームレスとは別の存在としてカテゴライズしたことで、貧困の全体像が見えにくくなってしまったようにも感じています」




「ネットカフェ難民」と一括りにしてもさまざまなケースがある。

たとえば、お金がある時はネットカフェなどに泊まり、なくなれば深夜営業のファストフード店で夜を明かす。短期の仕事が見つかれば住み込みで働き、友だちの家に居候することもある。そしてすべてのお金が尽きると路上で過ごすなど、状況によって場は変わるが、住まいの不安定性は変わらない。




稲葉さんはこうした「貧困ゆえに居住権を侵害されやすい状態」を、ハウジングプアという概念で説明する。ハウジングプアには、3つの段階がある。

「1つ目は、派遣の寮など、当面は家があるが、派遣切りなどでいつ家を失うかわからない状態。2つ目は、ネットカフェ、ファストフード店など屋根はあるが家がない状態、3つ目は、路上、公園での野宿など屋根がない状態です。それぞれ状態は異なりますが、1つ目から2つ目へ、2つ目から3つ目へと、いつ転落するかわからないという意味でそれぞれがつながっています。可視化されにくいけれど、ハウジングプアという概念を用いることで、簡単にホームレス状態に陥ってしまう人が大勢いるのだということを知ってもらえればと思っています」




19 zu






特に若年層には、1つ目の状態にある人が多いという。これには彼らの置かれた労働環境が深く関係している。

「派遣法の規制緩和によって、製造派遣等で働く若者が急増しました。彼らの多くは派遣会社のアパートなどに住んでいるため、失業と同時に住まいを失い、最悪の場合、路上に出るしかないという状況に追い込まれてしまうのです」




早急に求められている、住宅のセーフティネット



派遣切りに遭わないまでも、若年層の多くが非正社員で給料が非常に安く、雇用も不安定なため、家賃が滞ってしまうというケースも少なくない。

「彼らは非正社員のため、住宅手当や社会保険等の『企業福祉』を受けることもできません。そんなに大変なら、親元に帰ればいいという声があるでしょう。かつて日本社会は『家族福祉』に強く依存してきました。しかし、核家族化した現在、『家族福祉』は限界に達していますし、親自身が貧困であったり、親から虐待を受けたりしている人もいます。『企業福祉』からも『家族福祉』からも見放されてしまっている多くの若者がいるのです

こうした状況を打開するには、公的な住宅政策が必要になる。

「そもそも日本には住宅政策と呼べるものが存在したのか?というところから問い直す必要があると思います。日本の住宅政策はローン優遇など、持ち家政策が中心。低所得者向けの公営住宅は全住宅の7パーセントしかなく、宝くじ並みの倍率を突破しなければ、入居できない。東京都は石原都政になってから公共住宅を1つも増やしていないんですよ」

終身雇用や右肩上がりの成長が当然だった時代は、社宅や賃貸住宅にはじまり、給料の上昇とともに、ローンを組んで持ち家を購入するという居住の階段を昇っていくパターンが一般的だった。しかし、今やこうしたモデルに乗れる人はごく少数に限られる。マイホームをゴールとする持ち家政策を転換する時期がきている。

「低所得者向けの公営住宅の充実はもちろんですが、若者のための『移行期支援』政策も非常に重要です。現在、非正社員として働く若者の多くは、重い家賃の負担に苦しんでいます。実家を出て一人立ちする若者のために、低廉な家賃の公的住宅あるいは、住宅手当を支給する『移行期支援』を行うことが必要だと思うのです




今年の3月に稲葉さんらは、「住まいの貧困に取り組むネットワーク」という団体を立ち上げた。公営住宅等の低家賃住宅の拡充に加え、家賃保証会社に対する法的規制などを求めている。

家賃保証会社は、借家人が家賃を滞納した場合、家主に対して家賃の立て替え払いを行うが、その際、高金利をかけられたり、高額な違約金支払いを求められるなどの問題が起こっているという。夜中に家賃を取り立てたり、荷物を撤去して鍵をつけかえたりする業者もあるが、そうした業者に対する法的規則がない現状を問題にしている。




稲葉さんは、日本人と住宅のあり方について考え直す時期ではないかと指摘する。

「給料の半分が消えてしまうほどの高額な家賃、一生かかって背負うことになる住宅ローンなど、家のために働いているといっても過言ではない人がほとんどではないでしょうか?

公的な住宅政策が貧弱なために、人生のかなりの部分を家に縛られてしまっている。若い人の住宅問題やハウジングプアの問題は、そのこと自体を考え直すいいきっかけになるかもしれません。贅沢な住まいでなくていい。たとえ失業して無職の時があっても、住居まで失うことがないように。そのための住宅のセーフティネットの整備が早急に求められているのです」




(飯島裕子)

Photo:高松英昭




いなば・つよし

1969年、広島県生まれ。東京大学大学院(地域文化研究専攻)中退。1990年代から路上生活者の支援活動を始める。2001年「自立生活サポートセンター・もやい」設立。現在、代表理事。住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人。10月20日『ハウジングプア』(山吹書店)発売。
    このエントリーをはてなブックマークに追加




Genpatsu


(2013年5月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 214号より)




毒性強いプルトニウム900キロを輸送中



船は4月17日にフランスのシェルブール港を出港した。希望岬を経由しオーストラリアの南側を通って、日本に到着するのは6月中旬のようだ。地球の3分の2を回る長い航海になるのは、攻撃の恐れを避けてパナマ運河やスエズ運河あるいはマラッカ海峡などを通らないからだ。シェルブール港での写真を見ると燃料の輸送容器は3つ見える。

燃料は20体なので容器は1つで十分だが、襲われた時の用心にダミーを乗せる。船は機関銃を装備し、武装した兵士に守られて、しかも相互に護衛しながら2艘でやってくる。向かった先は関西電力の高浜原発だ。

たった20体の燃料のために、これだけ物々しい警備が必要なのは、これがプルトニウムを混ぜた燃料だからだ。20体の中に約900キログラムのプルトニウムが含まれている。この燃料から核兵器への転用はそれほど難しくないとされている。

プルトニウムを混合している燃料はMOX燃料と呼ばれている。原発の使用済み燃料の中にわずかに含まれている(0・8パーセント程度の)プルトニウムを取り出して燃料に使用する政策を、日本では50年代に定めた。ところが、頼みの綱の高速増殖炉が開発できない。実用2段階前の原子炉「もんじゅ」で1995年に火災事故を起こして以来止まっている。そこで普通の原発で使用しようというプルサーマル計画が進行していた。

プルトニウムはウランよりも核分裂しやすく、制御棒の効果が悪くなるなど、事故時にいっそう危険が増すとされている。

原発はもともとウラン燃料用に設計されたのだから、使うのも燃料全体の3分の1以下。福島第一原発の事故時、3号炉で使用されていたが、この燃料は10年以上も前に運ばれて貯蔵されていたものなので事故に大きな影響を与えなかったとされている。運んだばかりの燃料だったら事故はいっそう深刻になっていたかもしれない。

プルトニウムは毒性が強く、もしプルトニウムが環境に飛散することがあれば、避難対象の範囲は少なくとも4倍に拡大しなければならないだろう。

関電は、福島原発事故を他人事に考えているようだが、事故を真摯に受け止め、プルサーマル利用をやめるべきだ。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






    このエントリーをはてなブックマークに追加





(2009年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第128号




公的住宅手当、保証金の無利子貸与も。若者の自立を支えるフランス・スウェーデンの住宅政策



イギリスやフランス、スウェーデン、フィンランドといった国では、ほとんどの若者がより早い時期に親から自立をはたす。日本のように、親元にとどまる若者は少ない。若者が自立するうえで、住宅政策が大きな役割をはたしている2つの国、フランスとスウェーデンに注目してみたい。

フランスでは、住宅ストックの17%を低家賃の社会住宅(公営住宅)が占める。その対象は低所得世帯であるが、日本のように年齢や家族形態によって制限されず、若い単身者でも入居が可能だ。

若年世帯は規定の所得水準以下であれば、家族向けや単身者向け(学生を含む)の公的住宅手当を受給することができる。また、若い失業者や就業者、学生などを対象とした住宅制度(ロカ・パス)として、借家契約の際の連帯保証人の代行、保証金の無利子貸与、未払い家賃の保証(18ヵ月まで)などのサポートがある。

スウェーデンの住宅政策は、すべての人に良質で適正な価格の住宅を供給することを目的としている。そのため、収入などにかかわらず、すべての世帯に社会住宅への入居資格がある。全住宅に対する社会住宅の割合は、約2割と多い。

公的住宅手当は、子どものいる世帯はもちろん、29歳未満の子どもがいない世帯(学生を含む)にも給付され、子どもの数などに応じて手当額の上限が設定されている。また、住宅サポートは、若者の自立を保障する包括的な青年政策の重要な柱の一つに位置づけられ、国が地方自治体に積極的な補助を行っている。

他国と同様、両国でも住宅政策に関するコストの削減は大きな課題であるが、それでもなお、多くの人がアクセスできる社会住宅の供給は維持されている。公的住宅手当も縮小がはかられる中で、社会的弱者としての側面が強まる若者の自立と家族形成への対策には重きが置かれ、柔軟な対応がなされてきた。

今、日本においては各政党のマニフェストに家賃補助の導入が含められるなど、住宅保障に関する議論が高まりつつある。他の先進諸国の経験と課題から多くを学び、住宅政策の新しい展開をはかるべき時がきている。




川田 菜穂子(かわた・なほこ)

1977年、神戸市生まれ。大阪市立大学生活科学部を卒業後、住宅メーカー勤務を経て、神戸大学大学院総合人間科学研究科・修士課程を修了。現在は同研究科・博士課程に在籍。専門は住宅問題・居住政策。著書に『若者たちに住まいを!−−格差社会の住宅問題』(岩波ブックレット)などがある。


    このエントリーをはてなブックマークに追加




Genpatsu


(2013年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 213号より)




停電、汚染水の漏えい続く福島第一原発の後始末



爆発した福島第一原発の後始末では、いろんなトラブルが起きている。3月には停電がおき、原子炉や燃料プールなどの冷却が最長29時間にわたって不能となった。事なきを得たが、この間に強い余震が起きたらと思うとゾッとした。配電盤の中で焼け焦げた一匹のネズミが発見され、原因はこれだとなった。

4月になると今度は汚染水の漏えい問題が浮上した。原子炉の冷却のために水を循環させているが、問題は破損した建屋に毎日400トンもの地下水が入り込んでくることだ。循環する量はこれよりやや少なくしている。そうしないと逆に建屋から汚染水が漏れ出ていくからだ。しかし、入ってきた地下水は汚染された循環水と混じるので、捨てるわけにはいかない。結局、この分は貯蔵するしかないわけだ。

たまり続ける汚染水は、これまでタンクを作って保管してきた。しかし、それにも限界が近づいてきている。なぜなら、敷地に場所を作るとしても、切り拓いた樹木や土は放射能で汚染されているから、これも貯蔵しなければならないからだ。十分な場所がない。それで、貯蔵池を作って対応することにしたようだ。

東電は地下貯蔵施設と仰々しい言い方をしているが、地面を掘って厚さ1・5ミリのポリエチレンのシートを2枚張りし、上蓋を被せたものだ。7基も作った。空きスペースで作ったので、それぞれ大きさが少しずつ異なっているが、概ね50メートルから60メートル四方で、深さだけは6メートルと一定だ。

7基のうち3基に汚染水が入っていたが、いずれも汚染水漏れが起きた。シートが破れたか、継ぎ目からの水漏れとしか考えられない。やわな施設になったのは、安い工事費と短い工期が理由だろう。漏えい場所を特定するなどとてもできないし、意味がない。

なぜなら特定して修理しても別のところから漏れ出るだろうからだ。東電はせっかく作った貯蔵池を使用することをあきらめ、貯蔵タンクに移し替えるとしている。地下水の汚染となると海の汚染につながるから、これ以上漏らさないためには当然の対応ではある。

流入する地下水を減らそうと、井戸を掘って水をくみ上げているが、効果が上がっていない。冷却期間は10年以上。抜本的な対策が必要だ。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






    このエントリーをはてなブックマークに追加




Genpatsu


(2013年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 212号より)




信頼回復は、廃炉のみ。「原発のない福島」訴えた県民大集会



「原発のない福島を!県民大集会」が3月23日に福島市あづま総合体育館にて開催された。午前中は霊山太鼓や下柴彼岸獅子、大谷じゃんがら念仏踊りなどのアトラクションが、午後は主催者の挨拶、佐藤雄平福島県知事のメッセージに始まり県民からの訴えが続いた。集会には県内外から7千人が参加した。また、並行して会場では地元産品の出店やパネル展示などがあった。

佐藤知事は「事故が終わっていないにもかかわらず、忘れさられていっている。しかし、粘り強く廃炉を求めていく」と訴えた。農協、漁協、森林組合、旅館ホテル生活衛生同業組合、高校生平和大使、県外避難者、福島の子ども保養プロジェクトなどからの発言は各人の体験を基にした内容だった。原発震災時の証言集ともいえる貴重なもので、事故を忘れないとは、こうした体験の積みかさねを伝えていくことだと感じさせた。

発言者の多くが「福島県民は避難でバラバラにされた。福島県内の住民たち、また、県外避難者と福島に住み続ける人たちの心もバラバラになっている。だからこそ、心を一つにして明日へ立ち向かっていこう。福島の美しさを子どもたちに伝えていきたい」と訴えていた。「県内10基の原発の廃炉」は全県民の願いであることがしっかり感じとれる集会だった。

会場は、あづま総合運動公園の一角にある。公園には陸上競技場や野球場など多くの施設が併設されており、たいへん広い。今は屋内施設しか利用できない。持参した測定器で空間線量率を測ってみたが、アスファルトの上は普段の2倍くらいで、土の上だと5倍から8倍ほどだった。

そして私たちが集会をしている最中も除染作業が続けられていた。表面を削り取った汚染土は黒や青の袋に入れられて陸上競技場のアリーナなどに置かれているのが見えた。除染廃棄物の行き先が決まらない上に、仮置き場もなかなか決まらない。運動競技場は仮仮置き場なのだ。芝の張替えを含め除染作業は来年10月頃まで続けられる計画となっている。

事故を起こした東京電力は爆発で大きく壊れた4基以外は運転再開を考え、準備を進めているようだ。県民に多大な犠牲を強いておきながら、運転再開などあろうはずがなく、廃炉しかない。早く決断することが事故で失った信頼を回復する道だ。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






    このエントリーをはてなブックマークに追加




(ビッグイシュー・オンラインは、社会変革を志す個人・組織が運営するイベントや、各種募集の告知をお手伝いしております。内容については主催者様にお問い合わせください。)




講演と歌の集い「路上の生と死を見つめて」




※チラシ画像はこちらから(pdf・別ウィンドウで開きます)




【日 時】平成25年6月14日(金) 18:30~20:20(18:00開場)

【場 所】聖イグナチオ教会ヨセフホール

〒102-0083 東京都千代田区麹町6-5-1
JR 中央線/東京メトロ 丸の内線・南北線  四ツ谷駅下車 (徒歩1分 上智大学手前)
http://www.ignatius.gr.jp/annai/access.html

【参加費】自由献金制

どなたでも参加できます。事前申し込みは、不要です。




【講演】稲葉 剛さん(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい代表理事)

[プロフィール]
1969年広島県生まれ。1994年より東京・新宿を中心に路上生活者の支援活動に関わる。2001年、
自立生活サポートセンター・もやいを設立し、幅広い生活困窮者への相談・支援活動に取り組む。
著書に『ハウジングプア』(山吹書店)、共著に『脱原発とデモ―そして、民主主義』(筑摩書房)など。




【 歌 】寺尾紗穂さん(シンガーソングライター)

[プロフィール]
大学時代から、弾き語りの活動を始める。
2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らからも賛辞が寄せられる。
大林信彦監督作品「転校生さよならあなた」の主題歌を担当した他、
CM、エッセイの分野でも活躍中。




【講師から一言】

私は1990年代に「ホームレス問題」に出会ってから、夜回りや生活保護申請同行などを通して数千人の路上生活者と関わってきました。
そして、その中で多くの方が亡くなるのにも立ち会ってきました。

寺尾紗穂さんとは、路上生活をしていた一人の男性が共通の知人だったことが縁になり、彼の死後、知り合いました。
寺尾さんは、学生時代、山谷を訪れたことがきっかけになり、『アジアの汗』、『家なき人』など、日雇労働者や路上生活者について歌った歌をいくつも作られています。
2010年に制作した『私は知らない』では、原発での被曝労働について歌っています。

寺尾さんの歌と私の話を通して、路上に生きる人々の生と死について、そして貧困を生み出し続ける社会のあり方について、皆さんと一緒に考えていければと思います。

また、今年4月に刊行された『新宿ダンボール村 迫川尚子写真集 1996―1998』(DU BOOKS 解説:稲葉剛)に収録された、路上生活者コミュニティの写真も、会の中で紹介させていただきます。




【主 催】
聖イグナチオ生活相談室・ベグライテン・ミシュカの森・自立生活サポートセンター・もやい

【共 催】上智大学哲学科

【協 力】カトリック野宿者支援ネットワーク

【問合せ】
090-4959-0652(岩田)、090-9146-6667(関根)、090-6159-8787(稲葉)
ANA71805★nifty.com(入江) ★を@に変えてください。
    このエントリーをはてなブックマークに追加




Genpatsu


(2013年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 211号より)




収束? 否、拡大する原発事故。2年目の4万人参加集会



あの事故から2年、3月9日から11日にかけて「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」が東京の明治公園を皮切りに開催された。

明治公園には1万5000人が集まり集会とデモ行進を行った。翌日10日は経済産業省や首相官邸周辺でデモと抗議行動が行われた。報道によれば、こちらには4万人が参加した。11日の屋内集会には1000人を超える人たちが集まり、フクシマを忘れない、フクシマとつながり原発の再稼働を認めず、脱原発を求めていく思いを参加者のみんなが共有した。

内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、澤地久枝さんら「さようなら原発1000万人署名・市民の会」の呼びかけ人によるアピールは、原発は速やかに廃炉作業に入る、新増設は行わない、再処理工場やもんじゅの運転を認めない、再生可能エネルギーの普及・開発を最大限に促進する、廃炉過程における立地自治体の支援などの政策を進めることを政府に求めた。呼びかけ人たちの発言の他に、福島ほか原発の立地する茨城や青森、静岡、北海道などの参加者から、また被災者を支援している市民グループなどからリレートークが行われた。

福島の今はどうなっているのだろうか? 復旧や復興が進んでいるのだろうか? 原発立地の地元浪江町から避難している教員の柴口正武さんの報告は、原発災害は進行中で、福島の人たちは3つの苦しみがいっそう重くのしかかり、困難に直面しているとのことだった。

3つの苦しみとは、いまだに高い放射線環境の中で暮らし続けることの苦しみ、観光や特産品に対する風評被害の苦しみ、そして自宅に帰ることができない苦しみだ。

柴口さんが浪江町の自宅に戻ったのはこの2年間にわずか7回。地震で壊れた家はそのままでまったく手がつけられていない。住まない家はどんどん朽ちていく現実。浪江町の人たちの苦しみはさらに重く、厳しい決断に迫られている。だからこそ、福島の悲劇を繰り返したくない、福島で脱原発をまず実現したい!と柴口さんは結んだ。事態は収束するどころか、拡大しているのだ。

この日は全国各地20ヵ所以上で同様の集会が行われた。脱原発とは金と権力の横暴がつくってきた社会を変えていくこと。鎌田慧さんのこの訴えは参加者のみんなの心に届いたことだろう。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






    このエントリーをはてなブックマークに追加




こんにちは、オンライン版編集長のイケダハヤトです。最新号より読みどころをピックアップです。続きを読む
    このエントリーをはてなブックマークに追加




Genpatsu


(2013年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 211号より)




ハラハラドキドキ、危うい状態、4号炉の使用済み燃料



福島第一原発は廃炉に向けた長い行程を歩み始めているが、深刻なのがプールに保管されている燃料だ。特に4号炉は定期検査中だったため、原子炉内の使用中の燃料が5階にあるプールに貯蔵されている。この燃料は発熱量が特に高く、冷却し続けなければならない。

東電は、4号炉の爆発でプールが大きくダメージを受けたので、その年の6月に支柱を立てて補強工事を行った。

しかし、これはあくまでも応急処置。元スイス大使の村田光平氏は、このプールがボロボロであると訴えている。強い余震が来てプールに大きな亀裂が入るなどして、大量の水が出ることになれば、燃料の冷却はできずに溶ける恐れがある。

さえぎるものがない状態で燃料が溶けるのだから、大量の放射能が環境に出ることになる。かつて近藤駿介原子力委員会委員長は「不測事態シナリオの素描」として、4号炉のプールで燃料溶融が起きた場合の影響を試算した(11.3.25)。

ここには、1331体の使用中および使用済み燃料と、204体の新燃料が保管されていた。1331体の4割程度が溶けた場合を想定した近藤試算によれば、福島県内の惨事は言うに及ばず、半径200キロメートル以内は法定限度を超える被曝を受ける事態になる。福島原発事故をはるかに超える被害だ。

燃料の取り出しを最優先にと、誰もがそう考える。そして作業は今年の11月から始まる予定という。時間がかかるのは、取り出しがそれほど簡単ではないからだ。

これまで建屋屋上の瓦礫を取り除き足場をしっかりさせていた。使用済み燃料は強烈な放射線を出している。そこで、専用の取り出し容器を開発・製造しなければならない。放射線をさえぎるために鉛が使われているため、容器自体も重量物だ。これを吊り上げるクレーンも必要だ。燃料を容器に入れる作業は必ず水中で行う。受け入れ先の地上のプールもゆとりがない。スペースを作るために、前から入っていたものをプールから移す。

向こう2年の間に強烈な余震が4号炉のプールを襲うかどうかは神のみぞ知る。私たちはまだ大惨事と背中合わせにいるのだ。


伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ