デ・フルクト教会の難民たち—オランダの難民政策とその行方




2月に掲載した記事、「デ・フルクト教会へようこそ—温かい食事と寝床、政治亡命者を受け入れるアムステルダム市民たち」の続報をお届けします。







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(デ・フルクト教会に滞在する難民たち photo by Geert de Jong)






昨年11月末、オランダ・アムステルダムの難民キャンプに身を寄せていた難民たちが、キャンプを追い出された。そこで、現在は使用されていない教会を支援者グループがスクウォット(不法占拠)。今年3月末までの「限定期限付き」で、教会での滞在が許可された。その後のデ・フルクト教会に滞在する約120名の難民たちの行方を追う。





現在までの主な経緯



2012年11月30日:オランダへの難民申請者による、国外追放反対の泊まり込みテントキャンプが、警察により強制退去。

2012年12月2日:デ・フルクト教会スクウォット時にオランダのテレビ局、AT5で放映。「亡命希望者が今、教会をスクオット」
http://www.at5.nl/artikelen/91524/asielzoekers-nu-in-gekraakte-kerk

2012年12月4日・19日:デ・フルクト教会の難民申請者、支援者によるデンハーグでの抗議・署名活動
http://www.parool.nl/parool/nl/224/BINNENLAND/article/detail/3361004/2012/12/10/Poelgeest-Amsterdam-laat-illegalen-met-rust.dhtml

2013年1月5日: オランダ・ユトレヒトにて、”WE ARE HERE!” 難民キャンプデモ
http://www.devluchtkerk.nl/blog/vluchtelingendemonstratie-5-januari

2013年1月11日: デ・フルクト教会のソマリア難民が、難民追放の政府の決定に抗議し、デンハーグで「死体」抗議のパフォーマンス
https://www.youtube.com/watch?v=aCVhQzC8F7k


2013年2月10日:アムステルダムのパラディソで行なわれたサリフ・ケイタのコンサートで、デ・フルクト教会に滞在中の難民がコンサートで抗議。
ビデオ: http://www.youtube.com/watch?v=tTH5bcNaKKY






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(サリフ・ケイタとデ・フルクト教会に滞在する難民たちによるコンサート・ポスター)


2013年3月5日・14日:アムステルダムのパラディソで、デ・フルクト教会に滞在中の難民が、”We Are Here”(私たちはここにいる)・コンサートを開催。

2013年3月9日〜10日 国会議員がデ・フルクト教会で泊まり込み抗議
オランダ 緑の党、キリスト教連合と社会党の議員たちは、週末にアムステルダムのデ・フルクト教会で一夜を明かし、オランダの難民政策に抗議。
http://www.volkskrant.nl/vk/nl/2686/Binnenland/article/detail/3404888/2013/03/06/Kamerleden-logeren-nachtje-in-Vluchtkerk.dhtml

2013年3月13日〜14日:デンハーグで行なわれた「安全と正義の総合討論(AO)」にあわせて、難民の住居と生存権を訴える、泊まり込みの抗議活動
http://www.facebook.com/events/588928617802331/

2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ - “Wij zijn Hier. Geen mens is illegaal!” 「私たちはここにいる。誰も違法ではない!」





アムステルダムで行なわれた反難民政策デモには、難民申請者、支援者、政治家、組織、一般市民が参加。http://vluchtelingenactie2013.nl/


約2000人が、デ・フルクト教会からミュージアム広場までデモ行進した。子ども連れの家族、乗っていた自転車を押しながら、飛び入りで参加する人も多く見られ、フレンドリーで和やかな雰囲気に包まれた。





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ - “Wij zijn Hier. Geen mens is illegaal!” (私たちはここにいる。誰も違法ではない!) のチラシ&ポスター





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、デモ行進





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議





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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議(ステージ)




ミュージアム広場の抗議活動、スピーチはオランダ語、英語、フランス語、アラビア語のマルチリンガルで行なわれ、デモ行進の参加者に加え、さらに500〜1000人が発せられた言葉に聞き入っていた。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。“nous sommes des humains comme vous”(私たちも、あなたがたのような人間である)と書かれたフランス語のプラカードを持った女性。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。車椅子で抗議する女性。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。“IEDEREEN IN DE WERELD IS VLUCHTELING”(世界中のすべての人は難民だ)と書かれたオランダ語のプラカードを持った女性。




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2013年3月23日:アムステルダム 反難民政策デモ 、ミュージアム広場での抗議。“WE ARE HERE”(私たちはここにいる)と書かれたオランダ語のプラカードを持った男性。





アムステルダム 反難民政策デモ デモ行進とミュージアム広場の抗議活動の様子を短く編集したビデオ



オランダの各種メディアは事実を歪曲せず、反難民政策デモについて報道している





オランダの今年の春の寒さは、例年よりもかなり厳しく、まだ真冬のコートが手放せない。
2013年のイースター(復活祭)の週末は、クリスマスよりも冷え込み、1964年以来の寒さが到来。

4月になっても、雪が舞い散る日も多く、春の訪れを感じるのはまだ先になりそうだ。

そんな寒さの折、3月末までの滞在が許可されていたデ・フルクト教会の住民である難民たちと支援者は、アムステルダム市長へ滞在許可延長を申し入れ、その結果、4月5日までの滞在延長の猶予が認められた。

4月8日に難民たちと支援者たちが書いたアムステルダム市長への手紙には、先の見えない将来への不安と闘う難民たちの苦悩が綴られた。異なる文化背景を持つ人たちとの長期にわたる共同生活によって、精神的・身体的な疲労困憊は限界に達している。人間としての最低限の生活を営むために、緊急に治療と保護が必要だと訴えた。

http://www.devluchtkerk.nl/blog/brief-aan-de-burgemeester

こうして再び滞在許可は4月10日まで延長され、同日、アムステルダム市長と教会の所有者が、非公開の場で今後の教会について協議したが結論には至らなかった。

4月15日、再びアムステルダム市長との会談が行なわれ、教会に滞在している難民と教会所有者との間の滞在許可契約書が、6月1日まで延期されることとなった。

今後数週間のうちに、難民たちが緊急サービスを受けられるような道筋を、アムステルダム自治体と他の機関が協力しながら作り上げていく運びとなった。

しかし教会側は、今回のアムステルダム市長の決断を高く評価しているものの、慎重な姿勢を崩さない。難民と直接話し合い、彼らをどのように扱うかという「実益」を約束すること、個々の難民に注目し、彼らの将来を考慮した「よいカウンセリング」を行なうことで、現実的な計画を作り上げることを市長に訴えかけている。




後編に続く


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(2012年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第202号より)





『福島と生きる 国際NGOと市民運動の新たな挑戦』








震災直後、宮城県や岩手県には多数の国内・国際NGO/NPOが次々と支援に入ったが、福島県では出遅れた。

放射性物質による汚染のほかに、福島ではNGO/NPOの活動基盤や、外部から支援を受け入れるための受け皿となる中間支援組織が脆弱で、それが支援活動の遅れになった可能性が指摘されている。

本書は、こうした福島の問題を乗り越えようとする市民とNGOの格闘の軌跡と、「未来」や「福島」への視座を特集している。放射能汚染は測定器がなければ不可視的であり、よって実害も不可視化されやすい。

対立と分断を越えて、今の問題をどうとらえ、発信し、広く連携していくか、その実践とヒントがつづられた。

「福島の状況を世界に発信する際の鍵は、福島で起きていることを世界的な課題(グローバル・イシュー)として位置づけるところ」(竹内俊之・国際協力NGOセンター震災タスクフォース福島事務所長)。

福島の問題がいかに普遍的かを理解できる一冊。 

(藍原寛子)


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5月15日発売のビッグイシュー日本版215号のご紹介です。



スペシャル・インタビュー ジョン・ボン・ジョヴィ


バンド結成30周年の節目に、通算12枚目のアルバム『What About Now』をリリースしたボン・ジョヴィ。「ソングライターである前に、一人の闘う男でありたい」と言います。走り続けるボン・ジョヴィが、曲づくりや家族、政治、そして情熱を注ぐコミュニティ支援活動についても話してくれました。



特集 無限?! ネイチャー・テクノロジー ― 自然に学ぶ、生きのびる技術


地球生命の誕生から38億年。自然界の生き物は試行錯誤や淘汰を繰り返し、最小のエネルギーで駆動できるしくみや、完璧に循環するつながりのシステムなどをつくりあげてきました。
2030年、生物多様性の劣化、エネルギー・資源の枯渇などすべてのリスクがピークを迎えるといわれています。自然に学び、生きることを楽しみながら人類の危機を乗り切る技術、「ネイチャー・テクノロジー」を研究している石田秀輝さん(東北大学大学院教授)に、自然のすごさを新しい物づくりと暮らしに活かすことについてお聞きしました。
また、ヤモリの足にアイディアを得た中山喜萬さん(大阪大学名誉教授)の「ヤモリ・テープ」や槌谷和義さん(東海大学准教授)の「蚊にヒントを得た痛くない注射針」の開発研究について取材。
さらに、塚本康浩さん(京都府立大学大学院教授)には、ダチョウの生命力に注目、アトピーや花粉症に効き、将来的には子宮頸がんやHIVへの応用化も目指す「抗体」の研究についてお聞きしました。



リレーインタビュー 神野三鈴さん


舞台を中心に活躍を続ける、女優の神野三鈴さん。母親と老いた猫の介護を続け、ボロボロの身体を引きずるように稽古場へ通う……。そんな日々を過ごすなか、「自分の選択に誇りをもとう」と心に決めたことが、自身にとって大きな変化だったと語ります。



クリエーターの視点 下道基行さん


数十年の時を経た戦争遺跡や、暮らしの中で必要とされる橋――。下道さんは、目の前の風景を写真で記録し、時間の流れや人々の生活を浮かび上がらせます。現在、中学生と共に進めている、「14歳と世界と境」という活動についてお聞きしました。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
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(2011年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第169号より)




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アルゼンチン 軍政期の「乳児誘拐」を裁く



1976年〜83年の軍事政権下、軍が「反体制分子」を秘密裏に監禁していた「収容所」で生まれた赤ん坊ら、500人近い乳児は、親から引き離され、養子に出されたり、売られたり、捨てられたりした。

この「軍政による組織的な乳児誘拐」の裁判が、4月に始まった。34件が審議され、300人を超える証人が出廷する。     

「私は32年間、偽りの人生を送ってきた」。

フランシスコ・マダリアガは、軍諜報部員の「両親」のもとで、別人として暮らしてきた。8歳頃から始まった「父親」による暴力と、出生年が軍政期で出生地が「収容所」のあった地域だと知ったことをきっかけに、自分の出生に疑いを抱いた。

その後、軍政下で行方不明になった孫や曾孫を探す女性たちの組織の支援で、真実を突き止めた。「両親」は今回法廷で裁かれる。

実母は「収容所」で死亡したが、亡命し生き延びた実父とは、昨年再会を果たした。「それは人生最高の瞬間だった」と話す。

長い時を経て、自らと祖国の歴史の真実を求める闘いが始まった。

(工藤律子/参照:BBC Mundo, El Universal)
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109人生相談





職場の派閥にどう対処すべきか…



転勤先の新しい職場は、自分以外は女性ばかりで険悪なムード。キャリアのあるAグループは前例にこだわり、若手のBグループは責任感が薄く、二派に分裂しています。業務を円滑にまわさないといけない立場として、中に入り込めず手を焼いています。うまくまとめる策はありますか?

(男性/会社員/29歳)






新しい職場で、男性1人とは、気苦労がたえないですね。

僕も20代後半の頃、新しい仕事を紹介されて、知らない土地に引っ越しをしたことがある。でも、心を病んでしまった。現場には暗黙のルールがあるのに教えてくれず、派遣された会社ごとにグループもあって、誰にどう聞いていいのかわからなくってね。

もともと僕は内気で、言葉が喉まで出かかっていても声をかけるタイミングをつかむのが苦手。それに借金の問題もあって、だんだん頭の中が不安でいっぱいになってきた。

ひとりぼっちで考え込むうちに、被害妄想みたいになって、誰かが話している姿を見ると、悪口を言っているんじゃないかと、つっかかってけんかになっちゃって。恥をかき続けるのはゴメンだから、去るしかなかった。




ところが、今はホームレスであるという恥を、声を張りあげて町中でさらして生きている。かつては敵に見えた人ごみの中には、好意をもってくれている人もいたんです。

治療をしたのもあるけど、声を出すうちに、次の言葉が見つかり、具体的に物事が考えられるようになってきた。




この人には、積極的に声をあげてもらいたい。職場では、年齢差や男女差、いろんなことが絡まって、三者三様、まったく違った見方をしているんでしょう。

この際、格好よくまとめていこうとはせず、恥をかいてみてはどうですか? 

これからは忘年会や新年会など飲みに行く機会も多いし、無礼講もアリ。腹を割って話してみると、案外、想像と違う人かもよ。あとは、他の職場の先輩に相談するとかね。僕はいつも下っ端だったけど、上に立つ人は気持ちが強かった。

この人も、ただしゃべればいいというものではないと思う。「職場をよくしたい」ではなく、「僕は職場をよくしたい」というふうに、「僕」とか「私」とか、主語を使って話すと、意思がより強く伝わり、いずれ仲間になってくれるんじゃないのかな。(東京/Y)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第109号より)







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(2011年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第168号より)




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中国、「俺の親父は李鋼だ」 ひき逃げ犯の言葉が流行語に




昨年10月、河北大学の構内で22歳の青年が酒気帯び運転のあげくに女子学生二人をはね、一人は死亡、一人は重傷という事故を起こした。

二人をはねた後、高スピードで走り去り、何事もなかったかのように女友達を迎えに行ったという。警察に取り押さえられた際、「俺の親父の名は李鋼だ」と言い放ったことが、インターネットを通じて事件を全国に知らしめる結果となった。

ネット上で青年の言葉に非難と嘲笑が集中し、それが瞬く間に流行語となった。

「規則を守れ。君の親は李鋼じゃないんだから」といったバリエーション、さらに同名の歌までつくられ、ネット上で人気を博している。河北大学は目撃者に対して緘口令をしいているので、真相は明らかにされていない。“李鋼”とは地元警察の幹部である。世論に抗しきれず、公の場で謝罪し、辞表を提出したという。

最近、刑期6年の判決がおりた。李家から被害者側に多額の賠償が行われたことなどが考慮され、軽い刑期となった。

(森若裕子/参照:中国青年報、中国経済網、北京晨報)


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(2011年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第172号より)




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中国、広東省で治安当局への不満爆発、暴動に




広東省で「民工」と呼ばれる出稼ぎ農民による暴動が起きた。きっかけは違法に露店を営んでいた四川省出身の妊婦が、地元の治安当局に身柄を拘束されたことだ。

この事件で、日頃から治安当局に不満をもつ「民工」の怒りが爆発し、警察機関などを襲撃した。当局は警察や軍隊を5000人以上動員し、3日後に事態は鎮静した。

治安当局の要員は、日常的に露天商などに対し「保護費」という名で場所代を請求し、払わないと暴力をふるっていた。妊婦も支払いを拒否したため拘束されたといわれている。

「保護費」の額も「民工」は地元民より多く徴収され、不平等な扱いに対する不満も鬱積していた。

暴動の起きた地域はジーンズ産業で有名だが、工場労働者のほとんどは「民工」だ。地元民は家を貸したり小さな商売を営むだけで十分な収入が得られ、工場で働く必要はないという。

広東省の高官は「社会管理」をテーマにドイツを視察中であり、治安当局の主任は家族と共に姿をくらました。

(森若裕子/参照:亜洲週刊、中国日報)
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(2012年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第203号より)





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(福島市飯坂町平野の仮設住宅敷地内で演奏する山木屋太鼓のチーム「山猿」(10月22日))





被災地に響く、川俣町の「山木屋太鼓」




被災地の心の響きを共感したい---。東日本大震災に伴う原発事故と放射能の影響で、2011年4月から計画的避難区域に指定された福島県川俣町山木屋地区。同地区の若者や子どもたちを中心にした「山木屋太鼓」が活動を再開、福島県内外で被災者を力づけている。




山木屋太鼓は、高齢化が進む同地区で、地元の人とのつながりを築くことで若者の流出を減らそうと01年に結成。大学生と社会人の「山猿」、高校生と社会人の「朱雀」、そして子どもたちの「鼓狐」「鼓魂」の4チームで活動してきた。しかし、原発事故に伴い、住民が各地に避難。

震災前は約40人いたメンバーも、昨年5月に太鼓を地域外に持ち出してから、最初の練習の日に集まったのはたった2人だった。

ところが、県内外に避難した地域の人や山木屋太鼓のファンから、「山木屋太鼓を聴くと元気になる。また演奏して」「イベントで演奏に来て」などの依頼が寄せられた。

そこで昨年7月以降、練習を再開。現在は仮設住宅での激励演奏や、地域の祭り、音楽祭やパレードへの参加など、力強い太鼓で被災者を元気づけている。




各チームにも震災後、新たな動きが生まれた。チーム「山猿」は山木屋地区の自然をテーマにした従来の曲に加え、震災から学んだ人と人とのつながりをテーマにした新曲「助達」、「灯」を完成させた。

子どもたちも人数が減ってしまったが、「鼓狐」「鼓魂」を合同チーム「鼓龍」に再編成し、活動を再開した。

10月22日の夕方、福島市飯坂町平野の応急仮設住宅で「山猿」の演奏が行われた。力強い太鼓の音に、避難生活を送る住民から大きな拍手がわいた。

双葉町から避難している女性は「双葉町にも地元の太鼓があり、毎年演奏を聴いていた。やっぱり太鼓の音は元気が出ますね」。




事務局の遠藤恵美さんは、「避難して練習に参加できなくなったメンバーが、イベントで演奏する時に観客として駆けつけてくれるのが何よりうれしい。今後も活動を続け、一人でも多くの人を元気づけていきたい」と話している。

震災と原発事故で中断された交流や地域文化の継承のため、今後も力強い演奏を続ける方針だ。
 (文と写真 藍原寛子)


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(2011年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第168号より)




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ドイツ、機能的非識字者が国内で750万人




このほどハンブルク大学の調査で、ドイツ国内に750万人の機能的非識字者がいることが報告された。機能的非識字者とは、就業能力がある成人でも小学校1〜2年生レベルの読み書きしかできない人を指す。

ベルリン在住のノラさん(23歳)は、両親が教育に無関心で小学校では1年生を二度繰り返した。その後、障害児向けの特殊学校に転校して義務教育を修了したのち、現在はレストランで働いている。

「読み書きができない人たちは、それを他人に知られず日常を生き抜く驚くべき知恵をもっています」とドイツ識字教育連盟のブリンクマン氏は語る。「メガネを忘れた」と言って他人に書類を読んでもらったり、字を書かなければならない場面でわざと指をケガする人もいるという。

前述のノラさんは、4年前から夜間学校で学んでいる。「『読み書きができない』とカミングアウトするのはとても勇気のいることでした。でも、人生に対してもっと積極的になりたいと思ったのです 」と話す。将来は、自分でレストランを経営するのが夢だという。

(見市知/参照:Berliner Zeitung)
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