究極の家、ツリーハウスの系譜



子供の頃、木登りをしたときの気分を覚えていますか? 上空から世界を見下ろす爽快さ。ちょっと孤高の気分と優越感が混ざった感じ。それが人目につかないところであれば、とっておきの秘密の隠れ処にもなる。

手を回したって抱えられないような大きな木。かおるくんも、そんな木の上にツリーハウスをつくる空想をふくらませる。長くまがりくねったはしごを登りきったところにある自分の部屋。ホットケーキも焼ける台所! 夏には小屋の中でセミがなき、冬にはストーブが燃える暖かい部屋にクルミを持ってリスが遊びにくる…。(『おおきなきがほしい』文・佐藤さとる/絵・村上勉/偕成社)








空想だけでは飽き足らず、実際にツリーハウスを作ったのは『スタンド・バイ・ミー』(スティーヴン・キング/新潮文庫)のクリス、テディ、バーン、ゴーティの4人組だ。楡の木の上に廃材でつくった小屋で、タバコを吹かしあったり、くだらない冗談を言い合ったり。木の上の秘密基地という非日常の空間が、かけがえのない時間をくれる。







一方、都会のマンション暮らしに飽き飽きして、木の上で暮らし始めたのはアグライアとビアンカ(『木の上の家』ビアンカ・ピッツォルノ/汐文社)。コウノトリに運んでいた赤ん坊を押しつけられてしまった二人。セントバーナード犬のドロテアを乳母として雇い、赤ん坊4人の世話をさせたり、電気はシビレエイから取ったり…とマンション暮らしでは味わえないスリリングな日々が展開される。






ツリーハウスの歴史は古い。紀元1世紀頃の『博物誌』に記されているのは、ローマ帝国3代皇帝カリギュラが庭園に作った、15人ほどの招待客らが上がれる樹上宴会ホールだ。『ツリーハウスをつくる』(ピーター・ネルソン/二見書房)を見れば、世界には遊び心あふれるツリーハウスが数多く存在していることがわかる。





『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』のイウォーク族の森をイメージしたもの、まるで船が緑の海を悠然と進んでいるようなボート型のもの、ハワイのマウイ島ハレヤカラ山などには、ツリーハウスを気軽に楽しめるホテルもある。




ごつごつと温かみのある幹、しなやかな枝。木々の肩を借りてつくられたツリーハウスは、人類揺籃の場所、セルフビルドの原型といえるかもしれない。


(八鍬加容子)
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(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第76号より




人は“家づくりの本能”をもつ




「僕らより縄文時代の人のほうが冴えてた」と語る建築家の鈴木明さん。
家づくりの本能を忘れた現代人に、セルフビルドの小屋作りの楽しさを語る。






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標準の発想を捨てるところから始まるセルフビルド




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芝生の上には、うず高く積まれた新聞紙のブロック。ドームのような形をしたその山の中に、子供が一人消えていった!

実はこれ、鈴木明さんの小屋作りワークショップの作品だ。建築家は小学生などの子供たち。12段に積み上げられた1・5トンの新聞紙、その「秘密基地」の中で、ご満悦の様子だ。植木鉢がサッカーボールのように幾何学模様に組み立てられた小屋では、ひょこっと顔を出しピースサインしている子もいる。




鈴木さんは、大学で建築を学んだ後、建築関係の雑誌編集に8年間携わった。誌面をつくるために「毎月15〜16軒の建物を見てきたので、8年で1000軒くらい見てきたと思います。それで、若気の至りでだんだんと『日本の建築おもしろくないなぁ』と思ってしまったんですね」と笑う。




海外で建築を見歩き、ロンドンのAAスクールなど教育現場を訪れる日々の中で、ワークショップの構想が湧き上がり始めた。

帰国後まず始めたのが、若手建築家を対象に、ピーター・ウィルソン、ナイジェル・コーツ、ザハ・ハディド、アルビン・ボヤスキーなど有名な建築家を招いてのワークショップ。できあがった作品を前に「この作品をつくった目的は何?」と参加者に聞いても、みんな黙りこくってしまったことにショックを受け、「子供の頃から建築を教えたい」と切実に感じた。その経験が目黒区美術館のキュレーター、降旗千賀子さんとタッグを組んだ、「子供たちとともに家をつくる」ワークショップにつながっていく。




建築を子供に教えるにはどうすればいいのか。小難しいことの羅列よりも実物を作るほうがおもしろいにちがいない。それは、建築家の限界、利用者の立場のデザインというものを少しずつ感じ始めた時期でもあった。

「例えばトイレ一つにしてもね、研究は実験室っていう限られた状況で考えるから、『標準のウンチの仕方はこう』っていうところからしか始めようがないわけなんです。本当は一人ひとり方法は違うわけじゃないですか。でも、『標準化の仕方なんてわからないよ』っていうところからは絶対始まらないわけなんです」




「標準」から始まってしまう建築には、大事な何かがかけ落ちてしまうのではないか、そう考えた鈴木さんは「セルフビルド(自分でつくる)の家」にたどりついた。現在のワークショップでは、新聞紙、ベニヤ、竹、水道管など、身近な素材で小屋作りをする。ごみのように置かれていた物が自分たちの空間を構成していくプロセスに、大人も子供も目を輝かせる。




土地の風土や気候、生き方をも雄弁に語る家たち



世界には、ユニークなセルフビルドの家がたくさんある。例えば、北米先住民イヌイットのイグルー。雪と氷に覆われた一面真っ白な世界で、彼らは氷をレンガ代わりに積み上げ、猟のための小屋を作る。

ボリビア南西部、アンデス高原のチリとの国境に近いチパヤ村の家や、ペルーのチチカカ湖近辺に住むケチュア族の家は芝でできている。原っぱに円を描き、外側の芝を剥ぎ取りブロックにして積み上げたものだ。セルフビルドの家々は、身近な素材で作られているため、その土地の風土や気候を雄弁に語る。




後編を読む


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世界は驚きに満ちている



2011年に好評を博したBBCの「フローズンプラネット」シリーズをはじめ多数の自然ドキュメンタリーで解説役を務めてきたデヴィッド・アッテンボローは、86歳にしてイギリス最高の自然ドキュメンタリー作家でありつづけている。アッテンボロー卿が、自身の非凡な人生、BBCとの60年、自然ドキュメンタリーの未来、そしてなぜ「自然界はつきない喜びをもたらしてくれるか」について語る。






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(Photo : REUTERS/Dylan Martinez)





「君は物理学者なのかね?」とデヴィッド・アッテンボロー卿は、例の朗々とした声で私に尋ねた。

なんてことだろう。ヒッグス粒子についてたどたどしく解説してみせたせいだろうか、私も科学者仲間なのだという誤った印象を、イギリスの自然史ドキュメンタリー界の重鎮に与えてしまったようだ。

赤面しながら、「いいえ、ただの科学好きのアマチュアです」と答えた。「そう」と言ってにっこり笑うと、アッテンボロー卿は私を品定めするように見た。「きっとブライアン・コックス(訳注:1968年英国生まれの物理学者。ロックバンドのキーボード奏者として活動していたこともある。テレビやラジオのプレゼンターやキャスターとしても数多くの科学番組に出演している)のポスターを部屋に飾っているんじゃないかな」

どうしてばれたんだろう? 思い切って「ある意味でコックス博士は物理の世界におけるアッテンボロー卿なのです。あなたがコトドリの鳴きまね声やゴリラの社会的行動を紹介して私たちを夢中にさせたように、コックス博士はビッグバンや宇宙のはて、原子の内部構造について、一般の人々の興味をかきたてましたから」と言うと、アッテンボロー卿は「コックス博士は私なんかよりずっと頭がいいよ」と答えた。

「本当のことだ。物理学者だからね――素粒子物理学のことを考えると、私なんかわけがわからなくてぽかんとしてしまう。本当に並外れた学問だよ。コックス博士の仕事にくらべれば、私のやっていることなどごくごく易しいことだろうね」




あまりに身近な存在であるため「とんでもなく物知りのお祖父ちゃん」のように思えるアッテンボロー卿だが、偉ぶってみせないだけなのだ。

1979年から2008年の間に8作が放送され大反響をよんだ 「Life」シリーズを制作、2001年に好評をはくした「ブルー・プラネット」ではナレーターをつとめ、60~70年代にはBBC第2局の局長、BBCテレビ全体の編成局長として、英国初のカラー放送を行い、その日のサッカーゲームをハイライトで紹介する「Match of the Day」や伝説的なコメディ番組「モンティ・パイソン」を世に送りだすなど、数々の偉業をなしとげてきた。

2012年はアッテンボロー卿がBBCで仕事をはじめて60周年となるが、今でも見るからにBBCへの誇りにあふれている。それに、隠居を決め込むつもりもさらさらないようだ。

なんといっても85歳にして初めて北極に立ち、ホッキョクグマをなでてみせた人物なのだ。そのクマは大人しく、有名人との邂逅を気にとめていないようだったが、撮影の後で飛びついてきた子グマたちに噛みつかれたそうだ。




昨年放送された「フローズンプラネット」シリーズは、BBCが依然として世界最高の自然ドキュメンタリー番組の作り手であることを証明してみせた。シャチの集団に襲われて安全な氷上から海に落とされる哀れなアザラシの表情が放映されたとたん、ソーシャルメディアにはかわいそうだという書き込みがあふれた。フェイスブックに感想を書き込んだ人々は、涙を誘ったのがどの番組なのかをわざわざ書く必要はなかった。皆が同じ気持ちだったからだ。





アッテンボロー卿は、こうした番組の制作に多額の予算をさける時代が終わりつつあるという危惧を示した。「フローズンプラネットは制作に4年をかけ、カメラマンは総勢40名という大変なビッグプロジェクトだった。チャンネル数が増えたので、当然ながら一番組あたりの視聴者数は減っている。こうしたプロジェクトにかけられる予算は減る一方で、資金集めもますます難しくなっている」

BBCにはまだビッグプロジェクトを実現する力があるが、孤立無援に近い状況の上、あらさがしをしようと待ちかまえている者までいる。ホッキョクグマのコグマのいくつかの映像が氷盤上ではなく動物園で撮影されたことがあきらかになったとき、マスコミは視聴者を誤解させたとしてBBCを一斉に批判した――だが、その事実を明らかにしたのはBBCの番組ウェブサイトに他ならなかったのだ。







BBCのマーク・トンプソン会長は、大衆紙は大騒ぎをすることで、政府のメディア倫理調査委員会(訳注:メディア王ルパート・マードック率いるニューズコーポレーションの大衆向け新聞ニュース・オブ・ザ・ワールドによる盗聴スキャンダルを発端に設けられた英政府のメディア倫理調査委員会)へのしっぺ返しにこの事件を利用したと批判している。

こうした厳しい批判と釈明の応酬が行われるなか、アッテンボロー卿も連日モーニングショーに出演したり、数多くの新聞取材に応えて弁明に奔走していた。そうした事情もあり、なんとこのインタビューではホッキョクグマやBBCを持ち出さないようにとの注意を受けていた。インタビューの間も、まるでこの業界の長老には付き添いが必要だというように、広報担当者がメモ帳を片手に部屋の反対側に控えていた。




もちろん付き添い役など必要ないが、アッテンボロー卿は少し疲れているように見えた。美しい白髪の分け目はいつものようにまっすぐではなかったし、淡いブルーのシャツの上に羽織ったスポーツジャケットには少ししわがよっていた。その日もすでに何時間もの取材に答えた後だったのだ。私が部屋に入ると、膝が悪いにもかかわらず礼儀正しく立ち上がり軽くお辞儀をして握手で迎えてくれた。「調子はどうです?」と尋ねると、茶目っ気たっぷりにぐるりと目をまわせてみせた。

「BBCは世界最高の放送局だ」とアッテンボロー卿が言い、ふたりして広報のお達しを無視することにした。「欠点も多いだろう。いいときもあれば悪いときもあった。だが、世界中で本当の意味で真に公共放送局といえるのはBBCだけだ。テレビはもっとも有力なメディアであり、公衆への奉仕につとめなければ。ただの金儲け以上にできることは多い」




BBCでの地位を捨ててまで、情熱のままに地球の生物について番組を作りつづけてきたアッテンボロー卿だが、今でも自然界の抗しがたい魅力にとらわれている。しかし、比類のないキャリアを築いてきた道のりは犠牲を伴った。1997年に妻のジェーンが脳出血で倒れたときには、ニュージーランドで「ライフ・オブ・バーズ」を撮影中だった。かけつけた彼が手をにぎると、昏睡状態だった妻からかすかな反応があったという。47年間連れ添った妻の死についてアッテンボロー卿が語ることはめったにないが、妻のいない生活に寂しさを感じることは認めている。

子どもたちとは親しい関係だという。妻の死後は、娘がしょっちゅう家に来て、掃除をしたり、卵をゆでるのさえやっとの父親のために食事を作ってくれるそうだ。しかし、撮影で旅行が多かったために、子どもたちが小さなころはあまり一緒に過ごせなかったと話す。「もっと一緒に過ごせればよかったけれど、お土産にサルを持って帰ってあげられたからね」と穏やかに続けた。

それはすごい!面白い土産話をたくさん聞かせてあげられたでしょうと言うつもりだったが、かわりに「サルは最高のお土産話ですね」と言った。「そうだね。我が家には、小さなブッシュベイビーのコロニーがあったんだ」とアッテンボロー卿は笑うと、ブッシュベイビーは大きな目をした夜行性のサルだと説明した。「専用の部屋をつくって、寝床にうろのある木を置いた。ブッシュベイビーは赤ん坊を口にくわえて運ぶんだよ」

アッテンボロー卿が自然に興味を持ったきっかけが居間で飼っていたブッシュベイビーだったなら最高のエピソードになるところだが、実際にはごく普通のみみずを見て、「人間と生命をわかちあう生き物にすっかり魅惑された」のだと言う。

アッテンボロー卿に言わせれば、子どもなら誰もが3、4歳でそうした感動を覚えるようになるが、失うのもたやすい。「現代社会でそうした感動が失われている最大の要因がコンピューターだよ。その結果、私たちは非常に貴重なものを失っている。つまり、生命の喜びだ」





アッテンボロー卿はEメールにも断固反対だ。「私はメールをしない――絶対に。私の友人にも、朝起きたらまず1時間半ほどメールチェックなんていうばかばかしい作業にいそしむ連中がいる。だが、連絡がとりたければ郵便がある。何の不都合があるというんだろう?」

「もうひとつメールについて腹が立つのは、人間生活の何より優先されているところだね。相手が子どもの世話をするより先に自分のメールに返事をするのが当然みたいに考えられている。今メールしたのにどうして20秒以内に返事をしないんだ、とか。こっちは他のことで忙しいんだと言ってやるべきだ」





朝起きて、それほど重要な「他のこと」がある者はあまりいないだろうが、アッテンボロー卿も80代半だ。いつまでもずっとイモムシの一生や楽園の鳥の求愛行動について解説してくれることは期待できない。後を継ぐのは誰だと思っているのか尋ねてみた。

しばらく考えたあと、アッテンボロー卿は言った。「私のような存在は必ずしも必要ではないのかもしれない。人間が出演しなくても、素晴らしい自然ドキュメンタリーをつくることはできる。実際、最高の作品には解説者は出演していないからね」

アッテンボロー卿自身は、これまでの自分の業績を単なる偶然のたまもので、BBCが解説者を出演させるというアイデアをテレビの生放送からドキュメンタリーに持ち込んだおかげだと話すが、そのように簡単に片づけられるものではないだろう。少なくとも、自然ドキュメンタリーの分野で彼の後を継げるような者は見あたらない。アッテンボロー卿がいなくなれば、代わりはいないのかもしれない。

「かぎりある命だからね」とアッテンボロー卿は言った。「年をとるにつれて神について考えることが多くなったよ。今でも私は不可知論者だし、死後の世界について尋ねられれば『さあね。何の証拠もない。死後の世界はあるかもしれない。だからって、私に何ができる?』と答えるだろうがね」兄でアカデミー賞受賞監督のリチャード・アッテンボロー卿は、ロンドンの自宅での転倒事故後に車いす生活となり、70年におよぶ映画界の仕事からの引退を発表した。しかし、弟のアッテンボロー卿のほうは3Dテレビの可能性にドキュメンタリー制作への情熱を新たにしているところだ。

新年にスカイチャンネルで放送されたペンギンのドキュメンタリーを3Dでつくり、現在は今年の後半に放送予定のガラパゴス諸島のドキュメンタリーを企画中だ。60年代に新技術のカラー放送に飛びついたように、3D放送の熱烈な支持者なのだ。「3Dだとよりリアルに見せることができるからね」





アッテンボロー卿は、これからも膝の調子が許すかぎり仕事を続けていくつもりだ。何十年もの間いくつもの大陸を旅してきたが、今はなんと荒涼としたゴビ砂漠で発掘作業をするのが夢だという。理由を尋ねると、「自分の目で見るほうが見ないよりもいいからね」と単純明快な答が返ってきた。「世界は驚きに満ちた場所で、素晴らしいことが起こっている。自然の世界から得られる喜びはつきない」



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(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より)




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中国、広がる経済格差 1%の世帯が富の41.4%を占有



経済評論家の邱林(チョウ・リン)氏は世界銀行が発表したデータを引用し、「1パーセントの世帯による全国の富の41.4パーセントの占有をどう見るか」という文章を発表した。

その中で都市住民における高所得者層と低所得者層の格差が、1985年の2.9倍から2009年の8.9倍と急速に拡大している事実をあげ、格差は単なる経済問題ではなく、公平と正義に関わる社会問題だと主張している。

外国の富裕層が1億元のために15年、1億元を10億元に増やすのにさらに10年かかるところを、中国の富裕層はわずか3年で成し遂げてしまうという。

また巨大な富を築いた中国人は3タイプあり、権力と資本をもち合わせた人、違法な手段で儲けた人、あるいは鉱物資源などの採掘や独占的な業種に従事する人で、まっとうな方法で成功した人は3割にも満たないと業界人は指摘している。

また都市戸籍の住民と農村戸籍の住民の間に、実質6倍の格差があるといわれている。こうした多重構造の格差はまだまだ広がる趨勢だ。

(森若裕子/参照:中国評論、星島環球網)


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(2011年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第181号より)




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香港、焼石に水の住宅政策



来年6月で任期を終える曾蔭権(ドナルド・ツァン)行政長官は最後の施政報告で住宅政策の失敗を認め、2003年から凍結していた公共分譲住宅の建設を再開すると発表した。

香港では世界的に株価が下落しても不動産価格は下がらず、住宅難はますます深刻になっている。施政報告によると、月収3万元(約30万円)以下の世帯を対象に公共分譲住宅を2016年から4年間で1万7000戸建設し、1戸当たり150万〜200万元(約1500万〜2000万円)で提供する予定だという。

この政策に対し野党は「遅すぎる、少なすぎる」と批判している。また、不動産市場の価格が一般市民でも購入できる価格に戻ったら建設を中止するという政策に、不信感を募らせている。さらに問題なのは、公共賃貸住宅への入居を希望する単身若年層が急増しているにもかかわらず、毎年1万5000戸建設という現状維持にとどまっていることだ。

この住宅政策は曾行政長官が有終の美を飾るためのパフォーマンスにすぎないのだろうか。

(森若裕子/参照:亜洲週刊、星島日報、中国評論)


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ビッグイシュー・オンライン編集長のイケダハヤトです。最新号の読みどころをご紹介です。




インクルーシブ教育の難しさ



最新号の目玉は乙武洋匡さんのインタビュー記事。小学校教師の実体験をもとに描いた小説「だいじょうぶ3組」の映画化にあたって、ご自身の想いを吐露されています。






個人的に特に興味深かったのが、現在教育界で進められているという「インクルーシブ教育」についてのお話。インクルーシブ教育は、日本語に直せば「"包含"教育」。障害のある者もない者も、同一環境でともに学ぶことを推し進める動きです。

「だいじょうぶ3組」は担任が障害者である物語、その続編「ありがとう3組」はクラスに発達障害を持つ生徒がいる物語となっています。乙武さん自身も「インクルーシブ教育」の当事者であるため、このテーマには強い思い入れがあるのでしょう。




そんな「インクルーシブ教育」の課題について、乙武さんは次のように語っています。

たとえば、僕が逆上がりできないのを見て「なにサボってんだ!」と言う人はいないんですね。

でも、忘れ物が減らないとか、じっとしていられないという発達障害は脳機能の問題だから目に見えないし、そもそもコミュニケーションが苦手という特性があるから周囲に伝えることもままならない。

この15年で、僕のような目に見える障害への理解はずいぶん進んだ。今度は、目に見えにくい障害の番かなと思うんです。


ぼく自身、自分の小中学校時代を振り返ってみると、「あいつは発達障害だったんだろうなぁ」と思う友だちが何名かいたりします。

先生にもよく怒られ、友だちからはからかわれ、本人は辛い思いをしていたことでしょう。ぼく自身も「間抜けなやつだなぁ」程度にしか思っておらず、特段の関与をすることもありませんでした。当時のぼくや友だち、教師に「目に見えにくい障害」への理解があれば、接し方は大いに変わっていたことでしょう。





乙武さんが大切にしているのは「みんなちがって、みんないい」というメッセージ。インタビューのなかでは「みんな完璧じゃないけど、それぞれが得意なことを活かし、苦手なことを補って支え合っていけば、豊かな人間関係が気づいていける。それは学校ではなく、社会も同じだと思うんです」と語っています。

ぼくたちはつい、自分の常識から外れた人を疎外したくなるものです。これからの社会、教育においては、「常識はずれ」の人たちをいかに包含し、コミュニティを形成していくかが問われるのでしょう。




その他、「放射線との向き合い方」、女優の鈴木杏さんのインタビュー、「ハーブ&ドロシー」監督インタビューなど、ビッグイシューでしか読めないコンテンツが多数掲載されています。街角で販売者の方を見かけたら、ぜひお買い求めください。


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(2011年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第178号より)




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中国、“美しい”月餅から“醜い”月餅へ



中国では、中秋節(旧暦8月15日)にお世話になった人などに月餅を贈る風習がある。月餅の箱は高級感がありデザインも美しく、収集している人も多い。

重慶市の羅翠容さんも箱を収集しており、その“コレクション”から食べ忘れた月餅が出てきた。まるで昨日作ったかのように艶やかで軟かい。ところが、製造年月日は2003年9月2日だった。

今年6月に「食品添加物使用基準」が制定され、防腐剤や合成色素の一部が使用禁止となり、他の添加物も使用量が制限されるようになった。今年の月餅は例年と違って色も悪く艶もない。消費期限も短縮されているという。しかし、この“醜い”月餅への変化は、総じて消費者に好評のようだ。

消費期限が短いほど防腐剤が少ないという認識が浸透してきたが、実際は月餅の種類や、加工、包装形態によっても異なる。それにしても8年前の月餅には何が入っていたのだろう。「おいしかったことをまだ覚えています」と語る羅さんの表情は複雑だ。

(森若裕子/参照:重慶晨報、北京晨報)
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(2012年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第182号より)




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中国、「小悦悦(悦ちゃん)事件」に社会が反省



「小悦悦」とは広東省で車にひかれて数日後に亡くなった2歳の女の子の愛称だ。防犯カメラが捉えた事故の一部始終が公開され、彼女の名は流行語になるほど広まった。映像には、悦ちゃんがひかれて倒れているのに、18人の通行人が無視していく様子が映っている。

この背景には、助けた相手から「突き飛ばされて転んだ」と言いがかりをつけられて賠償金を請求される事件の多発がある。しかし社会全体が他人に無関心になり、道徳心が薄れていることが根底にあると専門家は指摘する。

事件後、誹謗中傷がさらに遺族や関係者を傷つけている。悦ちゃんを助けた19人目の通行人はごみ拾いで生活する女性だが、売名行為だと中傷された。悦ちゃんのお父さんは治療のために贈られた多額の寄付を横領したと誹謗された。

最近、子どもが車にひかれ、周りの人はすぐ救助にあたったという。小悦悦事件は19人目の傍観者になってはいけないという思いを人々に植えつける結果ともなった。

(森若裕子/参照:中国青年報、揚子晩報、広州日報)
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(2011年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第179号より)




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フランス、電気自動車レンタル“オトリブ”誕生



パリはこの秋、CO2と大気汚染対策を目的に、「電気自動車レンタル」というユニークな挑戦を打ち出した。2007年開始の自転車レンタル“ヴェリブ”の大成功にあやかり、自動車版“オトリブ”(「auto=自動車+libre=フリー」の造語)が登場。

10月2日に試運転が始まり、12月に本格的に実用化される。現在、パリおよび近郊自治体に33のステーション、66台の電気自動車“ブルーカー”が設置されている。今年末までに、250ステーション、250台に増やし、来年末には1000ステーション、3000台を目指す計画だ。  

車の借り方はいたって簡単。登録してプリペイドカードを入手し、1日、1週間、1年分の料金を事前に支払い、ステーションでカードをワンタッチして、暗証番号を押すだけ。

別のステーションに乗り捨て可能で、充電してから車を返却する。各ステーションには案内係が配属され、1000人以上の若者の雇用を見込んでいる。自転車同様、電気自動車レンタルもパリの風景として定着しそうだ。

(木村嘉代子)
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