105人生相談





母の監視をやめてもらいたい



友人と飲みに行ったりして、夜10時ぐらいになると、同居している母親が「いま、どこにいるの? 何してるの?」と必ず電話してきます。母は心配していると言うのですが、私には監視しているようにしか思えません。しかも、私はもう30代で、立派な大人。こんな母は、どうしたら、監視をやめてくれるのでしょうか?
(33歳/女性/OL)






難しいな~、僕は親に監視されたことがないから。父親は早くに亡くなったし、母親は僕が中学のとき、家に帰ってきたら、台所で倒れて亡くなってたからね。もうあっけにとられたよ。人間の死って、こんなもんなんだな~って。

母親は、プロレスとか西武ライオンズが好きで、よく近所のテレビのある家に観戦しに行ってた。あと思い出といえば、年末の紅白を観ながら、いつもこたつでミカンを食べてたことぐらいかな。だから、母親に監視されてるなんて、ちょっとうらやましいかな。

ただ、僕も自分が親だったときはすごい心配性だったから、このお母さんの気持ちがよくわかる。妻と離婚したあとも、子どもがどうしてるか心配になって、ホームビデオで子どもを撮ってもらったし、今の路上生活になってからも、そのビデオだけはずっと持ち歩いている。こんな状況でも子どもが心配になるんだから、親はみんな子どもが心配なんです。




それに、お母さんは、話し相手がいなくて、寂しいんじゃないかな。
よく道を歩いてたら、見た目は普通の格好をしてるのに、わけのわからないことをブツブツ言っている人がいるでしょう。そういう人を見ると、やっぱり人間ってひとりでは生きていけないんだなって思う。

僕だって、朝にビッグイシューを仕入れて売り場に立ったら、もう翌朝まで完全にひとりでしょ。だから、ビッグイシューの事務所に行ったら、できるだけしゃべろうと思ってるよ。

でないと、自分もいつ、ブツブツ言う人になるかわからない。
人間って、いつも寂しいんだよ。そういうことも、ちょっとわかってあげてほしいな。




そうだな、お母さんから電話がかかってくる前に、自分から電話をかけるっていうのはどうかな? 「まだ起きてるの? 早く寝なさい!」とか言ったりして(笑)。逆に、お母さんを監視する。監視されてると思うから、うっとうしいんであって、自分が監視してると思ったら、腹も立たないんじゃない? 

きっと、お母さんは監視されると、喜ぶと思いますよ。

(大阪/Y)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第105号より)







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(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より)




悪夢になったアメリカンドリーム 在米30年のメキシコ人家族の苦難



2003年に米国で新設された国土安全保障省。
その中でも最大規模を誇る機関「移民・税関法執行局」の取り締まりは
移民社会を不安におとしいれ、差別を生み出している。
30年間合法的な移民として生活してきたメヒア一家も
不法移民同然の扱いを受けた。






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いやがらせ、差別的発言、不当な拘束。



ジーナ・メヒアが米国ワシントン州モンロー市に家を購入したのは、その町が大変美しく、多くの教会があったからだった。しかし、隣人たちによるキリスト教的慈愛の精神は、このメキシコ人夫婦には少しも示されないことを、ジーナは当初知るよしもなかった。

メヒア夫妻が東部から移ってきたのは2004年。それまでも30年間、彼らは合法的な市民として米国で生活を送ってきた。にもかかわらず、白人の隣人とのトラブルは転居直後から始まった。ジーナ・メヒアによると、転居してから3年の間に、隣の主人がバールを手に威嚇してきたり、夫の顔に唾を吐いたり、人種差別的暴言を吐いたりしたという。





彼女はすぐに隣人に対する接近禁止命令(*1)を裁判所より取得したが、実際に隣人が命令無視をしても地元モンロー市警察は何もしてくれなかったという。

そして2005年8月、隣人の嫌がらせに耐えかねたメヒア夫妻が新たな保護命令(*2)を申請した翌日、武器を携帯した移民局職員が玄関先に現れ、息子の居場所はどこかと彼女に迫った。彼女は自主的に協力し、当時30歳で、仕事もあり、二人の幼い子どもの父親でもあった息子シーザー・キーモーレンとモンロー警察署に出頭した。




彼女によると、それからわずか数時間後、息子キーモーレンはまるで動物のような扱いで警察署から連れ出され、ワシントン州タコマ市にある北西部拘置センターに移された。彼は生まれてからずっと米国に暮らす合法的な市民であるにもかかわらず、そこから出るのに2ヶ月かかったと、彼女は言う。




移民の問題に関する支援活動団体によると、シーザー・キーモーレンのようなケースは珍しくない。このような不当な扱いに抗議する人たちが、7月13日・14日の両日、拘置センターの外で、24時間徹夜の抗議の座り込みを行ったのも、そのためである。

座り込みに先立って行われた記者会見には、シアトル大都市圏教会協議会、移民コミュニティを応援し民主主義や正義、権利の保障を呼びかける支援団体「ヘイト・フリー・ゾーン」、ワシントン州コミュニティ・アクション・ネットワークなどの活動団体のメンバーらが出席し、移民の拘置センターを「民間経営の強制収容所」と称した。

一度入ってしまった人が、そこから出られる機会は国外退去命令ヒアリングの場しかなく、その場合でも、有償でないかぎり、弁護士など法的手続きなどの手助けは一切ない。




職場での強制捜査、捕えられているのは合法的に働く人々



6月末、不法移民の取り締まりの解決策として打ち出された移民改革法案が米国上院で否決されたことを受け、支援活動団体はワシントン州のベリンガムやポートランド、また全米各地において国土安全保障省の機関である移民・税関法執行局(ICE)が最近実施している職場などの強制家宅捜索の即時中止を求めた。

タコマ市の権利章典支援協会の会長、ティム・スミスは、一連の強制捜査で捕えられているのは、犯罪人ではなくキーモーレンのように家庭や子どももいる合法的に働く人だと語る。




「このような職場での強制捜査は、はるか1920年代にも行われており、そのころは共産主義者や同性愛主義者が対象でした」とスミスは言う。オレゴン州やワシントン州で行われた強制捜査では、結果として何百人という移民がタコマ拘置センターに拘束され、「移民コミュニティはもちろん、全米に大きな不安をもたらしました」と「ヘイト・フリー・ゾーン」の政策ディレクター、シャンカール・ナラヤンも言う。

息子の経験した1000床収容の拘置所を、メヒアは「人の精神を狂わせる場所」と説明する。拘置センターは、民間刑務所運営会社ワッケンハット社の系列会社GEO社によって運営されている。メヒアによれば、息子に与えられたのは、粗末な食事と汚れた着替えで、凶悪な犯罪者と一緒に独房に入れられたという。




ICEが息子に目をつけた理由は、かつてガールフレンドと彼の子どもの母親との間で起こした喧嘩の結果、DV(家庭内暴力)の罪に問われ、有罪となったためだという。申し渡された判決「365日の保護観察処分」は、重罪として扱われるため、ICEは国外退去を命令することができる。そのため、メヒアは弁護士を雇い、ガールフレンドの母親と叔母を証人としてたて、法廷に出廷した。

その結果、裁判官は量刑を1日減刑。刑が364日以内であれば、国外追放は免責となるため、これにより、キーモーレンが強制退去させられる法的根拠が取り除かれた。2006年2月、彼はようやく釈放された。




「この事件は、控訴中でしたが、彼は減刑を受けたので、強制退去から免責されました。ICEは、外国人が国外追放に相当するかしないかの最終決定はしません。その責任は、国の移民判事にゆだねられています」。ICEの広報担当官ローリー・ヘイリーは言う。

何故そもそもシーザー・キーモーレンがICEの注目するところとなったのか、ヘイリーは、詳細はコメントできないと言うが、当局は「地元警察を含め、複数の角度から」情報やヒントを入手しているという。モンロー市警察署にコメントを求めたが、回答は得られなかった。メヒアは、この不公正な扱いにいまだにショック状態にあるといい、モンロー市で暮らしていくには、不安が大きすぎると語る。

「私たちは合法的な移民です」と彼女は涙をこらえながら訴える。「私たちはテロリストではありません。私たちは犯罪人ではありません。私たちはただアメリカン・ドリームを求めてやって来たのに、今や夢は悪夢になってしまいました。この家を売って引っ越します。たぶん2度とこの町に足を踏み入れることはないと思います」




(Cydney Gillis / Reprinted from Real Change  Street News Service: www.street-papers.org)




*1接近禁止命令 家庭内暴力やセクハラ行為、嫌がらせ行為などについて、加害者の行動を制限するための裁判所命令。
*2保護命令 裁判所が精神的、肉体的暴力行為の被害者の訴えを受けて発令される。加害者が命令を無視した場合、有罪となる。


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(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より)




日本漁業は崩壊のせとぎわに—自給できていた魚介類。安全ではない輸入魚が崩す



モロッコのタコ、地中海のマグロ、ノルウェーのサケ。いつから、なぜ、魚屋やスーパーの店頭に輸入物の魚が増えてきたのか? 日本人の食、日本の漁業が変化している背景には何があるのか?






エビやマグロが、水産物輸入ダントツの1位2位



動物は身のまわりの入手しやすい食物を常食にしている。人間も例外ではない。海に囲まれた日本では、魚を重要なたんぱく源に日本人は生きてきた。

しかし、高度経済成長期以降、日本はその経済力によって、先進諸国の中で唯一、大半の食材を外国から輸入するという道を選び、飽食時代を実現させた。

そして、そのことにより、日本人の「ハレの食事」(特別な食事)と「ケの食事」(日常の食事)の構造が崩壊し、食卓の魚料理が一変したのだ。(『漁業崩壊―国産魚を切り捨てる飽食日本』木幡孜著/まな出版企画)




確かに、十数年前と比べると、エビ、マグロ、サケなどが頻繁に庶民の食卓に上がるようになった。平成19年版の『水産白書』をひもとき、水産物の主要品目別輸入量を調べてみた。すると、かつての「ハレの食事」だったエビやマグロ・カジキなどが、近年はダントツの1位、2位の輸入量を占めているのだ。エビやマグロ・カジキが、まさしく「ハレ」から「ケの食事」になってしまったことを裏づけるデータである(図1)。






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総務省の家計調査によれば、1965年に600グラムだったマグロの一人当たりの購入量は2006年に906グラムに、サケも500グラムから931グラムへと激増している。逆に、これまでの長い間、日本人の伝統的な「ケの食事」の主役であったアジは、1900グラムから546グラム、サバは1600グラムから492グラムと、半分以下に激減している。





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さらに、日本漁業の生産高を見てみると、1985年頃をピークに、現在は最盛期の半分程度に落ちている。1965年当時、日本の魚介類の自給率は110%あった。それが、2005年には57%へと低下、自給できなくなっている(図2)。






ダイオキシン、地中海マグロ51倍、ノルウェーサケ12倍







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しかし、世界的に見ると、水産物の需要は増大している。この30年間(1973〜2003)で、隣国の中国の国民1人当たりの魚介類の消費量は5倍も増え、またBSEや鳥インフルエンザによる食肉不安と健康志向の影響もあって、米国では1・4倍、EU15ヶ国では1・3倍に増えている(図3)。




世界規模で水産物の需要が高まる中、国連食糧農業機関(FAO)は、世界の海洋水産資源利用を、魚場の半分が完全利用状態、4分の1が過剰利用または枯渇状態、残り4分の1が適度または低・未利用と、4分の3が危機的な状況にあると報告した。

このような需要と供給のギャップから、2015年には世界で1100万トンの供給不足が起こると予測している。(2006年『世界漁業、養殖業白書』)。

さらに、海洋生態系の破壊が今のペースですすめば、2048年までに世界中の海産食品資源が消滅してしまうだろうという、国際研究チーム(カナダ・ダルハウジー大学、ボリス・ワーム氏ほか)によるショッキングな研究結果も『サイエンス』(06年11月)に発表された。




つまり、現在日本が輸入している魚介類を将来にわたって継続して輸入できる保証はまったくないのだ。また、たとえ輸入が可能であったとしても、輸入魚介類の安全性の問題が残る。

水産庁平成17年度報告によると、顕著な例では、地中海産(スペイン)の養殖クロマグロのダイオキシン類は国産天然のクロマグロ(メジ/九州南部沖)の約51倍、ノルウェー産の養殖サケ(タイセイヨウサケ)も国産天然のシロザケ(襟裳岬以東太平洋)の約12倍のダイオキシン類を含んでいるといわれる。




さらに、国産魚の消費低下によって、1949年には109万人いた日本の漁業者は現在わずか22万人に減少、漁業に携わる人の約半数が60歳をこえ高齢化がすすむ。そして、富栄養化の問題が追い打ちをかける。日本の漁業自体が崩壊の危機に瀕している。

本来自給できるはずの資源の魚介類を輸入に頼り、わざわざ安全性に問題のある魚介類を大量に食べ、沿岸海域を汚染し、枯渇の恐れある魚介類を乱獲し、国内漁業を崩壊に向かわせている日本人。この悪循環を止め、世界の海と水産資源を守るために、私たちができることは何だろうか?

まず、スーパーの魚売り場で、産地表示や品質表示に敏感になることが必要だ。そして、持続可能な水産資源として、かつて日本人の「ケの食事」であったサバ、アジ、イワシなどの地場の魚介類を節度をもって食すこと、それらを生み出す海や漁業者に思いを馳せ、海に注ぎ込む水の汚染を減らすことが、その第一歩かもしれない。

(編集部)













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4月15日発売のビッグイシュー日本版213号のご紹介です。



スペシャルインタビュー レオナルド・ディカプリオ


環境や社会問題に熱心に取り組むレオナルド・ディカプリオ。
『華麗なるギャツビー』では、『ロミオ+ジュリエット』のバズ・ラーマン監督と久々にタッグを組み、豪華絢爛で危ういアメリカンドリームの世界を描き出しました。ディカプリオが俳優の名声や、人生における大切なものについて語ります。



私の分岐点 飯田譲治さん


映画「アナザヘブン」、小説「NIGHT HEAD」など、数多くの作品を手がけてきた飯田譲治さん。30歳の時、理想世界だと思っていたハリウッドに身を置きますが、そこで目の当たりにしたある体験が人生の分岐点になったと語ります。



特集 やり直す―出所者のセルフヘルプ


今、刑務所に入所する57.4パーセントの人々は、再犯者によって占められています(2012年『犯罪白書』より)。特に満期出所の人は、出所後の就労支援がほとんどないことから、10年以内の再入率が62.5パーセントにのぼります。
しかし、問題は就労支援だけではありません。出所者の多くが「今度こそ人生をやり直したい」と思っていても、そのために必要な住居、頼れる家族や適切な支援機関のないことも大きな理由になっています。
その悪循環を断ち切る鍵が、出所者のセルフヘルプ(自助活動)です。これまで「再犯につながる」と避けられてきた出所者同士の接触ですが、当事者が生活再建のために支え合うことで、再犯率が大幅に減少することが実証されてきました。
今号では、日本とスウェーデン、3つのセルフヘルプ・グループに取材。また、刑務所内でセルフヘルプ活動を行う「島根あさひ社会復帰促進センター」へも訪問取材しました。
犯罪を減らし、人生をやり直そうとする人々の挑戦を共有したいと思います。



国際記事 英国、「グルテンフリーダイエット」と「セリアック病」


英国では今、「グルテンフリーダイエット」という不思議なダイエット法が空前のブームを呼んでいます。そもそもグルテンとは何でしょうか? そのブームが、欧米に多いとされるセリアック病患者にもたらすかもしれない朗報とは?



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
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(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より)




クラゲが大発生する、荒れ果てた日本の海




60年代東京湾、90年代瀬戸内海、そして2002年からは毎年のように日本海がクラゲだらけになる。この物言わぬ海の生物は私たちに何を警告しているのか?






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苛酷な海の環境に耐え切れなかった魚たち



日本の海がクラゲだらけになる。そんなSFかホラー映画のような話が現実に起こりつつある。

1960年代、高度成長期で富栄養化と沿岸開発が急速に進んだ東京湾にミズクラゲが異常発生。臨海の火力発電所に押し寄せて冷却水を止めてしまい、都市が大停電に陥った。「富栄養化と埋め立てが進んだ苛酷な海の環境に、弱い魚は耐え切れなかった。そんな状況にでも耐えられるクラゲだけが残ったんです」と広島大学、生物生産学部教授の上真一さんは語る。

1990年代には、漁獲量が半減した瀬戸内海でも猛威を振るったミズクラゲ。2000年代に入ると、02年からのほぼ毎年、体重200をこえる世界最大級のエチゼンクラゲが、朝鮮半島と中国本土に囲まれた渤海、黄海、北部東シナ海などから日本海に群れを成してお目見えするようになった。




なぜ、今クラゲなのか? この物言わぬ海の生物は、何を私たちに警告してくれているのか? 

クラゲ大発生の原因は、完全には解明できていないが、だいたい以下の四つが考えられているという。

「一つは、クラゲと餌を取り合うことになる魚類が、乱獲により減少していることがあげられると思います」。結果、餌となるプランクトンを独り占めできるクラゲの独壇場となった。

二つ目は、富栄養化によりクラゲの餌が増えたこと、三つ目は護岸工事や埋め立てが実施されることにより、海岸で付着生活を送るクラゲが個体数を増やす「ポリプ期」の付着場所が増えたことが考えられる。

そして、最後が温暖化だ。「黄海では、ここ25年間で冬季の水温が2度も上昇しています。クラゲの生殖能力は水温が高いほど高まるため、クラゲの増殖速度は年々増しているといえます」。

そして大発生したクラゲは、海流に乗って日本海に漂着する。





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赤潮は風邪、クラゲ大発生は内臓不全で瀕死の状態



上さんはもともと小型の動物プランクトンを専門にしていた。実験用のプランクトンを捕りによく海に出向いていたのだが、1990年代前後からクラゲの被害が出始め、容易にプランクトンを見つけることができなくなったことが、クラゲを研究するきっかけとなった。

「はじめはクラゲの入らない網で、プランクトンだけを取ったりしていました。でも、『これは海が変わった』というのを肌で感じて、まずは敵を知らなければならない、と思ったんです」と語る。




クラゲの研究を進めるうちに見えてきたことは、クラゲ大発生の裏に潜む人間の営みだった。

「海の”生物を支える力“というのは、昔も今もそれほど変化はありません。それでも、最終的に産物として取り上げる漁獲量が昔と比べてこれだけ減ってきているというのは、人間が乱獲によって生産資源そのものを相当低いレベルに追い詰めてしまっている現状があります」

結果、日本の海はクラゲがしばしば大発生するほど荒れ果ててしまった。一度クラゲが圧倒的優位に立ってしまうと、魚類の餌を横取りし、せっかく生まれた卵や稚魚をも捕食してしまう。逆戻りすることのできない「クラゲスパイラル」ともいうべき事態へと陥っていく。





そのスパイラルを食い止めるべく、対処法を探していた上さんたちの研究班は、クラゲのポリプ期の天敵として巻貝が有効であることを発見した。また、食塩とミョウバンを使って、クラゲを食用に加工することも考えた。

しかし、結局このスパイラルを食い止めるために必要不可欠なのは、単にクラゲを退治するのではなく、「我々がどういう風に生きていくか」という問いを発することだという。乱獲、富栄養化、自然海岸の減少、温暖化……クラゲ大発生の要因すべてが、私たちの日々の暮らし方、生き方に密接な関係を持つからだ。




「資源としてその魚がたっぷりあるか、一目見てわかるようなシールを貼って販売するような試みも行われているようです。今でしたら、ウナギやマグロなんかはレッドカードでしょうね」。そうした消費者である私たちをも巻き込んだ、適正な漁業資源の管理が有効な手立てとなる。

海の状態を人間に例えれば、赤潮は少し風邪をひいて顔が赤くなった状態。クラゲスパイラルはいくつもの病気を併発し、内臓不全におちいったような瀕死の状態です。少しでも早く、手立てが必要です」




(八鍬加容子)
写真提供:上真一




うえ・しんいち
1950年、山口県生まれ。広島大学水畜産学部卒業。東北大学大学院農学研究科博士課程を経て、現在広島大学生物生産学部教授。
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前編を読む




その典型は、サバやアジである。実際、国産で獲れるサバはほとんどが食用にできないほど小さく、餌や飼料用になるものが多い。

「獲るのを1年待てば、食用として市場に出せるのに、漁船団の競争があるため、それが待てない。その結果、日本の海にも消費者のニーズを満たすだけのサバもいるにもかかわらず、実際に食卓に上るサバは約7割がノルウェー産という構造になってしまっているんです」

「それに、政府の補助金といっても漁船費用の半分は自己負担だから、漁業の現場には借金が残り、借金返済が乱獲体質に拍車をかけた。漁船など工業製品を売った人たちはすぐに補助金で代金回収できたことを考えれば、実は日本の漁業や海は工業化社会のマーケットの一つとして利用されたにすぎなかったのではないかと思えるんです」





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多種多様な日本沿岸の魚を、いつどのように食べるのか?海の“物語”を失った日本人



成人病にかかった海、漁業の乱獲体質…。そんなさまざまな日本の漁業をめぐる変化を背景に、悲しいことに私たち消費者の味覚やニーズも変わってしまった。

例えば、今や子どもが好んで食べるのは、マグロやサーモン、ネギトロなどがトップクラスで、ほとんどが回転寿司メニュー。「消費者がほしがるのは脂が乗った魚か、砂糖が入ったもの、つまりは寿司。魚を売る側からすれば、脂の多いものは冷凍に強いため、原価率を下げられるし、シャリの甘みで本来の魚の味もあまり問われない。ネギトロなどはほとんどがイワシ油で、食用というよりどちらかといえば、飼料に近い」と話す。





鷲尾さんによれば、消費者のニーズは世界中のおいしい魚を食べあさるセレブ的グルメか、本来なら食用にしなかったような加工食品に二分された、と言う。そして加工食品はその魚資源をペットフードと取り合う。

そんな消費者ニーズから抜け落ちていったのは、イワシ、アジなどの大衆魚やその地域の沿岸で獲れる多種多様な地魚たちだった、と言う。

「昔は、多種多様な魚を目利きできるプロの魚屋が対面販売で地元の魚のおいしい食べ方を教えていましたが、末端の魚屋がスーパーに代わり、魚が値段だけで大都市圏に出荷されるようになると、多種多様な魚をどの季節にどのようにおいしく食べ、バランスよく栄養をとるのかという“物語”が途切れてしまったんです。

その結果、見た目がキレイで調理しやすいものだけが好まれるようになり、それ以外の魚は水揚げしても養殖の餌や飼料になって、日本の食卓から姿を消していったのです」





寿司くいねー





そうして、かつての栄光から置き去りにされた日本の沿岸漁業。今や、後継者となる担い手も少なく、漁業の圧力も薄まったためか、30年ぶりに貝や魚たちも徐々に戻り始めていると言われる。

「不景気が続いたことも影響して、瀬戸内海は局所的に貧栄養体質に戻りつつある」と、鷲尾さんは指摘する。

「日本の漁業が没落した真の原因は、魚がいなくなったこと以上に、日本沿岸で獲れる多種多様な魚を資源として活用する能力を私たちが失ってしまったことにあった。魚が戻り始めた今、今度は私たちが多様な日本の海とのかかわり方を試されているのかもしれません」

(稗田和博)




わしお・けいじ

1952年、京都市生まれ。京都大学大学院農学研究科水産学専攻博士課程修了。明石市林崎漁協に就職後、イカナゴ「くぎ煮」の普及など明石の魚の宣伝マンとして活躍。林崎漁業協同組合企画研究室室長を経て、京都精華大学人文学部教授(肩書きは掲載当時)。現在は、独立行政法人 水産大学校理事長。著書に『ギョギョ図鑑』(朝日新聞)、『水の循環』(藤原書店)などがある。


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104人生相談





居心地の悪い自分の部屋に、彼氏を呼ぶのが憂うつです



ひとり暮らしの部屋に、彼氏が遊びに来たがります。彼の家は広く、DVDを観たり、料理をしたり楽しく過ごせるのですが、うちは狭くて、何もないので、女友達も呼んだことはありません。前の彼氏にも断り続けていたところ、「他の男と一緒に住んでいるのでは?」とあらぬ疑いをかけられたこともあります。自分でさえ、居心地の悪い家で、どうやったら楽しく過ごせるのでしょう?
(女性/会社員/35歳)






つき合うきっかけは、見た目かもしれないけれども、やっぱり中身。みんな言うじゃないですか。優しくて思いやりのある人がいいって。格好つけずに自然体につき合ったほうがいいと思うよ。

まずは人をもてなすよりも、自分が居心地のよい部屋づくりだと思うけど、テレビの大改造番組みたいな部屋にするのは、お金がかかるし、夢みたいなもんです。

きれいに片づいた部屋にお花のひとつでも飾ってあったりするだけでも、すてきなんじゃないでしょうか。

彼氏の家では料理を作っているみたいだけど、男からすると料理は手の込んだものじゃなくていいんです。お酒が飲めるんだったら、缶詰を開けただけ、刺身パックを皿に移しただけのツマミでも十分。彼女と一緒ならうれしいもんです。




俺も彼女と映画を観に行ったり、コーヒーを飲みに行ったりしたこともある。だけど、外って食事をしている隣で、化粧をする人がいたりして落ち着かなかった経験がある。




最近俺は、ご好意で部屋を貸してもらえるようになった。これまで夜はファストフード店で過ごすか、お金があるときは漫画喫茶。そこはリクライニングの椅子があるから、ちょっとは楽だけど、人の目があると、眠れないもの。テレビを見ながら、ごろんと手足を伸ばして寝れる。何もない3畳の部屋だけど、ほんと幸せだよ。




これからの季節は、温かい鍋を2人でつっつくのも最高なんじゃない? アルミ入りのできあいの鍋やおでんを、カセットコンロにのせるだけ。熱燗は口当たりがいい分、調子づいて飲み過ぎることがあるから、くれぐれも二日酔いには気をつけて。

あなたがちょっと酔っぱらっている姿は、とてもかわいいと思いますよ。

(東京/S)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第104号より)







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(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より)





“成人病”にかかった日本の海




かつて世界一の水産大国を誇った日本の漁業生産高が、今や最盛期の半分まで落ちている。日本の漁業で何が起こったのか? 明石の漁港(兵庫県)をフィールドにし、日本漁業の再生に取り組む鷲尾さんに、漁業の今を聞いた。







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海の中で“貧富の格差”拡大。富栄養化がもたらした魚の危機



豊かな海の栄養を北の海から運んでくる親潮と暖かさを運んでくる黒潮が近海でぶつかる日本は、世界四大漁場の一つに数えられる。かつては水揚げ量、消費量ともに世界一だったが、今やスーパーでは海外産の魚介類を目にすることが多く、魚介類の自給率も50%を切る。

なぜ、そのような事態に陥ったのだろうか?

日本の海は糖尿病、つまり成人病にかかったんです」と鷲尾さん。




その海の成人病の原因の一つは、極めて低い日本の食糧自給率にあった。

今や、日本には世界中から食糧が運び込まれ、私たち日本人は多くの食べ物を消費している。その食糧は人の口に入った後、排泄物となって下水処理場で処理されるが、窒素やリンといった栄養成分の半分以上は無機化されただけで、下流の海に流される。

また、人の口に入らなかったものも廃棄物となり、一部は肥料や飼料として使われるが、最終的にはいずれも環境中に出て行くことになる。つまり、世界中から栄養分が食糧輸入というかたちで日本列島に集まり、その結果として、日本の海が「富栄養化」したというわけだ。




この富栄養化は、もともとあった海の生態系を壊し、赤潮の多発やヘドロの堆積といった問題を引き起こした。そして、魚の再生産をも阻害する事態になった、と鷲尾さんは指摘する。

「例えば、富栄養化の影響で、過剰な栄養環境(窒素環境)に適応した大粒の植物プランクトンが海の中の栄養分を独占しました。

すると、それまで細かいプランクトンを食べていたイワシやイカナゴ、貝といった沿岸域でつつましく繁殖していた魚介類が栄養吸収できなくなり、一方で大粒のプランクトンを口にできるクラゲ類に栄養分が偏るようになったんです。つまり、富栄養化によって魚たちの間で貧富の格差が拡大するようになったんです




その格差拡大の象徴が、巨大クラゲの大発生だった、と解説する。

「“白砂青松”といわれる日本の美しい砂浜の風景を思い浮かべればわかりやすいのですが、日本の風土はもともと海も陸も貧栄養体質なんです。

火山でできた島国であるため、雨が降って花崗岩を削り流し、沿岸部にやせた砂浜や砂丘ができる。だから、砂浜の拡大を防ぐために日本人は古来よりやせた土地で青々と茂る松を植林してきたわけです。

それは海の魚も同じで、例えば、明石の海ではプランクトンなどの餌が増える春にマダイや鰆(さわら)が増え、露になれば、雨で陸から流されてきた栄養分でマタゴや磯魚が食べごろになる。

秋には、冬ごもりのため脂が乗ったブリやイワシがドッと押し寄せた。いずれも限られた海の栄養分をギリギリのところで利用する魚たちの生態系があったのですが、それが富栄養化によって壊れ、一時的にはイワシなどの魚の豊漁をもたらしたのですが、やがて栄養吸収できなくなった魚が減ったことで沿岸漁業の漁獲量が落ち込んだんです」





大漁




近海のサバは飼料用に、食卓に上るのはノルウェー産。工業化社会に利用された漁業、その乱獲体質。



日本の沿岸から魚介類が姿を消しはじめたのは、富栄養化ばかりが理由ではない。日本の漁業の乱獲体質にも原因があった。

日本の漁業は、漁業の近代化を目的とした政府の補助金政策によって漁船を大きくし、
設備を充実させることで漁獲量を増やしてきた。だが、漁師が一斉に漁獲キャパを増やすことで漁船団の競争が激しくなり、魚が減り始めると、さらに乱獲体質に拍車がかかった。今でも漁業の乱獲体質は夜の海に光る漁り火を見れば一目瞭然、と鷲尾さんは言う。




「かつての漁り火は、イカ釣り漁船など、魚の群れを追って漁をする小さな船の明かりがたくさん見えたものですが、今は大きな漁り火がポツポツと点在しているだけなんです。

なぜかというと、魚を追うと船が燃料を食うため、大型の巻き網を装備した大きな漁船で強烈な光を照らし魚を集め、一網打尽にしているからなんです。

いつも同じ沖合いで魚を獲り尽くしてしまいますが、それでも漁船の維持費を捻出するのがやっとなので、だんだん魚が減ってきてもやめられない体質になっている




後編に続く


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(2007年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第78号より)




企業、NPO、市民がつくった「東京ホームレス会議」--人あふれる、排除された人々の声を聞く場



ビッグイシュー主催、NEC協賛でNEC・NPOサロンが、7月25日、NEC本社ビルで開催された。100名をこえる参加者が熱心に静かに耳を傾けた「東京ホームレス会議」とは?





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企業戦士にも起こりうるホームレス化



「今はビッグイシューのおかげでデパ地下の最高のお弁当が食べられるんです。夜の9時とかになると、お弁当におまけのお惣菜がつくのが楽しみでねぇ。マンガ喫茶に泊まったりして、シャワーも100円で浴びられるし、最高の環境ですよ」

渋谷駅東口の販売者、小倉正行さんの言葉に、思わず会場からはドッと笑いがわきおこる。小倉さんのそのしみじみとした語り口に誰もが思い浮かべただろう、シャワーで一日の疲れを癒す小倉さんの立ち姿。マンガ喫茶、ネットカフェが最高の環境に思えてしまうほど、そのホームレス生活は長かったのだろうと気づかされる話だ。




ビッグイシュー主催、NECが協賛したNEC・NPOサロン「東京ホームレス会議」前半に行われた「本音トーク」の一場面では、こんな話が聞けた。ビッグイシューから3人の販売者が登場し、彼らに根ほり葉ほり、ホームレスの、そして販売者としての本音を聞いてみようと企画されたコーナーだ。




会場にやって来た100名をこえる参加者たちが熱心に耳を傾けるなか、3人は時にしんみり、時に笑いを誘ってそれぞれの話を続けていく。それでもホームレスになった当時のことが話題となると、小倉さんの明るい声がすこしだけ小さくなった。

「昔、母親と暮らしていて、日韓ワールドカップの年ですか、二人でしし座流星群を見た思い出があります。その母親が死んでしまいショックを受けて、もう生きているのがどうでもいいというふうになりました。友人の連帯保証人になっていたことで借金も背負い、恋人にも去られ、そういう人間関係の問題が続いてホームレスになったんです」




単に仕事と家を失うだけではなくて、孤独な状況に追い込まれてしまうことがホームレスとなる「第三の条件」。小倉さんの置かれた状況は、まさにそうした「第三の条件」に当てはまるものだった。

この話に共感を寄せたのが、NEC社会貢献室として会議を共催した東富彦さん。
「小倉さんの話で人とのつながりについて考えさせられましたね。母を亡くしたり、恋人が去ることのショックは一般の企業戦士にも言えることです。家庭とのつながりがなくて、運悪く会社がつぶれたら、誰にでも起こりうる話なんだと感じました」




公開されたホームレス販売者会議



「まだまだ聞きたりない!」という雰囲気は残ったまま、やがて時間が尽き、次のプログラム「販売者定例ミーティング」へとバトンタッチ。各地の売り場から販売者が続々と駆けつけてきて、総勢26名の円卓、それを囲む一般参加者からの大きな輪がたちまちのうちにでき上がった。

「東京ホームレス会議」は、日頃社会から排除されているホームレスの人たちの声を聞くために開かれた場所をつくろうとするもの。それならば、これまでに44回、月1回のペースで開かれてきたビッグイシュー販売者とスタッフによる定例会議も、今回は一般の人々に公開してみようと特別に企画されたのだ。




当日の会議のテーマは、「どうしたらビッグイシューをもっと広めることができるのか?」。それぞれが智恵と経験を出し合ってアイディアを練ってゆく。会場からも「こんな販売者さんから買いたくなる」と、雑誌購入者としての視点からビッグイシュー体験が披露された。

「販売者が雑誌と一緒にプレゼントしている折り紙をお守りにする読者もいるんです」「雨の日に雑誌をビニール袋へ入れてもらって、そういう小さな心づかいが嬉しかった」「ボソボソとしゃべる人がいるんだけど、あの人は笑顔がいいんだから、笑ったほうがいいよね」 

大学生の坂崎あゆみさんは、「私はやっぱり心を打たれる人から買いたい。ビッグイシューのポスターのシルエットのように、腕を伸ばして売っている人って単純に”カッコいい“んですよね」と発言。

これが神保町の販売者・吉田十三さんにとっては、心に響く、嬉しい一言だった。

「自分も声を出すタイプじゃないからね。手を掲げてるだけでも”カッコいい“と言われたのが嬉しかったよ」

かつて、こんなにも深く、温かく、多くの人々に支えられる雑誌が存在しただろうか?

ホームレス会議で再び原点に立ち返ったビッグイシューは、今号で4周年を迎え、更なる一歩を読者のみなさんと共に歩んでいくだろう。

(土田朋水)
Photo : 高松英昭


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