10月1日発売のビッグイシュー日本版224号のご紹介です。



スペシャルインタビュー 松本人志さん


 日本のお笑い界をリードするカリスマであり、映画監督として国際的な評価を高めつつある松本人志さん。4作目となる映画『R100』の公開を控え、その作品世界と映画へのこだわり、社会について聞きました。



特集 10周年特別企画 対談 浜矩子さん×萱野稔人さん


 9月1日に開かれたビッグイシュー10周年記念のメインイベント。英国より来日した『ビッグイシュー』創設者のジョン・バードさんのあいさつの後、浜矩子さん(経済学者)と萱野稔人さん(哲学者)の講演と対談が行われました。浜さんには「成熟社会、日本社会がめざす未来」について、萱野さんには「縮小社会への課題と展望」をそれぞれテーマに、お二人による熱気あふれる講演と対談のハイライト部分を誌上で再現します。



リレーインタビュー 私の分岐点 俳優・加藤雅也さん


 ファッション誌『メンズノンノ』のモデルをつとめた後、俳優に転身した加藤雅也さん。その道のりは初めから順風満帆だったわけではなく、「冷たくあしらわれた出版社に、何度も足を運ぶところから始まった」といいます。そうして自ら売り込んで獲得した、念願の「パリコレ」デビュー。加藤さんはそこで、ある挫折を経験します。



国際記事 英国・現代葬儀事情


 いつか必ず訪れる親しい人との別れ、そして自らの死。英国では伝統にとらわれず、シンプルに自然に帰りたいと望む人々が、新しい葬儀の流れをつくり出しています。葬儀のせいで借金を背負わない方法から、家族の思い出として残るDIY葬儀やエコ葬儀まで、日本に住む私たちにとっても、いろんなヒントが見つかるはずです。



ビッグイシューアイ ゴジカラ村


 1981年、愛知県・長久手市の雑木林に芽を出し、32年をかけて育ってきた「ゴジカラ村」。約1万坪の敷地に子どもからお年寄りまで800人以上の人が行き来し、時間に追われない暮らしを送っています。誰にでも役割があり、居場所がある「ゴジカラ村」を、大須賀豊博さん(社会福祉法人愛知たいようの杜理事長)に案内していただきました。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
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(2008年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 93号より)




ルーペと霧吹きを持って「コケ・ウォッチング」に出かけよう!



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(ハマキゴケ)





●初心者がコケを見に行くときの準備は?
ルーペと小さい霧吹きがあるといい。霧吹きは、コケが乾燥していればシュッシュとかける。コケが元気になる。コケ観察は1時間で1メートル。


●コケとコケに似たものの区別は?
コケは緑色。白、黄、オレンジのものはコケではない。粉っぽい、ヌルヌルしたものは藻。コケには茎と葉っぱがあり、花は咲かない。

●コケ・ウォッチングに最適の季節は?
かわいい蒴(胞子体)が見られるのは春から初夏までが多い。蒴の柄の部分は赤いものが多く、本体より長く伸びるので目立ちやすい。蒴から飛び散った胞子が、条件が整うと原糸体になって発芽する。

●どんなときに、どこへ行けばいいですか?
雨あがりが一番。最初は見つけやすい山や、コケがたくさん生えているお寺や神社などのわかりやすい場所がおすすめ。

●コケの名前を知りたいと思ったら?
図鑑だが、いきなりは難しい。例えば、岡山コケの会などの活動に参加するのもいい。関西と関東に支部がある。

●ルールは?
むやみに採集しない。公園やお寺、私有地でも採らない。持って帰って移植しても、まず育たない。その場での観察に徹して楽しむ。コケに気をとられて車にぶつからないように。

●初心者の人が見つけやすいのは?
市街地でも見つけやすいのは、ギンゴケ、ハマキゴケ、ハイゴケ。ハイゴケは大型で、ふわふわしていて見つけやすい。日当たりのいい公園や芝生のあいだにもよく生えている。


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(ギンゴケ)


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(ハイゴケ)




コケ写真提供:田中美穂
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(2013年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 211号より)




原発労働者の被曝防護は?廃炉に向けた作業、いよいよ本格化





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今、廃炉に向けて急ピッチで作業が進められている、福島第一原発。ここで働くAさん(40代男性)はこう語る。

「以前は作業員の中でも、全面マスクで仕事をすることへの不安があったり、『収束させるんだ』というような気持ちで中に入ったりと、それぞれに強い意識があって作業をしていたように思います。それが今は、時間が経ったからなのか、高濃度の汚染地域で仕事をしているという意識自体が作業員の間で薄らいでいるように思う」

Aさんは、原発事故の約半年後からサイト内で仕事に当たっている。「県外からたくさんの人が来て原発収束作業に当たっているのに、地元の人間が何もしないで見ているのはどうかな、と思ったんです」。家族や友人も避難生活を送っており、本当の意味での「原発収束」を目指すことが、サイト内で作業を続けるモチベーションになっているという。




放射線防護や危険手当などの補償は、今どうなっているのだろうか?

「一昨年とは別の会社に移ったのですが、会社によって給料が相当違うということがわかりました」。

前の会社は、日当、危険手当、線量に応じた被曝手当込みで1日2万円弱。現在は震災前から福島第一原発内で作業をしているプラント会社で働いており、1日2万5千円。ほぼ同じ作業をしているという。




労働者の被曝問題では以前、下請け会社が線量計に鉛のカバーをつけさせ、組織的に線量を低くするようにしていたことが報道され、労働者が守られていないことが大きな問題になった。現在はどうなっているのだろう?

「労働基準監督署が厳しくなっていて、会社も毎日のように安全意識の徹底に関するミーティングを開いています。そのために、どの会社も前よりも防護策が厳しくなっている。しかし、意外に思うかもしれませんが、安全対策が厳しくなっても、作業の長期化で働く側の危険意識が薄れてきている」

Aさんは今後、機械設備の作業に入る予定で、「まだまだ自分にはやれることがある、と思っています」と話す。




東京電力は昨年12月、2011年3月11日から昨年8月までに、福島第一原発サイト内で作業を行う労働者の累積線量は、99パーセントが100ミリシーベルト以下であり、97パーセントが50ミリシーベルト以下であると県に報告。大半の作業員が今後も作業を続けることが可能であるとした。県は、廃炉作業に伴う労働者の安全確保のため、双葉、浪江など関係13市町村による「廃炉安全監視協議会」を昨年12月に設置。2月5日には初めて現地調査をした。

今後の作業について、「今年は4号炉の使用済み燃料プールから燃料の取り出し作業の準備、秋には燃料プールの上に上がっての作業が予定されており、これが福島第一原発で最も大きな作業になるが、元請企業からは、工期を守るよう下請へのプレッシャーがかかっているようです。本格作業後の安全管理がどうなるか、気をつけていきたい」とAさんは話している。

(藍原寛子)


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前編を読む





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コケ玉が一時はやったことがあった。

「たいがいの人はダメにしてしまいましたよね。あのコケ玉を雨ざらしに置いておくと、新たに生えてくることもあるんです。茶色くなってホコリだらけになって、どこか部屋の片隅に何年も置いてあったものが、光が当たる湿度の高い浴室や雨に当たるベランダに置いておくと、いつの間にか生えてきたりするんです」

コケは人工的な環境で生きていくことが苦手な野生児だから、コケを育てること自体がコケの自然と合わないのだ。

「外気が大切なので、生えている場所が変わったり、特にそこが空調のある場所だったりすると、たいていダメになります。コケといえばなんとなく暗くじめじめしたイメージを持つ人が多いのですが、本当は太陽の光が必要なんです。特に、朝露があたるといいんです」

朝露がいいのは、なぜだろうか?

「コケが朝露で濡れている状態だと、うまく光合成ができるからです。朝露があたって葉が開いて光合成をして、また昼間の光で乾燥して縮んでいくという自然のサイクルがいいんです。それはやっぱり室内だと無理なんですね」




「調べる」のを忘れて見入る。コケの細胞の海で泳ぎたい




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田中さんの座る畳の帳場の後ろの文机には、二つの顕微鏡が鎮座している。この顕微鏡の下に広がるミクロのコケの世界は、どのようなものだろう? 顕微鏡下のコケは、裸眼で見るときのつつましさとは違う華やかさがありそうだ。著書の中にはこんなふうに記されている。

「この顕微鏡下の世界というのがまことに美しく、肝心の『調べる』ということなどすっかり忘れて見入ることもしばしば。緑や黄緑のとろりとしたなかに、丸や四角や菱形など、いろいろな形をした細胞がならんでいて、もしもこの細胞の海の中に入ってみることができたら、いったいどれだけ気持ちがよいだろう」




コケの研究はまだまだ未知の分野だ。コケを採取し、顕微鏡で観察して分類し、標本もつくる。田中さんなら、新種のコケの発見も不可能ではないだろう。

「本気でやろうと思えば、例えば日本国内だと屋久島あたりで調べていけば、出る可能性はありますけれど」と言いながら、田中さん自身は関心がないと言う。




では、新種を発見しそうな人って、どんな人?

「植物の分野ではコレクタータイプというんですけれど、ぱっと風景を見ただけで、ここには何かありそうという勘が働くなら、可能性は高いと思いますね」

田中さんは、新種を見つけるよりは、さまざまなコケとの出会いを楽しむ人なのである。だからこそ、コケについて興味を持つ人と、コケの研究者の中間に立って、そのつなぎ役をするのが夢だと語る。




そんな田中さんが著書に載せたのは、岡山の詩人、永瀬清子さんの詩だ。

「この詩は、コケの生態を知ってから読むとよけい理解が深まると思うんです。永瀬さんは『岡山コケの会』をつくった井木張二さんに京都の西芳寺(苔寺)に案内してもらって、この詩が生まれたそうなんです」。その詩の一節を紹介しよう。


お前は陽と湿り気の中からかすかに生れたのです/なぜと云って/地球がみどりの着物をとても着たがっていたから (中略) 極微の建築をお前はつくる/描けば一刷毛か、点描でしかないのに/それでもお前は大きな千年杉のモデルなのよ 
(「苔について」/詩集『あけがたにくる人よ』思潮社より抜粋)

 地球が最初に着た緑の着物は、何億年もの時をこえて今も、身近なところであなたを待っている。




(編集部)
イラスト:Chise Park




たなか・みほ
1972年、岡山県生まれ。倉敷市内の古本屋『蟲文庫』店主。岡山コケの会、日本蘚苔学会の会員。シダ、コケ、菌類、海草、海岸動物、プランクトンなど「下等」とくくられる動植物が好き。将来の夢は「古本屋のコケばあさん」。著書に、『苔とあるく』WAVE出版/1680円がある。
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(2008年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 93号より)






コケはあなたを待っている-コケ愛でる若き女性、田中美穂さんに聞く



若い女性で古本屋「蟲文庫」の店主、
しかもコケが大好きという田中美穂さん。
花やハーブではなくて、なぜコケを?
田中さんが語る、コケの不思議な魅力と楽しみ方。







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(田中美穂さん)





『苔とあるく』研究じゃない、あくまで趣味



あなたは「コケ」の名前を一つでもあげることができるだろうか? すぐに名前を思い浮かべられる人はごく少数だろう。

日本庭園はもちろん、身近な公園や民家の軒先や庭など、誰もがどこでも目にしているのに、「コケ」は自己主張しない控えめで地味な植物だ。そんなコケのことを暇さえあれば、眺めては楽しんでいるのが田中美穂さんである。

そこで、コケの世界への案内を乞おうと、田中さんが倉敷で営む古本屋「蟲文庫」を訪ねた。風情ある古い町屋の一軒、その店先から漂う摩訶不思議なオーラが店内に足をふみ入れると一段と濃くなる。手作りの本棚や壁に並ぶ古本、古い地球儀や顕微鏡などの理科グッズ、水槽のカメたち、店の奥のガラス戸の向こうの坪庭とコケむした石垣に差しこむ陽光。田中さんからコケの話を聞くのは、心地よかった。




そもそも田中さんがコケに興味を抱いたのは、高校のときに在籍していた生物部での体験だった。顧問の先生の研究対象が、一生の間で動物的な時期と植物的な時期をもつというおもしろい生き物、変形菌だったので、変形菌を求めて部員仲間とともに山の中をはいずりまわったのだという。




「変形菌はコケよりもっと地味というか、小さい。コケはそれでもその辺に生えていますが、粘菌はちょっと真剣に探さないと見つからないんです。その存在を知らないと見えてもこないくらい。そのころに、小さいものにピントを合わせる習慣が身につきました」。

その後、「岡山コケの会」に入った田中さんは、コケへの興味をますます深め、昨年10月にコケの楽しみ方を著書『苔とあるく』にまとめた。

だが、田中さんはさらりと言う。「大学で研究されている方とは違って、あくまでも趣味なんですよ。ちゃんと分類もしたいので顕微鏡で調べることもしますが、研究をしているつもりは全然ないんです」




コケという「生き方」。根がない、死んだふり、朝露が大好き





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(田中さんのコケの標本)




コケは地球で最初に陸上にあがった緑だという。

コケが原初の植物だという特徴の一つは、根がないことだ。

「一応はあるんですけれど、コケの根っこは地面や岩に張りつく役割を果たしているだけ。手で簡単にはがせる程度に張りついているだけです」。ふつう、植物には根から水や養分を吸い上げるストローのような維管束があり、その回りをロウ状のクチクラ層が管の中のものを外に蒸発させないように守っている。けれど、それは植物の進化の過程でできたもの。コケにはないのだ!

では、どうやってコケは水分を身体に取り込むのだろうか。実は、コケは身体の表面全体から、蒸気など空気中のかすかな水分などを取り込んでいる。だから、コケにとって何より大切なのは、その場の空気(環境)なのである。




一方で、コケならではの強みもある。

「乾燥してもそのまま枯れずに休んでいられるという特性があります。乾いてもしばらくは大丈夫、カラカラのところに生えたりもしますね」。つまり、コケは「死んだふりができる」のだ。「冬眠とか、仮死状態とか、休眠という言葉が一番しっくりきますけれど、ほかの植物とは別の生き方をしている。休眠中は呼吸もほとんどしないし、栄養も取らない。光合成もしなくなるんです」




それは、どれくらいの期間なのだろうか?

「まだ、はっきりとはわからないんです。何年も、中には何百年も休眠するものもあります。ただし、コケが枯れたかどうかはなかなか決められないんです。かなり古く茶色くなった標本でも、そこから絶対生えないとはいえない。とにかく何ヶ月かはまったく平気ですから」




後編に続く


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Genpatsu


(2013年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 223号より)





重大な異常事象。福島原発、大量の汚染水漏れ



東京電力は8月20日に、汚染水の貯蔵タンクから300トンもの漏えいが起きていたと発表した。漏れの兆候は7月から見えていた。その付近の作業員の被曝線量が高い値を示していたからだ。漏れた汚染水は一部が地下へ浸透していった。一部がタンクの囲いから外へ出た。さらに、排水口を通じて海へ流れ出た。

地表の水たまりの上50センチでの放射線量は毎時100ミリシーベルトに達していたという。強烈な放射能だ。原子力規制委員会は28日の会合でこのトラブルが国際事故尺度で「レベル3」(重大な異常事象)とした。国内で3番目に深刻なトラブルとなった。

地盤沈下でタンクを解体・移設したことで接合部にずれが生じたからだとも、設置場所の地盤沈下でひずみが生じたからだともいわれている。

仮に漏れても拡散しないようにタンク群ごとに高さ50センチの囲いがあったが、雨水が貯まるのを避けるために囲いについているバルブは開いた状態で放置されていたために、そこから外へ漏れ出た。

使用しているタンクはボルト締めの簡易なもので、耐用年数は3年から5年といわれているし、設置時から接合部は劣化しやすく2年程度で漏れが始まるともいわれていた。こんなタンクが300基以上も使用されている。ということは、次々に漏れが始まってもおかしくない状況ということだ。今回の漏えいは大規模な漏えいの序章かもしれないと考えるとゾッとする。

なお悪いことに、即効性ある対策が示されていない。とりあえずは今と同様のタンクを設置したとしても、将来に向けて溶接された堅固な大容量タンクを建造すべきだ。そもそも2年前から大容量タンクの建造を進めていれば、今回の事態は回避できていただろう。

汚染水に四苦八苦している原因は、毎日毎日、原子炉建屋に流れ込んでくる400トンもの地下水だ。これが放射能汚染水となるので貯蔵せざるをえない。その量はどんどん増えて、今では34万トンを超えている。実に、25メートルプール900杯分にもなる。ところが、根本的な地下水対策が進んでいない。対策が後手後手になり、ますます右往左往する、そんな現状だ。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)








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Genpatsu


(2013年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 222号より)




心の深いところに沈む不安。広島で語られた福島の被曝体験



広島で原水爆禁止世界大会に出席した。原水禁大会は核兵器の廃絶だけでなく原発の廃止も求めて、毎年8月4日から6日にかけて運営されてきた。

今年、筆者は分科会「フクシマを忘れない~福島原発事故の現状と課題」と女性の広場「フクシマを忘れない~ヒロシマの伝言」の二つの会場で同事故の現状を報告した。展望の見えない高濃度の汚染水対策の現状や事故処理作業員や住民たちの被曝、健康影響などデータから見えてくる問題点を話した。




チェルノブイリ原発事故の経験から学ぶことなどに加えて、福島の子どもたちやその教員たちの学校生活の辛苦が福島の先生から、地震当時に避難した体験談が母子から語られた。

宮城県の復興の様子の報告もあった。外での遊びも空間線量の高いところでは制限され、身の回りの放射能や被曝のことを忘れたようにふるまってはいるが、心の深いところに被曝やその影響への不安という大きな影が沈んでいる、複雑な思いが伝わった。

こうした直接の声は、データからは読み取れないだけに、貴重なものだ。広島や長崎では被爆体験が証言集として積み上げられているが、福島でも同様な試みが広がるといいと感じた。




6日朝には中国電力本社前での抗議行動があった。同社が進める上関原発建設計画と島根原発の再稼働に反対して、市民100人ほどが本社の前で座り込み、全国各地からの参加者がそれぞれアピールした。抗議行動は1時間程度だが、毎年行われている。

福島原発事故の後では、若い人たちがたくさん参加するようになった。上関原発計画が浮上したのは1982年、以来30年にわたって、漁民たちを中心に反対運動が続けられている(※ビッグイシュー174号18ページ参照)。09年12月、中国電力は設置許可の申請を国に提出したが、福島原発事故で前民主党政権は計画を認めない判断を下した。安倍政権は建設に言及していないが、審査は中断したままだ。




タクシーの運転手は原爆投下の朝も今日と同じように晴れて暑い日だったと言っていた。被爆から68年が過ぎた。「核の平和利用などない!」。核廃絶を求める声と核の商業利用(原発)からの撤退を求める声が原爆ドームの前に響いていた。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)








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こんにちは、オンライン編集部のイケダです。最新号の223号から読みどころをご紹介!続きを読む
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