(2012年8月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第197号より)






あきらめで社会は弱体化、市民の絶望は深い




国民の4割が何らかのかたちで麻薬にかかわるといわれるメキシコ。闇社会の恐怖を命がけで伝えようと奮闘するジャーナリスト、ハビエル・バルデス=カルデナスに、アルゼンチンのストリート誌が話を聞いた。





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表現工夫し書き続ける。でも、この作業は命がけ



メキシコ北西部シナロア州の州都クリアカンは、世界でも最も凄惨な麻薬取引の拠点として知られる。カルデロン大統領が進めるマフィア撲滅戦争が激化するなか、2011年には麻薬取引にからむ抗争で死亡した人の数が、前年度比で84パーセント増加したとされている。

そんな状況にあって、ハビエル・バルデス=カルデナスは人間の尊厳に光をあてた勇気ある記事が評価され、昨年、優れたジャーナリストに授与される米国のマリア・ムーア・カボット賞とニューヨーク・ジャーナリスト保護委員会賞を受賞した。




バルデス=カルデナスは02年に『リオドセ』という週刊新聞を仲間と共同で創刊した。彼の署名入りコラム「マライエルバ」はジャーナリズムの一つのジャンルとして確立され、シンプルで力強い文体は、クリアカンの町や住民、彼らの生活や恐怖のありさまを、臆することなく率直に描き出す。





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昨年、メキシコでは毎日27人が麻薬マフィアと警察の衝突のはざまで命を落とした。バルデス=カルデナスが関係者や犠牲者のライフ・ストーリーを綴ることには、どのような意義があるのだろう? この問いに彼はこう答える。

「警官対悪党あるいは軍隊対凶悪犯といった、善対悪の構図ではなく、麻薬ビジネスの現実を理解するための手がかりになります。たとえば〝恐怖で緊張する括約筋〟や、〝こわばる頬骨〟など、優れた表現には物事をよく伝える力がある。私は麻薬密売の現状を足元に近いところから描きたいと思っています。舗道や路地や小さな空き地、民家や商店街など、日常にあふれる恐怖や悲しみ、憎悪や愛しさを」


「記事には関係者を特定するような具体的な事実は書かないことにしています。彼らが自分のことを書かれたと思うことは、私たちにとってのリスクとなるからです。ジャーナリズムの素材と物語性の組み合わせによって、書き続けることができます。この仕事は命がけ。ここでは、文字を支配するのは麻薬マフィアのボスだと言われています。記者が執筆する際、彼の脳裏をよぎるのは編集者や読者ではなく、ボスのことだからです」




バルデス=カルデナス自身は恐怖を感じているのだろうか。

恐怖は私のもっとも身近な友人です。同僚のアレハンドロ・アルマサンは『クリアカンでは、生きていることが危ない』と言うんです。私が記者であること、そしてもっている知識を記事にすることが私にとってのリスクです。ここに暮らすすべての人にとっての状況と同じように」




私はよく泣き、歩くことも音楽も好き。そうやって生きのびている



地元新聞での記事だけでなく、バルデス=カルデナスの本は、米国などでウォルマートのような大手スーパーでも売られており、麻薬密売という題材はある種のはやりのように受け取られることもある。

重要なのは伝えること。私のジャーナリストとしての責務です。無能を決め込み、検閲ばかり気にする沈黙の記者になることも可能ですが、それは私にとっては死も同然です




クリアカン市民の絶望は深い。彼らはもはや落胆することも憤ることもなく、身内を殺された時でさえ、公正な裁きを求めたり記者に訴えたりすることはなくなったという。記事に公式なコメントを求めると、それがたとえ麻薬に関連しない内容でも、人は匿名でしか話をしない。

「メキシコの著名な作家であるカルロス・モンシバイスは、暴力とは段階的に慣らされていくものであり、子どもや若者は、撃たれて死ぬことも自然な死に方だと思っていると言っています。私たちの暮らす社会はあきらめによって弱体化し、それが国全体を一層荒廃させていくのです」




バルデス=カルデナス自身、5年ほど前、クリアカンを離れ移住することを検討したという。

「それでも私がここに残るのは、自分の街とこの仕事が好きだからです。弾丸はすぐ近くを通っていきますが、この仕事は今こそやるべきだと思っています」




彼には、17歳の娘タニアと、12歳の息子フランシスコ・ハビエルがいる。

「子どもたちには戦争に備えるような調子で話しますね。銃撃戦に遭遇したらどう行動すべきか、家の前で発砲されたらどうするか、姿勢を低くして声を出さず、家の奥の部屋に向かって這っていくこと、窓の外に顔を出さない、すぐに私か妻に電話して知らせること、などを教えています。内心とてもつらいですが、子どもたちには真実を語るべきだと思っています。なるべく、彼らの心が絶望感にさいなまれないように工夫しています」




そして、どんなに厳しい状況でも、子どもには寛容さと人への尊敬の気持ちを教えたいと話す。

「アルゼンチン出身の人気グループ『レ・リュティエ』のコメディ・ミュージカルを聴いて、何でも笑い飛ばすようにしています。子どもたちはティム・バートン監督の暗く秀逸な作品が好きですね。多様な文化に触れてほしくて、一緒にサビーナやクリーデンス、ビートルズやカレ・サーティーンもよく聴いています」




子どもの頃から強い精神力をもっていたと言う、バルデス=カルデナス。「生きのびることを習得してきました。私はよく泣きますし、セラピーにも通います。歩くことも音楽も好きですし、書物には魅了されます。私自身はウイスキーやテキーラのボトルの底に答えを求めたり、カフェの隅にただじっと座っていたりしません。でも、これがあるから、みんなは時に心が折れそうになったり負けそうになりながらも、何とかやっているのかもしれませんね」




(Dante Leguizamón / HECHO EN BUENOS AIRES-ARGENTINA, ⓒwww.street-paper.org)

Photo:Gentileza Río Doce





(特別コラム)「クリアカンの空」




クリアカンの天気は晴れのはずだが、どうもそのようには見えない。鋭く切断された熱い鉛の板でできたような雲と雨のように降るミサイルの弾。それらがクリアカンの天蓋を覆いつくしている。

わずか1週間半の間に、40近い「死刑」が執行された。うち12人が自治体や政府の職員だった。うち1人は首を切り落とされていた。4人の記者が軍服を着た集団に殺害され、10を超える「ナルコメンサヘ(※)」が市内いたるところに貼られた。

(※麻薬マフィアが敵を脅したり自らを誇示するため、張り紙や横断幕などのかたちで公共の場に残すメッセージ)




これは戦争だ。テロだ。春のクリアカンの空はただれ、通りは破壊され、街角や家や商店や広場には火が放たれた。生活の一部となっている「恐怖」。「昨日の晩の銃声、聞いた?」と孫とおぼしき子どもたちを前に、一人の女性がもう一人の女性に尋ねる。子どもたちは駄菓子屋の中でかき氷をすすっている。

(中略)若い男性が散歩に出ようとする。「遠くへは行かないよ。ちょっとそこの公園に行って身体を動かすだけだ」。妻は深刻な顔をする。そして言う。「わかった」。そして「それなら防弾チョッキを着ていきなさいね」といたずらっぽく忠告する。男性は微笑む。「冗談に決まっているでしょ?」。しかし、心の中では、心の奥深くでは、到底笑えない冗談だとわかっている。

こうして街は眠りに落ちるのを恐れ、目覚め続ける。新たなメッセージが新たな紙に貼られる。新たな殺害者統計が発表される。毎日更新される恐怖の数だ。灰色の鉛の空に銃弾の雨の降る街では、到底数えきれない。

(週刊新聞『リオドセ』に掲載されたバルデス=カルデナスのコラム「マライエルバ」より)


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107人生相談





気になる女友達に、「お金を返して」と言えない



女友達に1万円貸したのですが、2ヵ月経っても返してくれません。自分から「返して」と言えばいいのですが、彼女はかわいくて、ちょっと気になる女性なので、「せこい男」と思われるのも嫌で、なかなか切り出せません。1万円というのも微妙な額です。返してもらうべき? それとも男らしくスパッとあきらめるべきでしょうか?
(24歳/男性/公務員)






僕の若い頃によく似てるな~。僕も、似たような体験をたくさんしてきたから、この人の気持ちがよくわかる。

自分の体験でいうと、僕は昔から優柔不断で、それなのに「ええカッコしい」のところがあるから、お金を貸しても、相手になかなか返してと言えない。相手が気づいてくれるまで言えずに、結局、あきらめることが多かったように思う。

普通はね、やっぱりちゃんと相手に話して、お金を返してもらうべきだと思いますよ。もしかしたら、相手もうっかり忘れているだけかもしれないし、言い出せなかったことでお互いの関係が悪くなるというのは、もったいない。話してみて、それでも返してくれなかったら、この人はそういう人なんだと思って、つき合い方を変えるしかないよね。




ただ、この相談者は僕と同じで、ちょっと「ええカッコしい」で、ちゃんと相手に言えないタイプなんじゃないかな。彼女によく思われたいと思っていて、できればつき合いたいとか思っていたら、「1万円ぐらいいいか」って考えてしまう。男って、気になっている女性がすることを悪いようにはとらないもんだから。「うっかり忘れているだけだ」って、いい方に考えちゃう。

 だから、もしスパッとあきらめるなら、これだけは絶対にしてはいけないことだけど、共通の知人に愚痴をこぼしたりしないこと。僕も経験した失敗例だけど、お金のことで相手を中傷する言葉や悪口を言っていると、どうしてもまわり回って相手に伝わってしまうもの。

そういうかたちで、第三者から相手の耳に入ると、相手はすごく傷つくから、一度スパッとあきらめると決めたら、絶対に口に出さないこと。

お金を返してくれない相手に、「お金の問題を言いふらす人」みたいに逆に言われて、自分の人間性を疑われることにもなりかねないから、あきらめるなら、尾を引かず、スパッと忘れることが大事だと思うな。

(大阪/I)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第107号より)







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こんにちは、オンライン版編集長のイケダです。最新号から読みどころをご紹介する本コーナー、今回は「グルテンフリーダイエットとセリアック病(8〜9P)」についてです。




「セリアック病」の患者の助けとなるか




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「グルテンフリーダイエット」は、昨年の夏頃から日本でも話題になりつつある新しいダイエット法。海外セレブがこぞって実践おり、ビクトリア・ベッカムは数キロのダイエットに成功し、テニス選手のアンディ・マレー、歌手のマイリー・サイラスもその信奉者だとか。

そもそもグルテンとは何か、詳しく知っている方はそんなに多くないでしょう。Wikipediaによれば「グルテン (gluten) は、小麦、大麦、ライ麦などの穀物の胚乳から生成されるタンパク質の一種」で、欧米での主食のほとんどに含まれている成分です。グルテンフリー食材を販売するメーカーいわく、このグルテンを摂取しないことで、健康・生活が改善されるという効果が期待できるとか。




ダイエットの選択肢として盛り上がっているグルテンフリー食材。実は食材自体は、実は「セリアック病」という免疫疾患の患者にとって、必要不可欠なものでもあります。

「セリアック病」とは、「グルテンを含む食品を取ると腹痛や吐き気などを起こすだけでなく、長期的には骨粗しょう症や腸がんを発症する恐れがある」、深刻な病気です。英国では100人に1人がセリアック病だと見られているというから、その規模に驚かされます(現在は欧米人に特有の病気とされ、日本での発症例は調査中)。




一般的に、グルテンフリー食材の価格は、通常の食材の数倍となります。セリアック病の息子を持つカレン・ガンストンさんは、次のように語っています。

普通の食料もひどい値上がりが続いていますが、もともと高価なグルテンフリー食品の値段まで上がっています。普通のビスケットは1袋60ペンス(約85円)ですが、グルテンフリーのビスケットは18枚入でその4倍近くするんです。





高価なグルテンフリー食材ですが、ダイエット需要によって生産量が増えれば、値下がりも期待できます。思わぬ効果といったところですが、これでカレンさんのような困っている人たちの負担が、少しでも楽になればいいですね。

市場と医療、社会問題について考えるヒントをくれるいい記事でした。ぜひ手に取ってお読みください。




最新号の表紙はあのディカプリオ。詳しい内容は最新号紹介をご覧下さい。




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(2012年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第199号より)




東インド、“誰からも忘れられた戦争”の村—67年から続く抗争の果てに



東インドのジャールカンド州は、インド政府がテロ組織に指定する毛派グループの中心地だ。農民の多くは毛派の思想に共感を寄せるが、その暴力的な手法には否定的だ。








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(元ナクサライト戦闘員のアジャイ)




時の流れが止まった村。勢力増す毛派のナクサライト



アジャイ(仮名)は、ピセルトリ村のはずれの木立に身を隠した。朝の雨でぬれた水田が日の光に輝き、周囲には手作りのタイルで屋根をふいた泥と石の家々が並ぶ。

緑の丘陵地帯のふもと、四角いキャベツ畑の青緑色と収穫を終えた水田の刈り株の黄土色との間をマンゴーとタマリンドの木の鮮やかな緑がふちどっている。まさに、絵に描いたような静かな田園風景だ。

しかし、アジャイは緊張を隠せない。毛派の元戦闘員である27歳の彼は、取材中も警察のスパイや毛派シンパの住民に見とがめられることを恐れて、たえず背後をうかがっていた。

ピセルトリ村があるのは、インドにおける毛沢東主義の中心地であるジャールカンド州のグムラー県。インドの毛派は「ナクサライト」とも呼ばれ、中央政府によってテロリスト集団として弾圧されている。




アジャイは、「兄は一帯を統括するナクサライトの将軍で、弟も部隊長を務めていました」と声をひそめた。この地方で話されているサドリ語だ。

「兄は殺され、弟は刑務所にいます」。子どもの頃は、警察が毎日のように家にやって来たという。

「14歳の時には、ひどく殴られてナクサライトの居場所を言うように迫られました。当時の私は教師になるのが夢でしたが、復讐を誓いナクサライトに加わったんです」




ハイテク産業で好景気にわく大都市の喧噪を遠く離れ、グムラー県の農村地帯を訪れると、まるで過去にタイムスリップしたような気がする。ここでは牛が鋤をひいて水田を耕し、電気は通じておらず、舗装した道路もほとんどない。橋は地元のナクサライトがたえず爆破するので常に工事中の状態だ。

ナクサライト過激派の起源は、1967年に西ベンガルのナクサルバーリーの茶葉プランテーションで働いていた貧しい労働者の一団が、地主に対して起こした反乱にさかのぼる。

70年代になると各地で学校を設立し、武力でもって農地解放を進めた。80年代に運動はいったん下火になったものの、06年にネパールで革命勢力により王制が廃止されると息を吹き返し、10年にはインド国内の少なくとも4万平方キロに及ぶ地域を制圧した。

80年以降、武力闘争により1万人超の死者が出たとみられるが、その半数以上はこの10年間のものだ。






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(グムラー県、ダフパニ村。NGOがナクサライトと交渉し、集落間を結ぶ道路工事が進められている。Photos:Simon Murphy)




村の学校が戦場に。1年間に34の学校が爆破



深い森はナクサライトにとって格好の隠れ家だが、同時にインドの少数部族が代々暮らしてきた場所でもある。彼らは過去数十年にわたって、鉱山会社や地主、役所によって立ち退きを強制され、移住させられてきた。土地や生計の手段を失った者が増えるほど、毛派への支持が高まっていった。

人々がナクサライトに加わる動機はさまざまだとアジャイは語る。

「地主や鉱山会社に奪われた土地を取り返したいと考える者もいれば、職にあぶれ、毛派が与えてくれる賃金と仕事が目当ての者もいます。それに、ナクサライトは村にやって来ると、略奪などの犯罪行為を一掃してくれました」




だが、民間シンクタンクの平和紛争研究所(IPCS)によれば、ナクサライトは数百から数千人の子どもたちを強制的に連れ去り、虐待している。

逆に、政府が支援する反毛派組織や特殊警察の隊員たちも、学校を占拠し戦いの拠点にしている。そのため学校は、警察への報復として攻撃対象となることも多い。09年にはジャールカンド州内で34の学校が爆破されている。





8歳のカムラ・シンは、何年もの間、誰もが怖くて学校に通えなかったと話す。

「ナクサライトが怖くて行けない時もあったし、警察が学校を使っていたこともありました。恐怖のあまり、外から村にやって来る人もほとんどいなかったんです」


ある支援団体の職員は話す。

「警察は決して助けには来てくれません。すっかり怖じ気づいているんですよ。これは誰からも忘れられた戦争です。中央政府が助けにくることも、何か問題はないかと尋ねてくることもないのです」

(Lucy Adams/The Herald, ©www.street-papers.org)


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(2008年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第92号より)






La Calle Portada Noviembre




伝説のスラムから誕生 ストリートマガジン『La Calle』


 
首都ボゴタの一角に位置するエル・カルトゥーチョ(火薬庫の意)は、コロンビアで最も伝説的なスラム街だった。以前はスペイン風の家々が建ち並ぶ裕福な地域であったが、60年代以降、ボゴタの富裕層が市北部へと移り住み、家主たちは定期的な借家人を見つけることができなかった。

家主たちに残った最後の手段は、地元を牛耳る者たちに家を貸すことだった。彼らはこれらの家々を薬物の取り引き場とし、何千人ものホームレス状態の人々、売春婦、犯罪者がこの地域へやって来た。次第にこの地域独自のルールができ上がり、隠語が生まれた。「ガソリンなしで180で行く」というのは、薬はほしいが買う金がないことを意味する。

大統領官邸や市長官邸、最高裁判所などの主要な公共の建物は、ほんの5ブロック先にあった。この近さは、喜劇的であったが、時には悲劇的だった。02年の大統領就任式では、ゲリラが無警察状態のエル・カルトゥーチョを拠点として迫撃砲で攻撃し、居合わせた12人が死亡した。




98年から00年まで市長を務めたエンリケ・ペニャローサは、この地域を「政府の無能さと混沌の象徴」と呼び、彼と後任の市長らは、エル・カルトゥーチョを「公共に役立てるために再生させる」と宣言。03年に最後に残った住宅が取り壊されたとき、ある市会議員は「40年におよぶ恥」が終焉したと歓迎した。




そして建物は姿を消したが、それらの建物が象徴していたこの地域の社会からの隔絶は、それ以降も続いている。エル・カルトゥーチョの元住人たちは公のプログラムには見向きもせず、路上に住む。ある者は富裕層が数年前に移り住んだ市北部へ移動した。そこではレストランで残り物がもらえるからだ。

昨年11月、ボゴタでコロンビア版ビッグイシュー『La Calle』(ストリートの意)が販売を開始した。人々に声をかけ、同じ社会の一員として、お互いを避けあうようなことはやめようと呼びかけている。

そうでなければ、疎外されている住人たちは、また新しいスラム街に集まって住み続けるだろう。そして、かつてエル・カルトゥーチョがそうであったように、新しくできたスラム街も取り壊され、悪性腫瘍のように別の場所に転移することだろう。





(Henry Mance / Reprinted from The Big Issue In The North / Street News Service : www.street-papers.org)



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106人生相談





B型は、何をやっても長続きしないのでしょうか?



子どもの頃から新しいもの好き。おけいこごとを一通りやって、大人になってからも英語に韓国語、ダンス、アロマテラピー、パン作りなど、何でもチャレンジする行動力はあるのですが、どれも長続きしません。友人に相談すると、「あなたは、B型だから仕方ない」って言われるのですが、やっぱりB型って飽きっぽいものなのでしょうか?
(42歳/女性/派遣社員)






日本人って、ほんとに血液型が好き。今も、血液型別の『自分の説明書』とかいう本がものすごく売れているじゃないですか。僕は、ぜんぜん信じてないんです、血液型占いのようなもの。なんか、血液型を逃げ道にしているみたいで嫌なんです。

僕の場合、実は3年前にたまたま献血車で調べてもらってA型と言われるまで、てっきりB型だとばかり思い込んでいたんですよ。子どもの頃は、A型って知っていたはずなんですよ。それなのに、いつのまにか40年近くもずっとB型だと思って過ごしてきた。びっくりしたよ。

部屋を片づけるのがすごく苦手だったり、根気がなかったりするので、知らないうちに「B型だ」と自分に言い訳していたのかもしれないですね。改めてA型だと判定されると、今度は「そういえば、A型っぽいな」って思うこともたくさんあったりしてね。いい加減なもんですよ、人間って。そんなことで、これまで自分の可能性を狭めていたのだとしたら、もったいないことしたなと思う。




「長続きしない」というのは、別に悲観することじゃないと思うな。だって、いろいろなことにチャレンジしていれば、それが一生に一回の転機にハマるかもしれないでしょ。いろんなことに興味があってチャレンジするのは、すごくイイこと。
ほら、よく演歌歌手とかでも、いろんな職業を経験して、歌手として花開いたりしてる人もいるもんね。

そういえば、八代亜紀なんて、ものすごく多趣味ですよ。歌だけじゃなく、絵画で二科展に出展したり、陶芸にチャレンジしたりして、いろんな才能を発揮してる。

彼女の血液型は知らないけど、もしB型だったらおもしろいよね。B型が飽きっぽいというのは、やっぱり迷信だったということになるから。少なくとも才能を発揮できる人は、血液型とかそういうのをまったく信じていない人、なんじゃないかな。

長続きしないと悲観せず、今は本当に自分が好きなものに出合うステップだって考えたらどうかな。
「自分には何かあるはず」。そう思って生きた方が楽しくなるしね。

(大阪/I)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第106号より)







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(2012年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第199号より)

 

政治に被災地のリアリティを。アート作品、南相馬市の「政治家の家」


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福島県南相馬市原町区郊外の空き地に、一人のアーティストの作品「政治家の家」が設置された。「仮設住宅」を模したような4畳半程度の小屋の外側正面に取りつけられた巨大看板「政治家の家」が目印。

制作したのは、第4回岡本太郎記念現代芸術大賞(TARO賞)優秀賞なども受賞したアーティスト開発好明さん。福島第一原発2号機の水素爆発から丸1年後の、今年3月15日に完成した。

 

開発さんは震災後、福島県を何度も訪れている。初めて車で南相馬市へ向かう途中、全村避難した飯舘村を通った際に、ゴーストタウンの風景に強く衝撃を受けた。

「ニュースで見てはいたが、ショックだった。頭で考え、想像するだけではわからない現実があった」と開発さん。その後も除染作業を見たり、仮設住宅で暮らす人々と会った。福島で何が起きているのか。芸術に何ができるのか、深く考えた。

 

「部屋が10室もある家に住んでいた人が、今は狭いプレハブの仮設住宅で暮らす。仮設住宅は外観とは違い、中はずっと狭い。そのアンバランスさに驚いた」。

被災地の現状も仮設住宅と同じ。外から見るのと、中で見るのでは相当違う。今、一番必要なのは被災地のリアリティ、特にそれが必要なのは政治家ではないか。

そうして誕生したのが「政治家の家」だ。

 

開発さんは言う。「私は原発に対してニュートラルな立場だが、今、モノづくりやアートに何ができるのか考えた。それは新しい可能性、みんながさまざまなやり方を提起し、何かを考え始めるきっかけを生み出すことではないかと思った」

 

開発さんの思いに福島県内の友人が賛同、土地を提供し「政治家の家」が完成した。家には窓が一つ、爆発した福島第一原発の方角に向いている。

内部には大人用と子ども用の椅子が1脚ずつ、同じ向きで窓に向いて並ぶ。この家は誰でも外から見られるが、中に入れるのは政治家だけ。毎月15日に一般公開している。国会議員全員に招待状を出したが、中に入った国会議員はまだいないという。

現在、「政治家の家」は移転が検討されており、交流会は8月15日で一区切り。この日は開発さんや友人らが地元福島、都内など各地から駆けつけ、風船に願いごとを書いて空に放った。

 

(文と写真 藍原寛子)
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105人生相談





母の監視をやめてもらいたい



友人と飲みに行ったりして、夜10時ぐらいになると、同居している母親が「いま、どこにいるの? 何してるの?」と必ず電話してきます。母は心配していると言うのですが、私には監視しているようにしか思えません。しかも、私はもう30代で、立派な大人。こんな母は、どうしたら、監視をやめてくれるのでしょうか?
(33歳/女性/OL)






難しいな~、僕は親に監視されたことがないから。父親は早くに亡くなったし、母親は僕が中学のとき、家に帰ってきたら、台所で倒れて亡くなってたからね。もうあっけにとられたよ。人間の死って、こんなもんなんだな~って。

母親は、プロレスとか西武ライオンズが好きで、よく近所のテレビのある家に観戦しに行ってた。あと思い出といえば、年末の紅白を観ながら、いつもこたつでミカンを食べてたことぐらいかな。だから、母親に監視されてるなんて、ちょっとうらやましいかな。

ただ、僕も自分が親だったときはすごい心配性だったから、このお母さんの気持ちがよくわかる。妻と離婚したあとも、子どもがどうしてるか心配になって、ホームビデオで子どもを撮ってもらったし、今の路上生活になってからも、そのビデオだけはずっと持ち歩いている。こんな状況でも子どもが心配になるんだから、親はみんな子どもが心配なんです。




それに、お母さんは、話し相手がいなくて、寂しいんじゃないかな。
よく道を歩いてたら、見た目は普通の格好をしてるのに、わけのわからないことをブツブツ言っている人がいるでしょう。そういう人を見ると、やっぱり人間ってひとりでは生きていけないんだなって思う。

僕だって、朝にビッグイシューを仕入れて売り場に立ったら、もう翌朝まで完全にひとりでしょ。だから、ビッグイシューの事務所に行ったら、できるだけしゃべろうと思ってるよ。

でないと、自分もいつ、ブツブツ言う人になるかわからない。
人間って、いつも寂しいんだよ。そういうことも、ちょっとわかってあげてほしいな。




そうだな、お母さんから電話がかかってくる前に、自分から電話をかけるっていうのはどうかな? 「まだ起きてるの? 早く寝なさい!」とか言ったりして(笑)。逆に、お母さんを監視する。監視されてると思うから、うっとうしいんであって、自分が監視してると思ったら、腹も立たないんじゃない? 

きっと、お母さんは監視されると、喜ぶと思いますよ。

(大阪/Y)




(THE BIG ISSUE JAPAN 第105号より)







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(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より)




悪夢になったアメリカンドリーム 在米30年のメキシコ人家族の苦難



2003年に米国で新設された国土安全保障省。
その中でも最大規模を誇る機関「移民・税関法執行局」の取り締まりは
移民社会を不安におとしいれ、差別を生み出している。
30年間合法的な移民として生活してきたメヒア一家も
不法移民同然の扱いを受けた。






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いやがらせ、差別的発言、不当な拘束。



ジーナ・メヒアが米国ワシントン州モンロー市に家を購入したのは、その町が大変美しく、多くの教会があったからだった。しかし、隣人たちによるキリスト教的慈愛の精神は、このメキシコ人夫婦には少しも示されないことを、ジーナは当初知るよしもなかった。

メヒア夫妻が東部から移ってきたのは2004年。それまでも30年間、彼らは合法的な市民として米国で生活を送ってきた。にもかかわらず、白人の隣人とのトラブルは転居直後から始まった。ジーナ・メヒアによると、転居してから3年の間に、隣の主人がバールを手に威嚇してきたり、夫の顔に唾を吐いたり、人種差別的暴言を吐いたりしたという。





彼女はすぐに隣人に対する接近禁止命令(*1)を裁判所より取得したが、実際に隣人が命令無視をしても地元モンロー市警察は何もしてくれなかったという。

そして2005年8月、隣人の嫌がらせに耐えかねたメヒア夫妻が新たな保護命令(*2)を申請した翌日、武器を携帯した移民局職員が玄関先に現れ、息子の居場所はどこかと彼女に迫った。彼女は自主的に協力し、当時30歳で、仕事もあり、二人の幼い子どもの父親でもあった息子シーザー・キーモーレンとモンロー警察署に出頭した。




彼女によると、それからわずか数時間後、息子キーモーレンはまるで動物のような扱いで警察署から連れ出され、ワシントン州タコマ市にある北西部拘置センターに移された。彼は生まれてからずっと米国に暮らす合法的な市民であるにもかかわらず、そこから出るのに2ヶ月かかったと、彼女は言う。




移民の問題に関する支援活動団体によると、シーザー・キーモーレンのようなケースは珍しくない。このような不当な扱いに抗議する人たちが、7月13日・14日の両日、拘置センターの外で、24時間徹夜の抗議の座り込みを行ったのも、そのためである。

座り込みに先立って行われた記者会見には、シアトル大都市圏教会協議会、移民コミュニティを応援し民主主義や正義、権利の保障を呼びかける支援団体「ヘイト・フリー・ゾーン」、ワシントン州コミュニティ・アクション・ネットワークなどの活動団体のメンバーらが出席し、移民の拘置センターを「民間経営の強制収容所」と称した。

一度入ってしまった人が、そこから出られる機会は国外退去命令ヒアリングの場しかなく、その場合でも、有償でないかぎり、弁護士など法的手続きなどの手助けは一切ない。




職場での強制捜査、捕えられているのは合法的に働く人々



6月末、不法移民の取り締まりの解決策として打ち出された移民改革法案が米国上院で否決されたことを受け、支援活動団体はワシントン州のベリンガムやポートランド、また全米各地において国土安全保障省の機関である移民・税関法執行局(ICE)が最近実施している職場などの強制家宅捜索の即時中止を求めた。

タコマ市の権利章典支援協会の会長、ティム・スミスは、一連の強制捜査で捕えられているのは、犯罪人ではなくキーモーレンのように家庭や子どももいる合法的に働く人だと語る。




「このような職場での強制捜査は、はるか1920年代にも行われており、そのころは共産主義者や同性愛主義者が対象でした」とスミスは言う。オレゴン州やワシントン州で行われた強制捜査では、結果として何百人という移民がタコマ拘置センターに拘束され、「移民コミュニティはもちろん、全米に大きな不安をもたらしました」と「ヘイト・フリー・ゾーン」の政策ディレクター、シャンカール・ナラヤンも言う。

息子の経験した1000床収容の拘置所を、メヒアは「人の精神を狂わせる場所」と説明する。拘置センターは、民間刑務所運営会社ワッケンハット社の系列会社GEO社によって運営されている。メヒアによれば、息子に与えられたのは、粗末な食事と汚れた着替えで、凶悪な犯罪者と一緒に独房に入れられたという。




ICEが息子に目をつけた理由は、かつてガールフレンドと彼の子どもの母親との間で起こした喧嘩の結果、DV(家庭内暴力)の罪に問われ、有罪となったためだという。申し渡された判決「365日の保護観察処分」は、重罪として扱われるため、ICEは国外退去を命令することができる。そのため、メヒアは弁護士を雇い、ガールフレンドの母親と叔母を証人としてたて、法廷に出廷した。

その結果、裁判官は量刑を1日減刑。刑が364日以内であれば、国外追放は免責となるため、これにより、キーモーレンが強制退去させられる法的根拠が取り除かれた。2006年2月、彼はようやく釈放された。




「この事件は、控訴中でしたが、彼は減刑を受けたので、強制退去から免責されました。ICEは、外国人が国外追放に相当するかしないかの最終決定はしません。その責任は、国の移民判事にゆだねられています」。ICEの広報担当官ローリー・ヘイリーは言う。

何故そもそもシーザー・キーモーレンがICEの注目するところとなったのか、ヘイリーは、詳細はコメントできないと言うが、当局は「地元警察を含め、複数の角度から」情報やヒントを入手しているという。モンロー市警察署にコメントを求めたが、回答は得られなかった。メヒアは、この不公正な扱いにいまだにショック状態にあるといい、モンロー市で暮らしていくには、不安が大きすぎると語る。

「私たちは合法的な移民です」と彼女は涙をこらえながら訴える。「私たちはテロリストではありません。私たちは犯罪人ではありません。私たちはただアメリカン・ドリームを求めてやって来たのに、今や夢は悪夢になってしまいました。この家を売って引っ越します。たぶん2度とこの町に足を踏み入れることはないと思います」




(Cydney Gillis / Reprinted from Real Change  Street News Service: www.street-papers.org)




*1接近禁止命令 家庭内暴力やセクハラ行為、嫌がらせ行為などについて、加害者の行動を制限するための裁判所命令。
*2保護命令 裁判所が精神的、肉体的暴力行為の被害者の訴えを受けて発令される。加害者が命令を無視した場合、有罪となる。


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