こんにちは、ビッグイシュー・オンライン編集長のイケダです。最新号の読みどころをピックアップしてご紹介いたします。




映画監督・園子温さんが芸人に転向?!



以前、園子温の書籍「非道に生きる」を読み、大変感銘を受けました。人から嫌われるのを恐れない姿勢、いえ、それどころか、「すすんで嫌われるようなことをしようとする姿勢」に、いつも空気を読んで生きていたぼくは、強烈な感銘を受けました。






「映画の外道、映画の非道を生き抜きたい」という僕の気持ちは、つまるところ自分の人生そのものだ。

思えば生まれたときから僕はへそ曲がりであまのじゃくで常に世間にそっぽを向いて歩いてきたし、世間も僕にそっぽを向いてきた。これからもそうだろうし、むしろどんどん嫌われて、「こんなの映画じゃない」と言われる映画を撮り続けたい。










園子温氏は「俺は園子温だ!(1985年)」で鮮烈なデビューを飾った映画監督。代表作に『愛のむきだし(2008年、ベルリン国際映画祭「カリガリ賞受賞」)』や『冷たい熱帯魚(2011年)』といった作品があります。人間のグロテスクな内実を暴く作風は国内外で高く評価されています。好き嫌いは分かれますが、注目せざるを得ないパワーを持っていることは間違いありません。








最新号の巻頭では、そんな園子温氏のインタビューが掲載されています。

インタビュー冒頭、いきなり驚かされたのは、「お笑い芸人に転向する」という話。

今度、映画監督からお笑い芸人に転向しようと思っているんです。ようやく映画監督として名が知られるようになってきたのに、何をふざけているんだ!?って言われそうだけど、本気です。

(中略)でも今の自分にとっては、すべてをゼロに戻し、けもの道を歩くという選択が必要なんです。逆境の中に身を投げ出し、自分を奮い立たせる—ずっとそうやって生きてきたから、そうするしか能がないんだと思う。


冗談ではなく、本気でお笑い芸人を目指すとのこと…凄まじい生き方ですね。「人生あっという間。監督だけやってたらもったいないじゃん」という台詞からは、読んでいる自分の小ささを痛感します…(笑)

刺激たっぷりのすばらしいインタビュー記事なので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいところです。




210号ではその他にも、

・デンゼル・ワシントンのインタビュー
・若者を支援するエイミー・ワインハウス財団について
・地震大国日本を扱う特集「動く大地を生きる」

などなど、魅力的なコンテンツが多数収録されています。街で販売者の方を見かけたら、ぜひご購入を!

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(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第75号より)





人口100万人と固有の動物が共存 奇跡の森の「命(ぬち)どぅ宝(たから)」



沖縄島北部”やんばるの森“に生息する、飛べない鳥、ヤンバルクイナ。絶滅の危機に瀕するヤンバルクイナの保護に取り組む、長嶺隆さん(NPO法人どうぶつたちの病院事務局長)から届いた緊急レポート。







ヤンバルクイナ




人が導入したマングース、ヤンバルクイナの天敵に



1981年、やんばる(沖縄島北部地域)の森で新種のクイナが発見された。先進工業国での新種の鳥類の発見は「世紀の発見」といわれ、”やんばるの森“の神秘さをあらためて知らしめた。

当時、浪人中だった私は夢中で国頭村に向かった。幻想的な朝靄の中、ヤンバルクイナは沢沿いの茂みからゆっくりと姿を現し、水辺に脚を踏み入れ真っ赤な嘴で何かをひとつまみしたかと思うと、再び茂みに戻っていった。そのすべての場面を鮮明に覚えている。

ヤンバルクイナはチャボくらいの大きさの、真っ赤な嘴に真っ赤な脚を持つ派手な鳥。胸から腹まで黒と白の横縞で彩られている。国内で唯一の飛べない鳥であり、飛べないクイナの北限種でもある。発見から10年後で既に、ヤンバルクイナは生息分布域を大幅に減少させていた。森は残っているのに、なぜヤンバルクイナが絶滅へ向かい始めたのだろうか?




その原因はやはり我々人間にあった。外来種マングースの侵入である。1910年、毒蛇ハブや農作物に被害を与えるネズミ退治のために、マングースをインドから導入し、17頭が沖縄島の南部、那覇市近郊で放獣された。以来マングースは沖縄島を北進し続け、80年代に入ると”やんばるの森“へ侵入し、ヤンバルクイナの天敵となった。

81年、ヤンバルクイナはやんばる全域に分布し、約2千羽いたとされる。だが00年頃までに、その生息地は半減し千羽をきってしまう。現在はわずか7百羽程度に追いつめられ、発見からわずか26年で、日本で最も絶滅に近い鳥類となってしまった。片やマングースは3万頭をこえた。




追い打ちかける、捨て猫、交通事故



さらに不運なことに、南からマングースによって追いつめられたヤンバルクイナを森の中で待ち受けていたのが、捨てネコであった。捨てネコは自らの命をつなぐために森の生き物たちの命を奪っていたのだ。2001年、(財)山階鳥類研究所はノネコによるヤンバルクイナの捕食を証明し、発表する。

獣医師になり18年ぶりに沖縄に戻っていた私に、この事実は衝撃だった。ネコをはじめペットの命を救う仕事を10年以上続けていながら、一方で捨てられるネコたちの命には見向きもしてこなかったのではと、自問自答した。 




02年、国や沖縄県はノネコの捕獲を開始し、動物愛護団体と対立していた。そこで、私たちは「クイナもネコも守ろう」と獣医師グループを立ち上げ、ヤンバルクイナの主要生息地である国頭村安田区と協働で活動を始めた。

公民館で飼いネコの不妊手術と飼い主を明確にするためのマイクロチップを導入するという、地域での「ネコの飼育のルールづくり」である。これが効を奏し人口約200人の安田区ではノネコがいなくなり、集落内でヤンバルクイナの繁殖が始まった。




環境省はこの事例をモデルに、やんばる地域の三つの村で「モデル事業」を展開。獣医師会やNGOが参加し、2年間で約500頭の飼いネコに避妊手術とマイクロチップを施し、国内で初めて飼養登録制度も義務づけた「ネコの飼養条例」を施行した。

01年に捕獲されたノネコは約200頭だったが、現在は10分の1の20頭にまで減少した。捕獲されたネコたちは保護され新たな飼い主探しを行い、これまで1頭のネコも処分されていない。それは「命どぅ宝(ぬちどぅたから/命は宝)」を発信し続けてきた沖縄で、世代の責任としてやらなければならないことであった。世界的に見ても、このネコ対策の解決へ向けた速度は異例といえるだろう。




一方、マングースは北進を続けている。マングースの根絶に成功した例は海外でも報告がなく、ヤンバルクイナの絶滅は秒読み段階に入ったと考えていいだろう。

さらに追い討ちをかけるのが、交通事故だ。昨年は13件が発生し過去最多となった。私たちは安田区と協働でヤンバルクイナ救命救急センターを設置し、事故にあったクイナを救護し森に帰す活動を展開している。

救護したヤンバルクイナの治療や飼育から学び、万が一直面するかもしれない絶滅の危機を回避するために、飼育下の繁殖に着手した。残された時間は少ない。






ヤンバルクイナ手術中





琉球列島を代表する”やんばるの森“は「奇跡の森」とも呼ばれている。「大陸のかけら」という地理的要因もあいまって独特の固有の進化を遂げた動物たちの宝庫だ。

しかし、「奇跡の森」といわれるもう一つの大きな理由は、100万人をこえる人々がこの島に暮らし続けながら固有の動物たちが生き続けていることにある。私たちの沖縄は、沖縄のいとおしい野生動物たちと共存できるはずだ。それが誇りであり、それが次世代への義務であり、先人たちが残してくれた心であると信じている。


(長嶺隆)
(Photo:金城道男)
(写真提供:どうぶつたちの病院)

ながみね・たかし
1963年、沖縄県生まれ。日本大学農獣医学部卒業。獣医。2004年、仲間とNPO法人「どうぶつたちの病院 沖縄」を設立。現在、理事長。人と飼育動物(ペット)と野生生物が共生していくための事業を行う。やんばる・西表・対馬に活動拠点を持ち、ヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコ、ツシマヤマネコなどの保護活動を行っている。
http://yanbarukuina.jp/

〈寄付郵便振替口座〉
口座名義 どうぶつたちの病院
口座番号 01780−8−137038
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前編を読む





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サバンナの守り神、マサイ族。保護と住民の間を架橋する家畜診療プロジェクト



「現在、マサイマラ国立保護区の周辺で起きている問題に、マサイの個人所有の土地の貸し出しがあります」と指摘する滝田さん。主にナロックと呼ばれる町の周辺で起きている状況だが、ここではマサイが持つ土地を白人やインド人経営の大規模農園がリースし、今までサバンナだった地域が麦畑に姿を変えている。

野生動物と共存することが可能なライフスタイルを送る遊牧民と違って、農耕民族(農業)の野生動物との共存は不可能に近い。農作物を野生動物に荒らされないようにするため、農地はフェンスで囲まれる。そのフェンスは野生動物の食糧を奪うだけではなく、水や草を求めて移動する動物の妨げとなる。

「年間わずかのお金で大農園にリースされる、サバンナ。そして、小規模な炭作りのためにリースされた土地の、消え行く森林。観光客たちが触れることのない、マサイランドの中で起きている問題なんです」




伝統的な家畜業をいとなむマサイは、言ってみれば、サバンナの守り神である。マサイが家畜業を止め自分たちの土地を外部に貸し出し始める日。それは、サバンナが消えてしまう日だ。そして、保護区との境界線のサバンナが消え、フェンスが立てられることによって、今までより、さらに野生動物と地域住民との衝突が増える。

一方で、乾季などによる栄養失調や風土病などの問題から、マサイのゼブー牛は痩せていて「屠殺利益」は他の牛種に比べ、かなり低い。教育を受け、今までのライフスタイルに疑問を持つ若者や、経済観念を身につけたマサイにとって、家畜業は魅力がなくなり始めている。放牧スタイルの家畜業だからこそサバンナを守り野生動物と共存できていたのに、少しずつ変化が起こっているのである。




だが、そんなサバンナの守り神とも呼ばれるマサイの牛や家畜を守るための獣医療サービスは、ほとんどなきに等しい。マサイが、牛から得る利益がサバンナを貸し出す利益より少ないと感じてしまう日、また一つサバンナが消えてしまうというのに。

そこで、マラコンサーバンシーは、保護区や保護区周辺に暮らすマサイ族の牛、ヤギ、羊などの家畜の診療活動をするために、マサイマラ巡回家畜診療プロジェクトを立ち上げた。

マラコンサーバンシーが、地域の人々に一番必要とされている獣医を派遣することは、保護区が野生動物だけでなく、地域社会をも大事にしていることの証明となる。そして、家畜の健康状態が向上すれば、家畜からの利益が上がる。このプロジェクトは、地域社会の人々の暮らしを向上させることを通して、保護区の自然保護を実現させようとする、いわば保護区と地域住民の架け橋なのである。




滝田さんはこの巡回家畜診療プロジェクトの誘いを二つ返事で引き受け、現在、獣医として活動している。「学んできた動物学と獣医学の両方を活用できる自分にふさわしい活動かもしれない」と感じている。だが、プロジェクトはスポンサー探しや資金集めなどに苦労していて、プロジェクトを軌道に乗せようとするのに精一杯であるという。

最近、滝田さんはナイロビ郊外からマサイマラに引っ越した。愛犬、愛猫と共のケニア生活も、早8年。今日も滝田さんは、マサイの村に出かけて家畜の診療や治療を行う。時には、十分な器具もない中で、野外手術も辞さない。




どんな仕事もいとわない滝田さんに、マサイの人が贈った名前は「ノーンギシュ」(牛の好きな女)。マサイの人の親しみと愛情が表わされているような気がする。

「このプロジェクトが軌道に乗り、将来的にマサイの人たちの中で獣医、もしくは家畜アドバイザーを育て上げ、彼らが自分たちのコミュニティーの中で家畜の病気と闘っていけるようにするのが、私の今の将来の夢なんです」

滝田さんの夢が1日も早く実現することを、同じ地球市民として祈りたい。

(メールインタビュー/編集部)
(写真提供:滝田明日香)




たきた・あすか
1975年生まれ。幼少からシンガポールなど海外で暮らす。NY州のスキッドモア・カレッジで動物学専攻、アフリカに魅せられケニアとボツワナに留学。大学卒業後、ボツワナ、レソト、南ア、ジンバブエ、ザンビアなどを就職活動で放浪。ザンビアではルワンファ国立公園に職を見つけるがビザ問題で断念。2000年ナイロビ大学獣医学部に編入、05年獣医に。現在はマサイマラ国立保護区のすぐそばに住み、獣医として、マサイマラ巡回家畜診療プロジェクトなどの活動を行う。著書に、『晴れときどきサバンナ』二見書房&幻冬舎文庫、『サバンナの宝箱』幻冬舎、がある。


〈寄付郵便振替口座〉
口座名義 マサイマラ巡回家畜診療プロジェクト
口座番号 00100・0・667889






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(2012年8月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第197号より)





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ドイツ、若年層一人親家庭支援プロジェクト



ベルリンのマルツァーン地区でこのたび、住居管理組合が中心になって若年層一人親家庭支援プロジェクト「Jule」を立ち上げ、話題を呼んでいる。

同地区は旧東ドイツ時代に開発された、パネル建築による高層住宅が多い新興住宅エリア。世帯の47パーセントが一人親家庭とドイツの中でもずば抜けて高く、その中でも近年若年層のシングルマザー世帯が増えて社会問題となっている。

若年層のシングルマザーに多いのが、学校を中途退学し、職業訓練を受ける機会もなく、小さな子どもを抱えて生活保護を受けているというケース。

「Jule」では彼らがその状態から抜け出せるよう、ベルリンの住居管理組合とマルツァーン区役所、ジョブセンターが共同で、18〜27歳の一人親世帯を対象に同地区の住宅を提供。

職業訓練や職探し、育児に関するサポート、家事全般や健康な食事に関する生活教育、借金などの生活相談を行う態勢も設け、さらに同じ境遇にある一人親家庭が相互に助け合うかたちを目指すという。

(見市知/参照:Tagesspiegel)


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(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第75号より)




野生の患者は、野生からの伝言者。選ばれて、自然の今を伝えに来る



北海道東川町に森の診療所を開く竹田津実さん。
30年間、傷ついた野生動物の保護、治療、リハビリに無償で取り組んできた。そんな竹田津さんが綴る、野生動物と巡り合う日々。






BIG ISSUE004






野生動物は無主物。その診療は犯罪行為!



野生たちの診療を始めて30年が過ぎた。バカなことである。やっとここ7〜8年は犯罪者扱いされなくなったが、それ以前はれっきとした法律違反者としてお上ににらまれていた。

野生動物は無主物。誰のものでもありませんと法は定めている。ところが「……ならば私が」とカスミ網やワナなどを仕掛けとらえて焼き鳥なんぞにされたらたまらんと、国家は数種の法をかぶせた。捕ってはなりません。当然飼うこともいけませんと明記した。

そこで道端で苦しむ野生を見て助けなくてはと思わず手を出した人……多くは子供か老人と呼ばれる人たちである……がいたらどうなるか。立派な法律違反者となったのである。

「あの先生のところへ……」と考えて走る。すると当然あの先生も犯罪者の仲間入り。

かくして心優しき子供やお年寄りは咎人となり、心ならずも受けた獣医師もその仲間入りを果す。

そのうえ……これを特に言いたい……獣医師は貧乏となる。

無主物である野生の生き物はお金を持って来ない。かわいそうだと思わず手を出した人たちには診療費、入院費の支払いの義務がない。当たり前である。もしお金を支払うとその患者はあなたのものですかと問われる。そうですとは言えない。言えば、私はれっきとした犯罪者であると自白しているようなもの。誰ひとりお金は支払わないのである。

ついでに言うと、傷つき病んで苦しんでいる生き物たちを見ても、見て見ぬふりをし、知らん顔を決め込む者たちをこの国では良しとしている。正常と言っている。なんだか気味が悪い。







BIG ISSUE003




先生、それって殺すことではないですか?



以上が、野生動物の診療所を取り巻く現状であった。

これが7〜8年前から少しずつ変わった。なぜか知らない。なにはともあれ現場を見て「限りなく犯罪に近い」と言われなくなってほっとしている。

30年前、二人の少年がやって来た。抱えたダンボールの中にはトビがいた。「飛べません。かわいそうです。治してやってください」と言った。

「家畜以外は診ませんよ」と言ってみたが、半分泣き顔になっている兄弟……二人は兄弟であった……には帰ってくれとは言えない。そこで理由探しをした。幸い(?)当のトビは検査の結果、翼の骨の一部が欠損していることがわかった。これなら十分な理由になった。

そこでレントゲン写真を見せて説明をする。すると「どうしましょう」とつぶやく。そこで技術者としていかにもまっとうな理由(安楽死)を口にした。これがまずかった。「安楽死とはなんですか」と聞くので説明するに、兄弟は少し考えて「先生、それって殺すことではないですか」ときた。

これは少し困った。獣医師は生き物を助けるためにあるもの……といった世間の常識に背を向けるわけにはいくまいと身構えて見せたが、うまい答えが登場しない。ぶつぶつ言った挙句、「まあそんなことだな」と予定外の台詞が飛び出してしまったのである。一瞬間があって「ワー」という兄弟の泣き声に、私はただただ立ちすくんだのである。

ともかく帰ってもらおうという作戦。「なんとかしよう。ともかく今日は帰りなさい」と説得する。「ナントカシマショウ」を連発。帰ってしまえばこっちのもの。「安楽死を選択しよう」と決めていたのである。

ところが敵(?)もさる者。当方の魂胆を見抜く。そして言ったセリフ。「明日も来てみます」ときた。来られたらアウト。ともかくトビの命は1日伸びることになった。

次の日、兄弟はやって来た。肉片を持ってきて「ピーコ、ほれ、おいしいよ」と言いながら餌を食べさせ帰っていった。「明日も来てみます」という言葉を残して。

それが1週間も続くと私ももう技術者としての一つの作業をあきらめていた。

トビと兄弟と獣医師の妙な関係は、その後半年間も続く。結局トビの死という現実が登場するまで。

兄弟は別れを納得し、獣医師は兄弟の気持ちに寄り添うことを学ぶ。そんな技術屋が一人くらいいてもいいのかなとつぶやきながら。





BIG ISSUE002






どうして診療所に来た?今日も探す野生の企み



それから数年たった年の5月。

我が家の玄関は大騒ぎとなっていた。次々と患者がやって来た。本来であれば喜ばしいことだが、野生動物の診療所としては逆である。

お金を払わないものたちが押し寄せると、当然のことながら貧乏になり、やがて倒産の憂き目にあう。

そのときもこれは間違いなく夜逃げを考えなくては……といった繁盛ぶりとなった。

患者は小型の渡り鳥、コムクドリである。次々とやって来た。2羽、5羽、はては7羽も一つのダンボールで運ばれて来る軍団もあった。病状は中毒病、明らかに農薬の集団中毒であった。散布された農薬に苦しむ虫たちを腹いっぱい食べた鳥たちが二次被害にかかったということだろう。ともかくにも大騒動を強いて、あげく9割が死んで終わった。

おびただしい死骸を目の当たりにして、彼らがなぜ我が家の玄関の戸をたたいたのかを考えてみることにした。豊かだ豊かだといわれる北の大地が予想以上に農薬に汚染されている現実にたどり着く。

それに対するささやかではあるが多くのお百姓さんの参加する作業がこのことをきっかけに始まったのである。




以来、私は私の診療台の上に横たわる野生の患者が「どうしてここに来たのか」という理由を聞くことにしている。しつこく、詳細に。

いつの間にか、患者たちは自然の今を伝えるためにやって来たに違いないと思うようになっている。しかも選ばれて来るような気がする。草原の草のかげや森の奥深くで彼らはときどき会議を開き、今度はこの問題について誰を送り出そうかなんて企らんでいるように思えるのである。野生からの伝言者として。

馬鹿みたいな作業が続いている。そのバカみたいな作業の中に隠された野性の企みを私は今日も探そうとしている。

(文と写真 竹田津 実)




たけたづ・みのる
1937年、大分県生まれ。岐阜大学農学部獣医学科卒業。野生動物にあこがれて63年、北海道斜里郡小清水町農業共済組合・家畜診療所に獣医師として赴任、91年退職。66年からキタキツネの生態調査をはじめ、72年より野生動物の保護、治療、リハビリに無償で取り組む。映画『キタキツネ物語』の企画・動物監督、テレビの動物番組の監督も手がける。著書には、『子ぎつねヘレンがのこしたもの』偕成社(『子ぎつねヘレン』として映画化)、写真集『えぞ王国 写真 北海道動物記』、『野生からの伝言』集英社、『タヌキのひとり』新潮社、など多数。









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ビッグイシューについて

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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。


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(2008年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第96号より)






96人生相談


近所づきあいが密で悩んでいます



2年前に実家近くで家を買ったのですが、この地域は40年前にできた新興住宅地で、近所づきあいが密で困っています。できる限り協力してるのですが、我が家は小さい子どものいる共働き夫婦のため、とても全部はできません。周囲の方々を不快にさせないように距離をうまく取る方法はないでしょうか?

(31歳/フリーランス/女性)





難しい状況の中、奥さんはホント一生懸命、よくやってるよ。オレも田舎で似たような経験があったけど、ケンカして出てきちゃった(笑)。

オレもね一度結婚してたんだ。うちのおっかーは、「あなたは目一杯働いてください。家のことは私がやります」というタイプ。ただ心臓が弱くて、地域の清掃とか力仕事になるとできない。

そんな時は「お父さん、日曜日は出れますか?」って、オレに聞いてきた。おっかーも近所の人に心臓が弱いことを話してたから、オレも気負いなく行けたし、逆に奥さん連中に「今日はいいよ。帰んなよ」なんて言われたりしてね。

そこで奥さん、何でこの家を買ったのか考えてみてごらんなさい。家族が幸せになるためだろう?奥さん一人ですべてを背負いこんだら、家庭内だってうまくいかなくなっちゃいますよ。旦那さんやご両親にも協力してもらったらいい。

旦那さんも「地域の運動会には、オレが子どもを連れて行くよ」ってことになるだろうし、そのうちに子どもが大きくなってきたら、「お母さん、玄関の掃除は私がやる」と助けてくれるんじゃないかな。


オレはね上辺だけのつきあいだったら、必要ないと思ってる。つきあいなんて、無理のない程度にすればいいよ。勇気が必要だけどさ、地域の人に「子どもに手がかかるから」「今日は仕事が忙しい」とか、できないことはきちんと理由を説明して話してごらんよ。

それでもわかってもらえないなら、地域の人が悪い。ただのイジワルじいさんとイジワルばあさんさ。家族が幸せにまとまることを考えればいいんじゃないのかな。


(東京/Aさん)







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(2007年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第75号より)






野生動物保護の鍵を握るのは、地元民・マサイの人々




アフリカの魅力に取りつかれ、
獣医になってマサイ族の牛の巡回診療をしながら、
アフリカの野生動物保護を考える、滝田明日香さん。
しなやかでたくましく美しい、「ノーンギシュ(牛の好きな女)」と呼ばれる滝田さんの生き方を紹介しよう。





1




ひたすらアフリカに住みたかった



野生動物の楽園というイメージが残るアフリカ、ケニア。うら若き女性、滝田明日香さんは現在ケニアのマサイマラに住み、獣医としてマサイ族の家畜である牛などの巡回診療をしている。だが、なぜ、日本人女性が、獣医として、しかもアフリカのケニアまで出かけ、マサイ族の家畜の診察をしているのだろうか?

”なぜ?“ ”どうして?“と、次々に問いが浮かぶ。

滝田さんは、父親の仕事の関係で6歳の頃からシンガポール、フィリピン、アメリカなどの海外で暮らす。アメリカで動物学を専攻するが、アフリカに魅せられ在学中にケニアに留学。その後、紆余曲折を経て獣医になったという異色の経歴の持ち主だ。

「小さい時に、日本の祖父から送られてくるビデオが『わくわく動物ランド』などの動物ものばかりだったのが影響して、昔から野生動物に憧れていました。特に巨大なアフリカ野生動物に憧れていました」と言う滝田さん。アメリカの大学に在学中は、動物学者になって絶滅の危機に瀕する動物を保護する活動をしたいと考えていたが、ケニアの野生動物マネージメント学校への留学で、その考えが一変する。




現地で野生動物保護などの状況を目の当たりにして、野生動物保護がただ環境保護をするかしないかという単純な論理では解決できないことを痛感した。保護区と保護区の周りのエコシステム、そしてそこに住む地域住民たち。すべてが保護策の中で取り入れられていないとどこかで摩擦が起きてしまう。自然と野生動物が種を残していく方法は、ただ一つ。「人間との共存である」との強い想いが、彼女を捉える。

その後、その想いを実現するためにアフリカに住みたい、そんな情熱が滝田さんをひたすら突っ走らせた。大学卒業後、ザンビアの国立公園に職を見つけるもののビザ問題で断念。2000年に、獣医免許を取るために25歳でナイロビ大学獣医学部に編入する。ナイロビ大学での授業は、かつて宗主国だったイギリスのスパルタ教育システムを踏襲する厳しいもので、滝田さんはここで徹底してしごかれた。


「勉強が大変でした。ずっと英語教育で理系の勉強をしていたので、語学の問題はなかったのですが、アメリカの教育制度からイギリスの影響を受けた教育制度に慣れなければいけなかったことが難しかったですね。アメリカの大学ではトップ5%に入る優等生だったのに、ナイロビ大学では赤点ギリギリでパスするのが精一杯なんですもの」




プライベートな時間もないほど猛勉強の末、卒業、05年に念願の獣医になるが、またしても厳しい現実が目の前に立ちふさがる。国立保護区の野生動物にかかわれるのは、ケニア国籍の獣医のみだったのである。だが、サバンナで仕事をしたいという彼女の思いは変わらない。悶々とする滝田さんに、「マサイの家畜診療をやってみる気はないか」という声がかかった。





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マサイマラ国立保護区 総面積1672㎢の広大なサバンナ



滝田さんに家畜診療の話を持ちかけたのは、マラコンサーバンシー(非営利組織/マサイマラ国立保護区管理施設)のH氏だった。

ケニア西部に位置するマサイマラ国立保護区は、世界でも有名な動物保護区。総面積1672㎢の広大なサバンナでは、ライオン、チーター、ヒョウ、ゾウ、サイ、ヌー、シマウマ、バッファロー、エランド、トピなどの豊かな動植物を育む生態系が保たれている。隣接するタンザニアのセレンゲティ国立公園とはひと続きの生態帯で、毎年7月から9月にセレンゲティからマサイマラに移動する60万頭のヌーの大移動を見るために観光客が押し寄せる。

滝田さんは、マサイマラのサバンナの魅力を語る。「私はとにかく、サバンナと大空が好きなんです。360度に続く地平線が広がるサバンナ。そして、大きな白い雲が浮かぶ真っ青な大空。そして、その広大な自然の中で、野生動物たちが優雅に生きている。強く、美しく、逞しく、そして、時には残酷に自然のルールに従って生きている。そのすべてが大好きです」




マサイマラ国立保護区の土地は、もともとマサイ族の家畜の放牧地である。「マサイマラ」とはマサイ語で「マサイのまだらな土地」という意味を持ち、広大なサバンナの中に点々とある茂みを見て彼らがつけた名前だ。

マサイ族はこの地で、牛、ヤギ、羊などの家畜とともに、野生動物が生息するサバンナで共存しながら暮らしてきた。現在でも保護区周辺には7000人以上のマサイの人たちが住む。一家族平均100〜500頭の家畜を飼い、彼らが飼う牛の総数(東アフリカ・ゼブー牛)は2万頭以上にもなる。

マサイの人たちは、ナイロビなどで見られる急激に押し寄せる現代社会の変化などにはあまり影響されず、「牛は神様がマサイに授けた貴重な動物」という伝統的な暮らしに誇りを持って暮らしている。牛はマサイの財産であり生活の糧だ。

家畜により多くの牧草を食べさせようとするので、彼らの広大な土地はフェンスで囲まれず、野生動物はサバンナを自由に行き来できる。「そう、このマサイの人たちがいなければ、サバンナと野生動物たちは生きのびてこられなかったのです」と滝田さんは強調する。




後編へ続く


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(2012年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第194号より)





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中国、永康市が「ただ飯食い」の職員名簿を公開




浙江省永康市政府の新聞が、公共部門に在籍する就業実態のない名目職員に関する調査結果を発表した。192人の名目職員がいることが明らかになり、自らの恥部をさらす永康市の意外な行為とずさんな人事管理が大きな関心を集めている。

名目職員の中で最も多いのは病気を理由とするもので、23年間病欠のまま給料をもらい続けている職員もいた。また賄賂で服役中なのに給料が支給されていたり、退職して亡くなった職員の給料を家族がもらっているケースまである。こうしたことが可能なのは、管理する側も納得済みで見返りなど何らかのメリットがあると見られる。

在籍のみで給料は支給しないケースもある。年金受給資格などの特権を残してやり、給料は残った職員で山分けするので双方が得をする。

「ただ飯食い」の人たちは一般納税者より豊かな暮らし向きだという。彼らの給料の源は血税である。これは永康市だけではなく全国的問題であり、マスコミと世論による監視が期待されている。

(森若裕子/参照:永康日報、中国評論新聞、荊楚網)


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台湾、映画ヒットで高まる セデック語人気



昨年、台湾映画史上最大の興行収益を上げた『セデック・バレ』は、ベネチア映画祭、大阪アジアン映画祭など海外にも出品され、高い評価を受けている。



この映画は、日本が台湾を統治していた時代に、圧政に耐えかねたセデック族が抗日蜂起した霧社事件が題材であり、事件で日本人約140人、セデック族約700人の死者が出たと言われている。

台詞のほとんどはセデック語である。出演者の多くは素人で、演技だけではなく、セデック語も学ばねばならなかった。主人公の頭目モーナ・ルーダオを演じた林慶台も本業は牧師である。タイヤル族の彼が最も苦労したのは、セデック語を覚えることだったという。

台湾政府が認定している先住民族は14民族あり、セデック族は人口約7千人、先住民族の中でも少数である。セデック語の消滅が危惧されていたのだが、先住民族以外にも、映画がきっかけでセデック語を学び、セデック族の村落を訪れるというような社会現象が広がっている。

(森若裕子/参照:亜洲週刊、今日基督教報)





(2012年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第194号より)





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ビッグイシューについて

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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。


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