(2009年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第128号より)











中国、南京の歴史保護区でとまらない都市開発



三国志で有名な呉の孫権が都を置いた南京は、史跡が多く、中でも老城南(ラオチェンナン)という地域は南京の歴史文化発祥地とされ、2500年前の城跡など多数の遺跡が集中し、南京の伝統的風俗習慣もこの地に息づいているという。老城南は歴史保護区に指定されているが、今や高層ビルが建ち並び、歴史的価値の高い建物も商業施設や高級別荘に変わりつつある。

南京市は市民の生活を守るためとして06年に違法建築物と危険家屋の撤去を開始した。しかし実際は、不動産業者と地方政府が結託して古い住宅の住民を立ち退かせ、そこに商業施設等が建設されている。安い補償費で立ち退かせ、高利益を生む施設を作る。立ち退きに応じなければ嫌がらせをして追い出す。

開発に反対する学者たちは既に意見書を数回提出しているが、開発は止まらない。温家宝首相も撤去を一時中止するように二度も指示したが、立ち退きの強要は一向に減らない。古い街並で営まれてきた庶民の生活文化は消えつつある。

(森若裕子/参照:亜洲週刊、南京日報、新京報)


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Genpatsu

(2012年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 194号より)




福島第一原発では大きなトラブルは報告されていないが、小さなトラブルが多発している。そんな中で、夏を直前にして行っている工事がある。冷凍機の設置だ。気温の高い夏場の冷却不足を懸念してのことだ。冷却不足には注水を増やせばよさそうに思うが、それは地下水の汚染につながりかねない。建物から漏れ出ることのないようにギリギリの水位を保っているのだ。注水を増やせないので、水を冷やそうというわけだ。爆発した福島原発の後始末はまだまだ紆余曲折しそうだ。

増える一方の後始末費用を、果たして東電は負担しきれるのか。今回の家庭用電気料金の10パーセントを少し超える値上げ申請に対して、もっと利益を減らすべき、人件費が高すぎるなど、批判が相次いでいる。了解できる値上げか、二つの委員会で激論が続いている。一つは経済産業省の電気料金審議専門委員会で、もう一つは内閣府の消費者委員会である。

先に企業向けの料金を17パーセント値上げすることにも大反対が続いている。東京都病院協会は値上げ分を払わない方針を表明、参加病院のうちの大半の260病院が賛同している。診療報酬が決められており、電気料金の値上げ分を上乗せできないからだ。

企業向け電力は自由化された分野で、値上げは企業の合意が得られればそれでよい。他の電力会社との契約も自由だ。立川市や世田谷区など脱東電が進んでいる。他方、家庭用電力の自由化は検討されている最中だ。電力の自由化が進めば、私たちは自分たちの望む電力会社と契約できるようになり、風力発電会社などが設立されるようになるだろう。今は、値上げには政府の許可が必要だ。

値上げ申請では、東電は福島第一原発と第二原発を資産から除外した。しかし、10基のうち6基分の減価償却費と維持費の合計900億円を経費に加えている。資産から外したのなら減価償却は必要ないはずだ。おかしなことをしている。また、柏崎刈羽原発の運転再開も前提としている。

このような小ざかしいことをするよりも、5兆円といわれる送電部門を売却して、その費用で住民への損害賠償などに充てるべきではないか。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






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遺したいもの。アーティストとしての着地に向けて作品をつくる



映像と音楽を自在に組み合わせてつくる独自の世界。
この秋は初のピアノソロコンサートに挑む。





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(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より「ともに生きよう!東日本 レポート20」)





「除染作業」で人は再び住めるのか?



大型の重機が、人影のない水田や畑で音を立てて動き、汚染された土を詰め込んだ黒い大型のバッグ「フレキシブルコンテナバッグ」(フレコンバッグ)が次々と並んでいく。周囲では、白い防護服、顔にはプラスチックの全面マスクを着けた作業員が慌ただしく動いている。




10 作業員写真
(汚染土砂が入ったバッグを設置する作業員)




ここは、メルトダウンを起こした福島第一原発から1・5キロほどの大熊町夫沢地区。震災後、県内各地で住民や自治体により除染作業が行われてきたが、原発20キロ圏内の「警戒区域」や、線量の高い「計画的避難区域」を国が除染することが決まった。本格的な国の除染開始を前に、効果的な除染や実際の費用と成果、作業者の被曝対策など、広く除染の進め方を決めるための「除染モデル実証事業」が、独立行政法人日本原子力研究開発機構福島技術本部(JAEA)に委託して行われている。2月9日、報道関係者にその様子が公開された。

JAEAが国から事業を受託し、大手ゼネコンJV(共同企業体)に委託。大成建設JVと、大林組JVが各32億、鹿島建設JVが17億でそれぞれ受託した。JAEAはさらに、除染技術に関する実証事業も国から受託、建設業者や研究所など25社に委託しており、除染モデル実証事業は総額約100億円の高額予算で行われている。

実際の作業は、高圧洗浄水で建物やコンクリートを洗い流したり、汚染された土や草木の除去などが中心。重機も入るが、実際の細かな作業は、人の手で行われているのが現実だ。作業は終盤に入っており、この日は除染が進んだ地域や山林の様子、フレコンバッグを仮置き場に置く様子などが公開された。

民家のすぐ裏山で行われた除染作業。山林の向こうに福島第一原発の煙突が見える。震災直後は毎時200マイクロシーベルト程度、除染作業直前は100マイクロシーベルトだったのが、下草刈りや土の除去作業後は50~70マイクロシーベルトまで低減した。しかし、高線量は依然続いている。JAEAは木の枝葉の切り落としなどを検討しているが、中山真一同本部副本部長は「山林、水田の除染は本当に難しい。木を切り、土を削って、森林の保水性を壊してもいいのか、という問題も残る」と話す。




10 除染後写真
(公開された除染後の山林)





本当に効果的な除染とは何か。そしてそもそも、作業員が被曝しながら進める除染作業が必要なのか。仮に除染後、いったんは線量が下がっても、住民が再び住んで安全なのかどうか。100億円除染モデル実証事業の結果は?
(文と写真 藍原寛子)
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(2010年10月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第153号より)




渾身のストップモーションアニメ。毎日12時間、8年かけた制作




人間を好きになってしまった電信柱の恋を描く『電信柱エレミの恋』。
映像に映る造形物すべてを手作りで制作した、45分全編ストップモーションアニメ。






Profiel hosei
(中田秀人監督)





完成した時、宇宙船の旅から帰ってきたようだった



Elemi3

©SOVAT THEATER





制作秘話を聞いているだけで、気が遠くなってくる。人形を少しずつ動かしながら、コマ撮りで映像を撮影していくストップモーションアニメ。わずか1秒の映像を撮影するのに、キャラクターを平均6回以上動かし、細かいところでは実に30回も動かした。撮影前の表情の調整だけで数時間、丸一日撮影しても数秒撮るのがやっと。最も長いシーンでは、連続18時間撮影し続けたという。「人形は表情や関節だけでなく、服のシワまで微妙に動くので、一度撮影し始めたら、途中で終われないんです。トイレに行く以外はずっと同じ姿勢で、スタッフと二人でひたすら人形を動かした」と中田さん。




撮影以上に労力を使ったのが、造形物の制作だ。作品に登場する数々のキャラクターや背景となる昭和の町並み、アパートの部屋の細かな描写に至るまで、すべての造形物を一つずつ手づくりで制作したという。

「たとえば、人形の洋服なら、イメージに合った布を探し、なければ靴下や古着の裏地など身の回りにあるもので試していく。人形の顔など動く部分はプラスチック粘土ですけど、それ以外は木や発泡スチロール、樹脂、紙粘土、アルミ、鉄など、表現に合った素材を選んで一つひとつ制作しました」




Scene





緻密でリアルな町並みは、イメージデザインを描き、それに近い町並みを歩いて探し、実写とデザインを組み合わせて架空の町を作り上げた。また、効果音も町中で採録したり、棒に布を巻いたものを叩いて鳥の羽ばたく音にするなど、すべてが独自のアイディアによるもの。




制作期間は、実に8年。造形技師の仲間3人と交代で毎日12時間フルに作業しても、それだけの歳月が必要だった。「一つとして同じ作業はないので、毎日大変で、毎日難しかった。完成した時は、4人で宇宙船の旅から帰ってきたようだった」

そうして完成した映画は、自主制作フィルムとしては異例のロードショーが実現し、今年、第13回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞。さらに、手塚治虫や宮崎駿などが歴代受賞者に名を連ねる、国内のアニメ映画賞では最も歴史と権威のある第64回毎日映画コンクールアニメーション賞大藤信郎賞を受賞。立体アニメ表現の完成度に対して満場一致という高い評価を受けた。




小さなものでいいから、何年も人の記憶に残る作品をつくりたい



ストップモーションアニメに魅せられたのは学生時代。ヨーロッパのアートアニメを観て衝撃を受けた。「学生の自主映画だと、有名な俳優は使えないし、大きなセットもつくれない。でも、これなら一つの画面を自分が納得できるまで思う存分つくれると思った」




アニメや造形制作については、中田さんをはじめ4人とも完全な独学。日々の制作と失敗を繰り返す中で、独自のノウハウを積み上げてきた。

「造形物を置いて、アングルを決め、その空間を撮ることに自分たちの喜びがある。ものすごく手間はかかるけど、木を削る感覚や絵の具を混ぜた時のにおいみたいなものが、最終的な画面につながってくると思うし、観客にもそれが伝わると信じている」

ストーリーは、電信柱のエレミが電力会社の作業員タカハシに恋をし、電話回線に侵入して話し始める。中田さんはこのファンタジーを20年かけてでも完成させたかったと話す。

「僕の考えるファンタジーは、天使が舞い降りて奇跡を起こすようなものじゃなくて、実生活の中で何年かに一度起こる偶然のようなもの。電信柱は無言で佇むただのコンクリートの柱だけど、そこに何らかの想いを感じる。優しくて、少し温かい。でも、何もかもが幸せってわけじゃない。そういうファンタジーがどうしてもやりたかった」




映画のラストは、観る者に深い余韻を残す。そして、観終わった後、町の片隅で秘かに立つ電信柱をふと見上げたくなる、そんな記憶に残る作品だ。

「学生時代、南の島で海に浮かんでいた時、今自分がここで消えても、砂浜の砂粒ひとつ何も変わらないんだろうなって思ったことがあって、その時自分はほんとに貝殻ひとつぐらいの小さなものでいいから、何年も人の気持ちに残るような作品をつくりたいと切実に思った。それが、僕のクリエーターとしての原点で、今につながっていると思います」

(稗田和博)






中田秀人
1972年、兵庫県出身。京都精華大学卒。97年に、主にパペットを用いたストップモーションアニメを制作する映像チーム「ソバットシアター」を結成。ストーリーや世界観、デザインを担当するなど、チームの中心的存在。00年に短編アニメーション作品『オートマミー』で国内の映画祭で数々の賞を獲得。09年には、8年の制作期間を経て『電信柱エレミの恋』を制作した。




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Genpatsu

(2012年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 193号より)




原子力ムラの実態が明るみに出てきた。ムラ社会の風通しがよくなる好機が訪れたといえよう。5月24日に、毎日新聞が「4/24勉強会用【取扱注意】」と書かれた資料の表紙の写真とともに、原子力委員会が「勉強会」と称する秘密会議を開催したと報じた。

この勉強会は、原子力委員会の担当役人、経済産業省の役人、文部科学省の役人、日本原子力研究開発機構、東京電力や関西電力などの電気事業者と日本原燃などの面々で構成されている。さながらムラの長たちの集まりである。

この秘密会議はいわば裏の会合だ。表の会合は、原子力発電所・核燃料サイクル技術等小委員会。原子力委員会が設置したもので、ここで核燃料サイクル政策に関する選択肢を議論する。日本はこれまで原発で使い終わった燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、燃料に再利用する政策をとってきたが、これが事故続きでうまくいっていない上に、お金がかかり過ぎるというので、福島原発事故をきっかけとして見直すことになったのだ。

表の会合はこれまでに15回開かれたが、裏の会合は23回に達しているという。表の会合の委員である筆者は怒り心頭に発している。初めからムラで相談のうえ議論の方向性を決めていたわけだから、これでは表の審議会が成立しない。

今日に至るまで脈々と続いてきたムラ社会のしきたりではないかと疑っていたところ、04年に再処理を見直した時にも裏の会合が行われていたことも明らかになった。自民党時代には議員、官僚、電力各社といった政官財が一体となって、政策を決め事業者に有利になるような制度をつくり、事業を推進してきた。このようななれ合い、もたれあいが脈々と続いてきたのだ。政権交代後もまだ悪しき慣行を引きずっていた。

東海村の村上達也村長は、5月26日の「講演会 さようなら原発」で「原発発祥の地からの脱原発宣言」と題して講演した。原発立地自治体の中でただ一人脱原発を主張している首長だ。村上村長の話の趣旨は「中央集権的な原発は疫病神、貧乏神。もはや原発依存は時代遅れ」と明快だった。

中央集権的なムラ社会の解体は必至だ。近藤駿介原子力委員長は今後は秘密会合を開かないと公約し、 委員会のあり方を見直すと明言した。行方を注目したい。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より「ともに生きよう!東日本 レポート20」)




日本国政府による犯罪だと痛感した—脱原発世界会議、海外ゲストが見たフクシマ





世界各国の脱原発、核廃絶運動に関心のある人、NPO、専門家など約1万1500人が参加した「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」が1月14、15の両日、パシフィコ横浜で開催された。
このイベントに先立って、ドイツ、ヨルダン、モンゴル、スイス、ケニア、韓国などの海外ゲスト、ジャーナリスト50人が13日、福島県を訪れ、被災した住民や地元で活動する人々の声を聞き、活発な意見を交わした。海外ゲストが見たフクシマとは。





福島の問題が福島だけの問題になっていることが問題




海外ゲストたちは、まず福島市を訪ね、市民の話を聞いた。

吉野裕之さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)は〝子どもの疎開と保養事業〟について、丸森あやさん(CRMS市民放射能測定所)は〝福島市内で食品や内部被曝測定を行う活動〟について、佐藤健太さん(まげねど飯舘)は、福島第一原発から30キロ以上離れていながら放射能の高汚染地域「ホットスポット」になった飯舘村について報告した。

福島大学准教授の丹波史紀さんは、「避難した住民は原発爆発から10ヵ月以上経った現在でも、わが家に戻れるのか、あるいは戻れないのか、見通しが立たないため、仕事や日常生活の再建のめどが立たない」現実を報告。「家族がバラバラのままの避難生活、避難していない人も放射能の影響で仕事や日常生活に大きな影響を受けている」ことを説明し、「現在の福島の問題が、福島だけの問題になって忘れ去られてしまうことが問題。福島の現実を少しでも知ってほしい」と訴えた。

一行は次に伊達市へ移動。元酪農家の長谷川健一さんが、スライド写真を見せながら、震災直後から飯舘村で起きた出来事や、放射能汚染で廃業せざるを得なくなったことを説明した。




飯舘村通過で、一斉に鳴り出したガイガーカウンター




10 バスの中写真


この後、バスで海側・浜通りの南相馬市へ移動中、飯舘村を通過した。バスの中から、住人が避難してカーテンを下ろしたままの住宅や、シャッターを閉めた商店、耕されない水田や畑、防護服を着た人が建物の除染作業を行っている様子などが目に飛び込んでくる。原発から20キロ圏に入る国道6号線の検問では、韓国からの参加者が横断幕を手に「非核と脱原発を福島から」と、「ノーモア・フクシマ」を連呼するシュプレヒコールも飛び出した。


10 参加者写真



この日参加した海外ゲストらは、自国で購入してきたガイガーカウンターなど、放射線の測定器をそれぞれ持参していた。バスが伊達市から飯舘村に入ると、バスの中でも空間放射線量が1マイクロシーベルトから2マイクロシーベルト前後まで、グンと跳ね上がる場面があった。ピーピーピー……ピーピーピー……。バスの前、真ん中、後ろの座席からそれぞれの測定器のアラームが一斉に鳴り出すと、韓国、ドイツの研究者やNPOのメンバーは、持参した測定器が表示した数値をお互いに比較したり、数値をノートに記録していく。

到着した南相馬市では、高橋美加子さん(つながろう南相馬)から、〝市民による除染や住民支援活動〟についての話を聞いた。高橋さんは「放射能は目に見えず、家畜や野菜など汚染されたものに私たちは手出しができない。海外メディアでは南相馬市を『死の街』と報道したと聞いた。小さな子どもを持つ若い人たちは、ここを出て行かざるを得ない」と、放射能の影響で厳しい現実を強いられている様子を述べた。同時に「放射能で汚染された街だが、私たちはここで生きていくため、共同作業でもう一度復活させたい」。そして「福島の大変な状況を、広く世界に伝えてほしい」と訴えた。

また箱崎亮三さん(NPO法人実践まちづくり)ら住民5人は、南相馬市の現状について説明。箱崎さんは、「私たちは原発事故の真実を本当には知らない。心配だけれど、ここに住みたいから除染する。でも実際には除染モデルなどどこにも存在せず、本当に除染できるのだろうかという思いもある」と、住民としてのさまざまな葛藤があることを吐露。その上で「除染モデルを南相馬市から発信することができるのではないか」と、除染に関するデータを集めて分析し、作業や管理について研究してマニュアル化する試みに取り組んでいる様子をレポートした。




混乱、葛藤、解決のない課題に衝撃



11 ムナさん
(ムナ・マハメラーさん)




ヨルダンの弁護士、ムナ・マハメラーさんは、「福島第一原発事故後、福島県を中心に住民の健康被害や避難など深刻な問題が続いているなか、日本政府は昨年12月、ヨルダン、韓国、ベトナム、ロシアとの原子力協定を国会で承認した。ヨルダンの原発予定地は砂漠で水源が十分になく、情報公開も進まない現状がある」と言う。

また、「本当に福島の現状は残念で、住民の方々は大変な状況に置かれているのを理解した。その状況と闘う住民は素晴らしい方々ばかりだった。改めて、この現状は人権問題で、情報隠しも含めて日本国政府による犯罪だと痛感した。帰国したら福島で起きている深刻な出来事を伝え、ヨルダン政府に脱原発を強く働きかける。全力で取り組んでいく」

ケニアの医師で公衆衛生の専門家ポール・サオケさんは「核兵器廃絶に関してはケニアを含め、アフリカ全体で進んだものの、『原発は別』として、南アフリカに建設され、エジプトでも建設が予定されている。ケニアでも2022年に原発建設がケニア政府によって示され、日本からの建設打診の動きがあるが、今回の福島の厳しい現状はまったくケニア国民には伝えられていない」と問題を指摘する。「福島で撮影した動画をケニアのメディアの人たちに提供して伝え、原発が国民に与える悪影響を具体的に説明して、国内世論を喚起したい」




11 アンドレさん
(アンドレアス・ニデッカーさん)




スイス・バーゼルの開業医で放射線医学の専門家でもある、核戦争防止国際医師会議スイス支部長のアンドレアス・ニデッカーさんはこう話す。「最も印象的だったのは、福島で暮らす人々が非常に大きな精神的なダメージを受けていることだ。避難するかとどまるか、いずれ戻るかという現実的な問題を突きつけられている。また、特に子どもの健康面については、低線量であっても長期的被曝の影響の問題がある」

「とにかく私は医師として、過去20年以上にわたって、核の平和利用はありえないと反対し続けてきた。原発はこれだけの混乱や葛藤を生み、解決策のない課題を残す。政府は補償も含めて責任は取らず、アクシデントが起こったら難しい結果に陥る。スイスに帰ったら仲間やグループとさらに連携して原発をなくす活動をしていきたい。日本でも同じ決断をしてもらうように働きかけたい」

参加者は、福島で見たこと、聞いたこと、感じたことをリアルに発信し、世界各国で活動を展開することを誓い合う。素顔のフクシマ、フクシマの悲劇の教訓が世界中に発信されようとしている。

(文と写真 藍原寛子)


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(2009年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第131号より)










マラウイ、自由もたらす風車



マラウイのマシタラに住むウィリアム・カムクワンバは、貧困のため14歳で学校に通うことができなくなったが、地元の図書館に通っては、独学で科学の勉強を続けていた。そして、そこでエネルギーに関する書物に出合い、風によって、水をくみ出すエネルギーや電気を生み出せることを知った。「これで貧困と対峙できるかも、と思ったよ。これを自分でつくってみなきゃ、と感じたね」と、彼は当時を振り返る。

カムクワンバはごみの山から材料を見つけ出し、最終的には5メートルの風車を完成させた。そして、その風力によって、自宅に光がともされた。「この光によって、僕はもう7時に就寝する必要がなくなったんだ。これで、暗闇と腹ペコの状態から解放された。風車は単にエネルギーというよりは、自由を僕らにもたらしたんだ」

彼の試みは瞬く間に広まり、カムクワンバは飛び級で学校を卒業。08年には、より強力な風車を完成させ、このプロジェクトへの寄付が相次いだ。

22歳になったカムクワンバは南アフリカで奨学金を得て学びを続けているが、卒業後は地元に帰るつもりだという。マラウイでは、2パーセントの人々しか電力を享受していないためだ。

(Sarah Taylor)


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(2012年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第183号より「ともに生きよう!東日本 レポート19」)




10 イラスト




昨年12月12日、都内で
「2011 東日本大震災を受けて 福島原発事故後の人権を考える」が
国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」によって開催された。
福島県内の母親が置かれている厳しい状況と、
人権侵害の現状が伝えられた。





放射能の影響めぐり、夫婦間、親子間、地域、学校などで分断



11月26~27日「ヒューマンライツ・ナウ」は、福島県福島市、郡山市で、人権状況の観点から、母親たちに聞き取りを行った。現地調査の結果について、後藤弘子さん(千葉大学法科大学院教授/ヒューマンライツ・ナウ副理事長)が以下のように報告した。




原発事故に伴う放射性物質の健康への影響を考えて、「子どもを県外に避難させたい」という母親に対して、「気にしすぎでは」と言う夫。夫婦間、親子間で考えが違うことにより、家庭や地域、学校などで分断が起き、母親が孤立させられているという。

「夫と話ができない」「子どもによかれと思って避難させたのに、子どもにわかってもらえない」「『気にしすぎ。もう安全でしょう』と言われる」「学校ではモンスターペアレント扱いで、先生には何も言えない」「外遊びで子どもが土に触れようとした時、『絶対ダメ』と言っている自分が悲しい」。また、「自分たち親が、子どもの自由を制限してしまっている。自分たちこそが加害者ではないか」という自責の念。

また「これまでは考えなくてもいいことを考えなくてはいけない日常生活。何を買うのか、買ってはいけないのか。どこに行くのか、行かないのか。これを食べていいのか、いけないのか、などを毎日毎日考えないといけない。クラスメイトのお母さんたちに果物などのおすそ分けができない」というような、悲痛な訴えが次々に寄せられた。

特に、自閉症など障害のある子どものお母さんは極度に疲弊しているという。たとえば避難先を探す時も受け入れ先を見つけるのが困難で、「自分が死んだ後、子どもがどうなるかが心配。むしろ自分が子どもを看取る方が安心」とまで言う母親もあった。




除染効果への疑問。食の安全と避難の権利保障



後藤さんは、多くの人が除染効果に対して疑問をもっていたこともあげた。

「一部だけやってもムダ。放射線量が高い所に住む人が、何十万円もお金をかけて自宅を除染しても、結局、除染水は低い方に流れて下の方の家に溜まる。汚染が移動するだけでは意味がない。行政は『町内会やPTAで除染してください』としているが、防護の装備もなく、危ない除染をしているという状況がある」と、除染作業に伴う安全対策の課題を指摘した。また、高校では震災から8ヵ月が過ぎても校庭が除染されていなかったり、ほとんど対策が取られていなかったという。




学校給食など、子どもの食をめぐる課題も浮き彫りになった。

郡山市は11月から地元産米「あさか舞」を給食に出すことを決定した。ところが、「市の給食の放射線測定検査は不十分で、健康診断に放射能検査が付け加えられていないこと、児童・生徒らに配布された放射線計の測定結果に関する説明が十分に行われていないこと、学校でも放射線への安全について教育がなされていないこと」など、学校現場での食の安全や健康管理の問題は山積している。

後藤さんは「あくまでも個人的な見解」と前置きしながら、「少なくとも、放射線量を公開し続けることが必要。福島市渡利地区は放射線量が高いが、特定避難勧奨地点になっていません。『少なくとも、安全ではないことを言ってくれるだけでもずいぶん違う』と話す人もおられました。つまり、安全に対して疑問をもつ自由がまったくないんですね。たとえば、『安全だと言われていることを信じない人は非国民だ』とか、『福島から出て行け』とまで言われる。安全に関する疑問が個人の問題に矮小化されてしまっています。放射線量を安全に対する社会の問題として考える動きをするだけで、地域から排除される状況があります。そのような状況を前提として、私たちは福島の人たちの避難の権利を考えていかないといけない」と後藤さんは報告を締めくくった。




信頼なくした専門家。最大の問題は行政の無策や法令違反状態の正当化



会場では、押川正毅さん(東京大学物性研究所教授)が「科学者からみた原発事故とその後」について、影浦峡さん(東京大学大学院教育学研究科教授)が「放射能『安全』報道とその社会的影響」について講演をした。

押川さんは、「今回の原発事故による放射性降下物の濃度は、1960年代の大気圏核実験の頃よりも低い」と話すのは「勘違いと言うか、ほぼデマと言っていいと思う」とし、「今回の原発事故により、原子力工学、原子力関係の科学者や専門家への信頼低下というのが厳然としてある。その信頼が低下したことが一番問題なのではなく、信頼が低下した専門家の見解を根拠として行政が動いていることが問題。行政は専門家の見解に基づかないと動かないが、市民はその専門家を信頼できないという現象が起きている」。科学的調査でとらえきれていない健康被害があることや、調査自体の問題の可能性、「科学の名を借りた人権の抑圧」の可能性を指摘した。

影浦さんは「住民が被曝を強いられることが不当であるという議論がなされるべきなのに、どのぐらいの被曝ならば安全かという科学的議論だけが突出している。『直ちに健康に影響は出ない』などの報道の結果、行政の無策や法令違反状態が正当化され、東電や政府の責任が矮小化されている。住民の間でさまざまな分断が起きているのは、本来、責任を取らなければならないところが責任を取らないため。それが一つの大きな原因になって起きたこと」と語った。

この日は、南会津町で原木キノコの自然栽培に取り組んでいる新居崎邦明さんも参加。「報告された内容よりも、現状はさらに厳しいように思います。本来は東電や政府が汚染物質を引き取るべき。農作物への放射性物質の影響で、『自分たちは毒をばらまいているのだろうか』と自分を責める農家の声も聞いています。これまで有機農業で安全なものを作ってきたのに、最も危険なものが降り注いできてしまったことによる混乱と、絶望の中にあるというのが本当のところです」と感想を語った。

(文 藍原寛子)



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