fe33d1b078278e38106527b094d8b5de





〝おふくろの味〟って どうやってつくればいいですか?



両親は共働きで独身時代もほとんど料理をしなかったため、私にはおふくろの味的な定番料理がないのです。ふだんの食事もほとんど外食かネットレシピ。かと言って、彼の実家の味も嫌いじゃないけどチト違うし。みんな〝おふくろの味〟ってどうやってつくってるのか教えてください。
(32歳/女性/フリーランス)





おふくろの味といえば不思議に1番に思い浮かぶのは肉じゃがやなあ。芋の煮っころがしや味噌汁もそうやろう。煮炊きものの一品がイメージやな。おもしろいことにだいたいどの煮炊きものも味が一緒になってくるんやわ。肉じゃがもある程度難しいで。じゃがいもに味が染みなあかんやろう。しっかり味つけせんといかんもんな。




一応、一般的にはそれぞれの家庭で味わった味をおふくろの味というんやけど、しっかりとそれを丸まま教えてもらわなくても、自分自身がつくり出していっておふくろの味にしていくもんやないかな。「こうじゃないとおふくろの味じゃない」っていう、そういう型にはまった決まりはないわけよ。

今まであまり料理をしなかったのなら、一から何回も何回も失敗しながらつくっていって、自分の舌にあって自分がおいしいと思える、他にはない味つけを見つけていったらどうやろうか。

やっぱり肉じゃがにしたってな、砂糖と醤油と入れていって何回も自分で味見したらわかるやん、自分に合うような味つけ。料理の本をやったらその通りにしかならないやろう。料理の本やネットレシピも味つけの分量の参考にするにはいいと思うけど、頼ってばっかりではダメやと思います。そりゃあ最初は失敗もするわな。でも失敗を重ねていい味が出ていくんやからなあ。




私もそうやで、自分なりにやってるやん。料理の本も見いひん。小さい頃からおばあちゃんが料理するのを横からじっと見ていたりはしてたけどな。彼の実家に行く機会があったら教えてもらって、それもうまく取り入れていけたらそうしたらいいし。教えてもらったら彼のお母さんも喜ばれると思いますよ。

なので「おふくろの味」と気負って型にはめなくてもいいと思います。人間いうのはみんな舌が違うから、あなたの舌に合うように何回もつくり直せば気に入る味が出てくると思います。それを「私の〝おふくろの味〟」と胸はって言ったらええんちゃうかな。


(大阪/E)


(THE BIG ISSUE JAPAN 85号より)










    このエントリーをはてなブックマークに追加




瞬間芸術、新聞紙とガムテープでつくる巨大オブジェ



身近な素材でつくった『感性ネジ』で
第15回の岡本太郎現代芸術賞を受賞!





SORENARINIOOKIKU


造形作家 関口 光太郎さん





作品をつくる意義、大震災の中で考えた



見上げるほどの巨大な塔、その周りにはとにかくいろんなものがくっついている。カメレオンやごろ寝姿のカンガルー、団地のベランダ、通勤電車、ラッパや翼竜にマリリン・モンローまでご登場だ。上には何があるのだろうと、少し引いて眺めてみると、これが一つの大きなネジであることに気づいてうれしくなる。まるで今にもゴォーっと回り始めて、にぎやかな音色とともに上空へと浮かび上がっていくような気がするのだ。





MAIN

「感性ネジ」 ©岡本太郎美術館






造形作家であり、特別支援学校の教員でもある関口光太郎さんが、この『感性ネジ』を制作した背景には、東日本大震災でかみしめた思いがあったそうだ。

「私はこれまでアーティストとして、一見意味のわからないものをのほほんとつくってきました。でも、あの震災でたくさんの意味のあるものたちが破壊され、そんな大変な中で改めて私が作品をつくる意義はあるのだろうかとショックを受けたんです。その一方で、私は生徒たちに、ものづくりだとか芸術をあきらめる姿を見せるわけにはいかない、その楽しさを子どもたちや、作品を見てくれる人たちに伝えなきゃいけないんだと」

あらゆる物に使われている、ものづくりの象徴であるネジ、さらに終わりのない螺旋という形に〝つくり続ける〟という関口さんの決意を込めた。





関口さんはこれまでにも、アンコールワットのような『瞬間寺院』や、羽化する蝶をモチーフにした高さ7メートルを超える『明るい夜に出発だ』など、スケールの大きな作品で観る人をあっと驚かせてきたのだが、それらは実は、丸めた新聞紙とガムテープという、とてもシンプルで身近な素材でつくられている。もろくて長持ちしない分、スケッチのような感覚で、頭に浮かんだものをすぐに形にできるのが魅力だという。




瞬間寺院ジ標準サイズjpeg

「瞬間寺院」





彼の作品は、子どもの頃夢中になった図画工作から一直線につながっている。もの心ついた時から絵が好きで、少年時代は手近な材料でプロレスの覆面や怪獣の着ぐるみをつくっては遊んでいた。その後、美大の彫刻科に進みさまざまな素材を試した結果、自身のものづくりの原点に常にあった新聞紙とガムテープが、自分をもっとも自由に表現できることに気づいたそうだ。




子どもたちに大人気の怪獣づくり



アートが好きという気持ちが一度も揺らいだことはなかったが、大学卒業後、悩んだ末に関口さんは職業として芸術家の道を歩むことを選ばなかった。何も知らない状態で飛び込んだという特別支援学校の中学部では、美術の他にもあらゆる教科を担当し、少人数の生徒一人ひとりにじっくりと向き合う。ずっと表現する側だった関口さんは、今、誰かの表現を引き出すことのおもしろさにはまっている。

「彼らは目のつけどころがいいです。うちには自閉症の生徒もいるのですが、うさぎさんやくまさんなんかを描いた上にばっとレタリングで『17』と書いたりするんです。その『17』が確かにきれいで美しくて、私も『あぁ、これは芸術だね』と。今回の作品に拝借しました(笑)」




そんなふうに創作の刺激も受けつつ、同じ目線で教え合い、学び合いながら生徒たちとともに成長していきたいと関口さんは考えている。

そして、美術館や小学校に招かれて行う出前授業のワークショップは、関口先生の本領発揮といえる。新聞紙やガムテープを使った怪獣づくりは、毎回子どもたちに大人気だ。




「ワークショップでは子どもたちに、自分で目標を決めて進む体験をしてほしいと思っています。普段の授業では『これを覚えなさい』『ここを目指してがんばりなさい』と課題を与えられることが多いけど、美術では大まかな枠組み以外は何をつくるか、何色を使うか自分で考えなきゃいけない。そうやってつくった自分の分身のような作品を『いいね~』と認めてあげることで、自己肯定感につながっていくんじゃないか。そんな気持ちでやっています」

「私はたぶん、アーティストだけの存在にはなれないんです。さびしがり屋だから」と関口さんは笑う。そんな彼を取り巻く、ごちゃごちゃして愉快で愛しい日常のかけらたちを取り込みながら、『感性ネジ』はつくられた。〝この世界に無意味なものなど何もないんだ〟。ネジはそんなメッセージを発している気がした。

(樋田碧子)
Photo:浅野カズヤ





せきぐち・こうたろう
1983年、群馬県生まれ。多摩美術大学彫刻科在学中から新聞紙と紙テープを使った彫刻を制作し、卒業後は07年から東京都の私立特別支援学校で、教員を務める傍ら創作活動を行う。08年六本木21_21Design Sightにおける「21世紀人展」に出品。今年、『感性ネジ』で第15回岡本太郎現代芸術賞の太郎賞(最高賞)を受賞した。
    このエントリーをはてなブックマークに追加





7cd85109d444b06ecb42f2d928a98e04





幸せ恐怖症で、バツイチのトラウマから逃れられません。



バツイチです。離婚後6年たち、すてきな人と結婚したいと思い、デートもしているのですが、どうしてもその寸前で躊躇してしまいます。幸せ恐怖症とでもいうのでしょうか? 大好きな相手に優しくしてもらって、そこそこ稼ぎもあって、浮気もしなさそうだし、申し分ない。なのにこの人と、結婚し、まともな生活を送ると思うと……
なぜだか踏みとどまってしまうのです。ちなみに以前の結婚は5年続き、子どもはいません。(33歳/女性)





誰だって幸せにはなりたいもの。前の結婚の最後がどうだったとしても、もう別れて6年もたったのだから、5年間の結婚生活やその前のつき合っていた時も含めて、楽しかったことやうれしかったことを思い出してみることができる時期だよな。

まずは自分がバツイチであることを忘れろ、と言いたいね。誰かと出会っても、自己紹介と一緒にバツイチだなんて言う必要はない。相手がこの人に興味を示して初恋やこれまでの過去の恋愛について、聞いてきたら答えればいいこと。相手をよく知って、段階を踏んでお互い気に入れば結婚を前提につき合ったらいい。その頃は、この人がバツイチだなんてことは気にしないだろう。




なんてことを言うオレだけど、つき合って2週間目で結婚しようなんてことになった。これは随分とおかしな話だな。当時、オレは青森で車掌をしていて、気分が悪くなった鹿児島から来たお客さんの女の子を介抱するうちに交際することになって、トントン拍子で結婚することになってしまった。ハハハ。




この女性は年齢的にも子どもがほしいのかもしれないな。オレには子どもが2人いるんだよ。孫もいる。随分と前のことなのに、子どもが元気な産声をあげて生まれてきた瞬間が忘れられない。健康に生まれてきたと知った時は、本当にホッとしたね…。

こんな状態になったのは、オレが知り合いの保証人になったばかりに借金を背負いこみ、暮らしていた北海道の富良野を追われることになったから。今でも女房や子どもとも電話をしている。家族といっても、電車で20時間以上もかかる場所に離れているから、そう簡単には会えない。もう一緒に暮らすことはないだろうけど、オレにとってかけがえのない存在だと思う。




この女性は今、結婚すること以上にたった一人で生きていくことを不安で寂しいと考えているんだと思う。結婚というのは、女性から男性に仕向けるもの。この人のお相手みたいに男性から結婚しようなんて普通はめったに言ってこないよ。最初に言ったように、前の結婚生活での幸せだったことだけを思い出してごらん。次こそは、積極的に。そして早く子どもを産んで、その子と一緒に成長していったらいい。

(東京/I)


(THE BIG ISSUE JAPAN 84号より)










    このエントリーをはてなブックマークに追加




30年間の「座り込み」。ホワイトハウス前で平和と非核訴え




11 ピシオットさん

コンセプション・ピシオットさん(67歳)





アメリカの首都ワシントンDCにある、米大統領の公邸ホワイトハウス前。ホワイトハウスに向けてシャッターを切る多くの観光客の背中を見ながら、一人の女性が呼びかける。「核のある世界がどんなに危険か、考えてみて」。スペイン出身のコンセプション・ピシオットさん(67歳)。1981年から実に30年もこの場所で座り込み、平和と反核を訴え続けているのだ。

今、都内・霞ヶ関の経産省前では、福島や全国の女性たちによる脱原発の座り込み「未来を孕む とつきとおかのテントひろば行動」が展開されている。昨年秋以降は、経済や所得格差を訴え、ニューヨークウォール街で「オキュパイ(占領)運動」なども起きた。ピシオットさんは長年続けている、いわば〝先輩格〟だ。




10代で米国に来て、国連やスペイン領事館で秘書の仕事をした。結婚もし、娘ももうけたが離婚。政治活動に入り、やがてホワイトハウス前で座り込みを始めたのが30年前。当局にしめ出されたり、心ない人から罵声や暴力を受けたりしながらも、巨大な看板を設置して、その脇で身体を休めながら世界各国の観光客に平和の尊さや核廃絶を訴え続けた。

後に白いビニール製のテントが設けられ、彼女を「コニー」と呼ぶ友人や支援者が増えた。毎日の食事は観光客からの募金で賄い、トイレやシャワーは支援者や近くの教会、ファストフード店などで済ませている。実質「ホームレス」状態だが、日々多くの人と接し、自分の訴えを表現する自由さからか、日に焼けた横顔はツヤツヤと輝いている。





11 ピシオットさん2

観光客から写真を頼まれることもしばしば。「反核、平和」を訴え続ける




「ここで生活して危険ではないですか?」。そう尋ねるとピシオットさんはこう言った。「核兵器や原発のあるこの世界は、どこだって危険。安全な場所はどこにもない」。そして目の前のホワイトハウスを指差す。「世界で一番危険なのは、あそこだから」。ホワイトハウスの屋根に警備官の姿が見えた。核を持つ軍事大国ゆえに、テロの恐怖に直面するアメリカの矛盾が垣間見えた。

ピシオットさんをして素通りする人もいれば、立ち止まって「ユー・アー・ライト(あなたは正しい)」と言う人も。「日本は広島や長崎で核の危険を体験している。地震国なのに原発なんてとんでもない」。ピシオットさんは今日もたった一人、各国の観光客に平和を訴え続けている。

(文と写真 藍原寛子)




ピシオットさんの支援者らによるウェブページ
*参考資料 /「ホワイトハウスの裏庭」(91年9月13日、The Yomiuri America 堀田佳男)

THE BIG ISSUE JAPAN 189号より)


あわせて読みたい


THE BIG ISSUE JAPAN387号
特集:平和を照らす
アフガニスタン、イラク、シリア、北朝鮮、沖縄。日本の敗戦から75年目に、世界で戦争の爪痕と人々を写真に撮り続ける新世代の写真家を紹介したい。 鈴木雄介さんは、シリアをはじめ戦場という最前線に立ち続ける。林典子さんは、北朝鮮で暮らす「日本人妻」に寄り添い、その思いを記録する。豊里友行さんは、沖縄戦や辺野古の基地建設に向き合い、いま平和を求める人々を写真に収める。 3人の写真家たちの作品とエッセイに目と心を凝らせば、戦争や争いの残酷さ、哀しみという鏡に、平和への祈りが写る。
387_H1_SNS_yokonaga

https://www.bigissue.jp/backnumber/387/

米軍関連の記事


世界最大の温室効果ガス排出者は米軍。気候変動報告書では記載なし、情報公開請求で明るみに



過去記事を検索して読む


ビッグイシューについて

top_main

ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。



    このエントリーをはてなブックマークに追加




スクリーンショット 2012 12 21 14 34 02






「若者ホームレス」と就職活動、生活保護





スクリーンショット 2012 12 21 15 10 27

いつかは自立したいとほぼ全員思っているにもかかわらず、4人のうち3人は就職活動をしていない。その理由としては、住所、本人確認書類、携帯電話、保証人等がないため、実際に就職活動を行っても、採用段階で断られてしまうなどの理由があげられている。

生活保護を受給しながら職探しをしている人も苦戦している。年齢制限、経験不足などさまざまな理由で求職活動の段階で門前払いを受けてしまっているケースも少なくない。





一方で、自立への意欲があっても、これまで仕事を通して受けた過酷な労働体験やイジメなどによるトラウマのせいで、仕事をする意欲を失っている人もいた。

将来を諦観している人も少なくなく、「結婚とか、家庭とかそういうことはあんまり考えない。一人のほうが楽」という人も。一方で「結婚もして子どももほしい」という声も少なからずあった。




スクリーンショット 2012 12 21 15 10 23



現在、生活保護を受給している人は8人いるが、生活保護を申請しようと役所に行ったが「若くて働ける人は申請できない」と断られた、「申請が受理される前に職がないと通らない」と誤った情報を伝えられたなど、申請すらできなかった人もいる。

現在受給中、もしくは受給経験がある人は、NPO団体等の支援を受け、生活保護を申請、受理されていることが多い。実際に、若年者が一人で生活保護を申請して受理されることは稀のようだ。一方、「親に連絡が行くので絶対に拒否する」など、生活保護に対して、消極的な人も多かった。





NPO法人ビッグイシュー基金を応援する
・「若者ホームレス白書」を読む




    このエントリーをはてなブックマークに追加



1月15日発売のビッグイシュー日本版207号のご紹介です。



特集 「盲ろう者」 二重障害の世界


視覚と聴覚の両方を失っている、またはそれらが不十分な状態の人は「盲ろう者」と呼ばれています。厚労省調査(06年)の推計によると、20歳以上の「盲ろう者」は2.2万人。視覚・聴覚の二重障害によって外界からの情報が絶対的に不足し、周りの状況がつかめなくなったり、他者とのコミュニケーションが極端に困難になってしまいます。
そんな過酷な状態を超えて、門川紳一郎さんは外国の大学で学び、現在は盲ろう者の仕事や憩いの場である「NPO法人視聴覚二重障害者センターすまいる」を立ち上げ、活動しています。
また、森敦史さんは、ルーテル学院大学に入学し、通訳のサポートを受けながら「自分のような盲ろう者の役に立ちたい」と社会福祉を学んでいます。早坂洋子さんは、仙台で盲ろう者の活動を中心的に担っています。
「盲ろう者」が置かれている状況やその世界を知り、共有したいと思い、門川さんと「すまいる」のスタッフ、森さん、早坂さんにそれぞれ取材させていただきました。



スペシャルインタビュー 工藤夕貴さん


複数のハリウッド映画に出演するなど、国際的な活躍を続けてきた女優・工藤夕貴さん。今回、日本・カナダ合作のロードムービー『カラカラ』に主演して感じたこと、人生を変えた農業との出合いなどについて語ってくださいました。



リレーインタビュー 探検家 関野吉晴さん


一橋大学在学中に探検部を創設。アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下り、93年、アフリカに誕生した人類がアメリカ大陸にまで拡散していった行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始した関野吉晴さん。10年にもわたる長い旅のなかで気づいた自身のターニングポイントは「親から生まれたことだった」と語ります。



今月の人 新春座談会


1月1日号に続き、今回も「今月の人」は番外編。大阪の販売者さん4人による座談会です。鉄道クラブで琵琶湖1周した思い出、寒さ対策、日々感じる生きる喜びを語り合います。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。

    このエントリーをはてなブックマークに追加




c149c4a75b2da250dc6f8400d7a258b7






仕事は楽しいけど、生活が成り立ちません…。



東京のアニメ制作会社で働いています。動画の下書きを描いたりする仕事で、徹夜・終電まで働くことも多いんですが、楽しくやってます。ただ生活が苦しいのが悩みのタネです。給料が歩合制で、保証金が10万円。そのうち家賃に6万円かかります。最近、先輩の給料も同じと聞いてあぜん。将来的にはゲームのクリエーターを目指し、今の仕事はステップアップとして始めたんですが、あんまりです。両親は北海道に戻ってきたらと言うし、地元にはやりたい仕事はないし、迷っています。
(24歳/女性)





仕事が楽しいことは結構なことだけど、仕事と生活は両立しないとどうにもならない。私なんかは戦後を経験しているから、粗食で十分だけど、24歳で家賃を払った残りの4万円だけの生活は、食べていくだけでも不満なはず。衣裳にも興味ある年ごろだろうし、遊びに行くのだって交通費がかかる。私だって息抜きに、好きな時代小説を買って読んだり、カラオケへ行ったりしているのに。

ましてや都会は事件や誘惑も多いから、我慢してギリギリで暮らしていて、つい魔が差したなんてこともなきにしもあらずでは。ここは実家に戻ることも選択肢に入れたらいいんじゃないかな。ご両親はこれまでも多少の援助をしてくれてきたはずだから、帰っても邪険な扱いはしないでしょう。お金をためて改めてやりたいことに挑戦してもいいと思いますよ。




確かに仕事は大切ですけどね、私の仕事も雑誌を売っているだけが能じゃないと思うんです。

私が売っている新宿は、まず通行人を見ているだけでも飽きないし、この人が東京に魅力を感じる気持ちもわかりますよ。特に部分的に観察したりするのもおもしろい。ずいぶんと奇抜なヘアスタイルの人もいるもんだから。最近は減ったけど、頭の真ん中だけを残して立たしている男の人。あれはチック油か何かで固めているのかな。毎日髪の毛を洗うわけにもいかないだろうから、夜は箱枕みたいなので寝ているのかもねえ。

昔からこの辺りへは、仕事でちょくちょく来ていたけど、現場と家の往復がほとんどで、この仕事を始めるまで、こんな人たちを見たことはなかった。




この人の地元は北海道か。一度仕事で札幌の現場へ行った後に五稜郭に立ち寄ったことがありますよ。東京と違って夜景がキレイだった。この辺のネオンとは全然違う。空気が澄んでいるから、景色が鮮明で、高いビルがないから360度全部が見えたことが忘れられないです。

そうだね、確かにこの人が言うように、北海道では今やっているような仕事はないんでしょうね。そのかわり、今度は知らなかった良さを発見したり、これまで興味なかった他の仕事にありつけるかもしれないね。まだ若いんだから、仕事に未練があるなら、しばらく頑張ってみてもいい。私はそう思いますよ。 

(東京/M)


(THE BIG ISSUE JAPAN 83号より)











    このエントリーをはてなブックマークに追加




スクリーンショット 2012 12 21 14 34 02




8割が正社員軽軽あり




スクリーンショット 2012 12 21 15 06 17

続きを読む
    このエントリーをはてなブックマークに追加

人間の負の感情にある、純粋さや根源的なものを描く




人けのない土地、後味が悪い結末。
負の感情を掘り下げ、独特な魅力を放つ







Shimonishi

劇団「乞局」主宰 下西 啓正さん




巧妙な会話劇と不思議な不穏さ。幸福や不幸の曖昧さ



下西啓正さんが率いる「乞局」の芝居には独特な魅力がある。結成12年。近年、数々の戯曲賞を受賞、平田オリザや岡田利規など気鋭の劇作家からも注目される劇団となった。

舞台の設定は「空港に隣接する人けのないマンション群」「都内の下水道」「都内の中央公園脇の墓地」など、たいてい都市のエアポケットのような寒々とした風景。その中で登場人物たちは切羽詰まった状況に追い込まれ、本性をさらけ出す。決して明るい芝居ではない。派手な音楽・照明・衣装はほぼなく、結末は大抵後味が悪い。しかし、巧妙な会話劇と不思議な不穏さで観客を飽きさせないのだ。下西さんは自作の信条をこう説明する。

「世の中で悪とされる人や物事にもそれなりの“筋の通ったもの”があるはずで、それを描きたいんです。幸福や不幸、善悪だって見方によって変わる。そういった曖昧さを大事にしています」




乞局の芝居の特徴は、人のもつ「負の感情」を大きく扱うこと。昨年12月の最新公演「乞局」での設定は「金網で覆われたテーブルのある、寂れた喫茶店」。

店主は、発病以降の記憶が蓄積できない病気の妻をかかえながら、実弟への多額の借金と妻の兄に居候される生活に苦しんでいる。だが、町内の人々は病気の妻を重宝がり、愚痴や悩み相談のはけ口として利用、お金まで支払いだす―。そんなストーリーで、肉親同士の憎しみ合い、不貞、コンプレックス、金への執着など人のドロドロとした部分を描いてみせた。






Sub2





「人の負の感情の中には、ある種の純粋さ、根源的な部分があるような気がします。それを描くことで、“人間”を表現したいんです」

舞台設定も“人間”を描くことに一役買う。「人けのない、忘れ去られたような土地を舞台にするのは、そこに、描きたい『昭和』な雰囲気を感じるから(笑)。日本人が元来もっている普遍性が描けるような気がして、物語が膨らみます」





Main





演劇の強さはナマモノ。生活と創作を両立させ、劇団は新たな段階へ



もともと、大学在学中に映画づくりを志し、サークルに入った下西さん。しかし、並行して行われる演劇活動のほうにより惹かれた。

「演劇のよさはナマモノだということ。観客にも役者にも、創作を疑似体験してもらえる。そこに表現としての強さがある気がします」




ただし、「疑似体験の場」をつくることはそう容易ではない。役者に舞台上で「きちんと生きて」もらうため、台詞や動きが自然に出るよう反復した稽古を求める。7分ほどのシーンを、延々繰り返したこともあり、さらに舞台上の小道具では、やり取りされるお金も本物を使うほど細部を徹底する。




最新作で20回目の公演。下西さんは、普段は台本印刷の会社で働き、社会生活と創作を両立しながら年2回の着実な活動をしてきた。

「きちんと社会で働くことが劇作にも活きています。芝居だけで食べていくより自分のスタイルとして合ってますね」

今回の最新作では、「今までの公演とは違った感慨を得た」と下西さん。今回の設定は実は06年の公演のものだが「見せ方として、以前とはまったく違ったアプローチができて幅が広がった。自分の中で一つの踏ん切りがつけられた感じです。次回はまた新たな段階へいきたいですね」と語る。

今年、乞局はオーディションで新たな「局員」を募集する。「団体として新しい空気を入れるためです。長い年月で俳優たちも自分も変わっていくのが楽しい。だから、とにかく劇団を続けていくことに意味があると思います。今は次を早く書きたいです」(山辺健史)





Sub1


撮影:鏡田伸幸




下西 啓正(しもにし・ひろまさ)

1977年広島県生まれ。慶應義塾大卒業後の2000年より劇団「乞局」を旗揚げ。乞局「局長」=(主宰・脚本・演出・役者)として、他の4人の「局員」と共に年2回のペースで活動。劇作家協会新人戯曲賞優秀賞など多数受賞。役者としても、演劇カンパニー「チェルフィッチュ」などに客演。
http://kotubone.com/
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ