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児童養護施設を経て路上へ(Bさん23歳)




近畿地方出身。両親の離婚により、児童養護施設に預けられる。中学卒業と同時に大阪の工場へ就職し、工場の寮で暮らす。約7年勤めた後に退職。児童養護施設へ戻り、就職の相談をするが見つからず、仕事を求め上京する。しかし、仕事は得られず、路上へ。





施設に入ったのは 1 歳です。物心つくずっと前です。だから母親の顔は知りません。理由は離婚だそうです。父親が親権取ったんですけど、マグロの遠洋(漁業)をやってたんで、面倒を見られないので施設に預けられました。

中学のころイジメに遭って、それが原因で不登校になったんです。勉強も得意じゃなかったんで早く働きたいなと思って中学出たら就職することに決めたんです。




就職先は施設の先生が紹介してくれました。大阪の繊維工場です。施設の先輩がその工場に行っていたんで、安心感があった。正社員の仕事です。保険もありました。給料は18万円くらい。悪くないと思います。

最初は昇給があるとか、新しい仕事を少しずつ覚えさせてくれると言われていたんですが、ずっと同じ仕事で上にも上がれなくて、それに不満を覚えました。機械が相手というのもちょっと……。接客業とか新しい仕事をやってみたいと思って、それで退職しました。もっと別のことを経験してみたかったんです。




一度地元帰って施設の先生に相談して、仕事のあてを探してもらったんですけどなかなか難しいような状況で。施設に戻ることはできないですから。その間は外(路上)にいました。迷惑かけるわけにもいかないんで。泊まる場所がないってことは先生には言い出せませんでした。

姉と妹がいて、連絡先は知ってるんですけど、二人とも忙しいんです。姉の方は朝と夜で二つ仕事を掛け持ちしているような状態。妹は車じゃないと行かれないような場所にいたんで、会えませんでした。友だちも頼れる人もまったくいなくて。貯金とかはなかったです。

自分はよく食べるんでご飯代とか、洋服代とかで消えちゃって。失業保険はハローワークで手続きできたはずなんですけど、やり方がよくわからなくて、施設の先生に相談したら、「手続きとっても面倒くさいよ」って言われてそのままになっちゃいました。




地元には4ヶ月ほどいましたが、自分のいたところは田舎なのか、仕事がほとんどない。だから都心に行くしかないかなと思って、施設の先生からお金を借りて、夜行バスで東京に来たんです。

東京ではハローワークに何回も行きました。面接まではこぎつけたこともあるんですが、自分が今こういう状態(住所がない)だと話すとそれが不利になって落とされてしまうんですね。住む場所もお金も携帯も持ってないですから。そんなことが何回も続いて、精神的に参ってしまいました。今はうつっぽくて、仕事を探す気力が沸いてこないんです。





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服を用いたコミュニケーション。アートの視点から社会にインパクト



誰もが身につけている衣服に着目。
装いから一部を引き出して、編集して、創造する。
その作業から生まれる新しいコミュニケーションとは?






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現代美術家 西尾美也さん





衣服を交換したり、分解したり。誰もが共有できる「ヘンテコ」目指して



ある時は、通りすがりの人に「今着ている服を交換しませんか」と突然に声をかけ、互いの服装をチェンジする。ある時は、とある団体のスタッフに「家にあるオレンジ色をした布を持ってきてください」と呼びかけ、それぞれにその布を取り入れた服を着てもらう。すると、形はさまざまでもどこか連帯感のある「制服」の出来上がり。そんな、衣服を媒介にしたコミュニケーションを展開しているのが現代美術家の西尾美也さんだ。

「服というのは、誰もが身につけているもの。その装いのあり方を組み替えることで、新しいコミュニケーションをつくり出したいというのが僕の活動のテーマです」




服装に興味をもち始めたのは小学生の頃だった。

「バスケットをやっていて、マイケル・ジョーダン選手が大好きだったんです。その思いを表現するためにマイケル・ジョーダンのTシャツやユニフォームふうの服ばかり着ていました。そして、そんなふうに衣服で自己主張することは、自分の自信にもなっていたんです」




進学した中学校も制服ではなく私服。「ヘンテコな格好ばかりしてました(笑)」と振り返る。下駄を作って履いたり、スカートをはいたり、髪の毛もいろいろとアレンジしてみたりと、装いで人を驚かすことを毎日考えていたそうだ。しかし、高校生になる頃にはまた違う感覚に襲われた。

「ヘンテコな格好で主張し続けていると、確かにある種のコミュニケーションが生まれるのですが、『こういう服装の人はこういう人だ』と見た目でまず分類されてしまうことに気づいたんです。主張すれば主張するほどに壁をつくり、逆に閉じているような状態になってしまう。そこに矛盾を感じ始めてしまって……」




将来的にはファッションデザイナーという道も考えていたが、やりたいのは服単体のデザインではなく、服を用いたコミュニケーションだと気づき、進路を美大に変更した。

「受験する際、創作活動の資料提出が課題にあったので、衣服を題材にしたワークショップを開きました。そこでは、参加者にパーツ分解できる服を身につけてもらい、知らない人同士が言葉を交わしながらそのパーツを交換し合うんです。服はどんどん形を変えていき、たとえば襟が袖になったり単なる装飾になったりでゴチャゴチャになる。でも、誰の服も同じようにゴチャゴチャだから、〝壁〟としてのヘンテコな服ではなく、ヘンテコな服なんだけど共有できる感覚が生まれる。今やっていることも、基本的にはこのコンセプトを発展させたものばかりです」




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「(un)Uniform」 Photo: 齋藤剛




ナイロビで共同作業 持ち寄られた古着が「機関車」に







現在、活動場所をケニアのナイロビにも広げている。

「ケニアには美術館に行く習慣もないし、現代美術というものも認識されていない。人々は生きることや日々の生活に精一杯という状態なんですね。僕はコミュニケーションの創造をテーマにしているので、ここで受け入れられないのなら、欧米や日本でいくらアート活動をしても意味がないと感じます。そんな中で活動すること自体が、僕にとってのワークショップかもしれませんね」





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「Overall: Steam Locomotive」 Photo: 千葉康由




ナイロビでは市民に古着を持参してもらい、その布を立体的にパッチワークして機関車を制作。総勢約100人の市民が参加し、それぞれの生活の中から取り出された布が、ひとつの作品となった。

「仕掛けている僕自身にも本当に実現できるかどうかわからない中で、想像以上の作品ができました。過程を含めたこの体験自体が衝撃だったし、多くの人と一緒にやり遂げたという達成感がありました。必ずしも生活用品が豊富ではない中で、多くのナイロビ市民が自分の服を家から持ってきてくれたんです」




突飛な何かを投げかけたり使ったりするのではなく、すでに持っているものを引き出して編集を加え、創作する。西尾さんのプロジェクトはすべてそうだ。9月には再びナイロビへ行く。今度は2年間という長期滞在の予定だ。

「プランはまだ明確じゃなくて、現地でゆっくり過ごしながら考えるつもり。次はお祭り的なプロジェクトではなく、持続可能なかたちでアートと人々を結びつける何かに取り組んでみたい。雇用の問題、仕事のあり方なども含め、ソーシャルデザインの具体的な方法を模索しながら。援助や支援という発想とはまた違うアートという視点から、今の社会にインパクトを与えることができればいいなと考えています」

(松岡理絵)
Photo:中西真誠




にしお・よしなり
1982年、奈良県生まれ。現代美術家。「西尾工作所」代表。東京芸術大学大学院博士後期課程修了。装いとコミュニケーションの関係性に着目し、市民や学生との協働によるプロジェクトを国内外で展開。09年には西尾工作所ナイロビ支部を設け、アフリカでのアートプロジェクトに着手している。グループ展、個展開催も多数。
http://yoshinarinishio.net/
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フリーター、ニート状態を経て路上へ(Aさん 30歳)




関東地方出身。両親、姉の4人家族。高校卒業後は、大手電気メーカーのグループ会社へ就職するが2年半でリストラに遭う。その後アルバイトと派遣を繰り返すが、その状態を家族は快く思っておらず、関係が悪化し、路上へ。





家族は姉と両親の4人。ごく普通の家庭だったと思います。高校では私立の工業科に行きました。入学金だけで百万円以上して授業料も月十数万円かかるんです。家にどうしてそんなお金があったのか、わからないんですけど、そのおかげで、卒業後、大手電気メーカーのグループ会社にすんなり入れたんです。面接では「お酒はどれくらい飲めるの?」って聞かれただけ。

部品センターで入出庫管理をやってました。給料は高くなかったけど、残業もほとんどなくて、不満はありませんでしたね。実家から通ってたので、給料の半分を家に入れてました。ところが入社3年目の1999年に人員削減によるリストラに遭った。年齢はさまざま。僕みたいに若いのも年寄りもいましたね。

その後、失業保険もらってハローワークで仕事探しましたが、なかなか見つからない。人見知りなんで、接客業とかダメなんですよ。だから仕事が限られちゃう。衣料品店の倉庫とか、漬物工場とか……いろんな派遣やったけど、どこも短期契約なんです。仕事がない時は部屋にこもってゲームしたりして時間をやり過ごしてました。ニートみたいなものですよね。




親にすればいつまでたってもまともに働かないように思えるんでしょう。「正社員で働け、バイトじゃダメだ」って散々言われて……どんどん関係が悪化していきました。家を出た時は本当に勢いだった。仕事してなくて、親と大げんかして。

親には申し訳ないと思ってる。高い授業料払って高校行かせてくれたのにこれじゃあねぇ。両親はもういい年だから心配。どっか正社員決まったら、菓子折もって実家行って、一晩泊まってじっくり話したい。

本当はここから電車乗れば、1時間ちょっとで帰れるんだけどね。たった1時間の距離なのに、ブラジルより遠く感じる。でも今のままじゃ顔向けできないですからね。まさにこれから親孝行できるって時になったら、電話一本かかってきて「亡くなりました」ってことがあるのかもしれない。そうしたら「海外旅行の一つでも連れて行ってあげればよかった」って後悔するのかな。

家を出てからは路上でアンケートやってそれでもらえる図書カードなんかを換金して食いつないでた。炊き出しとかは、雰囲気が苦手でほとんど行ったことない。家がないから“ホームレス”なんだけど、ホントのホームレスじゃないっていうか……そういうプライドみたいなのあるんですよ。

最近30歳になりました。会社に入った18歳のころは、その頃には結婚して子供が2人くらいはいると思ってたから。でも今はもう、はるか向こうにある感じですね。




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Genpatsu

(2012年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 202号より)




福島県健康調査委員会、事前に秘密会合



報道によれば、福島県の県民健康管理調査の検討委員会(山下俊一座長)は公開で開催される委員会の前に事前に秘密会合を開催して、会合での発言内容をチェックすると同時に、会の進行を打ち合わせていた。この秘密会合について、委員たちは口外しないことが求められていたという。

 県民健康管理調査は福島原発事故によって「健康に不安を抱えている状況を踏まえて」、「長期にわたり県民の健康を見守り、将来にわたる健康の増進につなぐことを目的」として実施されている。

健康管理調査の中には甲状腺検査が含まれており、18歳以下の約36万人の子どもたちに順次、検査を進めている。この2年間に約8万人が受診した。その結果では、甲状腺に結節や嚢胞が発見された子どもたちは40パーセントに達している。明らかに多いと指摘されている。

そんな中で、昨年9月に甲状腺がんの事例が1例見つかった。これだけでは事故の影響と断言できないが、同時に確実に否定することもできない。にもかかわらず、秘密会合において、がんと福島原発事故の因果関係はないと19人の委員たちは口裏を合わせて公開の会合に臨んでいた。

原子力委員会が事業者を交えて秘密会合を重ねて審議会の議論の方向性を決めていたことが4〜6月に大きな話題となった。これは、福島原発事故によって生じた原子力政策への大きな不信をさらに増大させる結果となり、社会的に強く糾弾された事件だった。結果として原子力委員会は原子力政策をまとめることができず、委員会の存続を含めて議論されることとなった。

この大事件の後も、福島県では内容は異なるものの、秘密会合を続けていたことになる。そして、秘密会合が明らかになると、福島県の鈴木正晃総務部長を委員長とする調査委員会を設置して事態を究明、わずか4日間の調査結果として「事前の意見調整や口止め、(県による)振り付け等の事実は認められなかった」とした。

秘密会議の存在自体が、委員会の信頼性を大きく損なうことになったことが反省されていないようだ。県民の不安と正面から向き合うことが求められている。




伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)










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休日返上の残業といじめのせいでうつに。会社勤めが怖いです



5年前に勤めていた会社で、休日返上の残業といじめのせいでうつになり、今も投薬治療を続けています。今は怖くて会社勤めができない状態です。これからの人生、どうなってしまうのだろうと不安で不安でたまりません。
(33歳/女性)

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養育環境、実家を出た理由



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半数が両親に育てられている一方、3人に1人は片親に育てられている。両親の離婚、死別、育児放棄など理由はさまざまだが、養護施設で育った人も6人いた。

実家を出た理由については、半数近くが就職を挙げているものの、4人に1人は家族との関係悪化を理由に挙げている。長いフリーター生活の末、親や家族との確執が強まり、家を出たという人も少なくない。

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貧困家庭に育った人が多く、半数以上の人が経済的に不安定な家庭に育ったと答えている。父親の事業がうまくいかなくなり、倒産、破産を経験した人や、生活保護世帯に育った人も。働かず、酔っては暴力を振るう父親から逃れるため、一家で逃亡した人、経済的理由で車の免許が取得できず内定を辞退した人や高校を中退した人もいた。




高い中卒率



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学歴は相対的に低く、中卒(含高校中退)の割合が高い。現在、中卒の学歴のみで仕事に就くのは容易でないことからも、社会人になるスタート時点において、非常に不利な状況にあったということができるだろう。学校でのイジメを経験した人が8人ほどいる一方で、野球や体操、サッカーなど、部活に属し、平凡だが楽しい学生時代を送ったという人もかなりの割合でいる。




7割を越える人が家族と連絡が取れない、または取らない状況にある。理由としては「勘当された状態なので家に連絡を取ることはできない」、「借金をしており家族に迷惑がかかるので、帰ることはできない」などが挙げられている。




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終夜営業店舗と路上の往復



路上のみで過ごすという人はごく少数に限られ、大半の人がネットカフェ、マンガ喫茶、ファーストフード店、サウナ、コンビニエンスストアなど、終夜営業店舗と路上の行き来を繰り返していることが明らかになった。


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若者ホームレスの場合、路上でも一人でいることを望む人が少なくない。また、食事や寝床より、身なりが気になるという人も多く、炊き出し等は利用しないという人もいた。

また路上で寝ることに恐怖を感じるため、夜を徹して街を歩き続けたり、深夜営業店舗をハシゴするという人も。歩き疲れて道路で倒れ、救急車で搬送された人もいた。

倉庫作業などの日雇いや軽作業などの仕事が見つかれば、路上やネットカフェから通う。飯場での仕事と路上を繰り返している人もいた。




抑うつ的傾向にある人が約4割、ギャンブル依存傾向にある人が3割



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抑うつ的傾向にある人が約4割。自殺を考えるような深刻なケースから、時々落ち込むことがあるというものまで、程度はさまざま。路上暮らしの過酷さ、展望のなさが孤独や疎外感を強め、抑うつ状態をつのらせているということができるだろう。路上生活が長期に及ぶほど抑うつ傾向は、高まっていく傾向にあることもわかった。 

またギャンブル(ほとんどがパチンコ、パチスロ)依存症的傾向があると思われる人も3割程度おり、今でもお金があると寝場所や食べ物の確保より、パチンコに走ってしまうという人もいた。


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いざという時に頼れる友人や、困った時に相談できる仲間がいると答えた人は、ごく
少数にとどまっている。ホームレスとなり、家を出てしまったことで過去の人間関係が
途切れてしまっている人がほとんどである。




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1月1日発売のビッグイシュー日本版206号のご紹介です。



新春かるた 「地球に生きる」


私たちも自然の一部。地球の住人たちから届いた言葉の数々をあなたへ。
「ね」眠っているときは休んでいるときだ。春また元気を取り戻すために
「ゐ」いつでも世界をめぐっているのに自分の場所をはなれられないもの(答え:心)
「は」はやくお仕事やめたいよ… (もんじゅ君のつぶやき)



特集 「縮小社会」を生きる


今、日本社会は「縮小社会」のリスクをかかえていると、萱野稔人さん(哲学者)は言います。文明史的に見て「経済成長」は人類史では例外的なことであり、1世紀~19世紀初頭まで世界経済の成長はほとんどありませんでした。経済成長をもたらしたのは、化石燃料によるエネルギー革命であり、経済成長は1820年以降のごく最近のことだそうです。そして、現在の先進国における経済的停滞は化石燃料のポテンシャルを消費つくしたことにあると。  そこで、萱野稔人さんに、経済が拡大せずマイナス成長する「縮小社会」の時代に、どのような社会のしくみをつくっていけばよいのかを聞きました。 また、萱野稔人さんと雨宮処凛さん(作家)に「『縮小社会』を生きる」をテーマに対談をお願いしました。新年に当たり、ポスト経済成長、縮小の時代をどう生きぬくのかを考えたいと思います。



スペシャルインタビュー ロアルド・ダール


『チョコレート工場の秘密』、『マチルダは小さな大天才』、ロアルド・ダールが遺した数々の作品は、今も読者を魅了してやみません。
自身も著名な児童文学作家・詩人であるマイケル・ローゼンが、ダールの人生と創作の秘密に迫ります。
また、翻訳家の金原瑞人さんには、英国におけるダールの人気ぶりを解説していただきました。



リレーインタビュー アーティスト 加藤翼さん


巨大な木製の構造物を作り、それを大勢で動かす……というパフォーマンス・アートで知られる加藤翼さん。初めは構造物をロープで引っ張る「引き倒し」が主でしたが、3.11がターニングポイントとなり、作風が大きく変わったと語ります。



国際 深刻な資金不足、治療停止に直面するビルマ難民診療所


ビルマ(ミャンマー)の国境近く、タイ側のメーソットという町には、約20万人のビルマ難民・移民の人々が暮らしています。彼らの健康の担い手が、総合診療所、メータオ・クリニック。来日中のシンシア・マウン医師にインタビューしました。



この他にも、「ホームレス人生相談」やオンラインでは掲載していない各種連載などもりだくさんです。詳しくはこちらのページをごらんください。

最新号は、ぜひお近くの販売者からお求めください。
販売場所検索はこちらです。

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若者ホームレス50人聞き取り調査



ビッグイシュー基金では、2007年以降、若い販売者が増加していることから、その実態を知るため、2008年 11 月から聞き取り調査をスタートさせた。東京と大阪のビッグイシュー販売者から聞き取りを始め、夜回りや炊き出しなどで出会う人たちにも調査の輪を広げていった。2010年5月までにその数は50人に及んだ。ごく一部ではあるが、彼ら自身の声を紹介したい。(飯島 裕子)





若者ホームレスはどんな人たちか?出身地、ホームレスになった理由




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調査対象者は50人。全員が男性。出身地は北海道から九州の離島まで各地方に及んでいる。平均年齢は32.3歳。30代が7割を占めた。路上にいた期間は半数以上が6ヶ月未満と比較的短い傾向にあった。

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路上へ出た理由としては、退職、派遣切り、倒産など、約7割が仕事に関するものを挙げている。寮に住み込んでの製造業派遣や飯場での日雇い仕事など、職を失うと同時に家を失うといったケースだけでなく、リストラされた末、家賃を払えなくなり、路上へ出て行かざるを得ないケースも出てきている。

またアルバイトや派遣を点々とする不安定な就業状態の中、家族との確執を深めたり、多額の借金をし、迷惑をかけたことで実家に居づらくなり、路上に出た人もいる。





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さらに約半数が消費者金融等からの借金を抱えている(あるいは抱えた経験がある)。借金をしたことが、退職や路上生活への引き金になったという人もいる。ちょっとしたきっかけで消費者金融に手を出してしまった結果、借金がどんどん増えていき、動きが取れなくなってしまう。借金の理由はギャンブルが圧倒的に多く、依存症的傾向の人も少なからず存在した。

話の辻褄が合わなかったり、自身のおかれた現状について認識できていない人など、何らかの障害が疑われる人もいた。しかし、実際に障害者手帳等を持っている人はごく少数に留まっている。





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