Genpatsu

(2012年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 195号より)




6月17日、野田佳彦総理大臣は大飯原発3、4号機の運転再開を宣言した。これに先立ち、7000を超える人々が首相官邸前に集まり再稼働の判断をしないように切に求めた声は、官邸の奥深くには届かなかったようだ。また、122人の民主党議員が時期尚早と訴えたが、聞き入れられなかった。ついに平智之議員(京都1区)は離党届を提出。海外からも、再稼働しないことを求める多くの科学者や国会議員の署名が送られた。

野田総理は国民生活を守るというが、過半数は運転再開を望んでいない。政府の責任で判断をしたというが、事故が起これば、後始末は私たち国民の負担となる。そして、政府が定めた暫定基準は安全性を保証していない。何とも無責任なことだ。

運転再開の必要性について、関西電力は当初、電力不足の恐れを理由にあげていた。不足すると言いながらも、関電はオール電化システムの拡販をやめなかったので、世間の批判を浴びた。そして、西日本の他の電力会社から融通してもらえば不足しないことがわかった。

そこで関電は、安全が確認されたら運転再開したいと言い始めた。止めている理由はないはずだというわけだ。電力が足りないのなら足りない間だけ運転をすればよいという関西広域連合の主張を牽制したのだった。関電は安全は確認されたというが、野田総理は安全とは一言も言っていない。

関電のホントの理由は経営問題なのだ。原発の依存度が高い関電だから、代替の火力発電の燃料代が重くのしかかってくるが、値上げには反対が強い。値上げしないと赤字がさらにかさむ。また、脱東電が進みつつあるように、脱関電を招きかねない。地元のおおい町でも再開を求める声が強くなっている。このまま原発が止まり続けると仕事にはならず地元経済が悪化する。反面、道路は1本しかなく事故時に避難できないと、不安の声も高まっている。原発に依存した地域の苦悩が続く。

大飯原発に続く再稼働は、当分ないだろう。班目原子力安全委員長が新しく設置される原子力安全規制委員会で判断するべきと言っているからだ。原子力安全規制委員会の発足は9月になる。福島原発事故を受けた新たな安全基準を定めるにはもっと時間がかかる。このまま暫定基準で許可すれば、各地でいっそう強い反対運動が起きるだろう。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2009年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第133号より)









モザンビーク、2014年までの地雷撤去目標



アフリカ南部に位置するモザンビーク共和国は、世界で最も地雷汚染の深刻な国の一つだ。モザンビーク政府は、同国の対人地雷と不発地雷を09年3月までに一斉撤去するとしていたが、その目標を5年先に延ばした。世界的な支援金の不足と、同国の貧困対策にまず力を入れなければならないためだ。同国は99年に地雷禁止条約に調印している。

モザンビークでは、ポルトガル領時代から20世紀後半の内戦時代にかけて、地雷が埋設された。どこにどれほどの量が埋まっているかを示す資料はなく、知っている者もいない状態だが、07年、英国系の地雷除去NGO「ハロ・トラスト」が「12万km2にわたって地雷が埋設されているだろう」と結論づけた。

同国で活動を続ける団体は、僻地では依然地雷は脅威だが、2014年までには完全撤去できるだろうと予測する。NGO「ハンディキャップ・インターナショナル」を率いるアデリト・イズマエルは語る。「2014年という目標に向けて、地雷を撤去していきます。この国で地雷は、“ネバー・エンディング・ストーリー”とはならないでしょう」

(Sarah Taylor)



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(2011年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 175号より)







7トンの塩で描く、生命の森




緻密な迷路や網の目の模様を塩で描く。気が遠くなるような作品づくりの裏には、生と死を見つめる強く優しいまなざしがあった。





Profiel加工

(インスタレーション作家 山本基さん)





一番の理解者だった妹の他界。「死」の周辺をテーマにしてきた







それは張りめぐらされた枝のようでもあり、密に編まれたレースのようでもある。鑑賞者は口々に「これも塩なんだって」「へえ、塩なんだ」と感心しながら、作品の前を通り過ぎていく。はるか向こうには、油差し用のボトルから精製塩を少しずつ出しては、細かい模様を描いていく男性の姿があった。この日、神奈川県・箱根彫刻の森美術館にて「しろきもりへ——現世の杜・常世の杜——」を公開制作中の山本基さんだ。




Seisaku




山本さんは今回、箱根の自然豊かな森から着想を得て3つの作品を制作。本館ギャラリー1階には結晶塩と岩塩からできた枯山水風の庭をつくり、中2階には塩のブロックを天井まで積み上げた巨大な塔を建てた。2階の会場には16×16・5メートルにも及ぶ塩の網を描き、使用した塩の総計は約7トン。最後の追い込み作業は連日15時間を超えた。





Tenmanomori
「摩天の杜」(2011年)




「制作風景を公開しないほうが、もちろん集中できるんです。でも、公開制作をしていると会場に来た人たちと話ができるし、子どもたちに『何かを積み上げていくことの大切さ』を感じてもらえると思ったんです」




もともと、やすりで金属を削ったり、鋸をひいたりした時に〝手に伝わる感覚〟が好きだったという山本さん。工業高校の機械科を卒業した後、「大学に行くつもりで4年間だけ働こう」と、造船所に就職。ところが1985年のプラザ合意に伴う急激な円高で日本の輸出業は大打撃を受け、造船所は希望退職者を募り、山本さんはこれに応じた。

その後、登山道具を持ってバイクで日本中を旅した山本さんは、いろいろな人と出会う。

「中には、どろどろの硫黄か何かを探している鉱物マニアの人もいました。こんな生き方もあるんだったら、僕もやりたいことをやろうと決意したんです」




そこで、ものづくりに携わろうと金沢美術工芸大学に進み、油絵を学んだ。その矢先、実の妹が脳腫瘍になり、24歳で他界した。「元気な人で、すごく仲がよくて、僕の一番の理解者でした」

その現実を受け入れようと、終末医療や脳死など「人が死ぬこと」の周辺にある、さまざまな事柄をテーマに作品をつくるようになり、葬儀に使われた「塩」の存在をふと思い出した。

「塩は、海からとれる身近な食べ物であると同時に、食べ物ではない役割を社会の中で担っています。その白さは美しい透明感をもっていて、油絵具のように乾くのを待つ必要もない。『その瞬間にある思いをすぐ表現したい』と考える自分の手に、しっくりくる材料だったんです」





雨に溶ける塩の小舟。一つひとつの網目に思い出を織り込む



96年から塩を使った作品づくりを行うようになり、今は展覧会の3分の2を海外で開く山本さん。身近な塩がアートになる驚きは、万国共通のリアクションだという。

海外で初の展覧会だった00年のメキシコでは、現地で塩をブロック状に焼き固めようと思っていたら、「そんな予算はない」と言われた。その代わり、現地の人が一緒になってレンガで窯をつくってくれた。ところが実際に塩を焼いてみると、外側は硬くなるが、内側は軟らかいままで、思い通りの形にならない。そこで急きょ、ブロックの内側をくり抜いて400ほどの小舟をつくった。

「ちょうど雨季だったから、スコールで小舟が溶けてなくなっていく過程を見せる作品にしたんです。計画通りにいかない出来事や、自分ではコントロールできない自然現象が、新しい展開を生み出すおもしろさを教えてもらいました」






Kiokunoizumi
「記憶の泉」(2000年)




作品につけた名前は「記憶の泉」。


「僕が作品をつくり続ける理由は、妹の存在を忘れたくないからです。網目模様を描く時は、その一つひとつに妹との思い出を織り込むような気持ちになる。僕たちが亡くなった人にできることって、覚えておくことくらいしかないから」

展覧会の最終日には3、4年前から続けている「海に還る・プロジェクト」も予定。これは作品の一部を鑑賞者に持ち帰ってもらい、その塩を好きな海に還してもらう取り組みだ。
「海に還った塩は海水浴の時にうっかり飲んでしまうかもしれないし、作品にまた戻ってくるかもしれない。そうしてまた、海をめぐり、塩がさまざまな生き物の命を支えていく。そう考えると、夢が広がります」

(香月真理子)
Photo:高松英昭




山本 基(やまもと・もとい)

1966年、広島県尾道市生まれ。95年、金沢美術工芸大学絵画専攻卒業。02年、フィリップモリスKKアートアワード2002 PS1賞受賞。10年、ボイジャー/AITスカラシップ・プログラム受賞。現在、石川県金沢市在住。
www.motoi.biz




「現世の杜」(2011年)17×9m/撮影:高松英昭

「常世の杜」(2011年)16.5×16m/撮影:高松英昭

「記憶の泉」(2000年)
直径約4m/インスタレーション展(ベラクルス州立彫刻庭園美術館・メキシコ)

「摩天の杜」(2011年)
H3.6×W3.45×D2.6m/撮影:森澤 誠

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Genpatsu

(2012年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 196号より)




「さようなら原発1000万人アクション」が呼びかけた10万人集会が7月16日、東京代々木公園で行われた。主催者の予想を超えて、17万人の人々が集まり、サッカー場、B地区などで人があふれかえった。また、公園の前の通りが1998年7月以来初の歩行者天国となったが、ここも人であふれていた。

この日、東京はピーカンの晴れ、気温33度を超える炎天下で集会は行われ、その後、3方面にわかれてパレードを行った。ステージは4つ、全国から集まった人々からさまざまな発言、そして音楽がこだました。メインステージでは、鎌田慧さん、内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、瀬戸内寂聴さん、澤地久枝さん、坂本龍一さんらが次々と思いを語った。さらに、原発に反対している地元を中心に多くの人たちがそれぞれの経験を語った。制服向上委員会、リクルマイ、フライングダッチマン、KOTOBUKI、佐藤タイジらのライブにもみんなが酔った。

挨拶に立った鎌田さんは大飯原発再稼働を認めた野田政権を批判しつつ、脱原発を求める署名が780万人分集まっていることを報告、1000万を目標にさらに拡大することを訴えた。また、内橋さんは、現在の政府が求めている原発をめぐるパブリックコメントで原発ゼロを突きつけようと呼びかけた。

政府は、8月12日まで3つの選択肢のどれを選ぶかを国民的に問うている。ゼロシナリオは2030年までのできるだけ早い時期に原発を廃止するシナリオである。15シナリオは原発を15パーセント程度まで減らすが、その後は改めて判断しようという判断先送りシナリオで、原発の復活もあり得るシナリオだ。あと一つが20〜25シナリオで、これは原発を増設するシナリオである。ゼロシナリオ以外はトラブルで運転できないでいる六ヶ所再処理工場の運転を認め、また一度も本格稼働することなく16年以上も止まり続けている「もんじゅ」も復活するシナリオである。

今、はっきりと原発ゼロという方向性を決断することが重要だ。でないと、原発が止まらない上に、省エネルギーや再生可能エネルギーなども十分には進展していかない。

さらに内橋さんは、福島の悲劇を学ぼうとしない人を国会へ送ってはならないと、政治を大きく変えていくための問題提起を行い、高い志を掲げ続けようと締めくくった。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2010年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第141号より)










西アフリカ農家、オーガニック製品へシフト




FAO(国際連合食糧農業機関)が、西アフリカ諸国の農家がオーガニックの製品を輸出するのを応援する240万ドル(約2億4千万円)規模の取り組みを始めた。ブルキナファソ、カメルーン、ガーナ、セネガル、シエラレオネの5000の農家が、オーガニック製品の基準に合う作物を育てようと奮闘している。

FAOによると、オーガニック製品やフェアトレードのマーケットは、向こう3年間で年10パーセントずつ成長するだろうといわれている。

FAOのパスカル・リゥは語る。「今までですとFAOから資金援助を受けていた農家も、今回のプロジェクトで、自尊心を刺激されるようです。というのも、これまでとは比較にならないほどいい価格で、世界に自分たちの製品を届けることができるからです」

FAOのコラ・ダンカーズによると、農家の人たちはこの仕組みのおかげで、輸入業者たちと契約について交渉できるようになったという。また、ガーナとカメルーンのパイナップル農家は世界的な不況にもかかわらず、輸出量を伸ばしているという。


(Sarah Taylor)


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(2009年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第133号より)










ドイツ、市民菜園から食料援助




ドイツ国内には、約600のターフェル(Tafel/ドイツ語で「食卓」の意)と呼ばれるフードバンクが存在する。スーパーや食堂などから、まだ状態のいい食品を譲り受けて生活困窮者に配るNPOだ。

最近、ブランデンブルク州などのターフェルが始めた新しい試みが話題を呼んでいる。それは、使われなくなった市民菜園をターフェルが借り上げ、そこで育てた野菜や果物を困窮者に提供するというもの。

「新鮮な野菜や果物はなかなか手に入らなかったので、受給者にとても喜ばれています」と、ターフェルのスタッフ、グレイさんは語る。これらの市民菜園では、希望すれば受給者自身も働いて、食料生産に積極的にかかわることができるという。

ターフェルの食料を頼りとしている困窮者は国内で5年前には40万人だったが、今日では100万人に増加。ブランデンブルク州内の人口7万2500人の町ブランデンブルク・ハヴェルだけで、3000人が困窮者として登録されている。

(見市知/参照:Berliner Zeitung)


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(2009年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第128号より)











中国、南京の歴史保護区でとまらない都市開発



三国志で有名な呉の孫権が都を置いた南京は、史跡が多く、中でも老城南(ラオチェンナン)という地域は南京の歴史文化発祥地とされ、2500年前の城跡など多数の遺跡が集中し、南京の伝統的風俗習慣もこの地に息づいているという。老城南は歴史保護区に指定されているが、今や高層ビルが建ち並び、歴史的価値の高い建物も商業施設や高級別荘に変わりつつある。

南京市は市民の生活を守るためとして06年に違法建築物と危険家屋の撤去を開始した。しかし実際は、不動産業者と地方政府が結託して古い住宅の住民を立ち退かせ、そこに商業施設等が建設されている。安い補償費で立ち退かせ、高利益を生む施設を作る。立ち退きに応じなければ嫌がらせをして追い出す。

開発に反対する学者たちは既に意見書を数回提出しているが、開発は止まらない。温家宝首相も撤去を一時中止するように二度も指示したが、立ち退きの強要は一向に減らない。古い街並で営まれてきた庶民の生活文化は消えつつある。

(森若裕子/参照:亜洲週刊、南京日報、新京報)


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Genpatsu

(2012年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 194号より)




福島第一原発では大きなトラブルは報告されていないが、小さなトラブルが多発している。そんな中で、夏を直前にして行っている工事がある。冷凍機の設置だ。気温の高い夏場の冷却不足を懸念してのことだ。冷却不足には注水を増やせばよさそうに思うが、それは地下水の汚染につながりかねない。建物から漏れ出ることのないようにギリギリの水位を保っているのだ。注水を増やせないので、水を冷やそうというわけだ。爆発した福島原発の後始末はまだまだ紆余曲折しそうだ。

増える一方の後始末費用を、果たして東電は負担しきれるのか。今回の家庭用電気料金の10パーセントを少し超える値上げ申請に対して、もっと利益を減らすべき、人件費が高すぎるなど、批判が相次いでいる。了解できる値上げか、二つの委員会で激論が続いている。一つは経済産業省の電気料金審議専門委員会で、もう一つは内閣府の消費者委員会である。

先に企業向けの料金を17パーセント値上げすることにも大反対が続いている。東京都病院協会は値上げ分を払わない方針を表明、参加病院のうちの大半の260病院が賛同している。診療報酬が決められており、電気料金の値上げ分を上乗せできないからだ。

企業向け電力は自由化された分野で、値上げは企業の合意が得られればそれでよい。他の電力会社との契約も自由だ。立川市や世田谷区など脱東電が進んでいる。他方、家庭用電力の自由化は検討されている最中だ。電力の自由化が進めば、私たちは自分たちの望む電力会社と契約できるようになり、風力発電会社などが設立されるようになるだろう。今は、値上げには政府の許可が必要だ。

値上げ申請では、東電は福島第一原発と第二原発を資産から除外した。しかし、10基のうち6基分の減価償却費と維持費の合計900億円を経費に加えている。資産から外したのなら減価償却は必要ないはずだ。おかしなことをしている。また、柏崎刈羽原発の運転再開も前提としている。

このような小ざかしいことをするよりも、5兆円といわれる送電部門を売却して、その費用で住民への損害賠償などに充てるべきではないか。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






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遺したいもの。アーティストとしての着地に向けて作品をつくる



映像と音楽を自在に組み合わせてつくる独自の世界。
この秋は初のピアノソロコンサートに挑む。





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