(2010年5月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第142号より)










中国、大都市で働く大卒集団「蟻族」の生活実態



「蟻族」とは大都市の郊外に群居する大卒の若者たちのことで、高学歴でありながら低賃金のために劣悪な環境で暮らしている。昨年9月に『蟻族』という本が出版され、社会から一気に注目されるようになった。同書は研究者が北京郊外で聞き取り調査を行い、その生活実態を明らかにしたものだ。北京だけで10万人、全国で100万人いる。

居住面積10平米以下の部屋を賃貸し、家賃の安い郊外から2時間かけて中心部に通勤する。月収は2000元(26500円)以下、家賃は月300元(4000円)というのが平均的だ。多くは地方出身者で80年代以降に生まれた世代である。

なぜ故郷に帰ろうとしないのか。故郷に帰っても就業機会が少なく、よい職に就くには地方ほどコネが必要だ。蟻族の多くは親も貧しい。そのうえ親兄弟からの期待もあり帰れない。だが、将来家を買って親を呼び寄せるという志は高い。

大都市では不動産価格の高騰が著しい。蟻族への関心が高まるなか、政府の住宅政策が問われている。

(森若裕子/参照:中国青年報、広州日報、中国評論新聞)


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(2010年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 157号より)




淀川は遊び場。曲がったものを組み合わせるおもしろさ



河川敷のゴミや漂流物が魚になって息を吹き返す。
屋外の展示は、出会いもハプニングもすべてがアート







Profiel
(アートユニット、淀川テクニックの柴田英昭さん、松永和也さん)




魚型自転車にシャチホコのキックボード。すべての組み合わせが廃棄物





「これ、タチウオを作るのにいいんとちゃう?」

何層にも巻かれている細長いアルミを見つけ、アートユニット「淀川テクニック」の柴田英昭さんは、相方の松永和也さんにそう声をかけた。

彼らのアート活動の拠点は、大阪市を流れる一級河川・淀川の河川敷。この場所で川や草のにおいに包まれながら作品をつくり、そこで展示もしてしまう。材料となるのは、河川敷に捨てられたゴミや、川岸に流れ着いた漂流物。




「引き潮の時だと普段は足を延ばせない所にまで探しに行けるので、珍しいものが見つかる確率が高いです。でも、潮が満ちてくる前に岸に戻らないといけないのでハラハラしますけどね(笑)」と柴田さん。ハンガーやカセットテープ、タイヤや仏壇まで、本当にいろんなものが見つかるという。

「どれも現役時代は役に立っていたはずなのに、持ち主にいらないと思われたからそこにある。そう考えると、とても切ない気持ちになるんですけど、それがアート作品の材料となることで、息を吹き返していくんです。曲がったり壊れたりしたゴミを組み合わせてつくる作品は、完成するまでどんな形になるかわからない。想定外のものができあがるおもしろさ、それが醍醐味です」と松永さんは話す。





取材日、柴田さんは金色の空き缶を貼り合わせて作った金のシャチホコを持ってきてくれた。キックボードにもなっていて、名古屋の街をこれに乗って駆け抜けたそうだ。松永さんは、真っ黒の魚型自転車にまたがって登場。傘や帽子、破れたカバン、ビデオテープ……と黒いゴミだけを選んで組み合わせて作ったもの。どちらも遠目で見ると「シャチホコ」と「魚」だが、近くで見るとまぎれもなく廃棄物の組み合わせ。配色や配置に工夫をし、それぞれに特徴をうまく表現しているのはさすがだ。




屋外での制作・展示には、独特のエピソードも満載。河川敷に生えている木の枝にボールをいくつもぶら下げた「オン・ザ・宇宙」は、春や夏には葉がボールを覆っていたが、落葉の季節になって初めてボールが姿を現した。しかしその後、木は整備事業によって切り倒されてしまう。

淀テク オン ザ 宇宙

「オン・ザ・宇宙」 © courtesy of the artist and YUKARI ART CONTEMPORARY





また、淀川で釣れる魚といえばチヌ(クロダイ)が有名。そこでゴミで巨大なチヌを作り、それを川の中へ。半分ほどが水中に浸かったそのチヌが釣り人の針に引っ掛かったという設定で写真作品を制作した。撮影後は陸に引き上げ、河川敷で展示していたが、ある日放火に遭って「焼き魚になってしまった」。

草むらの中に展示していた、黒のワイヤーをグルグルと渦状にして作った「ブラックホール」は、数日後に見に行くと中心部に傘が突き刺さっていたという「ブラックホールだけに吸い込んでしまったんでしょう」と、屋外展示ならではのハプニングや展開さえも、楽しんで受け入れている二人。もはや、そこまで含めてのアートなのだ。




「ゴミニケーション」で広がる制作。子どもたちとのワークショップも



淀川河川敷には、スポーツをしている人や散歩をしている人、ホームレスの人など、さまざまな出会いがある。

「僕らがゴソゴソと制作活動をしていると、『何やってんの?』とよく声をかけられます。会話が生まれて、仲良くなって、『これで何かを作ってみたら』とアイディアを提案してくださる方もいるんです。淀川で出会った方との交流を、僕らは『ゴミニケーション』と呼んでいます。コミュニケーションの中で制作につながるヒントをいただくことはとても多いですね」




ワークショップを開けば、子どもたちが制作に夢中になり、十分に用意していたはずのゴミが足りなくなってしまって、みんなで河川敷へとゴミ拾いに行ったこともあるほど。特に強くエコを意識しているわけではないが、結果的に河川敷からゴミが減り、廃棄物のリサイクルにもつながることはうれしい産物だと話す。

「僕らにとって淀川は遊び場」という二人。「他の地域で活動することも増えてきましたが、やはり淀川がホームグラウンド。今日は何が見つかり、誰と出会えてどんな話ができるのか。来るたびに非常にわくわくします。これからも人と交流しながらの公開制作を続け、多くの人と楽しさを共有していきたいと思います」




(松岡理絵)
Photo:福本美樹




淀川テクニック(よどがわてくにっく)
柴田英昭:1976年、岡山県出身。松永和也:1977年、熊本県出身。ともに98年大阪文化服装学院卒業。03年にユニット結成。「アートフェア東京2010」「瀬戸内国際芸術祭2010」ほか、個展、グループ展多数。09年「第12回岡本太郎現代芸術賞」入選、09年度「咲くやこの花賞」受賞。サイクリングやピクニックなど淀川を舞台にした各種イベントも不定期開催中。

http://www.yukariart-contemporary.com/

http://yodogawa-technique.cocolog-nifty.com/





「宇野のチヌ」© courtesy of the artist and YUKARI ART
「オン・ザ・宇宙」 © courtesy of the artist and YUKARI ART CONTEMPORARY



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(2012年2月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第185号より「ともに生きよう!東日本 レポート21」)






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(脱原発世界会議YOKOHAMAから)


オーストラリア、年間95基を動かすウラン輸出。先住民の〝神聖な泉〟を汚染



1月14日、15日の両日にわたり
パシフィコ横浜で開催された脱原発世界会議。
海外約30ヵ国からの100人を含め、延べ約1万1500人が参加。
ネット中継を視聴した数は全世界で約10万人にのぼった。






69を数えたブース。脱原発活動が「少数派」を返上した2日間




フェリシティ ヒル01

(フェリシティ・ヒルさん)




「私たちの活動は小さく、孤立していると感じていました。でも、同じ活動をしている人がこれだけ多く集まったのを見て、涙が出そうになりました」

「オーストラリア緑の党」のフェリシティ・ヒルさんは、脱原発世界会議での分科会で感慨深げに語った。海外で、日本の各地で脱原発活動を続けている多くの人たちもまた、彼女と同じ気持ちを抱いたのではないだろうか。




会議のスケジュールは、実行委員会によるメインセッション、数々のもちこみ企画、福島の人たちの声を聞く「ふくしまの部屋」、子ども向けプログラム、ライブパフォーマンス、映画、写真展など盛りだくさん。日本各地のさまざまな団体によるブースは69を数えた。

会場はどこも人にあふれ、お祭りのにぎわい。脱原発活動が「少数派」を返上した2日間だったといえる。




とはいえ、感動してばかりはいられない。世界を震撼させた福島第一原発事故後も、「原子力」はさまざまなかたちで、私たちの生活を絶えず脅かしているからだ。この世界会議では、国内外の専門家、NGO、自治体代表、そして市民らが、福島原発事故の真実、原発輸出や核兵器問題、被曝や被曝労働者の現状など、原子力に関して多角的な議論を展開した。




核問題の根源、燃料となるウランの採掘もその一つだ。

「福島第一原発事故にオーストラリアのウランが関連していたことを、とても恥ずかしく思っています」。冒頭に触れた分科会「オーストラリアのウランが日本の原発の燃料に」では、「西オーストラリア非核連合」の代表者たちの口から、日本への謝罪の言葉が相次いだ。

オーストラリアは、日本をはじめ14ヵ国にウランを輸出している。1年間に原子炉95基を動かせる量だ。オーストラリアは核兵器保有に反対の立場ではあるが、輸出国のうち、アメリカ、フランス、イギリス、中国、ロシアは核兵器を保有している。

こうした態度に加え、国民が憤りをつのらせているのは、国内での原発は認めないにもかかわらず、今後もウランを輸出するという政府の方針だ。「ウラン採掘は、オーストラリアにも、世界にも、何の利益にもなっていません。毒性の食物を輸出し、相手国の人々を病気にさせたら、その食物は二度と売られることはないでしょう。ウランも同じように考えるべきです」と、「オーストラリア北部準州環境センター」のキャット・ビートンさんは語気を強めた。





オーストラリアでは現在、4つの鉱山でウランが採掘されている。北部のレンジャー鉱山は、世界遺産のカカドゥ国立公園内に位置するが、1日10万リットルもの汚染水を川に放出している事実が明るみに出た。ここから20キロ離れた町を流れる川では、子どもたちが泳ぎ、住民が魚釣りをする。しかも、この川の水は飲料水にも用いられているという。

また、ウラン産業が先住民族に与える被害も深刻だ。ウラン採掘では、泥などを洗い流すために大量の水を使うが、南部の鉱山は非常に乾燥した地帯にある。ピーター・ワッツさんは、「私たち先住民にとって〝神聖な泉〟の水がすべて奪われました。今では水を外から運んで生活しています。祖父は80年代初めから水問題で闘っています」とアボリジニの視点からウラン鉱山の惨状を訴えた。






ピーター ワッツ02

(ピーター・ワッツさん)





「鉱山周辺の道にはウランが転がっていて、間違って拾う人がいます。その一帯の動物や農産物を食べると、具合が悪くなるのです。だからといって、自分たちの土地を捨て、他の場所に移り住むことはできません」

先住民の文化尊重や環境保護、情報開示といった法律は存在していても、ウラン産業では特別措置が適用されるというオーストラリア。原子力においては世界中のあちこちで、こうした姑息な手段が行使されている。

原子力はこの世に現れた当初から、世界の多くの人を苦しめ続けてきた。脱原発実現のためには、国際的な連帯がどうしても必要だ。この出会いをスタートに、大きな一歩を踏み出す意義を、参加者たちははっきり確信したに違いない。 

(木村嘉代子)



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Genpatsu

(2012年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 195号より)




6月17日、野田佳彦総理大臣は大飯原発3、4号機の運転再開を宣言した。これに先立ち、7000を超える人々が首相官邸前に集まり再稼働の判断をしないように切に求めた声は、官邸の奥深くには届かなかったようだ。また、122人の民主党議員が時期尚早と訴えたが、聞き入れられなかった。ついに平智之議員(京都1区)は離党届を提出。海外からも、再稼働しないことを求める多くの科学者や国会議員の署名が送られた。

野田総理は国民生活を守るというが、過半数は運転再開を望んでいない。政府の責任で判断をしたというが、事故が起これば、後始末は私たち国民の負担となる。そして、政府が定めた暫定基準は安全性を保証していない。何とも無責任なことだ。

運転再開の必要性について、関西電力は当初、電力不足の恐れを理由にあげていた。不足すると言いながらも、関電はオール電化システムの拡販をやめなかったので、世間の批判を浴びた。そして、西日本の他の電力会社から融通してもらえば不足しないことがわかった。

そこで関電は、安全が確認されたら運転再開したいと言い始めた。止めている理由はないはずだというわけだ。電力が足りないのなら足りない間だけ運転をすればよいという関西広域連合の主張を牽制したのだった。関電は安全は確認されたというが、野田総理は安全とは一言も言っていない。

関電のホントの理由は経営問題なのだ。原発の依存度が高い関電だから、代替の火力発電の燃料代が重くのしかかってくるが、値上げには反対が強い。値上げしないと赤字がさらにかさむ。また、脱東電が進みつつあるように、脱関電を招きかねない。地元のおおい町でも再開を求める声が強くなっている。このまま原発が止まり続けると仕事にはならず地元経済が悪化する。反面、道路は1本しかなく事故時に避難できないと、不安の声も高まっている。原発に依存した地域の苦悩が続く。

大飯原発に続く再稼働は、当分ないだろう。班目原子力安全委員長が新しく設置される原子力安全規制委員会で判断するべきと言っているからだ。原子力安全規制委員会の発足は9月になる。福島原発事故を受けた新たな安全基準を定めるにはもっと時間がかかる。このまま暫定基準で許可すれば、各地でいっそう強い反対運動が起きるだろう。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2009年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第133号より)









モザンビーク、2014年までの地雷撤去目標



アフリカ南部に位置するモザンビーク共和国は、世界で最も地雷汚染の深刻な国の一つだ。モザンビーク政府は、同国の対人地雷と不発地雷を09年3月までに一斉撤去するとしていたが、その目標を5年先に延ばした。世界的な支援金の不足と、同国の貧困対策にまず力を入れなければならないためだ。同国は99年に地雷禁止条約に調印している。

モザンビークでは、ポルトガル領時代から20世紀後半の内戦時代にかけて、地雷が埋設された。どこにどれほどの量が埋まっているかを示す資料はなく、知っている者もいない状態だが、07年、英国系の地雷除去NGO「ハロ・トラスト」が「12万km2にわたって地雷が埋設されているだろう」と結論づけた。

同国で活動を続ける団体は、僻地では依然地雷は脅威だが、2014年までには完全撤去できるだろうと予測する。NGO「ハンディキャップ・インターナショナル」を率いるアデリト・イズマエルは語る。「2014年という目標に向けて、地雷を撤去していきます。この国で地雷は、“ネバー・エンディング・ストーリー”とはならないでしょう」

(Sarah Taylor)



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(2011年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 175号より)







7トンの塩で描く、生命の森




緻密な迷路や網の目の模様を塩で描く。気が遠くなるような作品づくりの裏には、生と死を見つめる強く優しいまなざしがあった。





Profiel加工

(インスタレーション作家 山本基さん)





一番の理解者だった妹の他界。「死」の周辺をテーマにしてきた







それは張りめぐらされた枝のようでもあり、密に編まれたレースのようでもある。鑑賞者は口々に「これも塩なんだって」「へえ、塩なんだ」と感心しながら、作品の前を通り過ぎていく。はるか向こうには、油差し用のボトルから精製塩を少しずつ出しては、細かい模様を描いていく男性の姿があった。この日、神奈川県・箱根彫刻の森美術館にて「しろきもりへ——現世の杜・常世の杜——」を公開制作中の山本基さんだ。




Seisaku




山本さんは今回、箱根の自然豊かな森から着想を得て3つの作品を制作。本館ギャラリー1階には結晶塩と岩塩からできた枯山水風の庭をつくり、中2階には塩のブロックを天井まで積み上げた巨大な塔を建てた。2階の会場には16×16・5メートルにも及ぶ塩の網を描き、使用した塩の総計は約7トン。最後の追い込み作業は連日15時間を超えた。





Tenmanomori
「摩天の杜」(2011年)




「制作風景を公開しないほうが、もちろん集中できるんです。でも、公開制作をしていると会場に来た人たちと話ができるし、子どもたちに『何かを積み上げていくことの大切さ』を感じてもらえると思ったんです」




もともと、やすりで金属を削ったり、鋸をひいたりした時に〝手に伝わる感覚〟が好きだったという山本さん。工業高校の機械科を卒業した後、「大学に行くつもりで4年間だけ働こう」と、造船所に就職。ところが1985年のプラザ合意に伴う急激な円高で日本の輸出業は大打撃を受け、造船所は希望退職者を募り、山本さんはこれに応じた。

その後、登山道具を持ってバイクで日本中を旅した山本さんは、いろいろな人と出会う。

「中には、どろどろの硫黄か何かを探している鉱物マニアの人もいました。こんな生き方もあるんだったら、僕もやりたいことをやろうと決意したんです」




そこで、ものづくりに携わろうと金沢美術工芸大学に進み、油絵を学んだ。その矢先、実の妹が脳腫瘍になり、24歳で他界した。「元気な人で、すごく仲がよくて、僕の一番の理解者でした」

その現実を受け入れようと、終末医療や脳死など「人が死ぬこと」の周辺にある、さまざまな事柄をテーマに作品をつくるようになり、葬儀に使われた「塩」の存在をふと思い出した。

「塩は、海からとれる身近な食べ物であると同時に、食べ物ではない役割を社会の中で担っています。その白さは美しい透明感をもっていて、油絵具のように乾くのを待つ必要もない。『その瞬間にある思いをすぐ表現したい』と考える自分の手に、しっくりくる材料だったんです」





雨に溶ける塩の小舟。一つひとつの網目に思い出を織り込む



96年から塩を使った作品づくりを行うようになり、今は展覧会の3分の2を海外で開く山本さん。身近な塩がアートになる驚きは、万国共通のリアクションだという。

海外で初の展覧会だった00年のメキシコでは、現地で塩をブロック状に焼き固めようと思っていたら、「そんな予算はない」と言われた。その代わり、現地の人が一緒になってレンガで窯をつくってくれた。ところが実際に塩を焼いてみると、外側は硬くなるが、内側は軟らかいままで、思い通りの形にならない。そこで急きょ、ブロックの内側をくり抜いて400ほどの小舟をつくった。

「ちょうど雨季だったから、スコールで小舟が溶けてなくなっていく過程を見せる作品にしたんです。計画通りにいかない出来事や、自分ではコントロールできない自然現象が、新しい展開を生み出すおもしろさを教えてもらいました」






Kiokunoizumi
「記憶の泉」(2000年)




作品につけた名前は「記憶の泉」。


「僕が作品をつくり続ける理由は、妹の存在を忘れたくないからです。網目模様を描く時は、その一つひとつに妹との思い出を織り込むような気持ちになる。僕たちが亡くなった人にできることって、覚えておくことくらいしかないから」

展覧会の最終日には3、4年前から続けている「海に還る・プロジェクト」も予定。これは作品の一部を鑑賞者に持ち帰ってもらい、その塩を好きな海に還してもらう取り組みだ。
「海に還った塩は海水浴の時にうっかり飲んでしまうかもしれないし、作品にまた戻ってくるかもしれない。そうしてまた、海をめぐり、塩がさまざまな生き物の命を支えていく。そう考えると、夢が広がります」

(香月真理子)
Photo:高松英昭




山本 基(やまもと・もとい)

1966年、広島県尾道市生まれ。95年、金沢美術工芸大学絵画専攻卒業。02年、フィリップモリスKKアートアワード2002 PS1賞受賞。10年、ボイジャー/AITスカラシップ・プログラム受賞。現在、石川県金沢市在住。
www.motoi.biz




「現世の杜」(2011年)17×9m/撮影:高松英昭

「常世の杜」(2011年)16.5×16m/撮影:高松英昭

「記憶の泉」(2000年)
直径約4m/インスタレーション展(ベラクルス州立彫刻庭園美術館・メキシコ)

「摩天の杜」(2011年)
H3.6×W3.45×D2.6m/撮影:森澤 誠

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Genpatsu

(2012年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 196号より)




「さようなら原発1000万人アクション」が呼びかけた10万人集会が7月16日、東京代々木公園で行われた。主催者の予想を超えて、17万人の人々が集まり、サッカー場、B地区などで人があふれかえった。また、公園の前の通りが1998年7月以来初の歩行者天国となったが、ここも人であふれていた。

この日、東京はピーカンの晴れ、気温33度を超える炎天下で集会は行われ、その後、3方面にわかれてパレードを行った。ステージは4つ、全国から集まった人々からさまざまな発言、そして音楽がこだました。メインステージでは、鎌田慧さん、内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、瀬戸内寂聴さん、澤地久枝さん、坂本龍一さんらが次々と思いを語った。さらに、原発に反対している地元を中心に多くの人たちがそれぞれの経験を語った。制服向上委員会、リクルマイ、フライングダッチマン、KOTOBUKI、佐藤タイジらのライブにもみんなが酔った。

挨拶に立った鎌田さんは大飯原発再稼働を認めた野田政権を批判しつつ、脱原発を求める署名が780万人分集まっていることを報告、1000万を目標にさらに拡大することを訴えた。また、内橋さんは、現在の政府が求めている原発をめぐるパブリックコメントで原発ゼロを突きつけようと呼びかけた。

政府は、8月12日まで3つの選択肢のどれを選ぶかを国民的に問うている。ゼロシナリオは2030年までのできるだけ早い時期に原発を廃止するシナリオである。15シナリオは原発を15パーセント程度まで減らすが、その後は改めて判断しようという判断先送りシナリオで、原発の復活もあり得るシナリオだ。あと一つが20〜25シナリオで、これは原発を増設するシナリオである。ゼロシナリオ以外はトラブルで運転できないでいる六ヶ所再処理工場の運転を認め、また一度も本格稼働することなく16年以上も止まり続けている「もんじゅ」も復活するシナリオである。

今、はっきりと原発ゼロという方向性を決断することが重要だ。でないと、原発が止まらない上に、省エネルギーや再生可能エネルギーなども十分には進展していかない。

さらに内橋さんは、福島の悲劇を学ぼうとしない人を国会へ送ってはならないと、政治を大きく変えていくための問題提起を行い、高い志を掲げ続けようと締めくくった。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)









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(2010年4月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第141号より)










西アフリカ農家、オーガニック製品へシフト




FAO(国際連合食糧農業機関)が、西アフリカ諸国の農家がオーガニックの製品を輸出するのを応援する240万ドル(約2億4千万円)規模の取り組みを始めた。ブルキナファソ、カメルーン、ガーナ、セネガル、シエラレオネの5000の農家が、オーガニック製品の基準に合う作物を育てようと奮闘している。

FAOによると、オーガニック製品やフェアトレードのマーケットは、向こう3年間で年10パーセントずつ成長するだろうといわれている。

FAOのパスカル・リゥは語る。「今までですとFAOから資金援助を受けていた農家も、今回のプロジェクトで、自尊心を刺激されるようです。というのも、これまでとは比較にならないほどいい価格で、世界に自分たちの製品を届けることができるからです」

FAOのコラ・ダンカーズによると、農家の人たちはこの仕組みのおかげで、輸入業者たちと契約について交渉できるようになったという。また、ガーナとカメルーンのパイナップル農家は世界的な不況にもかかわらず、輸出量を伸ばしているという。


(Sarah Taylor)


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(2009年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第133号より)










ドイツ、市民菜園から食料援助




ドイツ国内には、約600のターフェル(Tafel/ドイツ語で「食卓」の意)と呼ばれるフードバンクが存在する。スーパーや食堂などから、まだ状態のいい食品を譲り受けて生活困窮者に配るNPOだ。

最近、ブランデンブルク州などのターフェルが始めた新しい試みが話題を呼んでいる。それは、使われなくなった市民菜園をターフェルが借り上げ、そこで育てた野菜や果物を困窮者に提供するというもの。

「新鮮な野菜や果物はなかなか手に入らなかったので、受給者にとても喜ばれています」と、ターフェルのスタッフ、グレイさんは語る。これらの市民菜園では、希望すれば受給者自身も働いて、食料生産に積極的にかかわることができるという。

ターフェルの食料を頼りとしている困窮者は国内で5年前には40万人だったが、今日では100万人に増加。ブランデンブルク州内の人口7万2500人の町ブランデンブルク・ハヴェルだけで、3000人が困窮者として登録されている。

(見市知/参照:Berliner Zeitung)


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