Genpatsu

(2012年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第182号より)




日本には菩薩さまの名前のついた原子炉が2つある。「ふげん」と「もんじゅ」だ。どちらも日本が独自に設計・開発を進めた原子炉で50年たった今も実用化にはほど遠い。それどころか、「ふげん」は実用化を断念し廃炉となっている。宗教者たちはこの名づけに反対の声明を出したことがある。

「もんじゅ」は開発途上の原子炉で、高速増殖炉のひな型となる原型炉だ。95年12月、試験運転中に大きな火災事故を起こして以来14年半停止していた。10年5月に試験運転を再開したが、同年8月に再びトラブルを起こして、再開のめどは立っていない。91年の工事完成から本格運転できないまま20年が経過した。

「もんじゅ」には、核分裂がコントロールできないまま瞬く間にネズミ算式に増え、原子炉が爆発する事故の恐れがある。爆発によって関西圏は壊滅的な被害を受ける。水源の琵琶湖の汚染も事態をいっそう深刻にする。住民たちは「もんじゅ」の危険性を訴えてきたが、福島原発事故の後ではいっそう現実味を帯びてきた。

事故の翌年から毎年12月上旬に福井県敦賀市で集会を行い、この地に設置されている「もんじゅ」の廃炉を求めてきた。昨年は12月3日に約1500人が集まった。「もんじゅ」を所有運転する日本原子力研究開発機構の鈴木篤之機構長はインタビューに答えて「実用化に国民のみなさんのご理解を得ることは難しい」ので、研究用に格下げして運転を再開したい意向を示した。しかし、事業仕分けで3度も見直しが求められたこの原子炉の運転再開は難しいだろう。現在、「もんじゅ」を含めた原子力政策の見直しが行われている。

この流れを脱原発へと転換するために、今年1月14〜15日にパシフィコ横浜で「脱原発世界会議」(※)が開かれる。欧米諸国に加えてアジアの国々から人々が集う。福島原発事故をさまざまな視点から分析するのみならず、原発に代わるエネルギーのあり方など2日間みっちり議論する。ロビーでの企画も盛りだくさんだ。

現在46基が止まり、運転中は8基のみとなっているが、木々が芽吹く頃には日本の原発は全基が停止するはずだ。定期検査に入っていくからだ。原発のない新しい時代の幕あけとしたいものだ。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)




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(2006年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第60号 [特集 ナチュラルに美しく 生き方大転換]より)




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〈プロローグ〉人間は樹木に救われる



宇宙から見た地球は青い惑星。地球の縁が少しぼやけて“もや”のように見えます。この“もや”のようなものが地球の大気、つまり空気です。この大気に守られて生物も人間も生きています。そして、この大気は27億年前、植物が光合成によって酸素をつくりだし、酸素のない大気から酸素に満ちた大気へと大転換したものなのです。

0.7℃ —20世紀後半に人間の生産活動が原因で上がってしまった地球の平均気温です。今後これが2℃をこえると一部の生物や地域、食糧生産に致命的な結果をもたらすといわれます。今の産業構造を変えない限り、地球温暖化を阻止しようとつくられた国際協定・京都議定書を守っても、2050年には2℃をこえ、2075年には3℃上昇するといわれています。20世紀後半、人間が地中にあった石油や石炭などの化石資源を掘り起こして、大気中にCO2(二酸化炭素)としてばら撒いてしまったことが原因です。

20世紀前半まで、人間は「地球は無限」だと信じて生きてきました。今、人間は初めて「地球は有限で、劣化する」ことに気がついたのです。

地球温暖化を止めるために、私たちは何ができるのでしょうか?

それは、大気中にCO2を拡散させてしまう石油資源を使わないで、反対に大気中のCO2を体内に閉じこめ固定できる樹木、植物資源を使う方向へと、大きく舵をきることです。

しかし、そんなことができるのでしょうか?

舩岡正光さん(三重大学)は、植物の生き方に学ぶことから、樹木を構成する分子「糖」と「リグニン」のうち、これまで使用されず廃棄されてきた「リグニン」を活用する方法を発見しました。この「リグニン」と糖をともに利用する”森林資源社会“をつくれば、石油から植物資源への大転換が可能になります。それが、私たちの生き方をナチュラルに美しく変えていくでしょう。


リグニン
(リグノフェノール:植物資源からとれ、何度でも別の製品に生まれ変わる粉)

ようこそ、来るべき植物資源社会へ。では、植物の偉大さを知り人間の存在に希望が持てる近未来の物語へ、舩岡さんにご案内いただきましょう。




第一幕へ





イラスト:トム・ワトソン photos:中西真誠


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Main

独特の演出法。
激しく動き、踊り、
息も絶えだえに発する言葉





『幸福オンザ道路』 毎回、同じステージはない




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ダンサー・演出家 矢内原美邦(やないはらみくに)さん





役者たちが全力で駆け足をし、大声で早口にセリフを叫ぶ。腿を上げ、腕を振り、汗をまき散らし、客席に疾風を送りながら物語は進む。ハイテンションな動きとともに高速で叩き出されるセリフは、一つひとつに重みがあり、観客は必死で言葉を聞き取りながらも、常に舞台上の動きに圧倒されている。

パフォーミング・アーツ・カンパニー「ニブロール」の主宰であり、ダンサー、振付家、演出家、作家と、多彩な表現活動を国内外で追求している矢内原美邦さん。演劇とダンスの両分野で高い評価を受けている矢内原さんが作・演出を手がける演劇プロジェクト「ミクニヤナイハラプロジェクト」の最新作『幸福オンザ道路』がこの7月、来年予定されている本公演に先駆け、横浜STスポットでの準備公演を打った。

それは、ある夫婦の部屋に訪れた、アサギユウジという男をめぐり、彼の過去と彼を取り巻く謎を解き明かしていくミステリー。矢内原さんが手がける芝居は、役者が激しく動き、踊り、息も絶えだえに言葉を発する。今まで観たことのない、独特の演出法だ。

「演劇だと、『息が切れちゃだめ』って言うんですけど、負荷をすごくかけた状態で言葉を発する、ということをやってみようと。特に今回のテーマは、『死』や『生きる』ということを扱っていて、人が生きたり死んだりする瞬間っていうのは、緊迫していたり、息切れたりしている状態のような気がしたんですね。生きているということ自体がパワフルなことなので、それを表現しようと思うと、より激しくパワフルになっていきましたね」




「生きること」と「死ぬこと」を、根本的に考えてみたいと思った




Sub


高校生の時にダンスを始めた矢内原さんは、97年に「ニブロール」を結成。日常の身振りをモチーフに現代の空虚さや危うさをドライに表現する独特の振り付けが評判となり、国内だけでなく、海外フェスティバルにも招聘されている。「ミクニヤナイハラプロジェクト」は、吉祥寺シアターこけら落とし公演の制作をきっかけに、05年に結成した。




「演劇をつくることは難しいなっていつも思っていて。観に来てくれるお客さんも、言葉としての発見を探している気がするんですね。だから、ありふれた言葉をチョイスしたくない。ダンスは自分を出してイメージをつくり上げていくおもしろさがあるんですけど、演劇の場合は、役の中に自分を出さなきゃいけないという制約もある。言葉でどう伝えるかっていうのは本当に難しいです」

稽古期間が終わって本番に突入しても、ステージを観て徹底的にダメ出しをし、セリフを変えていく。今回、矢内原作品に初参加する役者からも、「毎回、同じというステージはない」という声があがる。

「この準備公演から本公演につなげる過程で、一回一回を実験的にやってみようということで、どんどん変わっていっています。『幸福オンザ道路』に出てくるアサギユウジという人物は、サイボーグのように内臓を移植されて生き返った人間。本公演では、誰が生きていて誰が死んでいる人間かということが、もっと混沌としてくると思います」

「戯曲は続いている」と話す矢内原さん。「舞台は生き物」とよく言われているが、こんなに自由自在に変化する、そしてそのプロセスを観客が体感することができる舞台は珍しいのではないだろうか。

会場で渡されたチラシには、「この作品は完成に向けてどのような道を役者たちと共に通るのか? 私たち自身も問いかけ、お客さんとも一緒に考えていきたい」と記されている。

「重いテーマではあるんですけど、自分が今、『生きること』と『死ぬこと』を根本的に考えてみたいって思ったんでしょうね。死んですべてが終わりではない。死ぬということが、生きるということにつながっている。人を殺すこと、死ぬことを考え問いかけることによって、生きるっていうことをもっと深く考えられるんじゃないかと思っています」

舞台を観て最初に感じた、客席を巻き込むパワーの源。それは、舞台上の演者の激しい動きはもちろん、物語自身も、全力で駆け足をして息を切らし、リアルタイムで変化をとげているからではないだろうか。

(中島さなえ)

本人Photo:横関一浩 Photos:佐藤暢隆






(2010年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第148号より)


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聞き役ばかりで、二倍疲れています



Q: 周りの友人は話をする時にいつも自分の話ばかりします。
「聞いて私さぁ」から始まり、私が何か言っても「いやいや私なんてさぁ」と結局自分の話ばかりです。
退屈だなと思っても勝てる話術もない私はいつも聞き役に徹していますが、二倍疲れている気がします。
どうして自分の話ばかりするのでしょうか。
話を聞く側のことを考えたことがないのでしょうか。販売員さんはどう思いますか。
(24歳/女性)



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Genpatsu

(2011年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第181号より)




文部科学省は、航空機を使って観測した放射能の広域モニタリング結果を公開してきた。自然界の放射線量率を除いた福島原発事故の影響が、空間線量率、セシウム134、セシウム137、セシウム134と137合計放射線量の4パターンで発表されている。当初は福島県内80キロメートルの範囲だったが、徐々に範囲を広げ、11月25日には、北は青森県から西は愛知、石川、福井の各県も公表された。さらなる広域の観測計画は発表されていない。

こうした放射能の拡散は、一度の放出で作られたものではないが、幾度かの放出のたびに地形に沿って風下へ流れ、雨や雪によって地面に沈着した。非常に高い放射能汚染地域が福島原発から北西にのび、転じて南西の方角に高い汚染地域が広がっている。福島では中通りと呼ばれる地域だ。

そしてそれは、那須から群馬県へ、さらに八ヶ岳連峰へとのびている。 また、北は平泉町(岩手県)あたり、南は松戸市や柏市(千葉県)あたりに汚染の高いホットエリアがあることがわかる。そこで止まったかと思われたが、さらに遠方へ、南北のアルプスのあたりに点々とホットスポットを作り出した。そして一部はこれらの山脈も越えたのだった。

これらのデータは、150~300メートルの上空を3キロメートル幅で一筆書きするように示される。地上からの放射線を観測するのでやや粗いものだが、4パターンでの表示は、広域汚染状況を視覚的にとらえられる貴重なものだ。

このほかにも、群馬大学の早川由紀夫教授(火山地質学)は、実際に地上で観測された空間線量率をもとに放射能の広がりをマップにした。火山灰の広がりを研究した手法を活用したものだ。ネーチャー誌が掲載した汚染マップはアメリカの科学アカデミーの手によるものだが、日本全国に広がった放射能マップになっている。手法の詳細説明はないが、きわめて低いセシウムの量までとらえている。さまざまな汚染地図はところどころ異なる点もあるが、大きな傾向は変わらない。

放射能の濃い薄いは大きな問題だが、全国的に広がった汚染状況を見ると私たちは福島原発の出した放射能と無関係には生きていけないことがよくわかる。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)








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訛りが恥ずかしくて人前で積極的に話せません



Q: 高知県から神戸に出て来て2年なのですが、
話す時に訛りがひどいのと声が高くて恥ずかしいです。
落ち着いている時はいいんですが、興奮して話す時は声や訛りがひどくてひかれていないか心配です。
いろいろ考えているうちにあまり人前でも積極的に話せなくなってしまいました。
販売員さんはあまり知らない人でもスラスラ話せますか? 
どうすれば訛りなどを気にせずに人と会話できるでしょうか。 (女性/20歳)



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Genpatsu

(2011年12月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第180号より)




福島第一原発の敷地内が11月12日に初めて報道陣に公開された。マスコミ各社は多数の写真を載せて報じた。爆発した建屋のうちカバーで覆われていない3号機と4号機は無残な姿をさらしていた。東電が公開している、ふくいちライブカメラでは見えないアングルのショットに、改めて爆発のすさまじさが伝わってくる。

原子炉の上部に設置されている使用済み核燃料プールが健全だったといわれているが、建屋下部の壁も吹き飛び、中がめちゃくちゃに壊れている様子からは、にわかに信じられない。東電はこれらの廃炉を決めたが、どう修理しても二度と使えるとはとても思えない。

事故処理に毎日3000人が従事しているという。だが、写真からは8ヵ月たってもなかなか作業が進んでいないことがうかがえる。廃炉に30年以上かかることも納得できる。高い放射線の影響で作業がはかどらないのだ。

記者たちはバスから降りることなくシャッターを切りまくった。完全防護服は放射能を吸い込まないようにするのには役立つが、飛んでくる放射線を防ぐことはできない。わずか3時間程度の滞在で、記者たちの被曝線量は75マイクロシーベルトに達したと報じられている。記者の被曝も高いが、作業員はどれほどだろうか。1日の作業時間は4時間ほどと聞くが、作業時間外の被曝はカウントされていないので、記録された線量よりも高いことは確実だ。将来の影響が心配される。

爆発で広範囲に広がった放射能は調査が進むにつれ、予想をはるかに超えて広がっていることが見えてきた。文部科学省が公開している地図は北アルプス山麓に点々と広がる汚染の高いエリアを映し出している。国際原子力機関は無駄だといったが、政府は改めて年間の被曝線量が1ミリシーベルトを超えるエリアを除染すると発表した。この姿勢を歓迎したい。

事故処理の陣頭指揮をとっている吉田昌郎所長はインタビューに答えて、もうダメかと観念したことが3度あったという。この時私たちの命も危機にさらされていたことになる。しかし、命の危機は回避できたことに素直に安堵できない。放射能汚染からは逃れられないからだ。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)






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P22 01



Q: 大学のサークル運営で悩んでいます 大学でテニス・サークルの幹部をやっています。
メンバー約200人の大所帯。今、みんなの不満が爆発する寸前なんです。
部活あがりの子は部活みたいに練習したいし、サークルだからもっと気軽に楽しもうという人もいる。
このままでは次の代に引き渡せない状況です!! (女性/大学3回生/21歳)



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P22 02



Q: 学校や家でも、そろそろ就職活動に本腰入れないといけない雰囲気。
実は大学卒業後、1年間アジア各地を旅行したいんです。
これまでも、アジアの貧困地域でボランティアをしたことがあるんですけど、今度はじっくり見てまわりたい。
社会人になったら、ずっと何十年も働きっぱなしになるから、今を逃したらそんな機会がない気がしています。
ただ、親が反対するのは目に見えているので、言い出せずにいるのですが……。
大学3回生/女性(21歳)



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