Genpatsu

(2011年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 171号より)




巷に雨の降るごとく、わが心にも涙ふる……。能天気な自分も年に一度くらいは、長雨に映る紫陽花をぼんやり見ながらアンニュイな気分になれる季節なのだが、今年ばかりはその気になれない。

爆発事故を起こした福島第一原発の1号機の循環冷却システムにアメリカ、フランスの技術を導入して鳴り物入りで設置した放射能除去装置が、わずか5時間で機能停止になった。

通常の原発では水の管理は厳密で、放射能で汚染されたといえどもそれは把握できている。しかし、処理しようとする水は放射能が混じった海水だ。不純物だらけのものを吸着材に通せば、セシウムより先に吸着されてしまうと危惧していたことが的中してしまった。

こうなると、設計し直しになるのだろうか? 1トン当たりの処理費用は21万円、1号機だけでも531億円になると予想されていた。これがのっけからつまずいてしまった。お粗末というしかない。

ここに梅雨の長雨が来たら、天然冷却などと喜んでばかりいられない。汚染水は薄まるかもしれないが量が増えてしまう。溢れでもしたら海の汚染がいっそう広まる。堤防を築くというが、時間がかかりそうだ。西で豪雨が報じられるたびに、ついつい余計な思いをめぐらせて、憂鬱より不安になってくる。

梅雨の次は台風の季節。地球温暖化によって気候の変動が激しくなり、台風も大型化が懸念されている。05年のハリケーンカトリーナはどんどん大きくなって甚大な被害をもたらした。台風も大きくなると地震に劣らず怖い。4号機の使用済み燃料プールには、使用中の燃料が定期検査のために一時的に全部移されていた。そこで起きた爆発。この衝撃でプールの健全性が危ぶまれている。雨でプールがいっぱいになってしまったら、壊れるかもしれない。そんなことにでもなれば、風と共に流れる放射能がまたまた心配になる。

現代科学の粋を集めた原発といわれるが、今や、台風よ、それてくれと神頼み。今年の梅雨時は、神の火(原子力)を制御できると思っている人間の業を考え直す時としたい。





伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)



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世界各国の怒り、男女の怒り——怒りの地域・性別比較



カット

怒りを言葉にする前に、人は身振りや態度でそれを表す。
その国で使われる怒りのジェスチャーを知らないと大変なことに…。





国によって違う怒りのジェスチャーと表現



日本では、人差し指を立てた両手をこめかみの横につけて、角のような形を作るのは、怒っていることを表すジェスチャーだが、アメリカでは「悪魔」、フランスでは「寝とられ男」の意があるという。

同様に、誰々が怒っているというニュアンスを表す、目をつり上げる仕草も、欧米では、侮蔑の意味を含んだり含まなかったりする「東洋人」を意味するジェスチャー。

逆に、シリアで、「私」というつもりで、人差し指で自分の鼻を指すと、「怒りが鼻に達している」、つまり我慢の限界、怒りで爆発寸前ということになってしまう。知らずに使うと、会話がちぐはぐになる、いや、けんかを売っていることになってしまいそうだ。

ちなみに、イタリアでは、親指と人差し指で輪を作り、上下に強く動かすジェスチャーは、「激怒」。手を下から上へと、ものを宙に放り投げるように振り上げるのは「地獄へ行け」「消えうせろ」の意味になる。しぐさが大きければそれだけ怒りも大きいということに。

ロシアの「頭にきた」は、頭の上に手の平をかざして、額から後頭部へと向かって通過させること。同じしぐさで「理解をこえている」を示す国もあるが、ロシアではより怒りの度合が高い。

怒りの表現が日本人と比べて強くてストレートな韓国では、怒りや悔しさの感情を拳で胸をたたいて表現する。

民族が多種多様なインドネシアでは、同じ国内でも人種や宗教ごとに典型的な性格があるという。ただし、ある程度共通しているのは、大声で人をののしったり、しかったりするのはタブーだということ。会話の際に腰に手をあてるのも怒りのしぐさとされているので注意が必要だ。

万国共通、とまではいかないが、国際的に認知されている怒りの表現といえば、中指を立てて相手に手の甲を見せる、あのジェスチャーだ。強烈な怒りや不快感だけでなく、性的侮辱を表す国も多い。左手を右腕の内側の関節に勢いよくぶつけて、右腕を折り曲げ、力こぶを出すようなジェスチャーは、中指を立てるのと同様のさらに強い意味がある。つい「大丈夫」というような意味でやってしまうと、大変なことになりそうだ。




映画にみる女性の怒り



男性は自分を侮辱した相手を攻撃した後、血圧が下がるが、女性はそうはならない、という攻撃性と暴力についての研究結果がある。女性が攻撃性をあらわにすることは、自己コントロールの失敗で恥だと捉え、反対に男性の場合は他者にコントロールを課すことだと考えるというもの。

女性と男性の攻撃性の表現の違いは、社会的文脈に由来するということだ。その人が攻撃性をあらわにした場合、気分がおさまるか、それとも恥を感じるようになるかは、その国や地域で女として男としてどのように育てられたのかということが影響するという指摘である。

だから、映画のなかで怒る男は珍しくないが、女の怒りや攻撃性をストレートに爆発させる映画は数少ない。

その一つに『テルマ&ルイーズ』(リドリー・スコット監督・91年・アメリカ)がある。平凡な主婦テルマと友人で独身生活を楽しむウェイトレスのルイーズが、ドライブに出かける。途中、テルマをレイプしようとした男たちをルイーズが射殺。逃避行の途中、なりゆきで強盗をして、警察に追われる。アリゾナ州の大峡谷で、遂に二人は警官隊に取り囲まれてしまうが、後戻りはしない。フランスで上映禁止になった『ベーゼ・モア』(ヴィルジニー・デパント監督・00年・フランス)もストーリーは似ている。殺人を犯した女性二人が意気投合。逃避行の途中で現金や銃を強奪し、男を誘惑して殺しながら、お互いの絆を強めていく、というもの。

書店へ行けば、「怒りへの対処本」「心穏やかに生きるための本」が本棚一つを占めている。欧米系の翻訳ものも多い。それらは、怒りは悪ではない、感情に良い悪いはないと言い、その上で、怒りは物事を変えるエネルギーになり得るのだから、自分の感情から怒りを完全になくしてしまおうとするのではなく、正しいかどうかの判断をするのでもなく、適切か不適切かどうかに焦点を当てよとか、過去や未来にとらわれず今に生きよ、などと説いている。

不安や怒りとのつきあい方に関心が集まるのは各国共通のようだ。

(清水直子)





関連本















関連URL

アラビア語の法則 

連載ローマっ子 


特殊辞典 

独立行政法人国際協力機構 



(2006年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第52号より)
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前編を読む

怒りを受けとめ、相手を引き止めておく技術



電気大教授2

自分の怒りを表出すること以上に、相手の怒りを受け止めることも重要だ。これまでに中島さんが習得した最高の技術は「相手を引き止めておく技術」。言い換えれば、相手に自分のことを全部しゃべってもらう技術である。
「人間ってみな共通でこの人は聞いてくれないと思ったら、しゃべりませんよ。私は本当に知りたいからね、どんなおかしな人の話でも聞こうと思っている。そしたら、しゃべりますよ。場合によったら、30分ぐらい男の子でも泣きます。そんな時は『泣いてなさい』っていうんです。それは一つのコミュニケーションだからね」


中島さんのところへ、行き場のない学生が相談にやって来る。
「今、私は自殺したい人を何人か抱えていて、これは死に物狂いの闘いです。私に対して彼らはすごく怒りますよ。一時、防弾チョッキを買おうか、セコムをつけようかと思ったくらいで。刺されたことはないけれど、ほのめかすことはいくらでもありますよ。先生のために一生を棒に振ったとか、先生がいなければよかったとか。何を言われてもしょうがないと思っているけれど、2年前に学生に死なれたときはきつかった。あの『夜回り先生』もそうだけれど、彼も社会的役割を感じているんでしょうね。私なんかもっといいかげんな人間だけれども、今ここに来る学生に刺されてもしょうがない覚悟でやってますね」


中島さんが学生と話す時の原理は簡単だ。
「ごまかさないで、何しろ誠実さだけ。君が死んじゃいやなんだよということだけ言う」。逆に言うと、こんな重たい体験を目の前にしているから、中島さんの普段の怒りの表出はゲームのようなものだ。

「きついことをやっていると、人間っていろんなことを学ぶんですよ。弱い人はそれを避けようとするでしょう。この場はがまんしようとしていると、やがて何もできなくなってしまう。それが私の持論ですね。長くやらないとダメですよ。怒っててよかったなあって思うまで、10年かかりますよ。怒っている理由が回りの人にわかるまで、相当時間がかかります。でも、わかってもらおうとしてもだめですよ。結果としてわかってもらうためには、ですよ。それも全部じゃなくて、何人かの人にね」





社会の厚い壁、大人が若者の話を聞く態度必要



日本社会では見苦しいとされる自己主張だが、中島さんは自己弁解を擁護する。
「自分自身がギリギリのときに、その場でしか弁解できないってことがあるんです。だから、私は、弁護が人間にとって一番重要だと思っているわけ。もし疑いをかけられたら、それに対して、みんなの前で弁護しなくちゃいけない。いつも学生に言うんです。どんなバカなことでもみんなの前で言ったことは価値がありますと。なぜかっていうと、責任をとらなきゃいけないから。あとで、こっそりメールを出すのは、いくら正しくてもダメですよ」


しかし、日本社会全体に厚い壁がある。
「実は大人は若者に期待してないんです。とうとうと若者が1時間も弁解することを望まない。よく大人がわかった、わかったと言いますが、あれはその場を切り抜けようとしてるだけなんですね」


だから、まず、大人から若者の話を聞こうとする態度を示さなくてはいけないと中島さんは言う。
「若者は賢いですよ。大人は強者で、若者は弱者。だから、あえてマイナスになるようなことは言いません。若者自身が自己弁護してもいいんだとわかるためには、かなり時間がかかります」


逆に学生が、「実は先生の授業に批判的なんです」と言ってきたら、『あっ。そうですか』と私は受け取らなきゃいけない。どんなに一所懸命にやっても、自分に対するものすごい批判がありうるということをいつも予測しなければならない。私はいつも学生たちがナイフを隠し持ってないかと思って授業していますよ。いわゆる善良な人ほど、そんなことあるはずがないと思っていますから、批判されると驚くわけです。そのことも学生は知っている。だから言わないんです」

我々、霊長類は残酷だ。
「人間は上下関係で全部動くし、もちろん弱者を痛めつけるし。文明は攻撃的なんです。それなのに今の社会は、特に男に対して、ものすごくきついことを課している。暴力振るっちゃいけません、攻撃しちゃいけませんとか。それは、自然に反するんですよ」


「何の怒りもない社会というのは、人間として生物体として不気味です。何かに才能がある人、報われている人はいいけれど、そうでない人にはきつい。自殺者が増えたりするのは当然で、攻撃性を抜いた社会だから、本人の適性が出てこない」


そういう文化が持っている不条理を中島さんは指摘する。「誰かを好きになることは、誰かを嫌いになることですよ。誰でもよければ文化も差別もない。誰かを理由なく好きになる純愛の逆は、誰かを理由なく嫌いになることです。それは地獄ですが、やはり文化なんです。そして誰かのことを尊敬するということは、誰かを軽蔑することなんですよね」

だからこそ、人間が怒りを表わすことの自然さ、重要性を理解してくれる人が周りにいた方がいい。
「大人は自分が怒らないと、若い人に対しても『怒るな!』となってしまう。私は反対に、『怒れ怒れ!』って言います。そうじゃないと、怒りを消す文化が、自分自身の安全のために再生産されていくんです」


だからこそ中島さんは言う。「怒れる身体に自己改造して、豊かな人生を取り戻そう」




(編集部)

Photos: 高松英昭






中島義道(なかじま・よしみち)
1946年、福岡県生まれ。77年、東京大学人文科学研究科修士課程修了。83年、ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。『うるさい日本の私』(新潮文庫)、『<対話>のない社会』(PHP新書)、『怒る技術』(角川文庫)など著書多数。
















(2006年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 52号より)
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どのように「好き」という気持ちを表現すればいいでしょうか?






Q:49号の「純愛」特集を読みました。今、好きな人がいるのですが、どのように「好き」という気持ちを表現したらいいのかわかりません。面と向かって、「好き」と言って、振られてしまうのも怖い。今の友達関係が壊れてしまうのが怖いのです。どうしたら、いいでしょうか?(20歳/男性)








A:いやー、やっぱり最初は面と向かって「好き」なんて言うのは、恥ずかしいよねぇ。
僕はね、好きって思ったら気持ちを伝えるタイプなんですよ、うん。今までに「好き」と言って後悔したこと? それはないねぇ。

20歳の頃にね、同じ職場の二つ上の女性を好きになってね。3ヶ月くらい迷った末に、「お茶行きませんか」って思い切って誘ったんです。「あぁー、いいですよー」っていう答えでねぇ。舞い上がってたら、そのまま何もなく半年くらい経ってしまっていて。まぁ、最初っから断られてたようなもんだよねぇ、ハハハ。

でも、ダメだったらその時はズドンと落ち込むけど、言った方が後に残らなくて、スッキリするもんねぇ。どういうのか、こう、前に進めるというか、ねぇ。

一番覚えてるのは、高校の時のクラスメートでね、忘れ物したときに貸してもらったのがきっかけでつきあった子かなぁ。どうやって、「好き」という気持ちを伝えたかって? まぁ、「小さな親切運動」というかね、席を譲ってあげたりなんかしてね、ハハハ。まぁ、これは普通のことだけど。

あとは、やっぱり、「レター」かなぁ。写真を撮ってあげて、同封したりなんかしてね。「きれいに撮れてましたよー」ってメモ書きを入れたりして。想いを伝える時は、4枚くらい手紙書いたかなぁ。

高校の時の子とは、1年つき合って、2年目に「別れよ」って言われちゃったなぁ。どうしてかなぁって思ったけど、結局はっきりした理由はわからずじまいでねぇ。すごく好きだったからね、その時はつらかったけどねぇ。でも、40年経って、今となっては、こう何と言うか、甘酸っぱい思い出になってるねぇ。

振られたらどうしようって怖い気持ちもわかるけどねぇ、「幸せなら手をたたこう、パンパン♪」じゃないけど、「幸せなら態度で示そうよ♪」ですよ、うん。

(K/大阪)


THE BIG ISSUE JAPAN 第52号より)






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中島義道さんの怒る技術



怒れる身体に自己改造し、豊かな感受性を取り戻そう



怒りは自然な人間感情。だが日本の社会で怒りは歓迎されない。怒らないことが社会の暗黙のルールになっている。
そんな日本社会で22年、怒ることを自らに課してきた哲学者、中島義道さんの怒る技術とは?
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Genpatsu


(2011年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 170号より)




このほど行われた国民投票で原発ノーを再確認したイタリア。94パーセントが原発に反対という。脱原発を決めていたドイツでは、この10年の間に原発延命の流れができつつあったが、フクシマ事故を他山の石として、原発の早期停止を決めた。スイスも脱原発を決めたという。何ともうらやましい。

イタリアのニュースを伝えたNHKは、同国の電力不足を取り上げ、フランスから高い電気を買っていると伝えていた。原発大国のフランス頼りと言いたげだ。そういえばかつて、脱原発を決めたドイツに対しても原発の電気を輸入せざるを得ないなどと伝えていた。報道だけではない。原子力委員会も04年に平気で輸入データだけ出していた。情報操作だ。早速ドイツからデータを入手して同じくらいの量を輸出していると指摘すると、あっさり認めた。

フランスから電気を輸入しようが、そんなことは問題ではない。大事なことは、イタリアの人々が自分たちの国には原発はいらないと決めたことだ。

日本では、定期検査後の原発の運転再開ができないでいる。福島原発事故を受けた新たな安全基準で検査しなければ安心できないと、立地自治体の知事が言っているからだ。しごく当然のことだ。知事たちは爆発している原発を映像で見て背筋が寒くなったに違いない。世論が大きく影響している。

順次、定期検査に入っていくので、このままいくと来年の5月に全部の原発が止まる。やっと安心できると思っていたら、電気代が標準世帯で毎月1000円以上高くなると、ある経済研究所の試算結果が、上のニュースと併せて報道された。

フクシマ事故の被害総額は20兆円といわれる。これを国民にそのまま回せば、一人当たり17万円の負担になる。こっちの方がよほど問題だ。

それはともかく、電気の使い過ぎが問題となっているのに、電気をじゃぶじゃぶ使っていた昔のデータで試算して、私たちの脱原発の思いが本気なのかを試しているわけだ。何とも小賢しいことをするものだ。イタリア人のように陽気に脱原発でいきたいものだ。







伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)



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前編はこちら>




IMG 7218
(Photos:中西真誠)





理不尽を正すレフェリーはいない。だから、ちゃんと怒る



では、逆に怒りをちゃんと表現している人は、どんな基準で、どのように怒っているのだろうか?

会社員のユカさんは(22歳)は、仲のいい友人でも、会社でも、自分が馬鹿にされた時や会社の運営上よくないと判断した時は、きっちり怒る。「この前も、友人が『あとで連絡する』と言って連絡してこないことがたびたびあったので怒りました。すぐに怒るわけではないけど、約束を反故にするような行為や、お互いが本気でいるべき時に相手が適当な時は怒る。あまり怒りはためない」という。

仕事でもプライベートでも、怒りっぽいというコウジさん(会社員、32歳)は”怒る“と”叱る“の区別を意識するように努めている。「学生時代の部活で、先輩から『後輩から好かれようと思って、怒らないのはアカン、上手くならん』と言われてきたので、ちょっと怒りっぽいんです。怒るのは感情的なもの。叱るのは、相手の欠点を指摘すること」と言う。ただ、怒ることは、自分にも厳しくし、相手との関係を継続させるためのものという思いもある。「実際、学生時代に怒った後輩たちとは今でもよく集まるし、結束が固くなっていますから」

また、約束を破りがちな友人のルーズさ、上司の理不尽な言動には、怒りでもって反撃する、というコウイチさん(35歳)も、怒ることは大事な感情表現と位置づける。「ある時点で、ちゃんと怒らないと、相手は平気で何度でも同じことをする。だから、『嫌だからやめてくれ』と、ちゃんと伝えるんです」

「サッカーの試合で、欧州や南米の選手とかが相手のファウルに対して、実際の痛み以上に大きな身振り手振りで訴えますよね。あれぐらいの表現が必要だと思う。まして、一般の社会はスポーツの世界と違って、理不尽な行為や言動を公平に判断して警告を与えるレフェリーがいないわけだから」





あなたは、何に怒ってる?



個人的怒り派(家族、友人、会社などの人間関係の中での怒り)

「社会的地位の高い人が理不尽なことをするのが許せない。今、脱退したいと言い出したバンドメンバーに腹立ってる」(ダイキさん/フリーター、28歳)
「自分の進路にイチイチ口を出す母親にカチンときてる。どうしようもないことを注意する会社の先輩にもムカっとくる」(サオリさん/会社員、22歳)




日常的怒り派(電車の中、コンビニ、レストランなど公共の場でのマナー、接客への怒り)

「運転中、バイクの無謀運転に、『殺す気かボケ!』と叫んだ」(ヨシオさん/自営業、32歳)
「初めて会社に来た営業マンの態度が、友達のように馴れ馴れしくて、怒りを覚えた」(タツヤさん/会社員、28歳)
「背景を見ないで、個人バッシングする人が多い。マナーや、他人への無関心さに腹が立つ」(キョウスケさん/飲食業、38歳)
「店のレジなどでの学生のマナーの悪さ。道端でもよけずに平気で身体がぶつかる若者の距離感のなさ」(ヒトミさん/主婦、35歳)




社会悪への怒り派(政治・経済・社会などへの怒り。政治家の発言、汚職、差別など)

「自分の家族を傷つけるこの社会の風潮が許せない」(カズミさん/主婦、31歳)
「テレビが殺人事件や子どもによる事件などネガティブなものばかり取り上げすぎ。子供に悪い影響を与える」(マサアキさん/アルバイト、34歳)




(稗田和博/清水直子/野村玲子/中島さなえ)




(2006年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 52号より)
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若者の怒り体験インタビュー


「あなたは、最近、怒りましたか?」 怒りを求め東奔西走



キレる人、怒れない人、ちゃんと怒る人、20〜30代の若者に、
怒り体験を聞いて回りました。怒りを覚えても、そっと心にしまって伝えられない人、
意外と多いようでした。





「今日も、キレてきました」—電車の中で、母に、自分に、テレビにも




インタビューページその1


約束を守らない友人。口うるさい家族。あるいは電車の中で、車の運転中に。そして、テレビの報道を見て怒る…。他人の行動や言葉に、マナーの悪さに、メラメラと怒りがこみ上げる。

ちょっと不謹慎かもしれないが、「他人の怒り体験」を聞くのは、おもしろい。人が怒りを覚る事柄は、実に多様で、バラエティに富んでいる。

大学生のアヤさん(21歳)は最近、母親の言葉にキレそうになった。4万円ほどするスーパードルフィーという人形を買って帰った時のこと。母親が、『そんな高い人形買って、バカじゃないの?』と言い放ったからだ。「今、大学を休学して、本格的にダンスに取り組んでいる。その生活の中で、人形はとても大切な存在。バイト代で買ったものだし、自分が大切にしているものをけなされるとキレてしまう」

事務職のチホさん(24歳)は、「今日も家族にキレてきた」と言う。だが、怒った理由は定かではない。「何だったかな? 朝ご飯ができていなかったからかな」。家では些細なことで、しょっちゅう怒る。「私は家では何もしない人なのに怒ってます。わがままがスゴイ。私の場合は、逆ギレに近いです」

カズヒロさん(24歳)は、自分に怒る。「会社で、給料の査定に響く試験に寝坊して、自分にカチンときました。人に怒るよりも自分に怒る方が多い。怒りは、自分が何かをする時の原動力になる」と話す。

また、電車の中で、見ず知らずの人に果敢に怒る人もいる。アユさん(20歳)が、特に腹が立つのは、マナーの悪い年輩の人。さすがに、注意することまではしないが、「コイツ!」と心の中で怒りを覚え、マジマジと顔を見たり、睨んだり。「特に、年輩の人のマナーの悪さは質が悪いんです。飲んだ物をそのまま床の上に置きっぱなしにしたり、座席を広く占領したり。今日も睨んでいると、相手がガン飛ばしてきたのでムカつきました」

子育て中の主婦、クミコさん(31歳)も、電車のなかでイラっとすることがある。「優先席で目の前におばあさんが立っているのに席を譲らない人は、男女や職業を問わずいる。私も妊娠中になかなか席を譲ってもらえなかったので、そういうところに気がついて欲しい。だけど、最近は声をかけると何をされるかわからないので、譲ってあげて、と注意することもできないでイライラする」と言う。




怒れない友人や会社 「雰囲気、壊したくない」



喜びや悲しみの感情と同様に、怒りの感情を持たない人はいない。そして、何に対して怒るかは、その人の価値観や置かれている立場、あるいは趣味指向を反映している。今回、本誌が実施した若者へのヒアリングでは、そんな事実が浮かび上がった。だが、心の中で膨らんだ怒りは、みんながみんな、ちゃんと表現しているかというと、そういうわけでもないようだ。ヒアリングした20人のうち半数以上の人は、「怒りを覚えても、相手に伝えないことが多い」と答えた。なぜなのか?

「家ではよく怒るけど、外ではよっぽどのことがない限り怒らない。会社ではいい環境で働きたいし、同僚がいないので、どこまで踏み込んでいいのかわからない。仲のいい友人には、嫌われたくなかったので、やんわりとしか怒れなかったこともある。高校の時は感情を出す方だったけど、社会人になると難しい」(サオリさん/22歳)

「とにかく見なかった、聞かなかったことにして、すべてを誤魔化しちゃいます。平和主義が基本なので、自分の中ですべて解決しちゃいます」(ユリさん/29歳)

ユリさんの場合、約束の時間になっても一向に現れない女友達を3時間近く待った時も、怒れなかった。その友人は、たびたび約束に遅れ、明らかに嘘とわかるような弁解をするのに。

「待っている人の気持ちを考えてほしいって思うんですけどね。でも、その場の雰囲気が気まずくなるのが嫌で…。怒るのって、若さだと思うんです。感情をぶつけられるのは若いうちだけ。歳をとるにつれて怒れる場がなくなる」

怒りを伝えられないのは、「相手との関係が悪くなる」「その場の雰囲気・空気を壊したくない」という意見が大勢を占め、「自分が正しいと確信が持てず、八つ当たりになるのが嫌」という意見も。「相手とタイミングを見て、判断する」という回答は、ごく少数だ。そして、その怒りを表現できない相手は、ほとんどの場合、「友人」や「会社」である。逆に、最も近い家族には、比較的怒りをぶつけやすいようだ。また、ごく少数ながら、男性の中には「ほとんど怒ることがない」という人も。

「基本的に怒らないです。何か気に障っても、自分の中で自然に感情が冷めて、しかたがないと許容してしまう。もし怒るとしても、相手がちゃんとわかってくれる人だけ。最近は、怒りと諦めが同義語のようになっている」(ツヨシさん/会社員、26歳)

「怒りを覚えても、相手は自分より大変な思いをしているのではないかと思って責められない。で、怒りの原因を自分に転嫁してしまって、外には怒りを出さないようにしてしまっている」(ダイスケさん/大学生、21歳)

いずれも普段の人間関係では怒らないが、メディアやメディアが伝える社会悪などには怒りを覚えることがある、と言う。





後編に続く>




(2006年6月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 52号より)
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Photo:高松英昭





「本がほしいから買うんじゃなくて、あなたの笑顔が好きだから買うのよ」




渋谷の東急プラザ前で一昨年6月から昨年の初めまで、ビッグイシューを販売していた石橋孝三さん(65歳)は昨年2月に、ビルの清掃管理を行っている会社への就職が決まり、この春、自分の部屋を手に入れた。だが、ここに至るまでの道のりは、決して穏やかなものではなかった。

初めてビッグイシューを知ったのは2年前。渋谷のモヤイ像の前に座っていると顔見知りがやってきて、「俺はもうやめちゃったんだけど、昔こういう雑誌を売っていたんだ。よかったら紹介するよ」と、所持金のない石橋さんに、事務所までの電車賃として500円を貸してくれた。その後、石橋さんは1日に60冊も売り上げるほどの売れっ子販売員になったが、紹介してくれた当の本人は、そのまま行方をくらましてしまった。




渋谷では、いろいろなタイプのお客さんとの出会いがあった。

「昔見たポルノ映画の女優が買ってくれたこともあるよ。渋谷駅で紙袋を持った駅員が強盗に襲われてマスコミが殺到したときは、テレビ局の社員が買ってくれたりもしました。時間待ちのバス運転士も、カラオケ屋のチラシを配るお兄ちゃんも警備員も、みんなよくしてくれた」

石橋さんが渋谷にこだわるのには理由がある。じつは石橋さんは、渋谷からほど近い広尾で5人兄姉の末っ子として生まれた。当時、広尾にはまだ都電が走っていて、やんちゃな子供だった石橋さんは、都電の車庫に忍び込んでは遊んだ。成人して、大田区の町工場でゴムをプレスする仕事に20年携わった後は、警備会社や千葉の飯場などを転々としたが、仲間との折り合いが悪く、仕事を辞めて渋谷に戻ってきた。




それからしばらく渋谷の町をさまよった石橋さんは、路上生活から抜け出そうと、販売員として再スタートを切った。ところが、長い野宿生活がたたったのか、上野のカプセルホテルで吐血し、そのまま入院。退院後は更生施設で時々身体を休めながら、販売員としてもう1度、渋谷の路上に立った。

そして昨年の2月27日、施設の支援を受けて、ビルの清掃管理を行う会社で、面接と掃き掃除のテストを受けた石橋さんは見事合格し、念願の仕事を手にした。

販売員時代から、笑顔を絶やさないよう努めていた石橋さんは、「本がほしいから買うんじゃなくて、あなたの笑顔が好きだから買うのよ」と、常連さんからよく言われていたそうだ。




「お客さんの言葉を今もしっかりと胸に焼きつけて、清掃中にすれ違うマンションの入居者には笑顔で、『おはようございます』『いってらっしゃいませ』と、気持ちのよい挨拶を欠かさないようにしています。知らん顔をして通りすぎる人もいれば、『いつもご苦労様』と温かい言葉をかけてくれる人もいます。中には菓子折をくれたり、田舎から送ってきた果物を届けてくれる人までいるんですよ」

石橋さんの真面目な勤務態度は、社内でも定評がある。普通は一つの建物を複数人で清掃するのだが、信頼の厚い石橋さんは、一人で一つの建物を任されている。引っ越しシーズンの春は、ごみの分別や、ダンボール箱を潰す作業に、特に時間を取られる。そのため石橋さんは、規定の出勤時間より1時間半も早い7時から現場に出ている。また、真っ黒いぞうきんで拭き掃除をして、入居者に不快感を与えないよう、汚れたぞうきんを自宅に持ち帰り、お湯で入念に洗うといった気配りも忘れない。




石橋さんのきれい好きは、今に始まったことではない。その昔、新橋で雀荘をしていたいちばん上のお姉さんが、たまに自宅に帰ると、決まって石橋さんを呼んで部屋の掃除を頼み、お礼に夕飯をごちそうしてくれたそうだ。

「おふくろがきれい好きでね、散らかすといつも『なんだ孝三、汚いなあ』と叱られていました。あのときのしつけが、今も染みついているんですかねえ」

石橋さんはそう言うと、携帯電話で撮影した自分の部屋の写真を、私に見せてくれた。ユニットバスとキッチンがついた6畳間の家賃は53700円。もともと6万円ちょっとだったのを、家主が厚意でまけてくれたそうだ。

「更生施設のようにキッチンが共同じゃないから、『そんなもん食ってるのか』と馬鹿にされないように、見栄を張ってカルビを炒めたりしなくてもよくなりました。自分の部屋なんだなあという実感が、今頃になってだんだん湧いてきました」と、いとおしむように言う石橋さんの部屋は、隅々まで片づけが行き届いていた。

(香月真理子)

(2006年5月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第50号より)
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