Genpatsu
(2014年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 242号より)

東電の1億円の寄付受けた田中知氏、原子力規制委員に

福島原発事故という犠牲を経て、経済産業省から切り離して、原子力規制委員会が設置された。規制が電力会社の虜になっていたとの反省からだった。ところが、この独立が危うくなるような人事案が国会で承認された。

原子力規制委員会の発足は2012年9月19日。法律によれば委員は5名で任期は5年だが、最初だけ、2名の委員は2年、他の2名は3年、委員長が5年になっている。そこで2名がこの9月に交代する。

今回、交替する委員は、島崎邦彦委員と大島賢三委員の2名。島崎委員は地震学者で、前職は地震予知連絡会の会長だった。島崎委員は活断層をめぐって厳しい態度で審査にあたってきた。ぜひとも引き続いて審査にあたってほしいところだが、交代することになった。

報道では本人が固辞したというが、いろいろな圧力が陰に陽にかかっているとの噂だったので、わからなくもない。大島委員は外務省の出身で、再稼働に向けた審査の中では陰が薄かった。

問題の人事は田中知氏の起用だ。これには、疑問や反対の声が広がった。当然のことだ。  同氏は原子力推進の論陣を張ってきた人だ。原子力推進の牙城とも言うべき日本原子力学会の会長をつとめた。

また、起用直前まで日本原子力産業協会の理事を務めていた。筆者も同席した民主党時代のエネルギー基本計画を策定する審議会では、原子力の維持を訴えて、電力に占める原子力の割合を20~25パーセントにするべきだと主張した。

また、田中氏には業界からの寄付の問題もある。個人への寄付金もあるが、同氏が担当した核燃料サイクルにかかわる研究や人材の育成をめざす講座に、08年から福島原発事故が起きるまで、東京電力から1億円の寄付があったと報じられている。

原発の維持という政府の方針に沿った人事では、再び大事故が起きるのを待つようなものと言わざるを得ない。



伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)