若者のおよそ10人に1人は少なくとも1回以上の自傷行為をしたことがある、という調査結果*がある。あなたの身の回りに「自傷」の経験者はいるだろうか。心当たりがない場合は「なぜ自分の体にわざわざ傷をつけるのか」が想像もつかないかもしれない。
*「わが国における自傷行為の実態 2010年度全国調査データの解析」/日本公衆衛生学会
今回は2018年3月に発売された写真文集『Ibasyo 自傷する少女たち “存在の証明“』(工作舎)で、自傷行為をやめられない女性たちを取材したドキュメンタリー写真家の岡原功祐さんにお話を伺った。
写真提供:岡原功祐
岡原功祐さんプロフィール 1980年東京都出身。早稲田大学卒。南アフリカWITS大学大学院中退。人の居場所を主なテーマに撮影を続け、これまでに『Contact #1』『消逝的世界』『Almost Paradise』『Fukushima Fragments』の4冊の写真集を上梓。2008年度文化庁新進芸術家海外研修制度研修員。2009年には世界報道写真財団が世界中の若手写真家から12人を選ぶJoop Sward Masterclassに日本人として初選出。Photo District Newsが選ぶ世界の若手写真家30人にも選ばれる。2010年、『Ibasyo』でW.ユージン・スミス・フェローシップを受賞。 kosukeokahara.com |
取材テーマに自傷を選んだきっかけ
「自傷行為しててね、やめられないんよ。」飲みの席でたまたま一緒になった女子学生からそう告げられたのが、岡原さんがこのテーマに関心を持ち始めたきっかけだ。それまでも「自傷」の知識はあったものの、当事者と接点を持ったのはそれが初めてのことだった。
多くの人は親しいわけでもない人からそんなことを打ち明けられたら、それ以上深入りするのを躊躇してしまいそうだ。だが、岡原さんは、ああそうなんだ、話でもする?と、それからたびたび話す機会を持った。なかなかできない対応に思えるが、「僕、鈍感なのかも。あと人と話すのが好きなので」と自嘲的に言う岡原さん。そんな「取材者」のイメージを超えるあたたかいまなざしがこの本の底流をなしているように思う。だからか、重たいテーマながら、どこか心地よさがあり次々とページを繰らせる。
写真提供:岡原功祐
その女の子がよく口にしたセリフ「私には居場所がない」が、当時の岡原さんにことさら響いたのもある。岡原さんは大学4年の頃にコソボ自治州(現コソボ共和国)を訪れた。それまでとは全く違う世界を見たその経験をきっかけに、「知られていない世界を見て伝えることを仕事にしていきたい」、「伝える手段は写真が自分に一番向いている」と思った。そんな決意を胸に大学を卒業したものの、現実は母校の大学事務室でアルバイト。その傍ら、たまに雑誌の仕事をもらってもギャラの低さにがく然とし、親や周りからは就職しなさいと言われる日々で、「所在なさ」のようなものを感じていた頃だったからだ。
彼女と話すうち、自傷をやめられない人が他にもたくさんいることを知った。検索してみると関連ウェブページは多数ヒット。当時主流だったSNS「mixi(ミクシィ)」にはその匿名性ゆえか「自傷行為コミュニティ」なるものがあった。ドキュメンタリー写真家として、今、自分がこのテーマに取り組む必然性を強く感じた。
苦しい状況にありながらも自発的に撮影に協力してくれたワケ
被写体はオンラインの掲示板上で募集した。するとさっそく取材を受けてもいいですよという連絡がちらほら入るようになった。『Ibasyo』では5名の女性を取り上げているが、実際に会った当事者は計30人にのぼる。東京近郊のみならず、群馬、静岡、三重、岡山、福岡、さまざまな土地に出向き、話を聞いた。特に女性に限定していたわけではないが、男性は30人中4人だけだった。一緒にコーヒーを飲み、部屋を訪ね、時に彼女らの部屋の床などで寝泊まりしながら、自傷がやめられない苦しみの渦中にいる女性たちのそばで多くの時を一緒に過ごし、彼女たちの日常をレンズを通して「淡々と記録した」。
それにしても、被写体になってくれたのは年頃の女性たちだ。元気な姿ならともかく、生きてるのがツライ…とすら感じている状況にありながら、顔出しでの作品発表を前提にした撮影に自ら手を挙げる人が次々現れた、そのことを不思議に思う人もいるかもしれない。彼女たちが撮影を了解した主な動機は「今の自分を外から見てみたい」「苦しんでいる人たちの役に立てるのなら」。人間はどんな状況にあろうと、誰かの役に立てることがいかに大事かということなのだろう。
自傷行為に至る背景
自傷行為は1960年代にアメリカで確認されはじめ、特に若い女性のあいだでリストカットしているとカミングアウトする人が増え社会問題に。その後、世界中に存在が知られるようになり、日本で認知されるようになったのは1970〜80年代とされている。しかし、自分のかたちを変えるという意味の「self-mutilation」という単語がラテン語に存在することを踏まえると、自傷行為そのものは人類の歴史や動物の世界に古くから存在していたのかもしれない。自傷を英語で 「self-injury」「self-harm」と言われるようになったのは1990年代以降と、最近のことだそうだ。なぜ自分の身体を傷つけるのか、その理由は一様ではない。同じ人でも一日の時間帯によって「切る」理由は違うこともある。激しい離人感(*自分の意思と体が分離され、自分が自分でないかのような感覚)に襲われて、切ることで感じる痛みにより自分の実体を確認するような時もあれば、ただむしゃくしゃしてハッキリした意思のもとで切ることもあった。時として、岡原さんの目の前で突発的に自傷を始め、止血に手を貸したこともある。「線を引くように」うっすら切るだけのこともあれば、ある女性の取材中に一度部屋から出て戻ってくると、大量の血を流していることもあった。「いつもこのくらい切ってるもん」と言われ、焦って止血をした。
今考えると、取材を重ねる中で、焦りながらも冷静に対処するようになっていった自分もいたような気がします。
リストカット以外にも、食べては吐くを繰り返す摂食障害、薬の過剰摂取(オーバードース)も岡原さんが取材した女性たちには共通していた。薬の影響か、体がむくんでいる人も多かった。
本に出てくる彼女たちはみな、人にものすごく気をつかうタイプで、自己評価が極端に低い。家庭の事情で借金取りから逃げまわる生活を強いられてきた人、顔見知りにレイプされた人…、存在を否定されるような体験を通じて自尊心に深い傷を負ってしまっていた。なかには、娘の自傷行為に親が気づいたとしても、それどころじゃないといった状況もあり、やはり家庭環境の影響は大きいと岡原さんは感じた。
撮影:西川由紀子
「撮る」というのは目の前にある存在を肯定する行為
撮るにあたって彼女たちのこんな表情が撮りたいという気持ちは全くなかった。あくまで彼女たちの「存在」が映るかどうかだけを考えて撮っていたという。写真ってそこにあるものの情報は勝手に映り込んでしまうけれど、写真で状況を説明したいわけではありません。写真を見た時に、写っているものの存在が下っ腹で感じられるような写真を撮りたいと思っています。撮る時は基本的にそれしか考えていません。
結局は、なんとか生き抜き、自身が回復していかなくてはならない
これが、自傷をやめられないでいる女性たちの日常を切り取ってきた岡原さんの実感だ。その人に合う医師やカウンセラーに出会い復調していった人もいるが、ただ薬を飲めば治るといった単純なものではない。もちろん周囲の人の支えも大切だと感じたが、最終的には自身が回復していくという、「決まった答え」のない過程を辿らなくてはならないのかもしれない。『Ibasyo』は2009年頃に一度出版の話が出たがカタチにならず、雑誌掲載どまりだった。 結果として、取材開始から14年目にして編集者との出会いに恵まれ、出版を実現させることができた。ずいぶん時間がかかってしまったおかげで、5人の女性たちが今では自傷行為から抜け出し、計らずもすっかり元気になっているという嬉しい後日談をエピローグに収めることができた。
結婚・出産という環境変化の中で自分の役割が見つかった人、親しい人からかけられた言葉がきっかけで徐々に立ち直っていった人、複雑な関係にあった父親が他界したこと、なんとなく日々を過ごす中で回復していった人、きっかけはそれぞれだが、苦しい時期を乗り越え、自傷行為は過去のものとなっていた。
写真提供:岡原功祐
出版することで逆に彼女たちを傷つけてしまわないかと危惧したこともあったそうだ。だが、完成本を元気になった彼女たちに手渡したところ、「あの頃の自分の気持ちはもう理解できない。でも、あの時の私もちゃんといたってことがわかるから残ってよかった。」「つらかった出来事ではあるけど、自分が生きてきた証がこうやって残って、がんばったよね、と思えるし、周りに迷惑かけたな、というのも覚えてられる。」「それに撮ってもらったことで子供にも伝えられる。子供にはこういう人もいるんだよって知っておいてほしかった」との感想をくれたそうだ。
ある女性は、病を克服する過程で「すべてのことを正面から受け止めようとするのではなく、少し横に置いておけるようになった」と自分なりの折り合いのつけ方を見つけた。「しっかりと過去と向き合ったわけではない」から「今は読む自信がない」と言われたが、読もうと思えるその時が来たら読んで、と出来上がった書籍を手渡した。
私たちは結局、社会の荒波のなかで生きていかなければならない。彼女たちは今その中を自分の足で着実に生きている。
知識としてではなく物語として入ってこそ自分のものになる
自傷に関しては、精神科医によるガイド本も少なからず出版されている。そうした本は当事者やまわりの人が「知識」を得る上では確かに役に立つだろう。しかし、『Ibasyo』はそうしたハウツーものとは一線を画した「物語」を提供する本だ。人生のある時期、自傷行為をやめられないでいる人たちの物語。60点の写真に加え、原稿用紙200枚を超えるルポで構成されている。岡原さんは強い信念を持っている。「知識ではなく物語として入ってきてこそその人のものになる」と。「物語」を通していかに自分が対象を知ろうとするか、想像しようとするかという能動的な咀嚼力が問われるものの、それを駆使して得られた感情や感動こそがその人の経験となるのだと。この本は今苦しんでいる人が救われる本にはならないかもしれないが、「自傷」というテーマに縁遠かった人にこそ積極的にこの本を届けていきたい、それがジャーナリズムの役目だと考えている。
岡原さんはつい最近までパリとドイツを拠点に活動していたため、海外からも多数の注文が入っている『Ibasyo』だが、これはあくまで日本で起きた物語について日本語で書かれた本。彼女たちの「物語」から、読者なりの咀嚼を通した「経験」をもたらせればと願っている。
取材・記事:西川由紀子
『Ibasyo – 自傷する少女たち “存在の証明“』(工作舎)
写真提供:岡原功祐
『Ibasyo』の世界を表現した展覧会
<東京>会場:TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHY
東京都中央区京橋3-6-6 エクスアートビル1F
会期:2018年6月6日~7月1日(2018/06/6時点)
撮影:西川由紀子
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